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2016.09.23 ON AIR Lil Son Jackson

Lil’ Son Jackson~テキサスの素朴なブルーズマン

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Lil Son Jackson/Rockin’ An’ Rollin’(Imperial)

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Lil Son Jackson/Lil Son Jackson(Arhoolie/P-Vine PCD93734 )

ON AIR LIST
1.Roberta Blues/Lil’ Son Jackson
2.Rockin’ and Rollin’/Lil’ Son Jackson
3.Mr.Blues/Lil’ Son Jackson
4.Turn Your Lamp Down Low/Lil’ Son Jackson
5.Rocky Road//Lil’ Son Jackson

前回のライトニン・ホプキンスの流れから同じテキサスのカントリー・ブルーズマン、リル・サン・ジャクソン
リル・サン・ジャクソンはライトニン・ホプキンスやジョン・リー・フッカーやロバート・ジョンソンから受けるような強烈な衝撃はないのですが、何とも言えない素朴な魅力があります。テキサスの田舎のジュークジョイントで週末の夜に、一杯やりながらのんびり演奏しているようなダウンホーム感はこの人独特のものです。
歌もギターも卓越した技があるわけではないのですが、ギターのリズムがすごくいいのでそのグルーヴだけで充分です。
まずは一曲聞いてください。1948年リル・サン・ジャクソン初めてのレコーディング曲です。
Roberta Blues

リルはリトルのことですが、本名はメルヴィン・ジャクソン。リル・サンですから、まあジャクソンさんとこのちっこい息子という感じかな。
彼はテキサス州のタイラーという街で生まれてます。タイラーというその知らない街を調べてみました。検索するといちばん最初に出てくるのがバラで有名な街で、アメリカいちばん大きなローズガーデンがあるようです。ブルーズとは関係ないのですが、ガーデニングに興味のある僕としてはまずぐっと惹かれました。写真を見ると街のいろんなところに花が咲いていてすごくきれいな街で行ってみたいですね。
しかし、やはり昔は綿花畑が一面にあったようでリル・サン・ジャクソンの親は多くの黒人と同じようにシェア・クロッパー(小作人)として綿花畑で働いてました。でも、お父さんはブルーズが好きで、おかあさんはゴスペルが好きでギターを弾いて歌ってた音楽好き一家だったようです。彼も仲間と”Blue Eagle Four”というグループを作ってスピリチュアルズとかゴスペルを歌っていました。
このタイラーと言う街は大きな街のダラスから約160キロ東でとなりのルイジアナ州のシェリヴポートという大きな街との真ん中くらいにあります。
テキサスと言えばブラインド・レモン・ジェファーソンの出身地ですから、もちろんジャクソンも聞いていたのですが、すごく好きなブルーズマンはロニー・ジョンソンだったらしいです。ロニー・ジョンソンはB.B.キングも大好きだったんですが、本当に人気のある人で20~30年代のギターを持ったブルーズマンはよく名前を上げます。

彼は車が好きだったようで車の整備工をやっていたこともあり、1960年アーフリーレコードからリリースされたアルバム”Lil’ Son Jackson”のジャケ写は、彼が整備工場で油にまみれた整備服を来て写っています。
軍隊でヨーロッパに行って、帰ってきてからはハウスパーティなんかで小遣い稼ぎしてたらしいですが、四つ違いのライトニンがゴールドスターからレコードを出して売れ始めていたので、「よっしゃ、オレも一発やってみよか」となったんでしょう。
1950年にはRockin’ and Rollin’  がヒット。この曲はのちにB.B.キングなどが”Rock Me Baby”と替えてヒットしたその原曲です。
Rockin’ and Rollin’

彼はRockin’ and Rollin’が売れてから弾き語りではなく、バンドをつけて演奏するようになります。ドラム・ベースにピアノ、サックスなんか入ってくるんですが、これがあまりいい効果を出さなくて、どっちかというと彼の飄々とした感じがなくなってしまって、普通のよくあるブルースになってしまった
Mr.Blues

まあ、悪くはないですが、1.2曲目にあったかれの素朴さが無くなってしまっているような・・。
それでも彼はバンドでやることが気に入ってたので、バンドとツアーを回っていたんですが、ある時車の運転手が居眠りをして交通事故に遇うんです。この事故がきっかけで彼は音楽をやめてしまい車の整備工になってしまう。よくあるんですよ、ブルーズとかR&Bを歌ってて事故にあったりすると、邪悪な音楽をやっているから神様に見放されてそういう目に会うんだということでやめてしまう人が。
それが1960年に「フォーク・ブルーズのリバイバル」が来て、再び彼は探し出されてアーフリーレコードで録音されます。そのジャケットがさっき言った整備工の格好で写っているやつです。この時まだ45才ですからほとんど衰えてないです。そのアーフリーのアルバム”Lil Son Jackson”から一曲
Turn Your Lamp Down Low
これは”Bay Please Don’t Go”ですよね(笑)

でも、このアーフリー・レコードで一枚だけアルバムを出したあと、彼はまたプツと演奏をやめて以後音楽に戻ることはなく、76年にテキサスのダラスで61才で亡くなりました。
なんかすごく惜しい気がしますけどね。これだけ歌えるのやからあと何枚かアルバムを残してもよかったんでしょうが・・・。でも、それが彼の生き方やったんでしょうね。整備工やりながら日曜日には教会へ行く。その教会でスピリチュアルを歌っていたかも知れません。それが彼にとって平穏な、望んでいた人生やったかも知れません。
最後にもう一曲、「オレは6才の頃からずっと岩だらけの道を旅している。友達も知合いもなく、オレには行くところもない。まだほんのガキの頃にオレは時々考えたよ。人生なんて生き続ける価値なんか何にもないんやないかって。みんなと同じようにこの世はしんどいことばかりに見えた。セディ・リーという可愛い彼女に会うまでは」
Rocky Road
21世紀、2016年私は自分の部屋でリル・サン・ジャクソンを聞きながら彼が生まれ、育ったテキサス、タイラーという知らない小さな街に思いを馳せるわけです。すると、テキサスのタイラーという小さな街の街角で歌っているリル・サン・ジャクソンが目に浮かんでくるんですよ。僕は自分が好きになったブルーズや歌を歌っているその人自身のことも知りたくなるんですね。大げさに言えばどんな生涯を送って、この曲はいつ作ったんやろかとか・・。そんなこと調べて知ってもあまり役には立たないですけどね。なんか個人的にはすごい幸せな時間なんですよ。
たぶん、この番組を聞いていなかったら、一生で出会わない歌がブルーズがたくさんあると想います。これからもこの番組からブルーズの世界に入っていってください。

2016.09.16 ONAIR Lightnin’ Hopkins

ライトニン・ホプキンスのブルーズ常習性

The Very Best Of Lightnin’ Hopkins(RHINO R2 79860)

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1.Mojo Hand/Lightnin’ Hopkins
2.Katie Mae Blues/Lightnin’ Hopkins
3.Moanin’ Blues/Lightnin’ Hopkins
4.Baby Please Don’t Go/Lightnin’ Hopkins
5.Fan It/Lightnin’ Hopkins

 

 

 

 

少し前にジョニー・ギター・ワトソンをこの番組で聴きましたが、ジョニー・ギターを聴いていたら彼のテキサスの大先輩ライトニン・ホプキンスを聴きたくなって今日はライトニンです!
なんか周期的にそれも短いスパンでライトニンを聴きたくなるんですよ、僕は。
僕はかなりたくさんライトニンの数アルバムもってます。それでも、まだまだアルバムがあるブルーズマンなんですが、でも、どのアルバムも音楽的にすごい変化はないんですよ。逆にいうとどれも結局ライトニンなんですが(笑)ひどいアルバムがあまり無い人でなんかジャケット見ると買ってしまいたくなってしまうんです。なんか常習性のあるブルーズです。

僕の周りのほとんどの人はライトニンの最初のこの曲を聴いてやられてしまいました。「ルイジアナにモジョ・ハンドをゲットするために行くんだ」と歌い始めた途端のグルーヴ感とクールな空気感が一瞬のうちに聴く者の心を捉えてしまうブルーズの名曲のひとつです。Mojo Handとはヴードゥー教のお守りのことで持ってるとバクチに勝てるとか女性に持てるとか・・そういう力が持てるというものです。
Mojo Hand
かっこいい!と思わず言ってしまうかっこ良さです。1961年にファイヤーというレーベルからリリースされたシングル”Mojo Hand”

ライトニンは1912年生まれ。子供の頃憧れのブルーズマンはダラス出身の偉大なブルーズマン、ブラインド・レモン・ジェファーソン。同時代のアメリカ黒人と同じように小さい頃から畑仕事をやらされて、少ない賃金で働いていた。ブルーズを始めるのは、すでに地元で少し売れていた従兄弟のテキサス・アレキサンダーとデュオを組んでから。どうしても畑仕事をするのが嫌なライトニンは音楽とギャンブルのふたつでその日暮らしを続けていたが、40年代後半30代半ばに、ウィルソン・サンダー・スミスというピアニストと「サンダー&ライトニン」というデュオを組む。「雷と稲妻」ですよ。漫才のトリオみたいですが・・・。このデュオでリリースした”Katie Mae Blues”がファースト・シングルです。
「ケイティ・メアはいい女なんよ。みんながあの娘は夜遊びなんかしないと言うてる。最後の1ドルをあの娘に賭けてもええよ。ケイティ・メアはよくしてくれる」ここでもbet、賭けるというギャンブルの言葉が出てきるところがギャンブラーのライトニンらしいです。
Katie Mae Blues

僕がライトニンをめっちゃ好きになった最初にぐっと心に入ってきたのがいまから聴いてもらうようなライトニンのスロー・ブルーズでした。
これはMoan呻くブルーズと言うタイトルで「泣かずにはいられない。オレの女が遠くへ言ってしまった」女に逃げられてモーン、うめいているブルーズです。2分30秒のギターと歌の中に女に逃げられた悔しさと悲しさが詰め込まれてます。
Moanin’ Blues
テキサスで生まれ、テキサスで育ち、テキサスで人気者になり、テキサスで亡くなったライトニンは同じテキサスのT.ボーン・ウォーカーやゲイトマウス・ブラウン、アルバート・コリンズが憧れたブルーズマンでした。写真とか映像を見てもらうとよくわかるんですが、見た目もかっこええんですよ。サングラスかけて、着ているシャツなんかもオシャレで着方もいいです。いわゆる「いなせ」な、粋でおとこっぽくて・・アウトローの匂いがある。
そのアウトローのかっこ良さが同じテキサスの後輩ジョニー・ギター・ワトソンまで受け継がれている感じがします。
次のブルーズはいろんなブルーズマンがカバーしているのですが、やはりこのライトニンのが僕はいちばん好きです。タイトルそのままの歌です。「ベイビー、行かないで」
Baby Please Don’t Go

では、もう一曲。ライトニンのギター・グルーヴが素晴らしい曲です。R&Rにも通じるダンス・ミュージックのグルーヴがライトニンひとりのギターで演奏されてる。細かいフレイズを弾いた後もリズムが崩れない素晴らしさ。こういう曲を聴くとブルーズは弾き語りの時代からダンス・ミュージックだったことがわかると思います。実際ライトニンの映像には野外パーティでライトニンのこういう曲でみんなが踊ってるシーンが出てきます。この映像を是非一度見てください→”The Blues According To Lightnin’ Hopkins” 「ライトニン・ホプキンスのブルース人生」(P-Vine)
Fan It

1982年にライトニンは70才でこの世を去りました。一度だけ来日した時も心に残るブルーズを歌ってくれました。たぶん、故郷のテキサスのクラブでもこんな感じでやったるんやろな・・という自然体のライトニン・ブルーズでした。
人間の喜怒哀楽という感情はもちろん、ずるさや悔しさや悪さ、嘘とだまし、素朴さや叙情、そして踊り出したくなるようなファンキーさもライトニンのブルーズにはあります。そして、そういう感情を彼はその場の即興性をふんだんに使って表現できる見事なブルーズマンでした。

2016.09.09 ON AIR

「モハメッド・アリと黒人音楽」

When We Were Kings(The Original Motion Picture Soundtrack/The DAS Label/Mercury 314 534 462-2)

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ON AIR LIST
1.Ain’t No Sunshine~You (Medley)/Bill Withers
2.Sweet Sixteen/B.B.King
3.Pay Back/James Brown
4.Put It Where You Want It/The Crusaders

 

 

 

 

 

今日は去る6/3に亡くなった元世界ヘビー級チャンピオンのモハメッド・アリのドキュメント映画”When We Were Kings”(モハメッド・アリかけがえのない日々)のサンウドトラックを聴きます。
60年代から70年代にかけてボクサーとして活躍していたモハメッド・アリ(最初はカシアス・クレイという名前でした)は、僕にとって10代から20代のリアルタイムに体験したすごく印象に残ったボクサーです。
当時は日本でもボクシングが盛んでしたし、その中でもアリは脚光を浴びたとても個性的なボクサーでした。
そして、その後自分がブルーズ歌い始めて黒人音楽を知るにつれて、サム・クック、ジェイムズ・ブラウンはじめアリが当時の黒人ミュージシャンといろいろ関係があったことがわかってまた別の意味で彼に興味を持ちました。

このアルバム「When We Were Kings」にはB.B.キング、ジェイムズ・ブラウン、ビル・ウィザース、スピナーズなどが収録されています。
1974年10月30日、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで行われた、アリとジョージ・フォアマンのヘビー級の試合とともに行われたコンサートのライヴ音源です。
音楽とボクシングというこのイベントを仕掛けたのはボクシングのプロモーターとして有名なドン・キング。
主旨としては自分たちアメリカン・アフリカンの祖先のマザーランドであるアフリカに行ってボクシングの試合とコンサートを合体させたイベントをやることで、アメリカ黒人としてのアイディンティティの確立という意味合いもあったと思います。
アフリカに初めてきたアメリカの黒人ミュージシャンたちとそれを迎えたアフリカの人たちのテンションの上がり具合がすごくて、このイベントはアフリカのウッドストックとも呼ばれました。
では、まず70年代前半を代表するソウル・シンガーであり、素晴らしいソングライターのビル・ウィザース
Ain’t No Sunshine~You (Medley)
いまの曲はビル・ウィザースのシングル・チャートに初めて上がった曲で、ポップで三位まで上がりグラミーも獲得した曲です。73年には有名なカーネギーボールでの素晴らしいライヴアルバムを残して、このアフリカへ行った74年にはアルバム「ジャストメンツ」をリリースしてまさに絶頂期です。
でも、性格的に温和で内省的なビルはこういうアフリカでのお祭り的なノリにちょっとついていけてない感じが映画の画面から感じられるのも面白いです。
次はこれまた絶頂期のB.B.キングです。1974年ですから、僕が大阪で前座をやらせてもらった二年後です。50才になる前のB.B.がグラミーもとった後でワールド・ツアーをして世界中にその名前を知られていく脂の乗り切った頃です。ドラムのソニー・フリーマンを中心としたバンドも最高にクールでタイトな頃です。
曲はおなじみの・・・・・Sweet Sixteen

ここでちょっとモハメッド・アリの話を
60年代がちょうど10代だった頃、アリはすごく記憶に残ったボクサーでした。ボクサーとして強かったこともありましたが、試合前に対戦相手を罵ったり、オレが世界一だと大声で叫んだり、そういうパフォーマンスも面白い人でした。
1942年1月17日、ケンタッキー州ルイビル生まれ。1960年、ローマオリンピックのボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得した。白人レストランへの入店を拒否されてまあ喧嘩みたいになってアリは金メダルを河に捨ててしまう。その後プロに転向し、1964年ソニー・リストンを破り世界ヘビー級王者となる。この後ですね、当時の公民権運動の活動家マルコム・Xとの出会いからイスラム教に改宗し、本名もカシアス・クレイからモハメド・アリに改名した。その頃から人種差別反対や黒人の権利の主張やベトナム戦争反対を公に語るようになった。それはまあ当時の政府を批判することになり徴兵に行くことを拒否したことから世界王者のタイトルを剥奪され、およそ4年間にわたって試合を禁じられました。しかしその後も2度にわたって王者に返り咲き、通算19度の防衛に成功。ベトナム戦争の徴兵を拒否したために王座を剥奪され、王座剥奪後の71年3月8日、ジョー・フレイジャーに挑戦する。初めての敗北を喫した。1974年10月30日、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサでジョー・フレージャーの代わりに新しい王者になっていたジョージ・フォアマンに挑戦。アリ不利の事前予想を覆し、「キンシャサの奇跡」と呼ばれた。それが今日聴いてもらったいるアルバム”When We Were Kings”(モハメッド・アリかけがえのない日々/監督:レオン・ギャスト96年リリース)
アリは戦争反対や人種差別反対そして公民権運動に参加したり、賛意を表していたサム・クックと親交を深め始め、いまから聴いてもらうジェイムズ・ブラウンともそういう同胞意識が強かったと思います。では、このコンサートでもメインになっているJames Brown。
Pay Back

次のクルセーダースは70年代前半から中頃、日本でもすごく人気があり好き方も多いと思います。元々はジャズ・クルセーダーズという名前で60年代活動していたんですが、71年にジャズを取ってクルセーダースになります。当時はクロス・オーバーと行ってジャズだけでなくソウル、ファンク、ラテンなどいろんな音楽の要素を加えたバンドになっていました。
メンバーはピアノ、ジョー・サンプル、トロンボーンのウェイン・ヘンダーソン、ドラムのスティックス・フーパー、サックスのウィルトン・フェルダー、ギターはラリー・カールトン(アーサー・アダムスの時も)曲は72年リリースのクルセーダーズ1に収録されたもの、これがカッコいい曲!
Put It Where You Want It

モハメッド・アリは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われた流麗なフットワークと切れ味鋭いジャブを駆使したボクシングスタイルで観客を魅了した人でした。そして、一方で社会的な、政治的な主張をはっきり打ち出して、その生き方は終生変らない人でたくさんのアメリカ人に尊敬された人でもありました。1981年にボクシングを引退。試合のダメージが原因とみられるパーキンソン病にかかり長年闘病していました。1996年のアトランタオリンピック開会式では、震える手で聖火台に聖火を灯した姿が忘れられません。

この映画はDVDでも出ているので是非見てもらいたいです。70年代の黒人音楽の盛り上がりや「ブラックイズビューティフル」といって黒人が自ら自分たちの美しさ、素晴らしさを強く主張した時代のいい記録映画です。

2016.09.02 ON AIR

Funky Blues~ブルーズ生き残りの60年代末から70年代

Shattered Dreams/Funky Blues 1967-78 (BGP records CDBGPD 229)
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ON AIR LIST
1.Country Girl/Johnny Otis Show
2.It Took A Long Time/Finis Tasby
3.Mellow Together/Lowell Fulson
4.Playing On Me/Albert King
5.Good Feeling/Freddie Robinson

 

 

 

 

ブルーズが初めてレコーディングされた20年代から、ブルーズは時代の流れに添いながら生き残り、その時代によって「カントリー・ブルーズ」「クラシック・ブルーズ」「シティ・ブルーズ」そしてエレクトリック化されて「モダンブルーズ」になり、地域的に非常に個性的なブルーズが生まれて、シカゴ・ブルーズ、メンフィス・ブルーズ、ルイジアナ、テキサス、セントルイス、ウエストコーストとそれぞれのブルーズが出来ました。
40年代から50年代にブルーズは全盛期を迎えて、ブルーズからロックン・ロールが生まれ、ブルーズはR&Bと呼ばれるものに変化していき、そのR&Bが60年代に入るとゴスペルの導入によってソウル・ミュージックに代わり、そして片方でダンサブルなビートを強化したファンクという音楽が生まれました。
オーセンティックなブルーズはこの60年代にソウルやファンクに押され、またロックの台頭もあり、時代の流れから離れて行く風潮になりました。フレディ・キングがブリティッシュ・ロックのミュージシャンにもてはやされたり、アルバート・キングやB.B.キングが白人ロックの殿堂フィルモアに出演したり、そういうのもブルーズが従来のマーケットだけでは成り立たなくなっていった中での出来事でした。
しかし、ここで踏ん張った黒人らしいブルーズがファンクやソウルの要素を取り入れたブルーズン・ソウルとかファンク・ブルーズと言われるものでした。
今日はその60年代から70年代にめっちゃヒットにはならなかったが、黒人サークルの中で力強く生きつづけたファンク・ブルーズを聴いてみます。
まずはウエストコーストのR&Bのボス、ジョニー・オーティスが率いたジョニー・オーティス・ショー。
Country Girl
こってりしたホルモン味噌焼きみたいな1969年リリース、ブルーズ・ファンクの見本みたいな曲でした。

今日はShattered Dreams(Funky Blues 1967-78・)というP-Vineレコードからリリースされているコンピレーション・アルバムから聴いているのですが、こういうコンピの楽しみのひとつは自分が知らないミュージシャン、曲と出会えることです。では、今回初めて知ったファイニス・タスビーを聴いてみましょうか。
ライナーノーツを読むとこのファイニス・タスビーはテキサスのダラス出身。ベーシストとしてもB.B.キングやボビー・ブランド、Z.Z.ヒルのバックをやったこともある人です。オルガンのファンキーなサウンドにのって歌われてる歌声は、あとで聞いてもらうローウェル・フルソンによく似てると思います。
歌詞がですね
「オマエがオレの心から離れて長い時が過ぎた。時々、オレは寂しくて泣きそうになる。オレはもうこれ以上くよくよしながら生きるのはやめや。オマエも好きな用にして、生きたいとこへ行ったらええやん。でも、オレがおらんようになったらオマエはオレに逢いたくなるよ」とまあ、別れの歌ですが、僕の経験では女性は別れた男のことなんかあまり会いたいとは思わないですよ。だからこの歌は男の強がりに思えます。
It Took A Long Time/Finis Tasby
イナタさ満載のファンクでした。

次はいまのファイニス・タスビーの歌がたぶんこの人の影響だと思える。ローウェル・フルソン。フルソンと言えば、ヒットも何曲もありウエストコースト・ブルーズのボスのひとりですから影響を受けたブルーズマンはたくさんいます。ロウエル・フルソンで
Mellow Together
ロウエル・フルソンは洒落たこともやるんですが、いつも男っぽい武骨さといなたいブルーズの匂いがあってそれが魅力です。

最初のギターの音色を聞いただけでぞくっとして「ああ・・」ってわかってしまうアルバート・キング。B.B.フレディ、アルバートの三台キングは3人ともファンキーなテイストはあるんですが、ファンキー・テイストでいちばん売れたのはこのアルバート・キングだと想います。
ブルーズマンは個性的な人ばかりですが、その中でも個性的。スモーキング・ヴォイスと呼ばれる歌も個性的。体もでかいですが、歌声もギタープレイも太いです。手のこんだことはなにもしないですが、そこがまたかっこいいですよ。アルバート・キングで
Playing On Me

次のフレディ・ロビンソンを知ったのは75年だったか、亡くなったギターの塩次伸二がフレディ・ロビンソンの”Off The Cuff”というブルーズとファンクとジャズがミックスされた洒落たアルバムを持ってきて、それで僕もすぐ好きになってそのアルバムと”At The Drive In”というアルバムも買いました。それでしばらくしてから気づいたんですが、自分の持っているシカゴ・ブルーズのアルバムにフレディ・ロビンソンと言う名前がいくつかクレジットされていて、彼がシカゴ時代にスタジオ・ミュージシャンだったことを知りました。いまから聞いてもらうのは、70年代半ばにメンフィスで録音されて長くリリースされなかったものです。
タイトルどおり「ええ気分や、オマエといると雨の中を裸足であるくように、夏の日のそよ風のようにオマエといるとめっちゃええ気分や」
ブルーズ・ジャズ・ファンクをお楽しみください。
Good Feeling/Freddie Robinson

聞いてもらったようにファンキー・ブルーズ、ファンク・ブルーズというのはオーソドックスなブルーズのフォームにアレンジを加えて、当時の時代のサウンドやビートを導入したものですが、当時の流行のニューソウルとかディスコものとは違うやはりどこかにイナタイブルーズのテイストがあるものでした。当時「こんなんブルーズとちゃうやん」と拒絶したブルーズ・ファンも多かったのですが、僕はすごく好きでした。
もし、気に入ったら今日聴いたアルバム、Shattered Dreams/Funky Blues 1967-78 をゲットしてください。
では、Hey!Hey!The Blues Is Alright!

2016.08.26 ON AIR

ライトニン・ホプキンスからジミ・ヘンドリックス、プリンスにも賞賛された男、Johnny “Guitar” Watson その2

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Johnny G. Is Back/Johnny “Guitar” Watson(Polystar PSCW-5349)

 

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Johnny ”Guitar” Watson/ Great Blues Masters Vol.8(BSCP-30101)

ON AIR LIST
1.Johnny G. Is Back/Johnny “Guitar” Watson(Polystar PSCW-5349)
2.Hot Little Mama/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)
3.Those Lonely Lonely Nights/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)
4.Too Tired/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)
5.Don’t Touch Me/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)

 

前回は70年代半ばから80年代にかけてのジョニー・ギターを聞きました。
ブルーズから独自のファンク・ミュージックをつくりあげた時代の曲を聞いたのですが、実はそれ以降1984年の”Strike on Computers”というアルバム以降、何故かぱったりアルバムを出さなくなります。ライヴもあまりやってないみたいなので、どうしてんのかなぁ・・とファンとしては心配してたんですが、1994年突如復活のアルバム”Bow Wow”が出て、それがグラミーにもノミネートされるほどクオリティも高いものでした。実に10年ぶりのアルバムでした。そして、復活して二年経った1996年に来日ツアーがありました。
実は僕は自分のバンドでツアーに出ていたので今回は見れないなぁ・・・と思っていたら、ある夜友達から電話がかかってきて横浜のライヴハウスでステージの上で心臓麻痺で亡くなったと聞きました。俄には信じられなくて・・・でも、次の日にそのライヴハウスの関係者に電話したらやはり亡くなったと聞いてがっかりしました。
まだ61才でした。
今日はブルーズ時代のジョニー・ギターを聴く前に、その復活のアルバムBOW WOWから「オレは戻ってきたぜ」と自ら宣言した曲をまず聞きます。
Johnny G. Is Back
この94年のアルバム”Bow Wow”が最後のアルバムになってしまいました。
今日はこういうファンクをやる以前、ブルーズ、R&Bだった頃のジョニー・ギターを溯って聞いてみようかと思います。彼のバイオを少し紹介します。ジョニー・ギター・ワトソンはテキサスのヒューストンの生まれで10代の早い頃から、ピアノとギターを弾いて同世代のアルバート・コリンズやジョニー・コープランドとつるんで演奏してました。15才の時にロスアンゼルスに引っ越して、いよいよプロとしてクラブなどに出始めるんですが、最初の楽器はピアノで1953年に18才で「ヤング・ジョン・ワトソン」という芸名でブルーズ、R&Bで有名なレコード会社フェデラルと契約した最初もピアノでした。このピアノをやっていたというのが、ギターだけ弾いてブルーズを歌っているブルーズマンとちょっと違う音楽性になっていると思う。
しばらくしてギターに転向するんですが、ヒットもなく55年にRPMというレーベルに移籍し、ここで”Hot Little Mama,” “Too Tired,” “Three Hours Past Midnight”という曲で彼の才能が開花していった。それが二十歳の頃です。
まず、一曲初期のジョニー・ギターの代表的なファンキーなブルーズです。ギターは極悪というか、アグレッシヴなのに歌はダウンホームというかレイドバックしていて、その落差がまた面白いんですが・・・。
「オレは色っぽいええ女をゲットしたんよ。ウエストは細くてお尻はプリっと出てる。彼女はオレに火をつけるええ女なんよ」
Hot Little Mama
ギターがバキバキで最高です。

RPMレコードでの最初のヒットになったのが、次の曲ニューオリンズのアール・キングが作った”Those Lonely Lonely Nights”のカバー。この2コードの泥臭いブルーズバラードがまたいい曲なんですわ。アール・キングのオリジナルもすごくいいんですが、このジョニー・ギターのカバーもカッコいいです。
「オマエがいなくなってから、枕に頭をのせて寂しい、寂しい夜が続く。一晩中泣いてる。あまえは私達は絶対に別れないなんて言ってたもんや。どうしてオレのハートをズタズタにするんや。オマエがいなくなってから真っ暗や。どうか灯りを持って来てくれよ。戻って来てくれ」
Those Lonely Lonely Nights
戻ってきてくれと歌っているけど、何か悲壮感はないんですよ。カラッとしています。こういうのはもう人柄というか、音楽はとくにブルーズはその人の性格とか生まれ持った資質があらわれる音楽ですから、人によってはもっとねっとりしてしまうシンガーもいるとおもうんですが、ジョニー・ギターはからっとしてます。そういうところがファンキーなんやと思います。だから、ファンキーな人間になろうと思ってもファンキーにはなれないんですよ。その人が生まれもってるもんですから、

ジョニー・ギターはいわゆる黒人のストリートの感覚、庶民感覚をずっと持っていた人で、その歌詞には生活の大変さや下世話な恋愛ストーリーから下ねたブルーズまであります。
から曲、そしてファッションやアルバム・ジャケットの写真まで自分のヒット曲のギャングスター・オブ・ラヴのギャングスターのテイストで押し通した人でした。
大メジャーではなかったのですが、ボビー・ウーマックやスライ・ストーンといった人たちには一目置かれていました。
次の曲のイントロのギターは、ブルーズをよく知っている人ならゲイトマウス・ブラウンの”MidnIght Hour”という曲のイントロのパクリだとわかると思います。ジョニー・ギターがテキサスにいた子供の頃のアイドルはゲイトマウスですから、アグレッシヴでワイルドなギタースタイルも男っぽい歌い方もやはりゲイトマウスの影響は大きいです。
Too Tired/Johnny “Guitar” Watson
たまらんですね。ギターの歪み具合とかめっちゃかっこいいです。ちゃんと音のつぶがわかりつつも、ひずんでいる感じが絶妙です。
最後の曲もジョニー・ギターらしい歌詞で個人的にはブルーズバラードの名作やと思います。
「オレに触んなよ、ほっといてくれや、オレはもう出てくんや。出ていってハイウェイを旅するんや」ブルーズによくある「オレは出てくぞ」ブルーズです。よくできたブルーズバラードでロバート・クレイもカバーしていました。こういう歌もなんかちょっとやさぐれた感があって、別れる悲しさや苦しみより風来坊的なムードが漂っているところがファンキーです。悲しみを吹き飛ばすような感じがあると思います。
Don’t Touch Me
前回と今回、ブルーズから独自のファンクを作った才人、ジョニー・ギター・ワトソンを聞きました。
75年にロスアンゼルスのクラブで彼のステージを見た時は、そのファンクに突入した頃でした。ストリートの歌を歌う人だけあっていろんな友達や知合いが来ていて、休憩時間に客席に来てみんなと楽しそうに話をしていた姿が忘れられません。サインももらいましたが、すごく優しいいい人でした。
最後に僕も音源は持ってないんですが、ジョニー・ギターがフェデラルでソロ・デビューした頃の”Space Guitar”という曲がYOU TUBEで聞けるので検索してみてください。
めっちゃおもろいです。Johnny Guitar Watson Space Guitarです。
では、また来週!Hey!Hey! The Blues Is Alright!