2020.08.28 ON AIR

モダン・ゴスペル・カルテットの素晴らしさ/
The Soul StirrersとThe Pilgrim Travelers

Shine On Me/The Soul Stirrers Featuring R.H.Harris (Specialty SPCD-7013-2)

Shine On Me/The Soul Stirrers Featuring R.H.Harris (Specialty SPCD-7013-2)

Walking Rhythm/The Pilgrim Travelers (Specialty CDCHD 463)

Walking Rhythm/The Pilgrim Travelers (Specialty CDCHD 463)

ON AIR LIST
1.By And By/The Soul Stirrers
2.I Have A Right To The Tree Of Life/The Soul Stirrers
3.Shine On Me/The Soul Stirrers
4.Stretch Out/The Pilgrim Travelers
5.Everybody’s Gonna Have A Wonderful Time Up There (Gospel Boogie)/The Pilgrim Travelers

先日、Twitterを通してリスナーの方からゴスペル・カルテットを特集して欲しいというメールをいただきました。リクエストをいただくのは嬉しいです。
今日はまずこの前特集したサム・クックも在籍していたゴスペル・カルテットのパイオニアのグループであるソウル・スターラーズを聞いてみましょう。
サム・クックがスターラーズに加入したのは1951年ですが、その前に在籍していたR.H.ハリスというゴスペル史上に残る偉大なシンガーをリードにしていたスターラーズはサムが加入する前からすでにとても人気のあるグループでした。サムもR.H.ハリスを尊敬し彼の歌い方を研究し、ハリスに直接教えを受けたこともあったようです。ハリスはゴスペルの歌唱においてアドリブを始めるなど画期的なことを成し遂げた人で、ゴスペルを志すシンガーたちに多大な影響を与えました。
ソウル・スターラズのスターラーというのは飲み物を混ぜるマドラーの意味もあるのですが、騒ぎを起こすとか、騒ぎを煽る煽動者という意味もあります。だから「魂を煽動する人たち」という意味で「魂を揺さぶる人たち」という言い方がいいかも知れません。
ゴスペル・カルテットのカルテットというのは歌がベース、バリトン、テナーに分かれてテナーとパリトンはふたりいる場合もあり、ギターが入っているグルーブもあり、リードシンガーがふたりいる場合もあります。大体4人から6人くらいの編成です。1930年代から50年代にかけてたくさんのカルテットが生まれました。
ではアルバム”Shine On”の一曲目に収録されている曲です
「つらい試練がすべての人の中にある。でも、神様が私達を約束の土地へ導いてくださる方法が私達にはわからない。でも神様は導いてくれる。神様にずっと従っていればやがてもっとよくわかるようになるだろう」神様への信仰が揺るぎなければ、やがて約束の地へ私達は行けるだろうという信仰の心を強く持つようにということでしょうね。
1.By And By/The Soul Stirrers

ゴスペル・カルテットは伴奏なしで歌うことが多く、全員のリズム、グルーヴ感が一致することがとても大切です。次の曲など聞いていると違うリズム・パターンが三つ合わさって見事なポリリズムになっています。その中をリードヴォーカルのハリスの歌が自由に空を飛んでいるように聴こえます。こういうアップテンポの曲でのアンサンブルの素晴らしさもスターラズの魅力です。
2.I Have A Right To The Tree Of Life/The Soul Stirrers
スターラズはテキサス出身のグループで結成は1926年でバリトンを歌っているロイ・クレインが自分が行ってた教会の10代の仲間で作ったものです。ゴスペル・カルテットはメンバーがよく変るのですが、この録音の時のスターラーズのメンバーはロイ・クレイン、ポール・フォスター、トーマス・ブラスター、R.Bロビンソン、ジェッシー・ファ-リィそしてR.H.ハリス。彼らはすごく人気があったのでブルーズマンやR&Bのミュージシャンと同じようにツアーをしました。ゴスペルは黒人社会では大きなビジネスになる音楽で、テキサスの片田舎のグルーブだったスターラーズは成功した典型的な例です。
しかしツアーが多過ぎて家庭にいられなかったことを後悔したリードのハリスはスターラーズを辞めてしまい、その後釜に選ばれたのがサム・クックでした。

次の歌はスターラーズのハーモニーの厚さとそれをバックに高音部に舞い上がるハリスの素晴らしいリードの両方聞くことができる名演だと思います。タイトルの”Shine On Me”と言う言葉は、この番組でも何度かON AIRしているブラインド・ウィリー・ジョンソンが歌っているLet Your Light Shine On Me(あなたの光で私を照らしてください)のようにゴスペルにはよく出てくる言葉です。
この歌もドロシー・ノーウッドはじめたくさんのゴスペルシンガーに歌われていますが、僕はこのスターラーズのバージョンがいちばん好きです。
3.Shine On Me/The Soul Stirrers

今日はスターラーズやハリスの影響を受けたカルテットとして同じテキサスで結成されたビルグリム・トラヴェラーズも聞いてみましょう。ビルグリム・トラヴェラーズはテキサス、ヒューストンの教会で結成されたカルテット。ロスに移って1947年にスペシャルティ・レコードと契約してそこから次第に有名になるのですが、そのビルグリム・トラヴェラーズを売り出した時のキャッチコピーが”Walking Rhythm Spirituals,”というもので、この”Walking Rhythm Spirituals,”というのは何かと言うと彼らの足音、つまりストンピング・リズムがレコードに入ってます。ブルーズのジョン・リー・フッカーなんかも足音のリズムを入れてますけどね。
4.Stretch Out/The Pilgrim Travelers ビルグリム・トラヴェラーズ
足音聴こえましたか? このグループはカイロ・ターナーとキース・バーバーというふたりの強力なダブル・リードで人気がありました。
さっきのスターラーズよりちょっとポップなテイストがあるんですが、次の曲などはブルーズというかR&Bのテイストを持っています。歌詞さえ違えばアカペラのコーラスグループです。しかも「ゴスペル・ブギ」なんていうサブ・タイトルが付いています。
5.Everybody’s Gonna Have A Wonderful Time Up There (Gospel Boogie)/The Pilgrim Travelers
ゴスペルもブルーズと同じように奥深い音楽ですが、いまの曲のようなちょっとポップ感のあるところから入ると入りやすいかも知れません。
来週もゴスペル・カルテットをお送りします。

2020.08.21 ON AIR

Ruby Wilson-ビール・ストリートの女王

Ruby Wilson/Ruby Wilson (MARACO/Solid CDSOL-5416)

ON AIR LIST
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
4.Seeing You Again/Ruby Wilson

ブラック・ミュージックの世界にはたくさんの才能のあるシンガーやプレイヤーがいて、アメリカを旅していてフラッと入ったクラブで有名ではないが素晴らしい歌手に出会うことは珍しいことではない。このアルバムを買って初めて聴いた時もそんな気持ちになった。
「ビールストリートの女王」と呼ばれたルビー・ウィルソン。
彼女を代表するアルバムは今日聴いてもらうこの「ルビー・ウィルソン」というデビュー・アルバム。もう一枚ジャズを歌ったソロ・アルバムがあり、いろんなバンドにゲストで入ったアルバムもあるのですが、ルビー・ウィルソンを代表するアルバムはほぼこれ一枚と言ってよいと思う。
このアルバムも僕が買ったのは彼女を知っていたからではなくて、このレコード会社が南部の黒人音楽で有名な「マラコ・レコード」だったからだ。そのマラコ・レコードのアルバムがシリーズで何枚かリリースされた時があり、その中の一枚がこれだった。
アルバムの解説に「ビールストリートの女王」と書いてありどういうことかと思ったら、彼女は70年代からメンフィスのいくつものクラブが軒を並べる有名なビールストリートのいろんな店でで20年以上歌っている歌手だった。70年代にはメンフィスでは誰もが知っている有名な歌手だった。
歌を聴いてもらえばわかりますが、かなり実力のある歌手でなぜ彼女がもっとメジャーなところまで行かなかったのか不思議です。

まずは一曲聴いてみましょう。これはO.V.ライトも歌っている曲で元々はジャッキー・ヴァーデルというゴスペル女性シンガーが作って歌ったものです。
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
“Are You Lonesome”という歌い出しからしてすごくいいですよね。この一曲を聴いただけでもルビー・ウィルソンが相当実力のある歌手だとわかると思います。

ルビー・ウィルソンは1948年テキサスのフォートワース生まれ。南部の多くの子供たちと同じように彼女も小さい頃から綿花畑の綿花を摘む仕事を手伝って育ちました。
お母さんが信仰心の強い人で教会のクワイヤーのリーダーもしていて、ルビーも7才から教会で歌っていたそうです。お母さんはゴスペル以外の音楽は悪魔の音楽と呼んで嫌っていたのですがお父さんはブルーズが好きで、ルビーはお父さんと一緒にブルーズを聴いたりもしていたそうです。
「おかあさんには内緒やで」と言う感じやったんでしょうね。
それで15才の時、彼女の歌声を聴いた有名なゴスペル・シンガーのシャーリー・シーザーが彼女のバックコーラスに誘い、しばらくシャーリーのバックを務めたあとシカゴの教会のクワイアーのディレクターになります。そのあと一旦テキサスに戻って、このあたりからジャズを歌い始めてます。
そして、72年24才の時にメンフィスに移り住んでなぜか幼稚園の先生になります。結婚でもしたんでしょうか(彼女は生涯に4回結婚しています)でも、幼稚園の先生しながらメンフィスのビールストリートというクラブが立ち並ぶ繁華街のクラブで歌い始めます。やっぱり歌はやめられなかったんですね。
この頃からビール・ストリートで有名になっていったんでしょうね。
これくらい実力があるルビー・ウィルソンが20代半ばになる頃までにメジャー・デビューがなかったのが不思議に思います。

実はこのアルバムの一曲目から三曲目までがディスコ・テイストの曲ですが、当時のブラック・ミュージックの流れでこういう感じになったと思います。
一曲聴いてみましょう。
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson

まあ、悪くはないんですが、なんかもうひとつ特徴がないんですよね。70年代中頃から80年代にこういうリズムで、こういうサウンドで作られた曲がたくさんあって、この曲もなんかもうひとつひっかかりがないと言うか・・・。
ルビーは76年にマラコレコードと契約するのですが、この「ルビー・ウィルソン」というアルバムがリリースされたのは81年。5年くらい経っているのはなぜかよくわかりませんが、たぶんシングルはポツポツと出していたんでしょう。
次の曲も一曲目と同じバラードの曲ですが、これはマイケル・ジョンソンという白人のシンガーが1978年にヒットさせた曲。マイケル・ジョンソンは60年代にカントリー・フォーク・シンガーで登場してその頃はジョン・デンバーと一緒に活動していました。70年代の終わり頃にはボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのようなAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)シンガー風になった人ですが、僕はその頃に聴いたような覚えがあります。曲もいいし、ルビー・ウィルソンの歌もいいです。
「あなたが去ってしまった後、たくさん読書ができるようになり、あなたが去ったあとたくさん眠れるようになった。あなたがいなくなった時物事が簡単に進むようになった。人生はそよ風のようだと想い僕は喜んだんだ。けれど、ブルーな気持ちはもっとブルーになり、悲しみはもっと悲しくなっていく。この空になった部屋のたったひとつの光があなただった・・」恋人と別れて自由な気分を最初は味わっていたけれど、次第に恋人を失くした悲しみを深く感じるという歌です。
いい歌詞です。
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
ちょっとグラディス・ナイトを想い出させるんですよね、
本当にすごくいい歌手なのになんでもっとアルバムが出なかったんでしょう。
音楽の世界は実力があっても必ずしも売れるわけではないんですが・・・
彼女は2009年に脳卒中を煩いしばらく喋れなくなったけど、その後リハビリに励んで歌を歌えるところまで回復したんですが、2009年に今度は心臓麻痺になり68才で亡くなっています。メンフィスのビールストリートのクラブにふらっと入って、こんな素晴らしい歌手が歌っていたら嬉しいですよね。
彼女はどんな想いの人生だったんでしょう。
最初の曲名が.Why Not Give Me a Chanceでしたが、あまりチャンスをもらえなかったのか。それともそんなに欲がなくてメンフィスで歌っているだけで充分だったのか。
彼女は子供が四人いて、孫が12人いてひ孫が5人いるんです。それだけで幸せだったのかも知れないですよね。
シンガーやミュージシャンはみんな有名になりたいという気持ちがないわけではないし、お金を稼ぎたいという気持ちもないわけではないけど、生活できれば無理しないでこんな感じで好きな歌が歌いつづけられればいいというシンガー、ミュージシャンもたくさんいると思います。
先週、先々週ON AIRしたビル・ウィザースのようにすごく売れたけど、いろいろ指図されるショービジネスの世界がイヤになってミュージック・シーンから去ってしまう人もいるんですね。
ひょっとするとルビー・ウィルソンは家庭があって子供がいて住んでいるメンフィスで歌っているだけで幸せだったのかもしれません。
もう一曲
4.Seeing You Again/Ruby Wilson

2020.08.14 ON AIR

追悼ビル・ウィザース-2

LEAN ON ME:The Best Of Bill Withers(CK 52924)

LEAN ON ME:The Best Of Bill Withers(CK 52924)

 

Bill Withers Greatest Hits (CBS/Sony 32DP 883)

Bill Withers Greatest Hits (CBS/Sony 32DP 883)

ON AIR LIST
1.Kissing My Love/Bill Withers
2.Who Is He (And What Is He To You?)
3.Lovely Days/Bill Withers
4.Just The Two Of Us/Bill Withers

偉大なソウルのシンガー・ソングライター、ビル・ウィザースの訃報が3/30に流れ世界中の多くの人たちがSNSなどにお悔やみのメッセージを出しました。ビルはすでに音楽業界からリタイアして30年以上経っています。それでも彼の歌を愛する人たちが本当にたくさんいることを改めて知りました。

1985年『ウォッチング・ユー・ウォッチング・ミー』というアルバムが最後でした。でも、正式な引退宣言みたいなことがなかったので彼はまた曲を作って歌ってくれるのではないかという希望を多くのファンが持っていました。でも、それは結局叶いませんでした。これだけ才能も人気もある人がなぜ黙って引退してしまったのか・・・今日はちょっとそれに触れてみようと思います。

70年代最初にデビューしてから75年までの五年間ですでに彼の名前はしっかりソウル・ミュージック残るほどの功績を作っていました。

先週聴いた”Use Me” “Lean On Me” “Ain’t No Sunshine”などはソウルの名曲であり、彼の真摯な歌とステージに黒人白人問わず共感する人はふえていました。

1972 年にサセックスレコードからリリースされ翌73年にR&Bチャート12位まで上がったこの曲も素晴らしい。

いま聴いても古く感じない人間のぬくもりのあるファンク・ソウルです。

1.Kissing My Love/Bill Withers

次の曲もファンクの匂いがするんですが、James BrownともSly&The Family Stoneとも違うファンクになってます。何が違うのかと言えば、スライはロックテイストがありファンクロック的で、ジェイムズ・ブラウンは土着的、アーシーでグルーヴ命ですがビルの歌にはシャウトなどはなく内側から熱くなっていく感じなんですね。彼にとっては歌詞を聴かせることもすごく大切な要素だったと思います。

当時、ダニー・ハサウェイやロバータ・フラックといった内省的な歌や社会、政治的な歌を歌うニューソウルと呼ばれたソウルシンガーたちもいましたが、彼らともカラーが違うどこにも属さないような存在がビルでした。

2.Who Is He (And What Is He To You?)

プロデュースのクレジットにはビル・ウィザースとともにキーボードのレイ・ジャクソン、ドラムのジェイムズ・ギャドソンなどの名前が記されています。

つまり先週聴いてもらったビルのカーネギーホールでのライヴのメンバーです。そのメンバーがそのままプロデュースのクレジットに名前があるということは、バック・ミュージシャンというより同じバンドのメンバーという気持ちだったのではと思います。レコーディングもライヴも一緒にやっていてテレビの音楽番組に出ていました。ビルを中心として何か強い結束があったように感じます。

ところが1975年にサセックスレコードが倒産して、ビルは大手レコード会社のCBSコロンビアに移籍します。そこから毎年一枚ずつ78年まで順調に4枚のアルバムをリリースします。しかし、そこにはドラムのジェイムズ・ギャドソンの名前はもうありませんでした。録音はレコード会社が用意したスタジオ・ミュージシャンになっていました。

そして、78年以降レコード会社の担当になった者がまったくダメな男でビルに「君の作っている曲は好きではないし、黒人の音楽も好きじゃない」と言う奴でした。

この男になってからビルは他のシンガーのカバーを歌えと言われたり、もっとダンサブルな曲を録音しろと言われたりしてレコード会社側とギクシャクし始めます。

次第に録音が減っていき84年の”Watching You Watching Me”を最後にレコーディングしなくなりました。

次のような素晴らしい曲を作れて歌える人が音楽から遠ざかってしまうほど、彼は嫌になってしまったんですね。

「君を見るだけでいい日になるんだ、君を少し見るだけで素敵な日になるんだ」

3.Lovely Days/Bill Withers

いまの歌もそうですが、ビルは平凡な静かな生活の中にある光景を歌にするのがうまいです。

ビルの歌には素朴さがあり歌のテクニックがどうのこうのということではないんです。歌っていることも自分の身の回りのことで、そういうところがブルーズと似ているところがあるのかも知れません。初めて聴いた時に僕がすっと彼の歌に入り込めたのもそこかも知れません。

次は1980年のリリースですが、この曲も当時ディスコやソウル・バーでよく流れていました。R&Bチャートで3位、ポップチャートで2位ですから大ヒットです。サックス・プレイヤーのグローバー・ワシントン.Jr.のアルバム「ワインライト」のゲストで歌った曲です。

この1980年はブルーズ・ブラザーズの映画が公開されて、ロバート・クレイがデビューした頃でブルーズも少し活気が戻った頃でしたが、ブラックミュージックの大きな流れはプリンス、マイケル・ジャクソンが中心でダンサブルな音楽が流行っていく中で「おお、ビル・ウィザースがんばってる」と僕は思ってました。大好きな曲です。「君とふたりだけで一緒にいたい。幸せになりたい」

4.Just The Two Of Us/Bill Withers

いまの曲の邦題が「クリスタルの恋人たち」でしたが、ちょうどこの80年に作家田中康夫さんの「なんとなくクリスタル」がすごく売れていてそこからレコード会社がつけたのでしょうが、なんだかな・・な邦題です。

14年間のメジャー・シーンの活動でアルバムはライヴ盤を含めて9枚。まだまだ音楽活動が出来たのに彼は音楽シーンが嫌になってしまったのです。ツアーに出るのもあまり好きではなかったということです。彼は自分の身の丈の音楽をやりたかっただけで、スーパースターになりたいとかすごい金持ちになりたいと思っていたわけではなかったと思います。85年に隠居状態に入る頃にはそこそこお金の蓄えもあって、うつつましく生活していけば大丈夫だったんでしょう。ファンにとってはとても残念ですが、彼は自分の意見がわかってもらえない人たちと音楽を作って行く気にはなれなかったのでしょう。彼はその後の生活に満足していたし、もう一度音楽のショービジネスに戻りたいとも思わなかったのでしょう。

そのあたりは彼が引退してから出た”Still Bill”というドキュメントDVDを見るとわかります。

2020.08.07 ON AIR

追悼ビル・ウィザース-1

Bill Withers Live At Carnegie Hall(SUSSEX SXBS7025-2)

ON AIR LIST
1.Use Me/Bill Withers
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
4.Lean On Me/Bill Withers

3月30日にビル・ウィザースが81才で天国に召されました。ON AIRが遅れてしまいましたが、今日と次回はビル・ウィザースの追悼特集。
ビル・ウィザースを知らない方でも今日このON AIRを聴けば「ああ、知ってる・・」と、どこかで聴いたことを想い出されるかも知れない。映画やドラマ、CMなどに何度も使われ、いままたコロナウィルスの感染が広がり人々の心が支えを必要とする時、彼の歌が再び歌われています。
そして、今日初めて聴く方の心にはきっと彼の歌が残ると思います。
ビル・ウィザースはソウルのカテゴリーに入るシンガーですが、普通のソウルシンガーとちょっと違ってます。そのことは追々話します。そして、彼はとても優れたソングライターでもあります。
僕は1973年か74年頃に彼のライヴ・アルバムを聴いたのが最初でした。このライヴのビルの歌がすごくストレートで飾り気がなく、それでいて力強く誠実な感じがしました。彼と一体となったバックのミュージシャンたちのグルーヴ感も素晴らしく、彼の歌に寄り添ったバッキングはヴォーカル・ミュージックの演奏の優れたお手本です。録音されたのは1972年ですがリリースは1973年「Live At Carnegie Hall」からまず一曲
「オマエはあの女に使われて利用されているだけだと友達が言うけど、わかってるんだ利用されているのはとことん利用してくれ。オレを使いつづければいいさ。でも、使われながら結局はオレもオマエを使ってるんだけどね。」
1.Use Me/Bill Withers
1972年ビルボード・チャートの2位まで上がったヒットでした。この曲は二枚組のアルバムの1曲目ですが、とにかく印象に残るリズム・パターンが始まり強烈なリズムのグルーヴと歌に対してムダのない的確なサウンドを出しています。バック・ミュージシャンが、ドラムのジェイムズ・ギャドソン、ギターのバーノース・ブラックマン、ベースがメルヴィン・ダンロップ、ピアノとアレンジも担当したレイ・ジャクソンこの頃この4人がビル・ウィザースのバンドとしていつも活動していたことで息もぴったりです。
ビルの作る曲は次の曲でもわかるようにストレートで、素朴な感じの中に独特の叙情を感じさせます。だからあまり余計な音作りとか大げさなアレンジは必要なく曲そのものが生かされた作りになっています。
いまのUse Meが彼にとって二曲目のヒットでしたが最初のヒットがブルーズ・テイスト溢れる次の曲
デビューの2曲目でした。1971年
「彼女がいなくなってしまって太陽が消えたようだ。暖かさもなくなり、この家は家庭ではなくなってしまった。毎日は暗闇だ」
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
チャートの3位まであがり、アーロン・ネヴィルほかたくさんのカバーがあります。
デビュー二曲目が3位、三曲目が2位とすごく順調でした。
このライヴがいかに素晴らしかったかは最後まで聞くとわかりますが、ビル自身もアルバムのライナーに「決して忘れることができないだろう」と書いてます。

ビルは1938年ウエストバージニアに生まれ、お父さんは炭坑で働く労働者でした。小さい頃、彼は吃音(どもり)で苦労したそうです。そう言えばB.B.キングも小さい頃吃音でした。ビル・ウィザースは高校卒業後に軍隊に入って軍隊を出たあとにロスにやってきて飛行機にトレイを設置する仕事をしていました。ビルはミュージシャンになろうとは思っていなくて、本当にフツーに仕事をする黒人の若者だったわけです。その頃、たまたまクラブに遊びに行った時に歌っていたのがルー・ロウルズだったそうです。ルー・ロウルズはサム・クックの弟分のような存在でやはり早くから歌の上手さは評判でした。まあ、ジャズもブルーズもソウルっぽいものも歌えるシンガーで日本では人気がでませんが、アメリカのショービズ界では高いステイタスのあるシンガーです。そのロウルズが女性にすごくモテているのを見てビルはオレもあんな風にモテたいと思いシンガーになる決心をしたらしいです。意外と軟弱な考えやったのですね。それでデモテープを作ってレコード会社に送ったらサセックス・レコードというレコード会社がやろうと言うことになりデビューです。最初の曲はヒットしなかったのですが、ヒットしたのがいまのAin’t No Sunshine。その勢いでアルバム”Just As I Am”をつくります。33才のデビューですから遅い方です。
実は高校生の頃の友達が白人と黒人といて音楽的にフォークっぽいところは白人の影響を受け、もちろんR&Bをはじめとする黒人音楽も聴いてはいたのでしょう。
次の曲なんかもフォークっぽいです。「おばあちゃんの手、おばあちゃんは日曜の朝の教会で手を叩いていた。おばあちゃんはタンバリンを叩くのが上手だった。僕が走るのをそんなに早くは知ると危ないよとその手で止めてくれた。おばあちゃんの手は悲しむ人をなだめて、その顔を包み込んだ。僕が転ぶと起こしてくれたおばあちゃんの手・・・」と優しかったおばあちゃんの想い出を歌った歌です。
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
60年代後半から70年代初中期、マービン・ゲイやスティービー・ワンダーそしてカーティス・メイフィールドが自分の政治や社会に対する意志表示を音楽でするようになり、その後にロバータ・フラックやダニー・ハサウェイなど当時の新人が表れてニュー・ソウルと呼ばれました。そのムーヴメントは非常に活気のあるもので黒人のソウル・ミュージックに新しい時代が来たことを表してました。その中で登場してきたのがビル・ウィザースでしたが、黒人なのにちょっと違うテイストを感じさせたのはたぶんいまのようなフォークテイストがあったからだと思います。
マービン・ゲイやスティービー・ワンダーがやはり黒人をすごく感じさせるのにビルはちょっと違いました。
つぎの曲はゴスペルのテイストがあるやはりビルならではの曲です。
「心が弱った時には僕を便りにしてくれ、僕は君の友達なのだから君を助けるし、僕も君に助けてもらうこともあるだろう。私たちはみんな頼る誰かが必要なんだよ。だから僕を頼って」
4.Lean On Me/Bill Withers
誠実な人柄をビルの歌から感じる人は多いと思います。このカーネギー・ホールのライヴもすごく熱いんですが、大騒ぎしているわけではないんですよ。ビルやミュージシャンのソウルと聴衆のソウルが一体になっているというか、レコードに二枚組なんですが聴き終わるとレコードを聴いている自分もすごく心が熱くなっているのがわかります。
ビル自身が決して忘れることのないライヴと言ったソウルの名盤のひとつがこのビル・ウィザースのカーネギー・ホール・ライヴです。
是非ゲットしてください。
85年までに8枚のアルバムを残してビルは音楽シーンから引退してしまいます。それから先日亡くなるまで一度も彼は復帰しませんでした。これだけ才能のあるミュージシャンがなぜ・・・それはまた来週、まだまだある彼の名曲を聴きながら話ましょう。