2020.08.07 ON AIR

追悼ビル・ウィザース-1

Bill Withers Live At Carnegie Hall(SUSSEX SXBS7025-2)

ON AIR LIST
1.Use Me/Bill Withers
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
4.Lean On Me/Bill Withers

3月30日にビル・ウィザースが81才で天国に召されました。ON AIRが遅れてしまいましたが、今日と次回はビル・ウィザースの追悼特集。
ビル・ウィザースを知らない方でも今日このON AIRを聴けば「ああ、知ってる・・」と、どこかで聴いたことを想い出されるかも知れない。映画やドラマ、CMなどに何度も使われ、いままたコロナウィルスの感染が広がり人々の心が支えを必要とする時、彼の歌が再び歌われています。
そして、今日初めて聴く方の心にはきっと彼の歌が残ると思います。
ビル・ウィザースはソウルのカテゴリーに入るシンガーですが、普通のソウルシンガーとちょっと違ってます。そのことは追々話します。そして、彼はとても優れたソングライターでもあります。
僕は1973年か74年頃に彼のライヴ・アルバムを聴いたのが最初でした。このライヴのビルの歌がすごくストレートで飾り気がなく、それでいて力強く誠実な感じがしました。彼と一体となったバックのミュージシャンたちのグルーヴ感も素晴らしく、彼の歌に寄り添ったバッキングはヴォーカル・ミュージックの演奏の優れたお手本です。録音されたのは1972年ですがリリースは1973年「Live At Carnegie Hall」からまず一曲
「オマエはあの女に使われて利用されているだけだと友達が言うけど、わかってるんだ利用されているのはとことん利用してくれ。オレを使いつづければいいさ。でも、使われながら結局はオレもオマエを使ってるんだけどね。」
1.Use Me/Bill Withers
1972年ビルボード・チャートの2位まで上がったヒットでした。この曲は二枚組のアルバムの1曲目ですが、とにかく印象に残るリズム・パターンが始まり強烈なリズムのグルーヴと歌に対してムダのない的確なサウンドを出しています。バック・ミュージシャンが、ドラムのジェイムズ・ギャドソン、ギターのバーノース・ブラックマン、ベースがメルヴィン・ダンロップ、ピアノとアレンジも担当したレイ・ジャクソンこの頃この4人がビル・ウィザースのバンドとしていつも活動していたことで息もぴったりです。
ビルの作る曲は次の曲でもわかるようにストレートで、素朴な感じの中に独特の叙情を感じさせます。だからあまり余計な音作りとか大げさなアレンジは必要なく曲そのものが生かされた作りになっています。
いまのUse Meが彼にとって二曲目のヒットでしたが最初のヒットがブルーズ・テイスト溢れる次の曲
デビューの2曲目でした。1971年
「彼女がいなくなってしまって太陽が消えたようだ。暖かさもなくなり、この家は家庭ではなくなってしまった。毎日は暗闇だ」
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
チャートの3位まであがり、アーロン・ネヴィルほかたくさんのカバーがあります。
デビュー二曲目が3位、三曲目が2位とすごく順調でした。
このライヴがいかに素晴らしかったかは最後まで聞くとわかりますが、ビル自身もアルバムのライナーに「決して忘れることができないだろう」と書いてます。

ビルは1938年ウエストバージニアに生まれ、お父さんは炭坑で働く労働者でした。小さい頃、彼は吃音(どもり)で苦労したそうです。そう言えばB.B.キングも小さい頃吃音でした。ビル・ウィザースは高校卒業後に軍隊に入って軍隊を出たあとにロスにやってきて飛行機にトレイを設置する仕事をしていました。ビルはミュージシャンになろうとは思っていなくて、本当にフツーに仕事をする黒人の若者だったわけです。その頃、たまたまクラブに遊びに行った時に歌っていたのがルー・ロウルズだったそうです。ルー・ロウルズはサム・クックの弟分のような存在でやはり早くから歌の上手さは評判でした。まあ、ジャズもブルーズもソウルっぽいものも歌えるシンガーで日本では人気がでませんが、アメリカのショービズ界では高いステイタスのあるシンガーです。そのロウルズが女性にすごくモテているのを見てビルはオレもあんな風にモテたいと思いシンガーになる決心をしたらしいです。意外と軟弱な考えやったのですね。それでデモテープを作ってレコード会社に送ったらサセックス・レコードというレコード会社がやろうと言うことになりデビューです。最初の曲はヒットしなかったのですが、ヒットしたのがいまのAin’t No Sunshine。その勢いでアルバム”Just As I Am”をつくります。33才のデビューですから遅い方です。
実は高校生の頃の友達が白人と黒人といて音楽的にフォークっぽいところは白人の影響を受け、もちろんR&Bをはじめとする黒人音楽も聴いてはいたのでしょう。
次の曲なんかもフォークっぽいです。「おばあちゃんの手、おばあちゃんは日曜の朝の教会で手を叩いていた。おばあちゃんはタンバリンを叩くのが上手だった。僕が走るのをそんなに早くは知ると危ないよとその手で止めてくれた。おばあちゃんの手は悲しむ人をなだめて、その顔を包み込んだ。僕が転ぶと起こしてくれたおばあちゃんの手・・・」と優しかったおばあちゃんの想い出を歌った歌です。
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
60年代後半から70年代初中期、マービン・ゲイやスティービー・ワンダーそしてカーティス・メイフィールドが自分の政治や社会に対する意志表示を音楽でするようになり、その後にロバータ・フラックやダニー・ハサウェイなど当時の新人が表れてニュー・ソウルと呼ばれました。そのムーヴメントは非常に活気のあるもので黒人のソウル・ミュージックに新しい時代が来たことを表してました。その中で登場してきたのがビル・ウィザースでしたが、黒人なのにちょっと違うテイストを感じさせたのはたぶんいまのようなフォークテイストがあったからだと思います。
マービン・ゲイやスティービー・ワンダーがやはり黒人をすごく感じさせるのにビルはちょっと違いました。
つぎの曲はゴスペルのテイストがあるやはりビルならではの曲です。
「心が弱った時には僕を便りにしてくれ、僕は君の友達なのだから君を助けるし、僕も君に助けてもらうこともあるだろう。私たちはみんな頼る誰かが必要なんだよ。だから僕を頼って」
4.Lean On Me/Bill Withers
誠実な人柄をビルの歌から感じる人は多いと思います。このカーネギー・ホールのライヴもすごく熱いんですが、大騒ぎしているわけではないんですよ。ビルやミュージシャンのソウルと聴衆のソウルが一体になっているというか、レコードに二枚組なんですが聴き終わるとレコードを聴いている自分もすごく心が熱くなっているのがわかります。
ビル自身が決して忘れることのないライヴと言ったソウルの名盤のひとつがこのビル・ウィザースのカーネギー・ホール・ライヴです。
是非ゲットしてください。
85年までに8枚のアルバムを残してビルは音楽シーンから引退してしまいます。それから先日亡くなるまで一度も彼は復帰しませんでした。これだけ才能のあるミュージシャンがなぜ・・・それはまた来週、まだまだある彼の名曲を聴きながら話ましょう。