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2016.08.26 ON AIR

ライトニン・ホプキンスからジミ・ヘンドリックス、プリンスにも賞賛された男、Johnny “Guitar” Watson その2

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Johnny G. Is Back/Johnny “Guitar” Watson(Polystar PSCW-5349)

 

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Johnny ”Guitar” Watson/ Great Blues Masters Vol.8(BSCP-30101)

ON AIR LIST
1.Johnny G. Is Back/Johnny “Guitar” Watson(Polystar PSCW-5349)
2.Hot Little Mama/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)
3.Those Lonely Lonely Nights/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)
4.Too Tired/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)
5.Don’t Touch Me/Johnny “Guitar” Watson (BSCP-30101)

 

前回は70年代半ばから80年代にかけてのジョニー・ギターを聞きました。
ブルーズから独自のファンク・ミュージックをつくりあげた時代の曲を聞いたのですが、実はそれ以降1984年の”Strike on Computers”というアルバム以降、何故かぱったりアルバムを出さなくなります。ライヴもあまりやってないみたいなので、どうしてんのかなぁ・・とファンとしては心配してたんですが、1994年突如復活のアルバム”Bow Wow”が出て、それがグラミーにもノミネートされるほどクオリティも高いものでした。実に10年ぶりのアルバムでした。そして、復活して二年経った1996年に来日ツアーがありました。
実は僕は自分のバンドでツアーに出ていたので今回は見れないなぁ・・・と思っていたら、ある夜友達から電話がかかってきて横浜のライヴハウスでステージの上で心臓麻痺で亡くなったと聞きました。俄には信じられなくて・・・でも、次の日にそのライヴハウスの関係者に電話したらやはり亡くなったと聞いてがっかりしました。
まだ61才でした。
今日はブルーズ時代のジョニー・ギターを聴く前に、その復活のアルバムBOW WOWから「オレは戻ってきたぜ」と自ら宣言した曲をまず聞きます。
Johnny G. Is Back
この94年のアルバム”Bow Wow”が最後のアルバムになってしまいました。
今日はこういうファンクをやる以前、ブルーズ、R&Bだった頃のジョニー・ギターを溯って聞いてみようかと思います。彼のバイオを少し紹介します。ジョニー・ギター・ワトソンはテキサスのヒューストンの生まれで10代の早い頃から、ピアノとギターを弾いて同世代のアルバート・コリンズやジョニー・コープランドとつるんで演奏してました。15才の時にロスアンゼルスに引っ越して、いよいよプロとしてクラブなどに出始めるんですが、最初の楽器はピアノで1953年に18才で「ヤング・ジョン・ワトソン」という芸名でブルーズ、R&Bで有名なレコード会社フェデラルと契約した最初もピアノでした。このピアノをやっていたというのが、ギターだけ弾いてブルーズを歌っているブルーズマンとちょっと違う音楽性になっていると思う。
しばらくしてギターに転向するんですが、ヒットもなく55年にRPMというレーベルに移籍し、ここで”Hot Little Mama,” “Too Tired,” “Three Hours Past Midnight”という曲で彼の才能が開花していった。それが二十歳の頃です。
まず、一曲初期のジョニー・ギターの代表的なファンキーなブルーズです。ギターは極悪というか、アグレッシヴなのに歌はダウンホームというかレイドバックしていて、その落差がまた面白いんですが・・・。
「オレは色っぽいええ女をゲットしたんよ。ウエストは細くてお尻はプリっと出てる。彼女はオレに火をつけるええ女なんよ」
Hot Little Mama
ギターがバキバキで最高です。

RPMレコードでの最初のヒットになったのが、次の曲ニューオリンズのアール・キングが作った”Those Lonely Lonely Nights”のカバー。この2コードの泥臭いブルーズバラードがまたいい曲なんですわ。アール・キングのオリジナルもすごくいいんですが、このジョニー・ギターのカバーもカッコいいです。
「オマエがいなくなってから、枕に頭をのせて寂しい、寂しい夜が続く。一晩中泣いてる。あまえは私達は絶対に別れないなんて言ってたもんや。どうしてオレのハートをズタズタにするんや。オマエがいなくなってから真っ暗や。どうか灯りを持って来てくれよ。戻って来てくれ」
Those Lonely Lonely Nights
戻ってきてくれと歌っているけど、何か悲壮感はないんですよ。カラッとしています。こういうのはもう人柄というか、音楽はとくにブルーズはその人の性格とか生まれ持った資質があらわれる音楽ですから、人によってはもっとねっとりしてしまうシンガーもいるとおもうんですが、ジョニー・ギターはからっとしてます。そういうところがファンキーなんやと思います。だから、ファンキーな人間になろうと思ってもファンキーにはなれないんですよ。その人が生まれもってるもんですから、

ジョニー・ギターはいわゆる黒人のストリートの感覚、庶民感覚をずっと持っていた人で、その歌詞には生活の大変さや下世話な恋愛ストーリーから下ねたブルーズまであります。
から曲、そしてファッションやアルバム・ジャケットの写真まで自分のヒット曲のギャングスター・オブ・ラヴのギャングスターのテイストで押し通した人でした。
大メジャーではなかったのですが、ボビー・ウーマックやスライ・ストーンといった人たちには一目置かれていました。
次の曲のイントロのギターは、ブルーズをよく知っている人ならゲイトマウス・ブラウンの”MidnIght Hour”という曲のイントロのパクリだとわかると思います。ジョニー・ギターがテキサスにいた子供の頃のアイドルはゲイトマウスですから、アグレッシヴでワイルドなギタースタイルも男っぽい歌い方もやはりゲイトマウスの影響は大きいです。
Too Tired/Johnny “Guitar” Watson
たまらんですね。ギターの歪み具合とかめっちゃかっこいいです。ちゃんと音のつぶがわかりつつも、ひずんでいる感じが絶妙です。
最後の曲もジョニー・ギターらしい歌詞で個人的にはブルーズバラードの名作やと思います。
「オレに触んなよ、ほっといてくれや、オレはもう出てくんや。出ていってハイウェイを旅するんや」ブルーズによくある「オレは出てくぞ」ブルーズです。よくできたブルーズバラードでロバート・クレイもカバーしていました。こういう歌もなんかちょっとやさぐれた感があって、別れる悲しさや苦しみより風来坊的なムードが漂っているところがファンキーです。悲しみを吹き飛ばすような感じがあると思います。
Don’t Touch Me
前回と今回、ブルーズから独自のファンクを作った才人、ジョニー・ギター・ワトソンを聞きました。
75年にロスアンゼルスのクラブで彼のステージを見た時は、そのファンクに突入した頃でした。ストリートの歌を歌う人だけあっていろんな友達や知合いが来ていて、休憩時間に客席に来てみんなと楽しそうに話をしていた姿が忘れられません。サインももらいましたが、すごく優しいいい人でした。
最後に僕も音源は持ってないんですが、ジョニー・ギターがフェデラルでソロ・デビューした頃の”Space Guitar”という曲がYOU TUBEで聞けるので検索してみてください。
めっちゃおもろいです。Johnny Guitar Watson Space Guitarです。
では、また来週!Hey!Hey! The Blues Is Alright!

2016.08.19 ON AIR

ライトニン・ホプキンスからジミ・ヘンドリックス、プリンスにも賞賛された男、ジョニー・ギター・ワトソン その1

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LISTEN/I DON’T WANT TO BE A LONE RANGER/CDCHD408

 

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Ain’t That A Bitch/Polystar PSCW-5350

 

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GIANT/PSCW-5353

ON AIR LIST
1.I Don’t Want To Be A Lone Ranger/Johnny “Guitar” Watson
(LISTEN/I DON’T WANT TO BE A LONE RANGER/CDCHD408)
2.Ain’t That A Bitch/Johnny “Guitar” Watson (Ain’t That A Bitch/Polystar PSCW-5350)
3.I Want To Ta-Ta You Baby/Johnny “Guitar” Watson (Ain’t That A Bitch/Polystar PSCW-5350)
4.Gangster Of Love/Johnny “Guitar” Watson (GIANT/PSCW-5353)

4/21にプリンスが亡くなった時に僕が思い出したブルーズマンがいます。ジョニー・ギター・ワトソンです。プリンスのようにポップスターではなかったですが、ブルーズ、R&B、ファンクの世界で彼は才能にあふれ、革新的で、ユーモアがあって、クールでまさに黒人でしか表せない音楽を残した人でした。
プリンスは、歌とギター、そして作詞作曲だけでなくほとんどの楽器を自分でこなし、アレンジ、プロデュースも自分でやる人でした。そして、音もヴィジュアルもパフォーマンスも自分で考える美意識の強い人で本当にマルチな才人でした。そのマルチな才能をジョニー・ギターも持った人でプリンスにも影響を与えたミュージシャンでした。
ジョニー・ギター・ワトソンは1952年にブルーズマンとして登場しました。出身はテキサス。そのテキサスの大先輩、ライトニン・ホプキンスも若き日のジョニー・ギターに一目置いていました。
1952年から60年代の半ばくらいまでジョニー・ギターはブルーズマンとして活躍していましたが、60年代の終わりからブルーズにもファンク、ソウルの影響が強くなり彼もブルーズにそれまでの自分の音楽の素養をミックスさせたとても個性的な音楽を作り始めます。
その独自の音楽の最初を聞いたのが、ちょうど僕が初めてアメリカへ行った頃でした。僕もブルーズ、R&Bの人としてジョニー・ギターを知っていたので、最初はちょっとびっくりでしたが、ロスのラジオからヘヴィ・ローテーションで流れて来るこの曲がかっこよくてすぐにアルバム買いました。
1975年ジョニー・ギター・ワトソンが70年代のファンクのアイコンのひとりとなるきっかけの曲
I Don’t Want To Be A Lone Ranger
かっこいい!
ちょっとしゃれているけれどブルーズのもつイナタさもあり、とにかくビートがかっこよくてギターの音色がいい。これを当時ロスのクラブで生で聞いた時、ジョニー・ギター・ワトソンはめっちゃかっこ良くて3日連続で観に行きました。

いまの曲の翌年、まだプリンスが登場する前。1976年にドラムとホーンセクション以外の楽器をすべて自分ひとりでやり、作詞作曲、プロデュースアレンジも自分というアルバムをジョニー・ギターは発表します。
それが”Ain’t That A Bitch”というアルバムで内容はどこにジャンル分けしたらいいのかわからないもので、一応ファンクというところに収められました。デビュー当時はやはりプリンスの音楽をなんと呼んでいいのか、みんなわからなかったと思います。まあ、結局プリンスはプリンスの音楽というしかなかったのですが、ジョニー・ギターも同じです。
「毎日毎日ハードに働くのに生活するのにかかるお金が多すぎて金なんか残らん。コンピューターのプログラムもできるし、経理も心理学も勉強した。ビジネスのコースも取ったし、日本語も少しやったらできるよ。でも、休みは少ないし、給料も少ない。これって最悪ちゃうか」
歌詞の内容は当時の世相を歌った思いっきりブルーズ。
では、その画期的なアルバムとなったアルバム・タイトル曲
Ain’t That A Bitch
このAin’t That A Bitchのアルバムがヒットして評判になり、ジョニー・ギターは70年代半ばのファンクの代表選手のひとりになっていきました。
実は彼は小さい頃からずっとピアノを弾いててジャズも演奏していました。実際ピアノだけ弾いているアルバムも発表してます。彼の曲のアレンジが普通のファンクやソウルやブルーズのミュージシャンと違うところはそのジャズ・テイストがあるところだと思います。
「オレの彼女になってくれて、ありがとう」という歌です。
I Want To Ta-Ta You Baby

ギターの音と自分の声をミックスするトーキング・モジュレーターやシンセサイザーなども使いこなして彼は新しいサウンドを作っていくのですが、どこかいなたいブルーズのテイストがなくならないであるところが彼の持ち味です。
Ain’t That A Bitchのアルバムの2年後78年の”Giant”というアルバムでは、自分の昔の57年のヒット曲をふたたび録音しています。これはもろブルーズです。
Gangster Of Love

来週はもっと昔に溯ってブルーズ、R&B時代のジョニー・ギターを聞いてみようと思います!
Hey!Hey! The Blues Is Alright!

2016.08.12 ON AIR

歌い継がれるブルーズ、ベッシー・スミスからダイナ・ワシントンへ

the bessie smith songbook/Dinah Washington(PolyGram 862663-1)
レコード

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ON AIR LIST
1.After You’ve Gone/Dinah Washington(SIDE A-1)
2.Careless Love/Dinah Washington(SIDE B-1)
3.Back Water Blues/Dinah Washington(SIDE B-2)
4.Me And My Gin/Dinah Washington(SIDE B-4)
5.You’ve been a good old wagon/Dinah Washington(SIDE A-5)

 

 

 

少し前にソウルの女王、アレサ・フランクリンのブルーズを特集した時に、アレサが尊敬していたシンガーとして名前の出たダイナ・ワシントンを今日は聴いてみようと思うのですが、ダイナもすごくたくさんアルバムのある人ですが、今日はthe bessie smith songbookというダイナが尊敬していたベッシー・スミスのカバー集のアルバムから聴きます。ダイナ・ワシントンは「ブルーズの女王(The Queen Of The Blues)と呼ばれ、ベッシー・スミスは「ブルーズの皇后(Empress Of The Blues)」と呼ばれたシンガーですから、今日は女王が皇后のブルーズを歌っているアルバムを聴くことになるわけです。
今日最初の歌もその自立の感じが少し出ている曲かな・・・。
これはいにしえも、いにしえ1918年にベッシーが歌った曲です。
別れるという男に別れないでくれという女の歌なんですが、私も傷つくけれどあんたもいつの日か傷ついて、後悔して心がぼろぼろになってまた私に逢いたくなるに違いないわ。こんないい女をなくして泣くのはあなたよ。
まあ、強がりを言ってるのか、それとも別れたいという男に自分よりええ女はおらんよという自信なのか・・・自立した女性としてかなり豪快に生きたベッシー・スミスらしい、またダイナ・ワシントンらしいブルーズだと思います。
「君去りし後」 After You’ve Gone

次の歌は「Careless Love」 というタイトルですが、Carelessはよく試験の時に使われるケアレス・ミス(分かっていたのに不注意で間違える)ですよね。だから「不注意な恋」ですか。うかつな恋というのがいいと思うんです。歌詞を追いかけてみるとよくない恋愛をしてしまったんですね。途中でたったひとりの友達を失ってしまったという歌詞が出てきますが、友達の彼氏を好きになってしまったんですかね。それでその恋がうまくいったかというとこれがひどい男で、いろんな女を最初はもちあげて結局ダメにしてるっていう・・私はすべてを失ったとなっています。そして、審判の日までこの罪を償うのだと。
Careless Love

ダイナもベッシーも恋多き女だったので、というよりモテたんでしょうね。ダイナは確か8回くらい結婚してます。学習能力はないのか・・とも言えますが。
さて、東北の大震災が起こったあと、石巻を訪ねてその変わり果てた街の姿にしばらくして僕はブルーズの歴史の中にあるいくつものミシシッピーが氾濫して洪水になった時のブルーズを思い出しました。次の”Back Water Blues”もミシシッピーの氾濫を歌ったブルーズ。オリジナルのベッシー・スミスが歌ったのは1926年。ダイナが歌ったのはその約30年後1958年
「五日間も雨が降り続いた時、空は寄るのように真っ暗になった。土地が低いところで災害が起こった。朝目が覚めると、私はドアから出れなくなっていた。出たくてもでれないひどいことになっていた。(最後には)家は流されて住むところはもうない、そして、どこにも行くことができない」
Back Water Blues

「ジンさえあれば食べるものも寝るところもいらない、気分がよくなったら何でもできる。いっぱい飲めば私は機嫌がいい。でも、私をかまわないであっちにいって私はジンのせいで悪いことをしているのよ」。この曲がリリースされた1929年頃には彼女自身がアルコールを手放せなくなり次第にその活躍が衰退していった。
次の歌のようにダイナは酒と薬の過剰摂取で39才で亡くなってしまいました。
Me And My Gin
ダイナ・ワシントンも幼い頃は教会でピアノを弾きゴスペルを歌ってました。それが15才の時にコンテストで優勝して18才でプロとしてデビューしてます。若くしてその才能を認められ当時有名だったライオネル・ハンプトンの楽団の専属歌手になります。そして、初めてレコーディングした”Evil Gal Blues”がヒット。それからはジャズ・スタンダードからポップスまで実力のあるシンガーとして後輩の女性シンガーたちの憧れで、前に聞いたアレサ・フランクリンもダイナがアイドルだったし、エスター・フィリップス、ルース・ブラウンもダイナに憧れて歌ったシンガーでした。次の歌もエスターがカバーしています。
You’ve been a good old wagon
ダイナには”Dinah Jams”という名作があります。ドラムがマックス・ローチ、トランペットにクリフォード・ブラウン、ピアノにジュニア・マンスたちが参加した素晴らしいアルバムでこれも一度この番組でOnAIrしょうかと思ってます。

2016.08.05 ONAIR

Down Home Blues特集

Papa George Lightfoot/NATCHEZ TRANCE(CCR 1001)
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ON AIR LIST
1.Ah,Come On Honey/Papa George Lightfoot(レコード)
2.You Don’t Have To Go/Jimmy Reed
3.I’m A King Bee/Slim Harpo
4.Lonesome Lonely Blues/Lonesome Sundown(レコード)
5.Down Home Blues/Z.Z.Hill

 

 

 

僕はこの番組でよくダウン・ホームなブルーズとか、このブルーズはダウンホームでという言い方をしていますが、番組を聞いている方からダウンホームってなんですかとこの前聞かれまして、今日はそのダウンホームについて話してみたいと思います。
Down Homeという言葉を辞書で調べると、この言葉はアメリカで使われる言葉で「気取らない」とか「素朴な」「飾らない」という意味が出てきて「アメリカの南部風の」というのも出てきます。
それで今日そのダウンホーム・ブルーズ特集をやろうと思ったのは、久しぶりにパパ・ジョージ・ライトフットというブルーズマンのアルバムを聞いていたら、昔は感じなかったこの人の素晴らしさ、そのダウンホームなブルーズの素晴らしさにひとり部屋で感動したからなんですが・・・、長い間ブルーズ聞いているんですけど、いまになって気づく事も多いです。
では、そのパパ・ジョージ・ライトフットがハーモニカを吹きながら歌っている曲を。
Ah,Come On Honey/Papa George Lightfoot
パパ・ジョージ・ライトフットはミシシッピのナッチェズという街の出身ですが、このアルバムジャケットは大きな樹の下で彼がハーモニカを吹いている写真なんですが、きっとこんな感じでひとりでハーモニカ吹いて歌ってることも多かったんでしょうね。
さて、ダウンホーム・ブルーズという言葉で僕がまっさきに思い出すのはジミー・リードです。ジミー・リードさんはB.B.キングよりもヒット曲が多いブルーズマンです。彼が活躍したのは1953年くらいから60年代の半ばですが、シカゴのVJレコードからリリースされた曲が次~次へヒットして黒人だけでなく、白人の世界にまで入り込んでいった人です。では、なんでそんなにヒットしたのかというと、50年代のシカゴですからやはりサウンドは都会的なんですが、ジミー・リード本人がもっているグルーヴやハーモニカと歌が実にダウンホームなんですよ。つまり、外側のサウンドは都会の匂いもあるんですが、その核になっている、真ん中にあるもの、つまりリードは南部を思い出させるゆったりとしたビートと素朴な歌とハーモニカなんです。この絶妙な組み合わせが田舎から都会に出てきて働いている黒人たちの心を捉えたんやと思います。
You Don’t Have To Go/Jimmy Reed

いまのジミー・リードのダウンホーム・グルーヴは遠く離れた南部ルイジアナのスリム・ハーポにも影響を与えてました。この曲なんかはシカゴ原産ジミー・リード・グルーヴに南部のこってりしたサウンドとスリム・ハーポのもっちゃりした歌声がミックスされた感じです。スリム・ハーポはこの番組で以前も特集しましたが、どこかポップなテイストもあってすごくヒットしました。そして、海を渡ってイギリスに届きローリング・ストーンズはいまから聞いてもらう曲をファースト・アルバムでカバーしています。
I’m A King Bee/Slim Harpo

次はやはり同じルイジアナのブルーズマンでロンサム・サンダウン。まあ、いろんな芸名のブルーズマンいますが、このロンサム・サンダウンってすごいです。寂しい夕暮れですよ。本名はコーネリアス・グリーンというええ名前があるのに・・・私の永井ホトケ隆もね。母がびっくりしてました。
ロンサム・サンダウンなのに聞いてもらう曲名がロンサム・ロンリー・ブルーズです。もう寂しいの極地です。
Lonesome Lonely Blues/Lonesome Sundown

こういうダウンホーム・ブルーズは60年代あたりでヒット・チャートなどには出てこなくなり、テンションがきついファンク・ブルーズとかソウルとミックスされたブルーズン・ソウルの時代になっていったのですが、ところがところが。なんと!1982年に南部ミシシッピ、ジャクソンのマラコ・レコードがリリースしたその曲名もそのもの”Down Home Blues”が大ヒットしました。二年間もチャートインしていた曲です。
パーティに来た彼女が言うわけです「あんたのパーティは盛り上がってるね、みんないい感じ。私の気持ちはお見通しよね。靴を脱いで楽になってもいい?あなたにお酒を作ってもらう間、なんかダウンホーム・ブルーズをかけてくれる。ダウンホーム・ブルーズ、ダウンホームブルーズ彼女が聞きたかったのはダウンホームブルーズ
Down Home Blues/Z.Z.Hill
この曲のヒットでやはり南部の黒人たちの間では根強くダウンホームなブルーズが好かれていることがわかったわけです。1982年ブラック・ミュージックで最も売れたのはマイケル・ジャクソンの「スリラー」でした。MTVの時代ですよね。そんな時代にアメリン南部ではこんなブルーズがヒットしていたわけです。

2016.07.29 ON AIR

ニューオリンズの隠れた名歌手 ジョン・ブッテ
ALL ABOUT EVERYTHING/JOHN BOUTTE (Boutteworks BW007)

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ON AIR LIST
1.No, No (the River)/John Boutte
2.The Grass Is Greener/John Boutte
3.All Around the World/John Boutte
4.Hallelujah/John Boutte

 

 

 

 

みなさんはジョン・ブッテというニューオリンズの歌手をご存知でしょうか。1958年生まれやから現在57才かな。一応ジャズシンガーという看板ですが、R&B、ソウル、ブルーズとなんでも歌えこなせる上手い人です。それほど広く知られていないのは大きなヒット曲がないからかも知れません。
今日は2012年リリースの彼のALL ABOUT EVERYTHINGというアルバムから聴いてみようと思います。
簡単な歌詞なんですが、いまいちどういう意味かわからない歌なんです。
「オレは河へ行って、振り向いたよ。なぜかいうたら溺れて死にたくないからね、河の水は冷たいし気持ちのいいもんじゃないよな。昔河へ行ったよ。でも嫌だ嫌だ。もう行きたくない。」自殺しようと河へ行ったけど水は冷たいし、溺れて死ぬのはいやや」と思い止まった歌ですかね。元々はファッツ・ドミノが歌った歌です。歌詞の内容はヘヴィやけど何か一緒に歌いたくなるニューオリンズっぽいファンキーな歌です。
No, No (the River)
こういうニューオリンズの音楽に訳もなく幸せな気分になります

この”ALL ABOUT EVERYTHING”にはキーボードのジョン・クリアリー、ドラムのハーリン・ライリーやレイモンド・ウィバーなどニューオリンズの錚々たるメンバーが参加しています。
いま聞いてもらったのはニューオリンズR&Bの流れをしっかり継承した歌でしたが、次の曲はニューオリンズ・ファンク系の曲です。これもやはりプロフェッサー・ロングヘアからアレン・トゥーサンそしてミーターズ、ネヴィル・ブラザーズに繋がるニューオリンズファンクの流れを感じます。
途中のトランペットのジェイムズ・アンドリューとトロンボーンのトロンボーン・ショーティーの掛け合いも聞き物です。
The Grass Is Greener

ここでジョン・ブッテのプロフィールを・・・
ジョン・ブッテはクレオールですからフランス系かスペイン系のミックスですが、とても端正な顔をしています。幼い頃からニューオリンズの音楽の中で育ち、トランペットなど楽器もいくつかやっていて、お姉さんはゴスペル・ジャズ・シンガーのリリアン・ブッテ。でも、本人は大学を卒業して、軍隊に四年いて普通の仕事に就いてミュージシャンになる気はなかったようですが、ひょんなことからスティーヴィー・ワンダーが彼の歌声を聞いて歌手になることを進めたということです。お姉さん、リリアンのツアーに参加したりしてソロ・デビューは35才の時です。
背が少し低いところから50年代のめっちゃ上手R&Bシンガー、リトル・ウィリー・ジョンを思い出させるところもあるなぁと思っていたら、本当にそのウィリー・ジョンの曲を歌ってました。
All Around the World

ジョン・ブッテのことを知りたくてニューオリンズにすんでいる友達の山岸潤史にメールしてみました。その返事には「ジョンブッテはもちろん以前何回も一緒にやったことあるし、サムクックが大好きな素晴らしいシンガー!や。最近はテレビドラマのTREMEのテーマ曲”TREME SONG”を歌って、それがいまやニューオリンズのスタンダードになるヒットでジョンは湖の向こう側のマンダビルに家買うた」と書いてありました。
では、また来週、ハレルヤ!