2018.07.27 ON AIR

Matt “Guitar” Murphy ~またひとり去っていった偉大なブルーズギタリスト、マット・マーフィ vol.1

アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル1963ー1966 (P-Vine PCD 2193/3)

アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル1963ー1966 (P-Vine PCD 2193/3)

At The Gate Of Horn/Memphis Slim (Teichiku ULS-6023-V)

At The Gate Of Horn/Memphis Slim (Teichiku ULS-6023-V)

The James Cotton Band (NEX NEX CD 214)

The James Cotton Band (NEX NEX CD 214)

 

ON AIR LIST
1.Matt’s Guitar Boogie/Matt “Guitar” Murphy
2.Messin’ Around/Memphis Slim(LP “At The Gate Of Horn”side:B tr.1)
3.Wish Me Well/Memphis Slim(LP “At The Gate Of Horn”side:B tr.2)
4.Boogie Thing/The James Cotton Band

 
大好きなブルーズギタリスト、マット・マーフィが6月16日に88才で亡くなってしまいました。
1978年から80年代はじめにかけて活動していたブルーズ・ブラザーズのメンバーとして彼の名前を知っている人も多いでしょう。
ブルーズ・ファンの間ではいろんな名演を残してきたブルーズ・ギター・マスターのひとりとして高い評価があります。

元々ミシシッピーの生まれ。子供の頃にお母さんが早く亡くなりお父さんとメンフィスに移り住んで、その頃からギターが好きでT.ボーン・ウォーカーに夢中だったそうです。ジャズのジョン・コルトレーンやスタン・ゲッツもお気に入りだったそうです。
40年代終わりにはハウリン・ウルフのギタリストとなり、そこでのちに一緒に活動するメンフィス・スリムと出会っています。
50年代にはボビー・ブランドやジュニア・パーカー、メンフィス・スリムなど録音やライヴに参加して腕達者なギタリストがたくさんいたメンフィスで若くして一目置かれる存在となりました。
その後シカゴに移り住みマディ・ウォーターズやチャック・ベリーの録音に参加して、シカゴブルーズのスタジオミュージシャン的な存在になっていきます。そして、一方で50年代はピアノのメンフィス・スリムのバンドに長く在籍して右腕としてスリムに大切にされていました。
1963年にはマディ・ウォーターズ、サニーボーイ・ウィリアムスン、オーティス・ラッシュたちと「アメリカン・フォーク・ブルーズフェスティバル」の一員としてヨーロッパ・ツアーに出かけ、ヨーロッパでもその名前を知られることとなります。
僕が初めてマット・マーフィを聴いたのはその「アメリカン・フォーク・ブルーズフェスティバル」のライヴ盤のこの曲でした。

1.Matt’s Guitar Boogie/Matt “Guitar” Murphy
ピアノがメンフィス・スリム、ベースがウィリー・ディクソン、ドラムがビリー・ステプニー
1963年、みんな元気でいい時代のライヴ録音です。フレディ・キングの有名なインスト曲に”Hideaway”というのがありますが、あの曲はこの「マッツ・ギター・ブギー」に影響を受けてつくられたそうです。
僕がこの「アメリカン・フォーク・ブルーズフェスティバル」のアルバムをゲットしたのが1972年くらいでした。それでマット・マーフィの名前を覚えてアルバムを探したのですが、やはりメインで歌う人ではないのでソロ・アルバムは当時はなかったんですね。
しかしその頃、名盤として名高いメンフィス・スリムのアルバム”At The Gate Of Horn”を買ったところ、なんとギターがマット・マーフィだったのです。
マットがギタリストとしてメンフィス・スリムのバンドに入ったのが1952年、22才の時です。このアルバムの録音が1959年ですから7年経って29才の時です。スリムはすごくマットを気に入ってたらしくてスリムとそんなに長い間一緒にやったギタリストはマットだけだと思います。次の曲の途中のマット・マーフィのソロもすばらしいのですが、歌のバッキングやピアノとのギターの絡み方が曲に彩りを与えています。
名盤”At The Gate Of Horn”から
2.Messin’ Around/Memphis Slim

ピアノという楽器は音の領域を広く占める楽器でしかも左手でリズムも弾くので、上手いピアニストならソロでやっても音的には充分やれる楽器です。また、時に下手なギタリストなら上手いピアノひとりの方がいいと言う場合もあります。このアルバムを聴いていると、ピアノの音の間に入れるギター・フレイズがすごく的を得ていてうまいです。お互いに遠慮せずかと言ってぶつからずというところはさすが達人同士という感じです。
次の曲はピアノ・ソロがなくてマットのギターがフィーチャーされているんですが、もう50年代にはブルーズにおいてギターの重要性が高まってきたことをメンフィス・スリムはも感じていたのだと思います。だから自分のバンドに腕のいいしかも自分のブルーズのフィーリングもわかってくれるギタリストとしてマット・マーフィを選んだのだと思います。
3.Wish Me Well/Memphis Slim
メンフィス・スリム、ギターマット・マーフィでした。
ヨーロッパを気に入ったメンフィス・スリムは1963年にフランスに移住してしまいます。フランスに一緒に行こうとマットを誘ったかも知れませんが・・。そこでメンフィス・スリムとのコンビはなくなってしまいます。
その後1987年にテキサス、オースティンのクラブ「アントンズ」でマットとスリムは久しぶりに一緒のセッションをするのですが、その翌年にメンフィス・スリムは72才で亡くなってしまいます。

その後マット・マーフィの名前がブルーズ・フィールドで大きく出てきたのが、1974年にリリースされたジェイムズ・コットンのアルバム”100%Cotton”
このアルバムのすばらしさをこの番組で僕は何度も言ってますが、実はこのアルバムのマットはほとんどバッキングに徹していてほとんどギターソロはありません。
でもそのギターのリズムとバッキングが素晴らしくて、ブルーズという音楽の中でのギター位置を教えてくれています。
このバンドでマットはバンドマスターとしてアレンジを担当してバンドをコントロールしています。つまりマットが作り上げた1974年当時最新のブルーズバンド・サウンドとグルーヴがすごかったわけです。
とにかくバンドの一体感が半端なくすばらしい。
4.Boogie Thing/The James Cotton Band
70年代半ば黒人音楽は完全にソウル、ファンクの時代になっていたわけですが、そのファンクのテイストを大胆にブルーズに注入することに成功したアルバムでした。
当時はこれはブルーズではないというような頭の堅いブルーズファンや評論家もいましたが、いまとなってはブルーズ史上の名盤のひとつです。

次回はマット・マーフィが60才で初めてリリースしたソロ・アルバムを聴いてみたいと思ってます。