2018.03.23 ON AIR

Sonny Boy Williamson vol.3

More Real Folk Blues/Sonny Boy Williamson (Chess/MCAビクター MVCM-22022)

More Real Folk Blues/Sonny Boy Williamson (Chess/MCAビクター MVCM-22022)

Bummer Road/Sonny Boy Williamson (Chess/ユニバーサル UICY-93316)

Bummer Road/Sonny Boy Williamson (Chess/ユニバーサル UICY-93316)

 ON AIR LIST
1.Help Me/Sonny Boy Williamson
2.Checkin’ Up On My Baby/Sonny Boy Williamson
3.Unseen Eye/Sonny Boy Williamson
4.Mighty Long Time/Sonny Boy Williamson
5.Too Young To Die/Sonny Boy Williamson

先々週のサザン・ブルーズ、サザン・ビートの南部の話から始まって今日はサニーボーイ・ウィリアムスンの三回目。
シカゴのチェス・レコードにレコーディングを始めてからの彼は後世に残る素晴らしいブルーズをたくさん吹き込んでいます。
シカゴには天才と言われるほどのブルーズ・ハーモニカ・プレイヤー、リトル・ウォルターがいたわけですが、そのウォルターとはまったく違うハーモニカのプレイと独特の少し震えるディープな歌声、そして人間の裏側さえ見せる素晴らしい歌詞によって独自のブルーズをサニーボーイは作ったと僕は思ってます。サザン・ブルーズの武骨さとかラフな感じを彼はシカゴに移ったあとも失わず、ほとんどが南部出身の共演ブルーズマンたちもそのフィーリングに故郷を想い出したのではないかと思います。
そして、チェスでヒットを出したことによって彼はヨーロッパまで演奏に出かけられるチャンスを得ました。1963年秋にイギリスに行った彼はロンドンでヤードバーズとライヴをやります。その時録音されたアルバムをこの番組でも以前ON AIRしましたが、その時ヤードバーズに加入したばかりのエリック・クラプトンはまだ18才でした。

では、その1963年にチェスで録音されたサニーボーイの代表曲のひとつになった曲を。
「オレを助けてくれよ。ひとりやなんもでけへんのや。もし、おまえが助けてくれへんかったら他の女を探さなあかんしな」自分の女への脅かしみたいな歌ですね。心の底に響いてくるようなサニーボーイの歌声が得体の知れぬブルーズです。
1.Help Me/Sonny Boy Williamson

1897年に生まれたと言われているサニーボーイはその出生の年、つまり年齢がはっきりしないこととか、ミシシッピーをエルモア・ジェイムズやロバート・ジョンソンと放浪し始める30年代まで、つまり30年間くらいサニーボーイはどこで何をやっていたのがはっきり分からないミステリアスな男です。1940年代に入ってラジオの番組のDJと生演奏で南部一帯で有名になり51年50才を過ぎての初録音。
たぶん、その日その日のライヴやパーティで貰えるギャラと酒でずっと生きてきて、どこかに急にフラッと言ってしまったり、バンドのギャラ全部持ってどこかへ行ってしまったり・・・と、悪い噂はいっぱいある人ですが、60年代に入るとイギリスやヨーロッパのツアーにも参加してヨーロッパではすごく歓迎されたので嬉しくてイギリスに永住したいと思ったそうです。たぶん、アメリカで暮らすよりも黒人への差別は少なく、みんなに大事にされると感じたのでしょう。
次の曲もイギリスのジョン・メイオールやゲイリー・ムーアにカバーされ、ジュニア・ウエルズやバディ・ガイなど黒人の後輩にもカバーされた人気のブルーズです。

2.Checkin’ Up On My Baby/Sonny Boy Williamson
ブルーズのシンガーとハーモニカ・プレイヤーとしてだけではなくて、ブルーズのソングライターとしてサニーボーイは優れていると思います。歌詞を読んでいるとすごく含みのある、人間の欲望とか嫉妬とかそういう面をすごく良く知っている感じがします。
次の歌も僕は大好きな歌詞です。
「自分の彼女にオマエの言うことややることに気をつけろよ。オマエは見えない目で見られてるんやよ」と、まあ何でもオレの耳に入ってくるぞということでしょうか、自分の彼女に警告してるような歌詞です。
この曲のバックのギターはロバート・ジュニア・ロックウッドとルーサー・タッカーですが、もう実に素晴らしいバッキングでこのブルーズの色づけを見事にやっています。
3.Unseen Eye/Sonny Boy Williamson

僕はいままでたくさんブルーズをカバーして歌ってきましたが、カバーしにくいブルーズマンのひとりがこのサニーボーイ・ウィリアムスンです。それは次の曲でもそうですが、こんな風に喋るように歌うのはすごく難しいんです。しかも、独特のこもった歌声に微妙なビブラートがかかっていてすごく個性的です。ジョン・リー・フッカーとかライトニンなんかもそうですが、その声に特徴がありすぎて、個性的すぎてカバーが難しい感じになってます。

では、次の曲はサニーボーイに教えを受けたジェイムズ・コットン、今年亡くなりましたが・・・、そのコットンがカバーしている曲です。
「ずいぶんと長い長い時間が過ぎた可愛いあいつを見つけてから長い時が経った。床のカーペットが色褪せるほど長い長い時間が過ぎた。もし、彼女がオレのところに帰ってきてくれたら、オレは絶対にあいつを離さない」
4.Mighty Long Time/Sonny Boy Williamson

たぶん、サニーボーイみたいな大酒飲みでほら吹きで女たらしでという人は、仲間としてつき合っていたらめっちゃめんどくさい奴やと思うんですよ。でも、そういうめんどくさい奴が他の人にはできないとても個性的な、こうしていまの時代でも歌い継がれるブルーズを作ったりします。
だから、ちょっとめんどくさい人ってどこでもいると思うんですが、見方を変えるととても個性的な魅力的な人っていうのもいろいろいると思います。でも、めんどくさい奴になれと言うてるわけやないですよ。
19世紀の終わりくらいに生まれて子供の頃にハーモニカを覚えて、南部を放浪しながら、嫌なこともいいこともたくさんあって、40過ぎた頃にアーカンソーのヘレナという町でやっと人気が出てたくさんの人に知られて・・というサニーボーイの人生がどれくらいハードだったかはわかりませんが、楽な人生でなかったとは思います。
ヨーロッパでもてはやされてアメリカの南部に帰ってきてまた前と同じような生活を始めた頃にはもう身体が病に蝕まれていて、最後はライヴ最中に血反吐を吐きながらハーモニカを吹いていたそうです。そして、いちばん好きやっただろうヘレナで亡くなってます。
1965年、68才とか69才です。
では、最後にもう一曲 なんかヤバい女にでも手を出したんでしょうか。あいつが怖いよというてます。オレはまだ死ぬには若過ぎるからなと。
5.Too Young To Die/Sonny Boy Williamson
偉大なサニーボーイ・ウィリアムスンを三回に渡って聴きました。