2022.06.17 ON AIR

新たにリリースされたデルタ・ブルーズの偉人、サン・ハウスの64年再発見直後のライヴ演奏

Forever On My Mind / Son House (Easy Eye Sound 00888072287310)

ON AIR LIST
1.Forever On My Mind / Son House
2.Death Letter / Son House
3.Preachin’ Blues/Son House
4.Empire State Express/Son House

1930年あたりに活動していた南部の弾き語りのブルーズマンたちは時代の変遷による音楽スタイルの変化についていけず、仕事がなくなり、40年代中頃に入ると音楽から引退せざるを得なくなった。南部デルタ・ブルーズマンのひとり、偉大なサン・ハウスもその1人。ロバート・ジョンソンにもマディ・ウォーターズにも影響を与え、世俗と宗教の信仰の間で揺れ動く気持ちを激しいスライド・ギターとともに歌い南部一体では有名な存在だったサン・ハウスは行方知らずとなってしまった。
しかし、50年代半ばの白人のフォーク・ブルーズのブームによってサン・ハウスのように引退し、行方不明になってしまったブルーズマンを探し再び演奏してもらおうといういわゆる「ブルーズマン再発見」の動きが盛んになった。そんな中、1964年サン・ハウスはブルーズの研究家ディック・ウォーターマンたちに見つけられた。その時、サン・ハウスは鉄道関係の肉体労働をしていた。行方不明になってから約20年が過ぎていた。今日聴くアルバムはその64年に見つけられた年のライヴ録音で、録音場所は高校か大学か学校。おそらく見つけられた伝説のブルーズマンを聴くために熱心な若い白人のフォークブルーズ・ファンたちが集まったと思われる。
その聴衆たちが初めて聴くサン・ハウスの演奏に驚いているのか、客席が静かでまるでスタジオ録音のようだ。最初に聞いてもらうのはアルバム・タイトルにもなっている曲でサン・ハウスのモーン(唸り声)とギターで始まる。

1.Forever On My Mind / Son House

何も歌わなくても最初の唸り声とギターだけですでにブルーズになっている。録音がすごくクリーンなのも驚きだ。

サン・ハウスの曲の中で有名な曲というと”Death Letter”(死の手紙)でしょう。これはカサンドラ・ウィルソン、ホワイト・ストライプのジャック・ホワイトなどカバーもたくさんある。カサンドラの個性的だがオリジナルのテイストを失っていないカバーは一聴の価値があると思う。
「一通の手紙が届いて読んでみると自分の彼女が死んだという手紙で、男は急いで彼女の元に駆けつけるけど彼女は冷たい板の上に乗せられていた」という悲痛なブルーズです。「死の手紙」

2.Death Letter / Son House

金属製のリゾネーター・ギターというのを使ってスライド・バーをギター弦の上で滑らせるスライド奏法というのをサン・ハウスはやっているが、そのスライド・バーが弦の上を滑る音もクリーンに聞こえます。
サン・ハウスは1902年の生まれと言われているのでこのアルバムが録音されて時は62歳。デルタ・ブルーズの盟友チャーリー・パットンも後輩のロバート・ジョンソンもすでに亡くなっている。サンはこの再発見された後、発見したディック・ウォーターマンがマネージャーとなって活発に演奏活動を始め、白人のフォーク・フェスティバルなどにも多く出演した。
見つけられた時にはギターも持ってなくて何年も演奏をしてなかったそうで、このアルバムのジャケット写真(後からHPで見てください)のリゾネーター・ギターもたぶんディック・ウォーターマンが調達して来たものだと思う。ジャケットで来ているちょっとおしゃれな服もウォーターマンが用意したものでしょう。このアルバムが録音された時は発見されて間もないので演奏がまだ手探りだったような気がする。今のDeath Letterも後年のライヴを聴くと激しさが増していますが、10年以上ギターも触ってない、歌も歌っていない状況ですから・・・でも、その手探りな感じの中でも彼の緊張感のある演奏と歌は素晴らしい。
次の一曲も彼を代表するブルーズ。

3.Preachin’ Blues/Son House

プリーチンとは説教をするということだが、サン・ハウスは元々教会でゴスペルを歌っていた。いわゆる聖なる神様への歌を25歳くらいまで歌い、牧師さんをやっていたこともある。ですが、彼が牧師をやっていたのは普通の黒人のように畑で一日中きつい労働をしなくていいから・・という理由だったのではないかとも疑われている。25歳くらいから酒場でブルーズを歌った方が金になり、酒もあり女性もたくさんいるという感じになったのだと思う。しかし、幼い頃から教会で受けた宗教の教えは彼の心に根付いているわけで、そこで享楽的な世俗の生活との葛藤が彼にはあったように思われる。
発見された後、彼の演奏は若い頃を思い出したかのように次第に激しさも出て来て、ギターを手で叩きつけるように弾き、高いテンションでブルーズを歌う姿は何かを払いのけたいような、何かから逃れたいようにも見える。
もう一曲。曲名の「Empire State Express」のExpressは特急列車のことですが、彼のギターが力強く走っていく列車の感じを見事に表現している。

4.Empire State Express/Son House

70年代に入ってしばらくするとサンはアルツハイマーとパーキンソン病になり、演奏活動が困難になっていき、次第にリタイアしていった。そしてデトロイトで長年連れ添った奥さんに看取られて1988年に86歳で亡くなった。若い頃は南部一帯を転々とチャーリー・パットンなどと回ったり、殺人を犯して(正当防衛という話)刑務所に入っていたこともあり、やはり激しいブルーズマン生活だったようだ。
しかし、若くして早死にするブルーズマンも多い中、ブルーズマンとしては長生きした人で再発見後もいろんなところで演奏し、暖かく迎えられ、アルバムも何枚か残すことができていい晩年だったのではないだろうか。
このアルバム「Forever On My Mind」の録音の5ヶ月後に「Father Of Folk Blues」というアルバムがリリースされていますが、それも素晴らしいアルバムです。また、若い頃のバリバリのサン・ハウスを聞きたい方はチャーリー・パットンとのアルバム「伝説のデルタ・ブルース・セッションズ1930」をどうぞ。