2020.08.21 ON AIR

Ruby Wilson-ビール・ストリートの女王

Ruby Wilson/Ruby Wilson (MARACO/Solid CDSOL-5416)

ON AIR LIST
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
4.Seeing You Again/Ruby Wilson

ブラック・ミュージックの世界にはたくさんの才能のあるシンガーやプレイヤーがいて、アメリカを旅していてフラッと入ったクラブで有名ではないが素晴らしい歌手に出会うことは珍しいことではない。このアルバムを買って初めて聴いた時もそんな気持ちになった。
「ビールストリートの女王」と呼ばれたルビー・ウィルソン。
彼女を代表するアルバムは今日聴いてもらうこの「ルビー・ウィルソン」というデビュー・アルバム。もう一枚ジャズを歌ったソロ・アルバムがあり、いろんなバンドにゲストで入ったアルバムもあるのですが、ルビー・ウィルソンを代表するアルバムはほぼこれ一枚と言ってよいと思う。
このアルバムも僕が買ったのは彼女を知っていたからではなくて、このレコード会社が南部の黒人音楽で有名な「マラコ・レコード」だったからだ。そのマラコ・レコードのアルバムがシリーズで何枚かリリースされた時があり、その中の一枚がこれだった。
アルバムの解説に「ビールストリートの女王」と書いてありどういうことかと思ったら、彼女は70年代からメンフィスのいくつものクラブが軒を並べる有名なビールストリートのいろんな店でで20年以上歌っている歌手だった。70年代にはメンフィスでは誰もが知っている有名な歌手だった。
歌を聴いてもらえばわかりますが、かなり実力のある歌手でなぜ彼女がもっとメジャーなところまで行かなかったのか不思議です。

まずは一曲聴いてみましょう。これはO.V.ライトも歌っている曲で元々はジャッキー・ヴァーデルというゴスペル女性シンガーが作って歌ったものです。
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
“Are You Lonesome”という歌い出しからしてすごくいいですよね。この一曲を聴いただけでもルビー・ウィルソンが相当実力のある歌手だとわかると思います。

ルビー・ウィルソンは1948年テキサスのフォートワース生まれ。南部の多くの子供たちと同じように彼女も小さい頃から綿花畑の綿花を摘む仕事を手伝って育ちました。
お母さんが信仰心の強い人で教会のクワイヤーのリーダーもしていて、ルビーも7才から教会で歌っていたそうです。お母さんはゴスペル以外の音楽は悪魔の音楽と呼んで嫌っていたのですがお父さんはブルーズが好きで、ルビーはお父さんと一緒にブルーズを聴いたりもしていたそうです。
「おかあさんには内緒やで」と言う感じやったんでしょうね。
それで15才の時、彼女の歌声を聴いた有名なゴスペル・シンガーのシャーリー・シーザーが彼女のバックコーラスに誘い、しばらくシャーリーのバックを務めたあとシカゴの教会のクワイアーのディレクターになります。そのあと一旦テキサスに戻って、このあたりからジャズを歌い始めてます。
そして、72年24才の時にメンフィスに移り住んでなぜか幼稚園の先生になります。結婚でもしたんでしょうか(彼女は生涯に4回結婚しています)でも、幼稚園の先生しながらメンフィスのビールストリートというクラブが立ち並ぶ繁華街のクラブで歌い始めます。やっぱり歌はやめられなかったんですね。
この頃からビール・ストリートで有名になっていったんでしょうね。
これくらい実力があるルビー・ウィルソンが20代半ばになる頃までにメジャー・デビューがなかったのが不思議に思います。

実はこのアルバムの一曲目から三曲目までがディスコ・テイストの曲ですが、当時のブラック・ミュージックの流れでこういう感じになったと思います。
一曲聴いてみましょう。
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson

まあ、悪くはないんですが、なんかもうひとつ特徴がないんですよね。70年代中頃から80年代にこういうリズムで、こういうサウンドで作られた曲がたくさんあって、この曲もなんかもうひとつひっかかりがないと言うか・・・。
ルビーは76年にマラコレコードと契約するのですが、この「ルビー・ウィルソン」というアルバムがリリースされたのは81年。5年くらい経っているのはなぜかよくわかりませんが、たぶんシングルはポツポツと出していたんでしょう。
次の曲も一曲目と同じバラードの曲ですが、これはマイケル・ジョンソンという白人のシンガーが1978年にヒットさせた曲。マイケル・ジョンソンは60年代にカントリー・フォーク・シンガーで登場してその頃はジョン・デンバーと一緒に活動していました。70年代の終わり頃にはボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのようなAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)シンガー風になった人ですが、僕はその頃に聴いたような覚えがあります。曲もいいし、ルビー・ウィルソンの歌もいいです。
「あなたが去ってしまった後、たくさん読書ができるようになり、あなたが去ったあとたくさん眠れるようになった。あなたがいなくなった時物事が簡単に進むようになった。人生はそよ風のようだと想い僕は喜んだんだ。けれど、ブルーな気持ちはもっとブルーになり、悲しみはもっと悲しくなっていく。この空になった部屋のたったひとつの光があなただった・・」恋人と別れて自由な気分を最初は味わっていたけれど、次第に恋人を失くした悲しみを深く感じるという歌です。
いい歌詞です。
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
ちょっとグラディス・ナイトを想い出させるんですよね、
本当にすごくいい歌手なのになんでもっとアルバムが出なかったんでしょう。
音楽の世界は実力があっても必ずしも売れるわけではないんですが・・・
彼女は2009年に脳卒中を煩いしばらく喋れなくなったけど、その後リハビリに励んで歌を歌えるところまで回復したんですが、2009年に今度は心臓麻痺になり68才で亡くなっています。メンフィスのビールストリートのクラブにふらっと入って、こんな素晴らしい歌手が歌っていたら嬉しいですよね。
彼女はどんな想いの人生だったんでしょう。
最初の曲名が.Why Not Give Me a Chanceでしたが、あまりチャンスをもらえなかったのか。それともそんなに欲がなくてメンフィスで歌っているだけで充分だったのか。
彼女は子供が四人いて、孫が12人いてひ孫が5人いるんです。それだけで幸せだったのかも知れないですよね。
シンガーやミュージシャンはみんな有名になりたいという気持ちがないわけではないし、お金を稼ぎたいという気持ちもないわけではないけど、生活できれば無理しないでこんな感じで好きな歌が歌いつづけられればいいというシンガー、ミュージシャンもたくさんいると思います。
先週、先々週ON AIRしたビル・ウィザースのようにすごく売れたけど、いろいろ指図されるショービジネスの世界がイヤになってミュージック・シーンから去ってしまう人もいるんですね。
ひょっとするとルビー・ウィルソンは家庭があって子供がいて住んでいるメンフィスで歌っているだけで幸せだったのかもしれません。
もう一曲
4.Seeing You Again/Ruby Wilson

2020.08.14 ON AIR

追悼ビル・ウィザース-2

LEAN ON ME:The Best Of Bill Withers(CK 52924)

LEAN ON ME:The Best Of Bill Withers(CK 52924)

 

Bill Withers Greatest Hits (CBS/Sony 32DP 883)

Bill Withers Greatest Hits (CBS/Sony 32DP 883)

ON AIR LIST
1.Kissing My Love/Bill Withers
2.Who Is He (And What Is He To You?)
3.Lovely Days/Bill Withers
4.Just The Two Of Us/Bill Withers

偉大なソウルのシンガー・ソングライター、ビル・ウィザースの訃報が3/30に流れ世界中の多くの人たちがSNSなどにお悔やみのメッセージを出しました。ビルはすでに音楽業界からリタイアして30年以上経っています。それでも彼の歌を愛する人たちが本当にたくさんいることを改めて知りました。

1985年『ウォッチング・ユー・ウォッチング・ミー』というアルバムが最後でした。でも、正式な引退宣言みたいなことがなかったので彼はまた曲を作って歌ってくれるのではないかという希望を多くのファンが持っていました。でも、それは結局叶いませんでした。これだけ才能も人気もある人がなぜ黙って引退してしまったのか・・・今日はちょっとそれに触れてみようと思います。

70年代最初にデビューしてから75年までの五年間ですでに彼の名前はしっかりソウル・ミュージック残るほどの功績を作っていました。

先週聴いた”Use Me” “Lean On Me” “Ain’t No Sunshine”などはソウルの名曲であり、彼の真摯な歌とステージに黒人白人問わず共感する人はふえていました。

1972 年にサセックスレコードからリリースされ翌73年にR&Bチャート12位まで上がったこの曲も素晴らしい。

いま聴いても古く感じない人間のぬくもりのあるファンク・ソウルです。

1.Kissing My Love/Bill Withers

次の曲もファンクの匂いがするんですが、James BrownともSly&The Family Stoneとも違うファンクになってます。何が違うのかと言えば、スライはロックテイストがありファンクロック的で、ジェイムズ・ブラウンは土着的、アーシーでグルーヴ命ですがビルの歌にはシャウトなどはなく内側から熱くなっていく感じなんですね。彼にとっては歌詞を聴かせることもすごく大切な要素だったと思います。

当時、ダニー・ハサウェイやロバータ・フラックといった内省的な歌や社会、政治的な歌を歌うニューソウルと呼ばれたソウルシンガーたちもいましたが、彼らともカラーが違うどこにも属さないような存在がビルでした。

2.Who Is He (And What Is He To You?)

プロデュースのクレジットにはビル・ウィザースとともにキーボードのレイ・ジャクソン、ドラムのジェイムズ・ギャドソンなどの名前が記されています。

つまり先週聴いてもらったビルのカーネギーホールでのライヴのメンバーです。そのメンバーがそのままプロデュースのクレジットに名前があるということは、バック・ミュージシャンというより同じバンドのメンバーという気持ちだったのではと思います。レコーディングもライヴも一緒にやっていてテレビの音楽番組に出ていました。ビルを中心として何か強い結束があったように感じます。

ところが1975年にサセックスレコードが倒産して、ビルは大手レコード会社のCBSコロンビアに移籍します。そこから毎年一枚ずつ78年まで順調に4枚のアルバムをリリースします。しかし、そこにはドラムのジェイムズ・ギャドソンの名前はもうありませんでした。録音はレコード会社が用意したスタジオ・ミュージシャンになっていました。

そして、78年以降レコード会社の担当になった者がまったくダメな男でビルに「君の作っている曲は好きではないし、黒人の音楽も好きじゃない」と言う奴でした。

この男になってからビルは他のシンガーのカバーを歌えと言われたり、もっとダンサブルな曲を録音しろと言われたりしてレコード会社側とギクシャクし始めます。

次第に録音が減っていき84年の”Watching You Watching Me”を最後にレコーディングしなくなりました。

次のような素晴らしい曲を作れて歌える人が音楽から遠ざかってしまうほど、彼は嫌になってしまったんですね。

「君を見るだけでいい日になるんだ、君を少し見るだけで素敵な日になるんだ」

3.Lovely Days/Bill Withers

いまの歌もそうですが、ビルは平凡な静かな生活の中にある光景を歌にするのがうまいです。

ビルの歌には素朴さがあり歌のテクニックがどうのこうのということではないんです。歌っていることも自分の身の回りのことで、そういうところがブルーズと似ているところがあるのかも知れません。初めて聴いた時に僕がすっと彼の歌に入り込めたのもそこかも知れません。

次は1980年のリリースですが、この曲も当時ディスコやソウル・バーでよく流れていました。R&Bチャートで3位、ポップチャートで2位ですから大ヒットです。サックス・プレイヤーのグローバー・ワシントン.Jr.のアルバム「ワインライト」のゲストで歌った曲です。

この1980年はブルーズ・ブラザーズの映画が公開されて、ロバート・クレイがデビューした頃でブルーズも少し活気が戻った頃でしたが、ブラックミュージックの大きな流れはプリンス、マイケル・ジャクソンが中心でダンサブルな音楽が流行っていく中で「おお、ビル・ウィザースがんばってる」と僕は思ってました。大好きな曲です。「君とふたりだけで一緒にいたい。幸せになりたい」

4.Just The Two Of Us/Bill Withers

いまの曲の邦題が「クリスタルの恋人たち」でしたが、ちょうどこの80年に作家田中康夫さんの「なんとなくクリスタル」がすごく売れていてそこからレコード会社がつけたのでしょうが、なんだかな・・な邦題です。

14年間のメジャー・シーンの活動でアルバムはライヴ盤を含めて9枚。まだまだ音楽活動が出来たのに彼は音楽シーンが嫌になってしまったのです。ツアーに出るのもあまり好きではなかったということです。彼は自分の身の丈の音楽をやりたかっただけで、スーパースターになりたいとかすごい金持ちになりたいと思っていたわけではなかったと思います。85年に隠居状態に入る頃にはそこそこお金の蓄えもあって、うつつましく生活していけば大丈夫だったんでしょう。ファンにとってはとても残念ですが、彼は自分の意見がわかってもらえない人たちと音楽を作って行く気にはなれなかったのでしょう。彼はその後の生活に満足していたし、もう一度音楽のショービジネスに戻りたいとも思わなかったのでしょう。

そのあたりは彼が引退してから出た”Still Bill”というドキュメントDVDを見るとわかります。

2020.08.07 ON AIR

追悼ビル・ウィザース-1

Bill Withers Live At Carnegie Hall(SUSSEX SXBS7025-2)

ON AIR LIST
1.Use Me/Bill Withers
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
4.Lean On Me/Bill Withers

3月30日にビル・ウィザースが81才で天国に召されました。ON AIRが遅れてしまいましたが、今日と次回はビル・ウィザースの追悼特集。
ビル・ウィザースを知らない方でも今日このON AIRを聴けば「ああ、知ってる・・」と、どこかで聴いたことを想い出されるかも知れない。映画やドラマ、CMなどに何度も使われ、いままたコロナウィルスの感染が広がり人々の心が支えを必要とする時、彼の歌が再び歌われています。
そして、今日初めて聴く方の心にはきっと彼の歌が残ると思います。
ビル・ウィザースはソウルのカテゴリーに入るシンガーですが、普通のソウルシンガーとちょっと違ってます。そのことは追々話します。そして、彼はとても優れたソングライターでもあります。
僕は1973年か74年頃に彼のライヴ・アルバムを聴いたのが最初でした。このライヴのビルの歌がすごくストレートで飾り気がなく、それでいて力強く誠実な感じがしました。彼と一体となったバックのミュージシャンたちのグルーヴ感も素晴らしく、彼の歌に寄り添ったバッキングはヴォーカル・ミュージックの演奏の優れたお手本です。録音されたのは1972年ですがリリースは1973年「Live At Carnegie Hall」からまず一曲
「オマエはあの女に使われて利用されているだけだと友達が言うけど、わかってるんだ利用されているのはとことん利用してくれ。オレを使いつづければいいさ。でも、使われながら結局はオレもオマエを使ってるんだけどね。」
1.Use Me/Bill Withers
1972年ビルボード・チャートの2位まで上がったヒットでした。この曲は二枚組のアルバムの1曲目ですが、とにかく印象に残るリズム・パターンが始まり強烈なリズムのグルーヴと歌に対してムダのない的確なサウンドを出しています。バック・ミュージシャンが、ドラムのジェイムズ・ギャドソン、ギターのバーノース・ブラックマン、ベースがメルヴィン・ダンロップ、ピアノとアレンジも担当したレイ・ジャクソンこの頃この4人がビル・ウィザースのバンドとしていつも活動していたことで息もぴったりです。
ビルの作る曲は次の曲でもわかるようにストレートで、素朴な感じの中に独特の叙情を感じさせます。だからあまり余計な音作りとか大げさなアレンジは必要なく曲そのものが生かされた作りになっています。
いまのUse Meが彼にとって二曲目のヒットでしたが最初のヒットがブルーズ・テイスト溢れる次の曲
デビューの2曲目でした。1971年
「彼女がいなくなってしまって太陽が消えたようだ。暖かさもなくなり、この家は家庭ではなくなってしまった。毎日は暗闇だ」
2.Ain’t No Sunshine/Bill Withers
チャートの3位まであがり、アーロン・ネヴィルほかたくさんのカバーがあります。
デビュー二曲目が3位、三曲目が2位とすごく順調でした。
このライヴがいかに素晴らしかったかは最後まで聞くとわかりますが、ビル自身もアルバムのライナーに「決して忘れることができないだろう」と書いてます。

ビルは1938年ウエストバージニアに生まれ、お父さんは炭坑で働く労働者でした。小さい頃、彼は吃音(どもり)で苦労したそうです。そう言えばB.B.キングも小さい頃吃音でした。ビル・ウィザースは高校卒業後に軍隊に入って軍隊を出たあとにロスにやってきて飛行機にトレイを設置する仕事をしていました。ビルはミュージシャンになろうとは思っていなくて、本当にフツーに仕事をする黒人の若者だったわけです。その頃、たまたまクラブに遊びに行った時に歌っていたのがルー・ロウルズだったそうです。ルー・ロウルズはサム・クックの弟分のような存在でやはり早くから歌の上手さは評判でした。まあ、ジャズもブルーズもソウルっぽいものも歌えるシンガーで日本では人気がでませんが、アメリカのショービズ界では高いステイタスのあるシンガーです。そのロウルズが女性にすごくモテているのを見てビルはオレもあんな風にモテたいと思いシンガーになる決心をしたらしいです。意外と軟弱な考えやったのですね。それでデモテープを作ってレコード会社に送ったらサセックス・レコードというレコード会社がやろうと言うことになりデビューです。最初の曲はヒットしなかったのですが、ヒットしたのがいまのAin’t No Sunshine。その勢いでアルバム”Just As I Am”をつくります。33才のデビューですから遅い方です。
実は高校生の頃の友達が白人と黒人といて音楽的にフォークっぽいところは白人の影響を受け、もちろんR&Bをはじめとする黒人音楽も聴いてはいたのでしょう。
次の曲なんかもフォークっぽいです。「おばあちゃんの手、おばあちゃんは日曜の朝の教会で手を叩いていた。おばあちゃんはタンバリンを叩くのが上手だった。僕が走るのをそんなに早くは知ると危ないよとその手で止めてくれた。おばあちゃんの手は悲しむ人をなだめて、その顔を包み込んだ。僕が転ぶと起こしてくれたおばあちゃんの手・・・」と優しかったおばあちゃんの想い出を歌った歌です。
3.Grand Mother’s Hands/Bill Withers
60年代後半から70年代初中期、マービン・ゲイやスティービー・ワンダーそしてカーティス・メイフィールドが自分の政治や社会に対する意志表示を音楽でするようになり、その後にロバータ・フラックやダニー・ハサウェイなど当時の新人が表れてニュー・ソウルと呼ばれました。そのムーヴメントは非常に活気のあるもので黒人のソウル・ミュージックに新しい時代が来たことを表してました。その中で登場してきたのがビル・ウィザースでしたが、黒人なのにちょっと違うテイストを感じさせたのはたぶんいまのようなフォークテイストがあったからだと思います。
マービン・ゲイやスティービー・ワンダーがやはり黒人をすごく感じさせるのにビルはちょっと違いました。
つぎの曲はゴスペルのテイストがあるやはりビルならではの曲です。
「心が弱った時には僕を便りにしてくれ、僕は君の友達なのだから君を助けるし、僕も君に助けてもらうこともあるだろう。私たちはみんな頼る誰かが必要なんだよ。だから僕を頼って」
4.Lean On Me/Bill Withers
誠実な人柄をビルの歌から感じる人は多いと思います。このカーネギー・ホールのライヴもすごく熱いんですが、大騒ぎしているわけではないんですよ。ビルやミュージシャンのソウルと聴衆のソウルが一体になっているというか、レコードに二枚組なんですが聴き終わるとレコードを聴いている自分もすごく心が熱くなっているのがわかります。
ビル自身が決して忘れることのないライヴと言ったソウルの名盤のひとつがこのビル・ウィザースのカーネギー・ホール・ライヴです。
是非ゲットしてください。
85年までに8枚のアルバムを残してビルは音楽シーンから引退してしまいます。それから先日亡くなるまで一度も彼は復帰しませんでした。これだけ才能のあるミュージシャンがなぜ・・・それはまた来週、まだまだある彼の名曲を聴きながら話ましょう。

2020.07.31 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集vol.22
戦前シティ・ブルーズ-2 ロニー・ジョンソンとビッグ・ビル・ブルーンジー

シティ・ブルーズのギター名人、ロニー・ジョンソンとビッグ・ビル・ブルーンジー

Hot Fingers/Lonnie Johnson (P-Vine PCD-2803)

Hot Fingers/Lonnie Johnson (P-Vine PCD-2803)

Steppin’ On The Blues/Lonnie Johnson (CBS/SONY CSCS5326)

Steppin’ On The Blues/Lonnie Johnson (CBS/SONY CSCS5326)

The Father Of Chicago Blues Guitar/Big Bill Broonzy (P-Vine PCD-2804)

The Father Of Chicago Blues Guitar/Big Bill Broonzy (P-Vine PCD-2804)

Blues And Ballads/Lonnie Johnson With Elmer Snowden

Blues And Ballads/Lonnie Johnson With Elmer Snowden

ON AIR LIST
1.Hot Fingers/Lonnie Johnson
2.Playing With The Strings/Lonnie Johnson
3.Guitar Blues/Lonnie Johnson
4.Pig Meat Strut/Big Bill Broonzy
5.Hey Hey/Big Bill Broonzy

1930年代から40年代にかけて北部のシカゴなどで流行った都会派のブルーズのことを、ミシシッピなど南部の田舎で広まった土着的なブルーズに対して「シティ・ブルーズ」と呼ぶ。
シティ・ブルーズが流行った1930年代前半はもちろんまだアコースティック・ギター。南部のブルーズのギターがリゾネーター・ギターのスライド奏法などでアーシーな感じやワイルドさを感じさせるのと比べると、今日聴いてもらうシティ・ブルーズのロニー・ジョンソンやビッグ・ビル・ブルーンジーの演奏は洒落ていて洗練されている。ジャズ、ラグタイム、フォーク、ポップスなど様々なテイストが彼らのギター・スタイルに入り込んでいて、音楽的にもテクニック的にも当時の最先端の音楽だ。
チャーリー・クリスチャン、T.ボーン・ウォーカー、B.B.キングなどジャンルに関係なく、多くのギタリストが憧れたのがギター奏法の革新者でもあるロニー・ジョンソン、そしてビッグ・ビル。
まずはロニー・ジョンソン。ジョンソンはソロでも売れたが、共演やゲスト出演、シンガーのバックなども多くて録音した曲は300曲くらいあると言われている。
まずは一曲、インストルメンタルの曲。
コードを弾いてリズムを切っているのが、デュオを組んでいたエディ・ラングでソロを弾いているのがロニー・ジョンソン。ジョンソンのソロはもうため息しかなく、支えるエディのリズムがこれまた素晴らしい。このふたりの演奏をいま目の前で聴いたらきっと唖然とすると思う。1929年録音。
1.Hot Fingers/Lonnie Johnson
リズムのエディ・ラングは白人でして、当時白人と黒人がデュオを組むというのも大変だったのでエディが偽名を使って録音しているものもあります。
ジャズもブルーズも同じように演奏されていたニューオリンズで生まれのロニー・ジョンソンには、あまり音楽の垣根はなかったように思える。そのギターの上手さを請われてジャズのデューク・エリントン楽団との録音などもあります。
ロニー・ジョンソンは上手いギタリストというだけではなく、優しい歌い口のシンガーでもありました。
実はロニー・ジョンソンと言えばこのヒット曲という1948年R&Bチャートに7週連続1位に輝いた”Tomorrow Night”があるのですが、僕はその曲をレコードでしか持っていなくて、今回のリモートは配信ではアナログレコードは使えないのでまたいつかON AIRします。
では、次はまるっきり1人、ロニー・ジョンソンの完全ソロ
2.Playing With The Strings/Lonnie Johnson
もう曲芸の域です。
ギターがめちゃ上手くてこういう”Tomorrow Night”というスウィートな曲で歌を聴かせてチャートの1位にもなり、いろんな有名なミュージシャンにも共演を望まれ、ヨーロッパにもツアーに呼ばれて行き、順風満帆でしたが、ロニー・ジョンソンは1953年頃から数年間音楽シーンから姿を消してしまいます。もう充分に長い間音楽をやったという気持ちがあったようで、その後は数年フィラデルフィアのホテルで雑用係のような仕事をして静かに暮らしていました。
それをラジオのDJがそういえばロニー・ジョンソンってどうしてるんだろうと番組でしゃべったところ、「この間フィラデルフィアのスーパーでみかけたよ」と番組に連絡があった。その連絡をしたのが同じギタリストのエルマー・スノーデン
1960年にそのエルマー・スノーデンと作った”blues &ballads”というアルバムも素晴らしいです、
ではもう一曲エディ・ラングとのギター・インストの名曲です。その名も・・・ブルーズ・ギター
3.Guitar Blues/Lonnie Johnson

次は時代的にはほぼ被っているもうひとりのブルーズギター名人、ビッグ・ビル・ブルーンジー。ロニー・ジョンソンもビッグ・ビルもそのギターの上手さから自分の録音だけではなく、いろんなミュージシャンの録音にも呼ばれている当時のスタジオ・ミュージシャンでもあります。自分の録音だけでなく他のシンガーのバックなどを含めると500曲は録音されているという。
最初に聴いてもらったロニー・ジョンソンのHot Fingersと1年違い1930年の録音です。リズム・ギターはフランク・ブラスウェル
4.Pig Meat Strut/Big Bill Broonzy
ロニー・ジョンソンほどフレイズは多彩ではないのですが名人芸です。フランク・ブラスウェルのリズム・ギターのバッキングも素晴らしい。やはり名人といえども一緒に演奏するミュージシャンの技量がなければ本領は発揮できないです。
演奏が進むにつれてビッグ・ビルとブラスウェルのふたつのギターがどんどんグルーヴしていくのがわかります。ビッグ・ビルはロニー・ジョンソンよりブルーズ寄りですが、最初はラグ・タイム・ギターを弾いていたのでそのフィンガー・ピッキングぶりはやはり素晴らしい。
曲が多過ぎてスタンダード曲集にどの曲を選ぶのかというのはもうお手上げ状態ですが、クラプトンが「アンプラグド」でカバーしたこの曲がいちばん知られているかも知れません。

5.Hey Hey/Big Bill Broonzy
ビッグ・ビルとかロニー・ジョンソンのようなシティ・ブルーズマンは、同時代のサン・ハウスやブッカ・ホワイトなど南部のブルーズマンと比べると音楽性が洗練されていて、幅も広く多彩です。
ビッグ・ビルが作った戦前のシカゴ・ブルーズを元にマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフといったブルーズマンが戦後のエレクトリック・シカゴ・ブルーズをつくりあげて一時代を築くことになっただが、兄貴肌のビッグ・ビルは音楽だけでなく南部からシカゴに出てきた後輩のマディたちの面倒もよくみたそうだ。そして、世話になったマディはビッグ・ビルの死後、ビッグ・ビルへのトリビュート・アルバムを録音しています。

2020.07.24 ON AIR

いまの時代にもパワーをもつカーティスの曲、カーティス・メイフィールド・トリビュート盤

Moving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield (PLAYBACK PBCD-010)

ON AIR LIST
1.Let’s Do It Again/The Staple Singers
2.Give Me Your Love/Barbara Mason
3.I’ve Been Trying/The Notations
4.Check Out Your Mind/Maxayn
5.Look Into Your Heart/Aretha Franklin

1999年にカーティス・メイフィールドが亡くなってもう21年が過ぎた。いまもなお多くのミュージシャンから敬意を払われているカーティス。そのカーティスの作った曲へのトリビュートアルバムがリリースされました。
アルバム・タイトルがMoving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield
日本のリリースはBSMFレコードです。英語ですが一曲一曲丁寧な解説も入っています。

最初に聴いてもらうのは以前にもON AIRしましたが、1975年にカーティス自身のレコードレーベル「カートム」からリリースされた映画のサウンドトラック「Let’s Do It Again」に収録されているタイトル曲。歌っているのはステイプル・シンガーズ。
以前にも話しましたが、この「Let’s Do It Again」という映画が公開された75年に僕は偶然ロスの映画館で見ました。英語がすべてわからなくてもコメディなのですごく面白かったです。そして最後にタイトルバックが流れる後ろでこの曲が聴こえてきまして、あっメイヴィス・ステイプルズ!ステイプル・シンガーズ!だと興奮してそのままレコード屋に行った覚えがあります。いまもシングル盤もってます。
1975年R&Bチャート、ポップチャート共に1位
1.Let’s Do It Again/The Staple Singers
この映画は黒人俳優のシドニー・ポワチエが監督、主役していて邦題が「一発大逆転」でDVD化されているので興味のある方は是非。

次はバーバラ・メイソン
バーバラ・メイソンは70年代前半に「フィリー・ソウル」と呼ばれたフィラデルフィア・ソウルから出てきた女性ソウルシンガーです。都会的な柔らかいサウンドをバックに大人っぽいソウルをたくさん歌ってました。
今日聴くのは72年の”Give Me Your Love”というアルバムのタイトル曲で、カーティスはこのタイトル曲ともう一曲だけプロデュースしてます。
60年代中頃に10代で”Yes,I’m Ready”の大ヒットでデビューしたバーバラが、大人になった色っぽさもあり、キュートさもある歌声でいいです。
フィリー・ソウルの歌姫、バーバラ・メイソン
2.Give Me Your Love/Barbara Mason
カーティス・メイフィールド

次のコーラス・グループ”The Notations”はカーティスと同じシカゴで60年代の後半に結成されたグループですが、70年代中頃に少し有名になったのですがアルバムは一枚しか出てません。この曲もノーテーションズはシングルでリリースしたんだと思いますが、オリジナルは64年のカーティスのグループ「インプレッションズ」のアルバム”Keep On Pushing”に収録されていた曲です。ほぼオリジナル通りにカバーしていますが、やはり同じシカゴの大先輩コーラスグループ「インプレッションズ」の影響は強かったと思います。
「心から君が僕を愛していると思っていた。まだなぜ君のたったひとりの男になれないのかわかろうとしてきた」彼女が心変わりしてしまったことがわかっているけど、彼女にまだ愛が残っている
3.I’ve Been Trying/The Notations
本当にいい曲です。
この曲が入っている「インプレッションズ」のアルバム”Keep On Pushing”は是非聴いてもらいたいです。
カーティスは1958年に「インプレッションズ」を結成して音楽活動を始めたのですが、最初からソングライターとしての才能がありいま聴いてもらった”I’ve Been Trying”のような切ないラブソングから社会的な「ピープル・ゲット・レディ」みたいな曲まで書けた人です。プロデューサーとしても才能のあった人でステイプル・シンガーズ、アレサ・フランクリンなどの名盤を残しています。

この「Moving On Up: The Songs Of Curtis Mayfield」の一曲目の「マクサーン」というグループ名を見て、僕は「あれ?」と思ったのですが、このグループは70年代前半に活躍していたグループでグループ名は女性リード・シンガーのマクサーン・ルイスから取っています。実はそのマクサーン・ルイスは一時期日本に住んでいたことがありヴォーカルの先生やコーラスの仕事をしながら、僕の友達のギターの山岸潤史とライヴもやっていて聴きに行った想い出があります。元々彼女は60年代後半アイク&ティナ・ターナーのバックコーラス「アイケッツ」のメンバーで、アイケッツをやめてからこのマクサーンというグループを結成しました。一時期はテレビのソウル・トレインにも出たりソウル・ファンクの売れっ子でした。アルバムも3枚出しています。
とにかくすごくパワフルでソウルフルなヴォーカルで初めて聴いた時は、チャカ・カーンを聴いた時くらい驚きました。いまから聴いてもらうカーティスのカバー曲がマクサーンとしては最も有名かと思います。
1973年リリース
4.Check Out Your Mind/Maxayn
旦那がマイケル・アンドレ・ルイスと言ってこのバンドのキーボート・プレイヤーなのですが、74年にこのマクサーンが解散してからはモータウンレコードからマンドレという名前でシンセサイザーを多用したデジタル・ファンクというジャンルで活躍した人です。まあ懐かしい名前を見つけました。

カーティスは1990年にコンサートで会場の照明機材が上から落ちて体に当たり、それで下半身不随になってしまったのですが、そのあとに「ニューワールド・オーダー」という素晴らしいアルバムも出してくれたんですが、99年に糖尿病が悪化してなくなりました。まだ57才でした。
60年代のインプレッションズ時代も素晴らしいし、70年代に入ってソロになってからの「カーティス」とか「ルーツ」といったアルバムもクオリティが高い。映画のサントラもやり、プロデュースもやり、黒人ミュージシャンとして差別や貧困をなくそうと歌った人でもありました。
音楽だけでなくブラック・カルチャーの大きな存在でした。

最後に1976年カーティスがプロデュースしたアレサ・フランクリンのアルバム「スパークル」に入っている曲です。曲もすべてカーティスが書き下ろしてます。
5.Look Into Your Heart/Aretha Franklin
50万枚売れたゴールド・ディスクになり70年代アレサの久しぶりのヒット・アルバムになりました。ソウルの名盤です。

アルバムのタイトルのMove On Upというのは「動き出そう」という言葉で、自分の目的に向かっていろいろ困難なことがあるけど、とにかくMove On Up!
いい言葉ですね。いまコロナで混乱し人種差別反対の”Black Lives Matter”の動きの中、またカーティスのこの言葉が使われています。
今日もリモート配信ライヴでした。みんな、Move On Up!