2022.07.29 ON AIR

ミシシッピ・デルタ・ブルーズの偉人、ブッカ・ホワイトの波乱万丈の人生

Parchment Farm/Bukka White (SONY SRCS 7392)
Live Cafe Au Go Go 1965/Bukka White & Skip James(Rock Beat ROC CD 3251)

ON AIR LIST
1.Shak’em On Down / Bukka White
2.Good Gin Blues / Bukka White
3.Fixin’ To Die Blues/Bukka White
4.Bukka’s Jitterbug Swing/Bukka White
5.Parchman Farm Blues/Bukka White

ここのところ当番組ではココモ・アーノルド、ミシシッピ・ジョン・ハートと弾き語りのブルーズマンをON AIRしていますが、ブルーズの原点である戦前の弾き語りブルーズが最近マイ・ブームです。それで今日はチャーリー・パットン、サン・ハウスと並ぶミシシッピ・デルタブルーズの偉人、ブッカ・ホワイト。
ブッカ・ホワイト、写真を見ると顔は怖いです。もし会ったらこちらからは話しかけられないと思います。なんせボクサーだったこともある人だし、恨みを持っていた奴に待ち伏せされたけど逆にピストルをぶっ放してそいつの膝を撃ち抜いてしばらく刑務所にいたこともある人です。でもこういう強面の人の方が優しかったりするんですがね。
前回、前々回のココモ・アーノルド、ミシシッピ・ジョン・ハートと同じで30年代あたりに活躍したブッカ・ホワイトも時代の流れとともにギターを弾いて歌う生活ができなくなり、音楽シーンから姿を消してしまった人です。しかし50年代の終わりから白人を中心に起こったフォーク・ブルーズのブームで、ココモやジョン・ハートと同じように「あの人は今?」とその所在を探されて「再発見」されることになったブッカ・ホワイト。

まずは1937年に「ヴォカリオン・レコード」に録音したブッカ・ホワイトといえばこれという曲。のちに同じミシシッピの後輩、フレッド・マクダウェル、ビッグ・ビル・ブルーンジーなどにも歌い継がれた名曲
「今夜は夜明けまで盛り上がろうぜ」という パーティ・ソングでブッカの一番売れた曲でもあります。

1.Shak’em On Down / Bukka White

もう1人ギターがいますが名前が記載されていません。リズムは力強くステディに刻まれていて、こういう曲で南部の黒人たちが踊っている光景を思い描くことができる。1930年にビクター・レコードに初録音したブッカは金属製のリゾネーター・ギターでスライド奏法を駆使して豪快なブルーズを歌い人気になりました。
この映像見てください。最高です→https://www.youtube.com/watch?v=1yMEVc_074o
彼は体も大きくて大酒飲みだったようです。次の歌は”Good Morning,Friend,I Want Me A Drink Of Gin”「おはよう、ジンを飲みたいよ」と始まる朝酒のブルーズ。「ジンを飲むことは罪だったわかっているけどジンは旨いからね・・」と、酒をやめられない感じが歌に出ています。

2.Good Gin Blues / Bukka White

若い頃、同じミシシッピの先輩ブルーズマン、チャーリー・パットンを見て大きな影響を受けたブッカは貨物列車に乗ってパットンのように演奏をしながら放浪を続けました。その間、金を稼ぐためにプロ野球の黒人リーグのピッチャーをやったこともあれば、プロ・ボクサーとしてリングに上がったこともあります。前にココモ・アーノルドが禁酒法の時代に密造酒を作って売っていてブルーズを歌うのは二の次だった話をしましたが、音楽をやってお金を稼ぐことが難しい時には何か他にお金になることをやらなければいけない。それがプロ・ボクサーだったのでしょう。
次の歌はボブ・ディランがデビュー・アルバムでカバーしていることでも有名です。「いずれは死ぬ運命だが、泣いている子供を置いていくのは嫌だな」と歌っている。ブッカは友達の死に遭遇したときにこのブルーズを作ったと言われています。

3.Fixin’ To Die Blues/Bukka White

ブッカ・ホワイトやロバート・ジョンソン、チャーリー・パットンといった放浪のブルーズマンたちは街から街、村から村を転々と渡り歩いて歌い過ごしたわけですが、すごく自由だけど孤独でしかもトラブルや危険に晒されているわけで、そういう中で培われていく精神というのはどんなものなんだろうと思います。その日、その夜楽しければそれでいいやと思いつつも、今の歌のように自分がいつかどこかで野垂れ死ぬことがやはり頭を過ぎるのでしょうか。

次はブッカの素晴らしいリズムのグルーヴが味わえる一曲。「ブッカズ・ジタバグ・スイング」というタイトルですが、Jitterbugとはいわゆるダンスのジルバのことです。「そこのお姉ちゃんたち、ジルバ・スイングで一緒に踊ろうよ」というダンスナンバーですが、なぜか”You Women Workin’ On My Nerves”お前ら女どもは俺をいらだたせると歌ってますが、なかなか思い通りに自分のものにならない女性たちにイライラしてるようです。

4.Bukka’s Jitterbug Swing/Bukka White

次の曲もブッカの代表的な一曲で、正当防衛やったらしいんですがピストルを撃って刑務所に入ったブッカはその刑務所、パーチマン刑務所のことを歌っています。「刑務所に入れられてしまった。最悪の生活やないんやけど嫁さんに会いたいなぁ」と一番で歌ってるんですが、二番で「グッバイ、ワイフ」と歌っているから別れたんですね。たぶん嫁さんは逃げたんですね。そして負け惜しみみたいに「いつの日にか俺の寂しい歌がお前に聞こえるやろ」と歌ってます。

5.Parchman Farm Blues/Bukka White

若い頃は放浪をしてボクサーをやったりいろんな仕事をして、刑務所に入ったこともありまさに波乱万丈の一生ですが、1963年に再発見された時は工場労働者として働いていたそうです。カムバックしてからはコーヒー・ショップやフォークコンサートに出たり主に白人の若者の前で演奏しました。ギターを叩くように弾く演奏スタイルも変わることなく人気を呼び、アーフリーレコードからアルバムも出していい晩年を迎えたのではないでしょうか。
1977年にメンフィスで67歳で亡くなりました。。

実はいとこであるB.B.キングがまだ駆け出しの頃、ブッカを訪ねていきスライド・ギターを教えてもらったがB.B.はスライド奏法をものにできず、スライドの代わりにギターの弦をビブラートさせることでスライドの感じを出そうとしたことは有名な話。B.B.の美しいビブラート奏法はブッカ・ホワイトなくして生まれなかったという話。

2022.07.22 ON AIR

心温まる永遠のソングスター、ミシシッピ・ジョン・ハート

The Best Of Mississippi John Hurt/ Mississippi John Hurt (Vanguard)
Mississippi John Hurt (Okeh / P-Vine)

ON AIR LIST
1.Coffee Blues / Mississippi John Hurt
2.Candy Man Blues / Mississippi John Hurt
3.I Shall Not Be Moved/ Mississippi John Hurt
4.Avalon Blues/ Mississippi John Hurt
5.You Are My Sunshine/Mississippi John Hurt

少し前にライ・クーダーとタージ・マハールのフォーク・ブルーズ系の新譜を紹介しましたが、フォーク・ブルーズ・ブームと言えば・・・と思い、今日はその代表的なシンガー、ミシシッピ・ジョン・ハートを聞きます。
私は10代だった60年代、ビートルズやストーンズが好きでフォークはそんなに好きというわけではなかったのですが、PPM(ピーター、ポール&マリー)やジョーン・バエズなど少しは聞いていました。フォーク・ブルーズのことも黒人ブルーズを知ってから聴き始めたわけです。だからミシシッピ・ジョン・ハートも70年代に入ってから聴き始めました。
ミシシッピー・ジョン・ハートは日本ではブルーズのファンよりフォーク・ファンに人気があり、日本のフォーク・シンガーの中には自分なりの日本語に訳して彼の曲を歌う人もいた。その中でよく知られているのが高田渡さんが日本語にして歌った「コーヒー・ブルーズ」
ジョン・ハートが1963年に発表した曲。
高田渡さんはオリジナルとは全く違う自分の詞で「三条へ行かなくちゃ。三条堺町のイノダっていうコーヒー屋にね。あの娘に会いに・・」と歌いましたが、ミシシッピ・ジョン・ハートのオリジナルは「マックスウェル・ハウスという珈琲が好きでね。最後の一滴まで旨いんだ」という語りから彼女が淹れてくれた珈琲は美味しかったけど彼女はもう行ってしまったと続きます。

1.Coffee Blues / Mississippi John Hurt

旨い珈琲の味わいのように深く優しい気持ちにさせてくれるジョン・ハートの歌に癒される人も多いと思います。

ジョン・ハートは1928年に「オーケーレコード」に20曲を録音したのですがあまり売れなくて彼はまた畑仕事に戻り農夫として生きていました。それが50年代の終わりにフォーク・ブルーズ・ブームが起きて、民族音楽の研究家たちによって1963年にミシシッピで再発見されました。30年代に活躍し、その後消息を行方がわからなくなり、60年代に再発見されたブルーズマンの中には、サン・ハウスのようにすでにギターも持っていなくて演奏から遠ざかっていた者も多かったのですが、ジョン・ハートは仕事の合間にギターを弾き歌っていたらしく演奏の腕前は落ちていなかったそうです。一曲目に聞いてもらったCoffee Bluesは再発見後の60年代の録音ですが、全く遜色はない演奏です。
では、1928年の初録音から一曲。
曲名は”Candy Man Blues” 「女性の皆さん、集まってください。とってもスウィートなキャンディ・マンが街にやってきたよ」と始まる歌ですが、キャンディ・マンとは女性を夢中にさせる、セックスアピールもあるイケメンの男のことです。でも、ジョン・ハートが歌うといやらしくなく、つい笑ってしまう感じになります。

2.Candy Man Blues / Mississippi John Hurt

ジョン・ハートの曲はロバート・ジョンソンのようなブルーズとは違うテイストですが、これもブルーズ。でも彼はブルーズマンと呼ばれるタイプではなく、「ソング・スター」と呼ばれるタイプのミュージシャンでブルーズだけでなく、スビリチュアルズやゴスペル、黒人のフォークソングなど幅広く歌うシンガーです。つまり、1920、30年代のミシシッピーで黒人たちが愛聴していた音楽はブルーズだけではなくもっと幅広かったということです。
次は黒人のスビリチュアル・ソングであり公民権運動の際にプロテスト・ソングとしても歌われた曲。公民権運動の時はIではなくWe が主語でWe Shall Not Be Movedと歌われていた。要するに「私たちは権力に何をされても揺るがない、私たちの意思は変わらない」と歌っていたのです。

3.I Shall Not Be Moved/ Mississippi John Hurt

この歌は今もメイヴィス・ステイプルズなどによって歌われ続けています。

ジョン・ハートがミシシッピに引っ込んで行方知れずになっていた時、見つけた民族音楽研究家は次の歌を頼りに探しに行ったと言います。「アヴァロン・ブルーズ」というのですが、アヴァロンというのは彼の故郷です。それでひょっとしたらアヴァロンに帰っているのでは・・・と探しに行ったらいたんですね。

4.Avalon Blues/ Mississippi John Hurt

ジョン・ハートは黒人も白人も乗り越えて、音楽のジャンルも乗り越えてたくさんの人たちにアメリカの民族音楽、伝承音楽の素晴らしさを伝えた人です。
次の歌もアメリカのポピュラーなフォークソングでラジオを聴いている皆さんの中で知ってる人もいるでしょう。

5.You Are My Sunshine/Mississippi John Hurt

ミシシッピ・ジョン・ハートが最も活動したのは1963年に見つけられ1966年に74歳で亡くなるまでの晩年のたった3年半。彼は何枚かアルバムを残しいろんなコンサートやイベントにも出演してたくさんの人たちに暖かく迎えられて幸せな晩年だったのではないでしょうか。今聞いても、いや今だからこそ彼の温かい歌声と軽やかなフィンガー・ピッキングのギターは一層私たちの心に入ってくる気がする。2001年にはタージ・マハール、ルシンダ・ウィリアムス、ジョン・ハイアットなどによって”Avalon Blues A Tribute To The Music Of Mississippi John Hurt”というトリビュート・アルバムがリリースされたように、今だにジョン・ハートは多くの人々に愛されています。この夏、偉大なソングスター、ミシシッピ・ジョン・ハート、アルバムを一枚買ってみてはどうでしょうか。

2022.07.15 ON AIR

ブルーズマン、ココモ・アーノルドはどんな男だったのだろう

Old Original Kokomo Blues/Kokomo Arnold(Decca / P-Vine)

ON AIR LIST
1.Milk Cow Blues/Kokomo Arnold
2.Old Original Kokomo Blues/Kokomo Arnold
3.Busy Bootin’/Kokomo Arnold
4.Keep A Knockin’/Little Richard
5.Big Leg Mama (John Rusell Blues)/Kokomo Arnold

アルバムのジャケット写真を見ながら遠い昔のミュージシャンの歌を聴いている時、「この人はどんな人だったのだろう」と思うことはないですか。
30年代に活躍したココモ・アーノルド、本名はジェイムズ・アーノルド。1901年にジョージア州のラブジョイという街に生まれ、1968年にシカゴでその生涯を終えたココモ・アーノルドというブルーズマンの67才の人生はどんなものだったのだろう。大股を開き微笑みながらウィスキーをボトルごと呑む彼のジャケット写真を見て、そして彼のパワフルでストレートな歌いっぷりを聴いているうちにこの男のことを知りたくなった。
ココモという言葉は20世紀はじめアメリカでは珈琲の有名な銘柄の一つだったらしいが、彼の名前の由来は自分の曲”Old Original Kokomo Blues”が売れたことからココモと名乗るようになったという。
20才過ぎにニューヨークへ移り住んだ頃の彼の職業は”bootlegger”、つまり密造酒作りであり、音楽をやるのは二の次だった。当時は1920年から33年まで禁酒法が施行されていて酒の製造や販売が禁止されていた。禁止されていたので密造酒の販売は商売になったのだが1933年に禁酒法がなくなってしまう。つまり酒は正規に普通に手に入るようになってしまってココモは商売にならなくなった。それでココモはブルーズマンとなって音楽で生きていくことにしたわけ。才能もあったので34年にデッカ・レコードに初めてレコーディング。シカゴやニューヨークで活動。つまり彼は南部の弾き語りブルーズマンとは違う都会の弾き語りブルーズマンだった。
都会的な香りがするかどうか、まず一曲聞いてみよう。初レコーディングは1930年にしているが本格的なブルーズマンとしての録音は1934年デッカ・レコードから始まった。スライドギターを弾きながら歌った”Milk Cow Blues”と”Old Original Kokomo Blues”がヒットしたということだが、1934年にヒットと言われたものが、どのくらいの販売枚数だったのかはわからない。
1930年代のシカゴのブルーズとは少し違う個性的なスタイルで同じようなブルーズマンを探してもいないと思う。彼は膝の上にギターを置いてスライド・バーで弦をこするいわゆるラップ・スティール奏法なのだが、リズムがいいことがわかる。そして元気で豪快な歌にはファンキーさも感じられる。こういうタイプのブルーズマンはいそうでいない。

1.Milk Cow Blues/Kokomo Arnold

次の曲もそうだがとても自由な感じが伝わってくる演奏。ギターで早い三連符を弾くところなど素晴らしいスピード感で、そういうことしをしてもリズムが崩れない。次の曲をブルーズが好きな人なら「どっかで聞いたことある曲」と思うはず。実はブルーズのスタンダード中のスタンダード”Sweet Home Chicago”の一節と同じメロディと歌詞が出てくる。これは”Sweet Home Chicago”を作ったロバートジョンソンが、今から聞いてもらうココモの”Old Original Kokomo Blues”を元に作ったからだ。つまりココモのこの曲がなければあの大ブルーズ・スタンダードとなったSweet Home Chicagoは生まれなかったわけだ。しかし、さらにこの曲の元ネタがあり、それはシティ・ブルーズのリロイ・カーのギタリストとして名を馳せたスクラッパー・ブラックウェルの”Kokomo Blues”から来ている。ブルーズが伝承音楽であると言う証だ。

2.Old Original Kokomo Blues/Kokomo Arnold

ココモは1934年から1938年に渡って80曲以上レコーディングしたという。その最後のレコーディングから3年後41年にはミュージシャン生活から足を洗い音楽シーンから姿を消した。工場で働いていたらしいが何をやっていたのかはっきりはわからない。もう自分のやっている音楽が流行らなくなり、金にならなくなったので他の仕事に移ったのだろう。そして20年後1959年にブルーズ研究家によってシカゴで見つけられたが、本人はもうギターも持っていなくて復帰してくれないかという依頼に「6000ドル出したら録音してやる」と法外なギャラを要求した。そしてインタビューにも何も答えなかったという。つまり彼にとって音楽はもう終わったことだったのだろう。音楽をやることは今の時代のように自分の思いや主張を伝えるためではなく、彼にとってはまず金になる仕事だったのかも知れない。つまりお金にならないようなことはもうしないということなのだ。だからやめることに格別未練はなかったのではないかと思う。しかし、こうして残された音源を聴くと67才まで生きていたのだからもう少し残して欲しかったと思う。

次の曲を「あっ、これ知ってる」と思った方はロックンロール好きの人。元々は1928年にボブ・コールというピアニストをバックにジェイムズ・ウィギンスというシンガーが録音した”Keep A Knockin’ An You Can’t Get In”という曲をココモが自作に作り変えた曲です。さて、ココモの後に誰が歌ってロックンロールにしたものか・・すでにヒントは出てますが。メロディと歌詞をよく聞いてください。正解はこの曲の後に。

3.Busy Bootin’/Kokomo Arnold

4.Keep A Knockin’/Little Richard (Cut Out)

これは1957年にリトル・リチャードが大ヒットさせたR&R”Keep A-Knockin’”。オリジナルが作られて30年後、ココモが歌って22年後にリトル・リチャードが改作してR&Bチャート2位まで上がりR&Rの名作となった。こういう黒人音楽の歴史、継承を知ると私は胸が高鳴ります。
ココモにはいろんなパターンの曲があるが、やはりスピード感のあるアップテンポの曲が彼の大きな持ち味ではないかと思う。リズムの素晴らしさでは30年代の弾き語りブルーズマンの中でもピカイチ。ちょっと他では聞けない高揚感と開放感に溢れている。

5.Big Leg Mama (John Rusell Blues)/Kokomo Arnold

カッコイイ!
サブ・タイトルにJohn Rusell Bluesと付いてますが、歌詞の中にこの人の名前が出てきます。
今の曲にはファンク・ミュージックにつながっていくビート感覚を感じる。ココモは1968年まで生きたのだから当然ジェイムズ・ブラウンなどのファンクの誕生も知っていたと思うし、その流れの中に入ってもうまくやっていけた人だったのではないかと大胆な推理をしてみたくなる。
音楽シーンから離れてしまったために彼の晩年がどんな風だったかはわからない。工場労働者として働いていたという話だが68年に心臓発作で亡くなっている。

1930年代ココモ・アーノルドというとても魅力的な、才能もあったブルーズマンがどんな気持ちでブルーズを歌っていたのか、ただの金稼ぎだったのか、何か想いはあったのか。わからないことが多いけれど、こうして彼のアルバムを聴いて彼が大股を開いてウィスキーをボトルごと飲んで笑っている写真を見るたびに「ああ、この男に会ってみたかった。歌を生で聞いてみたかった」と思う。
今日もリモート録音でお送りしました。

2022.07.08ON AIR

メンフィス・ソウル・クイーン、アン・ピーブルズの92年のライヴ・アルバムがリリース!

Ann Peebles & Hi Rhythm Section Live In Memphis(Memphis International Records MIR 2038)

ON AIR LIST
1.Part Time Love /Ann Peebles
2.Didn’t We Do It / Ann Peebles
3.I Feel Like Breaking Up Somebody’s Home Tonight / Ann Peebles
4.I Can’t Stand The Rain / Ann Peebles

この番組で何回かON AIRしている女性ソウル・シンガー、アン・ピーブルズの地元メンフィスのホテルで1992年に行われたライヴ録音”Live In Memphis”がリリースされました。
アン・ピーブルズは70年代に「メンフィスのソウル・クイーン」と呼ばれた人気シンガー。
所属していたメンフィスの「ハイ・レコード」もアル・グリーン、O.V.ライト、シル・ジョンソン、オーティス・クレイなどの素晴らしいアルバムをリリースしていた全盛期でした。アンは「ハイ・レコードのプロデューサー、ウィリー・ミッチェルは父親のようであり、ハイのスタジオ・ミュージシャン達は兄弟のようだった。要するに家族のようなレコード会社だった」と語っている。つまり大切にされていたのでしょう。そして、今回のアルバムのバックを務めているミュージシャンも兄弟のようと語ったそのハイ・レコードの「ハイ・リズム・セクション」と呼ばれた素晴らしいメンバー(ドラムーハワード・グライムス、ベースーリロイ・ホッジズ、キーボードーチャールズ・ホッジズ、ギターートーマス・ビンガム)です。
アンの旦那さんのドン・ブライアントも同じハイ・レコードのシンガーでありソングライターでもあります。79年には2人にシル・ジョンソンを加えたで来日公演が行われてこともありました。
このアルバムが録音された1992年は久しぶりに”Full Time Love”というスタジオ録音のアルバムをリリースした年でもあり久しぶりに活発に活動していたのかもしれません。
まずはアンを代表する一曲 元々は1963年にソウル・シンガーのリトル・ジョニー・テイラーがヒットさせた曲。
「平気で朝帰りしてくる男にもううんざり、こいつと別れたら私はパートタイム・ラブを探すわ」という歌。自分が精一杯愛しているのにそれに応えてくれない男に嫌気がさして、もう次は時々愛する男でいいわという感じか。

1.Part Time Love /Ann Peebles ピーブルズ

このアルバムを通して聴いてみて改めてバックのハイ・リズム・セクションの素晴らしさを感じました。余計なことを全くしない、余計な装飾の音とかこれ見よがしなプレイが全くなく淡々とグルーヴだけで押してくるストレートな演奏が本当にいいです。
アンのあまり歌い上げない次のバラードの曲でも彼らの丁寧な歌に寄り添った演奏が聴けます。

2.Didn’t We Do It / Ann Peebles

80年代に入りハイ・レコードが倒産してしまってからアルバムのリリースも減り活動も少なくなっていきました。80年代に一時引退状態になっていたのですが、まあドン・ブライアントとの家庭生活もあり静かな生活を楽しんでいたのかもしれません。

アレサ・フランクリンやパティ・ラベルのようにゴスペル・テイストの強い歌手ではなく、ブルーズのテイストのある歌声でストレートに歌うタイプで僕は70年代はアルバムを全て聞いていました。
次の曲は僕もカバーしましたが、おそらく不倫していて会いたい相手に会えない雨の日に「だれかの家庭を壊したい気分」と歌うブルーズです。

3.I Feel Like Breaking Up Somebody’s Home Tonight / Ann Peebles

「だれかの家庭を壊したい気分」って・・・怖いです。危険な恋をしてる方、気をつけてください・・・って何に気をつけんねん・・ですが。
もう一曲。ジョン・レノンが「最高の曲」と絶賛した1973年リリース”I Can’t Stand The Rain”はソウル・ミュージックの名曲として長く愛されている曲です。アンと旦那のドン・ブライアントが2人で作った曲です。
ある夜、アンとドン・ブライアントと仲間たちで誰かのコンサート行こうとして家を出ようとしたところで激しい雨が降ってきて、その時雨が嫌いなアンが「私は雨に我慢できないの」I Can’t Stand The Rainと言った言葉にドンがヒントを得て歌詞を書いて、その夜のうちに曲が出来上がり、翌日録音したという曲。

4.I Can’t Stand The Rain / Ann Peebles

すごく印象に残る曲で、ティナ・ターナー、ロッド・スチュワート、カサンドラ・ウィルソンなどカバーがたくさんありますが、やはりオリジナルのアンがぼくは好きです。
アン・ピーブルズは今も健在なのですが2012年に心臓の病気がでてからはライヴ活動はしていないようです。こういうライヴ盤を聴いているともう一度ライヴを聞きたくなるのですが、ライヴが出来ないのならアルバムを出して欲しいですね。本当に唯一無比のシンガーです。

2022.07.01 ON AIR

風格を失わないソウル・コーラスグループ「テンプテーションズ」の結成60周年記念アルバム~Temptations 60

Temptations/Temptations 60 (Universal Records BOO30312-02)

ON AIR LIST
1.When We Were Kings/The Temptations
2.Is It Gonna Be Yes Or No/The Temptations
3.My Whole World Stopped Without You/The Temptations
4.Come On /The Temptations

少し前にやっとゲットしたテンプス(テンプテーションズはこう呼ばれる)の73年の来日記念アルバムをOn Airしました。
それは僕が生まれて初めて聞いたソウル・コーラスグループで、そのライヴが素晴らしかったことも話しましたが、先頃テンプスの結成60周年記念アルバム~Temptations 60がリリースされました。
60年という長い間には何度もメンバーチェンジがあり、亡くなったメンバーもいて、現在オリジナル・メンバーはオーティス・ウィリアムスだけです。そのオーティスが総合プロデューサーを務め曲によってナラダ・マイケル・ウォルデンやスモーキー・ロビンソンがプロデュースしている曲もあります。
まずはそのナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュース、そしてドラムとキーボードとして参加している曲。
昔を懐かしむような曲で曲のところどころにMy GirlやPapa Was A Rolling Stoneなど彼らのヒット曲の曲名は挟み込まれています。「私たちがキング(王様)だった頃。

1.When We Were Kings/The Temptations

1961年にデトロイトのモータウンレコードからデビューしたテンプテーションズは最初ヒット曲が出なくて苦労しましたが、64年に”The Way You Do The Things You Do”がヒットしてその後チャート一位に輝いた”My Girl”,そして”Ain’t Too Proud To Beg”,”Get Ready””Don’t Look Back”などヒット曲を連発します。コーラス・ワークは当時のグループの中では際立って上手く、それだけではなく振り付け、ダンスの素晴らしさ、着ているスーツのセンスの良さそしてオーティス・ウィリアムス、エディ・ケンドリックス、メルヴィン・フランクリン、ポール・ウィリアムズ、デヴィッド・ラフィンはみんなイケメンでメンバーになるためには背の高さも決められていたそうです。音楽性もエンターテナーとしても素晴らしく出来上がったグループでした。そのテンプスに数々のヒット曲を提供したのがスモーキー・ロビンソン
そのスモーキーが今回のアルバムに曲を提供してリードを取って歌っている曲があります。プロデュースもスモーキーです。
スモーキー独特のメロウな歌い回しが聞けます。

2.Is It Gonna Be Yes Or No/The Temptations

今回のアルバムにはいろんなタイプの曲が入っているのですが、次の曲をぼくは格別好きになりました。
曲もいいのですが暖かく繊細で重厚なコーラス、これぞテンプテーションズという感じの歌です。
「あなたがいなくて私の世界は止まってしまった」と別れてしまったことを後悔している歌です。

3.My Whole World Stopped Without You/The Temptations

一流のソウル・コーラスグループでしか表現できない素晴らしい歌だと思います。
テンプスのメンバーの歴史を少し話しますと、1968年にほとんどリードを取っていた人気のデヴィッド・ラフィンが脱退して、デニス・エドワードが加入してどうなるかと思ったけど71年には”Just My Imagination”が大ヒット。
その後、オリジナルメンバーのエディ・ケンドリックスとポール・ウィリアムズが脱退しましたが、デーモン・ハリスとリチャード・ストリートが加入して72年には”Papa Was A Rolling Stone”が全米一位になるという素晴らしさ。80年代に入るとデニス・エドワードが脱退したけれど代わりに加入したアリオリ・ウッドソンも素晴らしいリード・シンガーでした。
現在のメンバーはオーティス・ウィリアムズ、ロン・タイソン、テリー・ウィークス、ウィリー・グリーンというメンバー。
オリジナル・メンバーでリーダーのオーティス・ウィリアムズはメンバーが変わるたびに苦労したと思いますが、60年頑張りました。
最後はそのオーティスの語りから歌に入るのですが、テンプテーションズと名乗る前はオーティス・ウィリアムス&ザ・デイスタンスというグルー名だったそうです。1960年の結成当初の話から始まり、そのライヴを見ていたモータウンレコードの社長のベリー・ゴーディにレコード会社を作ったから入らないかと言われた話やスモーキーに会った話などをして今まで関わってくれたメンバーにも感謝の言葉を語っています
少しオーティスの語りが長いので歌から入ります。アルバムをゲットしてぜひオーティスの語りも聞いてください。
初期の曲を60周年を迎えて録音するに当たってオーティスには感慨深いものがあったと思います。これはその初期のザ・デイスタンスというグループの頃の歌だそうです。

4.Come On /The Temptations (3分33秒からIN)

このアルバムを聴いて素晴らしいと思ったのは、グループの歴史も長くメンバー・チェンジも何度か繰り返しているのにただの「懐かしのグループ」になっていないこと。アルバムリリースのテンポは昔のようにはいきませんが、今もアルバムをこうしてリリースしてオーティスが曲を作ったりアメリカ、ヨーロッパでツアーを行うなど生き生きとした現役のグループとして活動しています。
オーティスは83才くらいですか。前も話しましたが、73年に来日した時、コンサート会場の出口で雪の中テンプスを出待ちして、現れたオーティスにハグしてもらったのはぼくの大切な思い出です。いいアルバムですTemptations 60