2018.05.04 ON AIR

Rick Hall
追悼 リック・ホール(魔法のマッスル・ショールズ・サウンドを作った男)第3週

The Fame Studios Story 1961-1973 (KENT BOX12 P-Vine Records)


 
ON AIR LIST
1.Hey Jude/Wilson Pickett
2.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins
3.Walk A Mile In My Shoes/Willie Hightower
4.Patches/Clarence Carter
5.You Left The Water Running [Unedited Demo Version]/Otis Redding

 

1960年代から70年代にかけてアメリカのポピュラー・ミュージック界に大変大きな功績を残したリック・ホール。彼が残した音源をいろいろ聴いて今回で特集三回目です。
リック・ホールはアラバマ州のマッスルショールズという田舎町でフェイム・スタジオというスタジオを建て、いろんなミュージシャンの録音をしてきたプロデューサーであり、エンジニア。
「男が女を愛する時/When A Man Loves A Woman」「ダンス天国/Land Of 1000 Dances」「あなただけを愛して/I Never Loved A Man (The Way I Love You)」とか彼の手によってたくさんのソウル・ミュージックのヒットが生まれました。
実は彼のスタジオでスタジオ・ミュージシャンとして活動していたのはほとんど白人ミュージシャンでした。僕がこういう音楽を好きになった70年代初めはまだまだいろんな情報がなくて、黒人音楽を作っているのはみんな黒人だろうと思ってました。ところがある時フェイムスタジオのレコーディング風景を撮った写真を見たら写っているのがほとんど白人。かなり驚きました。ドラムのロジャー・ホーキンスに至っては眼鏡をかけてちょっとダサいファッションの勉強ばっかしてきたような白人で・・・本当にこれがロジャー・ホーキンスかと思いました。
そして、同じようにこのフェイムでスタジオ・ミュージシャンをやっていたのが、やはり白人のデュアン・オールマンでした。
僕はブルーズを始めとする黒人音楽の世界に入り込む直前、ブルーズロックの「オールマン・ブラザーズ」のカバーを歌っていました。そのオールマンの中心であったデュアン・オールマンがオールマン結成以前、スタジオ・ミュージシャンをやっていたことは知っていたのですが、そのスタジオがこのリック・ホールのフェイム・スタジオだったことはその時まで知りませんでした。
デュアンのそのスタジオ・ワークの中でも有名なのがこれから聴くウィルソン・ピケットが歌った”Hey Jude”。ビートルズのカバーです。この曲をウィルソン・ピケットに歌うように薦めたのはデュアンだったそうです。ピケットは「なんかようわからん曲やなぁ」と言いながらも歌い始めると、デュアンのギターに触発されたのか持ち前のシャウト唱法を織り込んだ素晴らしい歌を残しました。
1965年にメンフィスのスタックス・レコードで1968年録音 ウィルソン・ピケット
1.Hey Jude/Wilson Pickett
デュアンのこともギターも気に入ったピケットはデュアンに「スカイ・ドッグ」というあだ名をつけました。気難しいと言われたピケットがデュアンにそしてフェイムのスタジオに心を開いて録音されたこの曲はウィルソン・ピケット久々のヒットとなりました。
優れたミュージシャンに黒人も白人もない、人種は関係ないということをFAMEの音楽は教えてくれています。

次の曲は女性ソウルシンガー、エタ・ジェイムズの歌で知っている方が多いかも知れません。僕も最初はエタ・ジェイムズで知ったのですが、今日はFAMEレコードでリックホールが録音したスペンサー・ウィギンスの素晴らしいヴァージョンを聴いてください。
スペンサー・ウィギンスは昨年春に来日しました。年老いて昔のようなパワーはありませんでしたが、それでも彼の身についたサザン・ソウルの重みを充分感じられるいいステージでした。彼は60年代サザン・ソウルを代表する偉大なシンガーのひとりで、当時在籍したゴールド・ワックスというレーベルで録音された音源を集めた名盤”Soul City U.S.A”は、ソウル・ミュージックの貴重な一枚です。そのゴールド・ワックスをやめてリック・ホールのFAMEと契約した時の最初のシングル「ダブル・ラヴィン」のB面がいまから聴いてもらうこの曲です。「あなたが他の男と去って行くのを見るくらいなら目がみえなくなった方がいい」という愛と絶望が入り混じった名曲です。
2.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins

次のウィリー・ハイタワーというソウル・シンガーは日本ではあまり知られていない人ですが、僕のお気に入りで素晴らしいシンガーです。
3.Walk A Mile In My Shoes/Willie Hightower

フェイム・スタジオで録音された曲の中でもこの曲はやはり外せません。クラレンス・カーターの「パッチズ」
リック・ホールが録音した中でも、クラレンス・カーターが歌った中でも、ソウル・ミュージックの歴史の中でも僕はこの歌が不滅の曲だと思います。
貧しいアラパマの農家で育った黒人の男の子のあだ名が「パッチィズ」つぎはぎをあてた貧しい身なりだったので付けられたあだ名が「つぎはぎ」つまり「パッチィズ」。貧しい家庭だったけど、お父さんは一生懸命働いて家族を養っていた。ところがお父さんが急に病気になってもうダメだという時に長男である息子の「パッチィズ」を枕元に読んでこうい言う「パチィズ、オマエだけが便りだ。家族のことはオマエに頼む。オマエに任せたよ」そう言ってお父さんは死んでしまう。パッチィズはお父さんと同じように真面目に毎日毎日働き詰めに働いた。それしかできることはなく、長男として家族みんなに頼りにされていることよくわかっていた。そして、辛い時にはいつもオヤジの言葉を想い出す・・・「パッチィズ、頼むよ」
貧しい家庭に育った黒人たちがほとんどの時代、とくに南部ではみんな子供の頃から農場で働いているわけですからこの歌に共鳴した人たちがたくさんいたんですね。
1970年トップテンに入る大ヒットになりました。
4.Patches/Clarence Carter
いつもこの歌を聴くと泣けてしまうんですが・・・。でも、僕が子供の頃の日本もまだまだ貧しくて、でもほとんどの父親母親は真面目に働いて働いて家族を養っていました。贅沢というのはほとんどの家庭では年に何度もなく・・・僕の家も金持ちではなく小遣いも少なかったので牛乳配達を学校に行く前に早起きしてやってました。でも、友達の中には小遣いが少ないのではなくて家計を助けるために新聞配達や牛乳配達してる友達もいました。そういう友達がいまどうしているかな・・・とこういう曲を聴くと思います。

こうして三週に渡って亡きリック・ホールというアラバマのひとりの男が作った自分のFAMEスタジオで作られた音楽を聴いてきたわけですが、まあ彼の周りにはダン・ペンとかスプーナー・オーダムといった優れたソング・ライターたちと録音のメンバーだったドラムのロジャー・ホーキンス、ベースのデビッド・フッド、キーボードのバリー・ベケット、ギターのテリー・トンプソンといった優れたミュージシャンがいたからできたことなんですが、やはり真ん中にリック・ホールという信念のある人がいたからこそだと思います。

最後に一曲、サザン・ソウルといえばいちばん有名なのはオーティス・レディングだと思います。そのオーティスが先週聴いてもらったアーサー・コンレーの”Sweet Soul Music”のプロデュースをするのにFAMEに来た時に、自分でデモ・テープを残したのがいまから聴いてもらう曲。結局、アーサー・コンレーにデモを作ったのにアーサーは歌わなかったみたいです。このオーティスのデモがほとんどギターだけで歌われているのですが。すごくいいので聴いてください。
5.You Left The Water Running [Unedited Demo Version]

今回ON AIRしたアルバムは”The Fame Studios Story 1961-1973”というCD三枚組です。解説にはFAMEスタジオが出来上がる前の話からリック・ホールの人となり、録音の裏話など興味深いことがたくさん書かれています。日本盤ではそれを和訳したブックレットがついています。FAMEスタジオにどうしてアレサ・フランクリン、エタ・ジェイムズ、ウィルソン・ピケット、そしてゴスペルからロックのローリング・ストーンズまでがFAMEの音を求めて録音に行ったのか、この3枚組を聴いてもらうとわかります。
オーナーであり、プロデューサーであり、エンジニアでもあったリック・ホールは信念のある人で、ある意味頑固な人だったのでミュージシャンやスタッフと衝突することも多々あった人ですが、やはり彼が残したこれだけの素晴らしい音楽を聴くと偉大というしかないです。
もしレコード店でこの”The Fame Studios Story 1961-1973”を見つけたら、迷わずゲットしてください。間違いないです。