2017.04.28 ON AIR

思い出のムッシュ(ムッシュかまやつさんを偲んで)vol.2

Rockin’ With Monsieur(P-VINE PCD-18578)


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ON AIR LIST
1.Route 66/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
2.Boom Boom/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
3.Te-Ni-Nee-Ni-Nu/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
4.High Time Baby/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu
5.Be-Bop-A-lula/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

 

ムッシュの追悼第2回目です。
今日は2009年に僕のバンド、ブルーズ・ザ・ブッチャーとムッシュがコラボして作ったアルバム”Rockin’ With Monsieur”を聴きます。
僕がムッシュと一緒にステージに立つようになったのはいつのことだったか、はっきり想い出せないのですが、自分のセッションにムッシュに来ていただいた90年代の最初の頃ではないかと思います。もちろんそれ以前から、というより中学生の頃、ムッシュがスパイダースの頃から僕はムッシュを知っていたし、ソロになられてからもどこかのコンサートで一緒になったこともあったし、ウエストロード・ブルーズバンドの70年代半ばにムッシュのラジオ番組に呼んでいただいたこともありました。でも、その頃はムッシュへの気恥ずかしさであまり深い話をしたことはなかった。
それが1991年に僕がいろんなミュージシャンにインタビューした本「エンドレス・ブギー」で、ムッシュにインタビューさせてもらったのが仲良くさせてもらう最初だったと思います。
まずは、1946年にピアニストのボビー・トゥループによって書かれたこの曲「ルート66」はナット・キング・コールが歌って大ヒットしていたので、ムッシュは子供の頃からご存知だったと思います。
1.Route 66/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

イギリスでは60年代にアメリカのブルーズやR&Bの影響が強く現れたブルーズロックのバンドがたくさん出たのですが、日本ではまだダイレクトに黒人音楽がミュージシャンのところには届いていなかったそうで、次のジョン・リー・フッカーの曲もムッシュは「僕はジョン・リー・フッカーではなくてイギリスのアニマルズ経由でこの曲を歌ってました。一回イギリスのフィルターを通したブルーズのやり方が好きだったんですね」と言われました。ジョン・リー・フッカーの原曲は1962年リリース。2.Boom Boom/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

ムッシュとせっかく一緒にアルバムを作るのだから、僕らのブルーズテイストの曲も歌ってもらいたいと選曲したのがスリム・ハーポのロッキン・ブルーズ”Te-Ni-Nee-Ni-Nu”でした。この曲をムッシュとKOTEZとデュオで歌うアイデアでした。
ダンサブルで軽快な曲調がムッシュにすごく合っていて、ステージでもいつもこの曲を一緒にやっていただきました。
3.Te-Ni-Nee-Ni-Nu/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

ムッシュは60年代に何度もヨーロッパ、イギリスに渡っていて、当時のイギリスの音楽シーンの話を聴かせてもらうのは本当に楽しみでした。ムッシュはオシャレな方でしたのでやはりモッズ系のスモール・フェイセス、その後のフェイセスあたりがとくにお気に入りでしたが、スペンサー・デイヴィス・グループもお好みでムッシュのラジオ番組のタイトルも”Keep On Running”というスペンサー・ディヴィス・グルーブのヒット曲から名付けられていました。僕たちと録音した次のスペンサー・デイヴィス・グループの曲もヒットした曲で僕もリアル・タイムで高校生の頃よく聴いてました。
ムッシュはかなり高い歌声も出る方でしたので、この曲もぴったりハマった感じでした。
4.High Time Baby/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

ムッシュがロックの前にカントリー&ウエスタンを歌っていたことも、そもそも最初はジャズのコルネットのプレイヤーになろうとしたことも呑んでる席で聴きました。お父様のティーブかまやつさんは日本にジャズを根付かせた偉大な方で、やはり最初にジャズに向かったというのも自然な流れだったのでしよう。でも「ジャズは敷居が高かった」と辞められた理由をそう言われてました。そして、その後カントリーを歌われてましたが、その頃テレビでムッシュを見たのを僕はうっすら覚えています。そのあとプレスリーたちが登場してロカビリーの大ブームが来るんですが、次の曲はそのロカビリーの時代の代表的なシンガー、ジーン・ヴィンセントがヒットさせた曲で、これもムッシュの十八番のひとつでした。
5.Be-Bop-A-lula/blues.the-butcher-590213&Monsieur Kamayatsu

このアルバム”Rockin’ With Monsieur”はAmazonなどのネットまだゲットできますので、是非聴いていただきたいです。ムッシュがリリースされたたくさんのアルバムの中でブルーズのカバーだけを歌われたのはこれだけだと思います。
ムッシュとはいろんなところへ行きました。そして、呑みながら話されることが本当に楽しくて、面白くて、いい時間を過ごさせていただきました。
ムッシュとのいろんな素敵な思い出は心の中にしっかりとしまって、これからいつまで歌えるかわからない自分のブルーズを歌っていきたいと思っています。
ムッシュ、本当にありがとうございました。

2017.04.21 ON AIR

思い出のムッシュ(ムッシュかまやつさんを偲んで)vol.1

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THE SPIDERS BEST TRACKS (TEICHIKU TECH-25043)

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かまやつひろしGolden Best (ウルトラヴァイヴ CDSOL-1126)

ON AIR LIST
1.フリフリ/ザ・スパイダース
2.ノーノー・ボーイ/ザ・スパイダース
3.エレクトリックおばあちゃん/ザ・スパイダース
4.どうにかなるさ/ムッシュかまやつ
5.ゴロワーズを吸ったことがあるかい/ムッシュかまやつ

この番組にも出演していただいたムッシュかまやつさんが去る3月1日に亡くなられました。
僕は生前仲良くしていただいて、ツアーも何度も一緒に回っていただいてこの弘前にも二度来ていただき、この番組にもご出演いただきました。ライヴ、コンサートもたくさんご一緒して僕のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャー」と一緒に作ったアルバム”Rockin’ With MosIeur”もあります。本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。
個人的にもよくお酒を飲みにお誘いいただいて、オフの日にも時々お伴しました。ムッシュとは本当に楽しい思い出しかないです。
ムッシュは楽しいことや面白いことやふざけたことが大好きでしたので、今日はそういうムッシュのことを話をしながら、僕が好きなムッシュの音楽を聴いてみます。

僕が初めてムッシュを遠くから見たのは1965年でした。
1965年イギリスのピーターとゴードンというデュオが来日しました。彼らはビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーに曲を書いてもらった「愛なき世界」”World Without Love”という曲が世界的にヒットしてそれで日本にもくることになったのです。その彼らのコンサートを僕は実の兄とふたりで見に行くことにしました。その頃、僕は名古屋に住んでいて会場は金山体育館というところでした。その時の共演がムッシュがメンバーだったスパイダーズでした。その時中学三年、僕は外タレのコンサートも生まれて初めてでしたが、エレキのロックバンドを生で聴くのもも初めてでした。だから、僕の初エレキバンドの体験はスパイダーズだったのです。スパイダーズは自分たちの演奏が終わったあと、今度はピーターとゴードンのバックもやったんです。ピーターとゴードンはデュオで自分たちのバックバンドはイギリスから連れてこなかったんです。
僕はピーターとゴードンよりも、スパイダーズの演奏のことをよく覚えていて、とにかく客席のファンの女の子たちからキャーキャーと歓声がすごかったです。そのことをムッシュに言うと「それはマチャアキとジュンちゃんへの声援ですよ」と言われましたが、ムッシュもすごく人気があったように思います。それを見て僕はエレキバンドやると女の子にも持てるんやなと勝手に心に刷り込んでしまいました。

今日最初に聴いてもらうのは1965年5月のリリース。スパイダーズの最初のシングルです。ムッシュは「この曲は日本人に馴染みのある三三七拍子のリズムでアレンジした」と言われてまして、ドラムの田辺さんのビートが確かにそうです。それから不思議な事にこのシングルのジャケット写真にはムッシュが写っていないんで「なんで写ってないんですか?」と訊きましたら、撮影の時に遅刻しましたとムッシュは笑ってました。
1.フリフリ/ザ・スパイダース
グループ・サウンズと呼ばれた当時のロック・バンドの中では、スパイダースがオリジナルもいちばん洋楽に近いテイストを持っていたし、取り上げるカバー曲のセンスもスパイダースがいちばんよかったと思います。あとはバンドのムードがファンキーで明るかったですね。

いまの「フリフリ」の翌年66年に出された次の曲で僕はスパイダースがすごく好きになりました。これは作曲がムッシュで作詞はドラムの田辺さんが書かれています。歌詞も曲も自然でおしゃれで、そして切ない。学校の行き帰りに歩きながらよく口ずさんでいました。
2.ノーノー・ボーイ/ザ・スパイダース

ムッシュと当時の音楽の話をしているとビーチボーイズやジャンとディーンといったサーフ・ミュージックも好きだったと言われてましたが、次の曲なんかはその影響が出ている曲で、コーラスのアレンジなんかはビーチボーイズ風です。
ムッシュと飲んでいる時にボクがこうして弘前でラジオの番組もやっているので、一度弘前にライヴに行きませんかとお誘いしたところ、ムッシュのおじいさまがこの弘前のご出身ということを言われまして、それなら是非ということで、二度弘前に来ていただきました。その時弘前の街をふたりで歩いていると「うちのおやじ系の顔の方がたくさんいらっしゃいます」と言われてました。
次はスパイダーズの後期に作られた歌ですが、弘前のおばあちゃんと最初に出てきます。
3.エレクトリックおばあちゃん/ザ・スパイダース

ムッシュはスパイダーズでロックに入る前にカントリー&ウエスタン歌われていた時期がありました。グループサウンズが流行る前は、プレスリーなんかのロカビリーが流行っていて、その前はカントリー&ウエスタンでジミー時田さんとか小坂一也さんとかカントリー・シンガーの方がいて、あと日本のポピュラーミュージックはジャズでしたね。
それで次の歌はちょっと裏声を出すカントリーの唱法をムッシュは使われているのですが、そのことを僕が言うと「やはり三つ子の魂でしようか」と笑われてました。この曲は作詞が山上路夫 さんで作曲がムッシュです。僕の大好きな曲のひとつです。
4.どうにかなるさ/ムッシュかまやつ
「愛してくれた人もひとりいたよ」というところが好きなんですが切ないですね。ひとつのところに留まらないで他の街へ行ってしまうというのは、ブルーズにもある男の放浪のパターンです。
ムッシュはカントリーだけでなく、ジャズにもそしてフォークやニューミュージックにも精通されていて、次の歌はボブ・ディランが作るトーキングブルーズ的なテイストです。この歌が大好きな人も多いと思います。
生きてるんだから何か自分の好きなことにほかのことを忘れるくらい熱中しなければダメだというメッセージが込められていると思います。
最初の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」という歌詞のはじまりからの展開が素晴らしいです。

5.ゴロワーズを吸ったことがあるかい/ムッシュかまやつ

僕はゴロワーズの三番の歌詞が格別好きなのでここに記しておきます。
(君はたとえそれがすごく小さな事でも何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでもアンティックの時計でも
どこかの安い バーボンのウィスキーでもそうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど 君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう)
ムッシュはこの歌のように最後までいろんなことに興味をもち、いろんなことに感動して、楽しく生きて、そして誰にでも優しく接した方でした。
僕はムッシュだけがなんでも話せるこの音楽業界のたったひとりの先輩でした。一度だけいただいたアドバイスはずっと心に残るものでした。
去年入院された12月には「ホトケさんに負けたくないから必ず出所します」とメールをいただきました。出所と書かれていたことがすごくムッシュらしくて面白かったのですが・・、そういうウィットいつも効かせてくれる方でした。本当に残念です。
来週は僕のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャーとムッシュがコラボして作ったアルバム”Rockin’ With Mosieur”を聴きます。

2017.04.14 ON AIR

60年代ブリティッシュ音楽シーンに咲いていたソウルフルな花 LULU

LULU/The ATCO Sessions 1969-1972 (ATCO BSMF RGM-0268)

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ON AIR LIST
1.Mr.Bojangles/LULU
2.Feelin’ Alright/LULU
3.Oh Me Oh My(I’m A Fool For You Baby)/LULU
4.Good Day Sunshine/LULU
5.Melody Fair/LULU
 

 

60年代のブリティッシュ・ロックを探索していると当時の女性シンガー、ルルさんの名前が出てきます。
もちろん高校生の頃から名前は知っていたんですが、ずっと気になっていた彼女の曲を今日は初めて聞いてみようと思います。
僕が高校三年くらいの時にシドニー・ポワチエという黒人俳優が主演の映画「いつも心に太陽を」というのがあったんですよ。その映画の主題歌を歌っていたのが今日のルルさん。風邪薬みたいな名前ですけどね。彼女は歌だけじゃなくて役者としても出演してました。映画は学園感動ものですがあまり記憶に残ってません。それで高校生の時にこのルルさんを知ってテレビの音楽番組にも出てきてましたが、いわゆるポップ・シンガーという感じだったので、その頃ジミ・ヘンドリックスとかクリームみたいなサイケデリック・ロックが好きで女性歌手も好きなのはジャニスでしたから、全然ルルさん興味なかったんですよ。
それが2005年にマーティン・スコセッシが総監督したブルーズの映画シリーズ「ブルース・ムービー・プロジェクト」のイギリス編「レッド・ホワイト&ブルース」というマイク・フィギスが監督した映画あってそこにルルさんが出てきたんですよ。僕にとってはもう40年以上ぶりの再会ですよ。その時R&Bの”I’d Rather Go Blind”を歌うんですが、「ええっ?この人ってただのポップシンガーやなかったん?」とちょっと驚きました。
では、最初にみなさんもよく知っている曲を聴くのがいいかなと思います。元々はカントリーは畑のジェリー・ジェフ・ウォーカーが自作自演したもので、もうたくさんカバーがありますが、僕はニッティ・グリッティ・ダートバンドで最初知りました。ニーナ・シモンのカバーも素晴らしいです。年老いた落ちぶれたダンサーのことを歌っているんですが、15年一緒だった犬が死んで20年経ったいまでも悲しいというくだりが胸にぐっときます、でもミスターボージャングルは拘置所の中でも軽やかに踊ったという歌です。
1.Mr.Bojangles/LULU

その「レッド・ホワイト&ブルース」の映画からルルさんのことはずっと気になっていたら、先日バンドのツアー旅先の岡山のレコード屋さんで2枚組の”The Atco Sessions 1969-72″という2枚組のアルバムに出会って、即ゲットしました。あまり僕が知ってる曲はないのですが、デイヴ・メイソンが作ったFeelin’ Alrightが入ってました。メイソンがスティーヴ・ウィンウッドと結成していたトラッフィックの68年の曲。ファンキーな曲で好きです。
2.Feelin’ Alright/LULU

ルルさんは元々黒人音楽のR&B、ソウルが好きだったみたいですが、ポップな曲で売れてしまったんですね。今日聴いてもらっている”New Routes”というアルバムは1969年にルルさんがイギリスからアメリカのマッスルショールズへ行って作ったアルバムで、当時二十歳です。アラバマのマッスルショールズと言えば、アレサ・フランクリンやウィルソン・ピケットなど黒人ソウルシンガーのヒット曲をたくさん録音したところで、ソウルミュージックの聖地ですよね。やっぱり、そこで録音したかったのでしょう。レコード会社はアメリカ黒人音楽の名門アトランティックレコードの傘下のアトコレコード。アトランティックが録音したということは彼女の実力をわかってのことでしょう。聞いてもらうのはアレサで知られているんですが、実はこの曲ルルさんの方が先に録音してるんですね。
3.Oh Me Oh My(I’m A Fool For You Baby)/LULU

ルルさんは今年69才健在です。2000年にTogetherというアルバムをリリースしてそれにはエルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、スティングなどがゲストで入っていて、またルルさんはタレントでもありテレビの司会者でもあり、役者さんをやったこともあるみたいです。日本ではあまり知られてませんが、イギリスでは大英帝国から勲章ももらっている国民的歌手です。いまポールの名前が出ましたが、次の曲はそのビートルズのカバーです。僕はあまりビートルズのカバーでいいなと思ったことはないのですが、この選曲とアレンジは好きです。
4.Good Day Sunshine/LULU
やはり、ソウルが好きだったからアメリカへ行って、しかもマッスルショールズでレコーディングしたかったんでしょうね。アトコから2枚リリースしたのですが、大きなヒットには恵まれませんでした。でもイギリスでずっとルルさんは歌いつづけヒットはいくつかありました。
歌が大好きで辞めなかったんですね。歌を聴いていても真面目な人なんだと思います。
いまの曲はアトコレコードの2枚目のMelody Fairに収録されているのですが、そのタイトル曲を聞いてください。これはビージーズのヒット曲です。
5.Melody Fair/LULU
ルルさんは若い時1969年にビージーズのモーリス・ギブと結婚して、22年という長い結婚生活だったんですが、91年に別れてしまいます。
それでこの間youtubeを見ていたら2010年の映像がありまして、それは別れた旦那さんのモーリスとルルがビージーズのFirst Mayという曲をデュエットしているんですが、それがすごく良くて・・「僕らが小さくてクリスマスツリーが自分たちの背よりも大きかった頃、僕らは無邪気に遊んで愛し合っていた。でも僕らの方がクリスマスツリーより大きくなって 僕らは別れてしまった。けれど愛はなくならない、でも5月最初の日になると涙を流すことになるんだよね」
すごくいいデュエットでいい映像です。これを歌っている時ルルさんは何を想っていたのか・・・音楽のすごく美しい瞬間が見れます。こちらです→https://www.youtube.com/watch?v=-nCedXvoaBE

2017.04.07 ON AIR

60年代ブリティッシュ・ロックの名シンガーふたり、ヴァン・モリソンとスティーヴ・ウィンウッド

THEM/THEM(Decca/LONDON ポリドールP25L 25024)

THEM/THEM(Decca/LONDON ポリドールP25L 25024)

How Long Has This Been Going On /Van Morrison with Georgie Fame(Verve ポリドール POCP-7102)

How Long Has This Been Going On /Van Morrison with Georgie Fame(Verve ポリドール POCP-7102)

The Singles/Spencer Davis Group(BR MUSIC BX550-2)

The Singles/Spencer Davis Group(BR MUSIC BX550-2)

ON AIR LIST
1.Gloria/Them
2.Just A Little Bit/Them
3.That’s Life/Van Morrison with Georgie Fame
4.Dimples/The Spencer Davis Group
5.Gimme Some Lovin’/The Spencer Davis Group
6.Keep On Running/The Spencer Davis Group

ストーンズのニューアルバムの特集で中断してしまいましたが、激動の60年代ブリティッシュ・ブルーズの続きで今日は素晴らしいシンガー、ヴァン・モリソンとスティーヴ・ウィンウッドです。
まずはアイルランド出身、ゼムというバンドでデビューしたヴァン・モリソン
ブルーズにはリトル・ウォルターの”My Babe”のように「オレの彼女は可愛いやろ」とか「優しくてええ女やねん」というような彼女自慢の歌がよくあります。レイ・チャールズには女性の名前の曲ばかり集めたアルバムがありますが・・それはそれでいろいろ差し障りがあるんやないか・・と思います。
今日の一曲目はヴァン・モリソンのオリジナル。
グロリアという名前の彼女が真夜中にやってきてオレを気持ちよくさせてくれる。一晩中叫びたい、毎日叫びたいグロリア!
1.Gloria/Them
ヴァン・モリソンはソングライターとしても素晴らしい人ですが、カバーする時も、歌詞の内容にうるさいというかすごく歌詞を点検して調べる人のようです。
次の曲は僕もカバーしているメンフィスの50年代のヒットメーカー、ロスコー・ゴードンの有名曲ですが、こんなアレンジでカバーしたのはこのゼムだけやないかと思います。
イントロが始まった時に、曲順間違えたかと思いました。
2.Just A Little Bit/Them
このゼムをリリースしたのはイギリスのデッカレコードでストーンズも同時期に出してるんですが、同じスタジオで同じエンジニアなんでしょうか、音の作り方がよく似てます。ヴォーカルのトーンもミックのトーンに似てます。こういうサウンドが好きになってイギリスの60年代ロックが好きになった人も多いと思います。
ヴァン・モリソンのアルバムを探していたらずっと聞いてなかったアルバム、これはヴァンと同世代の同じイギリスのキーボード、ジョージー・フェイムと作った95年のアルバム”How Long Has This Been Going On “から。
元々フランク・シナトラで有名になった曲です。
「人生はそんなもんやと人は言う。4月はめっちゃ調子よかったけど、 5月は落ち込んでもやり方を変えて6月には頂点に返り咲くのさ」
サビの最後の歌詞が僕は好きです
Each time I find myself flat on my face,
I pick myself up and get back in the race.
落ち込んでぶっ倒れるたびに、オレは自分で立ち上がりまたもとに戻っていく
自分自身を拾い上げて、また競争(人生の)に戻る」
3.That’s Life/Van Morrison with Georgie Fame

60年代のブリティッシュ・ロックバンドでやはり忘れられないのはスペンサー・デイヴィス・グループですね。僕は高校生の頃、スペンサー・デイヴィスが歌っていると最初思ってたんですよ。バンド名がそうですからね。そしたらキーボードのスティーヴ・ウィンウッドがヴォーカルやとかなり経ってからわかって・・。スティーヴ・ウィンウッドがこのスペンサー・デイヴィス・グループの要やったんですね。
8才の時に自分の父親とお兄さんとバンドをやっていたウィンウッドはその時すでにギター、ピアノ、ドラムをものにしていたらしいです。そして、兄貴のマフと一緒にスペンサー・ディヴィス・グループに加入したのが15才!まだ中学生です。オリジナルのヒットはあとから聴くとして彼らのカバー・シングルをまず聴いてみよう。
4.Dimples/The Spencer Davis Group
ジョン・リー・フッカーがオリジナルのカバー。これがスペンサー・ディヴィス・グループの初シングル。この前も言いましたが、この当時のイギリスの若者たちは本当にジョン・リーが大好きでアニマルズもストーンズもゼムもカバーしてます。
さっきのヴァン・モリソンと同じようにスティーヴ・ウィンウッドもソングライターとしての才能がある人で、いまから聞いてもらうGimme Some Lovin’はブルーズ・ブラザーズにカバーされてます。では、1966年スペンサー・ディヴィス・グルーフ゜の大ヒット
5.Gimme Some Lovin’/The Spencer Davis Group
スティーヴ・ウィンウッドは67年にスペンサー・デイヴィス・グループを脱退してからデイヴ・メイソンと「トラフィック」を結成して、二年後69年にはクラプトンと「ブラインド・フェイス」結成。他にもジミ・ヘンドリックスのレコーディングに参加したり、やっぱり歌だけでなく、キーボードもギターもうまいので引っ張りだこなんですね。78年頃にソロになってからしばらくヒットがなかったんですが、86年の「バック・イン・ザ・ハイライフ」のアルバムでハイヤー・ラブがヒット。
これも好きな歌です
6.Keep On Running/The Spencer Davis Group

ブリティッシュのロックのシンガーというとストーンズがなにしろずっと続いているバンドなのでミック・ジャガーの名前が出てくるんですが、以前に聞いてもらったアニマルズのエリック・バードン、今日のヴァン・モリソン、スティーヴ・ウィンウッド、ロッド・スチュワートと歌の素晴らしいシンガーがたくさんいます。全員ブルーズやR&Bの黒人音楽の影響で歌を始めているんですが、また、そのシンガーたちがいまも現役で歌っていることが素晴らしいです。