2023.04.28 ON AIR

最近ハマってるアルバート・ワシントンのアルバムをゲット!

Sad And Lonely/Albert Washington

ON AIR LIST
1.No Matter What the Cost May Be/Albert Washington
2.You’re Messing Up My Mind/Albert Washington
3.My Mother’s Prayer/Albert Washington
4.Sad And Lonely/Albert Washington

先月この番組でアルバート・ワシントンというブルーズ&ソウル・シンガーの60年代のシングルを集めたコンピ盤をON AIRしたのですが、その後アルバムを探していたら70年代の録音のアルバムがありました。
1973年にメンフィスで録音されたアルバムでイースト・バウンドというレコード会社からリリースされてます。アルバム・タイトルは”Sad And Lonely” これがアルバムとしてはアルバート・ワシントンの初めてものです。70年代にはこれ一枚であとは90年代に二枚リリースされているようです。
聞いてもらうアルバム”Sad And Lonely”はしっかりしたアルバムでバックに有名なホーン・セクションのメンフィス・ホーンズが参加しているのですが、後のドラム、ベース、ギターなどはクレジットがないので名前がわかりません。ひょっとするとこの当時の彼のライヴバンドのメンバーだったかも知れません。
まず一曲聞いてみましょうか。アルバムの一曲目です。ゴリゴリのファンク・テイストの曲で幕開けです。ブルーズ・フォームを踏まえた16ビートのなかなかかっこいい曲。

1.No Matter What the Cost May Be/Albert Washington

「お前を愛しているし、いつも一緒だ。幸せにしてやるよ。どんなにお金が高くついてもな」
アルバート・ワシントンは前の特集の時も言いましたがファンク・テイストが好きみたいです。彼の育ったシンシナティにはキング・レコードという黒人音楽では有名なレコード会社があり、かのジェイムズ・ブラウンもキング・レコード所属でしたから好きだったのかも・・。
ブルーズとファンクはとても近い関係でこういうファンク・ビートの中にはブルーズ・テイストが潜んでいます。
ジェイムズ・ブラウンのファンクがブルーズから生まれたようにビートを重視する音楽にブルーズはテイストの相性がいいんですね。次の曲は明らかにジェイムズ・ブラウンの影響を受けたような曲です。ギターのカッティングから全体のリズムがファンキーです。
「お前が一緒やなければ働くことも、眠ることもできない。俺のところに来て何をしょうとしてるのか話してくれよ。お前は俺の心をかき乱している」

2.You’re Messing Up My Mind/Albert Washington

とにかく濃いです。曲も歌も演奏も。ちょっとB級感もあり、アメリカの黒人クラブに行った感じが満載で僕はこういう感じ好きです。
アルバート・ワシントンはゴスペル出身なので歌には定評があり、ライヴでは今のようなファンク・テイストのダンスナンバーも多かったようですからライヴはきっと楽しかったと思います。
日本ではこういうフルーズ&ソウルのシンガー、例えばリトル・ミルトンやリトル・ジョニー・テイラー、ZZ.ヒルあたりはあまり人気がありませんが、ギターではなく歌を中心にブルーズを聴く黒人の間ではすごく人気があります。
アルバート・ワシントンも全米に知れ渡るようなビッグ・ヒットがなかったので日本でも知られていないのですが、歌の実力はかなりのものです。
次の歌はゴスペルを歌っていた彼らしい曲で「母の祈り」(My Mother’s Prayer)という曲名です。
子供の頃はいつも大人になりたいと思っていたけど大人になる責任なんて考えなかった。両親が仕事に出かけて帰って来たある夜、お父さんがひどく疲れているように見えるお母さんに何日か家で休んだらどうだ?って言うとお母さんは頭を振って
とてもやさしい声で「私は働き続けなければいけないの。私の子供たちが安心していられるこの家の家賃を払うためにね」って言った。今はもう両親は亡くなってしまい、私は小さな家庭を持っている。そして母の声が時々聞こえる「私は働き続けなければいけないの」そして母はこう言った心配しなくていいのよ。私がいなくなってもあなたは神様の手の中にいるのだから」

3.My Mother’s Prayer/Albert Washington

アルバート・ワシントンはメジャーになれなかったシンガーですが、地元のシンシナティの教会で歌い地域のための慈善運動をしたり心優しい人だったようです。今の歌にもそんな彼の人柄が出てるような気がします。
あと神さまへの信仰が深かったお母さんのために「悪魔の音楽」と呼ばれたブルーズやR&Bをクラブで歌い始めたのはお母さんが亡くなってからだったようです。それまで人前ではゴスペルしか歌っていなかった。
アルバムタイトル曲を聞いてみましょう。
「彼女と別れてよかったと思い別の女性も手に入れたけど、自分自身が傷ついていることに気づいた。こうなってしまう悲しさと寂しさを俺は知らなかったんだ」

4.Sad And Lonely/Albert Washington

やはりこういうブルーズ・テイストの曲を歌わせてもアルバート・ワシントンはいいです。もっと売れてもよかった実力のあるシンガーだったと思います。
今日はシンシナティを中心に活躍したアルバート・ワシントンのアルバム”Sad And Lonely”を聞きました。
ではまた来週。

2023.04.21 ON AIR

日本のブルーズにとって貴重な本「ニッポン人のブルース受容史」が出版された

「ニッポン人のブルース受容史」(日暮泰文(編集, 著)高地明(編集, 著) P-Vine発刊/日販アイ・ビー・エス発売 ¥4,200)

RCAブルースの古典(BMGビクターレコード)

ON AIR LIST
1.Big Road Blues/Tommy Johnson
2.Walk Right In/Cannon’s Jug Stompers
3.Take A Little Walk With Me/Robert Lockwood, Jr.
4.Key To The Highway/Jazz Gillum
5.Vicksburg Blues Part 3/Little Brother Montgomery

この度、音楽評論家でもありブルース・インターアクションズ、P-Vineレコードの創立者でもある日暮泰文さんと同じブルース・インターアクションズの創立に関わりライターでもある高地明さんが「ニッポンのブルース受容史」と題された本を出版されました。
日暮さんは日本におけるブルーズの拡がりにとても大きな役割をされた方で、現在僕が連載を書かせてもらっている「ブルーズ&ソウルレコーズ」の前身である「ザ・ブルース」という雑誌を70年代初期に創刊されたり、日本のレコード会社にブルーズのリリースを働きかけられたり、黒人ブルーズマンの来日の招聘などもされた方です。その日暮さんが立ち上げた「ブルース・インターアクションズ」そして「P-Vine Records」を共にやってこられたのが高地さんです。
そのお二人が黒人ブルーズがいかにして日本という国に受け入れられて行ったのか、その流れを60年代初めまで遡って70年代までを本にまとめたのが今回の「ニッポンのブルース受容史」
今日は日本のブルースの初期に非常に大きな役割をしたアルバム「RCAブルースの古典」を聴きながらこの本の話をしたいと思います。その「RCAブルースの古典」の編集にも日暮さんは関わっておられました。リリースは1971年。レコードでは三枚組でした。
その一曲目に収録されていたのがトミー・ジョンソンの”Big Road Blues”という曲で、まだブルーズロックから抜けきらずにいた僕にとってこういう弾き語りの古い戦前のブルーズはなかなか馴染めるものではなかった。

1.Big Road Blues/Tommy Johnson

このアルバムに入っているこのトミー・ジョンソンやブラインド・ウィリー・マクテルやスリーピー・ジョン・エステスなど弾き語りブルーズに馴染めるようになるのに2,3年かかったと思います。まあ、それまでオールマン・ブラザーズやジミ・ヘンドリックス、マウテンなどブルーズロックを聞いていた耳にはサウンドの肌触りが全く違うのでなかなか入り込めなかったのですね。この「RCAブルースの古典」は3枚組ですからそれなりに値段も高かったけれど買ったのは、やはりブルーズという音楽を知りたいという気持ちが強かったんですね。でも、馴染める曲は少なくて次のキャノンズ・ジャグ・ストンパーズの曲くらいが60年代フォークの流れでルーフ・トップ・シンガーズという白人のフォークグループが歌っていてヒットしていたので知っていて、でも「これもブルーズなのか?」と思ってました。

2.Walk Right In/Cannon’s Jug Stompers

こういうジャグというジャンルがブルーズの一つとしてあるんだということもこのアルバムで知りました。
日暮さんがこの「ニッポンのブルース受容史」の巻末で日本にブルーズが受け入れられたと感じたのは1974年のロバート・ジュニア・ロックウッドが初来日コンサートだったと書かれているが、僕も大阪厚生年金会館のコンサートに行ったときに会場を取り巻く多くの人たちに驚きました。僕がブルーズを歌い始めたのは1972年くらいでその頃は「なんで黒人のブルーズなんか歌うの」って言われたこともありました。それが74年のロバート・ジュニア・ロックウッドが初来日コンサート当たりからブルーズに興味のある人たちが一挙に増えた実感があった。そのロックウッドがこのアルバム「RCAブルースの古典」にも入っていることを思い出してコンサートに行く前日に聞いた覚えがあります。

3.Take A Little Walk With Me/Robert Lockwood, Jr.

74年のロックウッドの来日が素晴らしかったことでブルーズのブームは本格的になった。日暮さんや評論家の中村とうようさん、鈴木啓志さんなどが各レコード会社に働きかけ次々とブルーズのアルバムがリリースされました。
今のロックウッドと一緒に来日してコンサートのオープニングを飾って強烈な印象をのが盲目のブルーズマン、スリーピー・ジョン・エステスも「RCAブルースの古典」に収録されています。
「RCAブルースの古典」と同じ1971年にリリースされたロックの名盤が「いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)」の中に同じ”Key To The Highway”が収録されていました。「いとしのレイラ」は言わずと知れたエリック・クラプトンのバンド「デレク・アンド・ドミノス」のアルバムですが、クラブトンが誰のバージョンを聞いてカバーしたのかわかりませんが、黒人ブルーズマンのサニーボーイ1世、リトル・ウォルターなども録音しています。ぼくは今から聞いてもらうジャズ・ジラムのバージョンが一番好きです。
「俺はハイウェイに行く鍵を持った。これから出かけてもう2度とここに帰らないかも知れない。出かける前にもう一度キスしておくれ。でも、いつの日にかハイウェイで俺はのたれ死ぬんだろうな」

4.Key To The Highway/Jazz Gillum

1940年の録音でジラムのハーモニカの音色とビッグ・ビル・ブルーンジーの弾くギターの音色がすごくマッチして哀愁のあるブルーズの名曲になっています。

70年代のはじめにブルーズ喫茶やバーができたり、ロック喫茶でもブルーズを流すところがあったり、そこに黒人ブルーズマンの来日コンサートがあったりしてヒタヒタとブルーズは日本広まって行きました。だから一つの力じゃないんですね。いろんなことが重なってブルーズのブームが起こりました。70年代半ばです。
僕はレコードを買うお金もそんなになくて、でもブルーズのことは知りたくて・・それでよく買っていたのがコンピレーション・アルバム・当時はオムニバス・アルバムと呼んでましたが、いろんなブルーズマンのいろんな曲を聴けるのでそこからこれいいなと思うブルーズマンのソロ・アルバムを次に買ってました。ピアノのブルーズがいいなと思ったのもこの「RCAブルースの古典」に入っていたからでした。リロイ・カーとかビッグ・メイシオとかブルーズ史上に残るブルーズ・ピアニストたちが活躍していた時代があり、ピアノならではのブルーズの名曲もたくさん作られました。今日聴いてもらうリトル・ブラザー・モンゴメリーのこの曲もアメリカ南部の景色が広がるような歌とピアノで初めて聴いた時に心に残るものでした。

5.Vicksburg Blues Part 3/Little Brother Montgomery

70年代はYouTubeどころかDVDもなくビデオも普及していなくてブルーズマンたちがどんな風に演奏しているのかを知る方法がなかった。だからB.B.キングとかロックウッドに続いてバディ・ガイやオーティス・ラッシュなどブルーズマンの来日コンサートはブルーズを演奏する日本人の私にとって本当に勉強になった。

今回出版された「ニッポン人のブルース受容史」という本は日本においてどんな風にブルースが入って広まったのかを70年代初中期を中心に書かれています。アメリカやイギリスでは日本よりほぼ10年くらい早く黒人ブルーズが広まっていたのですが、日本では欧米よりブルーズの精神的な、内面的な部分が受け入れられ、日本人の精神にハマったのではないかとぼくは思います。もちろんブルーズは私たちが持つ日本人独特の心に寄り添える音楽ではないかと思っています。なので若い人たちにも機会があればじっくりブルースを聴いてもらいたいと思います。
「ニッポン人のブルース受容史」はなかなか読み応えのある本でロックやジャズを聴く方たちにもお勧めの一冊です。
そして今日聞いた「RCAブルースの古典」もお勧めのアルバムです。

2023.04.14 ON AIR

追悼:スペンサー・ウィギンス vol.3

Feed The Flame : The Fame And XL Recordings/SPENCER WIGGINS

ON AIR LIST
1.Love Attack/Spencer Wiggins
2.Cry To Me/Spencer Wiggins
3.Holding On To A Dying Love/Spencer Wiggins
4.We Gotta Make Up Baby/Spencer Wiggins
5.Sweet Sixteen/Spencer Wiggins

先々週からON AIRしていますこの春に急逝した偉大なソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンスの特集3回目。
スペンサー・ウィギンスとジェムズ・カー、そしてパーシー・ミレンという3人のソウル・シンガーを同じゴールド・ワックス・レコードの三羽烏などと呼ぶ人もいます。僕が好きになったのは最も歌の切れ味が鋭いスペンサー・ウィギンスでしたが、最初に広く知られたのは”Dark End Of The Street”がヒットしたジェイムズ・カーでした。
今日の最初はそのジェイムズ・カーがバラードとして歌った曲をウィギンスがアップテンポのナンバーにアレンジしたテイクを聞いてください。1969年のフェイム・レコードの録音です。

1.Love Attack/Spencer Wiggins

ジェイムズ・カーがバラードとして歌った曲が重厚なサウンドのダンス・ナンバーとして生まれ変わってました。ウィギンスの歌のノリが素晴らしく、曲の最後に向かって全員のテンションが上がりウィギンスのシャウトにつながっていくところなどサザンソウルの醍醐味ですね。

フェイム・レコードでも二枚のシングルをだしただけで終わったウィギンスはヒット曲が出ないことに落胆して73年に故郷メンフィスを離れてフロリダに移り住みます。フロリダに行ったからと言ってヒットが生まれるわけでもなく、レコーディングの話もないわけですが、自分の環境を変えたかったのだと思います。おそらくクラブで毎晩歌うだけの生活だったのだと思います。そして一時は歌うことを断念するところまで彼は追い込まれました。

「彼女と別れて一人ぼっちになって誰からも電話もない。泣きたくないかい。泣きたい気持ちだろう。俺のところに来て泣けよ」という辛い曲ですが、ウィギンスは心からソウルフルに歌っています。

2.Cry To Me/Spencer Wiggins

今の曲のオリジナルは1962年にソロモン・バークが歌いアトランティック・レコードからリリースされたチャートにも出ましたが、ウィギンスのバージョンはヒットしませんでした。
ウィギンスが成功できなかった理由の一つは所属したゴールトドワックスとかフェイムと行ったレコード会社が小さなマイナーの会社でラジオや雑誌などにプロモーションする費用がなかったこともあったと思います。例えば今の曲のオリジナルのソロモン・バークが所属したアトランティック・レコードも最初はインディーズの小さなレコード会社でしたが、ルース・ブラウンやレイ・チャールズの大ヒットのおかげで60年代にはアレサ・フランクリンやオーティス・レディングをリリースするソウルの大看板レーベルになっていてプロモーション費用もかなりあったと思います。
それに加えウィギンスにはマネージャーがいませんでした。アメリカのショービジネスの世界では有能なマネージャーは不可欠の存在です。それゆえにスペンサー・ウィギンスの素晴らしさを売り込む人がいなかったという状況だったようです。
次の曲に日本のソウル・ファンは懐かしく思うかもしれません。そう78年に来日してから何度も日本で歌ってくれたオーティス・クレイがレパートリーにしていた曲です。72年にハイ・レコードからリリースされたクレイの素晴らしいアルバム”Trying to Live My Life Without You”に収録されている曲です。思えばそのオーティス・クレイもシカゴのマイナーレーベルでシングルを出し続けていたのですが、よく知られるようになったのはやはり大きなハイ・レコードに移籍してからでした。

3.Holding On To A Dying Love/Spencer Wiggins

彼はマイアミに移り住んでからゴスペルの世界に戻ります。そして、ゴスペル・アルバム”Key To The Kingdom”をリリースします。
多くのソウル・シンガーがそうであるようにゴスペルは彼らの実家のようなものだと思います。そしてマイアミの教会でクワイアのコーチをしたり教会関係の仕事をしていたようです。
彼はマイアミに行く前にフェイムとXLというレーベルに録音を残していました。それは「フィード・ザ・フレイム : ザ・フェイム・アンド・XLレコーディングス」というアルバムに全曲収録されています。全曲素晴らしいです。日本のP-Vineレコードからもリリースされていたので探してみてください。
そのアルバムから1曲

4.We Gotta Make Up Baby/Spencer Wiggins

2017年スペンサー・ウィギンスは弟のソウル・シンガー、パーシー・ウィギンスと来日公演を行いました。僕も観に行きました。スペンサーは75歳だったと思います。ステージではほとんど動かずステージに上がるのにも人の手を借りてました。この番組で三回に渡って聞いてもらった往年のような声は出ませんでしたが、それでも集まったソウル・ファンの声援に応えてひたむきに歌っていました。そして所々に若き日の歌の輝きを聞かせてくれました。でも、やはり70年代の後半オーティス・クレイやO.V.ライトが来日した頃に来ていたらなぁ・・・という思いは消えませんでした。そして、こんな素晴らしい歌手がアルバムもなくあまり知られずにいたことに改めてショービジネスの世界の過酷さを思いました。
最後にスペンサー・ウィギンスがメンフィスのクラブで歌い始めた10代の終わり頃、彼が好きだったのはB.B.キングやボビー・ブランドのブルーズとレイ・チャールズのR&Bでした。そのB.B.キングのヒット曲が録音されているので聞いてみたいと思います。

5.Sweet Sixteen/Spencer Wiggins

ブルーズを歌っても素晴らしいです。2/13に亡くなった偉大なサザン・ソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンスの追悼を三週にわたってON AIRしました。
この番組のHPにジャケ写などだしてますのでぜひアルバムを探して聞いてみてください。

2023.04.07 ON AIR

追悼:スペンサー・ウィギンス vol.2

Soul City U.S.A./Spencer Wiggins(Goldwax Records/Vivid Records)
Feed The Flame : The Fame And XL Recordings/SPENCER WIGGINS

ON AIR LIST
1.Walking Out On You/Spencer Wiggins
2.The Power Of A Woman/Spencer Wiggins
3.That’s How Much I Love You/Spencer Wiggins
4.Love Machine/Spencer Wiggins
5.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins

先週に引き続き2/13に81歳で亡くなった偉大なサザン・ソウル・シンガー、スベンサー・ウィギンスの特集二回目です。今日もウィギンスが66年から69年まで所属したゴールド・ワックス・レコード時代の曲をまず聞いてみようと思います。ウィギンスは1942年の生まれですから録音された頃は20代半ばで将来に向けて夢を持って歌っていた頃でしょう。
ところが彼はずっとシングルしか出せなくてアルバムを出せない状態が続きます。それはやはり大きなヒットが出なかったからです。
先週から聞いているアルバム”Soul City U.S.A.”も1977年になってやっとシングルを組んでリリースされたものです。今日は最初に僕も「ブルーヘヴン」というバンドを組んでいた時にカバー・レコーディングした曲です。軽快なシャッフル・ビートに乗って歌うウィギンスは持っている歌唱力の6,7分くらいの力で歌ってる感じがします。

1.Walking Out On You/Spencer Wiggins

「遊んでばかりいてイライラさせられる彼女にその生き方を変えないんやったら俺は出て行くぜ」と三行半を突きつけたような歌ですね。

このゴールドワックスというレーベルで録音されたウィギンスの曲はバックの演奏もとても丁寧に作りこまれています。ウィギンスの歌も素晴らしいし、バックも申し分ない演奏です。なのに売れなかった。1977年このSoul City U.S.A.というアルバムが日本でリリースされた頃、日本はサザンソウルのちょっとしたブームに入り始めていました。南部のシングルしかない60年代のソウル・シンガーたちの曲を集めたコンピレーション・アルバムもかなりリリースされました。その中でもウィギンスは傑出したシンガーだと僕は感じていました。
次のバラードはスペンサー・ウィギンスの曲の中でもぼくが好きな1曲で強烈な彼の歌唱が聞けます。
男は偉そうにしているけど結局女性が持っている生きる力には勝てないという曲です。
「男はサムソンやヘラクレスみたいに偉そうにしているけど女性の甘い唇に膝まづいてしまう」という歌詞がいいですね。

2.The Power Of A Woman/Spencer Wiggins

次もバラードですがオーティス・レディングやO.V.ライトが歌った名曲”That’s How Strong My Love Is”に匹敵する最上級のサザンソウル・バラードです。
歌に呼応したギター始め素晴らしいバックの演奏にも耳を傾けて聞いてください。

3.That’s How Much I Love You/Spencer Wiggins

スペンサー・ウィギンスの気持ちとバックが一体となってエンディングに向かって行く演奏の素晴らしさ。
大きなヒットが生まれないまま1969年に所属していたゴールド・ワックス・レコードは会社を畳んでしまいます。結局7枚のシングルをゴールドワックスから出して彼はアラバマのマッスルショールズにあるフェイム・レコードに移籍します。
その移籍第一弾が1969年のこの曲です。

4.Love Machine/Spencer Wiggins

アレンジやサウンドの作りに当時のソウル・ミュージック・シーンに対応してヒットを狙っている感じがします。ファンク・テイストもありダンサブルですが、曲のタイトルの「ラブ・マシーン」というのもそうですが、やはり69年70年最初によくあったダンス・ナンバーという感じは歪めない。最後の方で素晴らしいシャウト&スクリームで盛り上がっていくところはやはりゴスペル出身の実力を感じさせられます。
フェイムレコードではシングルが二枚だけのリリースでした。その2枚目の”Double Lovin’”のB面に収録された”I’d Rather Go Blind”で彼は本領を発揮しています。この曲は女性R&B
シンガーのエタ・ジェイムズが友達と作りエタ本人が歌ってヒットした名曲ですが、このスペンサー・ウィギンスのカバーも素晴らしい出来です。
「君が他の男と去って行くのを見るくらいなら僕は盲目になった方がマシだ」という強烈なロストラブ・ソングです。1970年の録音。

5.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins

音楽の世界は才能があっても、努力があってもそれがヒットや成功に繋がるわけではありません。人との出会いやチャンス、時代の流れなどいろんな要素も絡んでヒットが出たり成功に導かれれたりします。「ソウルシンガーの中のソウルシンガー」と呼ばれたウィギンスは周りからも一目置かれる歌手でしたから、大きなヒットが出ない苦悩は大きかったと思います。この前の野球のWBCの時の村上選手みたいなもんですよ。すごく期待されていて四番を任されて十分な実力もあるのにホームランとか得点に繋がるヒットが出ない村上選手の苦しみみたいなものです。村上選手はそのプレッシャーをはねのけて活躍しましたが、音楽のヒットは自分だけの努力では難しいです。そしてウィギンスはヒットが出ないことに嫌気がさして故郷メンフィスを後にしてフロリダへ移り住みます。
この後の話はまた来週。