2023.02.24 ON AIR

エウェーデンのフォーク・ブルーズ・シンガー、エリック・ビブの新譜

Eric Bibb/Ridin’
私のように黒い夜/Black Like Me

ON AIR LIST
1.Ridin’/Eric Bibb
2.Blues Funky Like Dat/Eric Bibb(Featuring Taj Mahal)
3.500 Miles/Eric Bibb
4.The Ballad Of John Howard Griffin/Eric Bibb(featuring Russell Malone)

今回はこの番組で初めて紹介するフォーク・ブルーズマン、エリック・ビブです。初めての紹介ですが新人ではなく1972年以来すでにアルバムも20枚ほどリリースしています。現在69歳。今回のアルバム”Ridin’”は3/24に日本のBSMFレコードからリリースされます。
グラミーにもノミネートされたこともありますし、ブルース・ミュージック・アワードも受賞しているので名の知れた方ですが、ちょっとバイオを紹介します。エリック・ビブはお父さんが60年代のフォーク・シーンで活動していたレオン・ビブという人で、おじさんがジャズ・グループのMJQのピアニスト、ジョン・ルイスさんです。僕はお父さんは知らないのですが、叔父さんのグループMJQは高校生の頃から好きで今でも時々聴いてます。
エリック・ビブは若い頃にヨーロッパに渡り今はスウェーデンを中心に活動しています。フォークとブルーズとゴスペルのテイストを持ってますが、柔らかい歌声で弾き語りにバックをつけたような全体のサウンドも柔らかくアフリカン・アメリカンと言われなければヨーロッパの黒人ルーツ・ミュージックが好きな白人が作ったアルバムかなとも思えます。
まずアルバム・タイトル曲です

1.Ridin’/Eric Bibb

幼い頃はニューヨークに住んでいて父親がフォーク・シンガーだったこともあり、彼の家にはボブ・ディランやジョーン・バエズ、ピート・シーガーなどが出入りしてたようです。50年代の終わりから60年代ですからフォーク・ブルームがあった頃ですね。そんな中で子供の彼が好きだったのがゴスペルとスピリチュアルズを歌った女性シンガーのオデッタ、やはりフォーク系のアフリカン・アメリカンのリッチー・ヘヴンス、そしてタージ・マハール。
今回のアルバムにはそのタージ・マハールがゲスト参加しているのでその曲を聴いてみましょう。

2.Blues Funky Like Dat/Eric Bibb(Featuring Taj Mahal)

エリックがギターだけでなくいろんな楽器を演奏することや、作られているサウンドを聴いてるとやはりタージの影響が強いなと思います。
次は60年代にピーター、ポール&マリーなどフォーク・シンガーたちにたくさん歌われた曲で、若い人たちにも歌い継がれているので知っている方が多いと思います。
列車に乗って街を出て行く歌ですが、たぶん恋人にわざと会わずに列車に乗って君が汽笛を聞く頃には僕は100マイル先に行っていると始まり、200マイル300マイルと故郷から離れて放浪して500マイルも遠くにきてしまったけど金も着替える服もない。故郷には帰れないという歌です

3.500 Miles/Eric Bibb

このアルバムにはいろんなタイプの曲が収録されているのですが、ジャズテイストでちょっと異色な曲が一曲あります。The Ballad Of John Howard Griffinという曲です。「ジョン・ハワード・グリフィンのバラード」ですが、このジョン・ハワード・グリフィンという人は以前この番組でも紹介しましたが「私のように黒い夜/Black Like Me」という本を書いた人で、白人のジャーナリストなんですが50年代の終わりに自分が黒人だったら世間でどんな風な扱いを受けるんだろうと白い肌を飲み薬と日焼け薬によって黒くしてしまった男の実話です。結局黒人として白人にひどいい差別を受けて殺されそうになったりするのですが、その壮絶な体験の話はぼくも読んで衝撃を受けました。興味のある方は本の写真もHPの今日の放送のところにアップしますのでご覧ください。そして読んでみてください。
この曲にはジャズ・ギタリストのラッセル・マーロンが参加していて素晴らしいギターを弾いています。

4.The Ballad Of John Howard Griffin/Eric Bibb(featuring Russell Malone)

ギタリストのラッセル・マーロンは元々オルガン奏者のジミー・スミスのバンドにいてその後ハリー・コニック・ジュニアのバンドに長く在籍していました。あとダイアナ・クラールやマルサリス兄弟やロン・カーター、ジャズ・ブルーズのクリーンヘッド・ヴィンソンともやっています。

エリックは13歳で音楽学校に入っているので正規な音楽教育も受けているのだと思いますが、音楽的にとてもしっかりしたものを感じます。やはりフォーク・ミュージックのテイストが強くブルーズというカテゴリーよりフォークの方がぴったりくるかなと思います。
母国アメリカを出て外から眺めるアメリカの音楽を自分のスタンスで作っているところが興味深いエリック・ビブ。ミシシッピ・ジョン・ハートやケブ・モあたりを好きな方にはぴったりくると思います。泥臭い弾き語りのブルーズを好きな人にはちょっと物足りなかったかもしれないですが、来週はライトニン・ホプキンズのコテコテのライヴアルバムです。

2023.02.17 ON AIR

遠い昔に音楽は人種を越えていた
黒人音楽に素晴らしい曲をたくさん作った白人のソングライターたちその4

ドク・ポマス

The Best Of Th Drifters
DEUCES WILD/B.B.KING

ON AIR LIST
1.Save The Last Dance For Me/The Drifters
2.Boogie Woogie Country Girl/Big Joe Turner
3.This Magic Moment/The Drifters
4.Lonely Avenue/Ray Charles
5.There Must Be A Better World/B.B.King with Dr.John

このところ黒人音楽に素晴らしい曲を提供した白人のソングライターたちの特集をやっているのですが、”Hound Dog”や”Kansas City”を作ったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビの作品、そして先週は”Dark End Of The Street”や”Do Right Woman,Do Right Man”を作ったダン・ペンとスプーナー・オーダムの作品を紹介しましたが、今日はまずこの曲を聴いてください。

1.Save The Last Dance For Me/The Drifters

この曲を聴いたことのない人はいないだろうと思うほどの有名曲。倍賞千恵子さんや越路吹雪さんの日本語ヴァージョンもヒットした名曲ですが、原曲は1960年にリリースされた黒人コーラス・グループ「ザ・ドリフターズ」。リードで歌っているのは”Stand By Me”で有名なBen.E. King。彼がドリフターズに在籍した当時に大ヒットしたものです。
ご存知の方も多いと思いますが、この曲を作ったドク・ポマスは子供の頃にポリオ(小児麻痺)を患い松葉杖がないと歩けない状態でした。だから女性とダンスをするのは難しかったのですが、彼女が他の男と踊っているのを見てる時に「最後のダンスだけは僕と一緒に踊って欲しい」という切ない想いを込めて作った歌でした。
ドク・ポマスは本名ジェローム・ソロン・フェルダーで1925年の生まれです。両親はユダヤから移民でアメリカにやってきました。彼は子供の頃からブルーズが好きで病気を持ってましたがステージで歌いブルーズ歌手を目指していました。その頃の彼の憧れは偉大なジャズ・ブルーズ・シンガーのビッグ・ジョー・ターナーでした。1956年にその憧れのビッグ・ジョー・ターナーにドクが書いた曲がスイングする軽快なブギのこの曲でした。

2.Boogie Woogie Country Girl/Big Joe Turner

ポリオという病を持ちながらプロのブルーズ・シンガーを目指すことも難しく、彼は付き合っていた彼女と結婚することを機にソングライターの道を目指すことにしました。その時にドクの曲作りのパートナーとなったのがピアニストのモート・シューマン。そこでドクのソングーライターとしての才能も花が開いて二人はエルヴィス・プレスリーやボビー・ダーリンといった50年代の人気歌手にもたくさん曲を作りました。
最初に聞いてもらったSave The Last Dance For Meをヒットさせたドリフターズには他にもいい曲を提供していて次の曲もR&Bチャート4位、ポップチャートで9位に入るヒットとなりました。

3.This Magic Moment/The Drifters

次は1956年アトランティックレコードからレイ・チャールズが歌いR&Bチャートの6位になったブルーズ。まだヒットがあまり出ていないレイ・チャールズの初期の礎になった曲です。ちなみに60年代にシカゴ・ブルーズのマジック・サムがこの曲のパターンを使って自分の代表曲となる”All Of Your Love”を作ったのは有名な話です。
「窓が二つあるオレの部屋は陽の輝きがない。あいつと別れてから暗くて淋しい部屋だ。泣きたい、死にたい、寂しい通りに住んでいるオレ」
彼女と別れたから住んでいる街も寂しい街に感じるという歌。

4.Lonely Avenue/Ray Charles

ドク・ポマスはドクター・ジョンともたくさん曲を作ってました。次の曲はその二人が作って1981年にB.B.キングがレコーディンングしました。アルバムタイトルにもなったこのThere Must Be A Better WorldでB.B.はグラミーを獲得しました。もうすでにドク・ポマスもドクター・ジョンもB.B.キングも天国へ行ってしまいました。
今日はB.B.のアルバム「デューシズ・ワイルド」でドクターとB.B.がデュエットしているヴァージョンで聴いてください。
「俺は時々不思議に思う・・俺は何のために戦っているんやろって。勝っていたはずやのに結局いつも負けてる。俺はつまづいてばかり。俺は分かっているもっともっとマシな、いい世界がどこかにあるはずやって。愛した女はみんな他の男を好きになる。そしてはじまることもなく愛は終わってしまう。この世で見つからないのならたぶんあの世で見つかるんだろうな。泣く代わりに笑うことを覚えるんや。でも、きっとどこかにもっといい世界がどこかにあるはずや」

5.There Must Be A Better World/B.B.King with Dr.John

50年代から60年代にかけて白人のソングライターたちの曲を黒人シンガーが歌ってたくさんのヒットがあった話をここ何回かしてきました。その音楽の世界ではとっくに人種の壁はなかったわけです。白人のキャロル・キングが作って黒人シンガーのアレサ・フランクリンが歌った「ナチュラル・ウーマン」もそうです。
音楽には黒人も白人も日本人もないです。素晴らしい曲があるだけです。

2023.02.10 ON AIR

遠い昔に音楽は人種を越えていた
黒人音楽に素晴らしい曲をたくさん作った白人のソングライターたちその3/
ダン・ペン&スプーナー・オーダム

Moments From This Theatre / Dan Penn&Spooner Oldham(LIVE)
The Fame Studio Story
The Complete Gold Wax Singles

ON AIR LIST
1.Do Right Woman Do Right Man/Aretha Franklin
2.I’m Your Puppet/James & Bobby Purify
3.The Dark End Of The Street/James Carr
4.I’m Living Good/The Ovations Feat. Louis Williams
5.A Woman Left Lonely (Live)/Dan Penn

前回、前々回と黒人音楽に多くの曲を提供した白人のソングライター・チーム「ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー」の話をしながら彼らの作った曲を聞きましたが、今回は彼らと同じように黒人音楽に素晴らしい曲をたくさん提供した白人のシンガー・ソングライター、ダン・ペンとスプーナー・オーダムの二人です。
ダン・ペンもスプーナー・オーダムも南部の黒人音楽が豊かなアラバマで育ちました。1940年代です。ダン・ペンの本名はWallace Daniel Pennington(ウォレス ダニエル ペニントン」そのダニエル ペニントンからダン・ペンという名前にしたのでしょう。クレジットでダン・ペンの文字を初めて見た時から「おもろい名前やな」と印象に残りました。彼は10代から曲を作っていて1960年にコンウェイ・トゥイッティというカントリー、ロカビリー歌手に作った”Is a Blue Bird Blue”という曲が少し売れたのが19歳の時です。でも、彼は自分でバンドも作っていて歌手としてデビューして売れたかったようです。地元では歌が上手いと評判だったようでしたが売れませんでした。その頃の彼のアイドルはブルーズとR&Bが好きなのがよくわかるボビー・ブルー・ブランドとレイ・チャールズでした。地元のマッスル・ショールズやメンフィスで活動するうちにソングライターでありプロデューサーでもあるチップ・モーマンやスプーナー・オーダムと知り合いになり一緒に曲を作り始めます。
彼の名前が広く知られるきっかけになったのはマッスル・ショールズに録音に来たアレサ・フランクリンが歌いミリオンセラーになったこの曲でした。1967年リリース。

1.Do Right Woman Do Right Man/Aretha Franklin

「女にちゃんとしていて欲しいと言うのなら男もちゃんとしてないとね。女も男と同じ一人の人間、遊び道具ではないからね」
この素晴らしい曲を毅然と歌ったアレサも素晴らしい。この曲はダンやスプーナーの仲間だったチップ・モーマンとダンの共作ですが、次の曲はダンとスプーナーの共作です。

たぶん、アトランティック・レコードがこれからイチ推しでいくアレサにいまのDo Right Woman Do Right Man曲を歌わせたのは、その前年66年にR&Bチャート5位、ポップチャートでも6位になったこの”I’m Your Puppet”のヒットがあったからだと思います。
歌ったのは黒人デュオのジェイムズ&ボビー・ピュリファイ。邦題が「恋の操り人形」。Puppetというのはあやつり人形のことで「君が糸を引っ張れば僕は君にウインクするしキスもする。もし望むなら面白いこともするよ。君は僕を思うように動かせるんだよ」という優しい恋の歌です。

2.I’m Your Puppet/James & Bobby Purify

ダン・ペンは前回、前々回ON AIRしたジェリー・リーバーとマイク・ストーラーたちと同じように子供の頃から黒人音楽が大好きでした。白人の中には黒人の音楽は聴かないという人も多かった時代ですが、彼らは人種差別はなかった人たちでした。スプーナー・オーダムは高校のバンドでピアノを始めてノース・アラバマ大学に入るのですが、あまり大学に行かずにアラバマ、マッスルショールズの音楽好きが集まるフェイム・スタジオにたむろしていたそうです。そこでギタリスト、ジミー・ジョンソン、ドラムのロジャー・ホーキンスたちと知り合いになりフェイム・スタジオのスタジオ・ミュージシャンになりそこで生涯の友、ダン・ペンと知り合います。
それから名前が知られてスプーナーはキーボード・プレイヤーとしてボブ・ディラン、ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウンなどのバックや録音にも参加することになります。

僕はダン・ペンが作った歌を初めて聞いたのはたぶん黒人R&Bシンガー、ジェイムズ・カーが歌った次の”The Dark End Of The Street”だったと思います。
通りの突き当たりの暗闇で二人は許されない恋だとわかってるけど逢瀬を重ねるという不倫の歌です。欧米人はほんまに不倫ソング好きです。
たぶんいろいろ歌になるくらい普段から不倫があるんでしようね。

3.The Dark End Of The Street/James Carr

次の歌はダン・ペンが作った曲で僕がいちばん好きな曲です。時々、この歌が浮かんで自転車に乗ってる時とか歩いている時に口づさんでいます。
胸が暖かくなる曲です。
「住んでいる小さな家がぼくが持っている全てで、でもそれはお城のように思える。ボロい車はスタートしない時があるけど君と一緒に乗っていたらリムジンさ。君の優しい愛があるから僕は元気に気持ちよく生きているんだ」
歌っているのはこれも僕の好きなコーラスグループ、オヴェイションズ

4.I’m Living Good/The Ovations Feat. Louis Williams

最後はジャニス・ジョップリンがアルバム”Pearl”で歌っていた曲ですが、愛する人が去ってしまいひとりぽっちになった孤独を歌った歌です。今日は作ったダン・ペン本人の歌で聞きましょう。
1998年にダンとスプーナーがイギリスで行ったコンサートの素晴らしいライヴアルバム「モーメンツ・フロム・ジス・シアター」から聞いてください。

5.A Woman Left Lonely (Live)/Dan Penn&Spooner Oldham

ダン・ペンの歌は淡々としていますがソウルフルです。人を愛する時に生じる悲しみとか辛さとか苛立ちとか・・複雑な想いがその声の中に潜んでいます。彼は若い頃、黒人シンガーのような歌手になりたいと思っていたみたいですがなれなかった。でも、その歌手になれなかった気持ちを持ちながらやっぱり音楽からは離れないで曲を作っていた。そして出会った生涯の友、スプーナー・オーダムに手伝ってもらってまた歌い始めた。それはもう黒人シンガーのようになりたいという気持ちではなく自分でありたいと思った時だったのではなかと思います。このアルバムはもう軽く人種を越えています。素晴らしいです。
彼のソロ・アルバムもたくさん出ています。ぜひ聞いて見てください。今日は白人のソングライター・シリーズでダン・ペンとスプーナー・オーダムを取り上げました。

2023.02.03 ON AIR

遠い昔に音楽は人種を越えていた

黒人音楽に素晴らしい曲をたくさん作った白人のソングライターたちその2/ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー vol.2

The Leiber & Roller Story
The Best Of The Drifters
Elvis’ Golden Records

ON AIR LIST
1.Spanish Harlem/Ben.E.King
2.There Goes My Baby/The Drifters
3.Searchin’/The Coasters
4.Jailhouse Rock/Elvis Presley
5.Chapel Of Love/The Dixie Cups

先週に引き続きブラック・ミュージックの作詞作曲をした白人の二人組、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの話です。
40年代後半から50年代に入ると黒人の音楽がかっこいいと思う白人たちがたくさん出てきます。エルヴィス・プレスリーもそうですが特に貧しい地域では黒人と白人は近所に住んでいるので当然黒人音楽が白人の耳に入るわけです。特にラジオが主体の時代は流れてくる音楽が白人のものか黒人のものかはわからないので(例えばエルヴィスをラジオで聞いた人の中にはこれは黒人だと思い、逆にチャック・ベリーは白人と思われたということがありました)自然と黒人のブルーズやR&Bを好きになる白人が出てきたのです。ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーはまさにそういう白人です。

一曲目、曲名の「スパニッシュ・ハーレム」はニューヨークのマンハッタンのイースト・ハーレムにある黒人や有色人種が多く住む地域ですが、作詞のジェリー・リーバーはそこで生きる女性のことを詞にしました。つまり黒人女性のことだと思います。この曲の作曲はマイク・ストーラーではなくジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの下で働いていた後に名プロデューサーとなるフィル・スペクター。
「スパニッシュ・ハーレムに一本のバラがある。真っ赤なバラがある。太陽の下では見られなくて月が輝いて星が出てくるとそのバラは現れる」
ということは夜の仕事をしている女性のことでしようか。1960年リリース。私の大好きな歌です。

1.Spanish Harlem/Ben.E.King

哀愁のある都会の歌ですね。ストリングス、サックス、コーラスなどいろんな楽器がすごくうまく使われている中にあるベン・E・キングがいい歌声でさらっと歌ってます。

次の歌は今歌ってたベン・E・キングが在籍したこともあるドリフターズなんですが、ベン・Eとあと二人が曲を作ってジェリー・リーバーとマイク・ストーラーはここではプロデューサーとしてクレジットされています。ヒット・メイカーとなったジェリーとマイクはそういう役割も任されていたんですね。これは彼女が出て行ってしまう歌で「なんでオレを置いて行ってしまうんや」と歌ってますが、2番の歌詞に”I broke her heartAnd made her cry”って出てくるんですが、彼女を泣かせるようなことをこの男はやったわけです。多分浮気したんでしょうね。それで怒った彼女が出ていくとなって慌てていると・・。

2.There Goes My Baby/The Drifters

次はジェリー・リーバーとマイク・ストーラー1957年の作品。歌ったのはこれもコーラスグループの「コースターズ」
R&Bチャート1位 ポップでも3位になってます。
R&Bチャートは黒人音楽のチャートでポップ・チャートは白人チャートですが、ポップで3位というのは白人層にもかなり支持されたということです。
Searchin’ですから「探してる」もちろん彼女を・・これも逃げられた歌です。彼女を探して探していつか連れ戻してやるっていう歌ですが、女性は出って行ったらなかなか戻りまへんで・・。

3.Searchin’/The Coasters

Searchin’,Searchin’ってあんまり追いかけると返って逃げられますけどね。私は「去る者は追わず」主義です。
曲を作ったマイク・ストーラーは正式な音楽教育を受けていて大学ではクラシック音楽を専攻していた。マイクもジェリーも黒人音楽が大好きでしたが、レコード屋で働きながら作詞をしていたジェリーがマイクに曲を作ろうと積極的に働きかけていたそうです。
二人は作詞作曲家チームとなり売れ始めるとアトランティック・レコードでプロデュースの仕事もするようになりました。その頃、二人の下で働いていたのがさっき話したビートルズのプロデュースもした名プロデューサーのフィル・スペクター。

ビッグ・ママが歌った”Hound Dog”をエルヴィス・プレスリーカバーしたことで大ヒットとなり、ジェリーとマイクはエルヴィスの曲も書くようになります。やがてエルヴィスの映画の主題歌も担当するようになりレコード業界で大きな成功を得ました。
エルヴィスの映画の主題歌となった曲のひとつが邦題「監獄ロック」。1957年リリース。アメリカでもイギリスでもチャート一位になった世界的なヒット曲で、ブルーズ・ブラザーズ、ジェフ・ベックはじめ多くのカバーを生みました。

4.Jailhouse Rock/Elvis Presley

曲を作ったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーそして歌ったエルヴィスは3人とも白人ですが、人種差別が厳しかった50年代に彼らは黒人音楽の素晴らしさを感じそれを人種を超えて自分なりに表現をした偉大な人たちです。50年代に音楽ではすでに人種の壁を超えてくる人たちがいたわけです。
そしてジェリーとマイクは60年代に入るとレッド・バード・レコードという自分たちのレコード会社も設立しました。二人は作詞作曲からプロデューサーとして活躍しレコード制作の裏方としても活動します。
1964年次の曲はジェフ・バリーとエリー・グリニッチとフィル・スペクターの共作でジェリーとマイクのレコード会社からリリースされ全米一位に輝いた曲です。歌ったのはニューオリンズのガールズ・グループ、ディキシー・カップス「涙のチャペル」

5.Chapel Of Love/The Dixie Cups

教会に行って結婚しましようというハッピーな歌で”We’ll love until the end of time”(人生が終わるまで愛し合いましよう)なんてう歌詞が出てきますが、こういうのがチャート一位になるわりには離婚率の高いアメリカです。

2週に渡って50年代から素晴らしい曲をたくさん作った作詞作曲家チームのジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの音源を聴きました。黒人音楽の曲を白人たちが作っていたというのを初めて知った時は少し意外でしたが、考えてみればこうしてラジオから流れてくる音楽に黒人も白人もないし、作ったのが黒人か白人かもないわけです。ただいい曲かどうかだけです。音楽は早くから人種の壁を越えていたという話でした。
来週はマイクとジェリーのように黒人音楽が大好きで同じように黒人ミュージシャンにたくさんの曲を提供したシンガー・ソングライター、ダン・ペンの曲を聴きます。