2022.04.29 ON AIR

相次いで亡くなったブラック・ミュージックの三人の偉大なドラマー Vol.2

ジャズ、ブルーズ、カントリー、R&Bとジャンルを超えて多くの名曲に参加した名ドラマー、フィリップ・ポール

ON AIR LIST
1.Hideaway / Freddy King
2.The Twist/Hank Ballard&The Midnighters
3.Good Rocking Tonight /Wynonie Harris
4.Fever / Little Willie John
5.Tore Down / Freddy King

今年になって立て続けにブラック・ミュージックにとって大切な、そして偉大なドラマーが三人亡くなりました。サム・レイ、フィリップ・ポール、そしてハワード・グライムスと。今回からその三人の参加した音を聞きながら彼らが残した功績を話したいと思います。今日はフィリップ・ポール。
ブラック・ミュージックだけでなくアメリカの音楽界に重要な曲のドラマーとして活躍したフィリップ・ポールが1月30日に96才で亡くなりました。
彼自身の生まれはニューヨークですが、お父さんはカリブ海にあるヴァージン諸島のセント・クロイ島という島からニューヨークにやってきた人です。つまりカリブの音楽のルーツが彼の体の中にはあるということです。
彼が9歳の時にお父さんがドラムを買ってくれ13歳でお父さんのバンドに入ってます。そして10代からニューヨーク、ハーレムの有名クラブの「サヴォイボールルーム」でソニー・スティット、ディジー・ガレスビー、バディ・ジョンソンなどジャズ・ミュージシャンとライヴを行なってます。そういう名だたるミュージシャンとステージに立つくらいですからフィリップの実力もかなりなものだったと思います。
特に彼が1952年から65年の約14年間にシンシナティにあるキング・レコードのスタジオ・ミュージシャンとして活動していた時の音源はブルーズ、R&B、ジャズ、カントリーと広い範囲に渡っています。ブルーズを好きな人の中にはキング・レコード時代の若き日のフレディ・キングの曲が思い浮かぶと思います。中でもフレディのこのインスト曲はブルーズのスタンダード曲として今も愛聴され、多くのギタリストにカバーされています。しかし、当時のレコードには参加ミュージシャンのクレジットがなくてフレディ・キングのレコードを聴いている時は「このすごいドラムは誰なんだろう」とみんなで話してました。

1.Hideaway / Freddy King

シャッフル・ビートなのですが、このフィリップ・ボールの打ち出すシャッフルのリズムがステディですごく気持ちいいんですね。シャッフルの達人です。この曲はギタリストがカバーしコピーすることが多いのですが、ドラムをやっている人も是非このシャッフル・ビートをカバーしてみてください。ブルーズドラムのお手本になるような演奏です。この曲は1961年リリースの”Let’s Hide Away and Dance Away with Freddy King”というアルバムに収録されていますが、フレディ・キングのキングレコード時代のコンピレーションにも必ず入っているので是非聞いてください。

フィリップ・ポールがドラマーとして名前が上がるのが1958年に録音されたハンク・バラード&ミッドナイターズの”The Twist”(ツイスト)という曲です。ツイストというのは60年代初めに流行ったダンスのことですが、その最初の曲がハンク・バラードのその曲でした。しかし、その曲を大ヒットさせチャート1位になったのは2年後のチャビー・チェッカーのカバー・バージョンの方で、オリジナルのハンク・バラードの方はチャート6位でした。でもツイストのビートはたくさんの曲に使われ大流行しました。そのオリジナルのビートを作ったのがフィリップ・ポールで、これ一曲でもアメリカの音楽史に名前が残る演奏です。只者ではありません。

2.The Twist/Hank Ballard&The Midnighters

1948年にジャンプ・ブルーズのシンガー、ワイノニー・ハリスが大ヒットさせた次の曲もドラムはフィリップ・ポール。この曲はロックンロールの始まりの1曲と言われていますが、実は元々ロイ・ブラウンというシンガーが歌ったのですが、ワイノニー・ハリスのカバーはそのオリジナルより更にビートをきつくしたエネルギッシュな出来上がりになっていて、それでオリジナルよりも売れてしまいました。「耳に挟んだんだけど今晩みんなでご機嫌なロッキング・タイムがあるんだ。彼女を思いっきり抱き締めるんだ。そしてみんなでブルーズを蹴散らすんだよ」歌詞の内容も曲のメロディもパーティ・ソングにもってこいで当時の若者に受けたのはよくわかります。とくにこの躍動するリズムのビートは踊り出さずにはいられないビートです。

3.Good Rocking Tonight /Wynonie Harris

名曲”Good Rocking Tonight”

フィリップ・ポールがスタジオのドラマーとして契約していたキング・レコードにはたくさんのミュージシャンが所属していて50から60年代の黒人音楽のヒット曲もたくさんリリースしました。次の曲はR&Bシンガーのリトル・ウィリー・ジョンによって歌われ大ヒットしたものです。もちろんカバーもたくさんあり、一般的なポピュラー・ソングと思っている方も多いと思います。歌っているジョン・リトル・ジョンはジェイムズ・ブラウンの憧れの歌手でもあるのですが、歌がめちゃ上手いです。
「おまえがキスしたり抱きついてくると俺の熱が上がってしまうんだ。どんれだけ俺が愛しているかわからないだろう」という歴史に残った名曲です。
1959年のグラミー賞のレコード・オブ・ザ・イヤーとソング・オブ・ザ・イヤーに輝いています。

4.Fever / Little Willie John

この曲のように「ああ、この曲もドラムはフィリップ・ポールだったのか・・と」後から知ることが多いのですが、アルバムに参加ミュージシャンのクレジットが記載されるようになったのは60年代の中頃くらいからで、それまだは誰がドラムやベースを演奏しているのか名前がなかったのでわかりませんでした。

晩年は地元のシンシナティ・ホテルで週末だけドラムを叩いて楽しんでいたようです。

キングレコードでの仕事以外ではアルバート・キング、ジョン・リー・フッカー、それからシカゴ・ダウンホーム・ブルーズのスモーキー・スマザーズなどたくさんあるのですが、最後は今やブルーズの定番曲にもなっているフレディ・キングこの曲を。

5.I’m Tore Down/ Freddy King 

5/29 日比谷野音のTOKYO BLUES CARNIVALに是非お越しください。ひさしぶりのブルーズ野外コンサートです。

2022.04.22 ON AIR

相次いで亡くなったブラック・ミュージックの三人の偉大なドラマー Vol.1

ブルーズの名曲にその名を残したドラマー、サム・レイ

ON AIR LIST
1.All Aboard / Muddy Waters
2.Born In Chicago / The Paul Butterfield Blues Band
3.Highway 61 Revisited/Bob Dylan
4.Killing Floor/Howlin Wolf

今年になって立て続けにブラック・ミュージックにとって大切な、そして偉大なドラマーが三人亡くなりました。サム・レイ、フィリップ・ポール、そしてハワード・グライムスと。今回からその三人の参加した音を聞きながら彼らが残した功績を話したいと思います。今日はサム・レイ。
ブルーズの名ドラマー、サム・レイが1月29日に86才で天国へ向かいました。
ブルーズを好きな方ならドラマー、サム・レイの名前を知らなくても彼のドラム・プレイを知らないうちに聞いていると思います。
ハウリン・ウルフ、マジック・サムなど名だたるブルーズマンのアルバムにサム・レイの名前を見つけることができます。
ぼくが初めてサム・レイの名前を認識したのはマディの1969年のアルバム”Fathers And Sons”です。その”Fathers And Sons”を買った頃はちょうど自分の嗜好がロックからブルーズへ移っていった頃で、このアルバムはブルーズの教科書を聴くような感じで毎日毎日聞いていました。だから最初に会ったブルーズ・ドラマーがサム・レイと言ってもいくらいで、彼のドラムのグルーヴは今も僕の中に宿っていると思います。
そのマディ・ウォーターズのアルバム”Fathers And Sons”の一曲目、サムのパワフルなグルーヴがよくわかる演奏です。

1.All Aboard / Muddy Waters

今の”Fathers And Sons”を僕が聞いたのは1971年頃でした。まだブルーズがよくわからなくてブルーズを聞いてもその聞きどころというか、ブルーズのグルーヴの良さがあまりわからなかった時だったのですが、このアルバムのサム・レイのグルーヴは自然と体に入ってきました。でも、実は高校生の頃67年頃に僕はすでにサム・レイのドラムを聞いていたことに後から気づきました。
それは1965年リリースのポール・バターフィールド・ブルースバンドのデビュー・アルバムで、それを17才くらいの頃に聞いていたのですが当時はメインのポール・バターフィールドやギタリストのマイク・ブルームフィールド以外録音の参加メンバーなど気にかけていなかったんですね。後から「ああ、このアルバムはサム・レイだったんだ」と気づきました。いわゆる白人ブルーズロックの元祖であり名盤です。リズム隊のサム・レイとベースのジェローム・アーノルドが黒人。この二人をハウリン・ウルフのバンドからバターフィールドが引き抜いた形ですが、ウルフからの反発はなかったんでしょうかね。60年代半ばとしては珍しい白人と黒人が参加しているバンドでした。次の曲はポール・バターフィールド・ブルースバンドを代表する曲。この曲を聴くと京都のディスコで歌っていた20歳頃を思い出します。サム・レイの躍動感のあるドラムがグイグイとリズムを推進しているのがわかります。

2.Born In Chicago / The Paul Butterfield Blues Band

60年代中頃はまだ白人のバンドに黒人のメンバーが入ることは珍しかった時代です。人種の差別をさっさと乗り越えていったポール・バターフィールドのこのバンドはそういう意味でも画期的でした。そして、このバンドが当時ボブ・ディランのバックをやることがあり、その関係でディランのレコーディングにサム・レイは参加します。1965年のアルバム”Highway 61 Revisited”。日本のタイトルが「追憶のハイウェイ61」ディランの代表的なアルバムです。
サムが参加したのはこれ一曲だったのですが、とても印象に残るアルバム・タイトル曲です。

3.Highway 61 Revisited/Bob Dylan

サム・レイは1935年南部アラバマ州のバーミンガムという街の生まれでクリーヴランドで音楽を始めて、59年にシカゴに移り住んでいます。40年代からシカゴはブルーズのメッカになっていてドラマーもエルジン・エヴァンス、フランシス・クレイ、フレッド・ビロウ、オディ・ペインなど素晴らしい人たちがいました。
シカゴで最初にリトル・ウォルターなどと始めてすぐにウルフやマディと一緒に演奏できたということは才能が早くから認められていたということでしょう。でも、60年代にはマディたちのシカゴ・ブルーズの全盛期は過ぎていくのですが、サム・レイは若手のマジック・サムのライヴ盤も残っているように少し新しい感覚を持ったドラマーでした。ハウリン・ウルフと録音した次の曲にロック・ミュージシャンのジミ・ヘンドリックス、エレクトリック・フラッグなどカバーがたくさん生まれたのも新しいグルーヴがあったからだと思います。1960年ハウリン・ウルフのこの名曲です。

4.Killing Floor/Howlin Wolf

当時のこの新しいビートを察知してポール・バターフィールドは自分のバンド結成に彼を誘ったのだと思います。
サム・レイはマジック・サムのライヴ・アルバムや、ライトニン・ホプキンスのアルバムにも参加したして、90年代半ばからは自分のバンド”Sam Lay Blues Band”を作りアルバムも何枚が出しました。ブルーズの殿堂入りも、ロックンロールの殿堂入りも、ジャズの殿堂入りもして他にも多くの賞に輝いたドラマーです。
ずっと心臓病を患っていたそうです。レジェンドのドラマーがまた一人去ってしまったことが本当に残念です。
今日は60年代からブルーズの歴史に大きな功績を残した名ドラマー、サム・レイの追悼をしました。サムの冥福を祈ります。
次回はサムが亡くなった翌日に亡くなってしまった名ドラマー、フィリップ・ボールの特集です。

2022.04.15 ON AIR

歴史的な映画”Summer Of Soul”のサントラ盤がリリース!

“Summer Of Soul” Original Motion Picture SoundTrack(Sony Music 19439956872)

ON AIR LIST
1.Why I Sing the Blues/ B.B. King
2.I Heard It Through The Grapevine / Gladys Knight & The Pips
3.Precious Lord, Take My Hand / The Operation Breadbasket Orchestra & Choir feat. Mahalia Jackson and Mavis Staples
4.Everyday People/ Sly & The Family Stone
5.Backlash Blues / Nina Simone

昨年の夏に公開されてこの番組でも10月に二回に分けて特集した映画「サマー・オブ・ソウル」のサウンド・トラックが2/23にリリースされました。スティーヴィー・ワンダーが収録されていないのと、デジタル配信ではあったアビー・リンカーンとマックス・ローチ の“Africa”がCDには収録されていません。
いまグラミー賞では「ベスト・ミュージック・フィルム」部門にノミネート。アカデミー賞もドキュメンタリー賞にノミネートされています。
この映画「サマー・オブ・ソウル」は1969年にニューヨークの公園で開催されたアフリカン・アメリカンたちのコンサート“ハーレム・カルチャラル・フェスティバル”を中心に描かれているのですが、ブルーズ、ジャズ、ゴスペル、ソウル、ファンクと黒人音楽のあらゆるジャンルのミュージシャンが出演しています。まずはブルーズのB.B.キングが映画の最初の方に出てきて歌っています。集まった聴衆がほとんど同胞の黒人たちということもあり他のミュージシャンもそうですが、B.B.もバンドもかなり力が入っていてリズムが少し早く走っているところも面白いです。「なぜ私がブルーズを歌うのか」

1.Why I Sing The Blues/ B.B. King

個人的にはこの映画で若い頃のグラディス・ナイトを見れたのも嬉しかったです。69年です。当時女性に流行っていたミニ・スカートでグラディスも登場します。思えばこの映画に出演しているミュージシャンはもうたくさん亡くなっていて今はコーラスのピップスももうありません。グラディスは今も元気です。いつかもう一度ライヴを聞きたいですね。
67年に全米2位になった大ヒット曲。自分が昔付き合っている男が昔の彼女とよりを戻しているという噂を聞いたという歌です。日本のタイトルは「悲しい噂」

2.I Heard It Through The Grapevine / Gladys Knight & The Pips

この映画のハイライトのひとつはゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンがステイプル・シンガーズのメイヴィス・ステイプルズとデュッエットで歌うシーンです。ゴスペルという音楽を世界に広めた最初のシンガーがマヘリア・ジャクソンでした。もちろんゴスペルの世界でも揺るぎないトップの座にいたマヘリアと一緒に歌うメイヴィスはかなり緊張したらしいですが、その様子は映画のメイヴィスの表情を見ていても感じられます。この時マヘリアは58才、メイヴィスは30才
今もゴスペルを歌い続けているメイヴィスにとっても黒人音楽の世界にとってもこのゴスペルのデュエットは歴史的に貴重な出来事だったと思います。クワイアがバックについて有名なこのゴスペル・ナンバーです。
「神様、光のあるところへ私の手を取り導いてください」
(三分少し前から7分25まで)

3.Precious Lord, Take My Hand / The Operation Breadbasket Orchestra & Choir feat. Mahalia Jackson and Mavis Staples

この時、コンサート会場はふたりの歌声で教会のようなムードになりました。

映画の中で繰り広げられる“ハーレム・カルチャラル・フェスティバル”のコンサートには今のゴスペル、そして最初に聞いたB.B.キングのブルーズ、アビー・リンカーンとマックス・ローチ、ニーナ・シモンのジャズ、グラディス・ナイトやデイヴィッド・ラフィンのソウルそして一番若い、新しい音楽として登場してきたのが、ファンクのスライ&ザ・ファミリーストーンでした。彼らがステージに現れると観客が前に押し寄せるほど当時人気が上がっていたのがわかります。その溌剌とした演奏を。

4.Everyday People/ Sly & The Family Stone

最後はニーナ・シモンです。ニーナ・シモンは早くから人種差別や社会の格差について社会的、政治的発言をしたミュージシャンで特にこのコンサートの前の年にキング牧師が射殺されたこともあって彼女はとてもナーヴァスになっているというか、もう怒っているように見えました。つまり差別や格差、白人と平等でないことや黒人が虐待されることに、そして敬愛する指導者のキング牧師が殺されたことにもう怒りが頂点に達している感じでした。曲名のBacklash BluesのBacklashは反動、政治的な反動、まあ逆戻りです。時の為政者に向かって歌ったものです。「あなたは給料を上げないで税金を上げる。そして私の息子をベトナムに送った」という、つまり良くなりつつあると思った社会をあなたは後戻りさせているという痛烈な批判の歌です。

5.Backlash Blues / Nina Simone

”Summer Of Soul”はできれば映画館で是非観てください。DVDもリリースされています。
今日もリモート収録でお送りしました。

2022.04.08 ON AIR

追悼:最後までアフリカン・アメリカンのストリート感覚を失わなかったシル・ジョンソン vol.2

The Hi Records Single Collection / Syl Johnson(Solid CDSOL-5065 66)
Ms.Fine Brown Frame/Syl Johnson (P-vine Records PCD-1257)
Straight Up / Syl Johnson(P-Vine PCD-25004)

ON AIR LIST
1.Age Ain’t Nothing But A Number/ Syl Johnson
2.Ms.Fine Brown Frame / Syl Johnson
3.Easy Baby / Syl Johnson & Syleena Johnson
4.Is It Because I’m Black / Syl Johnson

先週に引き続き今年の2月に亡くなったブルーズ、ソウル、ファンクの素晴らしいミュージシャンだったシル・ジョンソンの追悼2回目です。
シル・ジョンソンは70年代にメンフィスのハイ・レコードに所属して4枚のアルバムをリリースしたのですが、先週ON AIRした”Take Me To The River”以外に大きなヒットは出ませんでした。いまそのハイ・レコード時代のアルバムを聴くとヒットしなかったけれどシルらしいいい曲もあります。今日最初に聴くのは1973年にシングルだけでリリースされた曲でシル・ジョンソンらしいファンキーなテイストが出ている楽しい曲です。
曲名の”Age Ain’t Nothing But A Number”は「年齢はただの数字だ」年齢の数字に惑わされてはダメだということです。いい言葉ですね。

1.Age Ain’t Nothing But A Number/ Syl Johnson

70年代のハイ・レコード時代に普通のアフリカン・アメリカンの生活に根ざしたところから生まれるシルのファンキーなソウルがあまり理解されなかったところはあると思います。79年にドン・ブライアンやアン・ピーブルズと初来日したときもバラード好きの日本のファンには彼のファンキー・ソウルは評判になりませんでした。
ところがシル・ジョンソンは1982年に日本でも話題になった曲をリリースしました。これは”100%コットン”というファンク・ブルーズの代表的なアルバムで新しいブルーズを提示して来たジェイムズ・コットン・バンドとコラボしたファンクの曲。これはメロディもサウンドもキャッチーで当時僕の部屋ではヘヴィ・ローテーションで流れていました。「他の女ではあかんのよ、きれいな茶色の体つきの女がええねん」途中でラップが出てくるのですが、シルは「ラップは好きじゃない」と言い「ラップが流行りだから入れただけだよ」とそういうしたたかな一面もありました。シル・ジョンソンらしいです。

2.Ms.Fine Brown Frame / Syl Johnson

ジャケット写真を番組のHPに出しているので見て欲しいのですが、まさにFine Brown Frame な女性が艶かしくこちらを見ています。
今聞いてもカッコイイ曲です。
この曲をリリースしたあとくらい80年代半ばから彼はシーンからリタイアしてしまいます。彼は飲食関係の店をやったり音楽出版を手がけたり事業家でもあったのでそちらに力を注ぐことになったようです。それで90年代に入ると先週も話ましたが、彼の昔の曲が若いヒップホップ、ラップのミュージシャンにたくさんサンプリングされ始め、「オイオイ、俺の曲を勝手に使うなよ」とばかりに復帰します。それで94年に”Back In The Game”(ゲームに戻るぜ)と復帰のアルバムを出します。そのアルバムには娘のシリーナ・ジョンソンも参加しています。
次の曲はブルーズ・ファンにはお馴染みのマジック・サムの曲をアレンジしてカバーしています。マジック・サムとシルはシカゴでご近所だったらしくてすごく仲が良かったそうです。娘のシリーナ・ジョンソンと二人でハーモニーを作り原曲のサムより更にファンキーな感じになってます。

3.Easy Baby / Syl Johnson & Syleena Johnson

いま曲はシルがプロデュースを手掛け日本のP-Vineレコードがコンピレーションした”Straight Up”というアルバムに収録されています。

数年前から再び人種差別を始めあらゆる差別や格差に反対する運動「ブラック・ライヴズ・マター」の動きが出始め、シルが1970年に発表してR&Bチャート11位になった次の曲がウータン・クラン、スヌープ・ドッグなどたくさんの若いミュージシャンにサンプリングされました。先週ON AIRした”Different Strokes”も300曲以上サンプリングされているらしく「HIP HOP史上最もサンプリングされたミュージシャン」とも言われているシル・ジョンソンです。
最後に聞いてもらう曲です。
「俺はゲットーで育ち、母親はわずかな金を稼ぐために必死で働いた。でも生活は良くならない。何かがずっと俺のじゃまをしてるんだ。それは俺が黒人だからだろ。誰か俺がどうしたらいいのか教えてくれよ。俺が黒人だからジャマされてるんだろ」

4.Is It Because I’m Black / Syl Johnson

半世紀も過ぎてシル・ジョンソン自身もこの曲に陽が当たるとは思わなかったのでは・・・。逆に人種差別、人種の格差は半世紀経っても何も変わっていないという状況です。シル・ジョンソンはこうした社会的、政治的な考えも持った素晴らしいミュージシャンでした。これからもシルの曲はずっと引き継がれていくと思います。先週に引き続き二月に亡くなったシル・ジョンソンの追悼をしました。

2022.04.01 ON AIR

追悼:最後までアフリカン・アメリカンのストリート感覚を失わなかったシル・ジョンソン vol.1

Straight Up / Syl Johnson(P-Vine PCD-25004)
Twilight & Twilight Masters Collections / Syl Johnson(Collectable COL-5736)
The Hi Records Single Collection / Syl Johnson(Solid CDSOL-5065 66)

ON AIR LIST
1.Goodie Goodie Good Times / Syl Johnson
2.Come On Sock It to Me / Syl Johnson
3.Different Strokes/ Syl Johnson
4.Take Me To The River/Syl Johnson

最近は自分が親しんで聞いてきたミュージシャンたちの訃報が多くて気持ちが滅入りますが、2/6にソウル、ファンク、ブルーズのシンガー、ギタリスト、ハーモニカプレイヤーであり、ソングライター、プロデューサーでもあったシル・ジョンソンが亡くなりました。85歳でした。アルバムもたくさんリリースして、来日したこともあります。僕が最後に観たシルのライヴは2014年の「フジロック」で僕のニューオリンズの親友、山岸潤史とシルが一緒に来日し演奏したときでした。
シル・ジョンソンと言われても知らない方も多いと思いますが、ソウル、ファンク、ブルーズといった黒人ポピュラー音楽の要素を全て入れ込んで黒人大衆に寄り添う音楽を作ってきた人で、いわゆるストリート感覚のあるミュージシャンでした。だから彼の音楽を聴くと黒人音楽のリアルな本質を知ることができると思います。それで今回と次回の二回シル・ジョンソンの特集をお送りしたいと思います。
最初に70年代の中頃、僕が彼の歌を好きになったきっかけの曲です。シルもステージでよく歌っていた1974年にシングルでリリースされた曲です。
「楽しい時間をみんなで過ごそう。音楽に足を踏み鳴らしワインを飲んで心を自由にしょうよ」という内容。楽しいパーティ・ソングです。

1.Goodie Goodie Good Times / Syl Johnson

途中のブルージーなハーモニカのソロをシル本人が吹いているようにキャリアの出発はブルーズでした。
シルは1936年南部ミシシッピー州の生まれで本名はシルベスター・トンプソン。一番上の兄はブルーズマンのジミー・ジョンソン。そして二つ上の兄がマジック・サムのバンドのベーシストだったマック・トンプソン。本名のトンプソンが嫌いだったのか兄がジョンソンにしたのでシルもジョンソンしてしまったらしいです。実はその兄のジミーが1月に亡くなったのですがまさか翌月に弟のシルが亡くなるとは・・。
1950年にシカゴに引っ越しました。その時に近所に住んでいたのがのちにシカゴ・ブルーズの新しいスターになるマジック・サムで気心が合ったのか二人でよくつるんでいたそうで、サムにギターも教えていたようです。シカゴのライヴ・シーンに二人は同じ時期に登場したのですが、シルは”Teardrops”という曲で59年に歌手デビュー。本人は最初ギタリストとしてやってくつもりだったので歌手デビューとなり少し戸惑ったようです。でもそのデビュー曲は売れず彼はギタリストとしてバックの仕事につきます。当時はジュニア・ウェルズ、ハウリン・ウルフなどのバックをやっています。でも曲を作って自分で歌うというシンガー&ソングライターとして土台を作ることは着々とやっていて67年に”Come On Sock It to Me”という最初のヒットが出ます。

2.Come On Sock It to Me / Syl Johnson

今のSock It To Meという言葉はオーティス・レディングの歌など60年代のソウルの曲によく出てくるのですが、これは「かかってこい」とか「オレを負かしてみろ」とかという意味もあるのですが、ソウルの場合はセクシャルな、性的な言葉で◯◯してくれとか柔らかく言うと抱いてくれという意味です。
そして68年に今のCome On Sock It to Meを入れたファースト・アルバム”Dresses Too Short”がリリース。
そしてこのアルバムの中の曲が20数年経って93年にヒップホップ・グループのウータン・クランにサンプリングされて話題になります。20数年経ってもサンプリングされて使われたということからわかるようにこの歌には黒人の生活の匂いが染み込んでいるのだと思います。

3.Different Strokes/ Syl Johnson

タイトルのDifferent strokesは歌詞の中にもDifferent strokes for different folksと出てくるように「十人十色」まあ「人それぞれ」という意味ですが、strokeというのは船を漕ぐ、水泳でも腕をかくのをストロークといいますが、そこからダンスのパターンにストロークというのもあり、また撫でるという意味もあります。これも黒人らしい英語かも知れません。もし、「なんでブルーズみたいな音楽が好きなの?」って誰かに聞かれたら”Different strokes for different folks”と言ってみてください。

シルは70年代に入るとアル・グリーンやO.V.ライトもいたメンフィスの「ハイ・レコード」と契約して4枚のアルバムをリリースします。
そのハイ・レコード時代にいちばん売れたのが”Take Me To The River”
この曲は同じハイ・レコードのアル・グリーンとギタリストのティニー・ホッジズが作った曲でアル・グリーンの74年の”Explores Your Mind”(イクスプロアズ ユア マインド)いうアルバムに収録されたのですが、なぜかアル・グリーンはシングルではリリースしませんでした。それで翌年75年にシル・ジョンソンがシングル・リリースしてチャートの7位まで上がった曲。

4.Take Me To The River/Syl Johnson

これがシルの一番売れた曲でした。しかし、ハイレコードのイチオシはアル・グリーンで常々アルよりもプッシュされていないと不満のあったシルは80年にハイ・レコードを離れます。まあ、アル・グリーンはヒット曲も多く、「メンフィス・ソウルの貴公子」とも呼ばれ女性人気がすごくあった人ですから、レコード会社がアルに肩入れするのも分かりますけどね。

今日はアフリカン・アメリカンのストリートの匂いを失わなかったシル・ジョンソンのソウルを聞いてもらいましたが、まだまだ彼のいい曲があるのでまた来週シルの曲を聴きます。