2023.05.12 ON AIR

追悼:鮎川誠 vol.2

ON AIR LIST
1.BE-BOP-A-LULA/鮎川誠
2.RIDE YOUR PONY/鮎川誠
3.RUMBLE/鮎川誠
4.I’M A KING BEE/鮎川誠
5.BE MY BABY/鮎川誠

今年の1月29日に膵臓癌のために74歳で亡くなった僕の数少ない友人の一人であった鮎川誠、マコちゃんの追悼の二回目です。
最後に会ったのは去年の春の日比谷野音の「ブルース・カーニバル」でした。すでにその時に病になっていたことも知らず、僕はいつもと変わらない挨拶を彼にしました。
マコちゃんもいつものように「ホトケ、元気?」と言ってお互いに近況報告を交わしました。
「少し痩せた?」と聞いたら「もうね、年やけんね」とマコちゃんは言って「まあ、俺も筋肉がどんどん落ちるしね。マメに運動なんかするタイプやなしね、お互い・・」と言って笑いあったのですが・・・。でも、それからもロケッツは変わらずライヴを続けていたので僕は元気なんだろうと思ってました。でも、病が進行してたんですね。それでも去年は40本もライヴをやったそうです。最後までライヴの現役のロッカーとして貫いた姿勢は本当に立派です。
マコちゃんはサンハウス、シーナ&ロケッツ、そして自分名義のソロ・アルバムと多くの音源を残しましたが、その中でも僕は1993年に録音された”Makoto Ayukawa London Session#1”が好きです。
これは93年にマコちゃんがロンドンに行って盟友のウィルコ・ジョンソンのバンドと録音したアルバムで、オリジナルも収録されていますがブルーズやR&Bのカバーが主体でマコちゃんがどういうブルーズやR&Bを好きだったのかよくわかる一枚です。
まずはウィルコ・ジョンソンのことを少し。
ウィルコ・ジョンソンは1947年生まれですからマコちゃんより一つ上ですが、まあ同世代です。イギリスのロック・ミュージシャンでいわゆる「パブロック」と呼ばれるパブでやっているロックのボスのような存在でした。
70年代半ばにドクター・フィールグッドのメンバーとして活躍し、ピックを使わずバッキングギターとソロを同時に弾くようなギタースタイルで、ステージをロボットのように前後したり開脚ジャンプするなどのワイルドなアクションでも評判になりました。
ウィルコ・ジョンソンとマコちゃんが意気投合したのはすごくよくわかります。すごく似た音楽テイストを持った二人です。それでウィルコのいるロンドンにマコちゃんが乗り込んで作ったアルバムが今日聴く「ロンドンセッション#1」

一曲目は1956年にジーン・ヴィンセントというロカビリー・シンガーによってリリースされた曲でビートルズのポールやジョンがカバーしたことでも有名。マコちゃんも多分中高校生くらいの時に影響を受けた曲だと思います。
アルバム「ロンドンセッション#1」の一曲目です。

1.BE-BOP-A-LULA/鮎川誠

マコちゃんは本当にウィルコ・ジョンソンと仲が良くて、この録音セッションの音を聞いていても本当に目指している音楽のセンスが一緒なので全く違和感がないです。
二人ともブルーズとR&Rがルーツでそこにパブロックとパンク・ロックのテイストがある感じです。
次の曲はニューオリンズの偉大なシンガー、リー・ドーシーの大ヒット曲で、ちょっと意外な選曲にも思えたのですが、聞いてみるとなるほどと納得の鮎川誠ロックの仕上がりになっています。

2.RIDE YOUR PONY/鮎川誠

僕にコンピューターの楽しさを教えてくれたのはマコちゃんでしたが、彼も僕もコンピューターで音楽を作るミュージシャンではありません。ただコンピューターのネットを通して世界中の音楽が聴けることや、映像が見れること、そして自分と同じ音楽テイストの人と繋がれることをマコちゃんは教えてくれました。
「おもちゃみたいなもんやけど、いろんな情報が手に入るから楽しいよ」とマコちゃんはPCに夢中になっていました。
僕の知らない音楽も教えてもらいました。ジョージ・サラグッドやドクター・フィールグッドも次のリンク・レイもマコちゃんに教えてもらった。リンク・レイは60年代半ばから2000年まで長く活躍したギタリストで、ギターのイントルメンタル曲でギターという楽器の可能性を広げた人です。フーのピート・タウンゼント他、ジェフ・ベック、マーク・ボランなども影響を受けた偉大なギタリストです。
1958年にリリースされたリンク・レイの代表曲です。

3.RUMBLE/鮎川誠

この「ランブル」を聞いたときもマコちゃんと同じセンスを感じました。

マコちゃんも僕と同じで次の曲はローリング・ストーンズのカバーで最初に聞いていたと思う。ルイジアナの偉大なブルーズマン、スリム・ハーポがオリジナルだけどストーンズの1stアルバムに入っていて僕も中学生の頃、好きで良く聞いてました。まだ黒人ブルーズなんか知らなくて全て白人のロック・ミュージシャン経由で聞いてました。それがカバーかオリジナルかという認識もなくてただストーンズのかっこいい曲として聞いてました。

4.I’M A KING BEE/鮎川誠

次はシーナがヴォーカルをしています。ロネッツの大ヒット曲で、この曲は何度かシーナと一緒に歌ったことがあるぼくにとっても思い出の曲でもあります。
こういうスウィートでポップな曲がシーナは本当にうまかった。

5.BE MY BABY/鮎川誠&シーナ

一度誰かのパーティにマコちゃんとシーナとぼくの3人で行って、途中でチークダンスの曲が流れてシーナとマコちゃんは踊るのかな・・と思っていたら、シーナが僕に「ホトケ、踊ろうよ」と言ってきたので「いや、マコちゃんと踊りなよ」と言ったら「マコはこういうチークダンスとか踊らんうか踊れないから・・」と言われてシーナとチークダンス踊ったんですが、僕はもうずっとマコちゃんの視線が気になって気になって・・体も離して踊りました。いい思い出です。
シーナのところへ行ってしまったマコちゃんには言い尽くせないほど世話になり、精神的な支えにもなってもらいました。もう一緒にセッションできないのは本当に残念で寂しいかぎりです。
今回と前回、亡くなったぼくの盟友、鮎川誠、マコちゃんの追悼ON AIRをお送りしました。
また空の上でいつか会えるでしょう、マコちゃん。ありがとう!Hey!Hey! Mr.Rokket is Alright

2023.05.05 ON AIR

追悼:鮎川誠 vol.1

ON AIR LIST
1.I’m Flash/Sheena & Rokkets
2.Virus Capsule/Sheena & Rokkets
3.Heart Ni Hio Tsukete//Sheena & Rokkets
4.Lemon Tea/Sheena & Rokkets

私の数少ない友人のひとり、シーナ&ロケッツの鮎川誠、マコちゃんが1月29日に膵臓癌のために亡くなりました。74歳でした。
本当に残念です。
1971年に九州大学のコンサートで会って以来50年、半世紀の付き合いでした。マコちゃんは私より二つ年上なのですが、何かを相談するとか頼みごとをするとかいうことはなかったのですが、二つ上の兄貴がいてくれるような存在で、ただこの音楽の世界にいてくれるだけで心の支えになっていた人でした。
鮎川誠が心優しい男だったことは彼に接したたくさんの人が知っていると思います。ステージからもその素晴らしい人間性を感じた人もいると思う。彼はシーナ&ロケッツで踊ってくれ、一緒に歌ってくれるお客さん、ファンの人たちを本当に大切にしていました。
今日はシーナにはちょっと悪いけどマコちゃんが歌っている曲から始めさせてもらおうと思います。
1984年アルバム”Rockets Size”から邦題が「ホラ吹きいなづま」作詞はサンハウスからのマコちゃんの盟友柴山さんです。

1.I’m Flash/Sheena & Rokkets

マコちゃんがバリバリとノイズを出しながらマーシャルのアンプにシールドのジャックを差し込むいつもの姿が目に浮かびます。あの1969年製のギブソンの黒のレスポールは完全に鮎川誠の顔になってしまったし、日本であの黒のレスポールがあんなに似合うギタリストはいないと思います。鮎川家に遊びに行った時に押入れにハードケースに入ったギターがズラーっとあって僕は思わず「こんなにギターいっぱい持ってるんやん」と言ったら、マコちゃんは笑って「そうなんよ、いろいろ持ってるんやけど最後に頼りになるのはやっぱりあのレスポールなんよ」と言ってました。
僕は赤のテレキャスターのマディ・ウォーターズ・モデルをメインのギターにしてますが、というか僕もほとんどそれしか弾いてなんですが、頼りになるギターが一本あるのは大切なことです。
もう一曲マコちゃんの歌で1979年の最初のアルバム「#1」から これも作詞は柴山さん

2.Virus Capsule/Sheena & Rokkets

僕はシーナ&ロケッツのアルバムの中では1981年リリースの”Pinup Baby Blues”が好きです。ロケッツのロックとポップがうまくミックスされたアルバムだと思ってます。
基本的にはやっぱりマコちゃんのギターを中心に作られている3人のサウンドがしっかりしたロックだというところが大切なところです。
次の曲はそのロックとポップがうまくミックスされている曲です。この曲の作詞は博多のジュークレコードのオーナーでマコちゃんの長年の友達でもあった松本康さんとシーナです。

3.Heart Ni Hio Tsukete/Sheena & Rokkets

松本さんも去年亡くなられて、もうジュークレコードもなくて寂しいですね。博多に行った時の楽しみの一つがジューク・レコードに行くことだったのに・・・。
巡り合わせとうか、縁があったというか・・シーナ&ロケッツで有名になった直後に下北沢のブルーズ・バーで偶然再会して、僕も下北沢に住んでいたのでそれからお互い行き来するようになってシーナの料理も何度か食べさせてもらました。本当に料理が上手で特にオムレツは絶品でした。鮎川家のダイニングでオムレツ食べながらシーナとビール飲んだのもいい思い出です。その時はマコちゃんがコンビューターを買ったばかりでもう夢中になってて、シーナが「ご飯たべるとさっさとコンビューターのところへ行くんよ」と笑ってました。

次は最初はマコちゃんがヴォーカルの柴山さんと組んでいたサンハウスのレパートリーで1975年に「ロックンロールの真最中」とカップリングでシングルとしてリリースされた曲。
サンハウスでもシーナ&ロケッツでも定番中の定番の曲です。

4.Lemon Tea/Sheena & Rokkets

ちなみにギター、ベース、ドラムという最小限のスリーピースバンドにヴォーカルを入れるというロックスタイルを日本で定着させたのは長く続いたシーナ&ロケッツだと思います。
先日発売された「ブルース&ソウルレコード」という雑誌に僕のエッセイが連載されているのですが、そこにもページを増やしてもらってマコちゃんへの追悼文を書かせてもらいました。興味のある方ぜひ読んでみてください。でも、まだマコちゃんが亡くなったという実感がないです。
マコちゃん、鮎川誠の追悼On Airを来週もやります。

2023.04.28 ON AIR

最近ハマってるアルバート・ワシントンのアルバムをゲット!

Sad And Lonely/Albert Washington

ON AIR LIST
1.No Matter What the Cost May Be/Albert Washington
2.You’re Messing Up My Mind/Albert Washington
3.My Mother’s Prayer/Albert Washington
4.Sad And Lonely/Albert Washington

先月この番組でアルバート・ワシントンというブルーズ&ソウル・シンガーの60年代のシングルを集めたコンピ盤をON AIRしたのですが、その後アルバムを探していたら70年代の録音のアルバムがありました。
1973年にメンフィスで録音されたアルバムでイースト・バウンドというレコード会社からリリースされてます。アルバム・タイトルは”Sad And Lonely” これがアルバムとしてはアルバート・ワシントンの初めてものです。70年代にはこれ一枚であとは90年代に二枚リリースされているようです。
聞いてもらうアルバム”Sad And Lonely”はしっかりしたアルバムでバックに有名なホーン・セクションのメンフィス・ホーンズが参加しているのですが、後のドラム、ベース、ギターなどはクレジットがないので名前がわかりません。ひょっとするとこの当時の彼のライヴバンドのメンバーだったかも知れません。
まず一曲聞いてみましょうか。アルバムの一曲目です。ゴリゴリのファンク・テイストの曲で幕開けです。ブルーズ・フォームを踏まえた16ビートのなかなかかっこいい曲。

1.No Matter What the Cost May Be/Albert Washington

「お前を愛しているし、いつも一緒だ。幸せにしてやるよ。どんなにお金が高くついてもな」
アルバート・ワシントンは前の特集の時も言いましたがファンク・テイストが好きみたいです。彼の育ったシンシナティにはキング・レコードという黒人音楽では有名なレコード会社があり、かのジェイムズ・ブラウンもキング・レコード所属でしたから好きだったのかも・・。
ブルーズとファンクはとても近い関係でこういうファンク・ビートの中にはブルーズ・テイストが潜んでいます。
ジェイムズ・ブラウンのファンクがブルーズから生まれたようにビートを重視する音楽にブルーズはテイストの相性がいいんですね。次の曲は明らかにジェイムズ・ブラウンの影響を受けたような曲です。ギターのカッティングから全体のリズムがファンキーです。
「お前が一緒やなければ働くことも、眠ることもできない。俺のところに来て何をしょうとしてるのか話してくれよ。お前は俺の心をかき乱している」

2.You’re Messing Up My Mind/Albert Washington

とにかく濃いです。曲も歌も演奏も。ちょっとB級感もあり、アメリカの黒人クラブに行った感じが満載で僕はこういう感じ好きです。
アルバート・ワシントンはゴスペル出身なので歌には定評があり、ライヴでは今のようなファンク・テイストのダンスナンバーも多かったようですからライヴはきっと楽しかったと思います。
日本ではこういうフルーズ&ソウルのシンガー、例えばリトル・ミルトンやリトル・ジョニー・テイラー、ZZ.ヒルあたりはあまり人気がありませんが、ギターではなく歌を中心にブルーズを聴く黒人の間ではすごく人気があります。
アルバート・ワシントンも全米に知れ渡るようなビッグ・ヒットがなかったので日本でも知られていないのですが、歌の実力はかなりのものです。
次の歌はゴスペルを歌っていた彼らしい曲で「母の祈り」(My Mother’s Prayer)という曲名です。
子供の頃はいつも大人になりたいと思っていたけど大人になる責任なんて考えなかった。両親が仕事に出かけて帰って来たある夜、お父さんがひどく疲れているように見えるお母さんに何日か家で休んだらどうだ?って言うとお母さんは頭を振って
とてもやさしい声で「私は働き続けなければいけないの。私の子供たちが安心していられるこの家の家賃を払うためにね」って言った。今はもう両親は亡くなってしまい、私は小さな家庭を持っている。そして母の声が時々聞こえる「私は働き続けなければいけないの」そして母はこう言った心配しなくていいのよ。私がいなくなってもあなたは神様の手の中にいるのだから」

3.My Mother’s Prayer/Albert Washington

アルバート・ワシントンはメジャーになれなかったシンガーですが、地元のシンシナティの教会で歌い地域のための慈善運動をしたり心優しい人だったようです。今の歌にもそんな彼の人柄が出てるような気がします。
あと神さまへの信仰が深かったお母さんのために「悪魔の音楽」と呼ばれたブルーズやR&Bをクラブで歌い始めたのはお母さんが亡くなってからだったようです。それまで人前ではゴスペルしか歌っていなかった。
アルバムタイトル曲を聞いてみましょう。
「彼女と別れてよかったと思い別の女性も手に入れたけど、自分自身が傷ついていることに気づいた。こうなってしまう悲しさと寂しさを俺は知らなかったんだ」

4.Sad And Lonely/Albert Washington

やはりこういうブルーズ・テイストの曲を歌わせてもアルバート・ワシントンはいいです。もっと売れてもよかった実力のあるシンガーだったと思います。
今日はシンシナティを中心に活躍したアルバート・ワシントンのアルバム”Sad And Lonely”を聞きました。
ではまた来週。

2023.04.21 ON AIR

日本のブルーズにとって貴重な本「ニッポン人のブルース受容史」が出版された

「ニッポン人のブルース受容史」(日暮泰文(編集, 著)高地明(編集, 著) P-Vine発刊/日販アイ・ビー・エス発売 ¥4,200)

RCAブルースの古典(BMGビクターレコード)

ON AIR LIST
1.Big Road Blues/Tommy Johnson
2.Walk Right In/Cannon’s Jug Stompers
3.Take A Little Walk With Me/Robert Lockwood, Jr.
4.Key To The Highway/Jazz Gillum
5.Vicksburg Blues Part 3/Little Brother Montgomery

この度、音楽評論家でもありブルース・インターアクションズ、P-Vineレコードの創立者でもある日暮泰文さんと同じブルース・インターアクションズの創立に関わりライターでもある高地明さんが「ニッポンのブルース受容史」と題された本を出版されました。
日暮さんは日本におけるブルーズの拡がりにとても大きな役割をされた方で、現在僕が連載を書かせてもらっている「ブルーズ&ソウルレコーズ」の前身である「ザ・ブルース」という雑誌を70年代初期に創刊されたり、日本のレコード会社にブルーズのリリースを働きかけられたり、黒人ブルーズマンの来日の招聘などもされた方です。その日暮さんが立ち上げた「ブルース・インターアクションズ」そして「P-Vine Records」を共にやってこられたのが高地さんです。
そのお二人が黒人ブルーズがいかにして日本という国に受け入れられて行ったのか、その流れを60年代初めまで遡って70年代までを本にまとめたのが今回の「ニッポンのブルース受容史」
今日は日本のブルースの初期に非常に大きな役割をしたアルバム「RCAブルースの古典」を聴きながらこの本の話をしたいと思います。その「RCAブルースの古典」の編集にも日暮さんは関わっておられました。リリースは1971年。レコードでは三枚組でした。
その一曲目に収録されていたのがトミー・ジョンソンの”Big Road Blues”という曲で、まだブルーズロックから抜けきらずにいた僕にとってこういう弾き語りの古い戦前のブルーズはなかなか馴染めるものではなかった。

1.Big Road Blues/Tommy Johnson

このアルバムに入っているこのトミー・ジョンソンやブラインド・ウィリー・マクテルやスリーピー・ジョン・エステスなど弾き語りブルーズに馴染めるようになるのに2,3年かかったと思います。まあ、それまでオールマン・ブラザーズやジミ・ヘンドリックス、マウテンなどブルーズロックを聞いていた耳にはサウンドの肌触りが全く違うのでなかなか入り込めなかったのですね。この「RCAブルースの古典」は3枚組ですからそれなりに値段も高かったけれど買ったのは、やはりブルーズという音楽を知りたいという気持ちが強かったんですね。でも、馴染める曲は少なくて次のキャノンズ・ジャグ・ストンパーズの曲くらいが60年代フォークの流れでルーフ・トップ・シンガーズという白人のフォークグループが歌っていてヒットしていたので知っていて、でも「これもブルーズなのか?」と思ってました。

2.Walk Right In/Cannon’s Jug Stompers

こういうジャグというジャンルがブルーズの一つとしてあるんだということもこのアルバムで知りました。
日暮さんがこの「ニッポンのブルース受容史」の巻末で日本にブルーズが受け入れられたと感じたのは1974年のロバート・ジュニア・ロックウッドが初来日コンサートだったと書かれているが、僕も大阪厚生年金会館のコンサートに行ったときに会場を取り巻く多くの人たちに驚きました。僕がブルーズを歌い始めたのは1972年くらいでその頃は「なんで黒人のブルーズなんか歌うの」って言われたこともありました。それが74年のロバート・ジュニア・ロックウッドが初来日コンサート当たりからブルーズに興味のある人たちが一挙に増えた実感があった。そのロックウッドがこのアルバム「RCAブルースの古典」にも入っていることを思い出してコンサートに行く前日に聞いた覚えがあります。

3.Take A Little Walk With Me/Robert Lockwood, Jr.

74年のロックウッドの来日が素晴らしかったことでブルーズのブームは本格的になった。日暮さんや評論家の中村とうようさん、鈴木啓志さんなどが各レコード会社に働きかけ次々とブルーズのアルバムがリリースされました。
今のロックウッドと一緒に来日してコンサートのオープニングを飾って強烈な印象をのが盲目のブルーズマン、スリーピー・ジョン・エステスも「RCAブルースの古典」に収録されています。
「RCAブルースの古典」と同じ1971年にリリースされたロックの名盤が「いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)」の中に同じ”Key To The Highway”が収録されていました。「いとしのレイラ」は言わずと知れたエリック・クラプトンのバンド「デレク・アンド・ドミノス」のアルバムですが、クラブトンが誰のバージョンを聞いてカバーしたのかわかりませんが、黒人ブルーズマンのサニーボーイ1世、リトル・ウォルターなども録音しています。ぼくは今から聞いてもらうジャズ・ジラムのバージョンが一番好きです。
「俺はハイウェイに行く鍵を持った。これから出かけてもう2度とここに帰らないかも知れない。出かける前にもう一度キスしておくれ。でも、いつの日にかハイウェイで俺はのたれ死ぬんだろうな」

4.Key To The Highway/Jazz Gillum

1940年の録音でジラムのハーモニカの音色とビッグ・ビル・ブルーンジーの弾くギターの音色がすごくマッチして哀愁のあるブルーズの名曲になっています。

70年代のはじめにブルーズ喫茶やバーができたり、ロック喫茶でもブルーズを流すところがあったり、そこに黒人ブルーズマンの来日コンサートがあったりしてヒタヒタとブルーズは日本広まって行きました。だから一つの力じゃないんですね。いろんなことが重なってブルーズのブームが起こりました。70年代半ばです。
僕はレコードを買うお金もそんなになくて、でもブルーズのことは知りたくて・・それでよく買っていたのがコンピレーション・アルバム・当時はオムニバス・アルバムと呼んでましたが、いろんなブルーズマンのいろんな曲を聴けるのでそこからこれいいなと思うブルーズマンのソロ・アルバムを次に買ってました。ピアノのブルーズがいいなと思ったのもこの「RCAブルースの古典」に入っていたからでした。リロイ・カーとかビッグ・メイシオとかブルーズ史上に残るブルーズ・ピアニストたちが活躍していた時代があり、ピアノならではのブルーズの名曲もたくさん作られました。今日聴いてもらうリトル・ブラザー・モンゴメリーのこの曲もアメリカ南部の景色が広がるような歌とピアノで初めて聴いた時に心に残るものでした。

5.Vicksburg Blues Part 3/Little Brother Montgomery

70年代はYouTubeどころかDVDもなくビデオも普及していなくてブルーズマンたちがどんな風に演奏しているのかを知る方法がなかった。だからB.B.キングとかロックウッドに続いてバディ・ガイやオーティス・ラッシュなどブルーズマンの来日コンサートはブルーズを演奏する日本人の私にとって本当に勉強になった。

今回出版された「ニッポン人のブルース受容史」という本は日本においてどんな風にブルースが入って広まったのかを70年代初中期を中心に書かれています。アメリカやイギリスでは日本よりほぼ10年くらい早く黒人ブルーズが広まっていたのですが、日本では欧米よりブルーズの精神的な、内面的な部分が受け入れられ、日本人の精神にハマったのではないかとぼくは思います。もちろんブルーズは私たちが持つ日本人独特の心に寄り添える音楽ではないかと思っています。なので若い人たちにも機会があればじっくりブルースを聴いてもらいたいと思います。
「ニッポン人のブルース受容史」はなかなか読み応えのある本でロックやジャズを聴く方たちにもお勧めの一冊です。
そして今日聞いた「RCAブルースの古典」もお勧めのアルバムです。

2023.04.14 ON AIR

追悼:スペンサー・ウィギンス vol.3

Feed The Flame : The Fame And XL Recordings/SPENCER WIGGINS

ON AIR LIST
1.Love Attack/Spencer Wiggins
2.Cry To Me/Spencer Wiggins
3.Holding On To A Dying Love/Spencer Wiggins
4.We Gotta Make Up Baby/Spencer Wiggins
5.Sweet Sixteen/Spencer Wiggins

先々週からON AIRしていますこの春に急逝した偉大なソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンスの特集3回目。
スペンサー・ウィギンスとジェムズ・カー、そしてパーシー・ミレンという3人のソウル・シンガーを同じゴールド・ワックス・レコードの三羽烏などと呼ぶ人もいます。僕が好きになったのは最も歌の切れ味が鋭いスペンサー・ウィギンスでしたが、最初に広く知られたのは”Dark End Of The Street”がヒットしたジェイムズ・カーでした。
今日の最初はそのジェイムズ・カーがバラードとして歌った曲をウィギンスがアップテンポのナンバーにアレンジしたテイクを聞いてください。1969年のフェイム・レコードの録音です。

1.Love Attack/Spencer Wiggins

ジェイムズ・カーがバラードとして歌った曲が重厚なサウンドのダンス・ナンバーとして生まれ変わってました。ウィギンスの歌のノリが素晴らしく、曲の最後に向かって全員のテンションが上がりウィギンスのシャウトにつながっていくところなどサザンソウルの醍醐味ですね。

フェイム・レコードでも二枚のシングルをだしただけで終わったウィギンスはヒット曲が出ないことに落胆して73年に故郷メンフィスを離れてフロリダに移り住みます。フロリダに行ったからと言ってヒットが生まれるわけでもなく、レコーディングの話もないわけですが、自分の環境を変えたかったのだと思います。おそらくクラブで毎晩歌うだけの生活だったのだと思います。そして一時は歌うことを断念するところまで彼は追い込まれました。

「彼女と別れて一人ぼっちになって誰からも電話もない。泣きたくないかい。泣きたい気持ちだろう。俺のところに来て泣けよ」という辛い曲ですが、ウィギンスは心からソウルフルに歌っています。

2.Cry To Me/Spencer Wiggins

今の曲のオリジナルは1962年にソロモン・バークが歌いアトランティック・レコードからリリースされたチャートにも出ましたが、ウィギンスのバージョンはヒットしませんでした。
ウィギンスが成功できなかった理由の一つは所属したゴールトドワックスとかフェイムと行ったレコード会社が小さなマイナーの会社でラジオや雑誌などにプロモーションする費用がなかったこともあったと思います。例えば今の曲のオリジナルのソロモン・バークが所属したアトランティック・レコードも最初はインディーズの小さなレコード会社でしたが、ルース・ブラウンやレイ・チャールズの大ヒットのおかげで60年代にはアレサ・フランクリンやオーティス・レディングをリリースするソウルの大看板レーベルになっていてプロモーション費用もかなりあったと思います。
それに加えウィギンスにはマネージャーがいませんでした。アメリカのショービジネスの世界では有能なマネージャーは不可欠の存在です。それゆえにスペンサー・ウィギンスの素晴らしさを売り込む人がいなかったという状況だったようです。
次の曲に日本のソウル・ファンは懐かしく思うかもしれません。そう78年に来日してから何度も日本で歌ってくれたオーティス・クレイがレパートリーにしていた曲です。72年にハイ・レコードからリリースされたクレイの素晴らしいアルバム”Trying to Live My Life Without You”に収録されている曲です。思えばそのオーティス・クレイもシカゴのマイナーレーベルでシングルを出し続けていたのですが、よく知られるようになったのはやはり大きなハイ・レコードに移籍してからでした。

3.Holding On To A Dying Love/Spencer Wiggins

彼はマイアミに移り住んでからゴスペルの世界に戻ります。そして、ゴスペル・アルバム”Key To The Kingdom”をリリースします。
多くのソウル・シンガーがそうであるようにゴスペルは彼らの実家のようなものだと思います。そしてマイアミの教会でクワイアのコーチをしたり教会関係の仕事をしていたようです。
彼はマイアミに行く前にフェイムとXLというレーベルに録音を残していました。それは「フィード・ザ・フレイム : ザ・フェイム・アンド・XLレコーディングス」というアルバムに全曲収録されています。全曲素晴らしいです。日本のP-Vineレコードからもリリースされていたので探してみてください。
そのアルバムから1曲

4.We Gotta Make Up Baby/Spencer Wiggins

2017年スペンサー・ウィギンスは弟のソウル・シンガー、パーシー・ウィギンスと来日公演を行いました。僕も観に行きました。スペンサーは75歳だったと思います。ステージではほとんど動かずステージに上がるのにも人の手を借りてました。この番組で三回に渡って聞いてもらった往年のような声は出ませんでしたが、それでも集まったソウル・ファンの声援に応えてひたむきに歌っていました。そして所々に若き日の歌の輝きを聞かせてくれました。でも、やはり70年代の後半オーティス・クレイやO.V.ライトが来日した頃に来ていたらなぁ・・・という思いは消えませんでした。そして、こんな素晴らしい歌手がアルバムもなくあまり知られずにいたことに改めてショービジネスの世界の過酷さを思いました。
最後にスペンサー・ウィギンスがメンフィスのクラブで歌い始めた10代の終わり頃、彼が好きだったのはB.B.キングやボビー・ブランドのブルーズとレイ・チャールズのR&Bでした。そのB.B.キングのヒット曲が録音されているので聞いてみたいと思います。

5.Sweet Sixteen/Spencer Wiggins

ブルーズを歌っても素晴らしいです。2/13に亡くなった偉大なサザン・ソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンスの追悼を三週にわたってON AIRしました。
この番組のHPにジャケ写などだしてますのでぜひアルバムを探して聞いてみてください。