2020.07.10 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集vol.21

戦前シティ・ブルーズ-1 30年代に詩情あふれるブルーズを歌った偉大なリロイ・カー

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

ON AIR LIST
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr

自分のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャー」で昨年リリースしたアルバム”Blues Before Sunrise”のアルバムタイトル曲”Blues Before Sunrise”はエルモア・ジェイムズのバージョンを元にしたものだが、実はこの曲のオリジナルは戦前1920年代後半から30年代にかけてヒット曲を連発したシティ・ブルーズのキング、リロイ・カーがオリジナルだ。
当時南部ではチャーリー・パットンやブラインド・レモン・ジェファーソン、サン・ハウスなどギターの弾き語りによる土着的なカントリー・ブルーズを歌い人気を博していた頃だが、リロイ・カーはピアノを弾きながら北部のインディアナポリスで都会のブルーズを歌っていた。それらは南部にも届くほどのヒットだった。元々ナッシュビルで生まれてインディアナポリスで育ったリロイ・カーはニューヨーク育ちほどではないが都会の人間だ。いろんな写真を見てもスーツを着てこざっぱりしている。

まずは、1934年の録音
「目に涙を溜めて夜明け前のブルーズ、すごく惨めな気分で落ち込んでしまう・・」
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
力んだり、シャウトしないでとてもストレートな歌い方でさりげないのですが、よく聞くと歌声の芯は太くてしっかりしている。途中で裏声をつかうところはリロイ・カーに影響を受けたロバート・ジョンソンにも受け継がれている。
ロバート・ジョンソンだけでなく当時の多くのブルーズマン、そしてのちのレイ・チャールズなどにも大きな影響を与えたリロイ・カーはブルーズのソングライターとしても素晴らしい才能があった。歌詞に叙情があり展開にしっかりした整合性があり、南部のブルーズマンがエモーショナルにその時々の思いを歌ったものとは違ったものになっている。その光景が目に浮かぶような見事な詞を書いている。
聴いてもらってわかるようにカーの歌い方は南部のブルーズマンのようにラフでタフな感じがなく、洗練されたとまでは言いませんがスマートです。彼のレコードがそれまでのブルーズマンではあり得ないほど売れたのは、やはりそのスマートな都会的な感覚に共感した都会の黒人たちだけでなく、南部にいる黒人たちもそのスマートな感覚に憧れたからではないだろうか。

1928年の次の曲が当時信じられないくらい大ヒット。当時、カーの乗っていた車の座席にはいつも札束がどっさり置いてあったそうだ。
ロバート・ジョンソンの美しい歌詞はやはりこのリロイ・カーの洗練された言葉の選びに影響を受けたものだと思う。
「あの夕暮れの列車が行ってしまってどのくらい経つんだろう。汽笛が聴こえ、列車が見えなくなって心の痛みがやってくる、ああどれくらい、どれくらい」1928年録音。口ずさめるメロディだ。
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
ここで聞き逃してはいけないのがスクラッパー・ブラックウェルのギター。ブラックウェルは最初プロになるつもりはなく地元でギターとブルーズを歌うのが上手い男だった。それを聞きつけたリロイとプロデューサーが是非一緒にやってくれと頼みこんだらしい。カーの歌とピアノの間を埋めるブラックウェルのギターの絶妙なセンス。このふたりはブルーズ・デュオとして当時売れまくり、フォロワーもたくさん生み出した。いまのHow Longはビッグ・ジョー・ターナー、ルー・ロウルズ、ダイナ・ワシントン、エリック・クラプトンともう数えきれないくらいカバーされたブルーズ名曲。

リロイ・カーの歌詞はしっかり机上で作詞された感じがするけど、どうだったんだろう。次の曲も深い情感にあふれその光景が目に浮かぶような詞を書いている。
「夜明けに向かっている真夜中に、ブルーズが忍び込んできて心を奪ってしまう。ベッドに入っているけど眠れやしない。煩わしいことばかりで気持ちが沈んで行く・・」
真夜中にひとり憂鬱になってしまう気持ち、誰もがそうなってしまう時の気持ちを見事に歌にした名曲。
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
僕が最初にリロイ・カーを聴いたのは1971年にリリースされた「RCAブルーズの古典」というコンピレーションのアルバム。「ロックス・イン・マイ・ベッド」と「シックス・コールド・フィート・イン・ザ・グラウンド」と二曲収録されていましたが、ガツンとした南部のカントリー・ブルーズに比べるとなんか細い感じがして聞き流していた。結局この”Blues Before Sunrise”という単独アルバムを買ってから彼の良さを知った。とくにつぎの「Hurry Down Sunshine」が好きで毎日ヘビーローテーションで聴いていました。
「早く沈んでくれよ、おてんとさま、ああ明日はどうなるんだろう。悲しみの涙もたくさん落ちてきて、雨のしずくも落ちてくるだろう。オレはあいつにホレてるけど、彼女はオレのことなんか愛してない。彼女は最後の女なんだよ」
20代前半、どうなるかわからない不安な日々の自分の気持ちに寄り添ってきたブルーズだった。
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr
こんな素晴らしい曲を作るリロイ・カーって一体どんな人だったのだろう・・最初に出てくる話がアルコール依存症と呼ばれる大酒飲みだったということ。
1905年にナッシュヴィルで生まれインディアナポリスで育ち、ピアノは独学。10代半ばで学校を止めて放浪をしてパーティや酒場で歌い、サーカスの一団に入ったこともありそのあと軍隊にも入ってる。密造酒を作って売っていたこともあり、結婚も短い間ですがしたこともある。それで1928年にインディアナポリスに戻っている時にギターのスクラッパー・ブラックウェルと知合いデュオを始め、そのまますぐ売れてしまう。それから7年ふたりは当時にしては珍しい全米で知られる有名黒人ブルーズデュオとして活躍するわけです。いろいろカーの人間性に結びつく話はないかと探してみたが、何故そんなに酒に溺れたのかという理由ははっきりわからない。ただの酒好きだったか。10代の頃の写真を見るとなかなか端正な顔をしている。相棒のブラックウェルとはずっとうまくやっていたように見えるのだが、1935年にふたりは金のことが原因で喧嘩別れ。そして、そのあとすぐにカーは酒の飲み過ぎて内蔵を悪くして亡くなってしまう。わずか30才。相棒のブラックウェルはその後音楽をやめてしまう。その喧嘩がどんなものだったのか・・ちょっとしたお金のことだったのか・・ブラックウェルは喧嘩したことを後悔して音楽をやめたのかも知れない。
「Simple Studio」というサイトを作っておられる方がいて、そこに相棒のブラックウェルのことが詳しく書かれているのですが、そこにカーが亡くなった後にブラックウェルが録音した曲の歌詞が訳されていたのでここで紹介させていただきます。タイトルは”My Old Pal Blues(古い友のブルース)”
「彼の歌は止んだ(終わった) 彼の演奏も止んだ 二度と彼の声を聞くことも無い。本当にいいやつだった 寂しさはどこに行っても募るだろう」

7年間に160曲を録音
同じ20年代から30年代のブルーズでも南部のミシシッピーやテキサス、アラバマで歌われたブルーズと、このリロイ・カーの北部の都会イディアナポリスで歌われたブルーズの違いに、ブルーズという音楽の広さと深さを感じる。