2020.12.11ON AIR

ブルーズの偉人、ジョン・リー・フッカーの初期三枚組CDリリース!vol.1

Documenting The Sensation Recordings 1948-1952/John Lee Hooker (ACE JLHBOX019)

ON AIR LIST
1.Boogie Chillen/John Lee Hooker
2.Hoogie Boogie/John Lee Hooker
3.Crawlin’ King Snake/John Lee Hooker
4.Huckle Up Baby/John Lee Hooker
5.I’m In The Mood/John Lee Hooker

コロナ感染が広がって趣味のレコード店巡りも自粛して、新しいアルバムをゲットするのはもっぱらネットになっている。ネットで検索していると後から「あんた、こんなアルバム好きやろ」みたいなお勧めがたくさん来るのには辟易するが・・。
今日On Airするジョン・リー・フッカーの初期の音源を集めた”Documenting The Sensation Recordings 1948-1952″というCD3枚組もネットで購入した。
実はこの3枚組に収録されている音源はすでにほとんど持っているが、未発表テイクも収録されているとのこと。この「未発表」に私のようなブルーズ馬鹿は弱くてそのテイクを聞きたいがためについつい買ってしまう。
しかし、こうしてまとまった形で丁寧なライナーも付いてリリースされると初期のジョン・リーのことがよく理解できてそれはそれでいい。
まずは1948年ジョン・リー・フッカーのデビューシングルであり、1948年R&Bチャート1位に輝いたこの曲から
1.Boogie Chillen/John Lee Hooker
ジョン・リー・フッカー、31才。デビュー曲で一位だからかなりラッキー男だ。実際、後期のアルバムに”Mr.Lucky”というのがあるのだが、48年のデビューから亡くなる2001年近くまで常に現役を続けシーンから消えたのかと思うとまた何かのきっかけで登場したり、タフでラッキーな人だと思うしそこが彼を好きな理由の一つでもあります。
この頃、ジョン・リーはドラム、ベース、キーボードを入れた編成でライヴをやっていたのをA&Rのバーニー・ベニスマンというおっさんはあえてジョン・リーの弾き語りで録音した。これが成功の大きな要素だった。ジョン・リーのギターと歌のグルーヴ感を生かすために足下にベニヤ板を置いてジョン・リーの足音をリズム楽器のように録音するという技あり一本。これが有名なジョン・リーの「フット・ストンプ・ブギ」の誕生だった。
いまの曲はワン・コード、コードがひとつしかなく、それで延々とブギをする・・彼の声の良さとフット・ストンブの音。グルーヴする踊れるワン・コードのブギというのがまず彼の売りになった。もう一曲このタイプの曲を聴いてみよう。
2.Hoogie Boogie/John Lee Hooker
語りが少し入っているが、基本インストの曲でジョン・リーのリズムのグルーヴ感がいかに素晴らしいかというのがよくわかる曲。ブルーズはダンス・ミュージックの一つだからダンスできる、踊れるグルーヴ、踊れるリズムの良さというのが重要だ。ジョン・リーは今のような弾き語りで抜群のリズム感があったことがわかる。
ライヴでは延々とこのブギを続けて、客を呪術的なリズムのループの中に取り込んで行ったのだと思う。ジョン・リーは40年代終わりのデトロイトのブルーズのグルーヴメイカーだった。

「オレは這い回る王様蛇さ、オレの穴は誰にも使わせないぜ。くたばる日までオレは這い回るのさ。お前の窓を這い登り、ドアに這い上り、床を這い回る、くたばる日までな。オレは王様蛇」蛇をセクシャルな象徴として題材にしているジョン・リーを代表する曲。
3.Crawlin’ King Snake/John Lee Hooker
ジョン・リー・フッカーについてざっと説明。
ジョン・リーは1917年ミシシッピーのクラークスディルあたりの生まれ。このクラークスディルという地名はたびたびブルーズの話に出てくるが、いわゆるミシシッピー・デルタと言われる綿花の栽培で栄えた地域。
ジョン・リーの義理のお父さんは地元のブルーズマンで最初にギターを買ってくれて教えてくれたのもその義父。かたや実のお父さんは教会の牧師さんで母親も敬虔なクリスチャン。当然ジョン・リーも教会で歌っていた。つまり、子供の頃から教会の音楽と世俗のブルーズ、両方に彼は慣れ親しんでいたわけだが、次第にジョン・リーはブルーズをやりたくなってしまい、14才の時に家出します。日本だと中学二年です。家出してメンフィスへ行ったが連れ戻されます。そして二度目の家出でシンシナティに行き、そこから43年にデトロイトにたどり着きます。デトロイトはのちに「モータウンレコード」で有名になるがモーター・シティと言われ、ご存知のように自動車メーカーがたくさんあった大都会。1940年代当時は最先端の街のひとつ。当然夜のクラブなどもたくさんあり音楽が栄えた街でした。そこで彼は昼の仕事をしながら夜クラブに飛び入りしたり、ハウスパーティで歌ったりしていた。ハウス・パーティでジョン・リーの歌を聞いて「こいつ、ええなぁ」と思ったのがレコード屋を経営しているエルマー・バービーという男。このエルマーが「こいつ、なかなかええで」と同業者のパン・アメリカン・レコード・カンパニーのA&Rのバーニー・ベニスマンにデモテープを聞かせた。彼はまずジョン・リーの声に惹かれたというのがわかる声の良さを確かにジョン・リーは持っている。「こんな声聞いたことがない」と言ったベニスマンのレコードレーベル名が「センセーション」なので今回のアルバムタイトル”Documenting The Sensation Recordings “になっています。このバーニー・ベニスマンがジョン・リー・フッカーを世に出した人です。
この時はジョン・リーにとりあえず2000ドル(20万くらい)を渡してレコーディンク゜となりました。当時のブルーズマンにすればかなりの金額だと思います。ベニスマンの期待の度合いがわかる。

次はデビューの翌年1949年の録音で、基本は同じジョン・リー・スタイルのブギだが、ちょっとしたポップス性も感じさせる曲。1949年というとブルーズからR&Bに移行していく時代。そういうR&Bのポップなテイストを彼は次の曲で出している。まあ、どこがポップやねんと思う人もいるかもだが・・。
4..Huckle Up Baby/John Lee Hooker
ジョン・リーは意外とその時代に流行っている曲とか新しい音楽の流れを知っていて、そういうテイストを自分の曲に入れ込んでいる。そういうところも彼がブルーズマンとして長く活躍できたところだと思う。どちらかというと不器用なブルーズマンでいろんなことができるタイプではなかったのだが、彼はそういう自分をよく知っていたように思う。

5.I’m In The Mood/John Lee Hooker
今日聞いたのは三枚組なのでこのジョン・リー・フッカーまたそのうちON AIRします。これからジョン・リー・フッカーを知りたい方にはお勧めのボックスセットです。
僕は輸入盤を買いましたが、P-Vineレコードからの日本版もあります。