2020.07.31 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集vol.22
戦前シティ・ブルーズ-2 ロニー・ジョンソンとビッグ・ビル・ブルーンジー

シティ・ブルーズのギター名人、ロニー・ジョンソンとビッグ・ビル・ブルーンジー

Hot Fingers/Lonnie Johnson (P-Vine PCD-2803)

Hot Fingers/Lonnie Johnson (P-Vine PCD-2803)

Steppin’ On The Blues/Lonnie Johnson (CBS/SONY CSCS5326)

Steppin’ On The Blues/Lonnie Johnson (CBS/SONY CSCS5326)

The Father Of Chicago Blues Guitar/Big Bill Broonzy (P-Vine PCD-2804)

The Father Of Chicago Blues Guitar/Big Bill Broonzy (P-Vine PCD-2804)

Blues And Ballads/Lonnie Johnson With Elmer Snowden

Blues And Ballads/Lonnie Johnson With Elmer Snowden

ON AIR LIST
1.Hot Fingers/Lonnie Johnson
2.Playing With The Strings/Lonnie Johnson
3.Guitar Blues/Lonnie Johnson
4.Pig Meat Strut/Big Bill Broonzy
5.Hey Hey/Big Bill Broonzy

1930年代から40年代にかけて北部のシカゴなどで流行った都会派のブルーズのことを、ミシシッピなど南部の田舎で広まった土着的なブルーズに対して「シティ・ブルーズ」と呼ぶ。
シティ・ブルーズが流行った1930年代前半はもちろんまだアコースティック・ギター。南部のブルーズのギターがリゾネーター・ギターのスライド奏法などでアーシーな感じやワイルドさを感じさせるのと比べると、今日聴いてもらうシティ・ブルーズのロニー・ジョンソンやビッグ・ビル・ブルーンジーの演奏は洒落ていて洗練されている。ジャズ、ラグタイム、フォーク、ポップスなど様々なテイストが彼らのギター・スタイルに入り込んでいて、音楽的にもテクニック的にも当時の最先端の音楽だ。
チャーリー・クリスチャン、T.ボーン・ウォーカー、B.B.キングなどジャンルに関係なく、多くのギタリストが憧れたのがギター奏法の革新者でもあるロニー・ジョンソン、そしてビッグ・ビル。
まずはロニー・ジョンソン。ジョンソンはソロでも売れたが、共演やゲスト出演、シンガーのバックなども多くて録音した曲は300曲くらいあると言われている。
まずは一曲、インストルメンタルの曲。
コードを弾いてリズムを切っているのが、デュオを組んでいたエディ・ラングでソロを弾いているのがロニー・ジョンソン。ジョンソンのソロはもうため息しかなく、支えるエディのリズムがこれまた素晴らしい。このふたりの演奏をいま目の前で聴いたらきっと唖然とすると思う。1929年録音。
1.Hot Fingers/Lonnie Johnson
リズムのエディ・ラングは白人でして、当時白人と黒人がデュオを組むというのも大変だったのでエディが偽名を使って録音しているものもあります。
ジャズもブルーズも同じように演奏されていたニューオリンズで生まれのロニー・ジョンソンには、あまり音楽の垣根はなかったように思える。そのギターの上手さを請われてジャズのデューク・エリントン楽団との録音などもあります。
ロニー・ジョンソンは上手いギタリストというだけではなく、優しい歌い口のシンガーでもありました。
実はロニー・ジョンソンと言えばこのヒット曲という1948年R&Bチャートに7週連続1位に輝いた”Tomorrow Night”があるのですが、僕はその曲をレコードでしか持っていなくて、今回のリモートは配信ではアナログレコードは使えないのでまたいつかON AIRします。
では、次はまるっきり1人、ロニー・ジョンソンの完全ソロ
2.Playing With The Strings/Lonnie Johnson
もう曲芸の域です。
ギターがめちゃ上手くてこういう”Tomorrow Night”というスウィートな曲で歌を聴かせてチャートの1位にもなり、いろんな有名なミュージシャンにも共演を望まれ、ヨーロッパにもツアーに呼ばれて行き、順風満帆でしたが、ロニー・ジョンソンは1953年頃から数年間音楽シーンから姿を消してしまいます。もう充分に長い間音楽をやったという気持ちがあったようで、その後は数年フィラデルフィアのホテルで雑用係のような仕事をして静かに暮らしていました。
それをラジオのDJがそういえばロニー・ジョンソンってどうしてるんだろうと番組でしゃべったところ、「この間フィラデルフィアのスーパーでみかけたよ」と番組に連絡があった。その連絡をしたのが同じギタリストのエルマー・スノーデン
1960年にそのエルマー・スノーデンと作った”blues &ballads”というアルバムも素晴らしいです、
ではもう一曲エディ・ラングとのギター・インストの名曲です。その名も・・・ブルーズ・ギター
3.Guitar Blues/Lonnie Johnson

次は時代的にはほぼ被っているもうひとりのブルーズギター名人、ビッグ・ビル・ブルーンジー。ロニー・ジョンソンもビッグ・ビルもそのギターの上手さから自分の録音だけではなく、いろんなミュージシャンの録音にも呼ばれている当時のスタジオ・ミュージシャンでもあります。自分の録音だけでなく他のシンガーのバックなどを含めると500曲は録音されているという。
最初に聴いてもらったロニー・ジョンソンのHot Fingersと1年違い1930年の録音です。リズム・ギターはフランク・ブラスウェル
4.Pig Meat Strut/Big Bill Broonzy
ロニー・ジョンソンほどフレイズは多彩ではないのですが名人芸です。フランク・ブラスウェルのリズム・ギターのバッキングも素晴らしい。やはり名人といえども一緒に演奏するミュージシャンの技量がなければ本領は発揮できないです。
演奏が進むにつれてビッグ・ビルとブラスウェルのふたつのギターがどんどんグルーヴしていくのがわかります。ビッグ・ビルはロニー・ジョンソンよりブルーズ寄りですが、最初はラグ・タイム・ギターを弾いていたのでそのフィンガー・ピッキングぶりはやはり素晴らしい。
曲が多過ぎてスタンダード曲集にどの曲を選ぶのかというのはもうお手上げ状態ですが、クラプトンが「アンプラグド」でカバーしたこの曲がいちばん知られているかも知れません。

5.Hey Hey/Big Bill Broonzy
ビッグ・ビルとかロニー・ジョンソンのようなシティ・ブルーズマンは、同時代のサン・ハウスやブッカ・ホワイトなど南部のブルーズマンと比べると音楽性が洗練されていて、幅も広く多彩です。
ビッグ・ビルが作った戦前のシカゴ・ブルーズを元にマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフといったブルーズマンが戦後のエレクトリック・シカゴ・ブルーズをつくりあげて一時代を築くことになっただが、兄貴肌のビッグ・ビルは音楽だけでなく南部からシカゴに出てきた後輩のマディたちの面倒もよくみたそうだ。そして、世話になったマディはビッグ・ビルの死後、ビッグ・ビルへのトリビュート・アルバムを録音しています。

2020.07.24 ON AIR

いまの時代にもパワーをもつカーティスの曲、カーティス・メイフィールド・トリビュート盤

Moving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield (PLAYBACK PBCD-010)

ON AIR LIST
1.Let’s Do It Again/The Staple Singers
2.Give Me Your Love/Barbara Mason
3.I’ve Been Trying/The Notations
4.Check Out Your Mind/Maxayn
5.Look Into Your Heart/Aretha Franklin

1999年にカーティス・メイフィールドが亡くなってもう21年が過ぎた。いまもなお多くのミュージシャンから敬意を払われているカーティス。そのカーティスの作った曲へのトリビュートアルバムがリリースされました。
アルバム・タイトルがMoving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield
日本のリリースはBSMFレコードです。英語ですが一曲一曲丁寧な解説も入っています。

最初に聴いてもらうのは以前にもON AIRしましたが、1975年にカーティス自身のレコードレーベル「カートム」からリリースされた映画のサウンドトラック「Let’s Do It Again」に収録されているタイトル曲。歌っているのはステイプル・シンガーズ。
以前にも話しましたが、この「Let’s Do It Again」という映画が公開された75年に僕は偶然ロスの映画館で見ました。英語がすべてわからなくてもコメディなのですごく面白かったです。そして最後にタイトルバックが流れる後ろでこの曲が聴こえてきまして、あっメイヴィス・ステイプルズ!ステイプル・シンガーズ!だと興奮してそのままレコード屋に行った覚えがあります。いまもシングル盤もってます。
1975年R&Bチャート、ポップチャート共に1位
1.Let’s Do It Again/The Staple Singers
この映画は黒人俳優のシドニー・ポワチエが監督、主役していて邦題が「一発大逆転」でDVD化されているので興味のある方は是非。

次はバーバラ・メイソン
バーバラ・メイソンは70年代前半に「フィリー・ソウル」と呼ばれたフィラデルフィア・ソウルから出てきた女性ソウルシンガーです。都会的な柔らかいサウンドをバックに大人っぽいソウルをたくさん歌ってました。
今日聴くのは72年の”Give Me Your Love”というアルバムのタイトル曲で、カーティスはこのタイトル曲ともう一曲だけプロデュースしてます。
60年代中頃に10代で”Yes,I’m Ready”の大ヒットでデビューしたバーバラが、大人になった色っぽさもあり、キュートさもある歌声でいいです。
フィリー・ソウルの歌姫、バーバラ・メイソン
2.Give Me Your Love/Barbara Mason
カーティス・メイフィールド

次のコーラス・グループ”The Notations”はカーティスと同じシカゴで60年代の後半に結成されたグループですが、70年代中頃に少し有名になったのですがアルバムは一枚しか出てません。この曲もノーテーションズはシングルでリリースしたんだと思いますが、オリジナルは64年のカーティスのグループ「インプレッションズ」のアルバム”Keep On Pushing”に収録されていた曲です。ほぼオリジナル通りにカバーしていますが、やはり同じシカゴの大先輩コーラスグループ「インプレッションズ」の影響は強かったと思います。
「心から君が僕を愛していると思っていた。まだなぜ君のたったひとりの男になれないのかわかろうとしてきた」彼女が心変わりしてしまったことがわかっているけど、彼女にまだ愛が残っている
3.I’ve Been Trying/The Notations
本当にいい曲です。
この曲が入っている「インプレッションズ」のアルバム”Keep On Pushing”は是非聴いてもらいたいです。
カーティスは1958年に「インプレッションズ」を結成して音楽活動を始めたのですが、最初からソングライターとしての才能がありいま聴いてもらった”I’ve Been Trying”のような切ないラブソングから社会的な「ピープル・ゲット・レディ」みたいな曲まで書けた人です。プロデューサーとしても才能のあった人でステイプル・シンガーズ、アレサ・フランクリンなどの名盤を残しています。

この「Moving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield」の一曲目の「マクサーン」というグループ名を見て、僕は「あれ?」と思ったのですが、このグループは70年代前半に活躍していたグループでグループ名は女性リード・シンガーのマクサーン・ルイスから取っています。実はそのマクサーン・ルイスは一時期日本に住んでいたことがありヴォーカルの先生やコーラスの仕事をしながら、僕の友達のギターの山岸潤史とライヴもやっていて聴きに行った想い出があります。元々彼女は60年代後半アイク&ティナ・ターナーのバックコーラス「アイケッツ」のメンバーで、アイケッツをやめてからこのマクサーンというグループを結成しました。一時期はテレビのソウル・トレインにも出たりソウル・ファンクの売れっ子でした。アルバムも3枚出しています。
とにかくすごくパワフルでソウルフルなヴォーカルで初めて聴いた時は、チャカ・カーンを聴いた時くらい驚きました。いまから聴いてもらうカーティスのカバー曲がマクサーンとしては最も有名かと思います。
1973年リリース
4.Check Out Your Mind/Maxayn
旦那がマイケル・アンドレ・ルイスと言ってこのバンドのキーボート・プレイヤーなのですが、74年にこのマクサーンが解散してからはモータウンレコードからマンドレという名前でシンセサイザーを多用したデジタル・ファンクというジャンルで活躍した人です。まあ懐かしい名前を見つけました。

カーティスは1990年にコンサートで会場の照明機材が上から落ちて体に当たり、それで下半身不随になってしまったのですが、そのあとに「ニューワールド・オーダー」という素晴らしいアルバムも出してくれたんですが、99年に糖尿病が悪化してなくなりました。まだ57才でした。
60年代のインプレッションズ時代も素晴らしいし、70年代に入ってソロになってからの「カーティス」とか「ルーツ」といったアルバムもクオリティが高い。映画のサントラもやり、プロデュースもやり、黒人ミュージシャンとして差別や貧困をなくそうと歌った人でもありました。
音楽だけでなくブラック・カルチャーの大きな存在でした。

最後に1976年カーティスがプロデュースしたアレサ・フランクリンのアルバム「スパークル」に入っている曲です。曲もすべてカーティスが書き下ろしてます。
5.Look Into Your Heart/Aretha Franklin
50万枚売れたゴールド・ディスクになり70年代アレサの久しぶりのヒット・アルバムになりました。ソウルの名盤です。

アルバムのタイトルのMove On Upというのは「動き出そう」という言葉で、自分の目的に向かっていろいろ困難なことがあるけど、とにかくMove On Up!
いい言葉ですね。いまコロナで混乱し人種差別反対の”Black Lives Matter”の動きの中、またカーティスのこの言葉が使われています。
今日もリモート配信ライヴでした。みんな、Move On Up!

2020.07.17 ON AIR

ジミー・ジョンスン 気を吐いた91才の新譜

Everyday 0f Your Life/Jimmy Johnson (Delmark/P-Vine Records PCD-24936)

ON AIR LIST
1.Every Day Of Your Life/Jimmy Johnson
2.Somebody Roan Me A Dime/Jimmy Johnson
3.I Need You So Bad/Jimmy Johnson
4.Better When It’s Wet/Jimmy Johnson

ジミー・ジョンソンという名前のギタリストはふたりいまして、ひとりはアラパマのマッスルショールズのスタジオミュージシャン、プロデューサーとして有名なジミー・ジョンソンで去年残念ながら亡くなっています。
今回聴くシカゴ・ブルーズのジミー・ジョンソンは1928年ミシシッビの生まれで、メンフィス経由で1950年にシカゴに移り住み、プロとして音楽を始めたのはちょっと遅くて31才。
弟のひとりがブルーズ&ソウルで有名なシル・ジョンソン、もうひとりがマジック・サムの録音でベーシストのマック・トンプソン。
ジミー・ジョンソンはブルーズのフレディ・キングやマジック・サム、そしてソウル系のデニス・ラサールやオーティス・クレイなど実にたくさんのミュージシャンのバックをしてきました。60年代終わりくらいから自分のシングルも出しましたがこれといったヒットは出ませんでした。
失礼ながら言えばマジック・サムやオーティス・ラッシュほどのスター性がなかった、華がなかったというか・・。またバック・ギタリストとしても例えばロバート・Jr・ロックウッドやマット・マーフィのように誰かのバックで、その曲に決定的に印象に残るようなギターを残したこともありません。
着実なバッキング・ギタリストですがテクニシャンと呼ばれるほどのギタリストでもない、失礼ながら・・。
でも、彼はずっとシカゴの音楽シーンにいて活動してきました。そして、なんと!91才で今回のアルバム・リリース。

まず一曲アルバム・タイトル曲
1.Every Day Of Your Life/Jimmy Johnson
以前からブルーズマンの高齢化が言われ続けてきましたが、ここ数年他界するブルーズマンも多くて全盛のシカゴ・ブルーズ・シーンを経験してきた人もこのジミー・ジョンスンとバディ・ガイくらいになりました。
彼はいままで三回来日してます。1975年にジミー・ドーキンスのバンドでギタリストとして初来日しました。その時のメイン・アクトはオーティス・ラッシュ。ラッシュは当時日本ですごい人気で、50年代にリリースしたコブラレコードからの曲が素晴らしくてその後ほとんど録音がなかったために伝説化していたところでの来日でした。日本でのブルーズブームも頂点に向かうところで日比谷野音はもうぎっしり超満員でした。
でも、その時のジミー・ジョンスンの印象ってほとんど僕はありません、失礼ながら。とにかくオーティス・ラッシュに気持ちが行ってしまってました。

1967年にフェントン・ロビンソンがリリース、ジミー・ジョンソンにとっては後輩にあたるフェントンですがジミーはフェントンのプレイが好きだったそうです。このSomebody Roan Me A Dimeはボズ・スキャッグスがカバーしたときに作詞作曲のクレジットを自分の名前にしてしまい、最後に裁判にまでなって結局フェントン・ロビンソンが裁判に勝ちました。しかし、ブルーズファンには「なんで貧しい黒人ブルーズマンの曲を金持ってるロックミュージシャンが自分の曲だとクレジットしてしまうのか」・・とボズは評判を落としました。
「誰かダイム(10セント)を貸してくれ、つき合ってたあの娘に電話しなきゃいけないんだ。長い間、あの娘に会ってなくて心配なんだ」
2.Somebody Roan Me A Dime/Jimmy Johnson
このアルバムを聴いていると91才の爺さんとは思えません。彼はツアーは止めたそうですが、いまでも地元シカゴのクラブには出ているそうです。
弟のシル・ジョンソンも何回か日本に来ているんですが、彼はなかなか才能もあるし時代の流れを読むことにも長けていて、ソウル・シンガーというカテゴリーですがブルーズも演奏して歌、ハーモニカもギターもこなしソングライターでもありプロデュースもします。1975年には”Take Me To The River”がR&Bチャートの7位になったり、82年にはファンクの”Ms.Fine Brown Frame”がヒットしたりと弟のシルはその時々でシーンに登場しました。しかしアニキのジミーはギター弾いて誰かのバックをやっても目立たない人で、失礼ですが60年代にはシングルも何枚か出したのですが売れませんでした。
60年代当時一緒にやっていたマジック・サムが歌っている曲をジミーは今回カバーしています。元々はB.B.キングのオリジナル。
3.I Need You So Bad/Jimmy Johnson

ジミー・ジョンソンはすごく秀でたブルーズマンでもなくスター性があるわけでもなかったのですが、ずっとシカゴのブルーズシーンで生きてきたわけです。いまも現役の年下のバディ・ガイは大きなフェスティバルにメイン・アクトで出たり、白人のロックコンサートにゲストで呼ばれたりするわけですが、僕はバディの大げさなパフォーマンスやこれみよがしに大音量でギターを弾きまくるスタイルが好きではないです。バディはショーマンとしてやっていると思うのですが、安っぽい感じがします。確かにライヴにはパフォーマンスも大切ですがもっと彼の内面的なブルーズを聴きたいところです。でも、あのパフォーマンスがすでにバディの売りになってしまってます。
そう考えるとジミー・ジョンソンはそういうショー的な売りもないです、失礼ながら。

彼がどういう風に考えて音楽を続けてきたのかわかりませんが、とにかく音楽から離れたくなかったのでしょう。
同じ年頃にはジミー・ロジャース、エディ・テイラー、マット・マーフィなどサポート・ギタリストとしても上手い人がたくさんいて、競争率の高かった時代だったと思います。
次はインストの曲なんですが、ジミーのおっさんは以外とこういうモダンなものをやりたがる人なんです。ラッシュと一緒に初めて来日した時も当時流行っていた「ソウル・トレイン」のインストのテーマ曲をやりまして、それがまあジョージ・ベンソンなら許せたんでしょうが、当時盛り上がっているブルーズ・ブームの中では評判よくなかったというか、なんかショボい演奏でした。そんなことをいま想い出しましたが、そういうモダンな新しいことをちょっとやるのが彼のご長寿の秘訣かも知れません。
僕も新しいリモート録音なんていうのに挑んでますが・・。
4.Better When It’s Wet/Jimmy Johnson

1980年にはメンフィスで初開催されたブルース・ミュージック・アワードで受賞し順調でしたが、1988年に巡業中に車の事故に遭いバンド仲間を失い、自身も怪我をして一時は音楽界から遠ざかりました。
91才ジミー・ジョンソンのニューアルバムを紹介しましたが、元気でまだまだがんばって欲しいです。
今日もリモート収録でした。まだまだコロナの収束が見えませんが、みなさんも気をつけてください。

2020.07.10 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集vol.21

戦前シティ・ブルーズ-1 30年代に詩情あふれるブルーズを歌った偉大なリロイ・カー

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

ON AIR LIST
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr

自分のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャー」で昨年リリースしたアルバム”Blues Before Sunrise”のアルバムタイトル曲”Blues Before Sunrise”はエルモア・ジェイムズのバージョンを元にしたものだが、実はこの曲のオリジナルは戦前1920年代後半から30年代にかけてヒット曲を連発したシティ・ブルーズのキング、リロイ・カーがオリジナルだ。
当時南部ではチャーリー・パットンやブラインド・レモン・ジェファーソン、サン・ハウスなどギターの弾き語りによる土着的なカントリー・ブルーズを歌い人気を博していた頃だが、リロイ・カーはピアノを弾きながら北部のインディアナポリスで都会のブルーズを歌っていた。それらは南部にも届くほどのヒットだった。元々ナッシュビルで生まれてインディアナポリスで育ったリロイ・カーはニューヨーク育ちほどではないが都会の人間だ。いろんな写真を見てもスーツを着てこざっぱりしている。

まずは、1934年の録音
「目に涙を溜めて夜明け前のブルーズ、すごく惨めな気分で落ち込んでしまう・・」
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
力んだり、シャウトしないでとてもストレートな歌い方でさりげないのですが、よく聞くと歌声の芯は太くてしっかりしている。途中で裏声をつかうところはリロイ・カーに影響を受けたロバート・ジョンソンにも受け継がれている。
ロバート・ジョンソンだけでなく当時の多くのブルーズマン、そしてのちのレイ・チャールズなどにも大きな影響を与えたリロイ・カーはブルーズのソングライターとしても素晴らしい才能があった。歌詞に叙情があり展開にしっかりした整合性があり、南部のブルーズマンがエモーショナルにその時々の思いを歌ったものとは違ったものになっている。その光景が目に浮かぶような見事な詞を書いている。
聴いてもらってわかるようにカーの歌い方は南部のブルーズマンのようにラフでタフな感じがなく、洗練されたとまでは言いませんがスマートです。彼のレコードがそれまでのブルーズマンではあり得ないほど売れたのは、やはりそのスマートな都会的な感覚に共感した都会の黒人たちだけでなく、南部にいる黒人たちもそのスマートな感覚に憧れたからではないだろうか。

1928年の次の曲が当時信じられないくらい大ヒット。当時、カーの乗っていた車の座席にはいつも札束がどっさり置いてあったそうだ。
ロバート・ジョンソンの美しい歌詞はやはりこのリロイ・カーの洗練された言葉の選びに影響を受けたものだと思う。
「あの夕暮れの列車が行ってしまってどのくらい経つんだろう。汽笛が聴こえ、列車が見えなくなって心の痛みがやってくる、ああどれくらい、どれくらい」1928年録音。口ずさめるメロディだ。
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
ここで聞き逃してはいけないのがスクラッパー・ブラックウェルのギター。ブラックウェルは最初プロになるつもりはなく地元でギターとブルーズを歌うのが上手い男だった。それを聞きつけたリロイとプロデューサーが是非一緒にやってくれと頼みこんだらしい。カーの歌とピアノの間を埋めるブラックウェルのギターの絶妙なセンス。このふたりはブルーズ・デュオとして当時売れまくり、フォロワーもたくさん生み出した。いまのHow Longはビッグ・ジョー・ターナー、ルー・ロウルズ、ダイナ・ワシントン、エリック・クラプトンともう数えきれないくらいカバーされたブルーズ名曲。

リロイ・カーの歌詞はしっかり机上で作詞された感じがするけど、どうだったんだろう。次の曲も深い情感にあふれその光景が目に浮かぶような詞を書いている。
「夜明けに向かっている真夜中に、ブルーズが忍び込んできて心を奪ってしまう。ベッドに入っているけど眠れやしない。煩わしいことばかりで気持ちが沈んで行く・・」
真夜中にひとり憂鬱になってしまう気持ち、誰もがそうなってしまう時の気持ちを見事に歌にした名曲。
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
僕が最初にリロイ・カーを聴いたのは1971年にリリースされた「RCAブルーズの古典」というコンピレーションのアルバム。「ロックス・イン・マイ・ベッド」と「シックス・コールド・フィート・イン・ザ・グラウンド」と二曲収録されていましたが、ガツンとした南部のカントリー・ブルーズに比べるとなんか細い感じがして聞き流していた。結局この”Blues Before Sunrise”という単独アルバムを買ってから彼の良さを知った。とくにつぎの「Hurry Down Sunshine」が好きで毎日ヘビーローテーションで聴いていました。
「早く沈んでくれよ、おてんとさま、ああ明日はどうなるんだろう。悲しみの涙もたくさん落ちてきて、雨のしずくも落ちてくるだろう。オレはあいつにホレてるけど、彼女はオレのことなんか愛してない。彼女は最後の女なんだよ」
20代前半、どうなるかわからない不安な日々の自分の気持ちに寄り添ってきたブルーズだった。
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr
こんな素晴らしい曲を作るリロイ・カーって一体どんな人だったのだろう・・最初に出てくる話がアルコール依存症と呼ばれる大酒飲みだったということ。
1905年にナッシュヴィルで生まれインディアナポリスで育ち、ピアノは独学。10代半ばで学校を止めて放浪をしてパーティや酒場で歌い、サーカスの一団に入ったこともありそのあと軍隊にも入ってる。密造酒を作って売っていたこともあり、結婚も短い間ですがしたこともある。それで1928年にインディアナポリスに戻っている時にギターのスクラッパー・ブラックウェルと知合いデュオを始め、そのまますぐ売れてしまう。それから7年ふたりは当時にしては珍しい全米で知られる有名黒人ブルーズデュオとして活躍するわけです。いろいろカーの人間性に結びつく話はないかと探してみたが、何故そんなに酒に溺れたのかという理由ははっきりわからない。ただの酒好きだったか。10代の頃の写真を見るとなかなか端正な顔をしている。相棒のブラックウェルとはずっとうまくやっていたように見えるのだが、1935年にふたりは金のことが原因で喧嘩別れ。そして、そのあとすぐにカーは酒の飲み過ぎて内蔵を悪くして亡くなってしまう。わずか30才。相棒のブラックウェルはその後音楽をやめてしまう。その喧嘩がどんなものだったのか・・ちょっとしたお金のことだったのか・・ブラックウェルは喧嘩したことを後悔して音楽をやめたのかも知れない。
「Simple Studio」というサイトを作っておられる方がいて、そこに相棒のブラックウェルのことが詳しく書かれているのですが、そこにカーが亡くなった後にブラックウェルが録音した曲の歌詞が訳されていたのでここで紹介させていただきます。タイトルは”My Old Pal Blues(古い友のブルース)”
「彼の歌は止んだ(終わった) 彼の演奏も止んだ 二度と彼の声を聞くことも無い。本当にいいやつだった 寂しさはどこに行っても募るだろう」

7年間に160曲を録音
同じ20年代から30年代のブルーズでも南部のミシシッピーやテキサス、アラバマで歌われたブルーズと、このリロイ・カーの北部の都会イディアナポリスで歌われたブルーズの違いに、ブルーズという音楽の広さと深さを感じる。

2020.07.03 ON AIR

Sam Cooke-3

永遠に聞き継がれるサム・クックのヒット曲

The Man & His Music/Sam Cooke (RCA R32P-1041)

ON AIR LIST
1.Twistin’ The Night Away/Sam Cooke
2.Shake/Sam Cooke
3.Nothing Can Change This Love
4.Another Saturday Night/Sam Cooke
5.A Change Is Gonna Come/Sam Cooke

サム・クックは子供の頃からゴスペルを歌い始め、高校生の時には「ハイウェイQC’s」というグループで注目を浴び、その後ゴスペル・カルテットの「ソウル・スターラーズ」のリード・シンガーに抜擢されゴスペル界の新しいスターになりました。そのスターラーズに次第にポップ・ミュージックへの転身を考えていましたが、所属のスペシャルティ・レコードは乗り気ではなかった。そこでレコード会社をキーンレコードに移籍してジャズ・スタンダードを歌いながらポップ界のスターを目指しました。そして、1957年の”You Send Me”の大ヒットを放ったのを皮切りに自分のオリジナルソングをたくさんヒットさせました。
それらのヒット曲は60年代に作られて行くソウル・ミュージックの土台となり、レイ・チャールズやジェイムズ・ブラウンそしてモータウン・レコードの曲と並んで70年代へ続くソウル・ミュージックの原型を作りました。
今日はそのサム・クックの素晴らしいヒットソングを聴いてもらおうと思ってます。
最初の軽快なこのダンス・ミュージックは当時Twistというダンスが流行り、サムもそれに乗ってこの曲をリリースしたのですが、たくさんのミュージシャンが歌ったツイスト曲の中でも当時の代表的な一曲です。
「老いも若きも一晩中ツイストで踊ってるよ」という他愛ないパーティソングですが、イントロから何かいいことが始まるようなメロディで、聴いていると何か心がウキウキして明るくなります。
1.Twistin’ The Night Away/Sam Cooke
62年、R&Bチャート1位、ポップチャート9位。こういうポップな曲が黒人にも白人の若者にもウケて、片方でジャズ・スタンダードを歌いながらコパ・カバーナという白人の高級ナイトクラブでもショーをやり、テレビや映画にも出てサムは黒人白人という人種を乗り越えた活動を始めてスター街道をまっしぐらに進みます。

次の曲はオーティス・レディングの豪快なカバー・バージョンでご存知の方もいるかと思います。オーティス・レディングは1965年の”Otis Blue”というアルバムで歌っています。
タイトルのシェイクというのは60年代半ばに流行ったこれもダンスのことで、その踊り方を教えている歌です。これもパーティソングですがドラムのリズムパターンはじめ、アレンジが斬新で素晴らしいダンス・ナンバーだと思います。
2.Shake/Sam Cooke

サム・クックのすごいところというのは自分で自分をプロデュースできることです。アレサ・フランクリンやレイ・チャールズでもそうらしいですが、ひとつの曲を歌う時に頭の中にサウンドとかアレンジとかリズムとかが浮かぶそうです。いまでは自分で曲を作って、歌って自分で演奏して自分でプロデュース、アレンジするという人はたくさんいますが、サムの60年代最初にはほとんどいませんでした。
もっと言えばサムは自分のパブリック・イメージ、つまり世の中への自分の見せ方もしっかり作っていたような気がします。

とにかく歌を歌うことに関してはサムの独壇場で上手いのはもちろんなんですが、歌の説得力がすごくあり、次のラブソングも男の自分でさえこんな風に歌われたらそれは「ホレてまうやろ」になります。
昔僕もカバーしてレコーディングしていますが、聴いてもらえば僕が歌いたくなった気持ちわかると思います。
「もし、どんなに遠いところに行っても毎日君に手紙を書くよ。君への愛は変ることはないよ。君はとても大切な人で君はスイートなチェリーパイ、ケーキでアイスクリーム、シュガーそしてスパイス、僕の夢の女の子なんだよ」
スイートなラブソングです。
3.Nothing Can Change This Love/Sam Cooke
サビの最初にYou’re The Apple Of My Eyesと出てくるむんですが、この言葉は目の中に入れても痛くないほど大切な、可愛い人という意味で、この表現もいいです。

「また、土曜の夜がやってきた、そしてオレには誰もいないんだ。給料もらったから金はもってるんだけど。女の子とすごく話したいんだ。ひとりなんて最悪だよ」
お金があるのにせっかくの土曜日を一緒に過ごす彼女がいない。
4.Another Saturday Night/Sam Cooke
RCAレコードでヒットを連発して白人も巻き込みスターになっていく傍ら、サム自身のレーベル「SAR」からは黒人同胞のための音楽をつくり始め、サムはすごく忙しいシンガーであり、ソングライターであり、プロデューサーであり、そして会社を経営するビジネスマンとなりました。
黒人同胞へのサムの思いは当時の公民権運動、人種差別撤廃運動を通じてサムの中でどんどん大きくなっていきました。彼が亡くなる前に発表した次の曲はそういう差別や格差をなくして黒人に自由と貧困から脱出を願う彼のゴスペル曲だと僕は思います。
「川のそばの小さなテントで生まれ、その川の流れる様のように流れつづけてきた。そして長い月日が過ぎた。でも、もう変っていくんだ。きっと変っていく」
サムがこの曲に込めた自由と平等、格差差別を無くすことはいまだにアメリカで完全に実現されていません。ずっと差別され、貧しく、教育も受けられず、過酷な仕事につかされてきたけど、そろそろ時代が変って僕たちも幸せになれるはずだよという彼の思いはこの2020年になっても実現していないようです。最近のアメリカでの人種差別による暴動のニュースを知るとそうおもわざるを得ません。
5.A Change Is Gonna Come/Sam Cooke
1964年12月11日にサムはバーで知り合った女性とモーテルに入ってちょっと浮気をしょうとしたのでしょうか。その女がサムがシャワーを浴びている間にサムのサイフとかズボンを持って逃げました。それでサムはほぼ全裸で怒ってモーテルの管理人室に「あの女おらんか、隠してるやろ」と怒鳴り込んだのを、怖くなった女性の管理人がサムをピストルで撃ってサムはあっけなく亡くなりました。裁判で管理人は正当防衛で無罪になったのですが、いろいろと謎のあるサムの死でした。本当に残念な死です。