2018.03.30 ON AIR

60年代ニューオリンズR&Bのパーティソング・マスター Robert Parker

Bare Footin'(Getta Steppin’ 14 dancamatic delights)/Robert Parker (Charly/P-Vine PJ-112)

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ON AIR LIST
1.Bare Footin/Robert Parker(A-1)
2.The Hiccup/Robert Parker(B-3)
3.Give Me The Country Side Of Life/Robert Parker(A-7)
4.Hot ‘N’ Cold/Robert Parker(B-4)
5.Get Right On Down/Robert Parker(B-1)
6.Get Ta Steppin’/Robert Parker(B-2)

ニューオリンズの60年代のR&Bのコンピレーション・アルバムを買うと大抵収録されている”Bare Footin'”というかっこいい、とても印象に残るダンス・ナンバーがあります。
歌っているのはロバート・パーカー。この”Bare Footin'”という曲が大ヒットしたためにロバート・パーカーというと「ああ、ベア・フッティンの人ね」と言われるのですが、実は他にもいい曲がある人なので今日は彼のアルバムを聴いてみようと思います。
今日は踊りながら聴いてください。
まずはその1966年の大ヒット、R&Bチャートで2位、ポップチャートで7位になったこの曲
1.Bare Footin/Robert Parker
この曲はウィルソン・ピケットはじめR&Bとソウル・シンガーたちにカバーされていますが、「靴なんか脱いで、裸足になって踊ろう」という他愛ないダンス・チューンですが、ニューオリンズのR&Bらしいおおらかな感じがしていいですね。

僕はロバート・パーカーをずっと歌手やと思ってたんですが、最初はサックス吹いてたんですね。
ロバート・パーカーは1930年のニューオリンズ生まれで、10代の頃にサックスを吹き始めて、10代の終わり頃にはニューオリンズの音楽シーンに出てきてプロフェッサー・ロングヘアーの”マルディグラ・イン・ニューオリンズ”などのレコーディングにサックスで参加してます。その頃はサックス・プレイヤーとしてニューオリンズでは売れっ子でファッツ・ドミノ、アーマ・トーマス、アール・キングなんかの録音にも参加してます。
59年にRonというレーベルから”All Night Long”という曲でソロ・デビューしました。インスト曲でサックスを吹いています。面白い曲なんですが、そんなにヒットしなくてその後もそれほどのヒットもないまま、Bare Footinで66年にブレイクするわけです。それでどういうきっかけで歌を歌うようになったかはわからないです。このBare Footinの頃の映像ではもうサックスは持ってなくて歌手の顔になってます。
取り立てて歌が上手いというわけではないんですが、なんとも言えないええ味があります。イギリスでもかなり人気がある人で1960年代の後半はイギリスに度々ツアーに出かけてました。

1970年になってSSSというレーベルからニューオリンズ・ファンクな、やっぱりダンス・ナンバーなんですが、The Hiccup(ヒカップ)という曲をリリースします。この曲たぶんバックはニューオリンズのミーターズやと思うのですが、どうでしょう。
2.The Hiccup/Robert Parker
なかなかかっこええ曲やと思うんですが、残念ながらさしてヒットはしませんでした。

彼の70年代に入ってからの曲というのをあまりちゃんと聴いてなかったんですが、今回聴き直したらこれえらいかっこいいんですよ・・70年代に偉大なニューオリンズのプロデューサー、アレンジャー、ピアニストのアレン・トゥーサンが興した「サンスウ・エンタプライズ」からトゥーサンのプロデュースでリリースしたダンス・チューンがこれまたファンキーでかっこええんですよ
曲が始まってすぐにあっニューオリンズ、おっとミーターズってわかるこのグルーヴとサウンドのはっきりした特徴がすごいです。
3.Give Me The Country Side Of Life/Robert Parker
いかにもニューオリンズ・ファンク、いかにもアレン・トゥーサンのプロデュース、いかにもミーターズいう感じでかっこいいんですが、これまためちゃヒットというところまではいかなかったんです。
次の曲は去年亡くなりました偉大なブルーズマン、ジェイムズ・コットンの75年のアルバム「ハイ・エナジー」にも収録されてました。ライヴでもこの曲をやってましたが、あんまりコットンには向いてない感じの曲でやっぱり正直、いまから聴くロバート・パーカーの方がええかなという感じがします。これもいかにもニューオリンズらしい
4.Hot ‘N’ Cold/Robert Parker

例えばファンクと言っても、James Brownのファンクとスライ&ファミリー・ストーンのファンクとこういうニューオリンズのファンクと違うんですが、それを言葉で言い表すのは難しいのですが、ざっくり言うとニューオリンズのものはおおらかな感じがします。James Brownはビートがソリッドで決めのセクションも隙がないとてもタイトなファンクですが、スライのファンクは60年代後半から70年代にかけてのサンフランシスコという土地柄もあって、ピースフルなムードの中にサイケデリックなロックテイストも入ったり、社会性や政治性も含んでとても多様なテイストを感じます。それでこのニューオリンズはこれも土地柄でカリブやインディァンやセカンドラインのゆったりとしたグルーヴが真ん中にどかんとある感じですね。
もちろんシャープな決めもあるんですが、全体が重心が低くておおらかな感じです。

ところでいま気づいたんですが、今日聴いているこのロバート・パーカーのアルバムには一曲もスローの曲がないというダンス・ナンバーに徹底してます。このアルバムはイギリスのチャーリーというレーベルがリリースしたものを日本のP-VineがそのままリリースしたLPレコードで1987年リリースです。すごくいいアルバムでとくにパーティ・アルバムとしてはもってこいなのでもう一回CDでリリースして欲しいですね。

5.Get Right On Down/Robert Parker
やっぱり、南部のファンクの香りがします。
6.Get Ta Steppin’/Robert Parker

今日はニューオリンズのR&Bシーンをアレン・トゥーサンやミーターズと60年代半ばに蘇らせたロバート・パーカーでした。ロバート・パーカーはいまも健在で87才、去年のニューオリンズのジャズ・ヘリテイジのフェスにも出演してます。
このアルバムめちゃいいのでゲットして欲しいし、他のベスト盤もあるんですが、いまほとんど廃盤か売り切れになっているので中古レコード屋さんで根気よく探してみてください。

2018.03.23 ON AIR

Sonny Boy Williamson vol.3

More Real Folk Blues/Sonny Boy Williamson (Chess/MCAビクター MVCM-22022)

More Real Folk Blues/Sonny Boy Williamson (Chess/MCAビクター MVCM-22022)

Bummer Road/Sonny Boy Williamson (Chess/ユニバーサル UICY-93316)

Bummer Road/Sonny Boy Williamson (Chess/ユニバーサル UICY-93316)

 ON AIR LIST
1.Help Me/Sonny Boy Williamson
2.Checkin’ Up On My Baby/Sonny Boy Williamson
3.Unseen Eye/Sonny Boy Williamson
4.Mighty Long Time/Sonny Boy Williamson
5.Too Young To Die/Sonny Boy Williamson

先々週のサザン・ブルーズ、サザン・ビートの南部の話から始まって今日はサニーボーイ・ウィリアムスンの三回目。
シカゴのチェス・レコードにレコーディングを始めてからの彼は後世に残る素晴らしいブルーズをたくさん吹き込んでいます。
シカゴには天才と言われるほどのブルーズ・ハーモニカ・プレイヤー、リトル・ウォルターがいたわけですが、そのウォルターとはまったく違うハーモニカのプレイと独特の少し震えるディープな歌声、そして人間の裏側さえ見せる素晴らしい歌詞によって独自のブルーズをサニーボーイは作ったと僕は思ってます。サザン・ブルーズの武骨さとかラフな感じを彼はシカゴに移ったあとも失わず、ほとんどが南部出身の共演ブルーズマンたちもそのフィーリングに故郷を想い出したのではないかと思います。
そして、チェスでヒットを出したことによって彼はヨーロッパまで演奏に出かけられるチャンスを得ました。1963年秋にイギリスに行った彼はロンドンでヤードバーズとライヴをやります。その時録音されたアルバムをこの番組でも以前ON AIRしましたが、その時ヤードバーズに加入したばかりのエリック・クラプトンはまだ18才でした。

では、その1963年にチェスで録音されたサニーボーイの代表曲のひとつになった曲を。
「オレを助けてくれよ。ひとりやなんもでけへんのや。もし、おまえが助けてくれへんかったら他の女を探さなあかんしな」自分の女への脅かしみたいな歌ですね。心の底に響いてくるようなサニーボーイの歌声が得体の知れぬブルーズです。
1.Help Me/Sonny Boy Williamson

1897年に生まれたと言われているサニーボーイはその出生の年、つまり年齢がはっきりしないこととか、ミシシッピーをエルモア・ジェイムズやロバート・ジョンソンと放浪し始める30年代まで、つまり30年間くらいサニーボーイはどこで何をやっていたのがはっきり分からないミステリアスな男です。1940年代に入ってラジオの番組のDJと生演奏で南部一帯で有名になり51年50才を過ぎての初録音。
たぶん、その日その日のライヴやパーティで貰えるギャラと酒でずっと生きてきて、どこかに急にフラッと言ってしまったり、バンドのギャラ全部持ってどこかへ行ってしまったり・・・と、悪い噂はいっぱいある人ですが、60年代に入るとイギリスやヨーロッパのツアーにも参加してヨーロッパではすごく歓迎されたので嬉しくてイギリスに永住したいと思ったそうです。たぶん、アメリカで暮らすよりも黒人への差別は少なく、みんなに大事にされると感じたのでしょう。
次の曲もイギリスのジョン・メイオールやゲイリー・ムーアにカバーされ、ジュニア・ウエルズやバディ・ガイなど黒人の後輩にもカバーされた人気のブルーズです。

2.Checkin’ Up On My Baby/Sonny Boy Williamson
ブルーズのシンガーとハーモニカ・プレイヤーとしてだけではなくて、ブルーズのソングライターとしてサニーボーイは優れていると思います。歌詞を読んでいるとすごく含みのある、人間の欲望とか嫉妬とかそういう面をすごく良く知っている感じがします。
次の歌も僕は大好きな歌詞です。
「自分の彼女にオマエの言うことややることに気をつけろよ。オマエは見えない目で見られてるんやよ」と、まあ何でもオレの耳に入ってくるぞということでしょうか、自分の彼女に警告してるような歌詞です。
この曲のバックのギターはロバート・ジュニア・ロックウッドとルーサー・タッカーですが、もう実に素晴らしいバッキングでこのブルーズの色づけを見事にやっています。
3.Unseen Eye/Sonny Boy Williamson

僕はいままでたくさんブルーズをカバーして歌ってきましたが、カバーしにくいブルーズマンのひとりがこのサニーボーイ・ウィリアムスンです。それは次の曲でもそうですが、こんな風に喋るように歌うのはすごく難しいんです。しかも、独特のこもった歌声に微妙なビブラートがかかっていてすごく個性的です。ジョン・リー・フッカーとかライトニンなんかもそうですが、その声に特徴がありすぎて、個性的すぎてカバーが難しい感じになってます。

では、次の曲はサニーボーイに教えを受けたジェイムズ・コットン、今年亡くなりましたが・・・、そのコットンがカバーしている曲です。
「ずいぶんと長い長い時間が過ぎた可愛いあいつを見つけてから長い時が経った。床のカーペットが色褪せるほど長い長い時間が過ぎた。もし、彼女がオレのところに帰ってきてくれたら、オレは絶対にあいつを離さない」
4.Mighty Long Time/Sonny Boy Williamson

たぶん、サニーボーイみたいな大酒飲みでほら吹きで女たらしでという人は、仲間としてつき合っていたらめっちゃめんどくさい奴やと思うんですよ。でも、そういうめんどくさい奴が他の人にはできないとても個性的な、こうしていまの時代でも歌い継がれるブルーズを作ったりします。
だから、ちょっとめんどくさい人ってどこでもいると思うんですが、見方を変えるととても個性的な魅力的な人っていうのもいろいろいると思います。でも、めんどくさい奴になれと言うてるわけやないですよ。
19世紀の終わりくらいに生まれて子供の頃にハーモニカを覚えて、南部を放浪しながら、嫌なこともいいこともたくさんあって、40過ぎた頃にアーカンソーのヘレナという町でやっと人気が出てたくさんの人に知られて・・というサニーボーイの人生がどれくらいハードだったかはわかりませんが、楽な人生でなかったとは思います。
ヨーロッパでもてはやされてアメリカの南部に帰ってきてまた前と同じような生活を始めた頃にはもう身体が病に蝕まれていて、最後はライヴ最中に血反吐を吐きながらハーモニカを吹いていたそうです。そして、いちばん好きやっただろうヘレナで亡くなってます。
1965年、68才とか69才です。
では、最後にもう一曲 なんかヤバい女にでも手を出したんでしょうか。あいつが怖いよというてます。オレはまだ死ぬには若過ぎるからなと。
5.Too Young To Die/Sonny Boy Williamson
偉大なサニーボーイ・ウィリアムスンを三回に渡って聴きました。

2018.03.16 ON AIR

サニーボーイ、シカゴに行く Sonny Boy Williamson vol.2

Down And Out Blues(MCAビクター MVCM-22006)
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ON AIR LIST
1.Don’t Start Me To Talkin’/Sonny Boy Williamson
2.West Memphis Blues/Sonny Boy Williamson
3.I Don’t Know/Sonny Boy Williamson
4.Cross My Heart/Sonny Boy Williamson
5.Keep It To Yourself/Sonny Boy Williamson

前回、40年代から50年代初期まで南部にいた頃のサニーボーイの話をしましたが、1955年にチェスレコードと契約して彼はシカゴに行きます。
待ち構えていたのは、ギターにマディ・ウォーターズ、ジミー・ロジャース、ピアノにオーティス・スパン、ベース ウィリー・ディクソン、ドラムにフレッド・ビロウ つまり当時シカゴ・ブルーズの超一流のマディ・ウォーターズのバンド。実際サニーボーイが南部ですごく人気があることはシカゴの連中も知ってますから「サニーボーイってどんなやつやねん」という感じでしょうかね。
そして、そのメンバーで録音した最初の曲がヒットする。この歌は「オレに喋らせるなよ。全部言うてしまうからな。仲間の嫁さんが他の男と浮気して、旦那に嘘ついてるるんも言うてしまうから、オレに喋らせんなよ」という怖い歌です。1955年チェス・レコード・リリース
1.Don’t Start Me To Talkin’/Sonny Boy Williamson
流石にバンドがいいですね。でも、先週聴いてもらった南部のバンドのサザン・ビートとはビートの感じもサウンドの感じも違います。でも、シカゴのビートにさらっと乗ってヒットにしてしまうサニーボーイはすごいです。まあ、サニーボーイという人は飄々とした人でニヤッと笑ってゆっくりハーモニカ吹き始めるような人で、あまりビートとかサウンドが変っても気にしない人だったかも知れない。それより彼に必要なのは録音する時のウィスキーと終わってからもらうギャラやったと思います。
この曲が入ってるアルバムは55年から58年までのシングルを集めた”Down & Out Blues”というアルバムなんですが、ちょっと先週聴いてない人のためにビートとかサウンドが南部のミュージシャンとシカゴのミュージシャンと違うか、南部の録音のサニーボーイを聴いてください。
2.West Memphis Blues/Sonny Boy Williamson
聴いてもらったわかるようにやっぱりサザンの方は武骨でラフなんですが、すごくスイングするというか、強烈にダンサブルな感じがします。

サニーボーイは大酒飲みで、女にだらしなく、ホラ吹きでと悪い評判がたくさんある人なんですが、そういう人やから出来たブルーズといのもあると思うんですよ。
だからと言って評判の悪い人になられければブルーズはできないのかという問題でもないんですよ。ただ、そういう修羅場みたいのをたくさんくぐってきた人というのは、独特な人間の見方をするなと思います。一曲目でもなんか人間の深いところを突いてくるような感じですね。
そもそも彼は実際の生年月日もわからない人で、1899年というのもあれば、1897年、1909年と10年くらい違う生年月日もある人です。名前も若い頃は”Little Boy Blue”って名乗ってたんですが、本名もライス・ミラーって言うてみたり、アレックス・ミラー、アレック・ミラー、アレックス・フォード、ウィリー・ミラーとまあ本人がどんどん違うことを言うんですよ。それでラジオの番組のDJをする時にそのプロデューサーかだれかにサニーボーイ・ウィリアムスンで行こうやと言われて、それでサニーボーイでとなってしまった。まあええ加減ですよね。そのプロデューサーがサニーボーイでというたのはその頃、すでにシカゴにサニーボーイと名乗っている同じハーモニカのブルーズマンがいてそっちが売れてたんで、その名前を使ってしまったんです。それでブルーズの中にふたりのサニーボーイが出来てしまったんですよ。それでブルーズ界ではその最初のシカゴにいた方をサニーボーイ1、今日聴いている方をサニーボーイ2と名付けることになったんです。
サニーボーイ2はライヴをすっぽかしたり、また悪気もなく現れて演奏したり、ギャラを全部もってどっかへ行ってしまったり・・まあ、大変な奇人ですが。
元々30年代の中頃はミシシッピをロバート・ジョンソンやエルモア・ジェイムズなんかと放浪していた人ですから、定着するという気持ちもなかったのかも知れません。

僕はサニーボーイのことをしゃべるように歌い、喋るようにハーモニカを吹くと言ったことがあるんですが、次の曲なんかまさにそんな感じです。
「夜の11時45分に電話がなって、受話器を取ると誰かがサニーボーイ?ーって言う。オレの名前を知ってる誰やオマエは・・。わからない。わからない。でも、オレは彼女に連絡を取ろうとしている何でアイツはオレを裏切るのか・・」彼女からの電話やなくて知らない男から電話がかかってきたというこれまた不気味な曲です。
3.I Don’t Know/Sonny Boy Williamson

シカゴに来てから二年目1956年、南部で一緒にやっていたロバート・ジュニア・ロックウッドがレコーディングに参加してきます。これがサニーボーイのブルーズをより一段と深みのあるものにしていきます。次の曲なんかロックウッドのギターはもう芸術的な域に達しているくらい素晴らしいものです。
最初のサニーボーイのハーモニカからギターが入ってバンド全体が入ってくるその緊張感、サニーボーイの歌とハーモニカを後ろで彩るロックウッドのギターの美しさ。これにはピアノが入ってなくてギターもうひとりルーサー・タッカーがこれまたしっかりバッキングしていて、バンドでブルーズをやる人は聴いた方がいい一曲です。
ブルーズの名曲です
4.Cross My Heart/Sonny Boy Williamson
本当に素晴らしいブルーズです。

もう一曲聴こうと思うのですが、これもひどい歌です。Keep it to yourselfというタイトルなんですが、Keep it to yourselfってまあ「内緒にしとけよ」ということです。
「俺たちのことを誰にも言うなよ。オマエのお父さんにも、お母さんにも、兄弟にも言うなよ。オマエには旦那がいるし、オレには女房がいる。もし、しゃべったら俺らふたりの人生はおしまいや。だから内緒にしとけよ。誰にもしゃべるなよ、俺らふたりのことは」
うーん、最近よくあるこわいダブル不倫の歌ですね。
5.Keep It To Yourself/Sonny Boy Williamson
こういうブルーズを聴きながらみんな酒飲んで踊る・・・僕的には最高なんですけどね。
こういう経験が僕にあったかどうかそれはKeep It To Yourself

この魅力的なブルーズマン、サニーボーイ・ウィリアムスンのことをもう一回次回話して、彼のブルーズを聴きたいと思います。

2018.03.09 ON AIR

絶大な人気を誇ったサザン・ブルーズのボス サニーボーイ・ウィリアムスン(アレックス・ライス・ミラー)Vol.1

King Biscuit Time / Sonny Boy Williamson(P-VINE Records PCD-24117)

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ON AIR LIST
1.Come On Back Home/Sonny Boy Williamson
2.Do It If You Wanna/Sonny Boy Williamson
3.Eyesight To The Blind/Sonny Boy Williamson
4.Pontiac Blues/Sonny Boy Williamson
5.Nine Below Zero/Sonny Boy Williamson

先頃リリースされたこの番組の10周年記念アルバムに南部のブルーズマンのフランク・フロストの”Things You Do”という曲を収録しました。
その時に「サザン・ブルーズ」とか「サザン・ビート」という言葉を自分があまり考えないで使っていることに気づきました。
サザン・ビートとかサザン・ブルーズっていうのは「南部のビート、南部のブルーズ」ということですが、南部と一口に言っても広いアメリカのどこを指すのか・・。
真っ先に南部と言って僕が想い出すのがミシシッピーですが、そのミシシッピーの東にあるアラバマ、西に接しているのがアーカンソーあたりも南部と僕は思っています。ミシシッピーの更に南のルイジアナとその西テキサスといった土地がそれぞれ独自のブルーズがつくられていたので、ブルーズという観点から見るとルイジアナとテキサスはまた別のものになります。ミシシッピーの北のテネシーはメンフィスという大きな街がミシシッピーのすぐ北にあることから、このメンフィスのブルーズも南部のブルーズに入るかと思いますが、別にメンフィス・ブルーズという呼ばれ方もします。

サザン・ビートのサザン・ブルーズと言って真っ先に思い浮かぶのがサニーボーイ・ウィリアムスン。ブルーズを知っている方の中には「いやいや、サニーボーイはシカゴのチェスレコードだから南部やないやろ」と言う人がいるかも知れませんが、サニーボーイはミシシッピーのグレンドーラという町に生まれ、どうも子供の頃からまともに働くことがイヤでハーモニカを覚えて最初はミシシッピー一帯を放浪してて、やがてとなりのアーカンソーのヘレナで少し腰を落ち着けたみたいです。ヘレナで人気が出て最初の録音もミシシッピーのジャクソンでやりました。この南部時代の彼の活動と録音が実はとても大切なのですが、サニーボーイというとチェスレコードのレコードの話題になりがちです。でも、今日は彼が最初に活躍した南部時代のサザン・ブルーズを聴いてみます

ちょうどサニーボーイが南部一帯で人気になりだした頃にエレキのバンド形態のブルーズが広まり確立された時期で、レコーディングする前にサニーボーイのバンドはエレクトリック・ブルーズバンドとしてしっかりと音楽的にも出来上がっていました。まずは一曲。
1951年トランペット・レコードがミシシッピーのジャクソンで録音。リリースした。この曲かっこいいです!
1.Come On Back Home/Sonny Boy Williamson
本当にノリのいいシャッフル・ビートが気持ちいいです。よくスイングするビートで、この骨太な感じがサザン・ビートですね。シカゴのビートなんか比べるとラフな感じがしますが、ビートの押しがグイグイ来ます。またギターとハーモニカのアンサンブルも素晴らしいです。

このレコーディングの10年くらい前、40年代のはじめからサニーボーイは南部一帯で人気がありました。
その人気のきっかけになったのは、アーカンソー州のヘレナと言う町メンフィスの近くですが、そこにKFFAというラジオ局があって、「キングビスケット・ショー」という15分番組のDJと生演奏をサニーボーイが任せられるわけです。その番組はギャラないんですが、自分たちの夜のライヴの告知をさせてもらえるんですね。もちろん当時はラジオの文化ですからみんなラジオを聴いてるわけです。それで「今夜どこどこの店でライヴやるからみんな来てや~」と宣伝するわけです。それでお客さんがたくさん来るということ。またラジオで生演奏するというのも画期的やったんですね。それでじわじわサニーボーイの人気は上がっていったんです。B.B.キングもミシシッピーのインディノアラでその番組を楽しみに聴いてたそうです。それで次の曲のような演奏をラジオでしていたわけです。こんな曲がラジオから流れてきたら、そりゃライヴ観に行きたくなるでしょう!
2.Do It If You Wanna/Sonny Boy Williamson

次はサニーボーイ・ウィリアムスンの1951年デビュー曲。初めてのレコーディングの時サニーボーイは54才です。54才というのはかなり遅いデビューですが、ラジオで人気が出始めた40年代はじめから、10年間くらいどうしてレコーディングしなかったか不思議で先日ブルーズンソウル誌の編集長の濱田くんに聴いてみました。彼曰く第二次世界大戦の影響で40年代半ばから終わりにかけてレコード盤(当時はまだLPではなくSP盤との時代のものでシェラックという素材を使っていた)の素材が手に入らなくなってレコード自体が作れなくなったという時代があったそうです。そして、本人も夜な夜なやるライヴやストリートで演奏するだけでまあまあ稼げていたのでそれほどレコードに執着がなかったのでは・・。
では、デビュー曲ですが、この歌はまあすごい歌詞で「あの女と寝たら、目がみえなかった者が目が見えるようになるんだ」と、それくらいいい女なんだと言いたいんだと思います。この曲はのちにB.B.キングがカバーしています。
この曲のイントロをよく聴いておいてください。
3.Eyesight To The Blind/Sonny Boy Williamson
イントロの入り方がちょっとドサクサなんですが、サニーボーイはイントロに入るための「1.2.3」というカウントを数えないでハーモニカから自分のテンポで入ってくるので、ドサクサになってしまうのですが、黒人のブルーズマンはカウントしない人が多いです。イントロのフレーズ、いまやったらハーモニカのフレイズでその曲のテンポとかノリをキャッチしろということなんですね。ひとつの美学なんでしょうか、おもしろいです。また、イントロがちょっとドサクサでもそんなこと余り気にしないですね。それよりも全体のノリが大事なんでしょう。

次のポンティアック・ブルーズのポンティアックはもちろん車ことで、キャデラックよりは少し安い価格だったのでお金を持った黒人にも人気の車種だったようです。やっぱり女性にモテてるには車は大切なアイテムだったんでしょうね。彼女を自分のポンティアックに乗せてドライヴするという歌ですが、最後に男の腕に持たれて「あんた、すべてがええ感じやわ。気持ちええわ」って彼女がいいます。
4.Pontiac Blues/Sonny Boy Williamson

サニーボーイはV8フォードというブルーズも歌ってますが、車を題材にしたブルーズは多いです。
ちょっと売れて有名になるとブルーズマンはみんなその時の最新の車を買ったみたいやし、自分の車をわざわざアルバムジャケットに出して「どや、オレの車」みたいなブルーズマンもいます。
さて、聴いてもらっていてわかると思いますが、サザン・ビートと呼ばれるこういうビートは武骨な感じがするんですが、すごくダンスしたくなる、身体動くビートなんですね。こういう典型的なサザン・ビートのサザン・ブルーズを作り出したのが、このサニーボーイと彼のバックのドラマーだったベック・カーティスとかギターのヒューストン・スタックス、ロバート・ジュニア・ロックウッド、ピアノのパイントップ・パーキンスとかウィリー・ラヴというミュージシャンだったんです。40年代から50年代最初まで彼らはそれはもうすごい人気やったそうです。そんなに人気があってもサニーボーイはライヴやラジオの番組をすっぽかしたりする人やったそうで、周りにいる者が大変ですよね。

最後の曲はNine Below Zeroという曲ですが、これは気温のことで零下9度ということです。めっちゃ寒いです。その寒いそとに追い出されたという歌で、オレはお金も愛も彼女にすべてあげた。そやのに彼女には新しい男ができてオレを追い出した零下9度の外に。オレは住むとこもないし、10セントももってないのに・・・。
5.Nine Below Zero/Sonny Boy Williamson

このNine Below Zeroをサニーボーイはシカゴに移ってからチェス・レコードでもう一回レコーディングしているんですが、次回はそのシカゴに行ってからのサニーボーイの話をしながら彼のブルーズを聴こうと思ってます。

2018.03.02 ON AIR

★戌年ということで猟犬(ハウンドドッグ)とあだ名のついたHound Dog Taylor特集

Hound Dog Taylor And The House Rockers
(Alligater Records/日本キングレコードKICP 2916)

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ON AIR LIST
1.She’s Gone/Hound Dog Taylor And The House Rockers
2.Wild About You Baby/Hound Dog Taylor And The House Rockers
3.Give Me Back My Wig/Hound Dog Taylor And The House Rockers
4.The Sun Is Shining/Hound Dog Taylor & The HouseRockers

ハウンド・ドッグ・テイラーは本名セオドア・ルーズヴェルト・テイラー
いい名前なのに芸名がハウンド・ドッグ(猟犬)になってしまったんですね。
1917年生まれ。生きてたら100才です。
多くのブルーズマンと同じようにミシシッピ生まれ。堅気の仕事をしながらずっとミシシッピの酒場なんかで演奏していたが、25才の時にシカゴへ出てくる。この時もしっかり堅気の仕事をしながらセミ・プロ的な活動で明け暮れる。
50年代に入ってシカゴのクラブでプロらしい活動をやれるようになり、60年代に入ってマイナーレーベルから何枚かシングルを出すが売れない。しかし、シカゴのゲットーのクラブではそのライヴが評判よくて、毎晩のようにライヴをやり続けドラムのテッド・ハーヴィ、ギターのブリュワー・フィリップスと3人でベースレスの真っ黒なブルーズ・サウンドを70年に作り上げていた。そのライヴにめっちゃ感動したブルース・イグロアという男が、彼はシカゴのデルマーク・レコードで働いていたのだけど、ハウンド・ドッグにどっぷりハマって彼のアルバムを出すためにアリゲーターというレーベルを立ち上げる。
これだけでもすごい話です。1人の男の人生を変えてしまったハウンド・ドッグ・テイラーのブルーズってちょっと興味出てきますよね。
その最初のアルバムがまず今日聴いてもらう”Hound Dog Taylor And The House Rockers”
1971年リリース その時ハウンドドッグはすでに54才。充分におっさんです。あと6年で還暦。これが彼のアルバム・デビューです。
では、そのアルバムの一曲目です
「オレから金を巻き上げておれをガキのように扱ったあいつはオレを好きやなくなったんや。あいつが行ってしもたから。オレもここには長くはおらんよ。オレはあいつと別れるけど本当はここを離れたくない。でもあいつは他の男を好きでオレをもう愛してないから・・いいよ。ええよ、もうええよ」とワンコードでずっとグルーヴするブルーズ。
1.She’s Gone/Hound Dog Taylor And The House Rockers

なんかもうシカゴのクラブが見えてくる感じです。実際、プロデューサーのイグロアはハウンド・ドッグ・テイラーのライヴをそのままレコードにパックしたいと考えたみたいです。それがよかったと僕も思います。こういうライヴがいいミュージシャンってあれこれアレンジしたり、手を入れると絶対にええことないんです。
ハウンド・ドッグはエルモア・ジェイムズの影響をすごく受けているブルーズマンでスライド・ギタースタイルに関してはエルモアを更にワイルドにラフにした感じです。
では、彼がリスペクトするエルモア・ジェイムズの定番フレイズのギターで始まる曲です。
2.Wild About You Baby/Hound Dog Taylor And The House Rockers

だいたいハウスロッカーズというバンド名がかっこいいです。ハウスー家、つまりクラブやライヴハウスをRockする揺らす。家を揺らす、クラブを揺らしてグルーヴするバンドです。
ドラムのテッド・ハーヴィは64年くらいからハウンド・ドッグと活動しているんですが、素晴らしいブルーズ・ドラマーでジミー・ロジャース、J.B.Hutto、スヌーキー・プライヤー、パイントップ・パーキンスなど名だたるシカゴのブルーズメンと録音を残してます。残念ながら2016年にシカゴで亡くなりました。
このテッド・ハーヴィのドラムがハウンド・ドッグのブルーズにぴったりのグルーヴなんです。ストレートでワイルドなドラミングで次の2ビートのグルーヴも最高です。
次は「オレのカツラかえしてくれ」という歌ですが、確かにハウンド・ドッグがカツラ疑惑の写真がいろいろあります。
3.Give Me Back My Wig/Hound Dog Taylor And The House Rockers
もうシカゴの黒人のゲットーのクラブへ行った感じです。
もうひとりのギターのブリュワー・フィリップスもミシシッピーの出身ですが、彼はメンフィスを経由してシカゴにやってきた。ドラムのテッド・ハーヴィのバンドでルーズヴェルト・サイクスのレコーディングに参加して、そのままハウンド・ドッグとやるようになったらしいです。ハウンド・ドッグは日本製のテスコのギターを使ってるんですが、フィリップスはテレキャスターで指弾き。ふたりとも歪んだギターの音で、そのサウンドとノリは故郷ミシシッピのジューク・ジョイント(酒場)のグルーヴ。
3人がそれぞれ自由にやってるようですが、一体になっていくところがかっこいい。
元々ベースがいないブルーズ・サウンドというのは当たり前にあってマディがシカゴで初期にやっていたバンドもギターがベース・パターンを弾いていたし、エルモア・ジェイムズとかにもそういう録音がある。
僕もいまのブルーズ・ザ・ブッチャーの前にやっていたブルーズ・パワーはベースレスで亡くなったギターの浅野くんがリードギターで僕が歌いながらギターでベースの役割をやり、ドラムの沼澤くんがグルーヴを作っていくというバンドでした。ベースの低音がないというちょっと音が欠けている感じがするんですが、僕のギターと沼澤くんのドラムが合わさるとベースがいるように聴こえるんです。独特のビート感が生まれます。
次もエルモアのカバーですが、オリジナルのエルモアにひけを取らない濃度の濃いブルーズです。シカゴのゲットーからミシシッピー・デルタのジューク・ジョイントに連れて行かれるような素晴らしいリアル・ブルーズです。
ライヴアルバム”Beware Of The Dog”から
4.The Sun Is Shining/Hound Dog Taylor & The HouseRockers
もう思いっきりブルーズです。ハウンドドッグの歌も手加減なし全力投球でいいです。

彼らが長い間シカゴ・ゲットーのクラブで人気のバンドだったのがよくわかります。1970年代というと黒人音楽の主流はソウル、ニューソウルと言われた時代で、ブルーズもファンクやソウルの影響が出てきていわゆるブルーズン・ソウルというジャンルも生まれた頃です。でも、シカゴのゲットーの深いところではハウンド・ドッグのようなブルーズで一晩中踊っていた黒人もたくさんいたわけです。ブルーズを必要とする人たちがまだまだいたんですね。
このHound Dog Taylor And The House Rockersのファースト・アルバムはゲットしてください。B.B.キングやボビー・ブランドのようなモダン・ブルーズではないもっと下世話な、ストリート感覚のあるリアルなブルーズが聴けます。また、ロックするテイストもあります。
今日は1971年アリゲーター・レコードがリリースしたHound Dog Taylor And The House Rockersを聴きました。