2022.07.15 ON AIR

ブルーズマン、ココモ・アーノルドはどんな男だったのだろう

Old Original Kokomo Blues/Kokomo Arnold(Decca / P-Vine)

ON AIR LIST
1.Milk Cow Blues/Kokomo Arnold
2.Old Original Kokomo Blues/Kokomo Arnold
3.Busy Bootin’/Kokomo Arnold
4.Keep A Knockin’/Little Richard
5.Big Leg Mama (John Rusell Blues)/Kokomo Arnold

アルバムのジャケット写真を見ながら遠い昔のミュージシャンの歌を聴いている時、「この人はどんな人だったのだろう」と思うことはないですか。
30年代に活躍したココモ・アーノルド、本名はジェイムズ・アーノルド。1901年にジョージア州のラブジョイという街に生まれ、1968年にシカゴでその生涯を終えたココモ・アーノルドというブルーズマンの67才の人生はどんなものだったのだろう。大股を開き微笑みながらウィスキーをボトルごと呑む彼のジャケット写真を見て、そして彼のパワフルでストレートな歌いっぷりを聴いているうちにこの男のことを知りたくなった。
ココモという言葉は20世紀はじめアメリカでは珈琲の有名な銘柄の一つだったらしいが、彼の名前の由来は自分の曲”Old Original Kokomo Blues”が売れたことからココモと名乗るようになったという。
20才過ぎにニューヨークへ移り住んだ頃の彼の職業は”bootlegger”、つまり密造酒作りであり、音楽をやるのは二の次だった。当時は1920年から33年まで禁酒法が施行されていて酒の製造や販売が禁止されていた。禁止されていたので密造酒の販売は商売になったのだが1933年に禁酒法がなくなってしまう。つまり酒は正規に普通に手に入るようになってしまってココモは商売にならなくなった。それでココモはブルーズマンとなって音楽で生きていくことにしたわけ。才能もあったので34年にデッカ・レコードに初めてレコーディング。シカゴやニューヨークで活動。つまり彼は南部の弾き語りブルーズマンとは違う都会の弾き語りブルーズマンだった。
都会的な香りがするかどうか、まず一曲聞いてみよう。初レコーディングは1930年にしているが本格的なブルーズマンとしての録音は1934年デッカ・レコードから始まった。スライドギターを弾きながら歌った”Milk Cow Blues”と”Old Original Kokomo Blues”がヒットしたということだが、1934年にヒットと言われたものが、どのくらいの販売枚数だったのかはわからない。
1930年代のシカゴのブルーズとは少し違う個性的なスタイルで同じようなブルーズマンを探してもいないと思う。彼は膝の上にギターを置いてスライド・バーで弦をこするいわゆるラップ・スティール奏法なのだが、リズムがいいことがわかる。そして元気で豪快な歌にはファンキーさも感じられる。こういうタイプのブルーズマンはいそうでいない。

1.Milk Cow Blues/Kokomo Arnold

次の曲もそうだがとても自由な感じが伝わってくる演奏。ギターで早い三連符を弾くところなど素晴らしいスピード感で、そういうことしをしてもリズムが崩れない。次の曲をブルーズが好きな人なら「どっかで聞いたことある曲」と思うはず。実はブルーズのスタンダード中のスタンダード”Sweet Home Chicago”の一節と同じメロディと歌詞が出てくる。これは”Sweet Home Chicago”を作ったロバートジョンソンが、今から聞いてもらうココモの”Old Original Kokomo Blues”を元に作ったからだ。つまりココモのこの曲がなければあの大ブルーズ・スタンダードとなったSweet Home Chicagoは生まれなかったわけだ。しかし、さらにこの曲の元ネタがあり、それはシティ・ブルーズのリロイ・カーのギタリストとして名を馳せたスクラッパー・ブラックウェルの”Kokomo Blues”から来ている。ブルーズが伝承音楽であると言う証だ。

2.Old Original Kokomo Blues/Kokomo Arnold

ココモは1934年から1938年に渡って80曲以上レコーディングしたという。その最後のレコーディングから3年後41年にはミュージシャン生活から足を洗い音楽シーンから姿を消した。工場で働いていたらしいが何をやっていたのかはっきりはわからない。もう自分のやっている音楽が流行らなくなり、金にならなくなったので他の仕事に移ったのだろう。そして20年後1959年にブルーズ研究家によってシカゴで見つけられたが、本人はもうギターも持っていなくて復帰してくれないかという依頼に「6000ドル出したら録音してやる」と法外なギャラを要求した。そしてインタビューにも何も答えなかったという。つまり彼にとって音楽はもう終わったことだったのだろう。音楽をやることは今の時代のように自分の思いや主張を伝えるためではなく、彼にとってはまず金になる仕事だったのかも知れない。つまりお金にならないようなことはもうしないということなのだ。だからやめることに格別未練はなかったのではないかと思う。しかし、こうして残された音源を聴くと67才まで生きていたのだからもう少し残して欲しかったと思う。

次の曲を「あっ、これ知ってる」と思った方はロックンロール好きの人。元々は1928年にボブ・コールというピアニストをバックにジェイムズ・ウィギンスというシンガーが録音した”Keep A Knockin’ An You Can’t Get In”という曲をココモが自作に作り変えた曲です。さて、ココモの後に誰が歌ってロックンロールにしたものか・・すでにヒントは出てますが。メロディと歌詞をよく聞いてください。正解はこの曲の後に。

3.Busy Bootin’/Kokomo Arnold

4.Keep A Knockin’/Little Richard (Cut Out)

これは1957年にリトル・リチャードが大ヒットさせたR&R”Keep A-Knockin’”。オリジナルが作られて30年後、ココモが歌って22年後にリトル・リチャードが改作してR&Bチャート2位まで上がりR&Rの名作となった。こういう黒人音楽の歴史、継承を知ると私は胸が高鳴ります。
ココモにはいろんなパターンの曲があるが、やはりスピード感のあるアップテンポの曲が彼の大きな持ち味ではないかと思う。リズムの素晴らしさでは30年代の弾き語りブルーズマンの中でもピカイチ。ちょっと他では聞けない高揚感と開放感に溢れている。

5.Big Leg Mama (John Rusell Blues)/Kokomo Arnold

カッコイイ!
サブ・タイトルにJohn Rusell Bluesと付いてますが、歌詞の中にこの人の名前が出てきます。
今の曲にはファンク・ミュージックにつながっていくビート感覚を感じる。ココモは1968年まで生きたのだから当然ジェイムズ・ブラウンなどのファンクの誕生も知っていたと思うし、その流れの中に入ってもうまくやっていけた人だったのではないかと大胆な推理をしてみたくなる。
音楽シーンから離れてしまったために彼の晩年がどんな風だったかはわからない。工場労働者として働いていたという話だが68年に心臓発作で亡くなっている。

1930年代ココモ・アーノルドというとても魅力的な、才能もあったブルーズマンがどんな気持ちでブルーズを歌っていたのか、ただの金稼ぎだったのか、何か想いはあったのか。わからないことが多いけれど、こうして彼のアルバムを聴いて彼が大股を開いてウィスキーをボトルごと飲んで笑っている写真を見るたびに「ああ、この男に会ってみたかった。歌を生で聞いてみたかった」と思う。
今日もリモート録音でお送りしました。