2017.10.27 ON AIR

50年代ウエストコースト・ブルーズの悲運のピアノ・ブルーズマン、ロイ・ホーキンス

The Thrill Is Gone/Roy Hawkins (P-VINE PCD-3055)
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ON AIR LIST
1.The Thrill Is Gone/B.B.King
2.The Thrill Is Gone/Roy Hawkins
3.Highway 59/Roy Hawkins
4.Why Do Everything Happen To Me/Roy Hawkins
5.Hawk Shuffle/Roy Hawkins
6.Blues All Around Me/Roy Hawkins

 

 

 

今日はまずこれを聴いてください。
1.The Thrill Is Gone/B.B.King
B.B.キングで大ヒットしたブルーズ”The Thrill Is Gone
でも、このオリジナルを作り歌ったのが今日聴いてもらうロイ・ホーキンスというピアノを弾くブルーズマンだということはあまり知られていません。B.B.キングはこの曲でグラミー賞を獲得して世界のBBとして羽ばたき、B.Bのステージでは必ず演奏され、B.B自身も「この曲が私を有名にしてくれた」と語った曲です。しかし、ロイ・ホーキンスは長くアルバムもリリースされず悲運のうちに人生を閉じました。オリジナルのロイ・ホーキンスは40年代から50年代に活躍したブルーズマンで”The Thrill Is Gone”はB.B.がヒットさせる19年前1951年にこの曲のオリジナルをリリースしました。
2.The Thrill Is Gone/Roy Hawkins
元々曲調がマイナーということもありますが、B.B.のカバーに比べると暗い感じがします。それはこのロイ・ホーキンスの持っている声がヘヴィでダークということもあります。
曲の内容は「ひどい目に合わされて来た女と別れて、いつの日かオマエは後悔するだろう。まだ未練はあるけどオレは自由になった。すべては終わったんだよ」ホーキンスとB.Bは多少歌詞が違うんですが、ホーキンスの方は未練とか辛かった思いが強い気がしますが、B.B.の方が別れて自由になったんだというアピールが強く僕は感じます。

今日聴いてもらうアルバムはThe Thrill Is Gone/Roy Hawkins”というアルバムです。
1949年から1955年まで約6年間のロイ・ホーキンスが売れていた当時のシングルを集めたものです。ロイ・ホーキンスはピアノ・ブルーズマンで40年代後半ウエストコースト、カルフォルニアのオークランドのクラブで歌っていたところをスカウトされて初めて録音したのが1948年。50年代に入ってモダン、RPMといった黒人レーベルに録音をはじめ、いまのThe Thrill Is Goneともうひとつ大きなヒット”Why Do Everything Happen To Me”を出してウエストコーストのブルーズ・シーンで有名に。後輩のレイ・チャールズ もかなり影響を受けています。
40年代後半というと同じピアノ・ブルーズのチャールズ・ブラウンやモダンブルーズギターの父、T.ボーン・ウォーカーがめちゃ売れていた時代でウエストコースト・ブルーズ花盛りの時代。このロイさんにもそのふたりの影響がありますが、そのT.ボーンがギターで特別参加している曲です。もうイントロから「ああ、T.Bone・・・」とわかります。
3.Highway 59/Roy Hawkins
めちゃくちゃT.ボーンのギターがいいですね。ホーキンスの歌がちょっとT.ボーン風になってるのがおもろいです。ダンサブルなジャンプ・ブルーズですが、この時代のスタジオ・ミュージシャンってみんなめっちゃ上手い。
次は1950年R&Bチャート2位まで上がったヒットですが、これはホーキンスのオリジナルではないです。実はこの曲のレコーディング直前にロイ・ホーキンスは交通事故にあって右腕が使えなくなってしまい、以降は代わりのピアニストがスタジオに来て録音をすることになります。それで次の曲が皮肉にも「どうしてオレにばっかいろんなことが起こるんだろう。寂しく、心は悲しみにあふれている。一日中変なことがたくさん起きる。まるでオレのやっていることがすべて悪いことのようだ。悪運がオレに襲いかかるのでオレはまためげてしまう」
すごく重いブルーズですが、チャートの2位まであがりました。
4.Why Do Everything Happen To Me/Roy Hawkins
まさにブルーズっていう感じの曲ですが、この曲がチャートの2位まであがったということは、この歌に共鳴する人たちがたくさんいたということです。つまり、なんでオレばっかりうまいこといかんのやろと思っていた黒人の人たちがいたんですね。さっき聴いてもらったダンサブルな曲でクラブで憂さを晴らすんだけど、実際生活に戻るとブルーなことばかりという人たちがたくさんいたんですね。
次はホーキンスが事故に遭う前、まだ右腕が使えた頃のインスト曲でこういう早い曲も弾けた人ですから辛かったでしょうね。

5.Hawk Shuffle/Roy Hawkins
ホーキンスはピアニストとして片腕が使えなくなっても曲をつくる力と歌が歌えたことで、その後も録音は続くんですが、だんだんとお酒に溺れてしまい、最後のレコーディングは1961年でそのあと音楽をやめて亡くなるまで家具屋で働いていたそうです。
亡くなったのは1974年。B.B.がThe Thrill Is Goneでグラミーを獲得した三年後です。聴いたんでしょうかね、B.B.ヴァージョンを。たぶん聴いたでしょうね。ラジオでも流れていたし・・・。どんな気持ちで聴いたんでしょうね。

6.Blues All Around Me/Roy Hawkins
ブルーなロイ・ホーキンスらしい曲「オレの家は墓場やでベッドは墓石、ベイビーすぐ帰ってきてくれんかな、オレのまわりはブルーズばっかや、めっちゃブルーでどうしたらええねん」
今日は才能がありながら不運にみまわれた50年代に活躍したブルーズマン、ロイ・ホーキンスを聴きました。

2017.10.20 ON AIR

シカゴ・ブルーズの裏の立役者、素晴らしいソングライター、
アレンジャー、プロデューサーそしてベーシストのウィリー・ディクソン

I AM THE BLUES(Sony Music MHCP-422)
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ON AIR LIST
1.Hoochie Coochie Man/Muddy Waters
2.Spoonful/Howlin’ Wolf
3.Little Red Rooster/Willie Dixon
4.Wang Dang Doodle/Koko Taylor
5.My Babe/Little Walter

 

 

 

 

ビートルズにはジョージ・マーティンという素晴らしいプロデューサーがいて、彼が「5人目のビートルズ」と呼ばれるほど重要な人物だったことはよく知られています。やはりひとつの音楽やバンドやミュージシャンが世に出るには、そのミュージシャンの力だけでなく周りのプロデューサー、マネージャー、ソングライターの力が必要です。今日は40年代から60年代シカゴ・ブルーズのソングライター、プロデューサー、ベーシストとして活躍したウィリー・ディクソンを取り上げます。言わばシカゴ・ブルーズのジョージ・マーティン的役割を担った人です。
ウィリー・ディクソンは1915年ミシシッピー、ヴィクスバーグの生まれ。その後シカゴに移り住み、若い頃プロのボクサーでイリノイ州のヘヴィ・ウエイトのチャンピオンにまでなった人でした。でも、マネージャーと金銭トラブルでボクサーをやめてミュージシャンに転向したのが1930年代半ば。貧しい黒人が一攫千金を狙えるのはスポーツ選手かミュージシャンという構図はいまもあまり変ってないですね。
ミュージシャンになった最初はデュオを組んだり、トリオだったり・・ブルーズとポピュラーをやっていたみたいですが、のちに「チェスレコード」を興すチェス兄弟が経営しているクラブで演奏している時にチェス兄弟と仲良くなりました。それで彼らがレコード会社を立ち上げた時に専属のベース・プレイヤーとして雇われることになりました。1948年頃のことです。そして、ディクソンには演奏だけでなく、作詞作曲とアレンジャーとしての才能があることがわかりチェス・レコードの重要なミュージシャンそして製作スタッフとなります。
そして、ソングライターとして大きなヒットを出した最初がマディ・ウォーターズのこのブルーズでした。1954年。
1.Hoochie Coochie Man/Muddy Waters

ブルーズの名曲のひとつですが、この曲のエロティックな歌詞は当時女性に人気が出てきていたマディ・ウォーターズを見て、ウィリー・ディクソンが彼のために作った曲だったそうです。こういう下ネタの歌詞を黒人の女性たちが笑いながら、かけ声入れながら聴いて腰ふって踊っている・・・そういうブルーズが作りだす生活文化が僕はとってもいいと思います。日本ではすごくそういう歌を毛嫌いする人もいるし、無視する人もいますが、歌ですからね。おおらかに聴いて欲しいです。
まずブルーズは人間に起こるすべてを歌う音楽ですから。
このヒットからディクソンは同じチェス所属のハウリン・ウルフの”Evil”、リトル・ウォルターの”My Babe”とヒットを連発していきます。ちなみにウィリー・ディクソンが作ったそれ以外のブルーズの名曲をざっと上げてみます。マディ・ウォーターズの”Tiger In Your Tank”,”I’m Ready”,”The Same Thing” ,”You Shook Me”そして、ハウリン・ウルフの”Spoonful”,”Little Red Rooster”,”Back Door Man”,リトル・ウォルターの”Too Late”、ココ・テイラーが歌った”Wang Dang Doodle”,オーティス・ラッシュの”I Can’t Quit You Baby”・・・とまだまだあるのですが・・つまり、ウィリー・ディクソンの曲なくしてあの黄金期のシカゴ・ブルーズは語れないのです。
もちろん、ベーシストとしても録音に参加しその場でアレンジを考えたり、音のアンサンブルやグルーヴのアイデアを出したりとアレンジャーとプロデューサー的な役割もしました。
だから、レコーディングのクレジットとしてはプロデューサーはチェス兄弟になっていますが、実質的にスタジオでそういう役割をしていたのはディクソンだと思います。
では、彼が作った中でも僕が格別に好きな曲です
「たったスプーン一杯のダイヤやスプーン一杯の金、たったそれだけのためで争いごとが起きる。オレはスプーン一杯のオマエの愛で満足だけどね」
ハウリン・ウルフでヒットしてクリームがカバーしました。
2.Spoonful/Howlin’ Wolf

ウィリー・ディクソンはピアニストのメンフィス・スリムとのデュオ・アルバムとかコンピレーション・アルバムで歌ったものとかあるのですが、自分の名義で歌ったものとしては1969年にCBSレコードから出されたアルバム”I Am The Blues”が有名です。
タイトルがすごいですけどね”I Am The Blues”、「オレがブルーズだ」
このアルバムは全編自分の作った有名曲を自分で歌ったものですが、一曲聴いてみましょう。サム・クックもローリング・ストーンズもカバーした曲です。
3.Little Red Rooster/Willie Dixon
このアルバムのメンバーを見ると歌とベースが本人ウィリー・ディクソン、ハーモニカがウォルター・ホートン、ギターがジョニー・シャインズ、ピアノがサニーランド・スリムとラファエット・リーク、ドラムがクリフトン・ジェイムズ。1969年ですからまだいい時代のシカゴ・ブルーズのメンバーが残っています。

ディクソンが次のココ・テイラーに作ったWang Dang Doodleという曲は「面倒なことはやめて、みんなで大騒ぎして楽しもうよ」という意味のパーティ・ソングですが、この曲もいまだに歌いつがれている曲です。
ディクソンが作る曲のひとつの特徴は土着的な要素がありながら、覚えやすいR&B的なテイストが入っているところで、この曲なんかはゴスペル的な感じもあります。

4.Wang Dang Doodle/Koko Taylor
ウィリー・ディクソンは40年代終わりからチェスレコードで働いていたのですが、57年にチェスを離れてもっとマイナーなコブラ・レコードでマジック・サム、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイといった当時の若手ブルーズマンを売り出してます。これはチェスが当時ブルーズよりR&BとR&Rが流行出したのでそちらへ方向を向けたからでした。でも、2年でコブラが倒産し再びチェスに戻るのですが、その間に若手がデビューするきっかけを作ったのでした。
60年代に入ると黒人音楽の主流はソウル・ミュージックへと流れていくので裏方としてのディクソンの役割は減りました。でも、その60年代にはヨーロッパとくにイギリスのロック・ミュージシャンがブルーズを始めて、ブルーズ・ブームがありディクソンはブルーズマンたちをまとめてコンサート・プロデューサーのような役割で渡欧して活躍しました。
ウィリー・ディクソンの曲作りのミソというのは、どこかにちょっとポップな要素があり、ブルーズの曲にしては覚えやすいメロディがあるというところです。次の曲なんかはもう鼻歌で歌えるくらいメロディがあるブルーズです。
5.My Babe/Little Walter

今日はシカゴ・ブルーズの偉大なソング・ライターであり、アレンジャー、プロデューサー、ベーシストだったウィリー・ディクソンを振り返りました。
1992年にウィリー・ディクソンは77才で亡くなりました。彼なくして50年代60年代のシカゴ・ブルーズの隆盛はなかったし、今日聴いてもらったようにブルーズの名曲をこんなに残した人もいません。
面倒見も良かったんだと思います。シカゴのブルーズマンには信頼されていて晩年82年には自分の印税を元に、ブルーズの音楽的遺産を残したり、若いブルーズマンを育てる目的の「ブルーズ・ヘヴン・ファンデーション」という非営利組織を作って、それはいまも活動しています。

最後にウィリー・ディクソンが残した有名な言葉を「The Blues Is The Roots,Everything Else Is The Fruits/ブルーズは音楽の根っこで、他のすべての音楽はその根っこの木に出来た果実だ」本当に名言だと思います。

2017.10.13 ON AIR

まったりとしたルイジアナのR&Bバンド「クッキー&カップケイクス」の楽しさ

Cookie & The Cupcakes/From Louisiana Bayou(P-Vine PCD-2138)
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ON AIR LIST
1.Got You On My Mind/Cookie & The Cupcakes
2.Sea Of Love/Cookie & The Cupcakes
3.Mathilda/Cookie & The Cupcakes
4.Shake Rattle & Roll/Cookie & The Cupcakes
5.I’ve Been So Lonely/Cookie & The Cupcakes

 

 

 

 

さあ、今日はビールかワインでも飲みながらルイジアナのレイドバックした「クッキー&カップケイクス」のグルーヴに体を揺らしてください。
すごく有名なバンドではないんですが、ルイジアナならではのグルーヴに僕は最初から好きになりました。ここには有名な全国区のバンドでは出せないいなたいルイジアナの田舎臭さがあります。
最初の曲は僕もブルーヘヴン時代にカバーして歌ってた曲。
1.Got You On My Mind/Cookie & The Cupcakes

「クッキー&カップケイクス」というバンドの名前がいいですよね。名前からして楽しい。
1953年にルイジアナのレイクチャールズで結成されているんですが、音楽的に言うとケイジャンというルイジアナのフランス系(ルイジアナは昔フランスの植民地だった)の移民の音楽とザディコというアフリカン・アメリカンが演奏する音楽をミックスしたものに、R&Bを入れたものです。ザディコもケイジャンもルイジアナのクラブでダンス・ミュージックとして人気のある音楽でルイジアナのリラックスしたクラブで夜な夜なみんな踊ってます。まあ、ルイジアナそしてニューオリンズ独特の音楽です。

次はレッド・ツェッペリンのVo.ロバート・プラントのソロ・バンドだった「ハニー・ドリッパーズ」やトム・ウェイツ、レゲエのヘプトーンズなどたくさんの人がカバーしている有名な曲で、映画のタイトルにもなってこの曲が重要なキーポイントとして使われてました。アル・パチーノが主演で1989年に公開された”Sea Of Love”
もうベタのあまーいラブ・ソングで、聴いてるのも恥ずかしいくらいの甘さですが、ルイジアナの女性はこういうのがええんでしょうか。
「初めて出会った時のこと覚えてる?君が僕のお気に入りになったあの日のこと。どのくらい君のこと好きか君に言いたい。僕と一緒においでよ愛の海に。どんなに好きか君に言ってあげたい。一緒においでよ愛の海にSea Of Loveに」
2.Sea Of Love/Cookie & The Cupcakes

クッキー&カップケイクスのクッキーさんは、ヴォーカルとサックスなんですが、写真見ると人の良さそうな小太りのおっさんでそのクッキーという名前のように可愛い顔してます。メンバーの写真を見るとやっぱルイジアナのバイユーですから蒸し暑いんでしょうね。みんな開襟シャツ来てめっちゃイナターイです。
そのB級パーティ・バンド的な感じがすごくいいです。彼らには1曲だけヒットした曲がありまして1959年ビルボードチャート47位までいきました。
3.Mathilda/Cookie & The Cupcakes
なんかルイジアナの古いダンスホールで、オシャレして集まった近所の人たちがチークダンスしている光景が目に浮かびます。
ジェリー・リー・ルイスとかファツ・ドミノがニューオリンズでやるコンサートのオープニングをやったり、普段はニューオリンズ近辺のホテルのラウンジとかクラブで演奏してたみたいです。ルイジアナらしいゆるさがどこかにあるバンドなんですが、パーティ・バンドですからお客さんを踊らせなければならないんで次のようなダンス・ナンバーも上手いです。
元々はジャズ・ジャンプ・ブルーズのキング、ビッグ・ジョー・ターナーのヒットです
4.Shake Rattle & Roll/Cookie & The Cupcakes

アメリカのクラブ、とくにちょっと地方のクラブへ行くと長くその店に出ているレギュラーのバンドがいて、やっぱり毎日演奏してるんで演奏は上手いんですよ。観てると何でこの人売れないんやろというミュージシャンなんかいっぱいいます。やっぱりきっかけとかチャンスがないと全米の日の当たるところにはなかなか出れないんですよね。このクッキー&カップケイクスもそんなに売れたバンドではないんですが、僕は最初聴いたときからいいなぁって好きになってもう30年くらい聴いてます。B級なんですけど、地域の人たちに愛されていて、すごく気楽に行けるクラブでいつも演奏してるバンドっていいやないですか。超一流もいいんですけどね。僕はこういうローカル色のあるバンド大好きです。もう一曲。
5.I’ve Been So Lonely/Cookie & The Cupcakes

2017.10.06 ON AIR

70年代メンフィスのソウル・クイーン、アン・ピーブルズのブルージーな歌声

The Best Of Ann Peebles The Hi Records Years(Hi 7243-8-52659-2-1)
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ON AIR LIST
1.I Can’t Stand The Rain/Ann Peebles
2.A Love Vibration/Ann Peebles
3.Part Time Love/Ann Peebles
4.If This Is Heaven/Ann Peebles
5.Walk Away/Ann Peebles

 

 

 

 

この前に74才で素晴らしいアルバムを発表したメンフィスのソウル・シンガー、ドン・ブライアントを聴いてもらいましたが、今日はそのドンの奥さん、メンフィス・ソウルの女王アン・ピーブルズを聴こうと思います。
女性ソウル・シンガーっていうと歌唱力と声量で歌いあげるシンガーを思い浮かべる方も多いと思いますが、アン・ピーブルズは淡々とあっさり味です。でも、あっさりですがダシはすごく聴いています。ブルーズ味のダシがしっかり出ています。ルックスも可愛くてスタイルも黒人女性ソウルシンガーとしてはスレンダーで、日本でもファンは多い方やと思います。
現在は心臓が悪くてもう10年くらいステージに立っていないんですが、彼女が残した70年代のメンフィスのハイレコードの音源はいま聴いても本当に素晴らしくて、こういう女性ソウル・シンガーももういないなぁ・・と思います。
まずは旦那のドン・ブライアントとアンの共作でR&Bチャート6位まで上がり、かのジョン・レノンがこの曲を大好きだと言った彼女の代表曲です。
「I can’t stand the rain against my window/窓を打つ雨に耐えられない
Bringing back sweet memories/その雨音が甘い思い出を蘇らせるから」
と始まるこの歌は自分を残して出ていってしまった彼を想い出す雨の日の失恋の歌です。イントロから印象的です。
1.I Can’t Stand The Rain/Ann Peebles
なんとも印象に残る曲で、曲も素晴らしいんですが、アン・ピーブルズの悲哀に満ちた歌声がいいです。
70年代、彼女が所属していたハイ・レコードにはアル・グリーン、OV.ライト、シル・ジョンソン、オーティス・クレイ、女性コーラスグループのクワエット・エレガンスと素晴らしいシンガーたちがいましたが、その中でもアンは売れっ子で70年代半ばディスコ・ブームが来るまではコンスタントにアルバムをリリースしてました。
僕がいちばん最初にアンの歌を好きになった曲はハイレコードのコンピレーション収録されていた次の一曲。オーバーなアレンジや大げさなところがどこにもなくて、素朴ささえかんじさせる短い曲なんですが、それがたまらなく切ない感じを出しています。これが僕の胸をヒットしてここからアン・ピーブルズのアルバムを探すことになりました。
彼女は例えばアレサ・フランクリンのように音域の広さとか歌のテクニックがすごくあり圧倒的に聴かせるタイプではなくて、さりげなく心のこもった歌を歌う人でしかもどこかブルーズのテイストが漂っている歌手です。
2.A Love Vibration/Ann Peebles

お父さんは教会の牧師さんでお母さんは歌手という環境で小さい頃からお父さんのクワイヤーで歌うというもう歌手になるしかないような血筋と環境です。
小さい頃から「ピーブルズ・クワイヤー」という家族のファミリー・ゴスペルグループで歌ってました。お父さんは牧師さんですけど世俗の音楽であるソウルやブルーズを歌うことに反対しない人だったようで(中にはゴスペルしか歌ってはいけないという牧師さんもいる)、68年にメンフィスのクラブで歌っているところをスカウトされ、今日聴いてもらっているハイ・レコードと契約。翌年にはデビューしてその曲がトップ20位に入ってますから、そんなに苦労しているタイプではないですね。74年にさっきも言いました27才でドン・ブライアンと結婚してます。それからずっと別れることなく43年間「ソウル界のおしどり夫婦」ですから。

次の曲は有名ブルーズのカバーで、アンは声がブルージーなのでこういう歌を歌ってもハマります。オリジナル・シンガーは1963年R&Bチャート1位になったリトル・ジョニー・テイラー。
元々はミディアムスローだったのをハイ・レコード特有の重い8ビートでアレンジしてます。このビートが素晴らしいのでそこも聴いてください。
朝帰りしてくる彼に「どこいってたん?」と訊いても何も答えない。今度この男と別れたら私はパートタイムラブを探すわ。つまり束の間の恋を探す。もうフル・タイムラブはいらないということか。こういう曲が南部のおばちゃんたちにウケるんですよ。これもトップ10位に入ったヒットです。
3.Part Time Love/Ann Peebles
バックのハイレコードのミュージシャンたちの演奏がもう素晴らしいです。

76 年にハイ・レコードの社長のウィリー・ミッチェルが会社の経営権を売ってしまって実質的にハイの時代は終わって、アンも79年には一時引退しました。
でも、88年にカムバックしたんですが2012年心臓が悪くなって完全に引退状態になっています。残念です。本人も歌いたいでしょう。
1977年のハイ・レコードもあまりヒットが出なくなった頃の、これがハイのディスコ寄りの精一杯のダンス・ミュージックだったのかと思います。
4.If This Is Heaven/Ann Peebles
もう一曲。
5.Walk Away/Ann Peebles
「悲しみと涙の毎日 それは私にとって何の価値も意味もない。泣くのはやめて私は立ち上がってここから出ていくわ」

今日は70年代のメンフィスのソウル・クイーン、アン・ピーブルズの”The Best Of Ann Peebles The Hi Records Years”を聴きました。
じわじわと心に沁みる歌を歌う彼女のアルバムをゲットしてこの秋の夜、お酒でもちょっと飲みながらメンフィス・ソウルを楽しんでください。