2020.01.03 ON AIR

ブルーズの革新からロックの核心を作ったリトル・リチャード その1

Here’s Little Richard /Little Richard (Specialty / P-Vine PCD-1901)

Here’s Little Richard /Little Richard (Specialty / P-Vine PCD-1901)

Little Richard/Little Richard (Specialty / P-Vine PCD-1902)

Little Richard/Little Richard (Specialty / P-Vine PCD-1902)

 

ON AIR LIST
1.Tutti Frutti/Little Richard
2.Long Tall Sally/Little Richard
3.Slippin’&Slidin’/Little Richard
4.Keep A Knockin’/Little Richard
5.The Girl Can’t Help It/Little Richard

明けましておめでとうございます
新年最初は寒い冬に体も心も熱くなる熱狂ロックン・ロールのリトル・リチャード
50年代黒人の間ではR&Bと呼ばれていたものを白人たちがロックン・ロールと呼ぶようになり、そう呼ぶ方が白人にも売れるということで黒人たちもロックン・ロールと呼ぶようになったと言われてますが、実際リトル・リチャードを聴くと僕はやはりR&Bと感じます。白人が演奏していたロックン・ロールとは明らかにリチャードの歌唱が違い、バックの演奏のグルーヴ感も違います。リトル・リチャードと双璧のチャック・ベリーはまだR&Bテイストが薄く、彼の方がロックン・ロールと呼ぶのにふさわしい気がします。
リトル・リチャードの略歴を簡単に言うと、本名はリチャード・ウェイン・ペニマン、1936年の生まれで現在86才。現役は引退してますが存命です。
出身はジョージア州メイコンですが、このメイコンからは他にもジェイムズ・ブラウンとオーティス・レディングが生まれ育っています。オーティスが最初リトル・リチャードを目指していたのは有名な話です。
リトル・リチャードはお爺さんが教会の牧師だったこともあって音楽的なバックボーンはゴスペル。ブラザー・ジョー・メイという強力なゴスペル・シンガーが好きで将来はゴスペル・シンガーとしてやっていきたいと思っていたらしいんですが、10代になるとビリー・ライトというブルーズマンが好きになって方向がだんだんブルーズ、R&Bへと変っていったみたいです。
RCAとピーコックというレーベルで何曲かシングルも出したのですがヒットせず、50年代半ばスペシャルティ・レコードと契約。このスペシャルティのプロデューサーのバンプス・ブラックウェルがリトル・リチャードの特異な才能を見つけ売り出すことに成功。
まず1955年、23才のリトル・リチャードがスペシャルティ・レコードから初めてリリースしたR&R永遠の名曲です。

1.Tutti Frutti/Little Richard
歌の激しさは尋常ではなく、パワフルでアグレッシヴで耳が惹き付けられる素晴らしいものです。

僕は中学の頃からビートルズのファンだったのですが、次の曲のオリジナル・シンガーがリトル・リチャードだということなど知らなかったし、当時は興味なんかゼロでした。10代終わりくらいにブルーズから黒人音楽を聴き進むうちにリトル・リチャードの歌に出会う訳です。初めてリチャードの歌を聴いたときに真っ先に想い出したのは、やはりビートルズであり、リチャードをカバーして歌っていたポール・マッカートニーのことでした。ポールはいろんな音楽テイストを持った人ですが、R&Rに関してはこのリトル・リチャードの影響が最も強いと思います。
そして、リトル・リチャードのカバーを本人に負けないくらいのパワーで歌える白人シンガーはボールとCCRのジョン・フォガティ、このふたりだと思います。
次の曲、日本語のタイトルは「のっぽのサリー」
2.Long Tall Sally/Little Richard
リトル・リチャードやチャック・ベリーがR&Rの嵐のブームを起こした50年代半ば、このR&Rという音楽が黒人だけでなく白人の若者を取り込んだところが凄いです。当時は黒人の音楽と白人の音楽はヒット・チャートも黒人の方はR&Bチャート、白人の方はポップ・チャートと別れていました。その白人のチャートにリトル・リチャードやチャック・ベリーの黒人音楽が入り始めていく時代です。そして、白人のミュージシャンが黒人音楽のカバーをやりはじめ、最初のTutti Fruttiも白人のポップ歌手パット・ブーンがカバーしてパット・ブーンの方がポップチャートでは上位に入ってます。パット・ブーンのカバーを聴いてみましたが、僕にはR&Rを感じさせないつまらない歌でした。
次の曲はビートルズのジョン・レノンが1975年のソロ・アルバム”Rockn’ Roll”で録音しています。この曲もいまはロックのスタンダードの曲のひとつになってます。
3.Slippin’&Slidin’/Little Richard
1955年から56年あたりのリトル・リチャードの録音はニューオリンズのJ&Mスタジオ(通称コジモ・スタジオ)で行われました。そこには先ほども名前を出したドラムのアール・パーマーはじめ、サックスのリー・アレン、アルヴィン・レッド・タイラー、ベースのフランク・フィールズ、ギターのジャスティン・アダムズほか優秀なスタジオ・ミュージシャンが揃っていました。彼らがいたからこそできた名曲の数々だとも言えます。やはりリトル・リチャードの強力なパワーを受け止めるにはそれに相当するパワーのミュージシャンが必要なことが次の曲でもわかる。

2分13秒で終わる名曲です。
4.Keep A Knockin’/Little Richard
パンク・ロックみたいな曲だといつも思うのですが、ロックという音楽を凝縮してエッセンスを絞りだすといまのKeep A Knockin’になるのではないかと思います。この曲だけではなくリトル・リチャードはロックの核心、つまりいちばん大切なところを知っていてそれを最大限のパワーで、最高にカッコよく歌い、演奏した人だと思います。彼の作ったその核心がビートルズやイギリスのロック・ミュージシャンへ、そしてハード・ロックからヘヴィ・メタルやパンクロックへ繋がって受け継がれている感じがします。
去年、自分のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャー」がリリースしたアルバム”Blues Before Sunrise”はドラマーのアール・パーマーのトリビュートのような意味もあったのですが、そのアール・パーマーがリチャードの多くの曲で素晴らしいビートを残してます。次の曲の”The Girl Can’t Help It”も聴いているより演奏してみると遥かに難しいことがわかりました。リズムが4ビート・シャッフルと8ビートが合わさったようなグルーヴで、歌いながらギターを弾くのはかなり難しかったです。
5.The Girl Can’t Help It/Little Richard

実はリトル・リチャードは性的にゲイでした。黒人として生まれしかもゲイであることは昔のアメリカで二重の嫌がらせを受けるようなものでした。彼がどんな人生を歩んでワン&オンリーな歌手になったのか詳しくはわかりませんが、いつもどの曲も120%の力を出して歌う彼のR&Rにとても切ないものを感じるときがあります。そして、それは多くの人がその歌声を聴くだけでウキウキしと幸せになり、パワーを得られるような歌になっていて素晴らしいです。
来週は今日聴いたようなR&Rでブレイクする前、ブルーズを歌っていた頃のリチャードの話もしたいと思います。