2016.09.16 ONAIR Lightnin’ Hopkins

ライトニン・ホプキンスのブルーズ常習性

The Very Best Of Lightnin’ Hopkins(RHINO R2 79860)

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1.Mojo Hand/Lightnin’ Hopkins
2.Katie Mae Blues/Lightnin’ Hopkins
3.Moanin’ Blues/Lightnin’ Hopkins
4.Baby Please Don’t Go/Lightnin’ Hopkins
5.Fan It/Lightnin’ Hopkins

 

 

 

 

少し前にジョニー・ギター・ワトソンをこの番組で聴きましたが、ジョニー・ギターを聴いていたら彼のテキサスの大先輩ライトニン・ホプキンスを聴きたくなって今日はライトニンです!
なんか周期的にそれも短いスパンでライトニンを聴きたくなるんですよ、僕は。
僕はかなりたくさんライトニンの数アルバムもってます。それでも、まだまだアルバムがあるブルーズマンなんですが、でも、どのアルバムも音楽的にすごい変化はないんですよ。逆にいうとどれも結局ライトニンなんですが(笑)ひどいアルバムがあまり無い人でなんかジャケット見ると買ってしまいたくなってしまうんです。なんか常習性のあるブルーズです。

僕の周りのほとんどの人はライトニンの最初のこの曲を聴いてやられてしまいました。「ルイジアナにモジョ・ハンドをゲットするために行くんだ」と歌い始めた途端のグルーヴ感とクールな空気感が一瞬のうちに聴く者の心を捉えてしまうブルーズの名曲のひとつです。Mojo Handとはヴードゥー教のお守りのことで持ってるとバクチに勝てるとか女性に持てるとか・・そういう力が持てるというものです。
Mojo Hand
かっこいい!と思わず言ってしまうかっこ良さです。1961年にファイヤーというレーベルからリリースされたシングル”Mojo Hand”

ライトニンは1912年生まれ。子供の頃憧れのブルーズマンはダラス出身の偉大なブルーズマン、ブラインド・レモン・ジェファーソン。同時代のアメリカ黒人と同じように小さい頃から畑仕事をやらされて、少ない賃金で働いていた。ブルーズを始めるのは、すでに地元で少し売れていた従兄弟のテキサス・アレキサンダーとデュオを組んでから。どうしても畑仕事をするのが嫌なライトニンは音楽とギャンブルのふたつでその日暮らしを続けていたが、40年代後半30代半ばに、ウィルソン・サンダー・スミスというピアニストと「サンダー&ライトニン」というデュオを組む。「雷と稲妻」ですよ。漫才のトリオみたいですが・・・。このデュオでリリースした”Katie Mae Blues”がファースト・シングルです。
「ケイティ・メアはいい女なんよ。みんながあの娘は夜遊びなんかしないと言うてる。最後の1ドルをあの娘に賭けてもええよ。ケイティ・メアはよくしてくれる」ここでもbet、賭けるというギャンブルの言葉が出てきるところがギャンブラーのライトニンらしいです。
Katie Mae Blues

僕がライトニンをめっちゃ好きになった最初にぐっと心に入ってきたのがいまから聴いてもらうようなライトニンのスロー・ブルーズでした。
これはMoan呻くブルーズと言うタイトルで「泣かずにはいられない。オレの女が遠くへ言ってしまった」女に逃げられてモーン、うめいているブルーズです。2分30秒のギターと歌の中に女に逃げられた悔しさと悲しさが詰め込まれてます。
Moanin’ Blues
テキサスで生まれ、テキサスで育ち、テキサスで人気者になり、テキサスで亡くなったライトニンは同じテキサスのT.ボーン・ウォーカーやゲイトマウス・ブラウン、アルバート・コリンズが憧れたブルーズマンでした。写真とか映像を見てもらうとよくわかるんですが、見た目もかっこええんですよ。サングラスかけて、着ているシャツなんかもオシャレで着方もいいです。いわゆる「いなせ」な、粋でおとこっぽくて・・アウトローの匂いがある。
そのアウトローのかっこ良さが同じテキサスの後輩ジョニー・ギター・ワトソンまで受け継がれている感じがします。
次のブルーズはいろんなブルーズマンがカバーしているのですが、やはりこのライトニンのが僕はいちばん好きです。タイトルそのままの歌です。「ベイビー、行かないで」
Baby Please Don’t Go

では、もう一曲。ライトニンのギター・グルーヴが素晴らしい曲です。R&Rにも通じるダンス・ミュージックのグルーヴがライトニンひとりのギターで演奏されてる。細かいフレイズを弾いた後もリズムが崩れない素晴らしさ。こういう曲を聴くとブルーズは弾き語りの時代からダンス・ミュージックだったことがわかると思います。実際ライトニンの映像には野外パーティでライトニンのこういう曲でみんなが踊ってるシーンが出てきます。この映像を是非一度見てください→”The Blues According To Lightnin’ Hopkins” 「ライトニン・ホプキンスのブルース人生」(P-Vine)
Fan It

1982年にライトニンは70才でこの世を去りました。一度だけ来日した時も心に残るブルーズを歌ってくれました。たぶん、故郷のテキサスのクラブでもこんな感じでやったるんやろな・・という自然体のライトニン・ブルーズでした。
人間の喜怒哀楽という感情はもちろん、ずるさや悔しさや悪さ、嘘とだまし、素朴さや叙情、そして踊り出したくなるようなファンキーさもライトニンのブルーズにはあります。そして、そういう感情を彼はその場の即興性をふんだんに使って表現できる見事なブルーズマンでした。