2023.04.21 ON AIR

日本のブルーズにとって貴重な本「ニッポン人のブルース受容史」が出版された

「ニッポン人のブルース受容史」(日暮泰文(編集, 著)高地明(編集, 著) P-Vine発刊/日販アイ・ビー・エス発売 ¥4,200)

RCAブルースの古典(BMGビクターレコード)

ON AIR LIST
1.Big Road Blues/Tommy Johnson
2.Walk Right In/Cannon’s Jug Stompers
3.Take A Little Walk With Me/Robert Lockwood, Jr.
4.Key To The Highway/Jazz Gillum
5.Vicksburg Blues Part 3/Little Brother Montgomery

この度、音楽評論家でもありブルース・インターアクションズ、P-Vineレコードの創立者でもある日暮泰文さんと同じブルース・インターアクションズの創立に関わりライターでもある高地明さんが「ニッポンのブルース受容史」と題された本を出版されました。
日暮さんは日本におけるブルーズの拡がりにとても大きな役割をされた方で、現在僕が連載を書かせてもらっている「ブルーズ&ソウルレコーズ」の前身である「ザ・ブルース」という雑誌を70年代初期に創刊されたり、日本のレコード会社にブルーズのリリースを働きかけられたり、黒人ブルーズマンの来日の招聘などもされた方です。その日暮さんが立ち上げた「ブルース・インターアクションズ」そして「P-Vine Records」を共にやってこられたのが高地さんです。
そのお二人が黒人ブルーズがいかにして日本という国に受け入れられて行ったのか、その流れを60年代初めまで遡って70年代までを本にまとめたのが今回の「ニッポンのブルース受容史」
今日は日本のブルースの初期に非常に大きな役割をしたアルバム「RCAブルースの古典」を聴きながらこの本の話をしたいと思います。その「RCAブルースの古典」の編集にも日暮さんは関わっておられました。リリースは1971年。レコードでは三枚組でした。
その一曲目に収録されていたのがトミー・ジョンソンの”Big Road Blues”という曲で、まだブルーズロックから抜けきらずにいた僕にとってこういう弾き語りの古い戦前のブルーズはなかなか馴染めるものではなかった。

1.Big Road Blues/Tommy Johnson

このアルバムに入っているこのトミー・ジョンソンやブラインド・ウィリー・マクテルやスリーピー・ジョン・エステスなど弾き語りブルーズに馴染めるようになるのに2,3年かかったと思います。まあ、それまでオールマン・ブラザーズやジミ・ヘンドリックス、マウテンなどブルーズロックを聞いていた耳にはサウンドの肌触りが全く違うのでなかなか入り込めなかったのですね。この「RCAブルースの古典」は3枚組ですからそれなりに値段も高かったけれど買ったのは、やはりブルーズという音楽を知りたいという気持ちが強かったんですね。でも、馴染める曲は少なくて次のキャノンズ・ジャグ・ストンパーズの曲くらいが60年代フォークの流れでルーフ・トップ・シンガーズという白人のフォークグループが歌っていてヒットしていたので知っていて、でも「これもブルーズなのか?」と思ってました。

2.Walk Right In/Cannon’s Jug Stompers

こういうジャグというジャンルがブルーズの一つとしてあるんだということもこのアルバムで知りました。
日暮さんがこの「ニッポンのブルース受容史」の巻末で日本にブルーズが受け入れられたと感じたのは1974年のロバート・ジュニア・ロックウッドが初来日コンサートだったと書かれているが、僕も大阪厚生年金会館のコンサートに行ったときに会場を取り巻く多くの人たちに驚きました。僕がブルーズを歌い始めたのは1972年くらいでその頃は「なんで黒人のブルーズなんか歌うの」って言われたこともありました。それが74年のロバート・ジュニア・ロックウッドが初来日コンサート当たりからブルーズに興味のある人たちが一挙に増えた実感があった。そのロックウッドがこのアルバム「RCAブルースの古典」にも入っていることを思い出してコンサートに行く前日に聞いた覚えがあります。

3.Take A Little Walk With Me/Robert Lockwood, Jr.

74年のロックウッドの来日が素晴らしかったことでブルーズのブームは本格的になった。日暮さんや評論家の中村とうようさん、鈴木啓志さんなどが各レコード会社に働きかけ次々とブルーズのアルバムがリリースされました。
今のロックウッドと一緒に来日してコンサートのオープニングを飾って強烈な印象をのが盲目のブルーズマン、スリーピー・ジョン・エステスも「RCAブルースの古典」に収録されています。
「RCAブルースの古典」と同じ1971年にリリースされたロックの名盤が「いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)」の中に同じ”Key To The Highway”が収録されていました。「いとしのレイラ」は言わずと知れたエリック・クラプトンのバンド「デレク・アンド・ドミノス」のアルバムですが、クラブトンが誰のバージョンを聞いてカバーしたのかわかりませんが、黒人ブルーズマンのサニーボーイ1世、リトル・ウォルターなども録音しています。ぼくは今から聞いてもらうジャズ・ジラムのバージョンが一番好きです。
「俺はハイウェイに行く鍵を持った。これから出かけてもう2度とここに帰らないかも知れない。出かける前にもう一度キスしておくれ。でも、いつの日にかハイウェイで俺はのたれ死ぬんだろうな」

4.Key To The Highway/Jazz Gillum

1940年の録音でジラムのハーモニカの音色とビッグ・ビル・ブルーンジーの弾くギターの音色がすごくマッチして哀愁のあるブルーズの名曲になっています。

70年代のはじめにブルーズ喫茶やバーができたり、ロック喫茶でもブルーズを流すところがあったり、そこに黒人ブルーズマンの来日コンサートがあったりしてヒタヒタとブルーズは日本広まって行きました。だから一つの力じゃないんですね。いろんなことが重なってブルーズのブームが起こりました。70年代半ばです。
僕はレコードを買うお金もそんなになくて、でもブルーズのことは知りたくて・・それでよく買っていたのがコンピレーション・アルバム・当時はオムニバス・アルバムと呼んでましたが、いろんなブルーズマンのいろんな曲を聴けるのでそこからこれいいなと思うブルーズマンのソロ・アルバムを次に買ってました。ピアノのブルーズがいいなと思ったのもこの「RCAブルースの古典」に入っていたからでした。リロイ・カーとかビッグ・メイシオとかブルーズ史上に残るブルーズ・ピアニストたちが活躍していた時代があり、ピアノならではのブルーズの名曲もたくさん作られました。今日聴いてもらうリトル・ブラザー・モンゴメリーのこの曲もアメリカ南部の景色が広がるような歌とピアノで初めて聴いた時に心に残るものでした。

5.Vicksburg Blues Part 3/Little Brother Montgomery

70年代はYouTubeどころかDVDもなくビデオも普及していなくてブルーズマンたちがどんな風に演奏しているのかを知る方法がなかった。だからB.B.キングとかロックウッドに続いてバディ・ガイやオーティス・ラッシュなどブルーズマンの来日コンサートはブルーズを演奏する日本人の私にとって本当に勉強になった。

今回出版された「ニッポン人のブルース受容史」という本は日本においてどんな風にブルースが入って広まったのかを70年代初中期を中心に書かれています。アメリカやイギリスでは日本よりほぼ10年くらい早く黒人ブルーズが広まっていたのですが、日本では欧米よりブルーズの精神的な、内面的な部分が受け入れられ、日本人の精神にハマったのではないかとぼくは思います。もちろんブルーズは私たちが持つ日本人独特の心に寄り添える音楽ではないかと思っています。なので若い人たちにも機会があればじっくりブルースを聴いてもらいたいと思います。
「ニッポン人のブルース受容史」はなかなか読み応えのある本でロックやジャズを聴く方たちにもお勧めの一冊です。
そして今日聞いた「RCAブルースの古典」もお勧めのアルバムです。

2023.04.14 ON AIR

追悼:スペンサー・ウィギンス vol.3

Feed The Flame : The Fame And XL Recordings/SPENCER WIGGINS

ON AIR LIST
1.Love Attack/Spencer Wiggins
2.Cry To Me/Spencer Wiggins
3.Holding On To A Dying Love/Spencer Wiggins
4.We Gotta Make Up Baby/Spencer Wiggins
5.Sweet Sixteen/Spencer Wiggins

先々週からON AIRしていますこの春に急逝した偉大なソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンスの特集3回目。
スペンサー・ウィギンスとジェムズ・カー、そしてパーシー・ミレンという3人のソウル・シンガーを同じゴールド・ワックス・レコードの三羽烏などと呼ぶ人もいます。僕が好きになったのは最も歌の切れ味が鋭いスペンサー・ウィギンスでしたが、最初に広く知られたのは”Dark End Of The Street”がヒットしたジェイムズ・カーでした。
今日の最初はそのジェイムズ・カーがバラードとして歌った曲をウィギンスがアップテンポのナンバーにアレンジしたテイクを聞いてください。1969年のフェイム・レコードの録音です。

1.Love Attack/Spencer Wiggins

ジェイムズ・カーがバラードとして歌った曲が重厚なサウンドのダンス・ナンバーとして生まれ変わってました。ウィギンスの歌のノリが素晴らしく、曲の最後に向かって全員のテンションが上がりウィギンスのシャウトにつながっていくところなどサザンソウルの醍醐味ですね。

フェイム・レコードでも二枚のシングルをだしただけで終わったウィギンスはヒット曲が出ないことに落胆して73年に故郷メンフィスを離れてフロリダに移り住みます。フロリダに行ったからと言ってヒットが生まれるわけでもなく、レコーディングの話もないわけですが、自分の環境を変えたかったのだと思います。おそらくクラブで毎晩歌うだけの生活だったのだと思います。そして一時は歌うことを断念するところまで彼は追い込まれました。

「彼女と別れて一人ぼっちになって誰からも電話もない。泣きたくないかい。泣きたい気持ちだろう。俺のところに来て泣けよ」という辛い曲ですが、ウィギンスは心からソウルフルに歌っています。

2.Cry To Me/Spencer Wiggins

今の曲のオリジナルは1962年にソロモン・バークが歌いアトランティック・レコードからリリースされたチャートにも出ましたが、ウィギンスのバージョンはヒットしませんでした。
ウィギンスが成功できなかった理由の一つは所属したゴールトドワックスとかフェイムと行ったレコード会社が小さなマイナーの会社でラジオや雑誌などにプロモーションする費用がなかったこともあったと思います。例えば今の曲のオリジナルのソロモン・バークが所属したアトランティック・レコードも最初はインディーズの小さなレコード会社でしたが、ルース・ブラウンやレイ・チャールズの大ヒットのおかげで60年代にはアレサ・フランクリンやオーティス・レディングをリリースするソウルの大看板レーベルになっていてプロモーション費用もかなりあったと思います。
それに加えウィギンスにはマネージャーがいませんでした。アメリカのショービジネスの世界では有能なマネージャーは不可欠の存在です。それゆえにスペンサー・ウィギンスの素晴らしさを売り込む人がいなかったという状況だったようです。
次の曲に日本のソウル・ファンは懐かしく思うかもしれません。そう78年に来日してから何度も日本で歌ってくれたオーティス・クレイがレパートリーにしていた曲です。72年にハイ・レコードからリリースされたクレイの素晴らしいアルバム”Trying to Live My Life Without You”に収録されている曲です。思えばそのオーティス・クレイもシカゴのマイナーレーベルでシングルを出し続けていたのですが、よく知られるようになったのはやはり大きなハイ・レコードに移籍してからでした。

3.Holding On To A Dying Love/Spencer Wiggins

彼はマイアミに移り住んでからゴスペルの世界に戻ります。そして、ゴスペル・アルバム”Key To The Kingdom”をリリースします。
多くのソウル・シンガーがそうであるようにゴスペルは彼らの実家のようなものだと思います。そしてマイアミの教会でクワイアのコーチをしたり教会関係の仕事をしていたようです。
彼はマイアミに行く前にフェイムとXLというレーベルに録音を残していました。それは「フィード・ザ・フレイム : ザ・フェイム・アンド・XLレコーディングス」というアルバムに全曲収録されています。全曲素晴らしいです。日本のP-Vineレコードからもリリースされていたので探してみてください。
そのアルバムから1曲

4.We Gotta Make Up Baby/Spencer Wiggins

2017年スペンサー・ウィギンスは弟のソウル・シンガー、パーシー・ウィギンスと来日公演を行いました。僕も観に行きました。スペンサーは75歳だったと思います。ステージではほとんど動かずステージに上がるのにも人の手を借りてました。この番組で三回に渡って聞いてもらった往年のような声は出ませんでしたが、それでも集まったソウル・ファンの声援に応えてひたむきに歌っていました。そして所々に若き日の歌の輝きを聞かせてくれました。でも、やはり70年代の後半オーティス・クレイやO.V.ライトが来日した頃に来ていたらなぁ・・・という思いは消えませんでした。そして、こんな素晴らしい歌手がアルバムもなくあまり知られずにいたことに改めてショービジネスの世界の過酷さを思いました。
最後にスペンサー・ウィギンスがメンフィスのクラブで歌い始めた10代の終わり頃、彼が好きだったのはB.B.キングやボビー・ブランドのブルーズとレイ・チャールズのR&Bでした。そのB.B.キングのヒット曲が録音されているので聞いてみたいと思います。

5.Sweet Sixteen/Spencer Wiggins

ブルーズを歌っても素晴らしいです。2/13に亡くなった偉大なサザン・ソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンスの追悼を三週にわたってON AIRしました。
この番組のHPにジャケ写などだしてますのでぜひアルバムを探して聞いてみてください。

2023.04.07 ON AIR

追悼:スペンサー・ウィギンス vol.2

Soul City U.S.A./Spencer Wiggins(Goldwax Records/Vivid Records)
Feed The Flame : The Fame And XL Recordings/SPENCER WIGGINS

ON AIR LIST
1.Walking Out On You/Spencer Wiggins
2.The Power Of A Woman/Spencer Wiggins
3.That’s How Much I Love You/Spencer Wiggins
4.Love Machine/Spencer Wiggins
5.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins

先週に引き続き2/13に81歳で亡くなった偉大なサザン・ソウル・シンガー、スベンサー・ウィギンスの特集二回目です。今日もウィギンスが66年から69年まで所属したゴールド・ワックス・レコード時代の曲をまず聞いてみようと思います。ウィギンスは1942年の生まれですから録音された頃は20代半ばで将来に向けて夢を持って歌っていた頃でしょう。
ところが彼はずっとシングルしか出せなくてアルバムを出せない状態が続きます。それはやはり大きなヒットが出なかったからです。
先週から聞いているアルバム”Soul City U.S.A.”も1977年になってやっとシングルを組んでリリースされたものです。今日は最初に僕も「ブルーヘヴン」というバンドを組んでいた時にカバー・レコーディングした曲です。軽快なシャッフル・ビートに乗って歌うウィギンスは持っている歌唱力の6,7分くらいの力で歌ってる感じがします。

1.Walking Out On You/Spencer Wiggins

「遊んでばかりいてイライラさせられる彼女にその生き方を変えないんやったら俺は出て行くぜ」と三行半を突きつけたような歌ですね。

このゴールドワックスというレーベルで録音されたウィギンスの曲はバックの演奏もとても丁寧に作りこまれています。ウィギンスの歌も素晴らしいし、バックも申し分ない演奏です。なのに売れなかった。1977年このSoul City U.S.A.というアルバムが日本でリリースされた頃、日本はサザンソウルのちょっとしたブームに入り始めていました。南部のシングルしかない60年代のソウル・シンガーたちの曲を集めたコンピレーション・アルバムもかなりリリースされました。その中でもウィギンスは傑出したシンガーだと僕は感じていました。
次のバラードはスペンサー・ウィギンスの曲の中でもぼくが好きな1曲で強烈な彼の歌唱が聞けます。
男は偉そうにしているけど結局女性が持っている生きる力には勝てないという曲です。
「男はサムソンやヘラクレスみたいに偉そうにしているけど女性の甘い唇に膝まづいてしまう」という歌詞がいいですね。

2.The Power Of A Woman/Spencer Wiggins

次もバラードですがオーティス・レディングやO.V.ライトが歌った名曲”That’s How Strong My Love Is”に匹敵する最上級のサザンソウル・バラードです。
歌に呼応したギター始め素晴らしいバックの演奏にも耳を傾けて聞いてください。

3.That’s How Much I Love You/Spencer Wiggins

スペンサー・ウィギンスの気持ちとバックが一体となってエンディングに向かって行く演奏の素晴らしさ。
大きなヒットが生まれないまま1969年に所属していたゴールド・ワックス・レコードは会社を畳んでしまいます。結局7枚のシングルをゴールドワックスから出して彼はアラバマのマッスルショールズにあるフェイム・レコードに移籍します。
その移籍第一弾が1969年のこの曲です。

4.Love Machine/Spencer Wiggins

アレンジやサウンドの作りに当時のソウル・ミュージック・シーンに対応してヒットを狙っている感じがします。ファンク・テイストもありダンサブルですが、曲のタイトルの「ラブ・マシーン」というのもそうですが、やはり69年70年最初によくあったダンス・ナンバーという感じは歪めない。最後の方で素晴らしいシャウト&スクリームで盛り上がっていくところはやはりゴスペル出身の実力を感じさせられます。
フェイムレコードではシングルが二枚だけのリリースでした。その2枚目の”Double Lovin’”のB面に収録された”I’d Rather Go Blind”で彼は本領を発揮しています。この曲は女性R&B
シンガーのエタ・ジェイムズが友達と作りエタ本人が歌ってヒットした名曲ですが、このスペンサー・ウィギンスのカバーも素晴らしい出来です。
「君が他の男と去って行くのを見るくらいなら僕は盲目になった方がマシだ」という強烈なロストラブ・ソングです。1970年の録音。

5.I’d Rather Go Blind/Spencer Wiggins

音楽の世界は才能があっても、努力があってもそれがヒットや成功に繋がるわけではありません。人との出会いやチャンス、時代の流れなどいろんな要素も絡んでヒットが出たり成功に導かれれたりします。「ソウルシンガーの中のソウルシンガー」と呼ばれたウィギンスは周りからも一目置かれる歌手でしたから、大きなヒットが出ない苦悩は大きかったと思います。この前の野球のWBCの時の村上選手みたいなもんですよ。すごく期待されていて四番を任されて十分な実力もあるのにホームランとか得点に繋がるヒットが出ない村上選手の苦しみみたいなものです。村上選手はそのプレッシャーをはねのけて活躍しましたが、音楽のヒットは自分だけの努力では難しいです。そしてウィギンスはヒットが出ないことに嫌気がさして故郷メンフィスを後にしてフロリダへ移り住みます。
この後の話はまた来週。

2023.03.31 ON AIR

追悼:スペンサー・ウィギンス vol.1

Spencer Wiggins/Soul City U.S.A.(Goldwax Records/Vivid Records)

ON AIR LIST
1.Take Me Just As I Am/Spencer Wiggins
2.The Kind Of Woman That’s Got No Heart/Spencer Wiggins
3.Soul City U.S.A./Spencer Wiggins
4.Up Tight Good Woman/Spencer Wiggins
5.I Never Loved a Man the Way I Love You/Spencer Wiggins

“The Soul Singer’s Soul Singer”つまり「ソウルシンガーの中のソウルシンガー」と呼ばれた偉大なサザン・ソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンスが2月13日に81歳で亡くなった。60年代から70年代にかけてゴールド・ワックスとかフェイムといった南部のレーベルに名曲を残したスペンサー・ウィギンスを知ったのは70年代中頃。私の中ではO.V.ライトと同じくらい好きなソウル・シンガーです。それで今日から三回にわたってウィギンスの歌の足跡を辿ってみようと思います。
スペンサー・ウィギンスは1942年にメンフィスに生まれ、子供の頃から母親がクワイアに参加していた教会で歌い始めてます。ボビー・ブランドは近所の仲間だったそうだ。高校に入ったときにはアース・ウインド&ファイアのモーリス・ホワイト、スタックスレコードの重鎮となるMG’sのブッカー.T.ジョーンズ、ハイ・レコードのシンガー&ソングライターのドン・ブライアント、そしてゴールド・ワックスのレーベルメイトとなるシンガーのジェイムズ・カーが同級生だったと言うから目が回りそうです。
60年代のソウル・ミュージックの隆盛の中てスペンサーが育ったメンフィスには「スタックス・レコード」という大看板のレコード会社がありましたが、スタックスはニューヨークの有名な「アトランティックレコード」と提携していたこともあって曲がヒットすると全米に名前が知れ渡ることになりました。もうひとつのメンフィスにはアル・グリーンなどを擁した有名なソウルレーベル「ハイ・レコード」がありました。しかしスペンサー・ウィギンスは優れたシンガーであるにも関わらずそういうメジャーな路線に乗ることができず全米では有名になることはできませんでした。自分の看板になるようなヒットが出せなかったことも原因の一つでした。
しかし、70年代の終わりに向けて日本ではジワジワと盛り上がっていくサザン・ソウル・ブームの中、1977年に日本のヴィヴィッド・サウンドから彼のアルバムがリリースされました。アルバム・タイトルは”Soul City USA”。そのアルバムタイトルはなんだか軽い感じがしたのですが、レコードのA面の一曲目はこんな曲ではじまりました。

1.Take Me Just As I Am/Spencer Wiggins

Take Me Just As I Am「ありのままの僕を受け入れてくれ」という歌詞から始まる最初のTake Meがとても衝撃的で、そのあとに続くゴスペルで鍛えられたであろう力強く、よく伸びるしなやかな歌声。この一曲だけで私はスペンサー・ウィギンスの歌の世界に引き込まれました。
曲を作ったのは少し前にこの番組で特集したダン・ペンとスプーナー・オーダム。「ポケットに溢れるようなお金も持ってないし、運転しているのは変な古い車だし、君のような素敵な女性から付き合いを申し込まれたこともない。でも僕の心を受け取ってくれないか、君の愛が必要なんだ」
私のようにうだつの上がらない男の気持ちを代弁するかのようなこの歌に胸が締め付けられた20代後半でした。
次の歌も報われない愛を歌っています。
「君に愛も心も捧げたけれど君はそれを拒み引き裂いた。君は心ない類の女だ」

2.The Kind Of Woman That’s Got No Heart/Spencer Wiggins

スペンサー・ウィギンスはこういうリズムのある歌もグルーヴ感やスピード感を持って歌えるシンガーで、次の歌などはウィルソン・ピケットが歌いそうなジャンプ・ナンバーです。でも、決してピケットにも負けない素晴らしくスピード感とキレのある歌を歌ってます。
アルバム・タイトル曲です。いろんなアメリカの地名とソウル・シンガーの名前が出てきて大ヒットしたアーサー・コンレーの”Sweet Soul Music”を思い出させる曲です。

3.Soul City U.S.A./Spencer Wiggins

他愛ないダンス・ナンバーですが、それでもウイギンスの歌唱の素晴らしさが出てます。
もう少し彼がキャッチーでオリジナリティのあるダンス・ナンバーに巡り合っていたらウィルソン・ピケットやオーティス・レディングばりのスターになっていたと思います。
次は彼のレパートリーの中でまあまあ売れた曲です。
「まっすぐなちゃんとした女にそばいて欲しいんだ」と歌っています。この曲もダン・ペンとスプーナー・オーダム

4.Up Tight Good Woman/Spencer Wiggins

アレサ・フランクリンのアトランティック・レコードからのデビュー曲で大ヒットした” Never Loved a Woman the Way I Love You”をウイギンスがカバーしていて、これはやはりどんな風に歌っているのか聞いてみたいですよね。

5.I Never Loved a Woman the Way I Love You/Spencer Wiggins

どうでしたか。やはりすごく歌の力があるシンガーだと思います。今日聴いてもらったこのゴールド・ワックス・レコードのシングルをまとめたアルバム”Soul City U.S.A.”はほとんど入手できない状況なので是非来週も聴いてください。まだまだ聴いてもらいたいスペンサー・ウィギンスの曲があるので来週も彼の特集をします。

2023.03.24 ON AIR

実力があったのにブレイクしなかったブルース・アンド・ソウルマン、アルバート・ワシントン

Albert Washington / Blues & Soul Man

ON AIR LIST
1.Jealous Woman/Albert Washington
2.Turn on the Bright Lights/Albert Washington
3.He’s Got the Whole World in His Hands/Albert Washington
4.Hold Me Baby/Albert Washington
5.Love Is a Wonderful Thing/Albert Washington

実力があるのに売れなかったミュージシャン、シンガーは音楽の世界にたくさんいるのですが、今回聴いてもらうブルース、R&Bシンガー、アルバート・ワシントンももっと売れて有名になってもおかしくない人でした。
それでもアルバムは3枚、シングルは20枚ほど出して地元のオハイオ州シンシナティあたりのクラブでは名の知れたシンガーでした。
どんな人だったのかちょっと振り返ってみると、アルバート・ワシントンは1937年ジョージ州ロームという町で生まれています。お母さんがとても信心深い人でゴスペルは神様の音楽だけどブルーズやR&Bは”Devil’s Music”つまり「悪魔の音楽」と呼んで息子のアルバートがそういう音楽を聴くのも嫌っていました。その影響で彼の最初の音楽キャリアはゴスペル・グループへの参加でした。でも、このゴスペル時代に彼は鍛えられて力強いハイ・テナーの歌声を自分のものにしたと思います。ゴスペルを歌いながらも世の中で流行っているサム・クックやB.B.キングが好きでギターも覚えたのですが、結局ブルーズ、R&Bの世界の飛び込むのはお母さんが亡くなってからでした。お母さんを悲しませたくなかったのですかね。
1962年に25歳でシングル・デビューするのですが、今回聴いてもらうシングルを集めたコンピレーション盤には67年からの録音しか収録されていません。
アルバート・ワシントンはブルーズからR&Bやファンクっぽい曲、ゴスペルも歌ってるのですが次のようなロックンロール、ロカビリー的な曲も録音してます。
ギターもワシントン本人が弾いているのですが、リズムギターだけでも印象に残ります。1967年アバート・ワシントン30歳です

1.Jealous Woman/Albert Washington

なかなかハイテンションな歌とダンサブルなリズムの曲でライヴでやればウケただろうと思います。
ギターは5歳のときに叔父さんが弾いているのを見て弾きたいと思ったらしいですが、家が貧しかったせいもありギターが買えずに自分でガソリンの缶をボディにしてゴムを弦に見立てて自分なりのギターを作ったりしています。多分ギターとしてはものにならなかったと思いますが。その子供の頃からブルーズマンのブラインド・ボーイ・フラーが好きだったらしいですからやっぱりギター弾いてブルーズを歌いたかったのでしょう。
次はアルバート・ワシントンを代表するブルーズで彼の歌もいいのですが、サポートしているロニー・マックのギターもアグレッシヴで曲のテンションを上げています。

2.Turn on the Bright Lights/Albert Washington

アルバム・タイトルもBlues & Soul Manでブルーズもいいのですが、しかし「三つ子の魂百まで」でしようか、幼いころから歌ってきた次のようなゴスペル、スピリチュアルズに彼の歌の良さが表れていると思います。
“He’s Got the Whole World in His Hands”という曲でHeつまり神様の手の中に全て世界はある。そして吹く風や降る雨も神様の手の中にある。あなたも私も神様の手の中にあるのだ。つまりすべては神様の心のままに・・というトラッドなゴスペル曲です。

3.He’s Got the Whole World In His Hands/Albert Washington

アルバート・ワシントンは16歳のときにゴスペレアーズというゴスペルグループに参加して録音したのが最初でそのあと自分のゴスペルグループ「ザ・ワシントン・シンガーズ」を結成してますから、やはりゴスペルが一番大きなルーツだったんですね。
次の曲は知っている方も多いと思いますが、ソウル・ファンク・グルーブの「アイズレー・ブラザーズ」の”It’s Your Thing”をほとんどそのまま取ってますね。これ大丈夫かと思うくらいですが・・・。
多分ブルーズやR&BにR&Rっぽいものも録音してみたけどなかなかヒットも出ないまま60年代の終わりになって、まあこういうファンク路線もやってみたということなんでしょう。
やたらロニー・マックが弾きまくっている曲です。

4.Hold Me Baby/Albert Washington

なかなか売れなかったんですが、シングルをコンスタントにリリースできたと言うことは売れる可能性をレコード会社の人たちもあると思っていたと思います。最後にとても彼らしい曲を聴いてください。

5.Love Is a Wonderful Thing/Albert Washington

素晴らしい歌が歌えるシンガーなんですが、全米に知られるような大きなヒットには恵まれなかったアルバート・ワシントン。
大きくは売れなかったけれど彼はずっと自分で曲を書き、自宅で録音も続けてました。地元のシンシナティで教会でも歌い、ずっとライヴ活動を続けブルースのフェスティバルをやり慈善活動もしていました。1998年に61歳で亡くなりました。彼の口癖は”No Sinner Here”「ここには罪人はいない」だったそうです。いい人だったのだと思います。