Rick Hall
追悼 リック・ホール(魔法のマッスル・ショールズ・サウンドを作った男)第2週
The Fame Studios Story 1961-1973 (KENT BOX12 P-Vine Records)
ON AIR LIST
1.Sweet Soul Music/Arthur Conley
2.Tell Mama/Etta James
3.Everytime/Linda Carr
4.Do Right Woman,Do Right Man/Otis Clay
5.I Never Loved A Man (The Way I Love You)/Aretha Franklin
前回に引き続き1月2日に亡くなったアメリカの偉大なプロデューサーであり、レコーディング・エンジニアでもあったリック・ホールの残した音源を聴きます。
彼が設立したフェイムスタジオからヒットが出るようになった60年代中頃、僕はロックに興味をもった頃でイギリスのビートルズやストーンズをラジオで追いかけていました。まだまだソウルとやブルーズにはたどり着いてません。その頃ビートルズなどのヒットと一緒にラジオから時々流れてくるのが北部のモータウンレコードと南部のスタックスレコードのソウル・ミュージックでした。もちろんその頃はソウルもスタックスもサザン・ソウルも、そしてリック・ホールもフェイム・スタジオも何も知らなかったのですが、次の曲はラジオのヒット・チャート番組で耳にして、すごくいいなと印象に残りました。これもフェイム・スタジオ録音です。まさに60年代半ばソウル・ミュージックが勢いに乗って登っていく時の象徴的な一曲です。
1.Sweet Soul Music/Arthur Conley
60年代中頃になると次々とソウル・シンガーがフェイムスタジオにやってきて録音して名曲を残していくことになります。
次のエタ・ジェイムズは50年代にデビューしてすでに全国的に名前を知られていましたが、この曲が録音された頃は少しヒットが出ていない時でした。でも、このフェイム・スタジオで彼女は一生歌い続ける2曲を録音しました。ひとつはクラレンス・カーターがオリジナルの”I’d Rather Go Blind”、そしてもう一曲がこの曲。僕がこの録音の10年後ロスでエタ・ジェイムズのライヴを見た時の最初の登場曲がこれでした。
2.Tell Mama/Etta James
曲もバックの演奏も非のうちどころのないもので、エタの歌も最高です。
息子に「オマエは愛してくれるええ女をゲットしたと思てるやろけど、あの子はアカンで。あの子はいけずや、しらっとしてなほかの男に行ってしまうそんな女や。やめときあんな子。おかんに話してみ。うまいことしてあげるから。おかんに話してみ」
関西弁で訳すとこうなります。
次の曲は聴いてすぐに僕は「これ、モータウンやん」と思いました。曲を書いたのはいまも活躍するレジェンドのダン・ペンとスプーナー・オーダムです。ふたりは南部にいながらもモータウン・ソウルのファンでモータウンの曲をよく聴いていたそうです。それでモータウン風の曲を書こうと思いたったらしです。
リック・ホールは無名のリンダ・カーの歌声が曲に合うと思い思いっきりモータウン風にしています。1974年、キュートな歌声のリンダ・カー。
3.Everytime/Linda Carr
リンダ・カーさんのアーティスト写真がこの3枚組のアルバムのブックレットにあるんですが、すごくグラマーでキュートです。でも、いまのEverytimeはいい曲なんですがヒットしなかったんですよ。ヒットしなかったけどいい曲というのはフェイムにはたくさんあります。
次のオーティス・クレイが歌った曲も素晴らしさに聴く度に心を揺さぶられ、いまとなってはソウルの名曲ですが、オーティス版は売れなかった。
「君が本当の心を見せて僕を愛してくれたら誰の誘惑にものらないで、僕も君を本当に好きになる。でも、ええ加減な付き合いをされたら他の誘惑に負けてしまうかもしれん。もし、オレにいい男でいて欲しいなら君もいい女でないとアカンよね」
4.Do Right Woman,Do Right Man/Otis Clay
いまの曲はもともとアレサ・フランクリンのI NEVER LOVED A MAN THE WAY I LOVE YOUのシングルB面収録されたのが最初で、やっぱりダン・ペンが曲を書いてます。
さて、そのアレサです。
1967年の1月にアレサはアトランティック・レコードのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーに連れられてアラバマ・マッスルショールズにやってきた。
アレサ・フランクリンはゴスペル歌っていた幼少の頃から天才歌手と言われていたけど、ポピュラーの世界に入った最初のコロンビア・レコードでは大きなヒットには恵まれなかった。そのアレサを前々からプロデュースしたいと思っていたアトランティックレコードのジェリー・ウェクスラーがアレサと契約しました。アレサのもつゴスペル・テイストが発揮できる、アレサにいちばん合ったスタジオはフェイムしかない思ったからでした。
アレサは旦那のテッド・ホワイト(テッドはアレサのマネージャーという位置)とスタジオにくるなりまずフェィムのスタジオ・ミュージシャンが全員白人なことに驚いたといいます。あまり白人ばかりというのも黒人のアレサにどうかと気を遣ったウェクスラーは、事前にホーンセクションだけは黒人にするようにリック・ホールに言っておいたのに、リック・ホールが用意したホーンも全員白人だったのです。これに機嫌を悪くしたのが旦那のテッドで、リック・ホールとテッドのいがみ合いが始まります。
それでも、まず一曲録音することになり、いまから聴いてもらう曲を録音しました。この演奏を録り終えた時、メンバー全員がアレサの歌に感動し素晴らしい録音が出来たと確証し、拍手が起こったそうです。アレサとジェリー・ウェクスラーもすごいものができたと思い、確かにこの曲は100万枚を突破する大ヒットとなり、アレサの生涯の代表曲になりました。
こんなに男の人を愛したことはないという、嘘ばかりで信用できない男を愛してしまった女性が、それでももう終わりだと言わないでと歌うところが切ないです。
5.I Never Loved A Man (The Way I Love You)/Aretha Franklin
でも、この曲を録音し終えたあとにテッド・ホワイトとリック・ホールが本当に喧嘩をしてしまい、テッドはアレサを連れてニューヨークへ帰ってしまいました。2014年に公開された映画『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』をご覧になった方はこのあたりのこともご存知だと思いますが、いまDVDも出てますので是非見てください。いい映画です。
60年代後期にはりック・ホールのフェイム・スタジオで録音をしたいとローリング・ストーンズやポール・サイモン、スティーヴ・ウィンウッドなどジャンルを越えてやってくるようになり、アラパマの小さな街マッスルショールズのフェイムスタジオとリック・ホールは世界の音楽関係者に知れ渡ることになりました
リック・ホールという人は言わば、ビートルズのプロデューサー、エンジニアであったジョージ・マーティンのような人で音楽をつくる、録音する作業の中でほとんどメンバーと同じ役割をする人で、それが故にシンガーやバック・ミュージシャン、レコード会社の人間と軋轢が生まれた人でした。そういう話はいろんなところに出てくるのですが、でも、考えてみればアラバマ州のマッスルショールズの田舎街で若い頃から失敗も繰り返して自分の信じる音楽、サウンドをつくるなんていうのは余程信念がないとできないです。リック・ホールを頑固者、偏窟な人、怒る人という話もたくさんあるのですが、そのくらいでなければ、個性的な音楽なんてできないと思います。
来週はもう少しリック・ホールの話をしたいと思います。
そして、まだまだある彼の残した素晴らしい音源を聴きます。