2018.05.25 ON AIR

ソウル・ジャズ・オルガンのパイオニア、ジミー・スミス

Jimmy Smith/Dot Com Blues(Blue Thumb Records  ユニバーサルUCCV-1005)

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ON AIR LIST
1.8 Counts For Rita/Jimmy Smith
2.Only In It For The Money/Jimmy Smith(vo.Dr.John)
3.Three O’Clock Blues/Jimmy Smith(vo.B.B.King)
4.Dot Com Blues/Jimmy Smith

今日はジャズのオルガン・プレイヤー、ジミー・スミスを聴いてみようと思います。ジミー・スミスはジャズというカテゴリーに入ってますが、かなりブルーズ寄りの人でしかもファンキーでファンク的な要素も強い人なのでこの番組を聴いているみなさんも好きになるのでは・・・と思って今日はジミー・スミス!
今日聴いてもらうのは僕がブルーズ・ザ・ブッチャーのツアー途中、中古レコード店で安く買ったものです。たまたま手に取ってジャケット裏のクレジットを見たらドクター・ジョンとかB.B.キングがゲストに入っていたので、もうこれはゲット!
2001年にリリースされたジミー・スミス75才で彼の晩年のアルバムなんですが、75才とは思えない潑溂としたプレイが聴けます。
このアルバムは基本的にオルガンのジミー・スミス、ギターのラッセル・マローン(1988年からジミー・スミスのバンドに参加してハリー・コニックJr.やウィントン・マリサラスなど主にジャズ・フィールドで活躍)ベースのレジー・マクブライド(エリック・バードンやケブ・モ、リッキー・リー・ジョーンズの録音に参加)、パーカッションのレニー・カストロ(この人もよく見かけるセッションマンでエリック・クラプトンやB.B.キングのアルバムでも名前を見ます)、そしてドラムのハーヴィ・メイソン(60年代からアレサ・フランクリンやエスター・フィリップスのアルバムに参加)というメンバーが核になって、そこにいろんなゲスト・プレイヤーを入れて録音されたものですが、まずはその5人でやっているファンキーなインストの曲から

1.8 Counts For Rita/Jimmy Smith
いまの曲もブルーズを少しデフォルメした曲でしたが、僕がジミー・スミスが好きになった理由はそのブルーズの度合いがかなり強かったからだです。
元々ジミー・スミスはピアノでジャズの世界に入ったのですが、1950年くらいからオルガンでジャズをやるようになりすぐに人気が出てブルー・ノートからデビューしてかなりたくさんのアルバムを残しています。スタイルはほとんど変っていないのですが、やはり彼が持っているファンキーさとグルーヴが聴く者をウキウキさせるところがあり、これはアカンなというアルバムはあまりないです。
次の曲はドクター・ジョンをゲスト・ヴォーカルに迎えてます。ドクターもオルガンをよく弾きますが、この録音ではピアノを弾いてます。
2.Only In It For The Money/Jimmy Smith(vo.Dr.John)
気持ちのいい4ビート・シャッフルのブルーズ。

ここでちょっとオルガンという楽器に触れたいと思いますが、日本ではピアノとかエレキ・ピアノ、またシンセサイザーといった鍵盤楽器は馴染みがあるのですが、オルガンはあまりみかけません。アメリカではとくに黒人音楽の世界では元々教会にオルガンが常設されていることが多いのでソウルでもファンクでも、黒人音楽では当たり前の楽器になってます。立派な教会にはパイプ・オルガンという高価なオルガンがあるのですが黒人教会ではそれを買うことができないのでハモンドという会社のハモンド・オルガンを使うことが多いです。オルガンにはレスリー・スピーカーという回転するスピーカーを使うことが多く、その回転スピーカーの音で変化のある深みのある音が出てます。オーケストラ的な役割をする楽器です。
小学校の頃教室にあったオルガンとはまったく違うものです。
黒人音楽ではすごく馴染みのある楽器でジミー・スミスのようにオルガン・プレイヤーとして名のある人が、いま想い出すだけでもソウルのブッカーT.ジョーンズ、ビル・ドゲット、ジャック・マクダフ、ジミー・マグリフといます。ジャズの世界ではやはり今日のジミー・スミスが有名で・・・そういえばロックのディープ・パープルはオルガン使ってました。プロコル・ハルムも・・。

次はB.B.キングがゲストで入っているB.B.の十八番
3.Three O’Clock Blues/Jimmy Smith(vo.B.B.King)
このアルバムにはドクター・ジョン、B.B.キングの他にもエタ・ジェイムズ、ケブ・モ、タジ・マハールが参加しています。
僕は1976年頃にアメリカでジミー・スミスのライヴを見たことがあるのですが、実は72年の彼のアルバムに「ルート・ダウン」という、ギターのアーサー・アダムスとかクルセーダースのフィルトン・フェルダーとかドラムのポール・ハンフリーといった腕ききのメンバーが参加したライヴアルバムがあってそれが大好きやったんです。それでジミー・スミスのライヴがあるというのでロスでクラブを探して観に行ったんですが、そんなに立派ではないクラブでお客さんもあまりいなくて大丈夫かと思ったんですが、素晴らしかったです。ベースがいなくてジミー・スミスがオルガンの足で踏んでベースをやり、あとはドラムとギターという3人編成ですが、ブルーズっぽくてファンキーで最後にジミー・スミスが自分の頭でオルガンを弾いておもろかったです。しかも、ジミーの頭の上の天井に鏡がついていてジミーの手の動きが客席から見えるようになっていて楽しかった。
では、最後にアルバム・タイトル曲を聴いてください。
4.Dot Com Blues/Jimmy Smith

2001年リリースされたオルガン・プレイヤー、ジミー・スミスのブルージーでファンキーなアルバム「ドット・コム・ブルーズ」を聴きました。彼は2005年に79才で亡くなりましたが、ジャズ・オルガンのパイオニアであり、”The Cat”とかギターのウエス・モンゴメリーとデュオの「ダイナミック・デュオ」とか”The Sermon”というアルバムも素晴らしいです。
音楽性の根っこがブルーズな人なのでブルーズ好きな人も気に入ると思います。

2018.05.18 ON AIR

LPレコードでブルーズを聴くシリーズ
Ain’t Nothing You Can Do/Bobby Bland (Duke – DLP-78)
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ON AIR LIST
1.Ain’t Nothing You Can Do/Bobby Bland(A-!)
2.Reconsider/Bobby Bland(B-4)
3.Blind Man/Bobby Bland(B-5)
4.Black Night/Bobby Bland(B-6)
5.Today/Bobby Bland(A-3)

ブルーズ・シンガーとして実力そして人気も頂点を極めていた60年代初中期のボビー・ブランドを代表する一枚「Ain’t Nothing You Can Do」
1964年デューク・レコードからリリース。当時ブランドは34才、もうブイブイです。興奮した女性がハンカチもってステージに上がり、ブランドの顔の汗を拭いている写真が残ってますが、たぶんその頃でしょう。同じメンフィスから名前を上げたジュニア・パーカーもB.B.キングも人気が安定した頃で、この人たちがみんな本当に歌が上手い。
そして、これはジャケットが面白いので小さなCDではなくできるならLPレコードでゲットしてください。一層楽しめます。

では一曲目アルバムのタイトル曲の”Ain’t Nothing You Can Do”
「頭が痛い時は薬飲めば治るし、休んだら気分はまたよくなる。背中が痛かったらマッサージしてもらえばいい、けど心の痛みはどうすることもできんよ」
1.Ain’t Nothing You Can Do/Bobby Bland
とてもかなわないゴスペル出身のダイナミックな歌い方を感じます。

次の”Reconsider Baby”はウエストコーストのブルーズマンのロウエル・フルソンがオリジナルです。僕もカバーしていますが、いかにもブルーズという感じの名曲だと思います。何度歌っても難しい曲です。
ロウエル・フルソンの武骨な歌もいいですが、しっかりとアレンジされたこのボビー・ブランドのカバーも素晴らしいです。
「さよなら、君が行ってしまうのをみたくはないけど。ずっと一緒にやってきたけどこうやって別々の道をいくやね。前は愛してるって言ってくれたけど君の気持ちはもう変ってしまったんやね。もうちょっと時間かけて考え直してくれへんか」という歌詞ですが、いつも言うてますが、女性の心はそうなったら変りません。
2.Reconsider/Bobby Bland
今日聴いてもらっている60年代のボビー・ブランドのデューク・レコード時代はしっかりアレンジされたホーン・セクションがついてゴージャスなアレンジになっています。いわゆるギター・サウンドのブルーズマンとは違うので違和感をもつ方もいる思います。実際、ブランドはコテコテのブルーズマンで売られていたわけではなく、ホーンセクションもありのややジャズ風味もソウル味も入った曲なので「よくわからなぁ」と思う方もいると思います。でも、基本ブルーズです。
チトリン・サーキットというのがあり、黒人のクラブばかりをまわるツアーのことですが、その黒人クラブではB.B.キングをしのぐ人気がありました。いわゆる黒人に訴える黒っぽさみたいなものがあるんです。

次はリトル・ミルトン、スティーヴ・ウィンウッド、グレッグ・オールマンなどカバーも多いボビー・ブランドの名曲。僕もブルーズ・ザ・ブッチャーのアルバム”3 O’Clock Blues”でブランドの”I Pity The Fool”をカバーして録音しましたが、ボビー・ブランドはいわゆるモダン・ブルーズ・シンガーのスタンダードなひとりで彼の歌をカバーするというのはひとつの憧れであり、挑戦であるわけです。もちろん彼ように歌えるわけはないんですが、挑戦してもいいかな・・と思えるくらいにはなれたかなと思ってカバーしました。だから、ブルーズを歌う人たちがブランドの曲をカバーする時にはそれなりの畏敬の念をもってやっていると思います。

3.Blind Man/Bobby Bland

ボビー・ブランドは曲も書かない、楽器も弾かない、ただ歌うだけのいわゆるスタンダップ・シンガーであるが故に、日本では本当に理解されていなくて昔来日した時もお客さんが少なかったです。B.B.キングと同期のブルーズマンでメンフィスでは互いにしのぎを削った仲ですが、B.B.はギターという歌以外のもので白人や日本人の中に入りこんで人気を得たということがありますが、ブランドはそれがない。歌だけですから、でも、ブルーズはギターではなくて歌、歌が主体なんですが・・・残念ながら亡くなったいまもブランドはなかなか日本で理解されません。
ふくよかな声を縦横無尽に使う歌のテクニックは群を抜いているし、素晴らしい曲もたくさんあるんですが・・・。

次はウエストコーストのピアノ・ブルーズマン、チャールズ・ブラウンが1951年にチャートの1位にしたブルーズの名曲ですが、このブランドのカバーも素晴らしい歌です。
「誰もオレのことなんか気にしていないし、友達もいない。彼女にもフラれた。こんなドツボがいつまで続くんやろ。ブラックナイト、暗い夜が始まる。とてもひとりになりたくない・・」と、彼女がいなくなってからずっとブルーな日が続くというブルーズの極みみたいな歌ですが、50年代ウエストコーストに住む孤独な黒人たちがこの歌にすごく共感したんでしょうね。
暗い夜が降りて来ると歌い始めるボビー・ブランドの歌のディープさを味わってください。
4.Black Night/Bobby Bland
もう7分くらいの力で歌っている感じです。
パワフルに歌ってももこんな風にすこし力を抜いて歌っても、元々もっている声がいいので・・なんか腹立つくらい楽勝で歌ってます。

今日聴いてもらったボビー・ブランドやB.B.キングを聴いているとやはりブルーズ界の大きな光を失くした感じがします。ブルーズという音楽がそれでなくなるわけではないんですが、ブルーズを追いかける者にとって目標となる大きな光がなくなっていくのは辛いですね。今日は偉大なブルーズ・シンガー、ボビー・ブランドをLPレコードで聴きました。

2018.05.11 ON AIR

レコードで聴くソウル名盤
追悼:南部の真のソウル・シスター デニス・ラサール Denise LaSalle

Trapped By A Thing Called Love/Denise LaSalle (WESTBOUND WB 2012)
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ON AIR LIST
1.Trapped By A Thing Called Love/Denise LaSalle(A-1)
2.Catch Me If You Can/Denise LaSalle (A-5)
3.Do Me Right/Denise LaSalle (B-2)
4.The Deeper I Go(The Better It Gets)/Denise LaSalle (B-3)
5.Hung Up,Strung Up/Denise LaSalle (B-1)

2018年1月8日に本当にサザンソウルらしい女性シンガー、デニス・ラサールが78才で逝去しました。
大好きな歌手だっただけに本当に残念です。
デニス・ラサールが同時代の女性ソウル・シンガーと違うところは、作詞作曲が出来たということです。もちろん他にもローラ・リーやキャディ・ステイトンという女性たちもソング・ライティングができるシンガーでしたが、ラサールほどどの時代にも黒人たちに支持され続けた人はいないのではないだろうか。
1939年ミシシッピーのグリーンウッドに生まれてミシシッピーで育った彼女の奥底にはもちろんブルーズもたっぷりあった。
15才の時にシカゴに出てきてそこで3年間ゴスペルグループに在籍して、それが彼女の音楽の実質的な出発となっている。その後シカゴのマイナー・レーベルから”Love Reputation”という曲でデビュー。その後シカゴと言えばそうチェス・レコードで録音するのだけど、ヒットはせずシングル3枚で終わる。
彼女のすごいところはここからで、ビル・ジョーンズというのちに旦那さんになる人と「クレイジョン」というレーベルを立ち上げ、70年代に入ると自分の歌はシカゴソウルよりもメンフィスの方が合うと感じてメンフィスの「ハイ・レコード」のプロデューサー、ウィリー・ミッチェルのところに駆け込む。ウィリー・ミッチェルと言えば、70年代にアル・グリーンやO.V.ライト、オーティス・クレイ、アン・ピープルズを録音してヒットを連発した敏腕プロデューサー。そのウィリー・ミッチェルにプロデュースしてもらった曲が71年R&Bチャートの1位になる。この曲も彼女の自作の曲です。
1.Trapped By A Thing Called Love/Denise LaSalle

タイトルのTrapというのは最近日本でもよく言うハニー・トラップ°(女性を使って男を誘惑して罠にはめる)のことで、つまり罠にはめる。Trapped By A Thing Called Loveだから恋という名前の罠にハマってしまった。嘘をつきたくないのに嘘をついたり、泣いてみたり、彼に電話をしてしまう・・まあ恋と言う名の罠に私はどんどんハマってしまう。どうしょうもなくずふずふと恋に溺れる女性の歌です。いいですよね、恋愛にハマった時のどうしょうもない気持ちって・・・・なんかね。
それでいまの曲がタイトルになった最初のアルバム「Trapped By A Thing Called Love」が72年にリリースされます。
今日はそのTrapped By A Thing Called Loveを中心に聴きたいと思います。
この最初のアルバムからずっと追いかけて聴いているんですが、歌声の質と歌い方が僕の好みなんですよ。同じメンフィスのハイレコードで録音していたアン・ピーブルズもそうなんですがあまり歌い上げない歌手なんです。アレサとかパティ・ラベルは歌い上げがすごいんですが、歌上げる時に聴いててしんどい時があるんですね、僕は。ちょっと淡々とした感じがあるところがデニスのいいとこだと思います。
「時間は待ってくれない。私も待てない。決して鳴らない電話の前で私はひとり座っている。私の涙はすべてムダね。私は行くわ。もし、あなたがつかまえてくれるなら私をつかまえて、愛して」
こりも女性に受けるでしょう。まあ男が聴いてもぐっときますけどね。
2.Catch Me If You Can/Denise LaSalle
次はちょっとアップ・テンポの曲なんですが、実は70年代中頃からポピュラーミュージック全体がディスコ・ブームになった時があって、デニス・ラサールもディスコ調の曲をリリースしました。彼女自身もたぶん自分のいちばんいい歌はディスコものではなく、今日聴いているような南部のソウルの感じがあるものだと思ってたはずです。でも、たぶんショー・ビジネスを生き抜いていくには、ディスコものをやらなくては仕方のない時期だったのでしよう。
いまから聴いてもらうのは、ABCレコードから77年にリリースのアルバム”Bitch Is Bad”(すごいタイトルですが)に収録されているディスコ調なのですが、どうしても南部の匂いがしてしまうジャンプ・ナンバーです
3.Do Me Right/Denise LaSalle
なんかやっぱりね、いい意味でイナタイんですよ。完全に洗練されないんですよね。

彼女はアレサ・フランクリンを尊敬していてインタビューでよくアレサの名前を出しているのですが、ミシシッピーにいた小さい頃好きで聴いていたのはダイナ・ワシントンやルース・ブラウンだったそうで、僕はどちらかというとアレサよりそのふたりの影響を感じます。
次は一曲目のTrapped By A Thing Called Loveの続編みたいな曲です。デニスは子供の頃、好きで物語を書いていたらしいんですが、次の曲の歌詞にちょっとその片鱗を感じます。
「ある連中は「わからんわ」って頭を振る。私がある男の罠にひっかかるのをわからんわって頭を振る。でも、私はQuick Sand(流砂)の中にいる(ズフズブと落ちて行く)でも、私はそこ(流砂)にいたいから大丈夫なんよ。私はどんどん深く男の穴に落ちて行く、でもね深く入れば入るほどいいことをゲットするのよ、ほんとにそうよ」
流砂にどんどん深く入っていくなんていう表現がいいです。
4.The Deeper I Go(The Better It Gets)/Denise LaSalle
次の歌も好きになってどうしょうもない気持ちの歌です。
「貴方と別れて誰か新しい人をと自分自身に言うの。でもいつもあなたと別れようとするとあなたは笑ってみせる。あなたはダメなんだけど恋人。私は新しい人を見つけられないってわかっている。あなたは私を引き止め、気持ちを高ぶらせて、私を夢中にさせる」
5.Hung Up,Strung Up/Denise LaSalle

70年代後期はレコード会社もなかなかうまくプロモーションしてくれなくて彼女も苦労してましたが、シカゴとメンフィスあたりでライヴ活動は活発にやっていたようです。そして、82年ミシシッピーのジャクソンにある「マラコ・レコード」から曲の依頼が来ます。ソング・ライターとしての彼女の力は南部のミュージシャンやプロデューサーには認められていたからです。マラコ・レコードはマイナーレーベルですが、数多くの素晴らしいブルーズ、ソウルをリリースしてきたレーベル。それで彼女はZ.Z.ヒルはじめマラコのいろんなミュージシャンに曲を提供しながら自分も歌い始めます。
そこからは南部の人たちの強い支持を受けて、いい第二の人生が開けて行きました。

晩年病気になり足が悪くなってイスに座って歌う映像がネットに出てます。それでも歌は素晴らしい。僕は2004年に来日したライヴを一回だけ見たのですが、典型的なソウルショーっていう感じで良かったです。
彼女は振り返れば、すごくいいミュージシャン人生だったのではと思います。いろんな人が彼女の曲を歌っているし、それはずっと残るし、サンプリングもされて若い人にも聴かれているし・・。
是非みなさんも探してください・・・デニス・ラサール

2018.05.04 ON AIR

Rick Hall
追悼 リック・ホール(魔法のマッスル・ショールズ・サウンドを作った男)第3週

The Fame Studios Story 1961-1973 (KENT BOX12 P-Vine Records)


 
ON AIR LIST
1.Hey Jude/Wilson Pickett
2.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins
3.Walk A Mile In My Shoes/Willie Hightower
4.Patches/Clarence Carter
5.You Left The Water Running [Unedited Demo Version]/Otis Redding

 

1960年代から70年代にかけてアメリカのポピュラー・ミュージック界に大変大きな功績を残したリック・ホール。彼が残した音源をいろいろ聴いて今回で特集三回目です。
リック・ホールはアラバマ州のマッスルショールズという田舎町でフェイム・スタジオというスタジオを建て、いろんなミュージシャンの録音をしてきたプロデューサーであり、エンジニア。
「男が女を愛する時/When A Man Loves A Woman」「ダンス天国/Land Of 1000 Dances」「あなただけを愛して/I Never Loved A Man (The Way I Love You)」とか彼の手によってたくさんのソウル・ミュージックのヒットが生まれました。
実は彼のスタジオでスタジオ・ミュージシャンとして活動していたのはほとんど白人ミュージシャンでした。僕がこういう音楽を好きになった70年代初めはまだまだいろんな情報がなくて、黒人音楽を作っているのはみんな黒人だろうと思ってました。ところがある時フェイムスタジオのレコーディング風景を撮った写真を見たら写っているのがほとんど白人。かなり驚きました。ドラムのロジャー・ホーキンスに至っては眼鏡をかけてちょっとダサいファッションの勉強ばっかしてきたような白人で・・・本当にこれがロジャー・ホーキンスかと思いました。
そして、同じようにこのフェイムでスタジオ・ミュージシャンをやっていたのが、やはり白人のデュアン・オールマンでした。
僕はブルーズを始めとする黒人音楽の世界に入り込む直前、ブルーズロックの「オールマン・ブラザーズ」のカバーを歌っていました。そのオールマンの中心であったデュアン・オールマンがオールマン結成以前、スタジオ・ミュージシャンをやっていたことは知っていたのですが、そのスタジオがこのリック・ホールのフェイム・スタジオだったことはその時まで知りませんでした。
デュアンのそのスタジオ・ワークの中でも有名なのがこれから聴くウィルソン・ピケットが歌った”Hey Jude”。ビートルズのカバーです。この曲をウィルソン・ピケットに歌うように薦めたのはデュアンだったそうです。ピケットは「なんかようわからん曲やなぁ」と言いながらも歌い始めると、デュアンのギターに触発されたのか持ち前のシャウト唱法を織り込んだ素晴らしい歌を残しました。
1965年にメンフィスのスタックス・レコードで1968年録音 ウィルソン・ピケット
1.Hey Jude/Wilson Pickett
デュアンのこともギターも気に入ったピケットはデュアンに「スカイ・ドッグ」というあだ名をつけました。気難しいと言われたピケットがデュアンにそしてフェイムのスタジオに心を開いて録音されたこの曲はウィルソン・ピケット久々のヒットとなりました。
優れたミュージシャンに黒人も白人もない、人種は関係ないということをFAMEの音楽は教えてくれています。

次の曲は女性ソウルシンガー、エタ・ジェイムズの歌で知っている方が多いかも知れません。僕も最初はエタ・ジェイムズで知ったのですが、今日はFAMEレコードでリックホールが録音したスペンサー・ウィギンスの素晴らしいヴァージョンを聴いてください。
スペンサー・ウィギンスは昨年春に来日しました。年老いて昔のようなパワーはありませんでしたが、それでも彼の身についたサザン・ソウルの重みを充分感じられるいいステージでした。彼は60年代サザン・ソウルを代表する偉大なシンガーのひとりで、当時在籍したゴールド・ワックスというレーベルで録音された音源を集めた名盤”Soul City U.S.A”は、ソウル・ミュージックの貴重な一枚です。そのゴールド・ワックスをやめてリック・ホールのFAMEと契約した時の最初のシングル「ダブル・ラヴィン」のB面がいまから聴いてもらうこの曲です。「あなたが他の男と去って行くのを見るくらいなら目がみえなくなった方がいい」という愛と絶望が入り混じった名曲です。
2.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins

次のウィリー・ハイタワーというソウル・シンガーは日本ではあまり知られていない人ですが、僕のお気に入りで素晴らしいシンガーです。
3.Walk A Mile In My Shoes/Willie Hightower

フェイム・スタジオで録音された曲の中でもこの曲はやはり外せません。クラレンス・カーターの「パッチズ」
リック・ホールが録音した中でも、クラレンス・カーターが歌った中でも、ソウル・ミュージックの歴史の中でも僕はこの歌が不滅の曲だと思います。
貧しいアラパマの農家で育った黒人の男の子のあだ名が「パッチィズ」つぎはぎをあてた貧しい身なりだったので付けられたあだ名が「つぎはぎ」つまり「パッチィズ」。貧しい家庭だったけど、お父さんは一生懸命働いて家族を養っていた。ところがお父さんが急に病気になってもうダメだという時に長男である息子の「パッチィズ」を枕元に読んでこうい言う「パチィズ、オマエだけが便りだ。家族のことはオマエに頼む。オマエに任せたよ」そう言ってお父さんは死んでしまう。パッチィズはお父さんと同じように真面目に毎日毎日働き詰めに働いた。それしかできることはなく、長男として家族みんなに頼りにされていることよくわかっていた。そして、辛い時にはいつもオヤジの言葉を想い出す・・・「パッチィズ、頼むよ」
貧しい家庭に育った黒人たちがほとんどの時代、とくに南部ではみんな子供の頃から農場で働いているわけですからこの歌に共鳴した人たちがたくさんいたんですね。
1970年トップテンに入る大ヒットになりました。
4.Patches/Clarence Carter
いつもこの歌を聴くと泣けてしまうんですが・・・。でも、僕が子供の頃の日本もまだまだ貧しくて、でもほとんどの父親母親は真面目に働いて働いて家族を養っていました。贅沢というのはほとんどの家庭では年に何度もなく・・・僕の家も金持ちではなく小遣いも少なかったので牛乳配達を学校に行く前に早起きしてやってました。でも、友達の中には小遣いが少ないのではなくて家計を助けるために新聞配達や牛乳配達してる友達もいました。そういう友達がいまどうしているかな・・・とこういう曲を聴くと思います。

こうして三週に渡って亡きリック・ホールというアラバマのひとりの男が作った自分のFAMEスタジオで作られた音楽を聴いてきたわけですが、まあ彼の周りにはダン・ペンとかスプーナー・オーダムといった優れたソング・ライターたちと録音のメンバーだったドラムのロジャー・ホーキンス、ベースのデビッド・フッド、キーボードのバリー・ベケット、ギターのテリー・トンプソンといった優れたミュージシャンがいたからできたことなんですが、やはり真ん中にリック・ホールという信念のある人がいたからこそだと思います。

最後に一曲、サザン・ソウルといえばいちばん有名なのはオーティス・レディングだと思います。そのオーティスが先週聴いてもらったアーサー・コンレーの”Sweet Soul Music”のプロデュースをするのにFAMEに来た時に、自分でデモ・テープを残したのがいまから聴いてもらう曲。結局、アーサー・コンレーにデモを作ったのにアーサーは歌わなかったみたいです。このオーティスのデモがほとんどギターだけで歌われているのですが。すごくいいので聴いてください。
5.You Left The Water Running [Unedited Demo Version]

今回ON AIRしたアルバムは”The Fame Studios Story 1961-1973”というCD三枚組です。解説にはFAMEスタジオが出来上がる前の話からリック・ホールの人となり、録音の裏話など興味深いことがたくさん書かれています。日本盤ではそれを和訳したブックレットがついています。FAMEスタジオにどうしてアレサ・フランクリン、エタ・ジェイムズ、ウィルソン・ピケット、そしてゴスペルからロックのローリング・ストーンズまでがFAMEの音を求めて録音に行ったのか、この3枚組を聴いてもらうとわかります。
オーナーであり、プロデューサーであり、エンジニアでもあったリック・ホールは信念のある人で、ある意味頑固な人だったのでミュージシャンやスタッフと衝突することも多々あった人ですが、やはり彼が残したこれだけの素晴らしい音楽を聴くと偉大というしかないです。
もしレコード店でこの”The Fame Studios Story 1961-1973”を見つけたら、迷わずゲットしてください。間違いないです。