2021.02.26 ON AIR

ブルーズの本質をよくわかっていた白人ブルーズ・バンドの雄「キャンド・ヒート」

Hallelujah+Cook Book(Two IN One)/Canned Heat (Capital/BGO BGOCD578)

Big Road Blues/Tommy Johnson (P-Vine PCD-15032)

Hooker’N Heat/Canned Heat And John Lee Hooker (Capital/EMI CDP-7-97896-2)

ON AIR LIST
1.Going Up The Country/Canned Heat
2.Canned Heat Blues/Tommy Johnson
3.Rollin’ And Tumblin’/Canned Heat
4.On The Road Again/Canned Heat
5.Boogie Chillen No.2/John Lee Hooker&Canned Heat

今回は以前リスナーの方からリクエストをいただいたキャンドヒートを聞きます。
キャンド・ヒートは面白いというか少し変わったブルーズバンドだ。60年代に結成された同じアメリカの白人のブルーズバンドというとシカゴのポール・バターフィールド・ブルーズバンドがいる。そのバターフィールドは戦後のエレクトリック・シカゴ・ブルーズを目指したバンドだった。
しかし、ウエストコーストのキャンド・ヒートは戦前のカントリー・ブルーズをバック・ボーンにして当時のウエストコーストのヒッピー・ムーヴメント、サイケデリック・カルチャーの影響を受けて生まれた。
そして、キャンド・ヒートというバンド名を聞くと真っ先に思い出すのが、ヒッピー・ムーヴメントやベトナム戦争反対運動の中で製作された有名な映画「ウッドストック」のいちばん最初にスクリーンにながれてくる彼らの曲”Going Up The Country”だ。
最初に笛のような音が聞こえてくるが、これはケーン・ファイフまたはパン・パイプと呼ばれる植物の葦を切って穴を開けて笛にしたもので、ルーツはアフリカまで遡る。曲の感じはブルーズというより黒人フォーク的な或いはアフリカ的なメロディで歌っているアラン・ウィルソンの素朴な高い声が印象に残る。
1.Going Up The Country/Canned Heat
1969年にチャートの11位まで上がったアラン・ウィルソンのオリジナル曲。
今の曲は1920年代の終わり頃のブルーズマン、ヘンリー・トーマスの”Bull Doze Blues”を元ネタにしている曲。
実はアラン・ウィルソンは10代から古いカントリー・ブルーズなどに興味のある強力なブルーズ・フリークでブルーズのレコードのコレクターとしても有名でした。そのアランとベア(熊)というアダ名のこれまたかなりのブルーズ・フリークだったボブ・ハイト、この二人の出会いがキャンド・ヒート結成となる。
そういうブルーズ・フリークの二人らしくバンドの名前も1928年のブルーズマン、トミー・ジョンソンの”Canned Heat Blues”に由来している。Canned Heatとは工業用の缶入りのアルコール燃料で野外で料理する時の燃料で飲むとかなり危ない代物だが、金のない黒人の中にはそれを飲む者さえいた。
2.Canned Heat Blues/Tommy Johnson
バンドの結成は1965年で67年にレコード・デビューしているが、バンドのメンバーはその初期が入れ替わりがかなりあったが、ヴォーカルのボブ・ハイトとギター、ハーモニカそして歌も歌うアラン・ウィルソンが中心となり、もう一人のギター、ヘンリー・ヴェスティンそこにベースのラリー・テイラーが加わった頃が最も充実していた時期だった。
ラリー・テイラーは60年代にはモンキーズやジェリー・リー・ルイスの録音に参加したり、ブルーズではアルバート・キング、ジョン・リー・フッカー、ジョン・メイオール、最近ではキム・ウィルソン、ロックではトム・ウェイツ、J.J.ケイルのアルバムに参加している強者。
次の曲も古いカントリー・ブルーズでマディ・ウォーターズはじめ多くのバージョンがあります。歌っているのはボブ・ハイト。
3.Rollin’ And Tumblin’/Canned Heat

次はアル・ウィルソンがリード・ヴォーカル。ブギのブルーズだけど当時のウエスト・コーストのヒッピー・テイストが漂う一味違うブルーズバンドらしさが出ている。
68年にチャート16位
4.On The Road Again/Canned Heat
イギリスのブルーズロックの連中もそうだし、アメリカのポール・バター・フィールドもそうだったがエレクトリック・シカゴ・ブルーズからモダン・ブルーズあたりをカバーするバンドはいたが、キャンド・ヒートのように戦前のカントリー・ブルーズを取り上げてそれをブルーズロックとはちょっと違う色合いで演奏するバンドはなかった。
そうしたバンドの志向から次のジョン・リー・フッカーとのコラボ・アルバムもごく自然な出来上がりとなっている。ハウリン・ウルフやマディ・フォーターズがイギリスに行って当時のイギリスの白人ロック・ミュージシャンと作ったアルバムは、プロデューサーにミュージシャンが集められどこか作られた感があるが、この「フッカーンヒート」はジョン・リーのことをよくわかっているキャンド・ヒートの元に作られているのですごくいいグルーヴになっている。
中ジャケの写真を見ても本当にジョン・リーはじめみんな楽しそう。
1970年ロスアンゼルス録音。ヴォーカルのボブ・ハイト以外のメンバー、ハーモニカがアラン・ウィルソン、ギター/ヘンリー・ヴェスティン、ドラム/アドルフォ・デ・ラ・パラ、ベースがアントニオ・デラ・バレダ、そしてギターと歌のジョン・リー・フッカー
5.Boogie Chillen No.2/John Lee Hooker&Canned Heat
アラン・ウィルソンのハーモニカが曲全体を包んでジョン・リーを絶妙にサポートしている。このアルバムを作っている時にアラン・ウィルソンはドラッグで亡くなってしまいました。その時ジョン・リーは「いちばん才能のあったハーモニカ・プレイヤーを失った」と言ったそうです。
アランはうつ病を患っていたらしくてそのためにドラッグを常用するようになっていて、過剰にドラッグを摂取してしまったようです。
そして、81年にボブ・ハイトが亡くなりバンドは続くのですが、実質的にここでキャンド・ヒートは終わったとみていいと思う。
多くの白人ブルーズバンドが60年代から現れましたが、ほとんどがエレクトリック・シカゴ・ブルーズ或いはモダン・ブルーズのテイストだったが、キャンド・ヒートは戦前の古いカントリー・ブルーズを取り上げブルーズという音楽の本質を知っていた貴重な白人ブルーズバンドでした。そしてそこに当時のウエストコーストのロックの味が振りかけられているところもミソだった。

2021.02.19 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集 vol.25
メンフィス・ブルーズ vol.2

Bootin’ /The Best Of The RPM Years/Rosco Gordon (ace CDCHD 694)

King Of The One Man Bands (Key Postwar Cuts 1949-1954) /Joe Hill Louise (JSP Records JPS 4208)

A Sun Blues Collection/RHINO(SUN) R2 70962)

ON AIR LIST
1.Booted/Rosco Gordon
2.No More Doggin’/Rosco Gordon
3.Just A Little Bit/Rosco Gordon
4.Boogie In The Park/Joe Hill Louise
5.Mystery Train/Little Junior’s Blue Flames

前にも一度このブルーズ・スタンダード曲集でメンフィス特集をやり、その時はB.B.キング、ボビー・ブランドなどの名曲を取り上げたが、今日の一曲はその二人とほぼ同時期にメンフィスで人気のあったロスコー・ゴードンから選曲。
ロスコー・ゴードンはマーティン・スコセッシ総監督の映画”The Blues Musical Jauney”の「メンフィスへの道」というフィルムに登場したので覚えている方もいるかも知れません。
歌手でピアニストで素晴らしいソングライターでもあるのですが、映画の中で確かタワーレコードみたいなところで「オレのアルバムなんかもうないよな」なんて弱気なこと言ってましたが、いやいやあなたの作った曲は今も生きてますよと言いたい。
1952年R&Bチャートに13週間1位をキープしたブルーズからリズム&ブルーズに移り変わる時代の大ヒット曲。
1.Booted/Rosco Gordon
いまの曲はシャッフルのビートだがピアノの左手でこのビートの裏のリズムを強調しているのがロスコーのリズムの特徴だ。そしてこのウチャウチャウチャウチャというリズムが遠く海を渡りジャマイカに届いて、ジャマイカ独特のスカというリズムになり、それがその後レゲエになった。
ぼくも知らなかったのですが、ジャマイカでは60年代アメリカのブルーズやソウルがすごく人気でそれを自分たちのビートやサウンドでやっていてスカが生まれ、そのあとにレゲエが生まれたという話。
だからロスコーは世界的な音楽の功績を残した人としてもっと評価されるべきです。

次の曲も同じような彼のロスコー・シャッフルの曲で52年にチャート二位まで上がった。「愛してるって言われておまえのために金使って酒も奢ったけど、もう俺を振り回すのごめんやで」
ファンキーだけど歌にどこかダウン・ホームなゆったり感があるところがミソかな。
2.No More Doggin’/Rosco Gordon
ファンキーなテイストがあるブルーズでまさに黒人音楽がブルーズからR&Bへ移行して行ったのがわかる時代だ。

日本のブルーズ・ファンの間では完全にスタンダードになっている次の”Just A Little Bit”はマジック・サムのヴァージョンでよく知られているが、実はロスコーの曲。
私も最初はサムのヴァージョンを聞いた。ロスコー・ゴードンがオリジナル録音。1959年。
サムのパキパキのソリッドなヴァージョンとは違うどこかゆるいファンキーさがあり、歌も明るい感じでいい声してます。
どっちのバージョンも素晴らしいけどとにかく曲がいいです。
ほんのすこしだけ君の愛が欲しい。永遠に君が欲しい・・と熱愛の曲。
3.Just A Little Bit/Rosco Gordon

次の曲はスタンダードというほど有名ではないけれどどうしてもこの手のタイプの曲をスタンダードに入れておきたい。
1940年代から50年代にメンフィスで活躍していたジョー・ヒル・ルイス。彼はワンマンバンド、つまり歌とギターとハーモニカそしてドラムのバスドラとハイハットを一人で演奏するスタイルで鳴らしたブルーズマン。ロスコー・ゴードンやB.B.キング、ボビー・ブランドが人気になる前の時代にメンフィスの人気者だった。
確かB.B.キングが若き日のメンフィスの思い出でこのジョー・ヒル・ルイスのことを話していました。メンフィスの有名な歓楽街であるビール・ストリートで人気があった、そんなストリート感が彼のブルーズにはある。同じワンマン・バンドのドクター・ロスと並んでワンマンバンドの双璧。
モダン・レコードやメンフィスの有名レコードレーベル「サン・レコード」に録音を残しているが、サン・レコードのオーナー、サム・フィリップスは「ジョー・ヒル・ルイスはいつも身なりがおしゃれでこざっぱりしていた。一匹オオカミ的でつるまない男だったが、フレンドリーで寂しい男ではなかった」と言っている。
「日が暮れるまで彼女と公園でブギして街でもブギして朝までブギして、喧嘩するときもあるけどまた仲直りして一晩中ブギ」
4.Boogie In The Park/Joe Hill Louise

『サン・レコード」が有名になったのはロックンロールのエルヴィス・プレスリーが初録音したからだが、実はオーナーのサム・フィリップスはブルーズが大好きで駆け出しのB.B.キング始めハウリン・ウルフ、ルーファス・トーマス、リトル・ミルトンなどブルーズマンをたくさん世に出している。次のジュニア・パーカーもその一人。まだリトルがついてリトル・ジュニア・パーカーと呼ばれていた頃の曲
「16両編成の列車がオレの彼女を連れて行ってしまった」
5.Mystery Train/Little Junior’s Blue Flames
私もカバー録音していますが、エルヴィス・プレスリー、アーロン・ネヴィル、ザ・バンド、ジュニア・ウエルズ、ポール・バターフィールドなどブルーズ、ロック問わず多くのミュージシャンにカバーされた曲です。このTrainつまり列車というのがブルーズの歌詞の中ではよく出て来るキーワードの一つで、自分が列車の乗ってどこかへいくという歌もあれば、この歌のように彼女が行ってしまうというのもあります。

2021.02.12 ON AIR

ブルーズ聞いて半世紀まだまだ知らないブルーズマンたちがたくさんいる

DOWN HOME BLUES / New York Cincinnati & The North Eastern States (Wienerworld WNRCD5104)

ON AIR LIST
1.I Love You, Baby/Wilbert “Big Chief” Ellis
2.Boa Hog Blues/Irene Wiley
3.Wrap Me Up Tigjht/Gabriel Brown
4.Gonna Pitch A Boogie/Bob Camp & His Buddies
5.Walkin’ Down Hill/Otis Hinton

半世紀近くブルーズを聞いているのにまだまだ聞いていない曲がたくさんあることに改めて嘆息している。
今日はこの前ON AIRしたDOWN HOME BLUES / CHICAGOの続編でニューヨーク編のアルバムCD4枚組ボックスセット
まずは一枚目の最初に2曲収録されているウィルバート”ビッグチーフ”エリス・・全く知らない、名前を聞いたこともないピアノ・プレイヤーのブルーズマン。ボックスに入っているブックレットを読むと1914年にアラバマのバーミンガムで生まれて叔母さんの家にあったピアノで独学でピアノを覚えて、10代の終わり頃には地元のダンス・パーティなどで弾き始めた。1939年から42年まで軍隊に行って除隊後はニューヨークに移り住んでタクシーの運転手やナイトクラブのマネージャーやっていた。その頃にのちにデュオで有名になるブラウニー・マギー&サニー・テリーのギターのブラウニーと知り合い1949年にレコーディングになるのだが何故かリリースされなかった。それで音楽では食べれなかったからかワシントンに移って彼の兄弟とリカー・ショップ、酒屋を始めて音楽をやりにニューヨークへ時々通う生活をしていたが60年代には音楽をやめてしまったらしい。70年代には故郷アラバマに戻り77年に心臓病で亡くなっている。
1.I Love You, Baby/Wilbert “Big Chief” Ellis
有名なシティ・ブルーズのピアニスト、リロイ・カーが作るような叙情的なブルーズでいい感じです。

次はアイリーン・ワイリーという女性シンガー。この人も初めて聞くシンガーでライナーを読むと1901年にミズリー州で20年代
にはアーカンソーでピアノを弾くお兄さんと二人でやってたんですが、その後20年代半ばにニューヨークに移り住みます。売れることを夢見て大都会へ行ったのでしょうか。ニューヨークでいろんなミュージック・ショーにでるうちにレコーディングのチャンスが来てオーケー、ブラウンズウイック、コロンビアといったレコード会社で録音するのですが、これと言ったヒットにはならずアイリーンはレビュー(歌と劇があるようなショー)にでます。40年代にも少し録音はあったがヒットにはならなかった。その後ピアニストのお兄さんがベビー・スモーカーで体を壊してしまってその看病のためにアイリーンは音楽をあきらめます。でも看病の甲斐もなく64年にお兄さんは亡くなり、アイリーンもおんがくシーンから消えてしまいました。娘さんによると79年に亡くなっています。
2.Boa Hog Blues/Irene Wiley
1946年ニューヨーク録音 たぶんニューヨークにはこういう女性シンガーがたくさんいたんでしょう。しっかりした歌だし声も悪くないしバックもしっかりしているし、これと言って悪いところはないのですが、あえて言えば曲がよくある感じでアイリーンの歌もすごく個性的というわけでもない。

次のガブリエル・ブラウン、何かコンピレーション・アルバムで聞いたような気もするが・・・。
ガブリエル・ブラウンはフロリダ出身で30年代から40年代に活動していたブルーズマンなのだが、当時にしては珍しい大学を出ている黒人ブルーズマンだった。1910年の生まれで30年代の中頃に黒人女性の作家であり民俗学者のゾラ・ニール・ハーストンがフロリダでフィールド・ワーク(現地調査)していた時に彼が演奏しているのを聞いて感銘を受けたのが最初。彼女は知り合いだったアメリカ国会図書館にブルーズやフォークを録音していたアラン・ローマックスに連絡してガブリエル・ブラウンは世に出ることになった。面白いのは映画「市民ケーン」で監督をやり、「第三の男」では主役をやったオーソン・ウェールズが監督する演劇の仕事にカブリエルは携わっている。何をやっていたのか、多分芝居に音楽をつけるようなことをしていたのだと思う。それ以降ニュージャージーに住んでニューヨークでの録音などあるが大きなヒットはなく1952年で録音は途絶え、音楽シーンからも消えてしまった。1972年に故郷フロリダでボートの事故で亡くなったとされている。
3.Wrap Me Up Tigjht/Gabriel Brown

次のボブ・キャンプというブルーズマンは本当に知られていない人だが、1945年録音のこのブギの曲なんかルイ・ジョーダン風でなかなかいいと思う。シカゴ生まれだけどニューヨークに録音に来ていたのか、住んでいたのか定かではないけれど、録音も少なく有名にはなれなかったのだろう。1956年に最後の録音セッションをシカゴでやって亡くなっている。
4.Gonna Pitch A Boogie/Bob Camp & His Buddies
ダンサブルなジャンプ・ブルーズでいいです。
確かこの曲はWe Gonna Pitch A Boogie Woogieというタイトルでハーレム・ファッツがヒットさせたのが最初だったと思います。

今日は最後まで私も知らないブルーズマン。オーティス・ヒントン。1925年ミシシッピの生まれで多分残されている音源は78回転のレコードの二曲だけ。1953年になぜニューヨークのスタジオで録音されたのかよくわかりません。1985年に故郷ミシシッピで60歳で亡くなってます。その残された二曲のうちの一曲です。
5.Walkin’ Down Hill/Otis Hinton

このDown Home Bluesのニューヨーク編は正式には”Down Home Blues/New York Cincinnati&The North Eastern States”というタイトルですが、とにかく知らないブルーズマンがたくさん収録されていて新たにブルーズを探す喜びや感動を感じています。
テレビなどで知っているミュージシャンのアルバムを買って聴く人が多いと思いますが、自分が全く知らないミュージシャンの音楽を聞いてそこからまた自分にとって新しいものを探していくのも音楽を聞く大きな楽しみだと思います。

2021.02.05 ON AIR

50年代黄金のシカゴブルーズ前夜

Down Home Blues – Chicago: Fine Boogie (WienerWorld MNRCD5100)

ON AIR LIST
1.Jitterbug Blues/Muddy Waters
2.Come On Baby / Blues Boy Bill
3.Just Keep Loving Her/Little Walter
4.Whose Muddy Shoes/Elmore James
5.Kissing In The Dark/Memphis Minnie

ブルーズという音楽にとってシカゴという街は「シカゴ・ブルーズ」というカテゴリーがあることでもわかるようにとても重要な街だ。
1930年代から50年代にかけては南部の農園労働者の生活から逃れ、大都会のシカゴで工場労働者として生きようとする黒人たちで街は人口も産業もどんどん膨れ上がった。当然音楽を提供する夜のクラブも繁盛し音楽を生業にしょうとする南部のブルーズマンが次々とシカゴにやって来た。また、音楽の形態もアコーステイックからエレクトリックなバンド・スタイルに移り変わる時代でブルーズも新しいサウンドに様変わりして行った。しかし、生まれ育った南部のダウンホームな感覚はブルーズからそう簡単に消えるはずもなく、それを聴く黒人たちも故郷である南部を懐かしく思う気持ちに浸ったことだろう。
今回紹介するコンピレーション・アルバム「Down Home Blues – Chicago」は、南部の香りがする充実したブルーズが演奏され、またブルーズマンの層も厚かった45年から58年までの選曲になっている。CD5枚セット134曲。
こういうコンピ・アルバムはよく有名曲だけが選曲されてしまうのだが、このボックスセットは有名ではないがこの時代のシカゴ・ブルーズをよく表している曲やあまり知られていないが重要な曲、珍しい曲も選曲されているところがミソだ。マイク・ロウという編集者のセンスが光っている。
まずはマディ・ウォーターズ。チェス・レコードで売れてシカゴブルーズの顔となる以前、コロンビアレコードで録音されたシティ・ブルーズの匂いをさせたマディ33才、1946年の録音。
1.Jitterbug Blues/Muddy Waters
マディの歌声も若いが歌い方も演奏にも南部の粘っこさがあまりなく、シティ・ブルーズの小洒落た感覚の方が強い。南部の匂いを消してシティ・ブルーズ・テイストにした方が売れると思ったのか。マディの良さはここでは出ていない。
1943年にマディ・ウォーターズはミシシッピからシカゴに来たのだが、三年後に流行りのシティ・ブルーズ・テイストで洒落た感じで演奏したけれどこの曲は売れなかった。50年代に入る頃に南部の匂いをブンブンさせたブルーズで売れるまで後2.3年待たなければいけない。シカゴ・ダウンホーム・ブルーズで開花しその後戦後シカゴ・ブルーズのボスになる前のマディ・ウォーターズはこんな感じだったのだ。

次の曲はロバートJr.ロックウッドが1941年に録音した”Take A Little Walk With Me “と歌詞もほとんど同じで、歌い方もギター・プレイもロックウッドを丸ごとカバーしているのに曲名はCome On Baby。しかも弾き語りで歌っているBlues Boy Billというブルーズマンがどういう人なのか全く情報がなく、リリースしたシングルも一枚しかない。こういう一枚で終わったブルーズマンもたくさんいたのだろう。
2.Come On Baby / Blues Boy Bill
今の録音はロックウッドと一緒に日本にもきたエイシズのギタリスト、ルイス・マイヤーズではないかという説もあるが不明。

40年代中頃、シカゴのマックスウェル・ストリートという通りでは南部から出てきたストリート・ミュージシャンが山ほどいた。のちにブルーズ・ハーモニカのトップ・ブレイヤーになるリトル・ウォルターもそのひとり。ウォルターは12才でルイジアナの田舎から家を飛び出してニューオリンズに行き、そこからアーカンソーのヘレナに行き、そしてメンフィスへと転々としセントルイス経由でシカゴに着いたのは1946年16才の時だ。日本で言えば高校一年。シカゴの繁華街マックスウェル・ストリートでハーモニカを吹いたりギターを弾いてしのぎを削り、レコーディングの機会を掴んで最初に録音したのが1947年のこの曲
3.Just Keep Loving Her/Little Walter
17才とは思えない堂々した演奏ぷり。ギターはオーサム・ブラウン。ハーモニカもまだアンプを通さないで生のハーモニカの演奏だ。
リトル・ウォルターはレコーディングよりもストリートで演奏する方が金になったのでよくマックスウェル・ストリートにいたそうだ。10代の彼がルイジアナからずっと生きるための金を稼いでいたのはストリートやジョイントだった。

エルモア・ジェイムズと言えばスライド・ギターとトレードマークになっているけど、彼はスライドではない普通の押弦のギター・スタイルも上手くて、スライドギターはアーシーな土臭い感じだが普通に押弦で弾く時はモダンブルースギター・スタイルで意外と流暢だ。
「俺がいつも自分の靴を置いてるベッドの下にある泥のついてる靴はだれの靴や」
彼女か嫁はんが他の男と浮気している歌。
4.Whose Muddy Shoes/Elmore James
エルモアはレコーディング契約しているのに平気で金をもらってまた別のレコード会社と契約してしまう男でしたが、1953年、この時もモダンレコードと契約しているのにシカゴのチェスレコードで録音したのがこの曲。
40年代に入ってから南部のミシシッビ、アーカンソーあたりから黒人たちがより良い職を求めてシカゴをめざしミュージシャンもシカゴに集まってくる。

メンフィス・ミニー、最初メンフィスで活動していて街の名前が芸名についたこの女性も40年代にはすっかりシカゴ・ブルーズの女王になっていた。ミニーさんはなかなかルックスも可愛くて、ギターも上手くて、ヒットした曲もあり、めちゃモテたみたいだ。旦那さんも三回くらい変わっています。メンフィスでストリート・シンガー始めたのが13才ですからね。早熟を通り越してます。聞いてもらう曲は1953年ですからミニーさん56才。まだまだ色香はあったのでしょう。意味深な曲「暗闇でキス」
5.Kissing In The Dark/Memphis Minnie

このボックスセット「Down Home Blues – Chicago: Fine Boogie 」お薦めです。