2020.08.07 ON AIR

追悼ビル・ウィザース-1

Bill Withers Live At Carnegie Hall(SUSSEX SXBS7025-2)

ON AIR LIST
1.Use Me/Bill Withers
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
4.Lean On Me/Bill Withers

3月30日にビル・ウィザースが81才で天国に召されました。ON AIRが遅れてしまいましたが、今日と次回はビル・ウィザースの追悼特集。
ビル・ウィザースを知らない方でも今日このON AIRを聴けば「ああ、知ってる・・」と、どこかで聴いたことを想い出されるかも知れない。映画やドラマ、CMなどに何度も使われ、いままたコロナウィルスの感染が広がり人々の心が支えを必要とする時、彼の歌が再び歌われています。
そして、今日初めて聴く方の心にはきっと彼の歌が残ると思います。
ビル・ウィザースはソウルのカテゴリーに入るシンガーですが、普通のソウルシンガーとちょっと違ってます。そのことは追々話します。そして、彼はとても優れたソングライターでもあります。
僕は1973年か74年頃に彼のライヴ・アルバムを聴いたのが最初でした。このライヴのビルの歌がすごくストレートで飾り気がなく、それでいて力強く誠実な感じがしました。彼と一体となったバックのミュージシャンたちのグルーヴ感も素晴らしく、彼の歌に寄り添ったバッキングはヴォーカル・ミュージックの演奏の優れたお手本です。録音されたのは1972年ですがリリースは1973年「Live At Carnegie Hall」からまず一曲
「オマエはあの女に使われて利用されているだけだと友達が言うけど、わかってるんだ利用されているのはとことん利用してくれ。オレを使いつづければいいさ。でも、使われながら結局はオレもオマエを使ってるんだけどね。」
1.Use Me/Bill Withers
1972年ビルボード・チャートの2位まで上がったヒットでした。この曲は二枚組のアルバムの1曲目ですが、とにかく印象に残るリズム・パターンが始まり強烈なリズムのグルーヴと歌に対してムダのない的確なサウンドを出しています。バック・ミュージシャンが、ドラムのジェイムズ・ギャドソン、ギターのバーノース・ブラックマン、ベースがメルヴィン・ダンロップ、ピアノとアレンジも担当したレイ・ジャクソンこの頃この4人がビル・ウィザースのバンドとしていつも活動していたことで息もぴったりです。
ビルの作る曲は次の曲でもわかるようにストレートで、素朴な感じの中に独特の叙情を感じさせます。だからあまり余計な音作りとか大げさなアレンジは必要なく曲そのものが生かされた作りになっています。
いまのUse Meが彼にとって二曲目のヒットでしたが最初のヒットがブルーズ・テイスト溢れる次の曲
デビューの2曲目でした。1971年
「彼女がいなくなってしまって太陽が消えたようだ。暖かさもなくなり、この家は家庭ではなくなってしまった。毎日は暗闇だ」
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
チャートの3位まであがり、アーロン・ネヴィルほかたくさんのカバーがあります。
デビュー二曲目が3位、三曲目が2位とすごく順調でした。
このライヴがいかに素晴らしかったかは最後まで聞くとわかりますが、ビル自身もアルバムのライナーに「決して忘れることができないだろう」と書いてます。

ビルは1938年ウエストバージニアに生まれ、お父さんは炭坑で働く労働者でした。小さい頃、彼は吃音(どもり)で苦労したそうです。そう言えばB.B.キングも小さい頃吃音でした。ビル・ウィザースは高校卒業後に軍隊に入って軍隊を出たあとにロスにやってきて飛行機にトレイを設置する仕事をしていました。ビルはミュージシャンになろうとは思っていなくて、本当にフツーに仕事をする黒人の若者だったわけです。その頃、たまたまクラブに遊びに行った時に歌っていたのがルー・ロウルズだったそうです。ルー・ロウルズはサム・クックの弟分のような存在でやはり早くから歌の上手さは評判でした。まあ、ジャズもブルーズもソウルっぽいものも歌えるシンガーで日本では人気がでませんが、アメリカのショービズ界では高いステイタスのあるシンガーです。そのロウルズが女性にすごくモテているのを見てビルはオレもあんな風にモテたいと思いシンガーになる決心をしたらしいです。意外と軟弱な考えやったのですね。それでデモテープを作ってレコード会社に送ったらサセックス・レコードというレコード会社がやろうと言うことになりデビューです。最初の曲はヒットしなかったのですが、ヒットしたのがいまのAin’t No Sunshine。その勢いでアルバム”Just As I Am”をつくります。33才のデビューですから遅い方です。
実は高校生の頃の友達が白人と黒人といて音楽的にフォークっぽいところは白人の影響を受け、もちろんR&Bをはじめとする黒人音楽も聴いてはいたのでしょう。
次の曲なんかもフォークっぽいです。「おばあちゃんの手、おばあちゃんは日曜の朝の教会で手を叩いていた。おばあちゃんはタンバリンを叩くのが上手だった。僕が走るのをそんなに早くは知ると危ないよとその手で止めてくれた。おばあちゃんの手は悲しむ人をなだめて、その顔を包み込んだ。僕が転ぶと起こしてくれたおばあちゃんの手・・・」と優しかったおばあちゃんの想い出を歌った歌です。
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
60年代後半から70年代初中期、マービン・ゲイやスティービー・ワンダーそしてカーティス・メイフィールドが自分の政治や社会に対する意志表示を音楽でするようになり、その後にロバータ・フラックやダニー・ハサウェイなど当時の新人が表れてニュー・ソウルと呼ばれました。そのムーヴメントは非常に活気のあるもので黒人のソウル・ミュージックに新しい時代が来たことを表してました。その中で登場してきたのがビル・ウィザースでしたが、黒人なのにちょっと違うテイストを感じさせたのはたぶんいまのようなフォークテイストがあったからだと思います。
マービン・ゲイやスティービー・ワンダーがやはり黒人をすごく感じさせるのにビルはちょっと違いました。
つぎの曲はゴスペルのテイストがあるやはりビルならではの曲です。
「心が弱った時には僕を便りにしてくれ、僕は君の友達なのだから君を助けるし、僕も君に助けてもらうこともあるだろう。私たちはみんな頼る誰かが必要なんだよ。だから僕を頼って」
4.Lean On Me/Bill Withers
誠実な人柄をビルの歌から感じる人は多いと思います。このカーネギー・ホールのライヴもすごく熱いんですが、大騒ぎしているわけではないんですよ。ビルやミュージシャンのソウルと聴衆のソウルが一体になっているというか、レコードに二枚組なんですが聴き終わるとレコードを聴いている自分もすごく心が熱くなっているのがわかります。
ビル自身が決して忘れることのないライヴと言ったソウルの名盤のひとつがこのビル・ウィザースのカーネギー・ホール・ライヴです。
是非ゲットしてください。
85年までに8枚のアルバムを残してビルは音楽シーンから引退してしまいます。それから先日亡くなるまで一度も彼は復帰しませんでした。これだけ才能のあるミュージシャンがなぜ・・・それはまた来週、まだまだある彼の名曲を聴きながら話ましょう。

2020.07.31 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集vol.22
戦前シティ・ブルーズ-2 ロニー・ジョンソンとビッグ・ビル・ブルーンジー

シティ・ブルーズのギター名人、ロニー・ジョンソンとビッグ・ビル・ブルーンジー

Hot Fingers/Lonnie Johnson (P-Vine PCD-2803)

Hot Fingers/Lonnie Johnson (P-Vine PCD-2803)

Steppin’ On The Blues/Lonnie Johnson (CBS/SONY CSCS5326)

Steppin’ On The Blues/Lonnie Johnson (CBS/SONY CSCS5326)

The Father Of Chicago Blues Guitar/Big Bill Broonzy (P-Vine PCD-2804)

The Father Of Chicago Blues Guitar/Big Bill Broonzy (P-Vine PCD-2804)

Blues And Ballads/Lonnie Johnson With Elmer Snowden

Blues And Ballads/Lonnie Johnson With Elmer Snowden

ON AIR LIST
1.Hot Fingers/Lonnie Johnson
2.Playing With The Strings/Lonnie Johnson
3.Guitar Blues/Lonnie Johnson
4.Pig Meat Strut/Big Bill Broonzy
5.Hey Hey/Big Bill Broonzy

1930年代から40年代にかけて北部のシカゴなどで流行った都会派のブルーズのことを、ミシシッピなど南部の田舎で広まった土着的なブルーズに対して「シティ・ブルーズ」と呼ぶ。
シティ・ブルーズが流行った1930年代前半はもちろんまだアコースティック・ギター。南部のブルーズのギターがリゾネーター・ギターのスライド奏法などでアーシーな感じやワイルドさを感じさせるのと比べると、今日聴いてもらうシティ・ブルーズのロニー・ジョンソンやビッグ・ビル・ブルーンジーの演奏は洒落ていて洗練されている。ジャズ、ラグタイム、フォーク、ポップスなど様々なテイストが彼らのギター・スタイルに入り込んでいて、音楽的にもテクニック的にも当時の最先端の音楽だ。
チャーリー・クリスチャン、T.ボーン・ウォーカー、B.B.キングなどジャンルに関係なく、多くのギタリストが憧れたのがギター奏法の革新者でもあるロニー・ジョンソン、そしてビッグ・ビル。
まずはロニー・ジョンソン。ジョンソンはソロでも売れたが、共演やゲスト出演、シンガーのバックなども多くて録音した曲は300曲くらいあると言われている。
まずは一曲、インストルメンタルの曲。
コードを弾いてリズムを切っているのが、デュオを組んでいたエディ・ラングでソロを弾いているのがロニー・ジョンソン。ジョンソンのソロはもうため息しかなく、支えるエディのリズムがこれまた素晴らしい。このふたりの演奏をいま目の前で聴いたらきっと唖然とすると思う。1929年録音。
1.Hot Fingers/Lonnie Johnson
リズムのエディ・ラングは白人でして、当時白人と黒人がデュオを組むというのも大変だったのでエディが偽名を使って録音しているものもあります。
ジャズもブルーズも同じように演奏されていたニューオリンズで生まれのロニー・ジョンソンには、あまり音楽の垣根はなかったように思える。そのギターの上手さを請われてジャズのデューク・エリントン楽団との録音などもあります。
ロニー・ジョンソンは上手いギタリストというだけではなく、優しい歌い口のシンガーでもありました。
実はロニー・ジョンソンと言えばこのヒット曲という1948年R&Bチャートに7週連続1位に輝いた”Tomorrow Night”があるのですが、僕はその曲をレコードでしか持っていなくて、今回のリモートは配信ではアナログレコードは使えないのでまたいつかON AIRします。
では、次はまるっきり1人、ロニー・ジョンソンの完全ソロ
2.Playing With The Strings/Lonnie Johnson
もう曲芸の域です。
ギターがめちゃ上手くてこういう”Tomorrow Night”というスウィートな曲で歌を聴かせてチャートの1位にもなり、いろんな有名なミュージシャンにも共演を望まれ、ヨーロッパにもツアーに呼ばれて行き、順風満帆でしたが、ロニー・ジョンソンは1953年頃から数年間音楽シーンから姿を消してしまいます。もう充分に長い間音楽をやったという気持ちがあったようで、その後は数年フィラデルフィアのホテルで雑用係のような仕事をして静かに暮らしていました。
それをラジオのDJがそういえばロニー・ジョンソンってどうしてるんだろうと番組でしゃべったところ、「この間フィラデルフィアのスーパーでみかけたよ」と番組に連絡があった。その連絡をしたのが同じギタリストのエルマー・スノーデン
1960年にそのエルマー・スノーデンと作った”blues &ballads”というアルバムも素晴らしいです、
ではもう一曲エディ・ラングとのギター・インストの名曲です。その名も・・・ブルーズ・ギター
3.Guitar Blues/Lonnie Johnson

次は時代的にはほぼ被っているもうひとりのブルーズギター名人、ビッグ・ビル・ブルーンジー。ロニー・ジョンソンもビッグ・ビルもそのギターの上手さから自分の録音だけではなく、いろんなミュージシャンの録音にも呼ばれている当時のスタジオ・ミュージシャンでもあります。自分の録音だけでなく他のシンガーのバックなどを含めると500曲は録音されているという。
最初に聴いてもらったロニー・ジョンソンのHot Fingersと1年違い1930年の録音です。リズム・ギターはフランク・ブラスウェル
4.Pig Meat Strut/Big Bill Broonzy
ロニー・ジョンソンほどフレイズは多彩ではないのですが名人芸です。フランク・ブラスウェルのリズム・ギターのバッキングも素晴らしい。やはり名人といえども一緒に演奏するミュージシャンの技量がなければ本領は発揮できないです。
演奏が進むにつれてビッグ・ビルとブラスウェルのふたつのギターがどんどんグルーヴしていくのがわかります。ビッグ・ビルはロニー・ジョンソンよりブルーズ寄りですが、最初はラグ・タイム・ギターを弾いていたのでそのフィンガー・ピッキングぶりはやはり素晴らしい。
曲が多過ぎてスタンダード曲集にどの曲を選ぶのかというのはもうお手上げ状態ですが、クラプトンが「アンプラグド」でカバーしたこの曲がいちばん知られているかも知れません。

5.Hey Hey/Big Bill Broonzy
ビッグ・ビルとかロニー・ジョンソンのようなシティ・ブルーズマンは、同時代のサン・ハウスやブッカ・ホワイトなど南部のブルーズマンと比べると音楽性が洗練されていて、幅も広く多彩です。
ビッグ・ビルが作った戦前のシカゴ・ブルーズを元にマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフといったブルーズマンが戦後のエレクトリック・シカゴ・ブルーズをつくりあげて一時代を築くことになっただが、兄貴肌のビッグ・ビルは音楽だけでなく南部からシカゴに出てきた後輩のマディたちの面倒もよくみたそうだ。そして、世話になったマディはビッグ・ビルの死後、ビッグ・ビルへのトリビュート・アルバムを録音しています。

2020.07.24 ON AIR

いまの時代にもパワーをもつカーティスの曲、カーティス・メイフィールド・トリビュート盤

Moving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield (PLAYBACK PBCD-010)

ON AIR LIST
1.Let’s Do It Again/The Staple Singers
2.Give Me Your Love/Barbara Mason
3.I’ve Been Trying/The Notations
4.Check Out Your Mind/Maxayn
5.Look Into Your Heart/Aretha Franklin

1999年にカーティス・メイフィールドが亡くなってもう21年が過ぎた。いまもなお多くのミュージシャンから敬意を払われているカーティス。そのカーティスの作った曲へのトリビュートアルバムがリリースされました。
アルバム・タイトルがMoving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield
日本のリリースはBSMFレコードです。英語ですが一曲一曲丁寧な解説も入っています。

最初に聴いてもらうのは以前にもON AIRしましたが、1975年にカーティス自身のレコードレーベル「カートム」からリリースされた映画のサウンドトラック「Let’s Do It Again」に収録されているタイトル曲。歌っているのはステイプル・シンガーズ。
以前にも話しましたが、この「Let’s Do It Again」という映画が公開された75年に僕は偶然ロスの映画館で見ました。英語がすべてわからなくてもコメディなのですごく面白かったです。そして最後にタイトルバックが流れる後ろでこの曲が聴こえてきまして、あっメイヴィス・ステイプルズ!ステイプル・シンガーズ!だと興奮してそのままレコード屋に行った覚えがあります。いまもシングル盤もってます。
1975年R&Bチャート、ポップチャート共に1位
1.Let’s Do It Again/The Staple Singers
この映画は黒人俳優のシドニー・ポワチエが監督、主役していて邦題が「一発大逆転」でDVD化されているので興味のある方は是非。

次はバーバラ・メイソン
バーバラ・メイソンは70年代前半に「フィリー・ソウル」と呼ばれたフィラデルフィア・ソウルから出てきた女性ソウルシンガーです。都会的な柔らかいサウンドをバックに大人っぽいソウルをたくさん歌ってました。
今日聴くのは72年の”Give Me Your Love”というアルバムのタイトル曲で、カーティスはこのタイトル曲ともう一曲だけプロデュースしてます。
60年代中頃に10代で”Yes,I’m Ready”の大ヒットでデビューしたバーバラが、大人になった色っぽさもあり、キュートさもある歌声でいいです。
フィリー・ソウルの歌姫、バーバラ・メイソン
2.Give Me Your Love/Barbara Mason
カーティス・メイフィールド

次のコーラス・グループ”The Notations”はカーティスと同じシカゴで60年代の後半に結成されたグループですが、70年代中頃に少し有名になったのですがアルバムは一枚しか出てません。この曲もノーテーションズはシングルでリリースしたんだと思いますが、オリジナルは64年のカーティスのグループ「インプレッションズ」のアルバム”Keep On Pushing”に収録されていた曲です。ほぼオリジナル通りにカバーしていますが、やはり同じシカゴの大先輩コーラスグループ「インプレッションズ」の影響は強かったと思います。
「心から君が僕を愛していると思っていた。まだなぜ君のたったひとりの男になれないのかわかろうとしてきた」彼女が心変わりしてしまったことがわかっているけど、彼女にまだ愛が残っている
3.I’ve Been Trying/The Notations
本当にいい曲です。
この曲が入っている「インプレッションズ」のアルバム”Keep On Pushing”は是非聴いてもらいたいです。
カーティスは1958年に「インプレッションズ」を結成して音楽活動を始めたのですが、最初からソングライターとしての才能がありいま聴いてもらった”I’ve Been Trying”のような切ないラブソングから社会的な「ピープル・ゲット・レディ」みたいな曲まで書けた人です。プロデューサーとしても才能のあった人でステイプル・シンガーズ、アレサ・フランクリンなどの名盤を残しています。

この「Moving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield」の一曲目の「マクサーン」というグループ名を見て、僕は「あれ?」と思ったのですが、このグループは70年代前半に活躍していたグループでグループ名は女性リード・シンガーのマクサーン・ルイスから取っています。実はそのマクサーン・ルイスは一時期日本に住んでいたことがありヴォーカルの先生やコーラスの仕事をしながら、僕の友達のギターの山岸潤史とライヴもやっていて聴きに行った想い出があります。元々彼女は60年代後半アイク&ティナ・ターナーのバックコーラス「アイケッツ」のメンバーで、アイケッツをやめてからこのマクサーンというグループを結成しました。一時期はテレビのソウル・トレインにも出たりソウル・ファンクの売れっ子でした。アルバムも3枚出しています。
とにかくすごくパワフルでソウルフルなヴォーカルで初めて聴いた時は、チャカ・カーンを聴いた時くらい驚きました。いまから聴いてもらうカーティスのカバー曲がマクサーンとしては最も有名かと思います。
1973年リリース
4.Check Out Your Mind/Maxayn
旦那がマイケル・アンドレ・ルイスと言ってこのバンドのキーボート・プレイヤーなのですが、74年にこのマクサーンが解散してからはモータウンレコードからマンドレという名前でシンセサイザーを多用したデジタル・ファンクというジャンルで活躍した人です。まあ懐かしい名前を見つけました。

カーティスは1990年にコンサートで会場の照明機材が上から落ちて体に当たり、それで下半身不随になってしまったのですが、そのあとに「ニューワールド・オーダー」という素晴らしいアルバムも出してくれたんですが、99年に糖尿病が悪化してなくなりました。まだ57才でした。
60年代のインプレッションズ時代も素晴らしいし、70年代に入ってソロになってからの「カーティス」とか「ルーツ」といったアルバムもクオリティが高い。映画のサントラもやり、プロデュースもやり、黒人ミュージシャンとして差別や貧困をなくそうと歌った人でもありました。
音楽だけでなくブラック・カルチャーの大きな存在でした。

最後に1976年カーティスがプロデュースしたアレサ・フランクリンのアルバム「スパークル」に入っている曲です。曲もすべてカーティスが書き下ろしてます。
5.Look Into Your Heart/Aretha Franklin
50万枚売れたゴールド・ディスクになり70年代アレサの久しぶりのヒット・アルバムになりました。ソウルの名盤です。

アルバムのタイトルのMove On Upというのは「動き出そう」という言葉で、自分の目的に向かっていろいろ困難なことがあるけど、とにかくMove On Up!
いい言葉ですね。いまコロナで混乱し人種差別反対の”Black Lives Matter”の動きの中、またカーティスのこの言葉が使われています。
今日もリモート配信ライヴでした。みんな、Move On Up!

2020.07.17 ON AIR

ジミー・ジョンスン 気を吐いた91才の新譜

Everyday 0f Your Life/Jimmy Johnson (Delmark/P-Vine Records PCD-24936)

ON AIR LIST
1.Every Day Of Your Life/Jimmy Johnson
2.Somebody Roan Me A Dime/Jimmy Johnson
3.I Need You So Bad/Jimmy Johnson
4.Better When It’s Wet/Jimmy Johnson

ジミー・ジョンソンという名前のギタリストはふたりいまして、ひとりはアラパマのマッスルショールズのスタジオミュージシャン、プロデューサーとして有名なジミー・ジョンソンで去年残念ながら亡くなっています。
今回聴くシカゴ・ブルーズのジミー・ジョンソンは1928年ミシシッビの生まれで、メンフィス経由で1950年にシカゴに移り住み、プロとして音楽を始めたのはちょっと遅くて31才。
弟のひとりがブルーズ&ソウルで有名なシル・ジョンソン、もうひとりがマジック・サムの録音でベーシストのマック・トンプソン。
ジミー・ジョンソンはブルーズのフレディ・キングやマジック・サム、そしてソウル系のデニス・ラサールやオーティス・クレイなど実にたくさんのミュージシャンのバックをしてきました。60年代終わりくらいから自分のシングルも出しましたがこれといったヒットは出ませんでした。
失礼ながら言えばマジック・サムやオーティス・ラッシュほどのスター性がなかった、華がなかったというか・・。またバック・ギタリストとしても例えばロバート・Jr・ロックウッドやマット・マーフィのように誰かのバックで、その曲に決定的に印象に残るようなギターを残したこともありません。
着実なバッキング・ギタリストですがテクニシャンと呼ばれるほどのギタリストでもない、失礼ながら・・。
でも、彼はずっとシカゴの音楽シーンにいて活動してきました。そして、なんと!91才で今回のアルバム・リリース。

まず一曲アルバム・タイトル曲
1.Every Day Of Your Life/Jimmy Johnson
以前からブルーズマンの高齢化が言われ続けてきましたが、ここ数年他界するブルーズマンも多くて全盛のシカゴ・ブルーズ・シーンを経験してきた人もこのジミー・ジョンスンとバディ・ガイくらいになりました。
彼はいままで三回来日してます。1975年にジミー・ドーキンスのバンドでギタリストとして初来日しました。その時のメイン・アクトはオーティス・ラッシュ。ラッシュは当時日本ですごい人気で、50年代にリリースしたコブラレコードからの曲が素晴らしくてその後ほとんど録音がなかったために伝説化していたところでの来日でした。日本でのブルーズブームも頂点に向かうところで日比谷野音はもうぎっしり超満員でした。
でも、その時のジミー・ジョンスンの印象ってほとんど僕はありません、失礼ながら。とにかくオーティス・ラッシュに気持ちが行ってしまってました。

1967年にフェントン・ロビンソンがリリース、ジミー・ジョンソンにとっては後輩にあたるフェントンですがジミーはフェントンのプレイが好きだったそうです。このSomebody Roan Me A Dimeはボズ・スキャッグスがカバーしたときに作詞作曲のクレジットを自分の名前にしてしまい、最後に裁判にまでなって結局フェントン・ロビンソンが裁判に勝ちました。しかし、ブルーズファンには「なんで貧しい黒人ブルーズマンの曲を金持ってるロックミュージシャンが自分の曲だとクレジットしてしまうのか」・・とボズは評判を落としました。
「誰かダイム(10セント)を貸してくれ、つき合ってたあの娘に電話しなきゃいけないんだ。長い間、あの娘に会ってなくて心配なんだ」
2.Somebody Roan Me A Dime/Jimmy Johnson
このアルバムを聴いていると91才の爺さんとは思えません。彼はツアーは止めたそうですが、いまでも地元シカゴのクラブには出ているそうです。
弟のシル・ジョンソンも何回か日本に来ているんですが、彼はなかなか才能もあるし時代の流れを読むことにも長けていて、ソウル・シンガーというカテゴリーですがブルーズも演奏して歌、ハーモニカもギターもこなしソングライターでもありプロデュースもします。1975年には”Take Me To The River”がR&Bチャートの7位になったり、82年にはファンクの”Ms.Fine Brown Frame”がヒットしたりと弟のシルはその時々でシーンに登場しました。しかしアニキのジミーはギター弾いて誰かのバックをやっても目立たない人で、失礼ですが60年代にはシングルも何枚か出したのですが売れませんでした。
60年代当時一緒にやっていたマジック・サムが歌っている曲をジミーは今回カバーしています。元々はB.B.キングのオリジナル。
3.I Need You So Bad/Jimmy Johnson

ジミー・ジョンソンはすごく秀でたブルーズマンでもなくスター性があるわけでもなかったのですが、ずっとシカゴのブルーズシーンで生きてきたわけです。いまも現役の年下のバディ・ガイは大きなフェスティバルにメイン・アクトで出たり、白人のロックコンサートにゲストで呼ばれたりするわけですが、僕はバディの大げさなパフォーマンスやこれみよがしに大音量でギターを弾きまくるスタイルが好きではないです。バディはショーマンとしてやっていると思うのですが、安っぽい感じがします。確かにライヴにはパフォーマンスも大切ですがもっと彼の内面的なブルーズを聴きたいところです。でも、あのパフォーマンスがすでにバディの売りになってしまってます。
そう考えるとジミー・ジョンソンはそういうショー的な売りもないです、失礼ながら。

彼がどういう風に考えて音楽を続けてきたのかわかりませんが、とにかく音楽から離れたくなかったのでしょう。
同じ年頃にはジミー・ロジャース、エディ・テイラー、マット・マーフィなどサポート・ギタリストとしても上手い人がたくさんいて、競争率の高かった時代だったと思います。
次はインストの曲なんですが、ジミーのおっさんは以外とこういうモダンなものをやりたがる人なんです。ラッシュと一緒に初めて来日した時も当時流行っていた「ソウル・トレイン」のインストのテーマ曲をやりまして、それがまあジョージ・ベンソンなら許せたんでしょうが、当時盛り上がっているブルーズ・ブームの中では評判よくなかったというか、なんかショボい演奏でした。そんなことをいま想い出しましたが、そういうモダンな新しいことをちょっとやるのが彼のご長寿の秘訣かも知れません。
僕も新しいリモート録音なんていうのに挑んでますが・・。
4.Better When It’s Wet/Jimmy Johnson

1980年にはメンフィスで初開催されたブルース・ミュージック・アワードで受賞し順調でしたが、1988年に巡業中に車の事故に遭いバンド仲間を失い、自身も怪我をして一時は音楽界から遠ざかりました。
91才ジミー・ジョンソンのニューアルバムを紹介しましたが、元気でまだまだがんばって欲しいです。
今日もリモート収録でした。まだまだコロナの収束が見えませんが、みなさんも気をつけてください。

2020.07.10 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集vol.21

戦前シティ・ブルーズ-1 30年代に詩情あふれるブルーズを歌った偉大なリロイ・カー

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

ON AIR LIST
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr

自分のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャー」で昨年リリースしたアルバム”Blues Before Sunrise”のアルバムタイトル曲”Blues Before Sunrise”はエルモア・ジェイムズのバージョンを元にしたものだが、実はこの曲のオリジナルは戦前1920年代後半から30年代にかけてヒット曲を連発したシティ・ブルーズのキング、リロイ・カーがオリジナルだ。
当時南部ではチャーリー・パットンやブラインド・レモン・ジェファーソン、サン・ハウスなどギターの弾き語りによる土着的なカントリー・ブルーズを歌い人気を博していた頃だが、リロイ・カーはピアノを弾きながら北部のインディアナポリスで都会のブルーズを歌っていた。それらは南部にも届くほどのヒットだった。元々ナッシュビルで生まれてインディアナポリスで育ったリロイ・カーはニューヨーク育ちほどではないが都会の人間だ。いろんな写真を見てもスーツを着てこざっぱりしている。

まずは、1934年の録音
「目に涙を溜めて夜明け前のブルーズ、すごく惨めな気分で落ち込んでしまう・・」
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
力んだり、シャウトしないでとてもストレートな歌い方でさりげないのですが、よく聞くと歌声の芯は太くてしっかりしている。途中で裏声をつかうところはリロイ・カーに影響を受けたロバート・ジョンソンにも受け継がれている。
ロバート・ジョンソンだけでなく当時の多くのブルーズマン、そしてのちのレイ・チャールズなどにも大きな影響を与えたリロイ・カーはブルーズのソングライターとしても素晴らしい才能があった。歌詞に叙情があり展開にしっかりした整合性があり、南部のブルーズマンがエモーショナルにその時々の思いを歌ったものとは違ったものになっている。その光景が目に浮かぶような見事な詞を書いている。
聴いてもらってわかるようにカーの歌い方は南部のブルーズマンのようにラフでタフな感じがなく、洗練されたとまでは言いませんがスマートです。彼のレコードがそれまでのブルーズマンではあり得ないほど売れたのは、やはりそのスマートな都会的な感覚に共感した都会の黒人たちだけでなく、南部にいる黒人たちもそのスマートな感覚に憧れたからではないだろうか。

1928年の次の曲が当時信じられないくらい大ヒット。当時、カーの乗っていた車の座席にはいつも札束がどっさり置いてあったそうだ。
ロバート・ジョンソンの美しい歌詞はやはりこのリロイ・カーの洗練された言葉の選びに影響を受けたものだと思う。
「あの夕暮れの列車が行ってしまってどのくらい経つんだろう。汽笛が聴こえ、列車が見えなくなって心の痛みがやってくる、ああどれくらい、どれくらい」1928年録音。口ずさめるメロディだ。
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
ここで聞き逃してはいけないのがスクラッパー・ブラックウェルのギター。ブラックウェルは最初プロになるつもりはなく地元でギターとブルーズを歌うのが上手い男だった。それを聞きつけたリロイとプロデューサーが是非一緒にやってくれと頼みこんだらしい。カーの歌とピアノの間を埋めるブラックウェルのギターの絶妙なセンス。このふたりはブルーズ・デュオとして当時売れまくり、フォロワーもたくさん生み出した。いまのHow Longはビッグ・ジョー・ターナー、ルー・ロウルズ、ダイナ・ワシントン、エリック・クラプトンともう数えきれないくらいカバーされたブルーズ名曲。

リロイ・カーの歌詞はしっかり机上で作詞された感じがするけど、どうだったんだろう。次の曲も深い情感にあふれその光景が目に浮かぶような詞を書いている。
「夜明けに向かっている真夜中に、ブルーズが忍び込んできて心を奪ってしまう。ベッドに入っているけど眠れやしない。煩わしいことばかりで気持ちが沈んで行く・・」
真夜中にひとり憂鬱になってしまう気持ち、誰もがそうなってしまう時の気持ちを見事に歌にした名曲。
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
僕が最初にリロイ・カーを聴いたのは1971年にリリースされた「RCAブルーズの古典」というコンピレーションのアルバム。「ロックス・イン・マイ・ベッド」と「シックス・コールド・フィート・イン・ザ・グラウンド」と二曲収録されていましたが、ガツンとした南部のカントリー・ブルーズに比べるとなんか細い感じがして聞き流していた。結局この”Blues Before Sunrise”という単独アルバムを買ってから彼の良さを知った。とくにつぎの「Hurry Down Sunshine」が好きで毎日ヘビーローテーションで聴いていました。
「早く沈んでくれよ、おてんとさま、ああ明日はどうなるんだろう。悲しみの涙もたくさん落ちてきて、雨のしずくも落ちてくるだろう。オレはあいつにホレてるけど、彼女はオレのことなんか愛してない。彼女は最後の女なんだよ」
20代前半、どうなるかわからない不安な日々の自分の気持ちに寄り添ってきたブルーズだった。
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr
こんな素晴らしい曲を作るリロイ・カーって一体どんな人だったのだろう・・最初に出てくる話がアルコール依存症と呼ばれる大酒飲みだったということ。
1905年にナッシュヴィルで生まれインディアナポリスで育ち、ピアノは独学。10代半ばで学校を止めて放浪をしてパーティや酒場で歌い、サーカスの一団に入ったこともありそのあと軍隊にも入ってる。密造酒を作って売っていたこともあり、結婚も短い間ですがしたこともある。それで1928年にインディアナポリスに戻っている時にギターのスクラッパー・ブラックウェルと知合いデュオを始め、そのまますぐ売れてしまう。それから7年ふたりは当時にしては珍しい全米で知られる有名黒人ブルーズデュオとして活躍するわけです。いろいろカーの人間性に結びつく話はないかと探してみたが、何故そんなに酒に溺れたのかという理由ははっきりわからない。ただの酒好きだったか。10代の頃の写真を見るとなかなか端正な顔をしている。相棒のブラックウェルとはずっとうまくやっていたように見えるのだが、1935年にふたりは金のことが原因で喧嘩別れ。そして、そのあとすぐにカーは酒の飲み過ぎて内蔵を悪くして亡くなってしまう。わずか30才。相棒のブラックウェルはその後音楽をやめてしまう。その喧嘩がどんなものだったのか・・ちょっとしたお金のことだったのか・・ブラックウェルは喧嘩したことを後悔して音楽をやめたのかも知れない。
「Simple Studio」というサイトを作っておられる方がいて、そこに相棒のブラックウェルのことが詳しく書かれているのですが、そこにカーが亡くなった後にブラックウェルが録音した曲の歌詞が訳されていたのでここで紹介させていただきます。タイトルは”My Old Pal Blues(古い友のブルース)”
「彼の歌は止んだ(終わった) 彼の演奏も止んだ 二度と彼の声を聞くことも無い。本当にいいやつだった 寂しさはどこに行っても募るだろう」

7年間に160曲を録音
同じ20年代から30年代のブルーズでも南部のミシシッピーやテキサス、アラバマで歌われたブルーズと、このリロイ・カーの北部の都会イディアナポリスで歌われたブルーズの違いに、ブルーズという音楽の広さと深さを感じる。