2024.02.23 0N AIR

ブルーズ・ライヴ名盤 vol.11

70年代ファンク・ブルーズの強烈なライヴ

Live & On The Move/The James Cotton Band

ON AIR LIST
1.Cotton Boogie/The James Cotton Band
2.One More Mile/The James Cotton Band
3.Rocket88/ The James Cotton Band
4.Hot N’ Cold/ The James Cotton Band
5.Boogie Thing/ The James Cotton Band

黒人ブルーズマンの来日がほとんどなくなってきた現在、本場アメリカへ行って聴くしかない現状です。しかし、アメリカに行けば質のいいブルーズのライヴがたくさん聞けるかといえばレジェンド、あるいは実力のあるブルーズマンが鬼籍に入ってしまった今なかなか難しいものがあります。最近ブルーズに興味を持った若い人たちにとっては残念な状況です。なのでいいライヴ・アルバムを聴くことで少しはブルーズのライヴの素晴らしさを感じて欲しいとうことで今日聴くライヴ名盤はジェイムズ・コットン・バンドの76年のライヴ”Live & On The Move”
僕がこのバンドのライヴをロスアンゼルスで聞いたのはその前年の75年。”100%Cotton”というファンク・ブルーズの名盤をリリースした翌年だった。その時の話は何度もしているがまさに熱狂のファンクとブギのライヴで、ライヴが終わったあとしばらく頭がぼーっとしてえらいもんを見てしまったという感じだった。
ではこのライヴアルバムLive & On The Moveのイントロダクション。マネージャーによるバンド呼び出しMCからジェイムズ・コットンのハーモニカが炸裂するインストルメンタル・ナンバー

1.Cotton Boogie/The James Cotton Band

ジェイムズ・コットンは昔からこの手のブギをライヴでよく演奏しており、他のライヴ・アルバムにも収録されています。コットンのハーモニカの上手さがよくわかるインストですが、何がいいかってリズムです。リズムの良さは数多いるハーモニカ・プレイヤーの中でも随一だと思います。かっこいいフレイズを吹くことを追い求める前にまずリズムがよくなければそのフレイズのかっこよさも意味がなくなります。
コットンはミシシッピに生まれ50年代の初めにメンフィスに出て、53年に「サン・レコード」で初めてのソロ・レコーディングをして55年に当時盛り上がっていたシカゴに移り住みます。そして57年にマディ・ウォーターズのバンドに名手リトル・ウォルターの後釜として加入。ハーモニカの天才とも言われるウォルターの後ですからコットンも相当高く評価されていたんでしょう。何しろ当時シカゴ・ブルーズのトップのマディのバンドですから。
今日聞いてもらうコットン・バンドは70年代半ばブギとファンクで一世を風靡したのですが、そのファンクの極めつけが次の古いスロー・ブルーズを16ビートのド・ファンクにしたもの。

2.One More Mile/The James Cotton Band

この76年頃は黒人音楽ではソウルのマービン・ゲイ、ダイアナ・ロス、アース・ウィンド・アンド・ファイアーやソウルコーラス・グルーブのコモドアーズやオハイオ・プレイヤーズなどがヒットを出してた時代で、ブルーズ系はというとブルーズン・ソウルのジョニー・テイラーの”Disco Lady”がヒットしたくらいです。それもブルーズの曲ではないのですが。そういう状況の中でブルーズ・バンドを組んでそれまでなかったファンク・ブルーズを作り、ブギに新しいグルーヴを吹き込んだこのジェイムズ・コットン・バンドは当時かなりの衝撃でした。
この前ブギウギの特集の最後のR&R編の時にON AIRしたジャッキー・ブレストンの”Rocket88”を、コットンバンドはこんな風にシャープに仕上げて70年代ブギにしました。

3.Rocket88/ The James Cotton Band

このジェイムズ・コットン・バンドはコットンが70年代中頃にジョニー・ウィンターがプロデュースしたマディ・ウォーターズのバンドに参加したことで自然消滅した感じなのですが、すごく残念な感じです。もう少しやってれば何かまた新しい感覚のブルーズが生まれたかもしれないです。そういう可能性を持ったバンドでした。
ちょっと毛色の変わった次のような曲もやっていました。

4.Hot N’ Cold/ The James Cotton Band

このバンドはフロント・ブルーズマンして確かなキャリアと実力を持ち、なおかつファンキーでパワフルなキャラの時ジェイムズ・コットン、そしてギター職人としてたくさんの有名ブルーズマンの録音とライヴに参加してきたマット・マーフィ、そして若いベースのチャールズ・キャルミーズとドラムのケニー・ジョンソンの強力なリズム隊・・いいメンバーでした。
最後にもう1曲

5.Boogie Thing/ The James Cotton Band

2024.02.16 ON AIR

ブルーズ・ライヴ名盤 vol.10

BURNSIDE ON BURNSIDE/R.L.Burnside

ON AIR LIST
1.Shake ‘Em On Down/R.L. Burnside
2.Rollin’ & Tumblin’/R.L. Burnside
3.Walkin’ Blues/R.L. Burnside
4.Jumper On The Line/R.L. Burnside

久しぶりにブルーズ・ライヴ名盤の復活です。
1990年代にミシシッピでファット・ポッサム・レコードというレコード会社が設立され、北ミシシッピのヒル・カントリーと呼ばれる地域であまり知られずに息づいていたブルーズをリリースし始めました。そのブルーズはワン・コードで延々とグルーヴを続ける土着的なものが多く、あの種ループ感のあるものでヒップホップ好きも巻き込み閉塞感のあったブルーズ・シーンに大きな刺激を与えました。その大きなきっかけとなったのがロック・バンド、「ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン」が共演を求めたR.L.バーンサイドとのコラボでした。当時、オルテナティヴ・ロック、ガレージロックと呼ばれ人気のあったジョン・スペンサーが賞賛したことでバーンサイドに多くの興味が注がれました。このアルバムはそのバーンサイドの2001年1月のライヴ録音盤。
まずは1曲。北ミシシッピのバーンサイドたちブルーズマンの先達、偉大なフレッド・マクダウェルから伝わる重要なレパートリーのひとつ。衝撃的なライヴの始まり。

1.Shake ‘Em On Down/R.L. Burnside

同じリフをラウドな歪んだ音で繰り返して生まれてくる不思議なグルーヴにパンク・ロックやガレージ・ロックの白人ファンも惹きつけられたこのサウンド。もう一人のギターはバーンサイドと長年演奏を共にしているケニー・ブラウン、ドラムはこの当時22歳のバーンサイドの孫セドリック・バーンサイド。ギター爆音、ベースなしのこのトリオがロック・ファンにウケた理由がわかります。ブルーズではベースなしのこういうサウンドはシカゴのハウンドドッグ・テイラーのハウス・ロッカーズも同じでそんなに目新しいものではないのですが、ロック・ファンには新しいものを感じさせたのでしょう。
次はトラッドな南部のブルーズです。

2.Rollin’ & Tumblin’/R.L. Burnside

このライヴ・アルバムが録音されたのはアメリカ、オレゴン州のポートランドのクリスタル・ボールルームと記載されてます。ボールルームですからかなり大きな会場でしょう。このボールルームの87周年記念のイベントに呼ばれたようです。普段ミシシッピでやっている時はクラブとかライヴハウスのような場所ではなくジュークと呼ばれる小屋のようなところで、客も近所の知り合いという感じですから、この日は大きな場所でお客さんもたくさんいたので張り切っていたのでしょう。パワフルな演奏が続きます。
次はスライド・ギターのイントロが客席を突き刺すようなこれもサン・ハウス、ロバート・ジョンソンなど南部の定番ブルーズ。

3.Walkin’ Blues/R.L. Burnside

バーンサイドのブルーズは「催眠的なグルーヴ」とも呼ばれる一つのコードで同じフレイズ繰り返しをするのが特徴ですが、これは先輩のフレッド・マクダウエルがすでにやってたことなのですが、それをエレキの爆音で強力なドラムを入れたところに新しさがありました。
そしてもう一つバーンサイドの歌が実に生き生きとしていることです。やはり歌がいい。これだけのラウドなサウンドの中でも埋もれてしまわない歌です。
もう一曲、これも踊り狂うしかないような猥雑なグルーヴが続きます。

4.Jumper On The Line/R.L. Burnside

バーンサイドも亡くなってしまいましたが、今の北ミシシッピ、ヒルカントリーのブルーズはどうなってるのでしょう。もし、彼らのライヴ画像を見たかったらロック・ライターのロバート・パーマーとユーリズミックのデイヴ・スチュワートが中心になって制作した映画『ディープ・ブルース』を探して見てください。ブルーズとは何かの答えのひとつがそこにあると思います。
今回のブルーズ・ライヴ名盤はR.L.Burnsideの2001年のライヴ盤BURNSIDE ON BURNSIDEを聴きました。

2024.02.09 ON AIR

ブギウギからジャンプ・ブルーズそしてロックンロール誕生

ON AIR LIST
1.Ain’t That Just Like a Woman (They’ll Do It Every Time)/)/Louis Jordan
2.Johnny B. Goode/Chuck Berry
3.Rocket 88 /Jackie Brenston & His Delta Cats
4.Tutti Frutti/Little Richard
5.Whole Lotta Shakin’ Goin’ On/Jerry Lee Lewis
6.Jailhouse Rock/Elvis Presley

20世紀の初頭に黒人音楽のブルーズのひとつのリズムとして生まれ、やがて1930年代に白人も取り込み熱狂的に全米で広まったブギウギ。それが次の時代のジャンプ・ブルーズのリズムの土台となりそこから50年代のR&Bへと変遷して行った。それは同時にR&Rを誕生させることになりそれが現在のロックのルーツであることを省みるとブギウギの凄さに改めて驚く。
R&Rを作ったオリジネーター、チャック・ベリーはブギの影響を強く受けたジャンプ・ブルーズを代表するルイ・ジョーダンの大ファンでソングライティングに大きな影響を受けている。そして、そのギターのリズム・パターンは明らかにブギからの流れで作られたものだ。
ルイ・ジョーダンのイントロからチャック・ベリーがいただき大ヒットとなったそのイントロだけまず聴き比べてみましょう。まずルイ・ジョーダンのこの曲です。ギターはカール・ホーガン。 リリースは1946年。

1.Ain’t That Just Like a Woman (They’ll Do It Every Time)

ではチャック・ベリーの大有名曲のイントロをよく聞いてくだい。

2.Johnny B. Goode/Chuck Berry

ルイ・ジョーダンのAin’t That Just Like a Womanから10年以上経った1958年リリース。ジョニー・B・グッドのイントロのギターのシングル・ノートはほぼそのままAin’t That Just Like a Womanを使っています。チャックは20歳頃にルイの曲を聞いていたわけです。曲だけでなくライヴのルイのコミカルな動きはチャックがギターを持ってアヒルのように歩く「ダック・ウォーク」や股を大きく開いてギターを弾くアクションのヒントになったのではと思います。そして何よりチャックのノベルティな歌詞はルイ・ジョーダンからのものでしょう。ジャンプ・ブルーズの王様ルイ・ジョーダンがR&Rの王様となるチャックに与えた影響は大きかったと思います。
チャック・ベリーはR&Rの王様とか創始者と呼ばれていますが、最初のR&Rの曲と言われてるものがチャック・ベリーの他にもいくつかあります。
1951年のジャッキー・ブレストン&デルタ・キャッツの「Rocket 88 」。これが最初のR&Rと言っている人も多くいます。実はこのデルタ・キャッツというグループは元々アイク・ターナー(ティナ・ターナーの夫だった)が結成していた「キング・オブ・リズム」というバンドでジャッキーはそのバンドのヴォーカル&サックスだった。それがチェス・レコードでジャッキー・ブレストン&デルタ・キャッツという名前に変えてリリースしたそうです。
この曲が最初のR&Rの曲という説もあります。ギターのリズム・パターンは完全にブギピアノの左手のパターンを弾いてます。ホーンを混えたサウンドはジャンプ・ブルーズそのもの。

3.Rocket 88 /Jackie Brenston & His Delta Cats

R&Bチャートの一位に1ヶ月君臨した曲でした。
R&RとR&Bの線引きは難しいところですが、黒人ミュージシャンはR&Rという言葉よりR&Bを使うことの方が多いです。いまのRocket 88も僕はジャンプ・ブルーズまたはR&Bと思ってます。でも、多分R&Rという言葉を使った方が白人に受けて売れたからでしょうね。
次の曲はどうでしょう。これもR&Rの最初の曲と言われているもので、歌っているリトル・リチャードはキング・オブ・ロックンロールと呼ばれています。1955年リリース。これもピアノ・パターンはブギ・ウギ。サウンドはR&B。個人的に大好きなリトル・リチャード

4.Tutti Frutti/Little Richard

黒人のジャンプ・ブルーズやR&Bの影響を受け、50年代半ばには白人シンガーがたくさん登場してきて白人の子供たちも熱狂し始めてR&Rと呼ばれそのブームは世界的な規模になっていきます。僕も子供の頃、近所のちょっとワルなリーゼントのお兄さん、ポニーテールのお姉さんがR&R聞いていたのをうっすらおぼえてます。当時はロカビリーと呼んでました。
次の白人シンガーもロカビリー・シンガーと呼ばれていました。

5.Whole Lotta Shakin’ Goin’ On/Jerry Lee Lewis

今のもリズムの根幹はブギウギですが感じ取れましたか。
リリースしたのは先ほどのRocket 88と同じメンフスのサン・レコード。オーナーのサム・フィリップスは先見の明があり才能のあるロックンローラーだけでなく、ブルーズのハウリン・ウルフやジュニア・パーカー、リトル・ミルトンそしてカントリーのジョニー・キャッシュなどジャンルに関係なく才能を発掘した偉大なプロデューサーです。
そしてメンフィスからビッグ・スターとなったエルヴィス・プレスリーの才能を最初に見抜いたのもフィリップスでした。次の曲はサン・レコードの後RCAレコードに移籍してからの大ヒットですがこれもギターのリズムがブギなのがわかります。

6.Jailhouse Rock/Elvis Presley

ちなみにプレスリーがその歌い方のお手本にしたのは以前ON AIRしたジャンプ・ブルーズのロイ・ブラウンでした。
こういう50年代のR&Rが現在まで続くロック・ミュージックの礎になっているわけですが、それを解析してみるとR&Rはジャンプ・ブルーズそしてその前のブギウギなくしては生まれなかった音楽ということがわかります。そして、黒人音楽(ブラック・ミュージック)がその礎を築いた後に白人ミュージシャンがそれをポピュラーにしてお金を稼ぐという構図はその後も続いていきました。

2024.02.02 ON AIR

シカゴ・ブルーズにもブギウギ・ヒート vol.8

ON AIR LIST
1.Chicago Breakdown/Big Maceo
2.Spann’s Stomp/Otis Spann
3.Hawaiian Boogie/Elmore Jams(piano:Johnny Jones)
4.Chicago Boogi/Roosevelt Sykes
5.Lee’s Boogie/Rie Lee Kanehira

30年代から40年代にかけて流行ったブギウギのブームが去った後、ブギウギはブルーズ・ピアニストにとって必須の奏法のひとつとして定着しました。ブームというよりひとつの音楽革命です。それくらいブギウギが黒人音楽に与えた影響は強く、有名無名すごい数のブギウギ・ピアニストがいました。それは40年代からブルーズのメッカとなっていったシカゴでも同じでした。
まず40年代初めから中頃にかけてシカゴのブルーズ・ピアノのキングだったビッグ・メイシオ。彼はブルーズ史上に残る名作”Worried Lif Blues”で有名になり後続のシカゴのピアニスト、オーティス・スパンやリトル・ジョニー・ジョーンズたちはみんなメイシオに憧れていました。左利きだった彼が打ち出すピアノのリズムはピアノが強烈に揺れているのがわかる強さです。そして右手で繰り出されるフレイズの多彩さはやはり「キング・オブ・シカゴ・ブルーズ・ピアノ」と呼ぶにふさわしいものです。彼が残した強力なブギ・ピアノの名曲”Chicago Breakdown”をまず聞いてください。
1945年録音

1.Chicago Breakdown/Big Maceo

もうなんかピアノがウンウン唸ってます。強力なタッチで鍵盤をパーカッシヴに叩いているのが音だけでわかります。途中でリズムを弾いている左手で遊ぶところなどはもう余裕です。こんなにピアノが弾けたら気持ちええやろなぁと思います。ピアノは美しいメロディを奏で両手でオーケストラのように歌を包み込む楽器ですが、コンガのように鍵盤を叩くパーカッションでもあります。だからリズムが悪いピアニストはNGということになります。
ビッグ・メイシオの影響を強く受けた後続ピアニストの一人が次のオーティス・スパン。
僕がピアニストのアルバムで一番たくさん持っているのがオーティス・スパン。マディ・ウオーターズはじめいろんなブルーズマンのバックで録音したものもありますが、単独アルバムとして僕が持ってるのはスパンが多いです。そのスパンの曲の中でブギウギ関連の曲というと60年代にヴァンガード・レコードに録音した見事なブギウギのこの曲がまず浮かびます。

2.Spann’s Stomp/Otis Spann

スパンより少し前、1940年代終わりからビッグ・メイシオに代わりシカゴで台頭して来た若きピアニストの一人がジョニー・ジョーンズ。エルモア・ジェイムズやギター名人タンパ・レッドのレコーディングでパワフルでタイトなリズムを聞かせてくれる。御大ビッグ・メイシオが病気になって手が動かなくなった時には歌だけ歌うメイシオの横でピアノを任されるということもありました。ジョニー・ジョーンズ自身が歌った録音もあるがやはりバッキングに回った時の演奏がいいのでそれを聞きます。エルモアのバンドでいい仕事をしたジョニー・ジョーンズのリズミックなピアノが印象に残るこの曲も底辺に流れてるのはブギウギ。

3.Hawaiian Boogie/Elmore Jams(piano:Johnny Jones)

1953年の録音でブギウギということを全面には出していないが、弾いているピアノのスタイルはブギウギ。
シカゴというよりブルーズピアノの歴史の中で忘れてはいけないひとりがルーズベルト・サイクス。1929年にオーケー・レコードからリリースされた「44 Blues」という曲がヒットし名前が知られるようになった。この曲は歴史に残る曲となり今も演奏されている。アーカンソー州で生まれたサイクスは10代からいろんな土地を放浪して酒場で演奏するバレルハウスのブルーズ・ピアニストだった。ミシシッピ、テキサス、セントルイス、ニューヨークと流れ30年代半ばにシカゴに定着し録音も盛んに行うようになった。
聞いてもらうのは1951年のシカゴ録音

4.Chicago Boogie/Roosevelt Sykes

かってはシカゴもブルーズ・ピアニストが本当にたくさんいたのですが、ギターがブルーズの楽器の主役になってからはちゃんとブルーズが弾けるブルーズ・ピアニストが減りました。もう60年代くらいからそういう兆候はあったのですが・・。
今日は最後に現在シカゴで活躍する日本人女性ブルーズ・ピアニストRie Lee Kanehiraのオリジナルのブギの曲で終わりたいと思います。僕も親しくさせてもらっているLeeはシカゴのキャッシュ・ボックス・キングスというバンドに参加してそれをメインにソロやデュオでもシカゴで活動してます。ヨーロッパや中国にも演奏に行ってます。日本にいるときは東京中野のブライト・ブラウンというお店でソロライヴをやっているので是非聴きに行ってください。
2017年にリリースされた彼女のソロ・アルバムからアルバム・タイトル曲で”Lee’s Boogie”

5.Lee’s Boogie/Rie Lee Kanehira

こういう正統なブギウギのピアノが弾けるピアニストも少なくなってますが、こうして日本から出たピアニストによって受け継がれていることとが嬉しくもあり、誇りにも感じます。