016.04.29 ON AIR

春だ!楽しいJUG BAND!  

The Best Of Jug Band (P-Vine PCD-20090)
img01
ON AIR LIST
1.Memphis Shakedown/The Memphis Jug Band
2.Jug Band Waltz/The Memphis Jug Band
3.Walk Right In/Cannon’s Jug Stompers
4.Going To Germany/Cannon’s Jug Stompers
5.Crazy Blues/Alabama Jug Band

 

 

 

4月9日に横浜で毎年行われている「横浜ジャグバンド・フェスティバル」というイベントに僕も初めて呼んでいただいて、友達の長野飯山の「ガキデカ・ジャグ・ストンパーズ」と一緒に歌わせてもらいました。
この「ジャグバンド・フェスティバル」は、日本のジャグ・ミュージックの先駆けであるムーニーさんが主催されていて、もう15回もやっている素晴らしいイベントなんですが、全国からジャグバンドが本当にたくさん集まってにぎやかな楽しいイベントでになりました。
それで今日はそのジャグ・バンド・ミュージックを聴いてみます。
今日は入門編的なアルバムでP-Vineレコードからリリースされているジャグバンドのコンピレーション・アルバム”The Best Of Jug Band”というアルバムを聴きます。
そもそもジャグとはなんかというと綴りはJUG大きなビン、ツボ、水差しのことです。その注ぎ口に自分の口を当ててブーブーって吹くんですが、その音がベースの役割をします。
他に使われる楽器はウォッシューボード、つまり洗濯板ですが、これをこすって音を出すんですがこれがパーカッション的な役割でビートを作ります。
あとはカズーですが、これはビービーっていう音でメロディを吹きます。また、30年代の中頃にウォッシュタブ・ベースといって洗濯の桶に絃をいっぽんだけ張って演奏するベースの役割をする楽器が登場してます。
あとギター、ハーモニカといったブルーズでも使われる楽器もありますが、ブルーズではあまり使われないマンドリン、バンジョー、クラリネットなんかもよく使われます。そこからのちにはピアノやドラムも入ってくるのですが、まずエレキはないアコースティック・サウンドです。

まずは20、30年代のジャグのブームのメッカになったメンフィスの「メンフィス・ジャグバンド」
Memphis Shakedown
このバンド、メンバーみんなめっちゃ上手いです。とくにブーブーというベースの役割をやっているジャグのビートが素晴らしい!

次のようなほのぼのした、ゆったりした曲もジャグ・ミュージックの魅力だと思います。リズムはワルツですが、こういう曲で野原で天気のいい日にチークダンスしている光景が目に浮かびます。もう一曲「メンフィス・ジャグバンド」
Jug Band Waltz

さて、僕が初めて聴いたジャグの曲は次の”Walk Right In”なんですが、この曲も僕が中学生の頃白人のフォークグループで「ルーフトップ・シンガーズ」というのがいて、そのグループがカバーしてチャート1位になったのでラジオでよく流れてました。でも、その時はこれがジャグの曲だとは知らなかったです。では、その”Walk Right In”のオリジナルをさっきのメンフィス・ジャグバンドと同じくらい人気のあったキャノンズ・ジャグ・ストンパーズの1929年の録音。
Walk Right In

次もキャノンズ・ジャグ・ストンパーズでなんとも哀愁のある曲です。アメリカの南部の広い野原とか綿花畑が目に浮かぶいい曲です。
Going To Germany

以前この番組でもON AIRした20年代女性ブルーズシンガーのメイミー・スミスの”Crazy Blues”という曲がでヒットしたことが女性クラシックブルーズの先駆けとなりました。
その”Crazy Blues”をこのジャグのアルバムでカバーしているアラバマ・ジャグ・バンドというグループがいます
Crazy Blues
楽しいジャグバンドを友達と作って毎年行われている横浜ジャグバンド・フェスティバル目指して練習するのもいいかなと思います。まあ、手軽にできそうですが、本当にしっかりやろうとするととても難しい奥の深い音楽です。今日聴いた名人たちのバンドみたいにはなかなかできませんが、完全なアコースティックなのでどこでも練習できるのでじっくり取り組んで生涯の友にするのもいいかと思います。
僕もクラリネットやろうかなぁ。

2016.04.22 ON AIR

花見のお供にブギ・ウギ・ピアノはいかがでしょうか。
ブギ・ピアノ名人、ピート・ジョンソン

Pete Johnson/Boogie Woogie Mood 1940-1944(MCA Records MCA-1333)
img01
ON AIR LIST
1.Dive Bomber/Pete Johnson
2.Answer To The Boogie
3.627Stomp/Pete Johnson & His Band
4.Just For You/Pete Johnson
5.Death Ray Boogie/Pete Johnson

 

 

 

 

今日は偉大なジャズ・ブルーズ・ピアニストのピート・ジョンソン!
先日中古盤アナログレコードでゲットしたジョンソンのアルバム”Boogie Woogie Mood 1940-1944”。これが素晴らしいアルバムなのでみなさんと一緒に楽しみたいと思います。
昔はジューク・ジョイントやバレルハウスと呼ばれる酒場にはボロいピアノが置かれていることが多く、ブルーズ・ピアニストたちの中にはそういう酒場を転々とピアノを弾いて放浪する者もいた。1920年代にシカゴでブギウギ・ピアノのブームが始まり、それが今日聞いてもらう30年代のピート・ジョンソンたちに引き継がれて行った。ブギウギ・ピアノというとアルバート・アモンズそしてミード・ルクス・ルイス、そして今日聞いてもらうピート・ジョンソンが「ブギウギ・ピアノの三羽がらす」
まずはジョンソンのブギ・ウギ・ピアノの名人ぶりがよくわかるソロ演奏から。
Dive Bomber

名人ピート・ジョンソンあたりになるとリズムの切れが素晴らしくリズムが崩れない。どんどんグルーヴしていくので、多分ライヴで見たらあっけにとられて口開けたまま終わると思います。
ブギ・ウギのリズムは50年代に入るとロックンロール、つまりいまのロックのルーツとなってエルビス・プレスリーたちが登場するんですが、それが予感されるブギの曲を聞いてみましょう。
Answer To The Boogie

ピート・ジョンソンはヴォーカルのビッグ・ジョー・ターナーとコンビを組んで人気者になり、次第に地元カンザス以外にもツアーに行くようになりました。
1936年にニューヨークのダンスホールに出演していた時にプロデューサーのジョン・ハモンドと出会い、1938年にそのハモンドがプロデュースしたカーネギー・ホールでの「スピリチュアル・トゥ・スイング」と言う黒人音楽の歴史を辿る大きなコンサートに出演したのがきっかけで更に人気が出ました。では彼がビッグバンドで演奏したものを聞いてみましょう
627Stomp

次はベースとドラムとジョンソンのトリオで演奏しているちょっとロマンティックな曲。クラブではブギのダンスものだけでなく、ちょっとチークダンスできるもの、箸休め的な曲も必要だったのでしょう。
Just For You

いまみたいな曲を聴くとニューヨークへ行きたくなります。ジャズが似合う街です。
では最後はふたたびピート・ジョンソンの素晴らしいブギ・ピアノを
Death Ray Boogie

名人ジョンソンみたいに上手くはなれないだろうけど、ピアノが弾けたらいいなぁって思います。

2016.04.15 ON AIR

名盤一枚を残し、若くして亡くなった50年代の名シンガー、
ジョニー・エース

Johnny Ace/Memorial Album (DUKE/OLDAYS RECORDS  ODR 6024) 2016.4.15ON AIR

img01
ON AIR LIST
1.Pledging My Love
2.How Can You Be So Mean
3.My Song
4.Don’t You Know
5.Saving My Love For You

 

 

 

 

今日は50年代の素晴らしいR&Bシンガー、ジョニー・エースの名盤”Memorial Album”というアルバムを聴きます。この名盤が最近日本のオールデイズ・レコードというところからCDで再発されてゲットしやすくなったので、みなさんに紹介します。

ジョニー・エースは50年代の始めからわずか3年だけ活躍して25才で人生を終えました。その死因というのがクリスマスイヴの夜、ライヴの休憩時間に楽屋で賭け(ギャンブル)をしていてロシアン・ルーレットで自分の頭をピストルで撃ち抜いてしまったのです。本当に才能のあった歌手なので残念です。
ジョニー・エースはブルーズとR&Bと両方のテイストを持っていますが、有名になったのがR&Bバラードだったのでバラード・シンガーと捉えられています。でも、アップテンポのジャンプ・ブルーズ的な歌でのノリも素晴らしいのでそのあたりの曲も聞きます。
まず今日は彼の大ヒットとなったバラードから聴いてみようと思います。
「永遠にふたりの愛は本物や。いつも、いつまでも君だけを愛しているよ。約束して君の愛も永遠やと。魂の中の炎は永遠に燃え続けるはず」と、まあ彼女への永遠の愛を語ってるんやけど、僕はいまみたいに訳してるだけでめっちゃ恥ずかしいですけどね。
1955年彼が亡くなった翌年リリースされ、10週間にわりチャートの1位を独占した数あるR&Bのバラードの中でも名作中の名作です。
Pledging My Love

ジョニー・エースは歌が上手いんですが、これみよがしに歌いあげるわけではなく、聞いてもらったみたいに訥々とした歌い方なんですが、それがまた心に沁みるというか・・自然というか。こういう歌い方は逆に難しいです。
バラード・シンガーとして評価が高いジョニー・エースやけど、僕は彼のアップ・テンポでのキレのある歌い方も好きで、パラード・シンガーという枠に収めるのはちょっと違う気がします。
次の曲なんかもスピード感があってすごくいいです。
「愛してるって言ったくせに、オレが出かけたら新しい男とキスするなんてあんまりひどいんじゃないか。落ち込んでやる気もでないし心も失くしてしまったよ。あんまりひどいんじゃないか」
How Can You Be So Mean
スウィングするバンドのグルーヴ、ホーン・セクションの見事なアレンジ、そしてそこに乗って軽快に歌うジョニー・エース。ちょっとジャンプ・ブルーズ的なテイストもあっていいですね。

本名はジョン・マーシャル・アレキサンダー。メンフィス生まれ、メンフィス育ちの都会っ子でもともとはピアニストとして音楽の世界に入りました。
1952年、22才の時にデューク・レコードと契約して録音した最初の曲”My Song”が、R&Bチャートの1位になるという大ヒット。穏やかで、どこか悲しげな歌い方が本当に自然でさっきも言いましたが、こういう歌い方は難しいです。
「君は涙して僕と別れると言った。いま君がいなくなって1時間が1年のように思える、だから愛する人よ、僕は僕の歌を歌う。僕はまだ愛してる。帰ってきてくれないか。僕たちは永遠に一緒のはずだよね」
My Song

次のシャッフルのブルーズも当時の飛ぶ鳥を落とす勢いのデューク・レコードのしっかりした都会的なアレンジの中、どこかに素朴な味わいがあるいい感じのブルーズです。
Don’t You Know
最後はやっぱりバラードで締めましょうか。
Saving My Love For You
ジョニー・エースが残した曲はたった21曲。その大半が収録されたアルバムが今日聴いてもらった”Memorial Album”。いまオールディズ・レコードからリリースされています。是非ゲットしてください。

2016.04.08ON AIR

ドクター・ロスのやみつきになるブギ・ブルーズ


Dr.Ross/Boogie Disease (P-Vine Records PCD-2360)img01

ON AIR TRACK LIST
1.Boogie Disease
2.Memphis Boogie
3.Shake ‘Em On Down
4.Industrial Avenue Boogie
5.Cat Squirrel

 

 

 

 

この前、B.B.KingのボックスセットをOn Airしましたが、まさにそのB.Bがミシシッピーの故郷から畑仕事をとび出してメンフィスに一旗上げにきた50年代初めというのは、メンフィスはブルーズ、R&Bのメッカだった。
B.B.キングはじめボビー・ブランド、ジュニア・バーカー、ジョニー・エース、ロスコー・ゴードン、ジェイムズ・コットン、リトル・ミルトンなど才能のあるミュージシャンが互いに切磋琢磨する都会がメンフィスでした。でも、そういうモダンな、アーバン系のブルーズマンだけではなく、メンフィスには今日聞いてもらうドクター・ロスのようなアーシーながらファンキーな味わいをもったブルーズマンもいた。
ドクター・ロスは本名チャールズ・イザヤ・ロスというのですが、ドクターという名前の由来はですね、戦争に行っていた時にハーモニカを医者が使っている鞄に入れて持ち歩いていたためにそのあだ名になったそう。
93年に68才で亡くなってますが、1925年生まれですから、B.B.キングと同じ年やったんですね。
まず、今日聴いてもらうドクター・ロスのアルバム”Boogie Disease”からタイトル曲を。
Diseaseですからブギ病。ブギの病気!この曲名からして何かそそられるものがあります!
Boogie Disease
聴いてもらったように同じメンフィス録音とは言え、都会的なB.B.やジュニア・パーカーとは違う泥臭い、オーセンティックなブルーズの香りがムンムンです。
ドクター・ロスはミシシッピーのチュニカの出身。チュニカはメンフィスから車で30分くらいの街で、かっては放浪のブルーズマンが立ち寄った街でした。いま現在はラスベガスのような巨大なカジノの街になっていますが、ドクター・ロスが子供の頃はいろんなブルーズマンがやってきたんだと思います。その頃影響を受けたのはロバート・ジョンソン、ブラインド・ボーイ・フラーそしてハーモニカではサニーボーイ・ウィリアムスンIに強い影響を受けています。それでドクター・ロスには「ハーモニカ・ボス」というあだ名もあるくらいハーモニカが素晴らしいんですが、では、そのハーモニカのインスト曲です。
Memphis Boogie (Juke Box Boogie)
シカゴのリトル・ウォルターあたりとはまた違うテイストで素晴らしい。ダンサブルでワイルドでファンキーな吹きっぷりでいいですね。メンフィスのハーモニカ・スタイルというのがあっていまの曲調もそのひとつです。
メンフィスにはカントリー・ブルーズの巨人のひとりブッカ・ホワイトが住んでいて、ドクター・ロスより20才くらい年上で大先輩にあたりますが、やはりその大先輩の影響は当然あってブッカ・ホワイトの名曲Shake ‘Em On Downをやっているので聴いてみます!
Shake ‘Em On Down
ドクター・ロスは「ワンマン・バンド」といって歌を歌いながらギターを弾いて、ハーモニカも吹いてとここまではまあフォーク・シンガーのひとなんかもよくやるスタイルですが、ドクターは更にドラムのバスドラとハイハットを踏むというスタイルでブルーズをやるので有名な人なんですが、いままで聴いてもらったのはひとりではなくてふたりや3人でやっているものだったのですが、ひとりの弾き語りのものを聴いてみましょうか。ドラムは踏んでないんですが、弾き語りスタイルです。
オープン・チューニングで弾くギターで大きな影響を受けたジョン・リー・フッカー・スタイルの曲です。
Industrial Avenue Boogie
次はかってロックバンドのクリームがカバーしてました。「朝まで眠れないで男と一緒にいるオマエのこと考えてる、オマエたちの巣の穴の横でな。オマエら巣の中におるんやろ。そんでオマエは月曜の朝に出てくるんやろ。わかってるよオレのこと好きやないんやろ。あきらめるよ。出ていくよ。ああ。落ち込むわ」SquirrelはリスのことでアメリカにはCat(猫)みたいに大きなリスがおるそうです。
Cat Squirrel
今日は50年代メンフィスのファンキーでアーシーなブルーズマン、ドクターロスを聴いてもらいました。なかなかええでしょ。では、また来週!

2016.04.1 ON AIR

追悼:OTIS CLAY vol.2

Trying to Live My Life Without You(Hi/KING SLC 489)

Trying to Live My Life Without You(Hi/KING SLC 489)

The Beginning Got To Find A Way(P-Vine PLP-9002)

The Beginning Got To Find A Way(P-Vine PLP-9002)

I Can't Take It (Hi HLP6003)

I Can’t Take It (Hi HLP6003)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ON AIR TRACK LIST
1.I Die A Little Each Day/Otis Clay
2.Holding On To A Dying Love/Otis Clay
3.I Don’t Know What I Do/Otis Clay
4.I Can’t Take It/Otis Clay
5.Slow And Easy/Otis Clay

 

 

 

 

先週に引き続き1月に心臓発作でなくなったソウル・シンガー、オーティス・クレイの追悼二回目をお送りします。
前回ON AIRしたのはオーティス・クレイの来日ライヴ盤”Live!Otis Clay”でしたが、今回はオーティスを代表するスタジオ録音の名盤”Trying to Live My Life Without You」から聴いてみようと思います。
タイトル曲のTrying to Live My Life Without Youは前回ライヴ盤で聴いたので、今回はクレイがコンサートでもよく歌っていた曲I Die A Little Each Dayから。日本のファンにも人気のあった曲です。
「列車が駅を離れていってしまって以来、オレの人生のすべてはダメになっていくようだ。オマエが生きる気持ちを奪ってしまったので、オレはじぶんの涙の中に慰めも見つからない。オマエがいなくなってしまってからオレは日ごとに死んでいくようだ。ベイビー、頼むから戻ってきてくれないか」
すごく悲しい失恋ソングです。オーティスのソウルフルな歌を聴いてください。
I Die A Little Each Day

メンフィスのハイレコードのスタジオ・ミュージシャン、チャールズ・ホッジズ(Key)、リロイ・ホッジス(B)、ティニー・ホッジズ(G),そしてドラム、ハワード・グライムスという鉄壁の布陣に、トランペットのウエイン・ジャクソン、サックスのアンドリュー・ラブたちの重厚なホーンセクションが加わるという典型的なハイ・サウンド。言うことなしです。
もう一曲聴いてみましょうか。ダメになっていくと分かっている、別れることがわかっているのにその愛にしがみついている男の歌です。
Holding On To A Dying Love/Otis Clay

クレイは若い頃シカゴの”ワン・ダー・フル”というレーベルからシングルを何枚か出していました。ゴスペルからソウルを歌い始めたわけですが、その若き日のシカゴでの録音も素晴らしいので一曲聴いてみようと思います。アルバム・タイトルは”Got To Find A Way-The Begining”と言って1979年に日本のP-Vineからリリースされていたものでもちろんアナログです。いまこのアルバムを入手するのはちょっと難しいかも知れません。
かっこいいダンス・ジャンプナンバーです。「オマエがいないのに何をしていいのかオレはわからない」
I Don’t Know What I Do

70年代にやはりハイレコードからリリースされた”I Can’t Take It”というアルバムも素晴らしいです。そのタイトル曲が僕はすごく好きなので聴いてみたいと思います。テーブルの上には自分の朝食があるけど、食欲なんかない。一晩中泣き続け、気が狂いそうだ・・・と、前の夜に彼女と喧嘩して彼女が出ていくのをなす術もなく見ているのがもう絶えられない(I Can’ t Take It)という曲です。
I Can’t Take It

来日公演の時も本当に一曲一曲全身全霊で歌う姿がまず日本のお客さんの心を捉えてました。ソウルだとかロックだとかブルーズだとか、そんなことよりもそのシンガーがどれだけ自分の信じる音楽を自分の信じるスタイルで心を込めて歌うかということで、お客さんの心を動かすのだとその時思いました。もう一曲聴きましょうか。
Slow And Easy

来日時、オーティスは日本ではそんなに知られていませんでした。大ヒット曲もないし、派手な人でもなく、とてもオーソドックスなソウルシンガーなんですよオーティス・クレイは。でも、その真摯な歌が日本のお客さんの心をつかんで、本人も日本のお客さんの暖かい気持ちをすごく感じていたと思います。そして、何度も来日してくれました。その日本での盛り上がりがアメリカの厳しいショービジネスを生き抜いていく彼の心の支えに少しはなったのかなと思います。
決してすごくメジャーにはなれなかったソウル・シンガーでしたが、自分のスタイルを最後まで貫いた実に立派なソウルシンガーだったと思います。
是非みなさんも手に入れやすい名盤Trying to Live My Life Without Youをゲットして、アナログ中古盤に興味のある方は”Got To Find A Way-The Begining”も探してください。
前回と二回に渡りオーティス・クレイの追悼をON AIRしました。
オーティスの冥福を祈ります。Thank You Otis!We Love You!