2017.06.02 ON AIR

追悼:チャック・ベリー/偉大なロックン・ロールの創始者 Vol.1

Chuck Berry Gold(Geffen/Chess1317-18)

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ON AIR LIST
1.Maybellene/Chuck Berry
2.Wee Wee Hours/Chuck Berry
3.No Money Down/Chuck Berry
4.Roll Over Beethoven/Chuck Berry
5.Havana Moon/Chuck Berry

 

 

 

去る3月18日にロックン・ロールの偉大な創始者、チャック・ベリーが亡くなりました。90才でした
1926年生まれ 本名:Charles Edward Anderson Berry
生まれ故郷のセントルイスで働きながら音楽をやっていたアマチュア時代のチャックはすでに街の音楽シーンではちょっと知られた存在だったようです。
きっかけは1955年友達についてシカゴへ行ったことから始まる。55年言えば当時のシカゴ・ブルーズは全盛期。友達とマディ・ウォーターズのライヴを観に行き、なんと楽屋に行ったチャックは「あなたの熱烈なファンです。あなたのバンドに入れてくれないかと頼んだ」その頃、マディのバンドにはギターの名手ジミー・ロジャースがいたしその後にも凄腕のパット・ヘア、そして若手のバディー・ガイなど才能のあるギタリストがたくさんも控えていた。チャックがその頃どのくらいの腕前かわからないが、マディにバンド加入は断られる。
マディのバンドに入りたかったということは、チャックはブルーズをやりたかったわけ。ところが当時彼がアイドルとしていたのはシカゴ・ブルーズのマディやハウリン・ウルフではなく、ウエストコーストにいるT.ボーン・ウォーカーであり、好きな歌手はルイ・ジョーダンだった。
たまたま旅行に行ったシカゴでライヴを見て興奮していたかも知れないが、マディにバンドに入れてくれないかと自分を売り込むチャックはどうにかプロになるきっかけをつかみたかったのかも知れない。その時26才。セントルイスには女房も子供もいる。そろそろなんとかせんとなぁ・・・と思っていたかも。
好きなのはウエストコーストのブルーズだからロスあたりへ行くことも考えただろうが、セントルイス~ロスは遠い。一方セントルイスはミズリー州の北でシカゴのイリノイ州のすぐ近くだ。シカゴもそう遠くはない。ウエストコーストへ行くよりは遥かに近い。しかもシカゴのチェスレコードは昇り調子だ。まあ、ダメだったらすぐ帰ってくるか・・と、いつかシカゴに行くことは前々から考えていたのかも知れない。
しかし、マディに断られたチャックは親切なマディにチェスレコードのオーディションを受ける手はずをしてもらう。マディに会えてほんとうに良かったと思っただろう。
そのオーディションで”Ida May” という曲を歌って合格。ただ。社長のレナードチェスが「曲名があかん」とタイトルを変えるアイデアを出して「メイベリーン」としてリリース。このデビュー曲はチャートの5位まで上がった。
その記念すべきチャックのデビュー曲を聴いてみよう。
1.Maybellene/Chuck Berry
メンバーはセントルイスの仲間ピアノのジョニー・ジョンソン、ドラムにエビー・ハーディ、マラカスがボ・ディドリーとやっていたジェローム・グリーン、そしてベースはチェスレコードの現場のプロデューサー、ウィリー・ディクソン
2ビートのダンス・ナンバーはブルーズではなく、いわゆるヒルビリー的なテイストを持った曲だ。つまり白人のカントリー・ウエスタンのテイストを持った珍しい黒人シンガーがチャックだった。
ギター・ソロのところになると盛り上がり激しくロックするチャックが現れ、歌はノヴェルティで物語風、ここにはそのあとに生まれる「ジョニー・B・グッド」などR&Rの予感がある。
セントルイスで活動していた頃からチャックはカントリー・ウエスタンなど白人が歌うような曲をレパートリーにしていてちょっと変った奴だったそうだ。
デビュー曲はR&Bチャート1位、ポップチャートでも5位。つまり白人にも受けたということ。
それでメイベリーンは大ヒットしたわけだが、そのシングルのB面を聴いてみよう
2.Wee Wee Hours/Chuck Berry
いわゆるウエストコーストのクラブ風の曲でチャールズ・ブラウンあたりが歌いそうなブルーズだ。シカゴに来たけれど、チェスで録音だけどこういうのもやりたいんよね~という気持ちがわからないでもない。
でも、A面のメイベリーンを聴いた白人の若者は当然B面も聴くことになったわけだ。のちにエリック・クラプトンがいまの”Wee Wee Hours”を録音しているが、それはA面が有名ヒット曲で買ったけど「おおっ、B面ブルーズやんか」ということだったと思う。

次もチャックのノベルティ・ブルーズ。チャックの歌詞が面白いというのが若者に受けた大きな理由のひとつだったが、歌詞のことは本当によく考えたらしい。
No Money Downというのは頭金不要という意味。自分のボロいフォードの車で走っていたら「No Money Down」(頭金不要)という看板を見つけて、3万ドルのローンで新車の高性能キャデラックを買うという話。オレは新車買うたよ!ボロいフォードはさよなら。まあ、このあとのローンのなんか忘れてオレは新車のキャデラックよというところがブルーズっぽいです。
3.No Money Down/Chuck Berry
チャックの歌は明るくて楽しい。当時の50年代中頃の若者たちがブルーズからだんだんR&BそしてR&R(黒人の人たちの間では当時R&Rという言い方はしなくて、チャックもリトル・リチャードもR&Bというカテゴリーでした)に移行していく気持ちがわかりますね。新しいサウンドとグルーヴ、つまりそのグルーヴ
がR&Rと呼ばれるものなんですが、チャックは無意識にそういう新しいもの、しかもファンキーなテイストを自分の音楽に入れてます。だから、チャックのブルーズはあまりブルーズっぽくないんですよね。いい意味での軽さがあり、マディやウルフのような重さがチャックにはなくて、でもそれがR&Rになっていったんですね。
翌1956年いよいよロックン・ロールの誕生に近づいていきます。イントロのギターのフレイズもロックの歴史上に残るチャックが生み出したもので、チャック・ベリーと言えばこのイントロっていう定番になりました。
4.Roll Over Beethoven/Chuck Berry
日本語のタイトルが「ベートーベンをぶっ飛ばせ」ですが、もうベートーベンやチャイコフスキーなんか聴いてる場合じっゃない。自分たちの新しい音楽の時代だよ 最後にDig These Rhythm&Bluesと歌ってるようにまだロックンロールという言葉はなくてリズム&ブルーズ。それが主に白人たちの間でR&Rと呼ばれるようになった。

50年代中頃、アメリカではハリー・ベラフォンテの「さらばジャマイカ」がヒットしてちょっとしたカリプソ・ブームだった。
そういうカリプソっぽいテイストをいち早く取り込んでチャック独特のミックスチャーで作ったのが次のハバナ・ムーン
時代の流行ものにも意外と敏感だった一面が感じられます。
5.Havana Moon/Chuck Berry
次回もチャックベリー、続きます!