2017.05.26 ON AIR

希代のサザン・ソウル・シンガー スペンサー・ウィギンス

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Spencer Wiggins/ Soul City In U.S.A(GOLDWAX/Vivid Sound VG3002)

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2017.04.18@ビルボード東京 チャールズ・ホッジズと22年ぶりの再会!

 ON AIR LIST
1.Take Me Just As I Am/Spencer Wiggins
2.Up Tight Good Woman/Spencer Wiggins
3.Soul City In U.S.A/Spencer Wiggins
4.Walkin’ Out On You/Spencer Wiggins
5.I Never Loved A Woman(The Way I Love You)/Spencer Wiggins

今日は先頃来日したサザンソウルの素晴らしいシンガー、スペンサー・ウィギンスの名盤”Soul City In U.S.A”を聞きます。今日はアナログLPです。

70年代の中頃から80年代にかけて、日本ではちょっとしたサザン・ソウルのブームが起りオーティス・クレイやO.V.ライト、アン・ピーブルズ、ドン・ブライアントたちが来日して、それでこういうスペンサー・ウィギンスのような日本であまり知られていなかったサザンソウル・シンガーのアルバムもリリースされました。その時にアメリカのソウル・ミュージックの奥深さというか、クオリティの高さそしてソウルシンガーの層の厚さに驚きました。
サザン・ソウルというとよく知られているオーティス・レディングが大きなアイコンとして存在し、そのあとに彼と同じメンフィスのスタックス・レコードのエディ・フロイド、アーサー・コンレー、サム&デイヴなどが思い浮かびますが、そのスタックスよりマイナーなレーベルが60年代から70年代にかけて南部にはたくさんありました。
そのひとつゴールド・ワックスというレコード会社に所属していたのが、このスペンサー・ウィギンス。
たくさんいるサザンソウルシンガーの中でも歌のキレとコクが抜群なスペンサー・ウィギンスが僕の好みでした。
では、まず一曲。
このA面の1曲目、この曲だけで僕は彼のファンになりました。
「僕のポケットはお金があふれてるわけじゃない、僕が運転している古ぼけた車はポンコツだ。君のような可愛い女性からつき合ってくれと言われてこともない。でも僕の心を受け取ってくれないか。僕は金持ちじゃない。貧しい男だ、でも君のことを心から愛している。いまのあるがままの僕を受け入れてくれないか」
1.Take Me Just As I Am/Spencer Wiggins

途中で語りが入り、そこからまた歌にもどっていくあたりは完全にゴスペルのもっていき方で、最後のフェイクからはたぶんもっと盛り上がっていくので聞きたいところですが、残念ながらフェイドアウトです。とても誠実な男の気持ちが伝わってくる歌です。

次はソロモン・バークやウィルソン・ピケットそしてこの曲を作ったダン・ペン本人も歌っています。これも素晴らしいソウルの名曲です。
「オレはいい女が、本当にいい女が欲しいんだ。可愛い顔をしているとかではなくオレを支えてくれる暖かい二本の腕を持っている。そしてそばにいてくれる素直な、堅実な女が欲しいんだ」
2.Up Tight Good Woman/Spencer Wiggins
いま二曲聞いてもらったような感じが典型的なサザンソウルのバラードで、同時代の北のモータウンが送り出していた夢みるような都会的なソウルではなく、貧しさや南部の生活に根ざしたところから生まれたソウルがサザンソウルです。音作りもモータウンのように派手に装飾を加えたものでなく、どこか素朴さ土臭さを感じさせるものです。僕にとってはそういう南部の歌の生まれ方がブルーズと同じテイストを含んでいて、サザンソウルが好きだったんですね。
サザンソウルというといまのバラードとかミディアムのものが多いのですが、このスペンサー・ウィギンスはアップテンポのスピード感のあるダンス・ナンバーも得意とするところで、次の曲なんかは「ダンス天国」をヒットさせたウィルソン・ピケットも歌うような疾走感のある曲です。

3.Soul City In U.S.A/Spencer Wiggins
素晴らしいです。パワフルに押しながらも切れ味があり、そして抜群のスピード感。なんでこのスペンサー・ウィギンスがもっと売れなかったのか・・と思います。

スペンサー・ウィギンスは1943年メンフィスの生まれです。高校生の時からゴスペルグループを今回一緒に来日した弟のパーシーと組んだり、学校の合唱団で歌ってました。高校を卒業後、地元メンフィスのクラブで歌っているところをレコード会社ゴールドワックスのクイントン・クランチに認められて1964年にゴールドワックスと契約。でも、これだけの歌の力量があるのに鳴かず飛ばずでフェイム、パマとレコード会社を移籍したけどやっぱり火はつかず。
それで76年にスピリチュアル・リバースといって神様からの啓示を受けて精神的に生き返るということで教会の世界へ、ゴスペルの世界へ戻ってしまいます。
それからはもう一切ソウルの世界には出てこなかったんですが、ここ数年再び兄弟のパーシーとソウルを歌っている

実は昔ブルーヘヴンというバンドをやっていた時に、僕がカバーしたのが次のWalkin’ Out On You
1977年頃から80年代のはじめにかけて
「オマエ、いまのやり方を変えてオレにもっとよくしてくれよ。夜も昼も遊び歩いてるんやめた方がええやろ。オレも疲れてしまうわ。オレはできる限りオマエにちゃんとしてるやん。嘘つくのやめてくれや。ちゃんとしてくれよ。オマエがちゃんとしてくれんかったらオレは出ていくで」
4.Walkin’ Out On You/Spencer Wiggins

1976年から彼はゴスペルの世界に戻り、マイアミの教会で執事になり教会のゴスペルグループのディレクターもしている。2002年には”Keys To Kingdom”というゴスペルアルバムをリリース。
「オマエは嘘ばかりやけどでもなぜかオレは許してしまう。
友達はやめときなって言うけれど、オマエを愛することをやめられない。なんでかってこんなに女の人を愛したことはないから。
いつかは変わるかもって期待した私が間違いだった。こんなに私を傷つける人を愛したことはなかった」
ひどい女なんやけど好きすぎて愛することをやめられないという歌。男も女もそういうことありますよね。
5.I Never Loved A Woman(The Way I Love You)/Spencer Wiggins

今回来日公演には20数年前ウエストロード・ブルーズバンドのニューヨーク録音に参加してくれたキーボードのチャールズ・ホッジズが参加していたので、サインの列に並んで会いにいった。以前よりもふっくらとして元気そうでウエストロードのアルバムを見せたら”Oh,Yeah!”と喜んでいた。時間がなくて長く喋れなかったが元気そうでよかった。キーボード・プレイはもう素晴らしすぎだった。
スペンサーは昔のように声が出ないところもあったけど、「ああ、この歌い方!」と往年のスペンサーを彷彿とさせる時も何度かありました。
スペンサーもチャールズもいまは教会を心の拠り所に音楽活動をしているようですが、これからも長く活動を続けて欲しいです。

2017.05.19 ON AIR

追悼:Super Harp James Cotton Vol.2

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!00%Cotton (Buddah NEX CD 214)

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High Compression(Alligator/King KICP 2588)

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Deep In The Blues (Verve/Polydor POCP-7095)

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Mighty Long Time/James Cotton(P-Vine PCD-1808)

ON AIR LIST
1.Boogie Thing/James CottonBand
2.One More Mile/James CottonBand
3.High Compression/James Cotton
4.Sad Letter/James Cotton
5.Mighty Long Time/James Cotton

前回に引き続き3月16日に81才で亡くなった偉大なブルーズマン&ハーモニカ・プレイヤー、ジェイムズ・コットンの特集です。

ジェイムズ・コットンが一躍脚光を浴びたのは、1974年にリリースされたアルバム「100%コットン」。このアルバムにはコットンが旧知のブルーズギター名人、マット・マーフィーを中心に若手の強力なグルーヴを出すケニー・ジョンソン (ds.)、チャールズ・キャルミーズ (b.)、それに強者サックスのリトル・ボーが参加。新しい強烈なファンク・ブルーズを作り出し、当時のブルーズ界に新しい息吹を吹き込んだ一枚となったが、一部のアタマの固い評論家やブルーズファンには「これはブルーズではない」と、思いっきり敬遠された。
僕はアルバムが出された翌年75年にロスで彼らのライヴを観たが、もうそのサウンドとグルーヴの渦に三日間くらいぼーっとした感じだった。ジェイムズ・コットン名義ではなく「ジェイムズ・コットン・バンド」と名乗ったくらいバンド感にあふれた演奏だった。コットンを中心にはしているが、ボスがやりたいようにやるというよくあるブルーズのライヴではなく全員が同等なバンドの感じがした。
以前にもこの番組でON AIRしましたが、もう一度この「ジェイムズ・コットン・バンド」の「100%コットン」を聴いてみよう。
1,Boogie Thing/James CottonBand
ロスでライヴを観た時ステージの終わりの方でしたが、曲のエンディングでコットンはハーモニカを唇に強く当てる奏法をするんですが、その時唇から血が出てましてなんかそのテンションの高さに唖然としくした。
メンバー全員が腕達者ということもあったけど、本当に一体化したタイトなバンドで、それまでの黒人のブルーズのライヴの概念を変える要素がたくさんありました。
2.One More Mile/James CottonBand

「100%コットン」とあと2枚のアルバムをブッダ・レコードからリリースして、ブルーズへの新しいアプローチは評価されたものの、レコードセールスには結びつかなかった。本当にアメリカのショービジネスは厳しい。
それで70年代の終わり頃にこのバンドは自然と消滅して、コットンはマディ・ウォーターズとジョニー・ウィンターのコラボ・アルバムに参加します。マディ・ウォーターズの晩年の作品群になります。
80年代もアリゲーター・レコードからアルバムをリリースして派手な活躍はなかったけれど、ライヴはずっとやってきていました。
では、そのアリゲーターレコードから1984年リリースの”High Compression”からハーモニカのインスト曲でアルバムタイトル曲です。
3.High Compression/James Cotton

90年代に入ってコットンは歌声の荒れ方がひどくなり喉頭ガンの手術を受けました。いまから聴いてもらう曲は96年にグラミー賞のベスト・トラディショナル・ブルース・アルバム部門に輝いた「Deep InThe Blues」に収録されているものですが、歌声が荒れて声が出にくくなっているのがわかります。それでエレキ・バンドスタイルではなくアコースティック的なサウンドにしたのは声が出にくいコットンへの配慮でしょう。ベースに僕の好きなジャズ・ベーシストのチャーリー・ハイデン、ギターはジョー・ルイス・ウォーカーです。
4.Sad Letter/James Cotton

先週も言いましたが、コットンは9才の時にラジオで聴いたサニーボーイ・ウィリアムスンの歌とハーモニカに憧れて、ひとりミシシッピーからアーカンソーのヘレナにやってきてサニーボーイに弟子入りしました。そこから先頃3月16日に亡くなるまで73年ほどのブルーズ人生でした。メンフィスで若き日に修行をして、マディに誘われてシカゴに移り住み活動しました。マディのバンドにはリトル・ウォルター、ジュニア・ウエルズ、ビッグ・ウォルターと素晴らしいハーモニカ・プレイヤーが歴代在籍しましたが、いちばん長く在籍したのはコットンでした。まあ、マディにとって重要なメンバーだったわけです。それから今日聴いてもらった70年代のジェイムズコットンバンドでの活躍とずっと現役で活動を続けました。
もし、話を聞けることがあったら9才の時にアーカンソーのヘレナにやってきてサニーボーイのところに行った時の気持ちを聞いてみたかったです。それはたぶん切羽詰まった、どうしてもそうせざるを得ない強いブルーズへの気持ちだったと僕は思います。
最後にその師匠ともいえるサニーボーイの曲をカバーしたコットンの演奏をどうぞ。
「可愛いあの娘と出会ってからずいぶんと長い時間が過ぎた。今度あの娘を自分のものにできたらもう離さないんやけどな」という歌なのですが、長いブルーズ人生を見事に送ったジェイムズ・コットンにふさわしい言葉だと思います・・Mighty Long Time
5.Mighty Long Time/James Cotton
ジェイムズ・コットンの冥福を祈ります。

2017.05.12 ON AIR

追悼:Super Harp!James Cotton vol.1

ON AIR LIST
1.Cotton Clop Blues/James Cotton
2.I’ve Got My Mojo Workin’/Muddy Waters
3.So Glad You’re Mine/James Cotton(アナログLP Dealing With The Devil)
4.Creeper/The James Cotton Band(アナログLP Pure Cottonより)

A SUN BLUES Collection Various Artists(RHINO/SUN R2 70962)
A SUN BLUES Collection Various Artists(RHINO/SUN R2 70962)

Muddy Waters At Newport(MCA ChessUICY-3200)
Muddy Waters At Newport(MCA ChessUICY-3200)

James Cotton Blues Band/Pure Cotton(Verve FTS-3038 LP)
James Cotton Blues Band/Pure Cotton(Verve FTS-3038 LP)

The James Cotton Blues Band/Dealing With The Devil(KING BEE 1003)
The James Cotton Blues Band/Dealing With The Devil(KING BEE 1003)

偉大なブルーズマンであり、ハーモニカ・プレイヤーのジェイムズ・コットンが亡くなった。81才でした。
ジェイムズ・コットンは1935年ミシシッピーのチュニカの生まれ。いまではチュニカと言う街は全米で三番目の大きなカジノの街であり、一大リゾート地になっているけど、コットンが生まれた頃は延々と続く綿花畑と時折氾濫するミシシッピー川に近い小さな街だった。
子供の頃は大して金にもならない綿花摘みの仕事を日の出から日暮れまでずっとやらされていたんだと思う。そういうコットン少年の楽しみはラジオから流れてくる当時南部で人気だったラジオ番組「キング・ビスケット・タイム」を聴くことだった。そのDJをやっていたのがサニーボーイ・ウィリアムスン。それを聴いて感動しハーモニカに興味を持ったコットン少年はアーカンソー州のヘレナまでサニーボーイ・ウィリアムスンに会いにいくことにした。その時コットンは9才!小学校三年!
家にまで招かれたコットン少年は偉大なサニーボーイから直接ハーモニカの難しい吹き方を伝授された珍しい人だ。
いったい、ミシシッピーの田舎から家出してきたような9才の少年をサニーボーイはどう思ったのか。そして、9才でサニーボーイに会いに行かざるを得ないくらいブルーズとハーモニカへの熱い気持ちを持ったコットンのことを思うとこちらの胸も熱くなる。
しかし、6年後の15才の時にはすでに自分のハーモニカスタイルをコットンは作っていたと言われている。

アーカンソーのヘレナの近くのメンフィスは50年代当時すごく栄えていて、音楽のメッカでもあった。そこでコットンはウィリー・ウィルキスやウィリー・ニックスと演奏を始め、52年にはラジオの番組をやることになった。その翌年メンフィスといえばサン・レコード、そのサンの社長サム・フィリップスに声をかけられて初レコーディング。それが “Cotton Crop Blues”
では、その初録音を聴いてみましょう。
「もう、金にならないコットンを摘むしんどい仕事はもういやだ」
1.Cotton Clop Blues/James Cotton

54年にメンフィスにツアーに来たマディ・ウォーターズに誘われて55年にシカゴへ。リトル・ウォルター、ジュニア・ウエルズの次のハーモニカ・プレイヤーとしてマディ・バンドに参加。しかし、当時シカゴのチェスレコードはめちゃ売れているリトル・ウォルターがいたためコットンにはなかなかレコーディングのチャンスはやってこなかった。それでもマディバンドの重要なハーモニカ・プレイヤーとしてレコーディング、ツアーに参加。マディ全盛時代のハーモニカプレイヤーとして認められ、マディの代表曲のひとつ”Got My Mojo Workin”もコットンが吹いている。
1960年ニューポートのジャズ・フェスティバルのライヴ・アルバムから
2.I’ve Got My Mojo Workin’/Muddy Waters
コットンのソロも素晴らしいんですが、歌のバックで吹いている時のコットンのフレイズがですね、気が利いているというか、すごく的を得ているというか、そこも素晴らしいです。

次はコットンの”Dealing With The Devil”という2枚組のLPに入ってるんですが、1962頃の録音でギターとふたりでやっているんですが、ギターはポールバター・フィールド・ブルーズバンドにいたエルヴィン・ビショップです。コットンはハーモニカをアンプを通さないで吹いてます。こういうダウンホームな素朴な感じも吹けるところに彼のプレイヤーとしての懐の深さを感じます。
3.So Glad You’re Mine/James Cotton(アナログLP Dealing With The Devil)
僕が最後にコットンを観たのは2013年、4年前に来日した時だったと思いますが、その時はいまの曲のような南部の香りがするブルーズハーモニカも吹いてくれました。

コットンは1967年になって念願のソロ・アルバムをVerveレコードからリリースします。シカゴへ行ってから12年も経ってからのソロ・アルバムでギターに若手のルーサー・タッカー、ドラムにハウリン・ウルフのバンドにいたサム・レイ
では、この時代ヴァーヴレコードのアルバム”Pure Cotton”からコットンの素晴らしいハーモニカが聴けるインスト曲を。6分以上あります。
4.Creeper/The James Cotton Band(アナログLP Pure Cottonより)
この1967年のアルバム”Pure Cotton”が僕が最初に買ったジェイムズ・コットンのアルバムでした。71年くらいですかね。もう圧倒的なハーモニカのパワーとグルーヴとスキルが合体している素晴らしさです。

コットンは9才でサニーボーイに弟子入りしてから73年間ブルーズマンとしての人生を送りました。メンフィスで芽が出てサンレコードで初めての録音をして、マディに誘われてシカゴに行きリトル・ウォルターやサニーボーイと並ぶブルーズハーモニカ・プレイヤーとして名前を上げた。けれど、自分のソロ・アルバムを出すには時間がかかり60年代の終わりでした。でも、デビューが早かったのでその時まだ30才過ぎでした。そして、40才くらいの頃にブルーズの歴史に残る「100%コットン」というブルーズにファンクを取り込んだ名盤をリリース。ここでコットンのブルーズ・ハーモニカプレイヤーとしての恐るべき実力を知った人も多いと思います。
来週はその「100%コットン」から話を始めたいと思います。

2017.05.05 ON AIR

怠け者レスターと名付けられたLazy Lesterの珠玉のダウンホーム・ブルーズ

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They Call Me Lazy/Lazy Lester (OLDAYS 6208)

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Blues Stop Knockin’/Lazy Lester (Antone’s TMG-ANT 0051)

 

ON AIR LIST
1.They Call Me Lazy/Lazy Lester
2.I Hear You Knockin’/Lazy Lester
3.I’m Not A Fighter/Lazy Lester
4.I Love You Baby/Lazy Lester
5.Lonesome Highway Blues//Lazy Lester

 
ブルーズマンには面白い芸名の人がたくさんいて、マディ・ウォーターズ(泥水)、ハウリン・ウルフ(吠える狼),ギター・スリム(すらっとしたギター弾き),メンフィス・スリム(すらっとしたメンフィス/の男)マジック・サム(魔法のサム)なんていうのはかっこいいですけどね。それで今日聴くのはレイジー・レスター(怠け者のレスター)
怠け者のレスターさんは1933年生まれ、本名はレスリー・レスターさん。ルイジアナのバトンルージュの近くで生まれ育ってます。南部ルイジアナで育ったのになぜか好きになったのがシカゴ・ブルーズのジミー・リードとリトル・ウォルターです。まあ、当時ジミー・リードとリトル・ウォルターは全国的なヒットを出していたからルイジアナにいても当然影響を受けたのでしょう。
一部で「ルイジアナ四天王」と呼ばるロンサム・サンダウン(寂しい夕暮れ)スリム・ハーポ(すらっとしたハーモニカ吹き)、ライトニン・スリム(すらっとした稲妻さん)それにこの怠け者レスターさんですから・・。どうもレコード会社エクセロの社長のジェイ・ミラーが芸名つけるのが好きらしくて「ああ、君、今日からレイジー・レスターで行くで」みたいな感じやったらしいです。
本人は「オレ、別にそんなに無気力やないで」って言うてます。
「みんなはオレのこと怠け者っていうねん」名刺代わりの一曲でしょうか。
1.They Call Me Lazy/Lazy Lester
こののんびり感。いいですね。
1956年、レスターさん23才の時にエクセロ・レコードに初めて録音します。この初レコーディングに至った経緯がほんまかと思うくらい面白いんですが、
まだデビューする前に一日の仕事を終えてレスターさんはバスに乗って家に帰ろうとしました。そしたらバスにライトニン・スリムさんが偶然乗ってたんです。スリムさんはレコーディングに行くのにバスに乗ってたのですが、たぶんギターを持ってたんでしょ。その頃スリムさんはちょい売れしてまして、レスターさんは声をかけました。「ええ、すごい!あのライトニン・スリムさんですか・・どこへいかはるんですか」と訊くと、スリムさんが「いまから録音でスタジオへ行くんや」するとレスターさん「ついて行っていいですか」と突っ込みました。まあ、50年代のルイジアナのクロウリーいう田舎街ですからのんびりしたもんです。「まあ、ええけどな・・」とスリムさんに言われて「ラッキー」とばかりにスタジオへついていきました。
そしたら、その日ライトニン・スリムの録音でハーモニカ吹く奴が時間になってもなかなかスタジオに来なかったところ、レスターさんは「あの~、僕ハーモニカ吹けるんですよ」と売り込んだんです。エクセロ・レコードの社長のジェイ・ミラーがスリムさんに「スリム、さっきからおるけど誰やねん、こいつ」「いや~。オレもよう知らんのですがバスに乗ってたらついてきたんですよ。君ほんまにハーモニカ吹けるんか・・」「吹けます、吹けます」
それで初レコーディング。それでしばらくそのライトニン・スリムさんのハーモニカとして活躍することになりました。

それで56年初めて自分のレコーディング。それがいまのThey Call Me Lazyです。

レイジー・レスターにはロックン・ロールに繋がるビートがあります。歌のテンションは高くなくてダウンホームなんですがバックのビートがステディなロックなんですよ。もう踊るしかないやろみたいなダンサブルなリズムがあります。ダウンホームな歌とバックのステディ・グルーヴの組み合わせがエクセロの魅力のひとつです。
同じタイトルでニューオリンズのスマイリー・ルイスで有名な曲もありますが、こちらはレイジー・レスターです。
2.I Hear You Knockin’/Lazy Lester
かっこいい曲ですよね。
同じレーベルのスリム・ハーポもストーンズなんかに人気のあったブルーズマンですし、ストーンズの新しいアルバムでHoo Doo Bluesをカバーされたライトニン・スリムもエクセロレーベルのブルーズマンなんですが、ダウンホームでありながらビートはしっかりしてファンキー、そしてどこかポップ感があるという微妙なさじ加減はエクセロならではです。次の曲はキンクスがカバーしています。
3.I’m Not A Fighter/Lazy Lester
自分の彼女にしょかなと思っていたらら体のデカイ強そうな男が出てきて、僕は愛の男で戦う男やないんよ。I’m Not A Fighter。レイジーで怠け者やしね。まあ、ライオンみたいに吠えることも蜂みたいに刺すこともできるけど僕の血の中にはウサギの血が入ってる、つまり優しい?っていうことでしょうか。

70年代レイジー・レスターの名前は聞かなくなり、80年代にはもう亡くなっているという話もありましたが、87年に「何言うてんねん。オレは生きてるよ」とばかりにアルバム”Lazy Lester Rides Again”で復活、2000年には来日もしました。第7回のパークタワーブルーズフェスでした。
これから聞いてもらうのは2001年にアントンズ・レーベルからリリースされた”Blues Stop Knockin’というアルバムでアントンズ界隈のジミー・ボーンたちがバックをしています。
歌の途中でレスターさんの笑声が出るくらい楽しさが満載の曲で、踊り出したくなるような実に気持ちのいいビートが続きます。
4.I Love You Baby/Lazy Lester
イントロのハーモニカから出だしの歌からなんかジミー・リードに似てるなと思っていたら、これジミー・リードの曲でした。ルイジアナに住むブルーズマンにも影響を与えたジミー・リード・リードは偉大です。
元々ジミー・リードが生まれたリ・ランドと言う街はルイジアナにも近くて、レスターさんと同じようなグルーヴとかテイストがあるのかも知れません。
レイジー・レスターさんは怠け者というより優しい人やったんやないかと思います。顔つきみてもね。ほのぼのした人ですよ、きっと。
最後にダウンホーム、レイドバック・ブルーズの極めつけみたいなブルーズを聞いてください。こういう感じは本当に普段の生活のリズムがこうやないと演奏できないやろと思える曲です。
5.Lonesome Highway Blues//Lazy Lester
夕暮れのハイウェイをぼろい車で走っている感じでしたが、いかがでしたか。いまオールディズ・レコードというところからレスターさんのThey Call Me lazyのアルバムが出ているので是非家庭に一枚どうぞ。

2017.04.28 ON AIR

思い出のムッシュ(ムッシュかまやつさんを偲んで)vol.2

Rockin’ With Monsieur(P-VINE PCD-18578)


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ON AIR LIST
1.Route 66/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
2.Boom Boom/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
3.Te-Ni-Nee-Ni-Nu/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
4.High Time Baby/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
5.Be-Bop-A-lula/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

 

ムッシュの追悼第2回目です。
今日は2009年に僕のバンド、ブルーズ・ザ・ブッチャーとムッシュがコラボして作ったアルバム”Rockin’ With Monsieur”を聴きます。
僕がムッシュと一緒にステージに立つようになったのはいつのことだったか、はっきり想い出せないのですが、自分のセッションにムッシュに来ていただいた90年代の最初の頃ではないかと思います。もちろんそれ以前から、というより中学生の頃、ムッシュがスパイダースの頃から僕はムッシュを知っていたし、ソロになられてからもどこかのコンサートで一緒になったこともあったし、ウエストロード・ブルーズバンドの70年代半ばにムッシュのラジオ番組に呼んでいただいたこともありました。でも、その頃はムッシュへの気恥ずかしさであまり深い話をしたことはなかった。
それが1991年に僕がいろんなミュージシャンにインタビューした本「エンドレス・ブギー」で、ムッシュにインタビューさせてもらったのが仲良くさせてもらう最初だったと思います。
まずは、1946年にピアニストのボビー・トゥループによって書かれたこの曲「ルート66」はナット・キング・コールが歌って大ヒットしていたので、ムッシュは子供の頃からご存知だったと思います。
1.Route 66/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

イギリスでは60年代にアメリカのブルーズやR&Bの影響が強く現れたブルーズロックのバンドがたくさん出たのですが、日本ではまだダイレクトに黒人音楽がミュージシャンのところには届いていなかったそうで、次のジョン・リー・フッカーの曲もムッシュは「僕はジョン・リー・フッカーではなくてイギリスのアニマルズ経由でこの曲を歌ってました。一回イギリスのフィルターを通したブルーズのやり方が好きだったんですね」と言われました。ジョン・リー・フッカーの原曲は1962年リリース。2.Boom Boom/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

ムッシュとせっかく一緒にアルバムを作るのだから、僕らのブルーズテイストの曲も歌ってもらいたいと選曲したのがスリム・ハーポのロッキン・ブルーズ”Te-Ni-Nee-Ni-Nu”でした。この曲をムッシュとKOTEZとデュオで歌うアイデアでした。
ダンサブルで軽快な曲調がムッシュにすごく合っていて、ステージでもいつもこの曲を一緒にやっていただきました。
3.Te-Ni-Nee-Ni-Nu/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

ムッシュは60年代に何度もヨーロッパ、イギリスに渡っていて、当時のイギリスの音楽シーンの話を聴かせてもらうのは本当に楽しみでした。ムッシュはオシャレな方でしたのでやはりモッズ系のスモール・フェイセス、その後のフェイセスあたりがとくにお気に入りでしたが、スペンサー・デイヴィス・グループもお好みでムッシュのラジオ番組のタイトルも”Keep On Running”というスペンサー・ディヴィス・グルーブのヒット曲から名付けられていました。僕たちと録音した次のスペンサー・デイヴィス・グループの曲もヒットした曲で僕もリアル・タイムで高校生の頃よく聴いてました。
ムッシュはかなり高い歌声も出る方でしたので、この曲もぴったりハマった感じでした。
4.High Time Baby/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

ムッシュがロックの前にカントリー&ウエスタンを歌っていたことも、そもそも最初はジャズのコルネットのプレイヤーになろうとしたことも呑んでる席で聴きました。お父様のティーブかまやつさんは日本にジャズを根付かせた偉大な方で、やはり最初にジャズに向かったというのも自然な流れだったのでしよう。でも「ジャズは敷居が高かった」と辞められた理由をそう言われてました。そして、その後カントリーを歌われてましたが、その頃テレビでムッシュを見たのを僕はうっすら覚えています。そのあとプレスリーたちが登場してロカビリーの大ブームが来るんですが、次の曲はそのロカビリーの時代の代表的なシンガー、ジーン・ヴィンセントがヒットさせた曲で、これもムッシュの十八番のひとつでした。
5.Be-Bop-A-lula/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

このアルバム”Rockin’ With Monsieur”はAmazonなどのネットまだゲットできますので、是非聴いていただきたいです。ムッシュがリリースされたたくさんのアルバムの中でブルーズのカバーだけを歌われたのはこれだけだと思います。
ムッシュとはいろんなところへ行きました。そして、呑みながら話されることが本当に楽しくて、面白くて、いい時間を過ごさせていただきました。
ムッシュとのいろんな素敵な思い出は心の中にしっかりとしまって、これからいつまで歌えるかわからない自分のブルーズを歌っていきたいと思っています。
ムッシュ、本当にありがとうございました。