2022.02.25 ON AIR

我が愛するエスター・フィリップスと女性R&Bシンガーたち vol.1

The Johnny Otis Story(ACE CDCHD 1312)
The Best Of Esther Phillips(1962-1970)

ON AIR LIST
1.Double Crossing Blues/Johnny Otis Quintet The Robins Little Esther Phillips
2.Mistrustin’ Blues/Esther Phillips And Mel Walker
3.Hound Dog/Big Mama Thornton
4.Release Me / Esther Phillips

音楽雑誌「ブルース&ソウル・レコーズ」に私が”Fool’s Paradise”というエッセイを連載しているのを読んでくださってる方もいると思いますが、そのいちばん新しい号で「エスター・フィリップスのことをどうしても書いておきたい」と書きました。
そのこともあり最近エスター・フィリップスを中心に50年代から70年代あたりまでの女性ブルーズ、R&Bシンガーをよく聞いていたのでその辺りの話を今回から4回に分けてON AIRしてみたいと思います。

まずエスター・フィリッブス
本名はエスター・メイ・ジョーンズ1935年12月23日テキサスの生まれ。生きていれば87才。子供の頃故郷テキサスの教会で歌い始めている。両親が離婚してお父さんとテキサスで暮らし、夏休みになるとロスに移った母親のところへ行くという生活をしてました。そのロスで13才の時に当時流行っていたジュースを飲みたくて(タピオカみたいなものでしょうか)、姉さんたちに「あんた歌うまいからコンテストに出なよ。勝ったら賞金もらえるから」と言われコンテストに賞金目当てで出場したところなんと優勝。賞金は10ドル。1ドルだけもらってあとは姉さんたちに取られてしまった。その時歌ったのが大好きだったダイナ・ワシントンの曲”Baby Get Lost”。そしてそのコンテストを主催していたウエストコーストのR&Bのボス、ジョニー・オーティスがエスターの才能に目をつけ、母親の了解をとりデビューさせることになった。エスター、13才、リトル・エスターという芸名でのデビューだった。
まずそのデビュー曲を聞いてください。バックはジョニー・オーティスのバンド、そしてロビンズという男性コーラス・グループと組んだとても14才とは思えない堂々たる歌いっぷりです。

1.Double Crossing Blues/Johnny Otis Quintet The Robins Little Esther Phillips

この曲はチャートの1位に22週間留まる大ヒットとなりました。そしてその後男性シンガー、メル・ウォーカーとデュエットで組んだ曲が次々とヒットし1950年はR&Bチャートの上位に6,7曲がチャートインしました。この頃エスターには「史上最年少でナンバーワン・ヒットになった歌手」という看板がつき、「14才のセンセーション」とも呼ばれてます。そして金儲けの上手いジョニー・オーティスは自分のバンドの専属歌手としてエスターを入れてツアーに出る。もちろん未成年なので母親も同行してのツアーでした。しかしまだ14、15才の少女、日本で言えば中学2,3年。それが大人たちと同じツアー・バスに乗り毎晩いろんな街で演奏し、ステージが終わるとバスで寝て何マイルも移動。それを毎日繰り返す。エスターはバスの中で勉強しょうと思って教科書を持っていったけど、大人のミュージシャンたちが酒を飲んでギャンブルをして騒ぐ中で勉強などできるはずもなかった。
では、14才のエスターの歌をもう一曲聞いてください。メル・ウォーカーとのデュエットです。

2.Mistrustin’ Blues/Esther Phillips And Mel Walker

「いったい何才やねん、このシンガー」いう感じですよね。現在のテレビに出てくる日本の10代の少女たちの子供っぽい歌いっぷりとは雲泥の差ですが・・。
ジョニー・オーティス・オーケストラの看板歌手として順調にやってきたのですが、ここにもう一人女性シンガーをバンドに入れようとしてエスターとジョニー・オーティスの間に軋轢が生まれることになります。
それがビッグ・ママ・ソーントン。そのビッグ・ママが歌って大ヒットしたのが有名な次の曲。これもジョニー・オーティスのプロデュースです。

3.Hound Dog/Big Mama Thornton

いつ聞いても破壊力抜群の歌です。この1953年の大ヒット「ハウンド・ドッグ」をビッグ・ママに歌わせたのもジョニー・オーティスだった。彼はのちにエタ・ジェイムズもデビューさせてますが、とにかく才能を見つけるのが上手い。
でも、エスターにしてみればもう一人バンドに女性シンガーが入ってくるというのは面白くなかったんでしょうね、まだエスター10代後半ですがビッグ・ママは26才くらいですから年上だけど自分の方が先に売れているし。。。それでジョニー・オーティスとお金のトラブルもありエスターは彼の元を離れます。
その後50年代半ばからフェデラル、デッカ、サヴォイとレコード会社を移ってレコーディングを続けましたがヒットは出ませんでした。この頃はとにかく小さなクラブで毎晩歌い続けながらなんとか日々をしのいでいました。そして以前から常用していたドラッグに更に溺れるようになり、結局故郷テキサスの病院に入院するまでになってしまいます。もう歌うのはテキサスの小さなクラブだけになり彼女はなんとか普通の生活を取り戻そうとしていました。
そんな時ヒューストンのクラブで歌っていたエスターの歌に感動したのが、有名なカントリー・シンガーのケニー・ロジャースでした。彼はクラブやレストランも持っていて事業家の一面もありそのクラブも彼の店でした。そのケニーが弟のリーランに彼女をなんとかしょうと相談し、リーランはレノックス・レコードを立ち上げその第一弾としてエスター・フィリップスをリリースしました。1962年レノックスレコードからのこの曲でエスターは息を吹き返すことになりました。カントリーの曲なのにエスターの魔法のブルーズがかけられたブルース風味の面白い曲になっている。

4.Release Me / Esther Phillips

エスターは聞いてもらってわかるようにとても癖のある歌い方ですが、エモーショナルで、どんな歌を歌ってもブルーズのテイストがあります。
この曲はR&Bチャートのトップになり、ポップ・チャートでもトップ10入りし、更にカントリー・チャートにも入りました。少し前の1958年にレイ・チャールズが”I Can’t Stop Lovin’ You”(愛さずにはいられない)などカントリーの曲を何曲かヒットさせていたこともあり、この曲を歌うことになったのだと思います。そしてこのヒットでエスターも全てカントリーのカバー・アルバムを出すことになりました。
エスターは27才になりリトル・エスターからリトルを取ってエスター・フィリップスと名前を変え彼女は再びオーヴァー・グラウンドに戻りました。
この後の話はまた次回。

2022.02.18 ON AIR

現在のブラック・ミュージックの最前線「シルク・ソニック」とブルーノ・マーズ

Silk Sonic / An Evening With Silk Sonic (WARNER MUSIC WPCR-18451)
Bruno Mars / 24K Magic (WARNER MUSIC WPCR-17559)

ON AIR LIST
1.Leave the Door Open / Silk Sonic
2.Smokin Out The Window / Silk Sonic
3.Fly As Me / Silk Sonic
4.Too Good To Say Goodby / Bruno Mars

この番組はブラック・ミュージックのルーツであるブルーズを中心としてON AIRしている番組ですが、今日はブルーズから少し離れて昨年から話題の最先端のブラック・ミュージックを聞いてみようと思います。普段はこういう音楽を聞かない方も今夜はちょっと耳を傾けてください。
ブルーズから50年代にR&BやR&Rが生まれて、そこから60年代にソウルとファンクの時代になり、70年代ソウルとファンクには黒人たちが自分たちのメッセージなどを強く込めた時代でした。それからディスコの時代を経ておしゃれなソウルが生まれたり、その後ラップ、ヒッブホッブとブラック・ミュージックはめまぐるしく変わってきました。僕自身はなるべく広範囲に音楽、特にブラックミュージックを聞くように心がけてますが、現在なかなか心から寄り添えるものは少なくなってきています。音楽はその時代時代のものですからそれに僕がついていけないだけのことかも知れません。

今日はブルーズから離れて話題沸騰の現在のブラック・ミュージックのトップランナー、ブルーノ・マーズとこれまた才能のあるアンダーソン・パークと組んだユニット「シルク・ソニック」が去年11月にアルバム”An Evening With Silk Sonic”をリリースしました。今日はまず久しぶりに共感できたそのアルバムを聞いてみようと思います。
現在グラミー賞4部門にノミネートされているこのアルバムは去年3月にこのアルバムにも収録されている「Leave the Door Open」がシングルでリリースされるなり若いブラック・ミュージック・ファンだけでなく、オールドタイマーのソウル・ファンなども巻き込んで話題となりました。
このヒット曲をまずは聞いてみましょう。

1.Leave the Door Open / Silk Sonic

僕のようなオールド・タイマーのブラック・ミュージック・ファンにとってはどこか懐かしいテイストがします。それは70年代のソウル・バーやディスコで流れていた曲のテイストなんですね。70年代の中頃くらいがぼくがいちばんディスコに通った時代です。
フィラデルフィア発のフィリー・ソウルと呼ばれるハロルド・メルビンとブルーノーツ、スタイリスティックス、あとシカゴのチャイライツ、それからエスコーツなどもいました。それらはスウィート・ソウルと呼ばれるもので、きれいなメロディ・ラインとそこに加わる甘いコーラス、そして高揚感に溢れたものでした。それがこのユニットにはあるんです。しかし、シルク・ソウルはただ過去のスウィート・ソウルをリメイクした感じではなく、ラップやメロディの新しいテイストをそこに入れています。
アルバムではブルーノ・マーズはキーボードを弾き、アンダーソンはドラムを叩いています。
Radio music Awardのライヴの様子がYouTubeにアップされているので是非見てもらいたいです。音楽もステージ・パフォーマンスもブラック・ミュージッの伝統を感じさせるライヴの様子が見れます。そして、ここ十数年いやもっとか・・・ブラック・ミュージックの最先端でまともに聞く気持ちになれなかったのは、こういうはっきりしたメロディとハーモニーそしてパワーのある歌がなかったからです。この前にON AIRしたジョン・バティーストとはテイストは違いますが、歌そのものが僕自分の胸に入ってきた若い人たちの音楽は久しぶりです。

もう一曲シルク・ソニックのアルバム”An Evening With Silk Sonic”から。

2.Smokin Out The Window / Silk Sonic

このアルバムにはシルク・ソニックの二人の70年代ファンクへのオマージュがあり、次のファンクも懐かしい感じがするのですが古い感じはしない。結局、彼らは黒人音楽としてのソウル・ミュージックがいちばん豊かに実っていた時代のテイストを取り入れながら、新しいサウンドですごくグルーヴするファンクのビートで新しい音楽を提示したアルバムです。

3.Fly As Me / Silk Sonic

2017年にマーズがツアーのオープニングにアンダーソン・パークを使ったことで二人は音楽的に接近してこのプロジェクトになったらしいですが、二人ともそれ以前から70年代から80年代のソウル・ファンクの匂いがどこかでしていたので今回のシルク・ソニックでそれを全開でやってみようということになったのでしょう。
ブルーノ・マーズは6,7年前にレコード店に流れていたPVを見ていたら最後まで見てしまったんですよ、なんか見た目はね今度日本ハムの監督になったビッグボス新庄監督みたいな感じなんですよ。見た目がね。でも音楽に何か惹かれるものがあり何だろうと思っていたのですが、それは僕が好きだった70年代のソウル・ファンクの匂いでした。若いシンガーなのにおじさん、おばさんを惹きつけるテイストを前から持っていた人です。
ブルーノ・マーズの2016年の作品「24K・マジック」からバラードの曲を最後に、

4.Too Good To Say Goodby / Bruno Mars

いにしえのブルーズから脈々と続くブラック・ミュージックの最先端の音楽に去年からすごく興味が湧いているところです。
今日はシルク・ソニックとブルーノ・マーズを聞きました。やっぱり歌がいい音楽はいいですね。

2022.02.11 ON AIR

リアル・サザン・ソウル・シンガー、ウィリー・ウォーカーの遺作”Not In My Life”

Not In My Life / Wee Willie Walker (BSMF-2750)

ON AIR LIST
1.Don’t Let Me Get In Your Life/Wee Willie Walker
2.Darling Mine/Wee Willie Walker
3.Warm to Cool to Cold/Wee Willie Walker
4.Let The Lady Dance/Wee Willie Walker

2019年11月19日に亡くなった最後のリアル・サザンソウル・シンガーと言われたウィリー・ウォーカーの遺作”Not In My Life”が昨年10/29に日本のBSMFレコードからリリースされました。少し遅れましたが今日はそのアルバムを聴きながらウィリー・ウォーカーを偲びたいと思います。
昨年亡くなった女性シンガーのキャロル・フランを少し前にON AIRしましたが、ウィリー・ウォーカーもキャロルと同じように若い頃はなかなかヒットが出ず、広く名前を知られることもなかったシンガーでした。その本領が開花したのが60才過ぎてからで本当に遅咲きのソウルシンガーでした。
最近のブルーノ・マーズやジョー・バティーストなど若い才能のあるミュージシャンたちの華やかな活躍振りも興味のあるところですが、ウィリー・ウォーカーのようにトラッドな南部のソウル・スタイルで歌い続けてくれたシンガーはとても頼もしい存在でした。
ずっと続くコロナ禍の中、今こそ黒人クラブで一杯呑みながらゆったりとウィリーのようなサザン・ソウルを聞きたいと思います。77歳でまだまだ歌える力を残して天国へ行ったウィリー・ウォーカーの遺作”Not In My Life”からまず一曲

1.Don’t Let Me Get In Your Life/Wee Willie Walker

ウィリー・ウォーカーはこのアルバムを録音した直後に亡くなりました。
彼は1941年ミシシッピ州生まれ。1959年「Little Girl Echo」という曲で初録音デビューしましたが、ヒットには至らなかったようです。そして1967年にスペンサー・ウィギンスやジェイムズ・カーと言った素晴らしい南部のソウルシンガーをデビューさせたゴールドワックスからビートルズの「Ticket To Ride」のカバーをリリースしたのですがヒットしなくて、翌年にはシカゴのチェス・チェッカーからもシングルを発表し、その後もシングルをリリースしたがヒットには至っていません。
でも彼は工場で機械工として働いたりや医療従事の仕事をして生計を立てながら週末にクラブで歌うという生活を続けました。やっぱり歌うことが好きだったんですね。そこではサム・クックやオーティス・レディングのカバーも歌っていたようです。次の曲もそういう60年代のR&B、ソウルの匂いがするいい感じの曲です。

2.Darling Mine/Wee Willie Walker

いいですね。僕はソウルに入ったのがサザン・ソウルだったのでこういう南部のテイストが好きです。
それでずっと知られていなかったウィリー・ウォーカーが知られるようになったのは、体調を壊し少しリタイアしていてから復活した2002年にリリースしたアルバム『Willie Walker』
これが彼の初アルバムでなんと61歳でした。ずっとシングルしか出したことがなかったんですね。
その後、ギタリストのカーティス・オベダが率いるミネアポリスのバンド「ブタンズ」がバックを務めるようになり、いわゆるメンフィス・ソウル風のしっかりしたバンド・サウンドで歌えるようになったことが彼の復活に繋がりました。
2004年に『Right Where I Belong』2006年『Memphisapolis』(メンフィサポリス)と順調にアルバムリリースを続け、ヨーロッパにもツアーに出かけ2008年には日本にもやってきました。残念ながら仕事で僕はこの来日公演を見れなかったのですが・・・

3.Warm to Cool to Cold/Wee Willie Walker

今日聴いている遺作となった”Not In My Life”のバックアップをしているギタリスト、アンソニー・ポールが率いる「ザ・アンソニー・ポール・ソウル・オーケストラ」が2017年のアルバム”After Awhile”からバックをやるようになりました。それでウィリーはずっと安定したバック・サウンドをバックに歌い続けることができました。アンソニー・ポールはベイ・エリアを中心に活動しているギタリストでボズ・スキャッグスやチャーリー・マッセルホワイトのバックもやってきた腕利きのギタリストです。やはりウィリーのようなソウル・シンガーは安定したバンド・サウンドがあるといい歌を歌えます。ステージの回数を重ねるほどバンド・サウンドも充実するので大切なポイントです。

2015年の『If Nothing Ever Changes』では、ブルース・ミュージック・アワードでアルバム・オブ・ジ・イヤーを含む3部門にノミネート。さらにリビング・ブルース・アワードでは2部門制覇。2017年の『アフター・ア・ホワイル』でも多くの音楽賞を獲得。いくつもの賞にも輝きウィリーにとってはいい晩年だったと思います。しかし2019年11月19日に眠っている間に天国へ行ってしまいました。77歳でした。
有名とは言えないウィリー・ウォーカーは他の仕事をしながらも歌が好きで歌うことを諦めなかった。
その歌声を聴いていると決してスケールの大きなシンガーでもないし、すごく華があるシンガーでもないのですが、歌に対して誠実で心がこもっていることがわかります。それが真のソウル・シンガーということだと思います。

4.Let The Lady Dance/Wee Willie Walker

華々しくはないですが、誠実な歌が聴けるリアル・サザン・ソウルシンガー、ウィー・ウィリー・ウォーカーの遺作「Not In My Life 」を聞きました。また来週。

2022.02.04. ON AIR

映画「ベルーシ」公開に寄せて久しぶりにブルーズ・ブラザースを聴く

The Blues Brothers Original Soundtrack (Atlantic 16017-2)

ON AIR LIST
1.Somebody Roan Me A Dime/Fenton Robinson
2..She Caught The Katy /The Blues Brothers
3.Peter Gunn Theme/The Blues Brothers
4.Boom Boom /John Lee Hooker
5.Shake A Tail Feather / Ray Charles

昨年12/17からジョン・ベルーシの伝記ドキュメンタリー映画「ベルーシ」が公開されました。ぼくはまだ見ていないんですが、映画は彼の幼少期からコメディアンを目指しそして個性的な俳優へとのぼり詰めていき最後ドラッグの過剰摂取で亡くなるまでを描いています。
僕は1978年の映画「アニマル・ハウス」で初めてベルーシを観て映画があまりに面白かったので記憶に残り、その後アメリカへ行った時にテレビで放映されていたコメディ番組「サタディ・ナイト・ライヴ」に彼が出演していて、そのハチャメチャぶりに大好きになった。その「サタディ・ナイト・ライヴ」の番組の中から生まれたキャラクターが「ブルース・ブラザーズ」でこれが映画化されて全世界ヒットになったわけです。それで映画のプロモーションで来日したときにジョン・ベルーシとダン・エイクロイドの二人がぼくのライヴ会場にやってきて一緒にセッションもしました。話も少しできたのですが、ダン・エイクロイドが元々ブルーズとかソウルとか黒人音楽好きで音楽をよく知っていました。映画の中でルイ・ジョーダンの”Let The Good Times Roll”がエルウッド(ベルーシ)のアパートでながれるシーンがあり、そこでレコードが映るんですが、それがデッカレコードの原盤だったのに気づいたので「あれ、デッカの原盤ですよね」と言ったらダンが「あれ、俺のレコードなんだ。よく原盤って気づいたね」と喜んでました。あとビートルズやストーンズのようなロックから黒人音楽に入った流れも僕と同じでシカゴ・ブルーズの話もしてましたし、次は南部を舞台にブルーズ・ブラザーズ2を作るとベルーシはその時言ってたのですが、よく年に亡くなってしまいました。

映画の最初のシーン、ベルーシが演ずるエルウッドが刑務所で寝ているところを看守に起こされるんですが、あまりみんな気づいてないのですがそのバックで流れているのがフェントン・ロビンソンの”Somebody Roan Me A Dime”
フェントン・ロビンソンはブルーズフリークの間では知られてますが、映画を観にくる一般の人たちにはまあ知られていないので映画の冒頭に「こんなブルーズ流すか・・」と笑いました。1967年にフェントンが録音した曲で「誰か金貸してくれへんか。彼女と別れる前の昔の自分に電話したいんだ。その電話代を10セント貸してくれへんか」という彼女と別れたことを後悔している歌
これはサントラには入ってません。

1.Somebody Roan Me A Dime/Fenton Robinson

ブルースブラザーズの映画を観ていて最初からこのマニアックな選曲に驚いたのですが、次の曲もマニアックな曲で1968年にタジ・マハールが「ナッチェル・ブルース」というアルバムに録音した曲です。映画のサントラからどうぞ。

2.She Caught The Katy/The Blues Brothers

ブルーズ・ブラザーズの二人が車に乗っているシーンが何度かあるのですが、そこで流れた曲が次のインスト曲の「ピーター・ガン」
「ピーター・ガン」は50年代の終わりから60年代にかけて放映されたアメリカの探偵物のテレビ番組で、そのテーマ・ソングです。この番組は60年代初めに日本でも少し放映されてたようですが僕は10才くらいで覚えてないのですが、曲は覚えてました。多分当時の日本のテレビの音楽番組で日本のミュージシャンにカバーされていたのだと思います。作曲したのは「ムーン・リバー」で有名な作曲家のヘンリー・マンシーニです。

3.Peter Gunn Theme(シーム)/The Blues Brothers


映画「ブルーズ・ブラザーズ」が公開されたのが1980年でした。それからDVDを何度も観ていますが、何度観ても楽しい映画です。その試写会の時に思わず「Yeah!」と声が出てしまったのがジョン・リー・フッカーがマックスウェル・ストリートで演奏するシーンでした。ジョン・リーの歌う姿にも感激しましたが、手にたばこを挟みながらハーモニカを吹くウォルター・ホートンが映った時に思わず「Yeah!」と声が出ました。ウォルター・ホートンはリトル・ウォルターほど有名なハーモニカ・プレイヤーではないのですが、素晴らしいセンスのあるプレイヤーです。
そのジョン・リー・フッカーが映画で歌っていたのが次の”Boom Boom”ですが、この曲はサウンドトラックには入ってません。
1962年Vee Jayレコードからリリースされたジョン・リーの大ヒットでイギリスの「アニマルズ」はじめ多くのロックバンドにもカバーされました。
原曲のジョン・リーです

4.Boom Boom /John Lee Hooker


映画ではジョン・リーの足元が映るシーンがありました。これはジョン・リーの録音によく足音が入っているのでそれでわざと足元を映したのですが、そういう映像のちょっとしたショットや選曲と出演ミュージシャンの選び方を観てこれはエンターテナーでありながらマニアックな映画だとわかりました。つまりブルーズや黒人音楽の美味しいところをよくわかっている映画で、それを痛快なエンターテナーとして作ったところが素晴らしいです。すごくよく出来た映画だと思います。
レイ・チャールズが楽器店の親父として登場したシーンも笑えるもので、そこでレイが歌ったこの選曲にもびっくりしました。

5.Shake A Tail Feather / Ray Charles


今の曲のオリジナルは「ファイヴ・ドュー・トーンズ」というグループが1963年にリリースしたものでなかなかマニアックなものです。でもさすがレイ・チャールズは新しい息をこの曲に吹き込んでいます。この曲でみんながストリートで踊るシーンも楽しかったですね。

ソウル・フード店の女将役のアレサ・フランクリン、教会の牧師役のジェイムズ・ブラウンはじめアメリカの人間国宝のようなキャブ・キャロウェイ、アレサの旦那役でマット・マーフィ、そしてバンド仲間の役でベースのドナルド・ダック・ダン、ギターのスティーヴ・クロッパー、ドラムのウィリー・ホールなどの出演も良かったですね。
主役のジョン・ベルーシが亡くなったのは1982年でまだ33才でした。とても才能のある俳優だったので残念でした。
今回の映画「ベルーシ」ちょっと観にいくのが遅れてますが、面白そうです。是非皆さんも映画館へ・・Hey HeynThe Blues Is Alright