2016.09.09 ON AIR

「モハメッド・アリと黒人音楽」

When We Were Kings(The Original Motion Picture Soundtrack/The DAS Label/Mercury 314 534 462-2)

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ON AIR LIST
1.Ain’t No Sunshine~You (Medley)/Bill Withers
2.Sweet Sixteen/B.B.King
3.Pay Back/James Brown
4.Put It Where You Want It/The Crusaders

 

 

 

 

 

今日は去る6/3に亡くなった元世界ヘビー級チャンピオンのモハメッド・アリのドキュメント映画”When We Were Kings”(モハメッド・アリかけがえのない日々)のサンウドトラックを聴きます。
60年代から70年代にかけてボクサーとして活躍していたモハメッド・アリ(最初はカシアス・クレイという名前でした)は、僕にとって10代から20代のリアルタイムに体験したすごく印象に残ったボクサーです。
当時は日本でもボクシングが盛んでしたし、その中でもアリは脚光を浴びたとても個性的なボクサーでした。
そして、その後自分がブルーズ歌い始めて黒人音楽を知るにつれて、サム・クック、ジェイムズ・ブラウンはじめアリが当時の黒人ミュージシャンといろいろ関係があったことがわかってまた別の意味で彼に興味を持ちました。

このアルバム「When We Were Kings」にはB.B.キング、ジェイムズ・ブラウン、ビル・ウィザース、スピナーズなどが収録されています。
1974年10月30日、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで行われた、アリとジョージ・フォアマンのヘビー級の試合とともに行われたコンサートのライヴ音源です。
音楽とボクシングというこのイベントを仕掛けたのはボクシングのプロモーターとして有名なドン・キング。
主旨としては自分たちアメリカン・アフリカンの祖先のマザーランドであるアフリカに行ってボクシングの試合とコンサートを合体させたイベントをやることで、アメリカ黒人としてのアイディンティティの確立という意味合いもあったと思います。
アフリカに初めてきたアメリカの黒人ミュージシャンたちとそれを迎えたアフリカの人たちのテンションの上がり具合がすごくて、このイベントはアフリカのウッドストックとも呼ばれました。
では、まず70年代前半を代表するソウル・シンガーであり、素晴らしいソングライターのビル・ウィザース
Ain’t No Sunshine~You (Medley)
いまの曲はビル・ウィザースのシングル・チャートに初めて上がった曲で、ポップで三位まで上がりグラミーも獲得した曲です。73年には有名なカーネギーボールでの素晴らしいライヴアルバムを残して、このアフリカへ行った74年にはアルバム「ジャストメンツ」をリリースしてまさに絶頂期です。
でも、性格的に温和で内省的なビルはこういうアフリカでのお祭り的なノリにちょっとついていけてない感じが映画の画面から感じられるのも面白いです。
次はこれまた絶頂期のB.B.キングです。1974年ですから、僕が大阪で前座をやらせてもらった二年後です。50才になる前のB.B.がグラミーもとった後でワールド・ツアーをして世界中にその名前を知られていく脂の乗り切った頃です。ドラムのソニー・フリーマンを中心としたバンドも最高にクールでタイトな頃です。
曲はおなじみの・・・・・Sweet Sixteen

ここでちょっとモハメッド・アリの話を
60年代がちょうど10代だった頃、アリはすごく記憶に残ったボクサーでした。ボクサーとして強かったこともありましたが、試合前に対戦相手を罵ったり、オレが世界一だと大声で叫んだり、そういうパフォーマンスも面白い人でした。
1942年1月17日、ケンタッキー州ルイビル生まれ。1960年、ローマオリンピックのボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得した。白人レストランへの入店を拒否されてまあ喧嘩みたいになってアリは金メダルを河に捨ててしまう。その後プロに転向し、1964年ソニー・リストンを破り世界ヘビー級王者となる。この後ですね、当時の公民権運動の活動家マルコム・Xとの出会いからイスラム教に改宗し、本名もカシアス・クレイからモハメド・アリに改名した。その頃から人種差別反対や黒人の権利の主張やベトナム戦争反対を公に語るようになった。それはまあ当時の政府を批判することになり徴兵に行くことを拒否したことから世界王者のタイトルを剥奪され、およそ4年間にわたって試合を禁じられました。しかしその後も2度にわたって王者に返り咲き、通算19度の防衛に成功。ベトナム戦争の徴兵を拒否したために王座を剥奪され、王座剥奪後の71年3月8日、ジョー・フレイジャーに挑戦する。初めての敗北を喫した。1974年10月30日、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサでジョー・フレージャーの代わりに新しい王者になっていたジョージ・フォアマンに挑戦。アリ不利の事前予想を覆し、「キンシャサの奇跡」と呼ばれた。それが今日聴いてもらったいるアルバム”When We Were Kings”(モハメッド・アリかけがえのない日々/監督:レオン・ギャスト96年リリース)
アリは戦争反対や人種差別反対そして公民権運動に参加したり、賛意を表していたサム・クックと親交を深め始め、いまから聴いてもらうジェイムズ・ブラウンともそういう同胞意識が強かったと思います。では、このコンサートでもメインになっているJames Brown。
Pay Back

次のクルセーダースは70年代前半から中頃、日本でもすごく人気があり好き方も多いと思います。元々はジャズ・クルセーダーズという名前で60年代活動していたんですが、71年にジャズを取ってクルセーダースになります。当時はクロス・オーバーと行ってジャズだけでなくソウル、ファンク、ラテンなどいろんな音楽の要素を加えたバンドになっていました。
メンバーはピアノ、ジョー・サンプル、トロンボーンのウェイン・ヘンダーソン、ドラムのスティックス・フーパー、サックスのウィルトン・フェルダー、ギターはラリー・カールトン(アーサー・アダムスの時も)曲は72年リリースのクルセーダーズ1に収録されたもの、これがカッコいい曲!
Put It Where You Want It

モハメッド・アリは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われた流麗なフットワークと切れ味鋭いジャブを駆使したボクシングスタイルで観客を魅了した人でした。そして、一方で社会的な、政治的な主張をはっきり打ち出して、その生き方は終生変らない人でたくさんのアメリカ人に尊敬された人でもありました。1981年にボクシングを引退。試合のダメージが原因とみられるパーキンソン病にかかり長年闘病していました。1996年のアトランタオリンピック開会式では、震える手で聖火台に聖火を灯した姿が忘れられません。

この映画はDVDでも出ているので是非見てもらいたいです。70年代の黒人音楽の盛り上がりや「ブラックイズビューティフル」といって黒人が自ら自分たちの美しさ、素晴らしさを強く主張した時代のいい記録映画です。