2023.05.26ON AIR

90年代にもシカゴ・ブルーズの名作はあった/キャリー・ベル “Deep Down”

Deep Down / Carey Bell (Alligator Records)

ON AIR LIST
1.I Got To Go/Carey Bell
2.Jawbreaker/Carey Bell
3.Low Down Dirty Shame/Carey Bell
4.Easy/Carey Bell

シカゴ・ブルーズの全盛期というと50年代から60年代のあたまくらいということになっているのですが、それ以降もいいアルバムはたくさんあります。ただ黒人音楽全般の流れが50年代中頃からブルーズからR&Bそしてソウル、ファンクとなり、70年代になるとニューソウルそしてディスコ・ミュージックへとなったためにブルーズの存在が表面的には小さくなりました。しかし、60年代後期もファンクやソウルの要素を取り入れたブルーズン・ソウルやファンク・ブルーズのいいアルバムはあり、B.B.キング、リトル・ミルトン、アルバート・キング、ジョニー・テイラー、ボビー・ブランドなどはいいアルバムを出しています。
今日、紹介するのはなんと90年代の素晴らしいシカゴ・ブルーズのアルバムです。
ハーモニカ・プレイヤーのキャリー・ベルが95年にリリースしたアルバム”Deep Down”
リリースしたレコード会社はシカゴのインディーズ・レーベルのアリゲーター・レコード。インディーズと言ってもハウンド・ドッグ・テイラーやアルバート・コリンズ、ココ・テラーなどのメジャー級の名作を残している会社。
シカゴ・ブルーズにはリトル・ウォルター、サニーボーイ・ウィリアムスン、ビッグ・ウォルター・ホートン、ジェイムズ・コットンなどハーモニカの名プレイヤーがずらっと並んでいるわけですが、今回のキャリー・ベルはサニー・ボーイの35歳くらい年下、リトル・ウォルターより6歳年下、ジェイムズ・コットンとはほぼ同年代、年下には白人のポール・バターフィールドやチャーリー・マッセルホワイトなどもいてまさにシカゴはハーモニカ・プレイヤーの宝庫みたいな状態でした。
今日のこのアルバム”Deep Down”の1曲目にはシカゴ・ブルーズの大スターだったハーモニカ・プレイヤーのリトル・ウォルターの曲が選ばれています。

1.I Got To Go/Carey Bell

キャリー・ベルが生まれ故郷のミシシッピからシカゴに出てきたのは1956年。すでに売れていてキャデラックを乗り回して、パリッとしたスーツを着て、女性にもモテモテのリトル・ウォルターを見て「俺もいつかあんな風になるんだ」と思ったことでしょう。
ところがハーモニカの名手がたくさんいるシカゴで事はそううまくいかなくて、ベルはベースも上手く弾けたので一時ベース・プレイヤーとして活動します。そんな苦闘の日々が続いてソロ・アルバムが出せたのは1969年。しかしこれがイマイチので出来ばえで上に上がる事はできなかった。でも、その頃からハーモニカプレイヤーとしてマディ・ウォーターズの録音、ライヴに参加することになりステイタスは少し上がりました。実際、いまYou Tubeで見られる当時のマディのライヴ映像を見るといいハーモニカを吹いてます。
ではキャリー・ベルのハーモニカの素晴らしさを堪能できる曲を聴いてください。インストルメンタルの曲です。
曲名のジョウブレイカーはめちゃくちゃ大きいキャンディのことだそうです・・あとは想像してください。

2.Jawbreaker/Carey Bell

オルガンに聞こえたり、サックスに聞こえたりするベルのハーモニカですが、彼はクロマティック・ハーモニカと言う大きなハーモニカの名人です。
今までの二曲を聞いただけでもバックの演奏がすごくしっかりしているのがわかると思いますが、ギターは来日したこともあり僕も一緒にセッションしたことのあるカール・ウェザスビー、そしてもう一人はキャリーの息子ルーリー・ベルそしてピアノにラッキー・ピーターソン、とにかくこの若い3人のパワーに背中を押されたことは間違いないと思います。そしてベースはアルバート・コリンズのバンドにたジョニー・B・ゲイデン、ドラムはバディ・ガイやジュニア・ウエルズのバンドで活躍したレイ・キラー・アリソン。この二人のタイトなリズム・セクションもこのアルバムの成功の一因。
次のようなファンク・テイストのブルーズもすごくパワフルに演奏するバックにノセられるようにキャリー・ベルがいいプレイをしています。

3.Low Down Dirty Shame/Carey Bell

このアルバムはアリゲーター・レコードのオーナーであるブルース・イグロアが代表作がないベルの代表作を作りたいと考えたアルバムで実際すごく丁寧に作られている感じがします。
さっき言った録音メンバーの選び方から選曲などコンセプトも時間をかけてしっかり固めて録音されたいいアルバムです。
このアルバムにはベルが師と仰いだハーモニカ名人、ビッグ・ウォルター・ホートンの次の曲がカバーされています。

4.Easy/Carey Bell

本当に素晴らしい。キャリー・ベルはクロマティック・ハーモニカの名人です。クロマティック・ハーモニカというのはよくブルーズで使う10穴のハーモニカではなく、半音(クロマティック)も出せる大きなハーモニカで操作の仕方が違うので難しいと思います。太く豊かな音がでるので僕は好きです。

息子のルーリーとのアルバムもありますし、ジュニア・ウエルズ、ジェイムズ・コットン、ビリー・ブランチと四人のハーモニカ・プレイヤーで録音した”Heart Attack”といういいアルバムもありますが、まずは今日聞いた”Deep Down”を探してゲットしてください。中古レコード屋さんで時々見かけます。
残念ながらキャリー・ベルは2007年に心不全で70歳で亡くなっています。
アルバムタイトルのDeep DownというのはDeep Down In My Heart(心の奥深くで)などと使われる言葉ですが、長い歳月がかかってこのアルバムができたキャリー・ベルのディープ・ダウンな奥深いブルーズがたっぷり入ってます。

2023.05.19 ON AIR

タジ・マハールの新譜はオールド・ジャズ・アルバム

Savoy / Taj Mahal (BSMF Records)

ON AIR LIST
1.Stompin’ At Savoy/Taj Mahal
2.Gee Baby Ain’t I Good To You/Taj Mahal
3.Sweet Georgia Brown/Taj Mahal
4.Baby It’s Cold Outside /Taj Mahal (with Maria Muldaur)

タジ・マハールは以前もON AIRしたことがあるのですが、今回”Savoy”というジャズヴォーカル・アルバムを新しくリリースしましたので今日はそれを聞いてみようと思います。ざっとタジ・マハールの略歴を言いますと本名がヘンリー・セントクレア・フレデリックスという立派な名前があります。1942年生まれですから現在80歳。ニューヨーク出身。お父さんがジャマイカ出身でジャズ・ピアニストで作曲家でアレンジャー、お母さんは学校の先生でゴスペルを歌っていたという音楽一家に生まれています。そういう環境なので幼い頃からいろんな楽器を覚えてブルーズやR&Rが好きでやっていたようです。大学に入って農業を専攻していましたが、その頃から音楽活動を始めてます。
お父さんがジャズ・ミュージシャンだったということは家の中でジャズがよく流れていたわけで、「三つ子の魂百まで」やないですが今度のジヤズ・カバー・アルバムに繋がったのですかね。
まず一曲

1.Stompin’ At Savoy/Taj Mahal

今の曲のStompin’ At Savoyは日本のタイトルでは「サヴォイでストンプ」なのですが、サヴォイというのは1920年代半ばから50年代半ばにかけてニューヨークのハーレムにあったすごく大きなダンスホールで、大きな特徴は白人でも黒人でも入れたことです。ジャズのデューク・エリントンやキャブ・キャロウェイのオーケストラがハウスバンドとなり有名になったダンスホールです。ストンプというのはダンスやビートの呼び名です。サヴォイはロマンスが生まれるところで、みんなが楽しく踊るところ・・という歌詞。
タジはニューヨーク生まれてですからサヴォイのことはよく知っていたでしようね。
次の曲はジャズ・シンガーもブルーズマンも歌う曲でT.ボーン・ウォーカーも歌っていますが、彼女にいろいろプレゼントするのだけど振り向いてくれない彼女に「オレじゃダメかな」とため息ついているような歌です。

2.GEE BABY, AIN’T I GOOD TO YOU/Taj Mahal

さっきの略歴の続きですが、タジ・マハールは64年ロサンゼルスに移住してライ・クーダーと知り合い「ライジング・サンズ」というバンドを結成し、66年コロンビアレコードからデビューしてシングル一枚出しただけで、アルバムを作っていたのにリリースされなくてバンドは解散に追い込まれました。その後ソロになりギタリストのジェシ・エド・デイヴィスとバンド作り68年に名盤『Taj Mahal』をリリース。
その後もブルースだけでなく、レゲエ、ケイジャン、ゴスペル、ハワイ、カリブ、アフリカなどに関連したルーツ・ミュージック・アルバムをリリースして3回グラミーを獲得しています。ジャズ・ヴォーカル・アルバムをリリースしたのは今回が初めてだと思います。
次も1925年と古い曲ですが、男たちはみんな夢中になり女たちは嫉妬してしまう美しい女性ジョージア・ブラウンのことを歌った歌。大御所のエラ・フィッツジエラルド、アニタ・オデイ、インストだとオスカー・ピーターソンからカウント・ベイシーなどたくさんのジャズ・ミュージシャンに取り上げられた曲です。

3.Sweet Georgia Brown/Taj Mahal

今回のアルバムにはジャズのデューク・エリントンが作った”I’m Just a Lucky So-and-So”、ジョージ・ガーシュウィンが作った”Summer Time”など名曲がずらっと並んでますが次の曲はタジとマリア・マルダーのデュエット。これも古くからある男女デュエットの曲で、エラ・フィッツジェラルドとルイ・ジョーダン、レイ・チャールズとベティ・カーター、比較的新しいところではウィリー・ネルソンとノラ・ジョーンズなどがあります。
付き合っている男女が男の家にいて女性の方が遅くなったから帰らなきゃというのを「外は寒いよ」からこのままここに居なよと引き止めている歌です。女性の方もそんなに帰りたくはないのですが、周りがうるさいから帰らなきゃと言ってるだけみたいです。まあ女性の方も引き止めて欲しい。でも、一応「私は帰るって言うたからね」と。

4.BABY IT’S COLD OUTSIDE/Taj Mahal (with Maria Muldaur)

アルバムの所々で印象に残るのですが、この素晴らしいギターはジャズ・ブルーズ系のギタリストでダニー・キャロン。
そしてアルバムのプロデューサーでもありピアノも担当しているジョン・サイモンはザ・バンドのファースト・アルバムはじめ、ジャニス・ジョップリン、サイモン&ガーファンケル、ボビー・チャールズのアルバムをプロデュースした名うてのプロデューサーです。
今回のこういうアメリカのオールド・ジャズの歌はメロディもよくできているけど歌詞もよく練られています。アメリカのシンガーはやはり一生に一枚はこういう子供の頃から慣れ親しんだジャズ・スタンダードのアルバムを作りたいんでしょうね。
タジ・マハールのニューアルバム「サヴォイ」とてもいいアルバムでした。4/28に日本のBSMFレコードから発売されています。

2023.05.12 ON AIR

追悼:鮎川誠 vol.2

ON AIR LIST
1.BE-BOP-A-LULA/鮎川誠
2.RIDE YOUR PONY/鮎川誠
3.RUMBLE/鮎川誠
4.I’M A KING BEE/鮎川誠
5.BE MY BABY/鮎川誠

今年の1月29日に膵臓癌のために74歳で亡くなった僕の数少ない友人の一人であった鮎川誠、マコちゃんの追悼の二回目です。
最後に会ったのは去年の春の日比谷野音の「ブルース・カーニバル」でした。すでにその時に病になっていたことも知らず、僕はいつもと変わらない挨拶を彼にしました。
マコちゃんもいつものように「ホトケ、元気?」と言ってお互いに近況報告を交わしました。
「少し痩せた?」と聞いたら「もうね、年やけんね」とマコちゃんは言って「まあ、俺も筋肉がどんどん落ちるしね。マメに運動なんかするタイプやなしね、お互い・・」と言って笑いあったのですが・・・。でも、それからもロケッツは変わらずライヴを続けていたので僕は元気なんだろうと思ってました。でも、病が進行してたんですね。それでも去年は40本もライヴをやったそうです。最後までライヴの現役のロッカーとして貫いた姿勢は本当に立派です。
マコちゃんはサンハウス、シーナ&ロケッツ、そして自分名義のソロ・アルバムと多くの音源を残しましたが、その中でも僕は1993年に録音された”Makoto Ayukawa London Session#1”が好きです。
これは93年にマコちゃんがロンドンに行って盟友のウィルコ・ジョンソンのバンドと録音したアルバムで、オリジナルも収録されていますがブルーズやR&Bのカバーが主体でマコちゃんがどういうブルーズやR&Bを好きだったのかよくわかる一枚です。
まずはウィルコ・ジョンソンのことを少し。
ウィルコ・ジョンソンは1947年生まれですからマコちゃんより一つ上ですが、まあ同世代です。イギリスのロック・ミュージシャンでいわゆる「パブロック」と呼ばれるパブでやっているロックのボスのような存在でした。
70年代半ばにドクター・フィールグッドのメンバーとして活躍し、ピックを使わずバッキングギターとソロを同時に弾くようなギタースタイルで、ステージをロボットのように前後したり開脚ジャンプするなどのワイルドなアクションでも評判になりました。
ウィルコ・ジョンソンとマコちゃんが意気投合したのはすごくよくわかります。すごく似た音楽テイストを持った二人です。それでウィルコのいるロンドンにマコちゃんが乗り込んで作ったアルバムが今日聴く「ロンドンセッション#1」

一曲目は1956年にジーン・ヴィンセントというロカビリー・シンガーによってリリースされた曲でビートルズのポールやジョンがカバーしたことでも有名。マコちゃんも多分中高校生くらいの時に影響を受けた曲だと思います。
アルバム「ロンドンセッション#1」の一曲目です。

1.BE-BOP-A-LULA/鮎川誠

マコちゃんは本当にウィルコ・ジョンソンと仲が良くて、この録音セッションの音を聞いていても本当に目指している音楽のセンスが一緒なので全く違和感がないです。
二人ともブルーズとR&Rがルーツでそこにパブロックとパンク・ロックのテイストがある感じです。
次の曲はニューオリンズの偉大なシンガー、リー・ドーシーの大ヒット曲で、ちょっと意外な選曲にも思えたのですが、聞いてみるとなるほどと納得の鮎川誠ロックの仕上がりになっています。

2.RIDE YOUR PONY/鮎川誠

僕にコンピューターの楽しさを教えてくれたのはマコちゃんでしたが、彼も僕もコンピューターで音楽を作るミュージシャンではありません。ただコンピューターのネットを通して世界中の音楽が聴けることや、映像が見れること、そして自分と同じ音楽テイストの人と繋がれることをマコちゃんは教えてくれました。
「おもちゃみたいなもんやけど、いろんな情報が手に入るから楽しいよ」とマコちゃんはPCに夢中になっていました。
僕の知らない音楽も教えてもらいました。ジョージ・サラグッドやドクター・フィールグッドも次のリンク・レイもマコちゃんに教えてもらった。リンク・レイは60年代半ばから2000年まで長く活躍したギタリストで、ギターのイントルメンタル曲でギターという楽器の可能性を広げた人です。フーのピート・タウンゼント他、ジェフ・ベック、マーク・ボランなども影響を受けた偉大なギタリストです。
1958年にリリースされたリンク・レイの代表曲です。

3.RUMBLE/鮎川誠

この「ランブル」を聞いたときもマコちゃんと同じセンスを感じました。

マコちゃんも僕と同じで次の曲はローリング・ストーンズのカバーで最初に聞いていたと思う。ルイジアナの偉大なブルーズマン、スリム・ハーポがオリジナルだけどストーンズの1stアルバムに入っていて僕も中学生の頃、好きで良く聞いてました。まだ黒人ブルーズなんか知らなくて全て白人のロック・ミュージシャン経由で聞いてました。それがカバーかオリジナルかという認識もなくてただストーンズのかっこいい曲として聞いてました。

4.I’M A KING BEE/鮎川誠

次はシーナがヴォーカルをしています。ロネッツの大ヒット曲で、この曲は何度かシーナと一緒に歌ったことがあるぼくにとっても思い出の曲でもあります。
こういうスウィートでポップな曲がシーナは本当にうまかった。

5.BE MY BABY/鮎川誠&シーナ

一度誰かのパーティにマコちゃんとシーナとぼくの3人で行って、途中でチークダンスの曲が流れてシーナとマコちゃんは踊るのかな・・と思っていたら、シーナが僕に「ホトケ、踊ろうよ」と言ってきたので「いや、マコちゃんと踊りなよ」と言ったら「マコはこういうチークダンスとか踊らんうか踊れないから・・」と言われてシーナとチークダンス踊ったんですが、僕はもうずっとマコちゃんの視線が気になって気になって・・体も離して踊りました。いい思い出です。
シーナのところへ行ってしまったマコちゃんには言い尽くせないほど世話になり、精神的な支えにもなってもらいました。もう一緒にセッションできないのは本当に残念で寂しいかぎりです。
今回と前回、亡くなったぼくの盟友、鮎川誠、マコちゃんの追悼ON AIRをお送りしました。
また空の上でいつか会えるでしょう、マコちゃん。ありがとう!Hey!Hey! Mr.Rokket is Alright

2023.05.05 ON AIR

追悼:鮎川誠 vol.1

ON AIR LIST
1.I’m Flash/Sheena & Rokkets
2.Virus Capsule/Sheena & Rokkets
3.Heart Ni Hio Tsukete//Sheena & Rokkets
4.Lemon Tea/Sheena & Rokkets

私の数少ない友人のひとり、シーナ&ロケッツの鮎川誠、マコちゃんが1月29日に膵臓癌のために亡くなりました。74歳でした。
本当に残念です。
1971年に九州大学のコンサートで会って以来50年、半世紀の付き合いでした。マコちゃんは私より二つ年上なのですが、何かを相談するとか頼みごとをするとかいうことはなかったのですが、二つ上の兄貴がいてくれるような存在で、ただこの音楽の世界にいてくれるだけで心の支えになっていた人でした。
鮎川誠が心優しい男だったことは彼に接したたくさんの人が知っていると思います。ステージからもその素晴らしい人間性を感じた人もいると思う。彼はシーナ&ロケッツで踊ってくれ、一緒に歌ってくれるお客さん、ファンの人たちを本当に大切にしていました。
今日はシーナにはちょっと悪いけどマコちゃんが歌っている曲から始めさせてもらおうと思います。
1984年アルバム”Rockets Size”から邦題が「ホラ吹きいなづま」作詞はサンハウスからのマコちゃんの盟友柴山さんです。

1.I’m Flash/Sheena & Rokkets

マコちゃんがバリバリとノイズを出しながらマーシャルのアンプにシールドのジャックを差し込むいつもの姿が目に浮かびます。あの1969年製のギブソンの黒のレスポールは完全に鮎川誠の顔になってしまったし、日本であの黒のレスポールがあんなに似合うギタリストはいないと思います。鮎川家に遊びに行った時に押入れにハードケースに入ったギターがズラーっとあって僕は思わず「こんなにギターいっぱい持ってるんやん」と言ったら、マコちゃんは笑って「そうなんよ、いろいろ持ってるんやけど最後に頼りになるのはやっぱりあのレスポールなんよ」と言ってました。
僕は赤のテレキャスターのマディ・ウォーターズ・モデルをメインのギターにしてますが、というか僕もほとんどそれしか弾いてなんですが、頼りになるギターが一本あるのは大切なことです。
もう一曲マコちゃんの歌で1979年の最初のアルバム「#1」から これも作詞は柴山さん

2.Virus Capsule/Sheena & Rokkets

僕はシーナ&ロケッツのアルバムの中では1981年リリースの”Pinup Baby Blues”が好きです。ロケッツのロックとポップがうまくミックスされたアルバムだと思ってます。
基本的にはやっぱりマコちゃんのギターを中心に作られている3人のサウンドがしっかりしたロックだというところが大切なところです。
次の曲はそのロックとポップがうまくミックスされている曲です。この曲の作詞は博多のジュークレコードのオーナーでマコちゃんの長年の友達でもあった松本康さんとシーナです。

3.Heart Ni Hio Tsukete/Sheena & Rokkets

松本さんも去年亡くなられて、もうジュークレコードもなくて寂しいですね。博多に行った時の楽しみの一つがジューク・レコードに行くことだったのに・・・。
巡り合わせとうか、縁があったというか・・シーナ&ロケッツで有名になった直後に下北沢のブルーズ・バーで偶然再会して、僕も下北沢に住んでいたのでそれからお互い行き来するようになってシーナの料理も何度か食べさせてもらました。本当に料理が上手で特にオムレツは絶品でした。鮎川家のダイニングでオムレツ食べながらシーナとビール飲んだのもいい思い出です。その時はマコちゃんがコンビューターを買ったばかりでもう夢中になってて、シーナが「ご飯たべるとさっさとコンビューターのところへ行くんよ」と笑ってました。

次は最初はマコちゃんがヴォーカルの柴山さんと組んでいたサンハウスのレパートリーで1975年に「ロックンロールの真最中」とカップリングでシングルとしてリリースされた曲。
サンハウスでもシーナ&ロケッツでも定番中の定番の曲です。

4.Lemon Tea/Sheena & Rokkets

ちなみにギター、ベース、ドラムという最小限のスリーピースバンドにヴォーカルを入れるというロックスタイルを日本で定着させたのは長く続いたシーナ&ロケッツだと思います。
先日発売された「ブルース&ソウルレコード」という雑誌に僕のエッセイが連載されているのですが、そこにもページを増やしてもらってマコちゃんへの追悼文を書かせてもらいました。興味のある方ぜひ読んでみてください。でも、まだマコちゃんが亡くなったという実感がないです。
マコちゃん、鮎川誠の追悼On Airを来週もやります。