2020.07.17 ON AIR

ジミー・ジョンスン 気を吐いた91才の新譜

Everyday 0f Your Life/Jimmy Johnson (Delmark/P-Vine Records PCD-24936)

ON AIR LIST
1.Every Day Of Your Life/Jimmy Johnson
2.Somebody Roan Me A Dime/Jimmy Johnson
3.I Need You So Bad/Jimmy Johnson
4.Better When It’s Wet/Jimmy Johnson

ジミー・ジョンソンという名前のギタリストはふたりいまして、ひとりはアラパマのマッスルショールズのスタジオミュージシャン、プロデューサーとして有名なジミー・ジョンソンで去年残念ながら亡くなっています。
今回聴くシカゴ・ブルーズのジミー・ジョンソンは1928年ミシシッビの生まれで、メンフィス経由で1950年にシカゴに移り住み、プロとして音楽を始めたのはちょっと遅くて31才。
弟のひとりがブルーズ&ソウルで有名なシル・ジョンソン、もうひとりがマジック・サムの録音でベーシストのマック・トンプソン。
ジミー・ジョンソンはブルーズのフレディ・キングやマジック・サム、そしてソウル系のデニス・ラサールやオーティス・クレイなど実にたくさんのミュージシャンのバックをしてきました。60年代終わりくらいから自分のシングルも出しましたがこれといったヒットは出ませんでした。
失礼ながら言えばマジック・サムやオーティス・ラッシュほどのスター性がなかった、華がなかったというか・・。またバック・ギタリストとしても例えばロバート・Jr・ロックウッドやマット・マーフィのように誰かのバックで、その曲に決定的に印象に残るようなギターを残したこともありません。
着実なバッキング・ギタリストですがテクニシャンと呼ばれるほどのギタリストでもない、失礼ながら・・。
でも、彼はずっとシカゴの音楽シーンにいて活動してきました。そして、なんと!91才で今回のアルバム・リリース。

まず一曲アルバム・タイトル曲
1.Every Day Of Your Life/Jimmy Johnson
以前からブルーズマンの高齢化が言われ続けてきましたが、ここ数年他界するブルーズマンも多くて全盛のシカゴ・ブルーズ・シーンを経験してきた人もこのジミー・ジョンスンとバディ・ガイくらいになりました。
彼はいままで三回来日してます。1975年にジミー・ドーキンスのバンドでギタリストとして初来日しました。その時のメイン・アクトはオーティス・ラッシュ。ラッシュは当時日本ですごい人気で、50年代にリリースしたコブラレコードからの曲が素晴らしくてその後ほとんど録音がなかったために伝説化していたところでの来日でした。日本でのブルーズブームも頂点に向かうところで日比谷野音はもうぎっしり超満員でした。
でも、その時のジミー・ジョンスンの印象ってほとんど僕はありません、失礼ながら。とにかくオーティス・ラッシュに気持ちが行ってしまってました。

1967年にフェントン・ロビンソンがリリース、ジミー・ジョンソンにとっては後輩にあたるフェントンですがジミーはフェントンのプレイが好きだったそうです。このSomebody Roan Me A Dimeはボズ・スキャッグスがカバーしたときに作詞作曲のクレジットを自分の名前にしてしまい、最後に裁判にまでなって結局フェントン・ロビンソンが裁判に勝ちました。しかし、ブルーズファンには「なんで貧しい黒人ブルーズマンの曲を金持ってるロックミュージシャンが自分の曲だとクレジットしてしまうのか」・・とボズは評判を落としました。
「誰かダイム(10セント)を貸してくれ、つき合ってたあの娘に電話しなきゃいけないんだ。長い間、あの娘に会ってなくて心配なんだ」
2.Somebody Roan Me A Dime/Jimmy Johnson
このアルバムを聴いていると91才の爺さんとは思えません。彼はツアーは止めたそうですが、いまでも地元シカゴのクラブには出ているそうです。
弟のシル・ジョンソンも何回か日本に来ているんですが、彼はなかなか才能もあるし時代の流れを読むことにも長けていて、ソウル・シンガーというカテゴリーですがブルーズも演奏して歌、ハーモニカもギターもこなしソングライターでもありプロデュースもします。1975年には”Take Me To The River”がR&Bチャートの7位になったり、82年にはファンクの”Ms.Fine Brown Frame”がヒットしたりと弟のシルはその時々でシーンに登場しました。しかしアニキのジミーはギター弾いて誰かのバックをやっても目立たない人で、失礼ですが60年代にはシングルも何枚か出したのですが売れませんでした。
60年代当時一緒にやっていたマジック・サムが歌っている曲をジミーは今回カバーしています。元々はB.B.キングのオリジナル。
3.I Need You So Bad/Jimmy Johnson

ジミー・ジョンソンはすごく秀でたブルーズマンでもなくスター性があるわけでもなかったのですが、ずっとシカゴのブルーズシーンで生きてきたわけです。いまも現役の年下のバディ・ガイは大きなフェスティバルにメイン・アクトで出たり、白人のロックコンサートにゲストで呼ばれたりするわけですが、僕はバディの大げさなパフォーマンスやこれみよがしに大音量でギターを弾きまくるスタイルが好きではないです。バディはショーマンとしてやっていると思うのですが、安っぽい感じがします。確かにライヴにはパフォーマンスも大切ですがもっと彼の内面的なブルーズを聴きたいところです。でも、あのパフォーマンスがすでにバディの売りになってしまってます。
そう考えるとジミー・ジョンソンはそういうショー的な売りもないです、失礼ながら。

彼がどういう風に考えて音楽を続けてきたのかわかりませんが、とにかく音楽から離れたくなかったのでしょう。
同じ年頃にはジミー・ロジャース、エディ・テイラー、マット・マーフィなどサポート・ギタリストとしても上手い人がたくさんいて、競争率の高かった時代だったと思います。
次はインストの曲なんですが、ジミーのおっさんは以外とこういうモダンなものをやりたがる人なんです。ラッシュと一緒に初めて来日した時も当時流行っていた「ソウル・トレイン」のインストのテーマ曲をやりまして、それがまあジョージ・ベンソンなら許せたんでしょうが、当時盛り上がっているブルーズ・ブームの中では評判よくなかったというか、なんかショボい演奏でした。そんなことをいま想い出しましたが、そういうモダンな新しいことをちょっとやるのが彼のご長寿の秘訣かも知れません。
僕も新しいリモート録音なんていうのに挑んでますが・・。
4.Better When It’s Wet/Jimmy Johnson

1980年にはメンフィスで初開催されたブルース・ミュージック・アワードで受賞し順調でしたが、1988年に巡業中に車の事故に遭いバンド仲間を失い、自身も怪我をして一時は音楽界から遠ざかりました。
91才ジミー・ジョンソンのニューアルバムを紹介しましたが、元気でまだまだがんばって欲しいです。
今日もリモート収録でした。まだまだコロナの収束が見えませんが、みなさんも気をつけてください。

2020.07.10 ON AIR

永井ホトケ隆が選ぶブルーズ・スタンダード曲集vol.21

戦前シティ・ブルーズ-1 30年代に詩情あふれるブルーズを歌った偉大なリロイ・カー

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

Blues Before Sunrise/Leroy Carr (Epic/Sony ESCA 7514)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

The Best Of Leroy Carr(P-Vine PCD-15028)

ON AIR LIST
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr

自分のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャー」で昨年リリースしたアルバム”Blues Before Sunrise”のアルバムタイトル曲”Blues Before Sunrise”はエルモア・ジェイムズのバージョンを元にしたものだが、実はこの曲のオリジナルは戦前1920年代後半から30年代にかけてヒット曲を連発したシティ・ブルーズのキング、リロイ・カーがオリジナルだ。
当時南部ではチャーリー・パットンやブラインド・レモン・ジェファーソン、サン・ハウスなどギターの弾き語りによる土着的なカントリー・ブルーズを歌い人気を博していた頃だが、リロイ・カーはピアノを弾きながら北部のインディアナポリスで都会のブルーズを歌っていた。それらは南部にも届くほどのヒットだった。元々ナッシュビルで生まれてインディアナポリスで育ったリロイ・カーはニューヨーク育ちほどではないが都会の人間だ。いろんな写真を見てもスーツを着てこざっぱりしている。

まずは、1934年の録音
「目に涙を溜めて夜明け前のブルーズ、すごく惨めな気分で落ち込んでしまう・・」
1.Blues Before Sunrise/Leroy Carr
力んだり、シャウトしないでとてもストレートな歌い方でさりげないのですが、よく聞くと歌声の芯は太くてしっかりしている。途中で裏声をつかうところはリロイ・カーに影響を受けたロバート・ジョンソンにも受け継がれている。
ロバート・ジョンソンだけでなく当時の多くのブルーズマン、そしてのちのレイ・チャールズなどにも大きな影響を与えたリロイ・カーはブルーズのソングライターとしても素晴らしい才能があった。歌詞に叙情があり展開にしっかりした整合性があり、南部のブルーズマンがエモーショナルにその時々の思いを歌ったものとは違ったものになっている。その光景が目に浮かぶような見事な詞を書いている。
聴いてもらってわかるようにカーの歌い方は南部のブルーズマンのようにラフでタフな感じがなく、洗練されたとまでは言いませんがスマートです。彼のレコードがそれまでのブルーズマンではあり得ないほど売れたのは、やはりそのスマートな都会的な感覚に共感した都会の黒人たちだけでなく、南部にいる黒人たちもそのスマートな感覚に憧れたからではないだろうか。

1928年の次の曲が当時信じられないくらい大ヒット。当時、カーの乗っていた車の座席にはいつも札束がどっさり置いてあったそうだ。
ロバート・ジョンソンの美しい歌詞はやはりこのリロイ・カーの洗練された言葉の選びに影響を受けたものだと思う。
「あの夕暮れの列車が行ってしまってどのくらい経つんだろう。汽笛が聴こえ、列車が見えなくなって心の痛みがやってくる、ああどれくらい、どれくらい」1928年録音。口ずさめるメロディだ。
2.How Long,How Long Blues/Leroy Carr
ここで聞き逃してはいけないのがスクラッパー・ブラックウェルのギター。ブラックウェルは最初プロになるつもりはなく地元でギターとブルーズを歌うのが上手い男だった。それを聞きつけたリロイとプロデューサーが是非一緒にやってくれと頼みこんだらしい。カーの歌とピアノの間を埋めるブラックウェルのギターの絶妙なセンス。このふたりはブルーズ・デュオとして当時売れまくり、フォロワーもたくさん生み出した。いまのHow Longはビッグ・ジョー・ターナー、ルー・ロウルズ、ダイナ・ワシントン、エリック・クラプトンともう数えきれないくらいカバーされたブルーズ名曲。

リロイ・カーの歌詞はしっかり机上で作詞された感じがするけど、どうだったんだろう。次の曲も深い情感にあふれその光景が目に浮かぶような詞を書いている。
「夜明けに向かっている真夜中に、ブルーズが忍び込んできて心を奪ってしまう。ベッドに入っているけど眠れやしない。煩わしいことばかりで気持ちが沈んで行く・・」
真夜中にひとり憂鬱になってしまう気持ち、誰もがそうなってしまう時の気持ちを見事に歌にした名曲。
3.Midnight Hour Blues/Leroy Carr
僕が最初にリロイ・カーを聴いたのは1971年にリリースされた「RCAブルーズの古典」というコンピレーションのアルバム。「ロックス・イン・マイ・ベッド」と「シックス・コールド・フィート・イン・ザ・グラウンド」と二曲収録されていましたが、ガツンとした南部のカントリー・ブルーズに比べるとなんか細い感じがして聞き流していた。結局この”Blues Before Sunrise”という単独アルバムを買ってから彼の良さを知った。とくにつぎの「Hurry Down Sunshine」が好きで毎日ヘビーローテーションで聴いていました。
「早く沈んでくれよ、おてんとさま、ああ明日はどうなるんだろう。悲しみの涙もたくさん落ちてきて、雨のしずくも落ちてくるだろう。オレはあいつにホレてるけど、彼女はオレのことなんか愛してない。彼女は最後の女なんだよ」
20代前半、どうなるかわからない不安な日々の自分の気持ちに寄り添ってきたブルーズだった。
4.Hurry Down Sunshine/Leroy Carr
こんな素晴らしい曲を作るリロイ・カーって一体どんな人だったのだろう・・最初に出てくる話がアルコール依存症と呼ばれる大酒飲みだったということ。
1905年にナッシュヴィルで生まれインディアナポリスで育ち、ピアノは独学。10代半ばで学校を止めて放浪をしてパーティや酒場で歌い、サーカスの一団に入ったこともありそのあと軍隊にも入ってる。密造酒を作って売っていたこともあり、結婚も短い間ですがしたこともある。それで1928年にインディアナポリスに戻っている時にギターのスクラッパー・ブラックウェルと知合いデュオを始め、そのまますぐ売れてしまう。それから7年ふたりは当時にしては珍しい全米で知られる有名黒人ブルーズデュオとして活躍するわけです。いろいろカーの人間性に結びつく話はないかと探してみたが、何故そんなに酒に溺れたのかという理由ははっきりわからない。ただの酒好きだったか。10代の頃の写真を見るとなかなか端正な顔をしている。相棒のブラックウェルとはずっとうまくやっていたように見えるのだが、1935年にふたりは金のことが原因で喧嘩別れ。そして、そのあとすぐにカーは酒の飲み過ぎて内蔵を悪くして亡くなってしまう。わずか30才。相棒のブラックウェルはその後音楽をやめてしまう。その喧嘩がどんなものだったのか・・ちょっとしたお金のことだったのか・・ブラックウェルは喧嘩したことを後悔して音楽をやめたのかも知れない。
「Simple Studio」というサイトを作っておられる方がいて、そこに相棒のブラックウェルのことが詳しく書かれているのですが、そこにカーが亡くなった後にブラックウェルが録音した曲の歌詞が訳されていたのでここで紹介させていただきます。タイトルは”My Old Pal Blues(古い友のブルース)”
「彼の歌は止んだ(終わった) 彼の演奏も止んだ 二度と彼の声を聞くことも無い。本当にいいやつだった 寂しさはどこに行っても募るだろう」

7年間に160曲を録音
同じ20年代から30年代のブルーズでも南部のミシシッピーやテキサス、アラバマで歌われたブルーズと、このリロイ・カーの北部の都会イディアナポリスで歌われたブルーズの違いに、ブルーズという音楽の広さと深さを感じる。

2020.07.03 ON AIR

Sam Cooke-3

永遠に聞き継がれるサム・クックのヒット曲

The Man & His Music/Sam Cooke (RCA R32P-1041)

ON AIR LIST
1.Twistin’ The Night Away/Sam Cooke
2.Shake/Sam Cooke
3.Nothing Can Change This Love
4.Another Saturday Night/Sam Cooke
5.A Change Is Gonna Come/Sam Cooke

サム・クックは子供の頃からゴスペルを歌い始め、高校生の時には「ハイウェイQC’s」というグループで注目を浴び、その後ゴスペル・カルテットの「ソウル・スターラーズ」のリード・シンガーに抜擢されゴスペル界の新しいスターになりました。そのスターラーズに次第にポップ・ミュージックへの転身を考えていましたが、所属のスペシャルティ・レコードは乗り気ではなかった。そこでレコード会社をキーンレコードに移籍してジャズ・スタンダードを歌いながらポップ界のスターを目指しました。そして、1957年の”You Send Me”の大ヒットを放ったのを皮切りに自分のオリジナルソングをたくさんヒットさせました。
それらのヒット曲は60年代に作られて行くソウル・ミュージックの土台となり、レイ・チャールズやジェイムズ・ブラウンそしてモータウン・レコードの曲と並んで70年代へ続くソウル・ミュージックの原型を作りました。
今日はそのサム・クックの素晴らしいヒットソングを聴いてもらおうと思ってます。
最初の軽快なこのダンス・ミュージックは当時Twistというダンスが流行り、サムもそれに乗ってこの曲をリリースしたのですが、たくさんのミュージシャンが歌ったツイスト曲の中でも当時の代表的な一曲です。
「老いも若きも一晩中ツイストで踊ってるよ」という他愛ないパーティソングですが、イントロから何かいいことが始まるようなメロディで、聴いていると何か心がウキウキして明るくなります。
1.Twistin’ The Night Away/Sam Cooke
62年、R&Bチャート1位、ポップチャート9位。こういうポップな曲が黒人にも白人の若者にもウケて、片方でジャズ・スタンダードを歌いながらコパ・カバーナという白人の高級ナイトクラブでもショーをやり、テレビや映画にも出てサムは黒人白人という人種を乗り越えた活動を始めてスター街道をまっしぐらに進みます。

次の曲はオーティス・レディングの豪快なカバー・バージョンでご存知の方もいるかと思います。オーティス・レディングは1965年の”Otis Blue”というアルバムで歌っています。
タイトルのシェイクというのは60年代半ばに流行ったこれもダンスのことで、その踊り方を教えている歌です。これもパーティソングですがドラムのリズムパターンはじめ、アレンジが斬新で素晴らしいダンス・ナンバーだと思います。
2.Shake/Sam Cooke

サム・クックのすごいところというのは自分で自分をプロデュースできることです。アレサ・フランクリンやレイ・チャールズでもそうらしいですが、ひとつの曲を歌う時に頭の中にサウンドとかアレンジとかリズムとかが浮かぶそうです。いまでは自分で曲を作って、歌って自分で演奏して自分でプロデュース、アレンジするという人はたくさんいますが、サムの60年代最初にはほとんどいませんでした。
もっと言えばサムは自分のパブリック・イメージ、つまり世の中への自分の見せ方もしっかり作っていたような気がします。

とにかく歌を歌うことに関してはサムの独壇場で上手いのはもちろんなんですが、歌の説得力がすごくあり、次のラブソングも男の自分でさえこんな風に歌われたらそれは「ホレてまうやろ」になります。
昔僕もカバーしてレコーディングしていますが、聴いてもらえば僕が歌いたくなった気持ちわかると思います。
「もし、どんなに遠いところに行っても毎日君に手紙を書くよ。君への愛は変ることはないよ。君はとても大切な人で君はスイートなチェリーパイ、ケーキでアイスクリーム、シュガーそしてスパイス、僕の夢の女の子なんだよ」
スイートなラブソングです。
3.Nothing Can Change This Love/Sam Cooke
サビの最初にYou’re The Apple Of My Eyesと出てくるむんですが、この言葉は目の中に入れても痛くないほど大切な、可愛い人という意味で、この表現もいいです。

「また、土曜の夜がやってきた、そしてオレには誰もいないんだ。給料もらったから金はもってるんだけど。女の子とすごく話したいんだ。ひとりなんて最悪だよ」
お金があるのにせっかくの土曜日を一緒に過ごす彼女がいない。
4.Another Saturday Night/Sam Cooke
RCAレコードでヒットを連発して白人も巻き込みスターになっていく傍ら、サム自身のレーベル「SAR」からは黒人同胞のための音楽をつくり始め、サムはすごく忙しいシンガーであり、ソングライターであり、プロデューサーであり、そして会社を経営するビジネスマンとなりました。
黒人同胞へのサムの思いは当時の公民権運動、人種差別撤廃運動を通じてサムの中でどんどん大きくなっていきました。彼が亡くなる前に発表した次の曲はそういう差別や格差をなくして黒人に自由と貧困から脱出を願う彼のゴスペル曲だと僕は思います。
「川のそばの小さなテントで生まれ、その川の流れる様のように流れつづけてきた。そして長い月日が過ぎた。でも、もう変っていくんだ。きっと変っていく」
サムがこの曲に込めた自由と平等、格差差別を無くすことはいまだにアメリカで完全に実現されていません。ずっと差別され、貧しく、教育も受けられず、過酷な仕事につかされてきたけど、そろそろ時代が変って僕たちも幸せになれるはずだよという彼の思いはこの2020年になっても実現していないようです。最近のアメリカでの人種差別による暴動のニュースを知るとそうおもわざるを得ません。
5.A Change Is Gonna Come/Sam Cooke
1964年12月11日にサムはバーで知り合った女性とモーテルに入ってちょっと浮気をしょうとしたのでしょうか。その女がサムがシャワーを浴びている間にサムのサイフとかズボンを持って逃げました。それでサムはほぼ全裸で怒ってモーテルの管理人室に「あの女おらんか、隠してるやろ」と怒鳴り込んだのを、怖くなった女性の管理人がサムをピストルで撃ってサムはあっけなく亡くなりました。裁判で管理人は正当防衛で無罪になったのですが、いろいろと謎のあるサムの死でした。本当に残念な死です。

2020.06.26 ON AIR

Sam Cooke-2
サムの中の揺るぎないルーツ、ゴスペル

The Wonderful World of Sam Cooke(KEEN /abkco 718508-2)

The Wonderful World of Sam Cooke(KEEN /abkco 718508-2)

Two Sides Of Sam Cooke(Specialty SPCD2119-2)

Two Sides Of Sam Cooke(Specialty SPCD2119-2)

 

ON AIR LIST
1.That’s Heaven To Me/Sam Cooke
2.Jesus Gave Me Water/Sam Cooke
3.Lovable/Sam Cooke
4.I’ll Come Running Back To You/Sam Cooke

50年代終わりから60年代初め新しいR&Bの動きがやがて「ソウル・ミュージック」と呼ばれる。その最初の礎を築いたのはレイ・チャールズであり、ジェイムズ・ブラウンであり、そしてサム・クック。
サム・クックが人気のゴスペル・シンガーからポピュラーシンガーとしてデビューした57年から60年の三年間在籍したキーン・レコード時代のコンプリート・アルバム5枚組がリリースされた。
キーンレコードで録音された音源には大ヒットした”You Send Me”や”Wonderful World”のようなサム自身のオリジナルもあるが、ほとんどは黒人歌手の先輩として成功していたナット・キング・コールを目指したジャズ・スタンダードのカバー曲でした。
しかし、ゴスペルから歌うことを始めた黒人シンガーたちは終生ゴスペルを忘れることはなく、常に彼らの心の拠り所はゴスペルつまり教会なのだ。あの豪胆に見えるリトル・リチャードでさえポップの世界から神学を学びゴスペルに舞い戻ったことがある。サムもキーンレコードでポピュラーな歌を歌いながらも常にゴスペルのことは忘れなかった。キーンでも少しだけどゴスペルを残しているので聴いてみよう。
「街を歩いている時に見えるものが私にとっては天国だ。5月に咲く可愛い花、一日の終わりに沈む夕陽、その道端で見知らぬ人を助ける人、子供たちがストリートで演奏しているそして会う人すべてに親しくこんにちはと歌う。木の葉が風で飛んでいくのさえ、私にとっては天国だ」サムのオリジナルゴスペルです。
1.That’s Heaven To Me/Sam Cooke
素晴らしい!歌も曲も・・・。英語がわからなくても心に沁み入りませんか。言葉とか性別とか貧富とか人種とかなんかすべてを越えてしまう歌です。つまり教会に行ってない者さえ取り込んでしまうサムの歌唱の凄さ。
いまのはゴスペル・グループ「ソウル・スターラーズ」にいた頃にサムが書いた曲ですが、サムは素晴らしいソング・ライターでもあります。10代の頃に参加していたゴスペルグループHighway QC’sの頃から曲を書いていました。Highway QC’sは高校生のゴスペルグループでしたが、実力のあるいいグループで人気もありツアーにも出ていました。そのリードだったサムはその頃から歌が上手く評判だったし、ルックスも含めてオーラがありすでに人気がありました。残念ながらHighway QC’s時代の音源は残っていません。
その頃サムにとって人生を変える出来事がありました。それはゴスペルグループのトップのひとつ「ソウル・スターラーズ」からリード・シンガーとして選ばれたことでした。いくらサムでもこれは驚いたと思います。しかも、「ソウル・スターラーズ」のそれまでのリード、R.H.ハリスはゴスペル界の超有名シンガー。サムが心から尊敬するシンガーでハリスの歌い方を学んでいました。その後釜というのはかなりのプレッシャーだったと思います。それでもやはりただ者ではないサムはスターラーズの最初の録音でこんなに素晴らしい歌を残しています。
2.Jesus Gave Me Water/Sam Cooke And The Soul Stirrers
サム以外のメンバーはたぶん40代くらいのおっさんです。おっさんの中に10代の歌の上手い若者が加入したわけです。有名なゴスペルグルーブのリードになるのに、最初サムで大丈夫かと思った人もたくさんいました。サムも初ステージはめちゃビビったそうです。何しろゴスペルの世界はすごい歌手がたくさんいてコンサートでいくつかグループが出るときは歌のバトルになります。どれだけ聴衆を沸かしたか、ウケたかがシビアに評価される場所です。
サムの前のリードシンガー、R.H.ハリスはトップクラスのシンガーでしたが、ハリスはスターラーズで何年もツアーを続けて家族をないがしろにしていたことに心を痛めスターラーズを辞める決心をしたのです。今度はサムが厳しいゴスペルツアーにでかけることになります。
僕もゴスペルの世界のことは昔あまり知らなかったのですが、ブルーズマンやR&Bのミュージシャンと同じくらいゴスペルシンガーたちもライヴツアーをやっています。黒人音楽のマーケットではゴスペルは有名になるとお金になり、アルバムも売れるしライヴのオファーもたくさんあります。
サムがゴスペルからR&Bの世界に移っていく様子が分かるのが”The Two Sides Of Sam Cooke”というアルバム。
これはThe Two Sides つまり二面、ゴスペルの面とR&Bの面とサムの両面の曲を収録したアルバムです。いまの曲はゴスペルでしたが、同じアルバムのR&Bの曲を聴いてください。
1956年リリース これはゴスペルの曲”Wonderful(He’s Wonderful)”をLovable(可愛い)に変えて、Heつまり神様をShe彼女に変えてラブソングに仕立てたものでメロディはほぼ一緒です。
3.Lovable/Sam Cooke
ソウル・スターラーズでスペシャルティ・レコードに所属していたサムは、この曲をデイル・クックという偽名でリリースしました。ゴスペルの世界ではゴスペルをやめてポピュラーなR&Bなんかを歌うことは「神様に背いた行為」「裏切り者」と非難する人たちがいて、R&Bを歌って売れればいいのですが、もし売れずに失敗したら・・と、サムはそれが怖かったので偽名を使ったのです。でも、誰もが聴いてすぐ「これサム・クックやろ」と気づくくらいサムの色が出まくってます。スペシャルティレコードから1957年1月にリリースされたこれは売れませんでした。この時期はキーンとスペシャルティとレコードの契約でもめている頃ですが、この後にキーンレコードが九月”You Send Me “をリリースして大ヒットし、あわててスペシャルティが次の曲をリリースした感じです。57年R&Bチャートは1位ポップでは17位。僕の大好きな曲です。
「噂では君は新しい恋人ができたらしいけど、僕の名前を呼んでくれたら僕はいつでも君の元に走って戻るよ」彼女と別れたことを後悔している歌です
4.I’ll Come Running Back To You/Sam Cooke
ソウル・スターラーズでゴスペルを歌っていたサムはキーンレコードに移り、今度はそこから大手のRCAレコードに移籍します。その間に彼は音楽出版社を立ち上げ、1959年自分の”SAR”というレーベルも作りそこではゴスペルのレコードも録音し、いろんなソウル・シンガーをデビューさせました。
サムのあとにジェイムズ・ブラウンやレイ・チャールズが成功して自分のレーヘルを立ち上げましたがサムはその先駆けだったのです。
そして、そこでレコーディングに選んだのが自分のゴスペルの古巣「ソウル・スターラーズ」だった。サムは自分のレーベルで録音して、黒人による黒人のためのレーヘルを作り、出版社をつくりそれまで白人に搾取されていた録音による権利やお金を黒人のものにしょうとしていたのです。
来週はサムのヒット曲を聴きながらポップス界で成功していくサムの話をしたいと思います。

2020.06.19 ON AIR

Sam Cooke-1
いまも歌い継がれ、語り継がれるサム・クック

(Keen 86106)

(Keen 86106)

 

ON AIR LIST
1.You Send Me/Sam Cooke
2.Ain’t Misbehavin/Sam Cooke
3.Lover Come Back To Me/Sam Cooke
4.(I Love You) For Sentimental Reasons /Sam Cooke
5.(What A )Wonderful World/Sam Cooke

ブラック・ミュージックを聴いていると必ずサム・クックという名前に出会います。そして、R&Bとかソウル・ミュージックを聴き続けているとそこにはサム・クックが残した音楽的な遺産がたくさんあることを知ることになります。
この番組でも以前、サム・クックの特集をやったことがありますが、今年に入ってサムがゴスペルからR&Bに移ってキーンレコードでリリースしたソロ・アルバム5枚がボックスセットでリリースされました。彼がポップ、R&B、ジャズを歌った初期の録音になります。『The Complete Keen Years 1957-1960』というタイトルですが、最初の『Sam Cooke』(1958年)、『Encore』(1958年)、『Tribute To The Lady』(1959年)、『Hit Kit』(1959年/編集盤)、『The Wonderful World Of Sam Cooke』(1960年)の五枚です。
それを記念して今日から三回に渡ってサム・クックの特集をやってみようと思います。
まずはその一枚目アルバムタイトル「Sam Cooke」に収録されている1957年の大!大!大ヒット。R&Bチャート、ポップチャートともに1位になったこの曲です。
1.You Send Me/Sam Cooke

サムはキーンレコードに入る前にスペシャルティ・レコードと契約していたのですが、それはリード・ヴォーカルとして抜擢された「ソウル・スターラーズ」というゴスペル・カルテットでのレコーディングでした。このグルーブはサムの前にR.H.ハリスという素晴らしいリード・シンガーがいて、実はサムはそのハリスを尊敬していて歌い方の影響も強く受けていました。「ソウル・スターラーズ」は元々人気のあるグループでしたが、サムが加入してからサムは若いしハンサムなので若い人たちとくに若い女性ファンがたくさんつくようになりました。それはゴスペルの世界ではちょっと珍しいことで、そういう人気が出たこともサムがいつかR&Bというポップ・ミュージックに行きたいと思った理由だったのでしょう。それで最初はそのスペシャルティレコードの社長の反対を押し切って偽名でR&B曲を発表したのですが、それは誰が聴いてもサムとわかる歌でした。そしてポップシーンへ出る気持ちが次第に強くなって、スペシャルティからキーンレコードに移籍ということになりました。キ
キーンレコードでリリースした曲はジャズスタンダードの曲が多くて僕は昔そんなに好きではなかったです。まあ、いまもすごく好きというわけではないのですが、やはり歌が上手いのでついつい聴いてしまいます。
次の曲もジャズやポピュラーシンガーがよく取り上げる曲です。
「一緒に話をする人がいないんだ。ひとりっきりだ。一緒に散歩する人もいない。まあ売れ残りってわけさ。でも、だからと言って悪さはしない。愛は君のために取ってあるから。売れ残りという表現が”But I’m happy on the shelf”棚の上で僕は幸せだ。この表現がいいですね。要するに君のことを本当に愛しているからもう他の女と火遊びみたいなことはしないんだという歌です。
2.Ain’t Misbehavin/Sam Cooke
いまの曲はオリジナルがファッツ・ウォーラーで、他にもジャズのビリー・ホリディ、エラ・フイッツジェラルドなどが歌ってます。
次の曲もビリー・ホリディ、エラが歌っていますが、よく知られたジャズ・スタンダード。邦題が「恋人よ、我に帰れ」。
こういうジャズ・スタンダードをサム・クックはなぜたくさん歌ったかということですが、サムの先輩で白人にも受けてすごい人気を博したのがナット・キング・コール。前回やったジャズシンガーでありピアニスト。キング・コールはとにかく声がよくてクールナーと言われる歌う方で、あまり派手にシャウトしたり、大声で歌ったりしないスタイルの歌い方でウケました。あと歌の英語の発音も白人的で黒人独特の発音をしないということもあったと思います。サムもそのキング・コールが歩んだ道を目指したんだと思います。そのために白人の洒落たクラブで歌っても通用するジャズスタンダードをたくさん歌ったのだと思います。
3.Lover Come Back To me/Sam Cooke

何を歌っても上手いです。でも、僕はやっぱりサムの本領はここではない気がします。でも、それはいまだから言えることで当時とにかく上を目指していこうとしていたサムにとって、こういう歌を歌うことがいちばん有効だったのでしょう。この当時、サムは若者向けには若い人たちも手軽に買う事ができるシングルで出して、お金を持っている大人たちに向けてアルバムを出してました。
次の歌も有名スタンダードで、ナット・キング・コール、エラ・フィッツジェラルド、珍しいところではリンダ・ロンシュタットが歌ってますが、サムのこのバージョンもいい感じです。
「心からあなたのことが好きなんだ。信じて欲しい。僕の心はあなたのものだ。毎朝あなたのことを想い、毎晩あなたのことを夢見る。あなたがいる時はいつでも私はひとりじゃない」
4.(I Love You) For Sentimental Reasons /Sam Cooke
I Love You・・・・と何回も出てくるんですが、それがいいですよね。
もう一曲聴いてみましょう
次の曲はこのキーンレコードでの最後のアルバム、アルバムタイトルの一部にもなっていますサム・クックの自作の素晴らしい曲です。
「歴史のことはよく知らないし、生物学もよくわからない。
科学の本のこともよく知らないし、フランス語も勉強してるけどよく知らない
でも、自分が君を愛していることはわかってる
君が僕のことを愛してくれていたら、すごく素敵な世界になるよ
地理のことも三角法なんかよくわからない
代数学のことなんかよく知らない 何の為に計算尺を使うのか知らない
でも、1タス1が2だってことは知ってるさ、そしてその1が君だったならとても素敵な世界になるだろう」
5.(What A )Wonderful World/Sam Cooke
いまアメリカでアフリカン・アメリカンの方が白人の警察官に不当に殺された事件が発端で、人種の問題の暴動が全米各地で起きています。
実はサム・クックがこの一見ラブ・ソングを実は人種の歌として作ったのではないかという話があります。「君が僕のことを愛してくれていたら、すごく素敵な世界になるよ」そして「1タス1が2だってことは知ってるさ
そして、その1が君だったなら とても素敵な世界になるだろう」という1は黒人でもうひとつの1は白人のことだという人がいます。