2019.08.30 ON AIR

ニューオリンズの至宝、ドクター・ジョンの死 Vol.3

In A Sentimental Mood (Waner Bro 9 25889-2)
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Going Back To New Orleans (Waner Bro 9 26940-2)
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Tango Place (A&M POCM-1807)
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ON AIR LIST
1.In A Sentimental Mood/Dr.John
2.Basin Street Blues/Dr.John
3.My Indian Red/Dr.John
4.Louisiana Lullabye/Dr.John

今回で三回目を迎えるドクター・ジョンの追悼特集ですが、改めてドクターの音楽の足跡を辿ってみるといろんなドクターがいるんですが、ひとつひとつのアルバムにその当時の彼の気持ちが表れてます。
ウエストコーストに住んでいた頃、ニューヨークにいた頃、その時々で彼はアルバムを残しているけど、やはり故郷ニューオリンズへの強い想いはどこにいてもずっと揺るがなかった。そして、その一枚一枚のアルバムに彼が生きて音楽を続けるための苦闘も感じられます。
晩年ジャズの曲を取り上げたり、デューク・エリントンへのトリビュートアルバムを作ったりしましたが、でもやっぱりそこにもはっきりドクターはいて「こんなジャズのいい曲知ってますか」と自分のスタイルで演奏していたような感じです。
今日の一曲目は1989年リリースの”In A Sentimental Mood”からこのデューク・エリントンの曲から、ドクターの絶妙に艶っぽいピアノが堪能できます。
1.In A Sentimental Mood/Dr.John
ため息が出るいい曲、素晴らしいピアノでした。ドクターは若い頃ニューオリンズのヤバい店で演奏していた時からジャズの曲はやっていたとインタビューで言ってます。
そして、このアルバム”In A Sentimental Mood”のあと1992年に”Going Back To New Orleans”というアルバムをリリースします。これはタイトルどおりニューオリンズへ回帰するアルバムで、ニューオリンズのファッツ・ドミノやデイヴ・バーソロミューの曲も取り上げていますが、72年の「ガンボ」とはひと味違うニューオリンズ音楽の豊かさを聴かせてくれています。
ドクターが若い頃のニューオリンズは、有名な歓楽の街で酒やドラッグや売春が行き交う場所ででした。そういう歓楽の場所ではブルーズもR&Bもジャズも同じように演奏されていて、これといった音楽のジャンルの垣根はなかったのでしょう。
92年のアルバム”Going Back To New Orleans”から。この曲のタイトルのベイズン・ストリートもニューオリンズのフレンチ・クォーターの歓楽街です。
2.Basin Street Blues/Dr.John

このアルバムにはニューオリンズのマルディグラというお祭りの季節によく演奏される次のようなインディアンの音楽も収録されています。
1940年代半ばにダニー・パーカーというギタリスト・シンガーが作った曲で、いまやニューオリンズ・スタンダードです。こういう曲を忘れないでアルバムに入れるところにニューオリンズ愛を感じます。そして、僕にとっては親友の山岸潤史がニューオリンズに住んでマルディグラ・インディアンのバンドに加入してこうい曲を演奏していた頃を想い出す・・・そういう曲でもあります。
3.My Indian Red/Dr.John

2005年の8月ハリケーン・カトリーナによって壊滅的な被害を受けたニューオリンズの街でしたが、とくに黒人や有色人種が住む地域の復興になかなか積極的に出ない政府、自治体に腹を立てたドクターはハリケーンから三年後の2008年に”City That Care Forgot”というアルバムをリリースします。タイトルはケアを忘れられた街、つまり復興を忘れられた街ということです。
実際、観光用の表通りは体裁をつくろうように修理されたりしたが、黒人たちが住んでいる地域の復興はまったく言っていいほどされてなかった現状を僕も後から知りました。
最後は1979年ニューヨークで録音されたアルバム”Tango Place”から
これもルイジアナ、ニューオリンズへの想いがあふれた曲で作詞がドク・ポマスで作曲がドクター・ジョン
4.Louisiana Lullabye/Dr.John

ここ二年くらいライヴが減って、ドクターの体調がよくないことが伝えられていましたが、なんせドクター・ジョンですから、ブードゥー教の司祭ですからなかなかくたばらないだろうと思っていた矢先の6月6日の訃報でした。
残念です。そして、ドクターが亡くなってすぐあとに、ドクターの大先輩のデイヴ・バーソロミューが100才で亡くなりました。そして、つい最近ネヴィル・ブラザーズのアート・ネヴィルが亡くなりました。ニューオリンズの音楽は大丈夫かと思うくらい次々と知る訃報に気持ちが落ちてしまいます。

伝統あるニューオリンズの音楽を原点にいろんなフィールドで活躍し、いろんなミュージシャンのアルバムやライヴにも参加して、六回グラミー賞を受賞して、ここ三回で聴いてもらったようにいろんな曲を録音しましたドクター・ジョンでした。なによりみんなが知らなかったニューオリンズのいろんな音楽、ミュージシャンを率先して紹介してきた功績は大きいと思います。でも、カバーをやる時でも変ったアレンジをしなくてもドクターの味が自然と出ているところが素晴らしいです。改めてドクター・ジョンの冥福を祈ります。そして、亡くなる前に録音された最後のアルバムがリリースされるのを待ちたいと思います。

2019.08.23 ON AIR

ニューオリンズの至宝、ドクター・ジョンの死 Vol.2

Gris-gris/Dr.John,The Night Tripper(ATCO 7567-80437-2)
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In The Right Place/Dr.John(ATCO 7567-80360-2)
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ON AIR LIST
1.Gris-Gris Gumbo Ya Ya/Dr.John
2.Right Place Wrong Time/Dr.John
3.Peace Brother Peace/Dr.John
4.Traveling Mood/Dr.John
5.Such A Night/Dr.John

前回聴いてもらったドクターの”名盤GUMBO”は多くの人にニューオリンズの音楽の素晴らしさを知らしめました。
その”GUMBO”がリリースされた四年前1968年にドクターが作った不思議なアルバムが“Gris-Gris”(グリグリ)です。
このアルバムは当時のウエストコーストで流行っていたサイケデリックロックとニューオリンズの音楽を融合させてそこにニューオリンズのヴードゥー教のエッセンスをふりかけたサイケなアルバムです。ジャケットからして煙に包まれ、下からドクターにライトを当てた稲川淳二風のジャケットなんですが・・。
このアルバムは話によると、ドクターはピアノのロニー・バロンをドクター・ジョンという架空の人物に仕立て上げたコンセプト・アルバムを作ろうとしたのですが、ロニー・バロンが「ドクター・ジョンなんてなるのはイヤや」となって・・それで仕方なく自分がドクター・ジョンになったらしいです。ここで本名マック・レベナックはドクター・ジョンになったのですが、それが後々すごい芸名になったわけですから人生わかりません。
どんな音楽かというのを説明するのは難しいので聴いてみてください。
1.Gris-Gris Gumbo Ya Ya/Dr.John
お聞きのような音楽ではっきり言って僕は好きじゃないです。
サイケデリック・ロックが嫌いなわけではないのですが、僕にとっては退屈な音楽でした。「オレのことをみんなはドクター・ジョン、そしてナイトトリッパー(夜の旅人)と呼ぶ」と言って始まるのですが3分くらいで退屈です。
この“Gris-Gris”というアルバムはロスアンゼルスで録音されたのですが、実は1964年にドクターはニューオリンズからロスに移住しました。その前にドラッグ関係で刑務所に服役していたのですが、ムショから出てきても警察に目をつけられてニューオリンズで仕事がやりにくくなったからです。あと昔から酒もドラッグも売春などもあった南部でいちばんの歓楽街だったニューオリンズを時の知事がもっと清い街にしょうとして取り締まりを強くしたため、ニューオリンズのミュージシャンたちが演奏する場所がどんどん減ったということもありました。仕事がなくて他の街へ行かざるを得なくてドクターもレコーディング・ミュージシャンとしての依頼があったロスに移ったわけです。
それでロスで自分のアルバムの録音のチャンスを得てこの「グリグリ」のリリースとなったわけです。
アルバムリリースの68年といえばもうウエストコーストはLSDなんかを使ったサイケデリックテ・カルチャーが流行っていてこういうアルバムをドクターも作ったわけですが、1部では高い評価を得ましたが、あまり売れませんでした。時にドクター28才です。この後にもう一枚この「グリグリ」の続編「バビロン」というアルバムを出しています。
それで話は前後しますが、そのあと72年に前回聴いてもらった”GUMBO”を録音します。”GUMBO”はニューオリンズへの回帰と歴史あるニューオリンズの音楽をみんなに知ってもらいたいというコンセプトだったのですが、次の翌73年の”In The Right Place”は当時のup-to-dateなニューオリンズの音楽を作ったものでした。
プロデュースはアレン・トゥーサン、バックはザ・ミーターズというニューオリンズ・ファンクの塊みたいなサウンドとグルーヴをバックにして、新しいドクターの本領が発揮されたアルバムとなりました。
2.Right Place Wrong Time/Dr.John
このアルバムで僕はミーターズというグループを知りました。いわゆるニューオリンズ・ファンクのグループですが、ジェイムズ・ブラウンがやっていたファンクでもない、ウエストコーストやイーストコーストのファンクでもないニューオリンズ独特ファンクを作ったグループです。
オルガンがアート・ネヴィル、ギターがレオ・ノセンテリ、ベースがジョージ・ポーター、ドラムがジガブー・モデリステの4人。またミーターズの話をすると時間がかかるのでまたいつか取り上げます。この4人のつくるグルーヴをバックに歴史あるニューオリンズの音楽を継承しつつ、新しい時代にニューオリンズR&Bを進めた一枚でした。
3.Peace Brother Peace/Dr.John
名プロデューサーのアレン・トゥーサンに凄腕ミュージシャンが集まったミーターズがバックをやり、その上に乗っかったドクターですからもうバリバリです。
ドクターが”GUMBO”や”In The Right Place”をリリースして、アレン・トゥーサンも70年からソロアルバムをリリースし始めて75年には”Southern Nights”という名盤も出して、スタジオ・ミュージシャン的だったミーターズも69年から自分たちのアルバムをリリースして再びニューオリンズは熱い音楽シーンを作り出し始めました。
口笛から始まる次の曲なんかリズムとメロディ、ムードがもう完全にニューオリンズの音楽という感じがします。
4.Traveling Mood/Dr.John
こういう曲を聴くとニューオリンズへ行きたくなりますね。
そして、このアルバム”In The Right Place”にはドクターが生涯歌い続けることになる名曲が収録されています。
パーティに来た友達の彼女を好きになってしまって彼女を奪おうとしている歌です。「なんて夜なんだ、月明かりの下スウィートな気持ちでフラフラしている。親友のジムの彼女をオレは奪おうとしている。でも、オレがやらなければ誰か他の男が彼女を奪うだろう。でも、彼女が一緒に歩きませんかとオレに言ったんだ。もうなんて夜だ、なんて夜だ」
5.Such A Night/Dr.John
ロマンチックないい歌ですね。他のミュージシャンがカバーしたものを聴いたこともあるのですが、この曲は他の人がやっても無理だとおもうくらいドクターの匂いがついています。

ドクターはこれ以降もたくさんアルバムを出しています。次回はちょっとジャズテイストのドクター・ジョンも聴いてみたいと思います。まだまだ続くドクター・ジョン!

2019.08.16 ON AIR

ニューオリンズの至宝、ドクター・ジョン追悼 Vol.1

GUMBO/Dr.John (ATCO/eastwest japan AMCY-3041)
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ON AIR LIST
1.Iko Iko/Dr.John
2.Let The Good Times Roll/Dr.John
3.Those Lonely Lonely Nights/Dr.John
4.Huey Smith Medley(High Blood Pressure~Don’t You Just Know It~Well I’ll Be John Brown)/Dr.John
ニューオリンズ・ミュージックを代表するミュージシャンのひとり、ドクター・ジョンが去る6月6日 に77歳で亡くなりました。
ドクター・ジョン(本名マック・レベナック)はニューオリンズR&Bだけでなく、アメリカとイギリスのロックやポップスにも大きな功績を残した人であり、ヴァン・モリソンやレヴォン・ヘルムのアルバムにも参加し、B.B.キングの”There Must Be A Better World Somewhere”での演奏も忘れられません。日本にも何度か来てくれて素晴らしい演奏を聴かせてくれました。

今回から3回に渡ってドクター・ジョンの追悼プログラムをON AIRします。
ドクター・ジョンのアルバムといえば「ガンボ」と答える人も多いと思います。僕も初めて彼の音楽に触れたのは名盤と呼ばれる「ガンボ」でした。
1972年にリリースされたこのアルバムは、一曲を除いてすべてニューオリンズのミュージシャンの曲をカバーしたものです。
ドクターはインタビューでこう言ってます「このアルバムを聴いた人たちがニューオリンズのR&Bに興味を持ってくれるといいなと思って作った」と。
実際、僕もこのアルバムでニューオリンズの音楽を初めて知ることになりました。当時はアルバム・タイトルのガンボがニューオリンズの郷土料理である煮込み料理であるという意味も知らなかったし、収録されている曲のオリジナルのミュージシャンもほとんど知らないでいました。初めてニューオリンズでガンボを食べたときはもちろんこのアルバムを想い出して、「ああ、やっとニューオリンズに来れた」と思ったものです。
一曲目、もうニューオリンズの民謡みたいな曲ですが、オリジナルはシュガーボーイ・クロフォード。女性3人組のディキシー・カップスでも有名です。1953年にシュガーボーイが録音した最初は”Jock-O-Mo”というタイトルでチェスレコードからのリリースでした。ニューオリンズ独特のセカンドラインのビートが最高です。
1.Iko Iko/Dr.John

次の曲はジミ・ヘンドリックスが”Electric Lady Land”というアルバムでカバーしたのを聴いたのが高校生の頃。オリジナルはドクターと同じニューオリンズのアール・キングですが、このドクターの「ガンボ」を聴いた頃はまだアール・キングのアルバムも持っていませんでした。ジミ・ヘンドリックスは”Come On” というタイトルでこの曲を録音しています。ヘンドリックスはロックしていてカッコいいですが、ドクターのこの曲のテンポ感とビート感、そしてイナタイテイストはちょっとマネできません。
2.Let The Good Times Roll/Dr.John

このアルバムにはもう一曲アール・キングの曲が収録されていますが、これも僕を含めブルーズ・ファンのほとんどはジョニー・ギター・ワトソンのカバーで知っていたと思います。アール・キングは素晴らしいソングライターであることをドクターは世間に知らせたいと思ってたようです。60年代の後期にドクターはロスに一時期住んでいたんですが、ニューオリンズでは有名なプロフェッサー・ロングヘアやスマイリー・ルイスそしてこのアール・キングのことを誰も知らないことに驚いたようです。自分がずっとヒーローだと思っていたニューオリンズの素晴らしいミュージシャンたちが、世界では知られていないことがこのアルバムをつくるひとつのきっかけになったようです。
「君がいなくなってから寂しい夜が続く」
3.Those Lonely Lonely Nights/Dr.John
こういう3連の曲がニューオリンズの音楽によくあるんですが、ゆったりして聴こえるけれどビートはステディです。ルーズではないんです。そのあたりがニューオリンズR&Bの難しいところでもあります。これをただゆるくやってしまうとニューオリンズ・テイストは出ません。

ドクターは1940年ニューオリンズ生まれ。アイルランド系の移民の家系でお父さんがレコード店を営んでいた関係で、小さい頃からいろんな音楽を聴いて育ちました。10才の頃にお父さんにギターを買ってもらい、お父さんが知合いだったパプース・ネルソンというギタリストに教えてもらうことになりました。この人がニューオリンズの大スター、ファッツ・ドミノのバンドのギタリストだったというからすごいです。この当時ニューオリンズではコズモ・マタッサというスタジオでいろんなミュージシャンのレコーディングが行われていて、ファッツ・ドミノやリトル・リチャードなどのヒット曲もここで録音されていました。つまり1940年から60年というドクターが20才になるまでの青少年時代、ニューオリンズR&Bは全盛だったわけです。そのまま地元で当たり前のようにミュージシャンになってアール・キングやアレン・トゥーサン、ミーターズ、といった人たちとニューオリンズR&Bを作っていったわけです。
その中にヒューイ・ピアノ・スミスがいまして、このアルバムにも「ヒューイ・ピアノ・スミス・メドレー」というのが入っています。ヒューイ・ピアノ・スミスというのはやはりニューオリンズのソングライターであり、シンガーであり、ピアニストでドクターの先輩に当たります。ヒューイは駆け出しの頃はアール・キングやギター・スリムのバックをやってましたが、やがてレコーディングにも呼ばれるようになりロイド・プライスやリトル・リチャードの録音に参加。スマイリー・ルイスの大ヒット”I Hear You Knockin’”の印象的なピアノもヒューイ・スミスです。57年に大ヒットRockin’ Pneumonia and the Boogie Woogie Flu”を出して一躍ニューオリンズを代表するミュージシャンになり、楽しいパーティ・ソングをたくさん作りヒットさせました。
ヒューイ・ピアノ・スミスのメドレーを聴いてください。
4.Huey Smith Medley(High Blood Pressure~Don’t You Just Know It~Well I’ll Be John Brown)/Dr.John

ドクター・ジョンがニューオリンズの音楽に敬意を払って作ったこのアルバム「ガンボ」には、ヒューイ・スミスと並んでドクターが大きな影響を受けたピアニスト、プロフェッサー・ロングヘアの曲も二曲収録されています。プロフェッサーには直接ピアノの手ほどきを受けたこともありドクターにとっては先輩であり先生のような存在だったと思います。

僕は個人的にドクターの想い出があります。友達の山岸潤史がニューオリンズでドクターを迎えてレコーディングしたことがありました。その時僕もついていったんですが、そのレコーディング・スタジオにバスケットの小さなコートがありました。僕はヒマだったので、そこでバスケットのゴールにめがけてボール投げて遊んでたんですが、そこにこれから録音するドクターが現れて「オイ、ボール貸してくれ」いうので貸して、そこからしばらく一緒にシュートのやり合いをしました。いい想い出です。もちろんそのあとのレコーディングのピアノは素晴らしかったです。

2019.08.09 ON AIR

60年代初期イギリスのモッズたちが愛したR&BそしてBLUES vol.2

Stirring Up Some Mad Soul ACTION(JASMINE  JASCD!046)

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ON AIR LIST
1.I Got Love If You Want It/Slim Harpo
2.I’m A Lover Not A Fighter/Lazy Lester
3.Too Many Cooks/Jesse Fortune
4.Homework/Otis Rush
5.16 TONS/B.B”Blues Boy”King And His Orchestra

前回に引き続き60年代のイギリスのカルチャー・ムーヴメントのひとつだったモッズ、そのモッズの連中が好きだった音楽、アメリカのR&Bとブルーズをコンピレーションしたアルバム「Stirring Up Some Mad Soul ACTION」を聞きます。
前回はアルバムに入ってるR&Bを聞いたのですが、今回はブルーズを中心に聞きます。
60年代前半にロンドンでモッズと呼ばれた若者たちは、モッズコートと呼ばれたアメリカ軍のパーカーを好んで着たり、スクーターはイタリアのベスパ、ヘアースタイルはおかっぱみたいに前髪をおろしたスタイルとライフスタイルにそれなりのこだわりがあり、そういう連中が夜な夜なロンドンのパブ、クラブに集まって呑んだり踊ったりしていました。その頃彼らが聞いていた音楽を集めたのがこのアルバム「Stirring Up Some Mad Soul ACTION」

今日はこのアルバムからブルーズ編。まずは当時のイギリスの黒人音楽好きが大好きだったルイジアナのブルーズマン、スリム・ハーポ。
そのスリム・ハーポが所属したのが「エクセロレコード」。社長のジェイ・ミラーが作ったエクセロレコードのサウンドがイギリスの若者にぴったり来たようです。スリム・ハーポにはストーンズがカバーした”King Bee” “Shake Your Hips”はじめ”Rainin’ in My Heart” “Baby, Scratch My Back.””Tip on In”などヒット曲、有名曲がたくさんありますが、このアルバムに収録されているのは1957年彼のデビュー曲。イギリスで人気のあったスリム・ハーポをコンサートに呼ぼうという動きは当然あったようですが、ハーポは1970年に心臓発作で亡くなりました。46才という若さでした。
1.I Got Love If You Want It/Slim Harpo
もともとハーモニカ・スリムという芸名だったくらいでハーモニカは個性的ですごく印象に残ります。
ハーポの鼻にかかったような歌声とシンプルでメロディックなハーモニカ、バックのリズムはタイトでしっかりグルーヴして、全体的にはダウンホームな味わいという絶妙なサウンド・・これがエクセロ・レコードの特徴です。当時のモッズ連中は曲とか歌詞だけではなくてこういうエクセロレコードの録音の空気感も好きだったのではないかと思います。音が歪んでいなくて軽くはないんですけど乾いた音がしている。あと全体のサウンドの響きがなんとも言えずいいです。

もうひとりエクセロレコードのブルーズマン、レイジー・レスターが収録されています。レイジー・レスターはスリム・ハーポほど売れませんでしたが、エクセロというレーベルを代表するブルーズマンのひとりで彼のダウンホームな感じも捨てがたいものがあります。ハーモニカもいいです。
2.I’m A Lover Not A Fighter/Lazy Lester
レイジー・レスターは二年前に日本でも公開された”I AM THE BLUES”にも元気に出演していたのですが、昨年の8月に85才で亡くなりました。すごくいい味を出していた歌とハーモニカがもう聞けないのは残念。

次の曲は1963年の録音でバックのギターは若き日のバディ・ガイです。この曲はロバート・クレイがカバーしたのでそのヴァージョンで知っている方もいるかも知れませんが、オリジナルはこのジェシー・フォーチュンです。ラテン調のリズムとちょっとラフな演奏そしてフォーチュンのテンションの高い歌は盛り上がってきた夜中のクラブで踊るには最適のダンスナンバーだったと思います。
3.Too Many Cooks/Jesse Fortune
このアルバムのタイトル”Stirring Up Some Mad Soul”「奮い立つ熱狂のソウル」にふさわしいジェシー・フォーチュンの熱唱でしたが、こういうちっょとラテン色の入ったリズムもモッズ連中は好きだったみたいです。
次のオーティス・ラッシュもイギリスで人気のブルーズマンでした。彼のヒット曲”I Can’t Quit You Baby”はレッド・ツェッペリンにカバーされたり、”All Your Love”をジョン・メイオール&ブルーズブレイカーズ時代にクラプトンがカバーしたり、イギリスにも何度かコンサートに行ってます。しかし、ここで選曲されているのはラッシュがデュークレコードと契約した時に一枚だけリリースされたこの曲
ラッシュの有名曲ではないこの選曲もモッズらしい感じがします。
4.Homework/Otis Rush
いまの「ホームワーク」はロックのJ.ガイルズバンドにもカバーされています。

これ前もON AIRしたかも知れませんが、B.B.キングの珍しい曲で1956年にRPMレコードにいた頃の録音ですが、いわゆるスタンダードナンバーをB.Bがギター弾かないで歌だけ歌っているトラックです。曲は16トンという曲でマール・トラヴィスという人が作ってテネシー・アーニー・フォードという歌手が歌ってヒットしたらしいのですが、僕は黒人コーラスグループのプラターズ歌っているレコードをうちの親父が持っていたので小学生の頃よく聞かされました。。
しかし、この曲をBBが歌っているとは・・・最初聴いたときはびっくりしました。
5.16 TONS/B.B”Blues Boy”King And His Orchestra
やっぱりギターを弾かなくても充分に歌手としてだけでも通用する歌の上手さです。
今回は前回に引き続きちょっと面白いアルバム「Stirring Up Some Mad Soul ACTION」を聞きました。これは輸入盤でジャスミン・レコードというイギリスの会社からリリースされています。なかなか楽しいアルバムです。

2019.08.02 ON AIR

60年代初期イギリスのモッズたちが愛したR&BそしてBLUES vol.1

Stirring Up Some Mad Soul ACTION(JASMINE  JASCD!046)

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ON AIR LIST
1.Let’s Go Let’s Go Let’s Go/Hank Ballard And The Midnighters
2.Louie Louie/Richard Berry And The Pharaohs
3.Hitch Hike/Marvin Gaye
4.Shop Around/Mary Wells
5.You Better Move On/Arthur Alexander

みなさんは50年代終わりから60年代にイギリスの若い人たちの間でモッズというカルチャー・ムーヴメントがあったのをご存知でしょうか。モッズはMODともMODSとも表記されますがModernismの略。
モッズのムーヴメントというのはファッションや音楽、ヘアースタイル・・まあライフスタイル全般に関してのもので、まあ当時の流行の先端をいく洒落者、遊び人でしょうか。彼らが好んだ音楽はアメリカのR&Bやブルーズやジャズやジャマイカのスカ、ときにはカリプソなんかも好まれてクラブで流れていたそうです。
僕はモッズと聞くとイギリスのバンドのザ・フー、スモール・フェイセス、キンクス、スペンサー・ディヴィス・グループを想い出すのですが、モッズに当時対抗していたのが、ロッカーズという革ジャンに革のパンツスタイルのバイクに乗る一団で、ビートルズの初期の写真を見るとそういう出で立ちでロッカーズだったことがわかります。

今回はモッズの話なのですが、ロンドンに「アメリカーナ」というクラブが1950年代半ばにオープンしてそこに夜な夜なロンドンのヒップな連中が集まってきていました。そのクラブの流れで60年代にフラミンゴ・クラブというのが出来てそこにいわゆるモッズと呼ばれる連中がたむろしていたそうです。今日聴いてもらうアルバム”Stirring Up Some Mad Soul”というアルバムはそういうモッズのクラブでよく流れていた曲のコンピレーションです。
”Stirring Up Some Mad Soul”というアルバム・タイトルなんですが、「奮い立つ熱狂のソウル」とでも訳すのでしようか。まずこのアルバムに入っているR&Bを聞いて来週ブルーズを聴こうと思ってます。と言ってもこの頃の黒人音楽はブルーズがR&Bそしてソウル・ミュージックに移っていく時代なので、R&Bやブルーズの明確な線引きが難しい曲もたくさんあります。
最初はハンク・バラードとミッドナイターズのLet’s Go Let’s Go Let’s Goですが、ハンク・バラードが好きという人に日本であまり会ったことがありませんが、彼はロックの殿堂入りもしているアメリカのR&Bのレジェンドで1954年”Work With Me Annie”というのが大ヒットしてそのあとこのアニーのシリーズを連発”Annie Had a Baby”  “Annie’s Aunt Fannie”と出してます。
まずは1960年のヒットのこの曲を。
1.Let’s Go Let’s Go Let’s Go/Hank Ballard And The Midnighters
いまのハンク・バラードというシンガーは最初ドゥワップやコーラスグループをやって、そこからソロになったのですが、なかなか甘いルックスをしてまして、人気があったやろなと思います。

リチャード・ベリー・アンド・ファラオズ(英語発音はフェロウズ/エジプトのファラオのこと)のリチャード・ベリーは50年代中頃から60年代にかけてウエストコーストで活躍したミュージシャン。もうリチャード・ベリーと言えばこの曲「ルイルイ」「ルイルイ」と言えばリチャード・ベリー。同じ曲名の太川陽介さんの「ルイルイ」より僕にはこっちの「ルイルイ」いかにもモッズの連中が好きなダンスナンバーです。
1956年の大ヒットです
2.Louie Louie/Richard Berry And The Pharaohs
リチャード・ベリー アンド ザ・フェロウズで「ルイルイ」でした。この曲は世界中で1000以上のカバーがあるそうです。当時の定番のパーティ・ソングだったのでしょう。

次はローリング・ストーンズが1965年4枚目のアルバム「Out Of Our Heads」でカバーしていたマーヴィン・ゲイの、これも大好きな曲です。
マーヴィン・ゲイと言えば、ソウル・ミュージックを代表するシンガーで大ヒット曲”What’s Goin On”はソウルの名曲のひとつですが、いまから聞いてもらう「Hitch Hike」は1962年のマーヴィンの初期の曲です。めちゃヒットしたわけではなくてアメリカのR&Bチャートで12位ポップチャートで30位くらいの曲で、イギリスではチャートにも出てきてなかった。こういうちょっとマニアックなカッコいい曲をモッズの連中は好きだったんですね。
クラブで「オマエ、これ知ってるけ?」「これがカッコええねん」というようなマニアックな自慢の会話が聴こえてきそうです。
3.Hitch Hike/Marvin Gaye
まだR&Bのテイストが濃いいい曲ですHitch Hike。
次もマーヴィン・ゲイと同じモータウン・レコードのシンガーで女性シンガーのメリー・ウエルズ。曲は1960年にスモーキー・ロビンソン率いるミラクルズがR&Bチャート1位にまで押し上げた曲で”Shop Around”
その翌年にこのメリー・ウエルズがカバーしてます。60年代中頃からモータウン・レコードはテンプテーションズ、スプリームス、フォートップス、スティーヴィー・ワンダーと次々とスター・シンガーを送りだすのですが、それ以前にイギリスのモッズの連中はモータウン・ソウルの素晴らしさに気づいていたんですね。
メリー・ウエルズは「ザ・ワン・フー・リリー・ラヴス・ユー」「ユー・ビート・ミー・トゥ・ザ・パンチ」「トゥー・ラヴァース」といったヒット曲、更に大ヒットの「マイ・ガイ」などでモータウン・レコードの初期に会社を支えた素晴らしいシンガーです。

4.Shop Around/Mary Wells
最後はまたローリング・ストーンズもカバーしていた曲で、オリジナルはアーサー・アレキサンダーが1961年にリリース。このアーサー・アレキサンダーというシンガーは本国アメリカではそんなに大ヒットしなかったのですが、イギリスのビートルズが彼の「アンナ」「ア・ショット・オブ・リズム・アンド・ブルース」「ソルジャー・オブ・ラヴ」などを好んでカバーしてました。
アーサー・アレキサンダーは歌い方があっさりしていてあまり黒人っぽくないところがミソで、カントリー・ソウルとも呼ばれています。シンガーとしてはあまり成功しなかったので70年頃には音楽界を引退してしまうのですが、彼が遺した曲はいま聞いてもすごくいいです。
5.You Better Move On/Arthur Alexander
朴訥に歌われている感じもいいし、ちょっと哀愁があるところもいいですね。ストーンズは1964年にリリースした4曲入りEP盤でカバーしてます。

50年代中頃からイギリスの若い人たちのアメリカの音楽に対する興味はどんどん盛り上がっていってビートルズの登場で今度はイギリスの音楽をアメリカに輸出することになっていくのですが、やはりこういうモッズ連中のマニアックなセンスの良さというのもイギリスならではで、のちにイギリスからジャマイカのレゲエの波が世界中に広がるんですが、イギリスのセンスに共鳴するところはたくさんあります。
来週はこのアルバムStirring Up Some Mad Soul ACTIONからブルーズのトラックを聞いてみようと思います。