2018.07.27 ON AIR

Matt “Guitar” Murphy ~またひとり去っていった偉大なブルーズギタリスト、マット・マーフィ vol.1

アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル1963ー1966 (P-Vine PCD 2193/3)

アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル1963ー1966 (P-Vine PCD 2193/3)

At The Gate Of Horn/Memphis Slim (Teichiku ULS-6023-V)

At The Gate Of Horn/Memphis Slim (Teichiku ULS-6023-V)

The James Cotton Band (NEX NEX CD 214)

The James Cotton Band (NEX NEX CD 214)

 

ON AIR LIST
1.Matt’s Guitar Boogie/Matt “Guitar” Murphy
2.Messin’ Around/Memphis Slim(LP “At The Gate Of Horn”side:B tr.1)
3.Wish Me Well/Memphis Slim(LP “At The Gate Of Horn”side:B tr.2)
4.Boogie Thing/The James Cotton Band

 
大好きなブルーズギタリスト、マット・マーフィが6月16日に88才で亡くなってしまいました。
1978年から80年代はじめにかけて活動していたブルーズ・ブラザーズのメンバーとして彼の名前を知っている人も多いでしょう。
ブルーズ・ファンの間ではいろんな名演を残してきたブルーズ・ギター・マスターのひとりとして高い評価があります。

元々ミシシッピーの生まれ。子供の頃にお母さんが早く亡くなりお父さんとメンフィスに移り住んで、その頃からギターが好きでT.ボーン・ウォーカーに夢中だったそうです。ジャズのジョン・コルトレーンやスタン・ゲッツもお気に入りだったそうです。
40年代終わりにはハウリン・ウルフのギタリストとなり、そこでのちに一緒に活動するメンフィス・スリムと出会っています。
50年代にはボビー・ブランドやジュニア・パーカー、メンフィス・スリムなど録音やライヴに参加して腕達者なギタリストがたくさんいたメンフィスで若くして一目置かれる存在となりました。
その後シカゴに移り住みマディ・ウォーターズやチャック・ベリーの録音に参加して、シカゴブルーズのスタジオミュージシャン的な存在になっていきます。そして、一方で50年代はピアノのメンフィス・スリムのバンドに長く在籍して右腕としてスリムに大切にされていました。
1963年にはマディ・ウォーターズ、サニーボーイ・ウィリアムスン、オーティス・ラッシュたちと「アメリカン・フォーク・ブルーズフェスティバル」の一員としてヨーロッパ・ツアーに出かけ、ヨーロッパでもその名前を知られることとなります。
僕が初めてマット・マーフィを聴いたのはその「アメリカン・フォーク・ブルーズフェスティバル」のライヴ盤のこの曲でした。

1.Matt’s Guitar Boogie/Matt “Guitar” Murphy
ピアノがメンフィス・スリム、ベースがウィリー・ディクソン、ドラムがビリー・ステプニー
1963年、みんな元気でいい時代のライヴ録音です。フレディ・キングの有名なインスト曲に”Hideaway”というのがありますが、あの曲はこの「マッツ・ギター・ブギー」に影響を受けてつくられたそうです。
僕がこの「アメリカン・フォーク・ブルーズフェスティバル」のアルバムをゲットしたのが1972年くらいでした。それでマット・マーフィの名前を覚えてアルバムを探したのですが、やはりメインで歌う人ではないのでソロ・アルバムは当時はなかったんですね。
しかしその頃、名盤として名高いメンフィス・スリムのアルバム”At The Gate Of Horn”を買ったところ、なんとギターがマット・マーフィだったのです。
マットがギタリストとしてメンフィス・スリムのバンドに入ったのが1952年、22才の時です。このアルバムの録音が1959年ですから7年経って29才の時です。スリムはすごくマットを気に入ってたらしくてスリムとそんなに長い間一緒にやったギタリストはマットだけだと思います。次の曲の途中のマット・マーフィのソロもすばらしいのですが、歌のバッキングやピアノとのギターの絡み方が曲に彩りを与えています。
名盤”At The Gate Of Horn”から
2.Messin’ Around/Memphis Slim

ピアノという楽器は音の領域を広く占める楽器でしかも左手でリズムも弾くので、上手いピアニストならソロでやっても音的には充分やれる楽器です。また、時に下手なギタリストなら上手いピアノひとりの方がいいと言う場合もあります。このアルバムを聴いていると、ピアノの音の間に入れるギター・フレイズがすごく的を得ていてうまいです。お互いに遠慮せずかと言ってぶつからずというところはさすが達人同士という感じです。
次の曲はピアノ・ソロがなくてマットのギターがフィーチャーされているんですが、もう50年代にはブルーズにおいてギターの重要性が高まってきたことをメンフィス・スリムはも感じていたのだと思います。だから自分のバンドに腕のいいしかも自分のブルーズのフィーリングもわかってくれるギタリストとしてマット・マーフィを選んだのだと思います。
3.Wish Me Well/Memphis Slim
メンフィス・スリム、ギターマット・マーフィでした。
ヨーロッパを気に入ったメンフィス・スリムは1963年にフランスに移住してしまいます。フランスに一緒に行こうとマットを誘ったかも知れませんが・・。そこでメンフィス・スリムとのコンビはなくなってしまいます。
その後1987年にテキサス、オースティンのクラブ「アントンズ」でマットとスリムは久しぶりに一緒のセッションをするのですが、その翌年にメンフィス・スリムは72才で亡くなってしまいます。

その後マット・マーフィの名前がブルーズ・フィールドで大きく出てきたのが、1974年にリリースされたジェイムズ・コットンのアルバム”100%Cotton”
このアルバムのすばらしさをこの番組で僕は何度も言ってますが、実はこのアルバムのマットはほとんどバッキングに徹していてほとんどギターソロはありません。
でもそのギターのリズムとバッキングが素晴らしくて、ブルーズという音楽の中でのギター位置を教えてくれています。
このバンドでマットはバンドマスターとしてアレンジを担当してバンドをコントロールしています。つまりマットが作り上げた1974年当時最新のブルーズバンド・サウンドとグルーヴがすごかったわけです。
とにかくバンドの一体感が半端なくすばらしい。
4.Boogie Thing/The James Cotton Band
70年代半ば黒人音楽は完全にソウル、ファンクの時代になっていたわけですが、そのファンクのテイストを大胆にブルーズに注入することに成功したアルバムでした。
当時はこれはブルーズではないというような頭の堅いブルーズファンや評論家もいましたが、いまとなってはブルーズ史上の名盤のひとつです。

次回はマット・マーフィが60才で初めてリリースしたソロ・アルバムを聴いてみたいと思ってます。

2018.07.20 ON AIR

LPレコードで聴くブルーズ/聞き逃していたゲイトマウス・ブラウン

Pressure Cooker/Clarence Gatemouth Brown (Alligator AL 4745)
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ON AIR LIST
1.She Winked Her Eye/Clarence Gatemouth Brown
2.My Time Is Expensive/Clarence Gatemouth Brown
3.Pressure Cooker/Clarence Gatemouth Brown
4.Ain’t Nobody Here But Us Chickens/Clarence Gatemouth Brown
5.Cold Strings//Clarence Gatemouth Brown

今日はアルバート・コリンズ、ジョニー・ギター・ワトソン、ジョニー・コープランドはじめ多くのブルーズ・ギタリストに影響を与えたゲイトマウス・ブラウンの73年録音のアルバム”Pressure Cooker”を聴きます。
クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンは2005年に81才で亡くなるまでたくさんのレコード・レーベルに、たくさん音源を残しました。
ブルース史上に名を残したのは50年代のピーコック・レコードに録音した音源だと思います。僕がブルーズを聴き始めた頃は、そのピーコックレコードのアルバムがなくて、レッド・ライトニンというレーベルからブートレッグでリリースされていた「サンアントニオ・ボールバスター」というアルバム聴いてました。
そのアルバムに1949年から59年までのピーコックの主な曲が収録されていて聴き倒しました。
その時代のゲイトマウスが素晴らしすぎて、その後の彼のアルバムを耳にしてもあまり心が動かなかったというのが僕の本音です。
しかも、その後ゲイトは60年代に入るとフィドル(バイオリン)を弾いてカントリー・ミュージックをやり始めます。このカントリーをやるゲイトが僕は正直好きになれなかった。カントリー・ミュージックは嫌いではないんですが、ゲイトがやるカントリーがまったくいいと思えなかった。
それであまりゲイトのアルバムを買わなくなっていて、今日聴くこのアルバムも何度か中古盤屋さんで見かけてたんですが買いませんでした。
ところが先日、このレコードを見つけた時に安かったこともあるのですが、買ってみようかと思い買ったら「ええアルバムやないか」ということになったわけです。
このアルバム”Pressure Cooker”は1973年にフランスのパリで録音されてます。
最初の曲はその50年代ピーコックレコーで時代に録音した曲の再録音です。
1.She Winked Her Eye/Clarence Gatemouth Brown
ゲイトマウスは60年代中頃にはダラスのテレビ局のR&Bの番組「ザ・ビート」のハウスバンドのバンドリーダーをやっていて、まだまだテキサスではブイブイいわしてました。
でも、70年代に入ると彼がやるジャズ・テイストやカントリー・テイストの音楽がブルーズファンにも敬遠されて、彼はニューメキシコに住んでそんなにツアーもやらなくなっていました。でも、彼はヨーロッパでは人気があり、このアルバムにも参加しているジャズのピアニスト、ジェイ・マクシャーンやサックスのアーネット・コブたちとヨーロッパでツアーをしていました。このアルバムはたぶんそういうヨーロッパ・ツアーの途中で録音されたものだと思います。
フランスのレーベル”Black & Blue”の73年録音ですが、僕がもっているのはその録音を1985年にアメリカのアリゲーター・レコードがリリースしたものです。このアルバムはグラミーにもノミネートされたんですが、それも僕は知らなかった・・・。

次の曲も1949年に録音したものの再録です。すごくいいムードのスローブルーズでゲイトのギターもジェイ・マクシャンのピアノも素晴らしいです。
2.My Time Is Expensive/Clarence Gatemouth Brown
こういうのを聴くとこんなにいい感じでブルーズができるのになんでカントリーやらなあかんの・・と思うんですよね。カントリーを前面に出してやったことでゲイトマウス・ブラウンというブルーズマンのイメージはぼやけてしまったと僕は思っています。でも、カントリーとかジャズは彼のやりたかったことだから仕方ないですが・・。
では、アルバム・タイトル曲”プレッシャー・クッカー”
インストルメンタルですが、ゲイトマウスのアグレッシヴなギターのスピード感が堪りません。
途中のテナーサックスのソロはアーネット・コブです。アーネット・コブはジャズのサックス・プレイヤーの中でもブルーズに近い人でゲイトと同じテキサス出身です。
3.Pressure Cooker/Clarence Gatemouth Brown
タイトルのプレッシャー・クッカーは圧力鍋だけど圧力鍋いう感じの曲ですかね。早く調理できるから早いテンポいうことですか・・・。
ジャズギターのジョージ・ベンンソンの曲にクッカーというのがあり、メロディも似ていてそれもめちゃテンポの速い曲なんですが、なにかテンポが早いこととクッカーは関係あるのでしょうか。ご存知の方ご一報ください。
でも、まあギターはめちゃ上手いです。ゲイトはピックを使わないで指で弾くんですが、たぶん親指、人差し指、中指の三本で弾いてるんですが、目に留まらないくらい早いです。こういうゲイトのギター奏法をその後のジョニー・ギターやアルバート・コリンズがマネしたというか引き継いだというか、テキサス・ブルーズ・ギターのひとつの伝統みたいになったわけです。

次は40年代ジャンプ・ブルーズの王様、ルイ・ジョーダンのたくさんあるヒット曲の中のひとつ。たぶん、ゲイトが音楽をやり始めた10代の頃の超人気ミュージシャンだったルイ・ジョーダン。ゲイトが流行らせた「ヒューストン・ジャンプ」と呼ばれたダンサブルなブルーズにもすごく影響があったと思います。
4.Ain’t Nobody Here But Us Chickens/Clarence Gatemouth Brown
長い間、このアルバムを知っていながら買わなくてゲイトマウスさんすんまへんでした。

2018.07.13 ON AIR

LPレコードで聴く50年代ニューオリンズの重鎮、デイヴ・バーソロミュー

Shrimp And Gumbo/Dave Bartholomew(Imperial 1566311)
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ON AIR LIST
1.Shrimp And Gumbo/Dave Bartholomew
2.An Old Cow Hand From Blues Band/Dave Bartholomew
3.Somebody New/Dave Bartholomew
4.That’ll Get It/Dave Bartholomew
5.No More Black Night/Dave Bartholomew

今日は4000曲もアレンジ、プロデュースしたと言われる、50年代ニューオリンズのプロデューサー、アレンジャー、作曲家、トランぺッター、バンドリーダーそして歌手でもあるデイヴ・バーソロミューのアルバム”Shrimp And Gumbo”をLPレコードで聴きます。
デイヴ・バーソロミューはどちらかというと50年代のニューオリンズ音楽のプロデューサー、アレンジャーという裏方の重要人物という印象ですが、自分のシングル、アルバムもリリースしてました。
1920年12月24日生まれの彼は地元ニューオリンズで最初トランぺッターとして活動してました。その後兵役に行き、兵隊時代には作曲やアレンジの勉強をしていたらしいです。
兵役を終えてニューオリンズに戻るとサックス・プレイヤーのアルヴィン・レッド・タイラーやリー・アレン、そしてドラムのアール・パーマーなど才能のあるメンバーを揃えたバンドを作り、いろんな歌手のレコーディングやライヴをやるようになります。
そこから偉大なファッツ・ドミノのヒット曲の大半を彼がプロデュースアレンジし、アール・キング、クリス・ケナー、シャリー&リーのプロデュースをしてデビューさせる話が始まります。
このバーソロミューの次の時代がアレン・トゥーサンの時代になりミーターズなどが出てくるんですが・・。

まず一曲Shrimp And Gumboから聴いてみましょう。レーベルはインペリアル。50年代録音のシングルを集めたアルバムです。
アルバム・タイトル曲でいかにもニューオリンズらしいファンキーな曲です。
1.Shrimp And Gumbo/Dave Bartholomew
シュリンプは小さな海老のことでニューオリンズのいろんな料理に出てきます。そしてガンボはもうニューオリンズの名物料理で魚介類とライスを煮込んだものです。タイトルを見ただけでああニューオリンズとわかります。

ここで、ちょっと歴史を振り返ると1863年のリンカーン大統領の「奴隷解放宣言」のあとからニューオリンズではジャズが生まれます。ジャズはクレオールと呼ばれる黒人とフランスやスペインとのミックスの人たちによって作られたと言われています。それはブルーズにラグタイムやゴスペルやミンストレルといったいろんな音楽の要素が合わさってできたものです。その流れの中でニューオリンズ生まれの有名なコルネット・プレイヤー、ルイ・アームストロングが人気を博して、やがて世界を駆け巡る偉大なジャズ・プレイヤーになっていきます。そして、ニューオリンズのジャズも全米から世界へ。40年代に入るとジャズは大所帯のビッグ・バンド・ジャズが盛んになり、そのジャズのビッグバンドに歌手を入れてクラブで演奏する内にジャズ・ヴォーカルではなくニューオリンズ独特のR&Bが生まれていきました。そこにはジャズの要素だけでなくニューオリンズの海の向こうのリズム、カリプソやルンバの要素が入り、もちろんブルーズのテイストも入ってます。当時の流行だったダンサブルなジャンプ・ブルーズの要素も強く入ってました。
そして、そのビッグバンドを作って仕切っていた1人がデイヴ・バーソロミューでした。
今日のこのアルバムShrimp And Gumbo1949年から62年までの録音が入ってますが、その間に彼はトミー・リッジリー、ファッツ・ドミノ、クリス・ケナーといった人たちをデビューさせ、ヒットさせニューオリンズR&Bの創始者のひとりとなったのです。

次の曲もいかにもニューオリンズという感じのわくわくするような曲です。デイヴ・バーソロミューこの時絶好調です。
2.An Old Cow Hand From Blues Band/Dave Bartholomew
途中のサックスソロはリー・アレン、ドラムはアール・パーマーと当時のニューオリンズの一流ミュージシャンが集まったバンドで、演奏のクオリティの高さは当然です。

次の曲は同じニューオリンズのスマイリー・ルイスが56年に録音したもののカバーです。バーソロミューはバックに女性コーラスを入れてよりポップな感じに仕上げてます。ニューオリンズのナイトクラブの雰囲気を楽しめる曲で、このテイクにはピアノに天才と呼ばれたジェイムズ・ブーカーが参加しています。「いつの日か僕が君を欲しいように君は僕を欲しくなる。でも、僕は新しい彼女と行くつもりだよ。いつの日か僕が流したように君は泣いてくれるのだろうか」
3.Somebody New/Dave Bartholomew
ちょっとカクテルでも飲みたくなるでしょう。チークダンスしたくなるでしょう。
ニューオリンズでも大きな会場でやる超有名ミュージシャンもいいんですが、小さなクラブでやっている地元ローカル・ミュージシャンでいい人がたくさんいるんですよ。そういう時になんか本当にその土地に旅しに来てよかったなぁと思います。
次の曲は1953年のニューオリンズではなくテキサス、ヒューストンの録音になっていて、名前は書いてないんですが参加ミュージシャンも全部テキサスです。ライヴツアーにテキサスへ行った時に録音したものでしょうか。そして、ヴォーカルだけセスタ・エアーズと名前があって調べたんですがミュージシャンではなく、地元テキサスのラジオのDJらしいです。まあまあええ声してます 。曲はジャンプ・ブルーズからロックンロールへ移っていく53年という時代を感じさせるダンサブルなブルーズです。
4.That’ll Get It/Dave Bartholomew
次はライナーを読むと1951年のチャールズ・ブラウンの大ヒット”Black Night”のアンサー・ソングと書いてあります。ウエストコーストのチャールズ・ブラウンの”Black Night”は遠くルイジアナ、ニューオリンズにもにも影響を与えてたんですね。ピアノとサックスの醸し出すムードがもう実にブルージーないい感じで、バーソロミューの歌も上手いわけではないんですがストレートで味があります。
5.No More Black Night/Dave Bartholomew

今日のディヴ・バーソロミュー・オーケストラのような50年代の楽団はみんなお揃いのスーツをぴしっと着て、靴もピカピカで、こざっぱりしたミュージシャンがきれいなクラブとかボールルームと呼ばれるダンスホールで演奏してました。

2018.07.06 ON AIR

LPレコードで聴くブルーズ/いまも歌い継がれる名曲を残した60年代のブルーズシンガー、トミー・タッカー

Hi-Heel Sneakers/Tommy Tucker (CHECKER LP-2990)
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ON AIR LIST
1.Hi-Heel Sneakers/Tommy Tucker
2.Just For A Day/Tommy Tucker
3.Hard Luck Blues/Tommy Tucker
4.It’s A Mighty Hard Way/Tommy Tucker
5.Long Tall Shorty/Tommy Tucker

「ハイヒール・スニーカーズ」という曲はブルーズの中では有名なので知っている方もいると思います。この曲はブルーズではバディ・ガイ、バイントップ・パーキンス、ビリーボーイ・アーノルド、マジック・サム、ロックではビル・ヘイリー、エルヴィス・プレスリー、ジョージ・サラグッド、フェイセズ、ソウルではスティービー・ワンダー、ティナ・ターナー、ジャズではラムゼイ・ルイスやジミー・スミス、カントリーではカール・パーキンス、他にもホセ・フリシアーノのカバーも有名です。
そのオリジナルが今日聴くトミー・タッカー。
60年代に活躍したR&Bシンガーでキーボード奏者でもあり、ソングライターでもあります。1933年に生まれ82年に亡くなってますから49年という短い人生でした。
そしてトミー・タッカーと言えば「ハイヒール・スニーカーズ」、「ハイヒール・スニーカーズ」と言えばトミー・タッカーと言われるそのヒット曲を聴いてみましょう。
1964年にチャートの11位。赤いドレスを着て、流行のウィグ被って、ハイヒール・スニーカーズという当時最先端の黒人おしゃれファッションで夜遊びに行く女性の歌です。
1.Hi-Heel Sneakers/Tommy Tucker
元々はブルーズのヒットメーカー、ジミー・リードの”Big Boss Man”という曲のビートをいただいたものですが、とにかく「イナタイ」です。
実は昔ニューオリンズへ行った時に、黒人がたくさん集まってる靴屋さんに入って「ハイヒール・スニーカーズありますか?」って訊いたら、「そんな古いもんあるわけないやろ」と笑われて「いまはジョーダンや」言われてナイキのエア・ジョーダンを持ってこられたことあります。
でも、最近また若い女の子の間でちょっと流行ってるそうです、ハイヒール・スニーカーズ。
いまやブルーズのスタンダード・ナンバーとなって歌い継がれる名曲ですが、この曲が有名過ぎてトミー・タッカーはいわゆる「一発屋」さんに思われているのですが、果たしてそうなんでしようか・・と今日はこのアルバムをじっくり聴いてみたいと思います。

トミー・タッカーはブルーズ、ジャズ、R&Bちょっとポップなものまでいろんなタイプの曲を録音しているのですが、次の曲なんかはSomething You GotとかI KnowのようなニューオリンズR&Bの匂いもあるファンキーなものでトミー・タッカーのパワフルな歌がすごくいいと思います。まさに60年代R&Bです。
2.Just For A Day/Tommy Tucker

彼の経歴を読んでみると彼のお父さんがローカルシーンのピアニストで、小さい頃から音楽はたくさん聴いていて音楽の成績はいちばんだったみたいです。彼は9人家族の中で育ったけれど高校生の頃に家が金銭的に苦しくなって学校を辞め働き始めます。それで以前から興味のあった音楽のあるホンキー・トンクでも働き始めピアノを覚えてローカルバンドに入ります。その頃はジャズを志向していたようで一時盲目のジャズ・サックス・プレイヤーのローランド・カークのバックでピアノを弾いていたこともあります。
それで本人はジャズの曲にもアプローチしていてこのアルバムにもジャズ・スタンダードの”Come Rain Or Come Shine”なんかも歌っているんですが、いまいちです。
1960年にはアトランティックレコード傘下のレーベルアトコからシングルを一枚出してますが、ヒットしなかったんですが、64年にチェスからの「ハイヒール・スニーカーズ」大ヒット!

一曲ストレートな彼のブルーズを聴いてみようと思うのですが、ブルーズ・シャウターとして40年代から50年代に活躍したロイ・ブラウンのヒットを歌っています。これはもう悲しい歌詞で「道端の岩がオレの枕、冷たい地べたがオレのベッドで、ハイウェイがオレの家もう死んだ方がいい。お袋は死んだし、オヤジはオレを家から追い出した。靴があるだけで服の着替えもない」というまさにブルーズな曲です
3.Hard Luck Blues/Tommy Tucker
ストレートでパワフルでいい歌です。もう何曲かヒット曲があったらもっと有名になれる人だったと思います。まあ、シングル1枚出して消えてしまうシンガーも多いこの世界ですから、こうしてアルバムまで出せたのは売れた方なのかも知れません。

彼は自分で曲も作る人でオリジナル曲で「毎日毎晩働いて金を稼ぐために生きていくのはほんまにしんどい」という歌です。
4.It’s A Mighty Hard Way/Tommy Tucker
いい曲だと思うんですが、これもそんなにヒットしなかったんですね。
トミー・タッカーが活躍していた60年代半ばといえばすでにビートルズもデビューして、イギリスのロックバンド次々にアメリカでもヒット出していく時代で、黒人音楽は完全にソウルとファンクの時代になっていくんですが、そういう流れには乗れなかったんですね。66年に一度音楽界から去ってしまって違う仕事をしていたんですが、70年代に入って再び音楽の世界に現れます。でも、レコーディングのチャンスには恵まれず晩年は寂しいものだったらしいです。

「ハイヒール・スニーカーズ」のような大ヒットが出るとやはり「柳の下にどじょうが二匹」的なことで同じような曲をリリースします。それが次の曲なんですが、「ハイヒール・スニーカーズ」の時よりもバンドがタイトでゴージャスになっているのが面白いです。でも、ヒットしませんでした。どじょうは二匹いなかったんですね。でも、歌はすごくいいと思います。同時代のR&Bシンガー、ドン・コヴェイがオリジナル・シンガーですが、60年代にイギリスのロック・グループ「キンクス」がヒットさせたので知ってる人も多いと思います。
この曲のリズム・パターンも基本的にHi-Heel Sneakersとほぼ同じで60年代半ばこのパターンが流行ったんですね。この曲はイギリスのキンクスなどがカバーしています。
5.Long Tall Shorty/Tommy Tucker

一曲しかヒットがなかったトミー・タッカーですが、いまもこの曲が歌い継がれていると知ったら嬉しかったでしょうね。
今日は60年代の「Hi-Heel Sneakers」の素晴らしいR&Bシンガーそしてソングライターだったとトミー・タッカーでした。