2020.08.21 ON AIR

Ruby Wilson-ビール・ストリートの女王

Ruby Wilson/Ruby Wilson (MARACO/Solid CDSOL-5416)

ON AIR LIST
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
4.Seeing You Again/Ruby Wilson

ブラック・ミュージックの世界にはたくさんの才能のあるシンガーやプレイヤーがいて、アメリカを旅していてフラッと入ったクラブで有名ではないが素晴らしい歌手に出会うことは珍しいことではない。このアルバムを買って初めて聴いた時もそんな気持ちになった。
「ビールストリートの女王」と呼ばれたルビー・ウィルソン。
彼女を代表するアルバムは今日聴いてもらうこの「ルビー・ウィルソン」というデビュー・アルバム。もう一枚ジャズを歌ったソロ・アルバムがあり、いろんなバンドにゲストで入ったアルバムもあるのですが、ルビー・ウィルソンを代表するアルバムはほぼこれ一枚と言ってよいと思う。
このアルバムも僕が買ったのは彼女を知っていたからではなくて、このレコード会社が南部の黒人音楽で有名な「マラコ・レコード」だったからだ。そのマラコ・レコードのアルバムがシリーズで何枚かリリースされた時があり、その中の一枚がこれだった。
アルバムの解説に「ビールストリートの女王」と書いてありどういうことかと思ったら、彼女は70年代からメンフィスのいくつものクラブが軒を並べる有名なビールストリートのいろんな店でで20年以上歌っている歌手だった。70年代にはメンフィスでは誰もが知っている有名な歌手だった。
歌を聴いてもらえばわかりますが、かなり実力のある歌手でなぜ彼女がもっとメジャーなところまで行かなかったのか不思議です。

まずは一曲聴いてみましょう。これはO.V.ライトも歌っている曲で元々はジャッキー・ヴァーデルというゴスペル女性シンガーが作って歌ったものです。
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
“Are You Lonesome”という歌い出しからしてすごくいいですよね。この一曲を聴いただけでもルビー・ウィルソンが相当実力のある歌手だとわかると思います。

ルビー・ウィルソンは1948年テキサスのフォートワース生まれ。南部の多くの子供たちと同じように彼女も小さい頃から綿花畑の綿花を摘む仕事を手伝って育ちました。
お母さんが信仰心の強い人で教会のクワイヤーのリーダーもしていて、ルビーも7才から教会で歌っていたそうです。お母さんはゴスペル以外の音楽は悪魔の音楽と呼んで嫌っていたのですがお父さんはブルーズが好きで、ルビーはお父さんと一緒にブルーズを聴いたりもしていたそうです。
「おかあさんには内緒やで」と言う感じやったんでしょうね。
それで15才の時、彼女の歌声を聴いた有名なゴスペル・シンガーのシャーリー・シーザーが彼女のバックコーラスに誘い、しばらくシャーリーのバックを務めたあとシカゴの教会のクワイアーのディレクターになります。そのあと一旦テキサスに戻って、このあたりからジャズを歌い始めてます。
そして、72年24才の時にメンフィスに移り住んでなぜか幼稚園の先生になります。結婚でもしたんでしょうか(彼女は生涯に4回結婚しています)でも、幼稚園の先生しながらメンフィスのビールストリートというクラブが立ち並ぶ繁華街のクラブで歌い始めます。やっぱり歌はやめられなかったんですね。
この頃からビール・ストリートで有名になっていったんでしょうね。
これくらい実力があるルビー・ウィルソンが20代半ばになる頃までにメジャー・デビューがなかったのが不思議に思います。

実はこのアルバムの一曲目から三曲目までがディスコ・テイストの曲ですが、当時のブラック・ミュージックの流れでこういう感じになったと思います。
一曲聴いてみましょう。
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson

まあ、悪くはないんですが、なんかもうひとつ特徴がないんですよね。70年代中頃から80年代にこういうリズムで、こういうサウンドで作られた曲がたくさんあって、この曲もなんかもうひとつひっかかりがないと言うか・・・。
ルビーは76年にマラコレコードと契約するのですが、この「ルビー・ウィルソン」というアルバムがリリースされたのは81年。5年くらい経っているのはなぜかよくわかりませんが、たぶんシングルはポツポツと出していたんでしょう。
次の曲も一曲目と同じバラードの曲ですが、これはマイケル・ジョンソンという白人のシンガーが1978年にヒットさせた曲。マイケル・ジョンソンは60年代にカントリー・フォーク・シンガーで登場してその頃はジョン・デンバーと一緒に活動していました。70年代の終わり頃にはボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのようなAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)シンガー風になった人ですが、僕はその頃に聴いたような覚えがあります。曲もいいし、ルビー・ウィルソンの歌もいいです。
「あなたが去ってしまった後、たくさん読書ができるようになり、あなたが去ったあとたくさん眠れるようになった。あなたがいなくなった時物事が簡単に進むようになった。人生はそよ風のようだと想い僕は喜んだんだ。けれど、ブルーな気持ちはもっとブルーになり、悲しみはもっと悲しくなっていく。この空になった部屋のたったひとつの光があなただった・・」恋人と別れて自由な気分を最初は味わっていたけれど、次第に恋人を失くした悲しみを深く感じるという歌です。
いい歌詞です。
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
ちょっとグラディス・ナイトを想い出させるんですよね、
本当にすごくいい歌手なのになんでもっとアルバムが出なかったんでしょう。
音楽の世界は実力があっても必ずしも売れるわけではないんですが・・・
彼女は2009年に脳卒中を煩いしばらく喋れなくなったけど、その後リハビリに励んで歌を歌えるところまで回復したんですが、2009年に今度は心臓麻痺になり68才で亡くなっています。メンフィスのビールストリートのクラブにふらっと入って、こんな素晴らしい歌手が歌っていたら嬉しいですよね。
彼女はどんな想いの人生だったんでしょう。
最初の曲名が.Why Not Give Me a Chanceでしたが、あまりチャンスをもらえなかったのか。それともそんなに欲がなくてメンフィスで歌っているだけで充分だったのか。
彼女は子供が四人いて、孫が12人いてひ孫が5人いるんです。それだけで幸せだったのかも知れないですよね。
シンガーやミュージシャンはみんな有名になりたいという気持ちがないわけではないし、お金を稼ぎたいという気持ちもないわけではないけど、生活できれば無理しないでこんな感じで好きな歌が歌いつづけられればいいというシンガー、ミュージシャンもたくさんいると思います。
先週、先々週ON AIRしたビル・ウィザースのようにすごく売れたけど、いろいろ指図されるショービジネスの世界がイヤになってミュージック・シーンから去ってしまう人もいるんですね。
ひょっとするとルビー・ウィルソンは家庭があって子供がいて住んでいるメンフィスで歌っているだけで幸せだったのかもしれません。
もう一曲
4.Seeing You Again/Ruby Wilson