2019.08.16 ON AIR

ニューオリンズの至宝、ドクター・ジョン追悼 Vol.1

GUMBO/Dr.John (ATCO/eastwest japan AMCY-3041)
img

ON AIR LIST
1.Iko Iko/Dr.John
2.Let The Good Times Roll/Dr.John
3.Those Lonely Lonely Nights/Dr.John
4.Huey Smith Medley(High Blood Pressure~Don’t You Just Know It~Well I’ll Be John Brown)/Dr.John
ニューオリンズ・ミュージックを代表するミュージシャンのひとり、ドクター・ジョンが去る6月6日 に77歳で亡くなりました。
ドクター・ジョン(本名マック・レベナック)はニューオリンズR&Bだけでなく、アメリカとイギリスのロックやポップスにも大きな功績を残した人であり、ヴァン・モリソンやレヴォン・ヘルムのアルバムにも参加し、B.B.キングの”There Must Be A Better World Somewhere”での演奏も忘れられません。日本にも何度か来てくれて素晴らしい演奏を聴かせてくれました。

今回から3回に渡ってドクター・ジョンの追悼プログラムをON AIRします。
ドクター・ジョンのアルバムといえば「ガンボ」と答える人も多いと思います。僕も初めて彼の音楽に触れたのは名盤と呼ばれる「ガンボ」でした。
1972年にリリースされたこのアルバムは、一曲を除いてすべてニューオリンズのミュージシャンの曲をカバーしたものです。
ドクターはインタビューでこう言ってます「このアルバムを聴いた人たちがニューオリンズのR&Bに興味を持ってくれるといいなと思って作った」と。
実際、僕もこのアルバムでニューオリンズの音楽を初めて知ることになりました。当時はアルバム・タイトルのガンボがニューオリンズの郷土料理である煮込み料理であるという意味も知らなかったし、収録されている曲のオリジナルのミュージシャンもほとんど知らないでいました。初めてニューオリンズでガンボを食べたときはもちろんこのアルバムを想い出して、「ああ、やっとニューオリンズに来れた」と思ったものです。
一曲目、もうニューオリンズの民謡みたいな曲ですが、オリジナルはシュガーボーイ・クロフォード。女性3人組のディキシー・カップスでも有名です。1953年にシュガーボーイが録音した最初は”Jock-O-Mo”というタイトルでチェスレコードからのリリースでした。ニューオリンズ独特のセカンドラインのビートが最高です。
1.Iko Iko/Dr.John

次の曲はジミ・ヘンドリックスが”Electric Lady Land”というアルバムでカバーしたのを聴いたのが高校生の頃。オリジナルはドクターと同じニューオリンズのアール・キングですが、このドクターの「ガンボ」を聴いた頃はまだアール・キングのアルバムも持っていませんでした。ジミ・ヘンドリックスは”Come On” というタイトルでこの曲を録音しています。ヘンドリックスはロックしていてカッコいいですが、ドクターのこの曲のテンポ感とビート感、そしてイナタイテイストはちょっとマネできません。
2.Let The Good Times Roll/Dr.John

このアルバムにはもう一曲アール・キングの曲が収録されていますが、これも僕を含めブルーズ・ファンのほとんどはジョニー・ギター・ワトソンのカバーで知っていたと思います。アール・キングは素晴らしいソングライターであることをドクターは世間に知らせたいと思ってたようです。60年代の後期にドクターはロスに一時期住んでいたんですが、ニューオリンズでは有名なプロフェッサー・ロングヘアやスマイリー・ルイスそしてこのアール・キングのことを誰も知らないことに驚いたようです。自分がずっとヒーローだと思っていたニューオリンズの素晴らしいミュージシャンたちが、世界では知られていないことがこのアルバムをつくるひとつのきっかけになったようです。
「君がいなくなってから寂しい夜が続く」
3.Those Lonely Lonely Nights/Dr.John
こういう3連の曲がニューオリンズの音楽によくあるんですが、ゆったりして聴こえるけれどビートはステディです。ルーズではないんです。そのあたりがニューオリンズR&Bの難しいところでもあります。これをただゆるくやってしまうとニューオリンズ・テイストは出ません。

ドクターは1940年ニューオリンズ生まれ。アイルランド系の移民の家系でお父さんがレコード店を営んでいた関係で、小さい頃からいろんな音楽を聴いて育ちました。10才の頃にお父さんにギターを買ってもらい、お父さんが知合いだったパプース・ネルソンというギタリストに教えてもらうことになりました。この人がニューオリンズの大スター、ファッツ・ドミノのバンドのギタリストだったというからすごいです。この当時ニューオリンズではコズモ・マタッサというスタジオでいろんなミュージシャンのレコーディングが行われていて、ファッツ・ドミノやリトル・リチャードなどのヒット曲もここで録音されていました。つまり1940年から60年というドクターが20才になるまでの青少年時代、ニューオリンズR&Bは全盛だったわけです。そのまま地元で当たり前のようにミュージシャンになってアール・キングやアレン・トゥーサン、ミーターズ、といった人たちとニューオリンズR&Bを作っていったわけです。
その中にヒューイ・ピアノ・スミスがいまして、このアルバムにも「ヒューイ・ピアノ・スミス・メドレー」というのが入っています。ヒューイ・ピアノ・スミスというのはやはりニューオリンズのソングライターであり、シンガーであり、ピアニストでドクターの先輩に当たります。ヒューイは駆け出しの頃はアール・キングやギター・スリムのバックをやってましたが、やがてレコーディングにも呼ばれるようになりロイド・プライスやリトル・リチャードの録音に参加。スマイリー・ルイスの大ヒット”I Hear You Knockin’”の印象的なピアノもヒューイ・スミスです。57年に大ヒットRockin’ Pneumonia and the Boogie Woogie Flu”を出して一躍ニューオリンズを代表するミュージシャンになり、楽しいパーティ・ソングをたくさん作りヒットさせました。
ヒューイ・ピアノ・スミスのメドレーを聴いてください。
4.Huey Smith Medley(High Blood Pressure~Don’t You Just Know It~Well I’ll Be John Brown)/Dr.John

ドクター・ジョンがニューオリンズの音楽に敬意を払って作ったこのアルバム「ガンボ」には、ヒューイ・スミスと並んでドクターが大きな影響を受けたピアニスト、プロフェッサー・ロングヘアの曲も二曲収録されています。プロフェッサーには直接ピアノの手ほどきを受けたこともありドクターにとっては先輩であり先生のような存在だったと思います。

僕は個人的にドクターの想い出があります。友達の山岸潤史がニューオリンズでドクターを迎えてレコーディングしたことがありました。その時僕もついていったんですが、そのレコーディング・スタジオにバスケットの小さなコートがありました。僕はヒマだったので、そこでバスケットのゴールにめがけてボール投げて遊んでたんですが、そこにこれから録音するドクターが現れて「オイ、ボール貸してくれ」いうので貸して、そこからしばらく一緒にシュートのやり合いをしました。いい想い出です。もちろんそのあとのレコーディングのピアノは素晴らしかったです。