2022.04.22 ON AIR

相次いで亡くなったブラック・ミュージックの三人の偉大なドラマー Vol.1

ブルーズの名曲にその名を残したドラマー、サム・レイ

ON AIR LIST
1.All Aboard / Muddy Waters
2.Born In Chicago / The Paul Butterfield Blues Band
3.Highway 61 Revisited/Bob Dylan
4.Killing Floor/Howlin Wolf

今年になって立て続けにブラック・ミュージックにとって大切な、そして偉大なドラマーが三人亡くなりました。サム・レイ、フィリップ・ポール、そしてハワード・グライムスと。今回からその三人の参加した音を聞きながら彼らが残した功績を話したいと思います。今日はサム・レイ。
ブルーズの名ドラマー、サム・レイが1月29日に86才で天国へ向かいました。
ブルーズを好きな方ならドラマー、サム・レイの名前を知らなくても彼のドラム・プレイを知らないうちに聞いていると思います。
ハウリン・ウルフ、マジック・サムなど名だたるブルーズマンのアルバムにサム・レイの名前を見つけることができます。
ぼくが初めてサム・レイの名前を認識したのはマディの1969年のアルバム”Fathers And Sons”です。その”Fathers And Sons”を買った頃はちょうど自分の嗜好がロックからブルーズへ移っていった頃で、このアルバムはブルーズの教科書を聴くような感じで毎日毎日聞いていました。だから最初に会ったブルーズ・ドラマーがサム・レイと言ってもいくらいで、彼のドラムのグルーヴは今も僕の中に宿っていると思います。
そのマディ・ウォーターズのアルバム”Fathers And Sons”の一曲目、サムのパワフルなグルーヴがよくわかる演奏です。

1.All Aboard / Muddy Waters

今の”Fathers And Sons”を僕が聞いたのは1971年頃でした。まだブルーズがよくわからなくてブルーズを聞いてもその聞きどころというか、ブルーズのグルーヴの良さがあまりわからなかった時だったのですが、このアルバムのサム・レイのグルーヴは自然と体に入ってきました。でも、実は高校生の頃67年頃に僕はすでにサム・レイのドラムを聞いていたことに後から気づきました。
それは1965年リリースのポール・バターフィールド・ブルースバンドのデビュー・アルバムで、それを17才くらいの頃に聞いていたのですが当時はメインのポール・バターフィールドやギタリストのマイク・ブルームフィールド以外録音の参加メンバーなど気にかけていなかったんですね。後から「ああ、このアルバムはサム・レイだったんだ」と気づきました。いわゆる白人ブルーズロックの元祖であり名盤です。リズム隊のサム・レイとベースのジェローム・アーノルドが黒人。この二人をハウリン・ウルフのバンドからバターフィールドが引き抜いた形ですが、ウルフからの反発はなかったんでしょうかね。60年代半ばとしては珍しい白人と黒人が参加しているバンドでした。次の曲はポール・バターフィールド・ブルースバンドを代表する曲。この曲を聴くと京都のディスコで歌っていた20歳頃を思い出します。サム・レイの躍動感のあるドラムがグイグイとリズムを推進しているのがわかります。

2.Born In Chicago / The Paul Butterfield Blues Band

60年代中頃はまだ白人のバンドに黒人のメンバーが入ることは珍しかった時代です。人種の差別をさっさと乗り越えていったポール・バターフィールドのこのバンドはそういう意味でも画期的でした。そして、このバンドが当時ボブ・ディランのバックをやることがあり、その関係でディランのレコーディングにサム・レイは参加します。1965年のアルバム”Highway 61 Revisited”。日本のタイトルが「追憶のハイウェイ61」ディランの代表的なアルバムです。
サムが参加したのはこれ一曲だったのですが、とても印象に残るアルバム・タイトル曲です。

3.Highway 61 Revisited/Bob Dylan

サム・レイは1935年南部アラバマ州のバーミンガムという街の生まれでクリーヴランドで音楽を始めて、59年にシカゴに移り住んでいます。40年代からシカゴはブルーズのメッカになっていてドラマーもエルジン・エヴァンス、フランシス・クレイ、フレッド・ビロウ、オディ・ペインなど素晴らしい人たちがいました。
シカゴで最初にリトル・ウォルターなどと始めてすぐにウルフやマディと一緒に演奏できたということは才能が早くから認められていたということでしょう。でも、60年代にはマディたちのシカゴ・ブルーズの全盛期は過ぎていくのですが、サム・レイは若手のマジック・サムのライヴ盤も残っているように少し新しい感覚を持ったドラマーでした。ハウリン・ウルフと録音した次の曲にロック・ミュージシャンのジミ・ヘンドリックス、エレクトリック・フラッグなどカバーがたくさん生まれたのも新しいグルーヴがあったからだと思います。1960年ハウリン・ウルフのこの名曲です。

4.Killing Floor/Howlin Wolf

当時のこの新しいビートを察知してポール・バターフィールドは自分のバンド結成に彼を誘ったのだと思います。
サム・レイはマジック・サムのライヴ・アルバムや、ライトニン・ホプキンスのアルバムにも参加したして、90年代半ばからは自分のバンド”Sam Lay Blues Band”を作りアルバムも何枚が出しました。ブルーズの殿堂入りも、ロックンロールの殿堂入りも、ジャズの殿堂入りもして他にも多くの賞に輝いたドラマーです。
ずっと心臓病を患っていたそうです。レジェンドのドラマーがまた一人去ってしまったことが本当に残念です。
今日は60年代からブルーズの歴史に大きな功績を残した名ドラマー、サム・レイの追悼をしました。サムの冥福を祈ります。
次回はサムが亡くなった翌日に亡くなってしまった名ドラマー、フィリップ・ボールの特集です。