我が愛するエスター・フィリップスと女性R&Bシンガーたち vol.1
The Johnny Otis Story(ACE CDCHD 1312)
The Best Of Esther Phillips(1962-1970)
ON AIR LIST
1.Double Crossing Blues/Johnny Otis Quintet The Robins Little Esther Phillips
2.Mistrustin’ Blues/Esther Phillips And Mel Walker
3.Hound Dog/Big Mama Thornton
4.Release Me / Esther Phillips
音楽雑誌「ブルース&ソウル・レコーズ」に私が”Fool’s Paradise”というエッセイを連載しているのを読んでくださってる方もいると思いますが、そのいちばん新しい号で「エスター・フィリップスのことをどうしても書いておきたい」と書きました。
そのこともあり最近エスター・フィリップスを中心に50年代から70年代あたりまでの女性ブルーズ、R&Bシンガーをよく聞いていたのでその辺りの話を今回から4回に分けてON AIRしてみたいと思います。
まずエスター・フィリッブス
本名はエスター・メイ・ジョーンズ1935年12月23日テキサスの生まれ。生きていれば87才。子供の頃故郷テキサスの教会で歌い始めている。両親が離婚してお父さんとテキサスで暮らし、夏休みになるとロスに移った母親のところへ行くという生活をしてました。そのロスで13才の時に当時流行っていたジュースを飲みたくて(タピオカみたいなものでしょうか)、姉さんたちに「あんた歌うまいからコンテストに出なよ。勝ったら賞金もらえるから」と言われコンテストに賞金目当てで出場したところなんと優勝。賞金は10ドル。1ドルだけもらってあとは姉さんたちに取られてしまった。その時歌ったのが大好きだったダイナ・ワシントンの曲”Baby Get Lost”。そしてそのコンテストを主催していたウエストコーストのR&Bのボス、ジョニー・オーティスがエスターの才能に目をつけ、母親の了解をとりデビューさせることになった。エスター、13才、リトル・エスターという芸名でのデビューだった。
まずそのデビュー曲を聞いてください。バックはジョニー・オーティスのバンド、そしてロビンズという男性コーラス・グループと組んだとても14才とは思えない堂々たる歌いっぷりです。
1.Double Crossing Blues/Johnny Otis Quintet The Robins Little Esther Phillips
この曲はチャートの1位に22週間留まる大ヒットとなりました。そしてその後男性シンガー、メル・ウォーカーとデュエットで組んだ曲が次々とヒットし1950年はR&Bチャートの上位に6,7曲がチャートインしました。この頃エスターには「史上最年少でナンバーワン・ヒットになった歌手」という看板がつき、「14才のセンセーション」とも呼ばれてます。そして金儲けの上手いジョニー・オーティスは自分のバンドの専属歌手としてエスターを入れてツアーに出る。もちろん未成年なので母親も同行してのツアーでした。しかしまだ14、15才の少女、日本で言えば中学2,3年。それが大人たちと同じツアー・バスに乗り毎晩いろんな街で演奏し、ステージが終わるとバスで寝て何マイルも移動。それを毎日繰り返す。エスターはバスの中で勉強しょうと思って教科書を持っていったけど、大人のミュージシャンたちが酒を飲んでギャンブルをして騒ぐ中で勉強などできるはずもなかった。
では、14才のエスターの歌をもう一曲聞いてください。メル・ウォーカーとのデュエットです。
2.Mistrustin’ Blues/Esther Phillips And Mel Walker
「いったい何才やねん、このシンガー」いう感じですよね。現在のテレビに出てくる日本の10代の少女たちの子供っぽい歌いっぷりとは雲泥の差ですが・・。
ジョニー・オーティス・オーケストラの看板歌手として順調にやってきたのですが、ここにもう一人女性シンガーをバンドに入れようとしてエスターとジョニー・オーティスの間に軋轢が生まれることになります。
それがビッグ・ママ・ソーントン。そのビッグ・ママが歌って大ヒットしたのが有名な次の曲。これもジョニー・オーティスのプロデュースです。
3.Hound Dog/Big Mama Thornton
いつ聞いても破壊力抜群の歌です。この1953年の大ヒット「ハウンド・ドッグ」をビッグ・ママに歌わせたのもジョニー・オーティスだった。彼はのちにエタ・ジェイムズもデビューさせてますが、とにかく才能を見つけるのが上手い。
でも、エスターにしてみればもう一人バンドに女性シンガーが入ってくるというのは面白くなかったんでしょうね、まだエスター10代後半ですがビッグ・ママは26才くらいですから年上だけど自分の方が先に売れているし。。。それでジョニー・オーティスとお金のトラブルもありエスターは彼の元を離れます。
その後50年代半ばからフェデラル、デッカ、サヴォイとレコード会社を移ってレコーディングを続けましたがヒットは出ませんでした。この頃はとにかく小さなクラブで毎晩歌い続けながらなんとか日々をしのいでいました。そして以前から常用していたドラッグに更に溺れるようになり、結局故郷テキサスの病院に入院するまでになってしまいます。もう歌うのはテキサスの小さなクラブだけになり彼女はなんとか普通の生活を取り戻そうとしていました。
そんな時ヒューストンのクラブで歌っていたエスターの歌に感動したのが、有名なカントリー・シンガーのケニー・ロジャースでした。彼はクラブやレストランも持っていて事業家の一面もありそのクラブも彼の店でした。そのケニーが弟のリーランに彼女をなんとかしょうと相談し、リーランはレノックス・レコードを立ち上げその第一弾としてエスター・フィリップスをリリースしました。1962年レノックスレコードからのこの曲でエスターは息を吹き返すことになりました。カントリーの曲なのにエスターの魔法のブルーズがかけられたブルース風味の面白い曲になっている。
4.Release Me / Esther Phillips
エスターは聞いてもらってわかるようにとても癖のある歌い方ですが、エモーショナルで、どんな歌を歌ってもブルーズのテイストがあります。
この曲はR&Bチャートのトップになり、ポップ・チャートでもトップ10入りし、更にカントリー・チャートにも入りました。少し前の1958年にレイ・チャールズが”I Can’t Stop Lovin’ You”(愛さずにはいられない)などカントリーの曲を何曲かヒットさせていたこともあり、この曲を歌うことになったのだと思います。そしてこのヒットでエスターも全てカントリーのカバー・アルバムを出すことになりました。
エスターは27才になりリトル・エスターからリトルを取ってエスター・フィリップスと名前を変え彼女は再びオーヴァー・グラウンドに戻りました。
この後の話はまた次回。