2017.10.20 ON AIR

シカゴ・ブルーズの裏の立役者、素晴らしいソングライター、
アレンジャー、プロデューサーそしてベーシストのウィリー・ディクソン

I AM THE BLUES(Sony Music MHCP-422)
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ON AIR LIST
1.Hoochie Coochie Man/Muddy Waters
2.Spoonful/Howlin’ Wolf
3.Little Red Rooster/Willie Dixon
4.Wang Dang Doodle/Koko Taylor
5.My Babe/Little Walter

 

 

 

 

ビートルズにはジョージ・マーティンという素晴らしいプロデューサーがいて、彼が「5人目のビートルズ」と呼ばれるほど重要な人物だったことはよく知られています。やはりひとつの音楽やバンドやミュージシャンが世に出るには、そのミュージシャンの力だけでなく周りのプロデューサー、マネージャー、ソングライターの力が必要です。今日は40年代から60年代シカゴ・ブルーズのソングライター、プロデューサー、ベーシストとして活躍したウィリー・ディクソンを取り上げます。言わばシカゴ・ブルーズのジョージ・マーティン的役割を担った人です。
ウィリー・ディクソンは1915年ミシシッピー、ヴィクスバーグの生まれ。その後シカゴに移り住み、若い頃プロのボクサーでイリノイ州のヘヴィ・ウエイトのチャンピオンにまでなった人でした。でも、マネージャーと金銭トラブルでボクサーをやめてミュージシャンに転向したのが1930年代半ば。貧しい黒人が一攫千金を狙えるのはスポーツ選手かミュージシャンという構図はいまもあまり変ってないですね。
ミュージシャンになった最初はデュオを組んだり、トリオだったり・・ブルーズとポピュラーをやっていたみたいですが、のちに「チェスレコード」を興すチェス兄弟が経営しているクラブで演奏している時にチェス兄弟と仲良くなりました。それで彼らがレコード会社を立ち上げた時に専属のベース・プレイヤーとして雇われることになりました。1948年頃のことです。そして、ディクソンには演奏だけでなく、作詞作曲とアレンジャーとしての才能があることがわかりチェス・レコードの重要なミュージシャンそして製作スタッフとなります。
そして、ソングライターとして大きなヒットを出した最初がマディ・ウォーターズのこのブルーズでした。1954年。
1.Hoochie Coochie Man/Muddy Waters

ブルーズの名曲のひとつですが、この曲のエロティックな歌詞は当時女性に人気が出てきていたマディ・ウォーターズを見て、ウィリー・ディクソンが彼のために作った曲だったそうです。こういう下ネタの歌詞を黒人の女性たちが笑いながら、かけ声入れながら聴いて腰ふって踊っている・・・そういうブルーズが作りだす生活文化が僕はとってもいいと思います。日本ではすごくそういう歌を毛嫌いする人もいるし、無視する人もいますが、歌ですからね。おおらかに聴いて欲しいです。
まずブルーズは人間に起こるすべてを歌う音楽ですから。
このヒットからディクソンは同じチェス所属のハウリン・ウルフの”Evil”、リトル・ウォルターの”My Babe”とヒットを連発していきます。ちなみにウィリー・ディクソンが作ったそれ以外のブルーズの名曲をざっと上げてみます。マディ・ウォーターズの”Tiger In Your Tank”,”I’m Ready”,”The Same Thing” ,”You Shook Me”そして、ハウリン・ウルフの”Spoonful”,”Little Red Rooster”,”Back Door Man”,リトル・ウォルターの”Too Late”、ココ・テイラーが歌った”Wang Dang Doodle”,オーティス・ラッシュの”I Can’t Quit You Baby”・・・とまだまだあるのですが・・つまり、ウィリー・ディクソンの曲なくしてあの黄金期のシカゴ・ブルーズは語れないのです。
もちろん、ベーシストとしても録音に参加しその場でアレンジを考えたり、音のアンサンブルやグルーヴのアイデアを出したりとアレンジャーとプロデューサー的な役割もしました。
だから、レコーディングのクレジットとしてはプロデューサーはチェス兄弟になっていますが、実質的にスタジオでそういう役割をしていたのはディクソンだと思います。
では、彼が作った中でも僕が格別に好きな曲です
「たったスプーン一杯のダイヤやスプーン一杯の金、たったそれだけのためで争いごとが起きる。オレはスプーン一杯のオマエの愛で満足だけどね」
ハウリン・ウルフでヒットしてクリームがカバーしました。
2.Spoonful/Howlin’ Wolf

ウィリー・ディクソンはピアニストのメンフィス・スリムとのデュオ・アルバムとかコンピレーション・アルバムで歌ったものとかあるのですが、自分の名義で歌ったものとしては1969年にCBSレコードから出されたアルバム”I Am The Blues”が有名です。
タイトルがすごいですけどね”I Am The Blues”、「オレがブルーズだ」
このアルバムは全編自分の作った有名曲を自分で歌ったものですが、一曲聴いてみましょう。サム・クックもローリング・ストーンズもカバーした曲です。
3.Little Red Rooster/Willie Dixon
このアルバムのメンバーを見ると歌とベースが本人ウィリー・ディクソン、ハーモニカがウォルター・ホートン、ギターがジョニー・シャインズ、ピアノがサニーランド・スリムとラファエット・リーク、ドラムがクリフトン・ジェイムズ。1969年ですからまだいい時代のシカゴ・ブルーズのメンバーが残っています。

ディクソンが次のココ・テイラーに作ったWang Dang Doodleという曲は「面倒なことはやめて、みんなで大騒ぎして楽しもうよ」という意味のパーティ・ソングですが、この曲もいまだに歌いつがれている曲です。
ディクソンが作る曲のひとつの特徴は土着的な要素がありながら、覚えやすいR&B的なテイストが入っているところで、この曲なんかはゴスペル的な感じもあります。

4.Wang Dang Doodle/Koko Taylor
ウィリー・ディクソンは40年代終わりからチェスレコードで働いていたのですが、57年にチェスを離れてもっとマイナーなコブラ・レコードでマジック・サム、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイといった当時の若手ブルーズマンを売り出してます。これはチェスが当時ブルーズよりR&BとR&Rが流行出したのでそちらへ方向を向けたからでした。でも、2年でコブラが倒産し再びチェスに戻るのですが、その間に若手がデビューするきっかけを作ったのでした。
60年代に入ると黒人音楽の主流はソウル・ミュージックへと流れていくので裏方としてのディクソンの役割は減りました。でも、その60年代にはヨーロッパとくにイギリスのロック・ミュージシャンがブルーズを始めて、ブルーズ・ブームがありディクソンはブルーズマンたちをまとめてコンサート・プロデューサーのような役割で渡欧して活躍しました。
ウィリー・ディクソンの曲作りのミソというのは、どこかにちょっとポップな要素があり、ブルーズの曲にしては覚えやすいメロディがあるというところです。次の曲なんかはもう鼻歌で歌えるくらいメロディがあるブルーズです。
5.My Babe/Little Walter

今日はシカゴ・ブルーズの偉大なソング・ライターであり、アレンジャー、プロデューサー、ベーシストだったウィリー・ディクソンを振り返りました。
1992年にウィリー・ディクソンは77才で亡くなりました。彼なくして50年代60年代のシカゴ・ブルーズの隆盛はなかったし、今日聴いてもらったようにブルーズの名曲をこんなに残した人もいません。
面倒見も良かったんだと思います。シカゴのブルーズマンには信頼されていて晩年82年には自分の印税を元に、ブルーズの音楽的遺産を残したり、若いブルーズマンを育てる目的の「ブルーズ・ヘヴン・ファンデーション」という非営利組織を作って、それはいまも活動しています。

最後にウィリー・ディクソンが残した有名な言葉を「The Blues Is The Roots,Everything Else Is The Fruits/ブルーズは音楽の根っこで、他のすべての音楽はその根っこの木に出来た果実だ」本当に名言だと思います。