2020.09.11 ON AIR

踊らずにいられないリトル・リチャードのライヴ盤

Cast A Long Shadow/Little Richard(BSMF-7610)

ON AIR LIST
1.Lucille/Little Richard
2.Tutti Frutti/Little Richard
3.Send Me Some Lovin’i/Little Richard
4.Long Tall Sallyi/Little Richard
5.Good Golly Miss Molly/Little Richard
6.Whole Lotta Shakin’ Goin’ On/Little Richard

R&Rのパイオニアと言えばチャック・ベリーとリトル・リチャードですが、そのリトル・リチャードのライヴ盤”Little Richard’s Greatest Hits”とスタジオ盤”The Explosive Little Richard”の2イン1のアルバムが日本のBSMFレコードから”Cast A Long Shadow”というタイトルで7/22にリリースされました。今日はそのライヴアルバムの方を聞きます。
エピックレコードの傘下のオーケー・レーベルからこのライヴ盤がリリースされた1967年頃は、R&Rのリバイバル・ブームが始まりリトル・リチャード、チャック・ベリー、ボ・ディドリー、ファッツ・ドミノたちが一緒にコンサートもやった時代でした。音楽的にはもうリトル・リチャードたちの50年代の音楽は昔の音楽という時代でした。でも、60年代初期にはイギリスでデビュー直前のビートルズとツアーをやったり、ライヴはずっと続けていてアルバムもリリースはしていましたが、ヒット曲は出ませんでした。
今日聴くライヴ音源はコンサートとかクラブの録音ではなく、スタジオにファンを招いて録音したようです。
本当はアルバムを最初から最後まで全曲聞いてもらってリトル・リチャードのライヴを味わってもらいたいところですが、それはアルバムを買ってください。
最初に”Welcome Ok Club”とMCが言ってますが、これはオーケーのスタジオをクラブに見立てて言ってるのだと思います。
1.Lucille/Little Richard
さすがリトル・リチャード、のっけから突っ走ってます。オリジナルはちょうどこのライヴアルバムの10年前1957年。R&Bチャート1位、ポップチャート21位。リトル・リチャードを代表する一曲です。オリジナルのスタジオ録音よりテンポが早いのですが、スタジオ盤ではこのリズムのリフがユニゾンで鳴っているため低音のヘヴィな感じが最高です。
ビートルズのポール・マッカートニーはリトル・リチャード好きで有名ですが、ポールはビートルズでも自分のバンド「ウイングス」でもそれからソロでもこの歌を歌っています。余っ程好きなんでしょうね。
次はリトル・リチャードの最初のヒット、1955年リリースでR&Bチャート2位ポップで29位。この曲がR&Rの夜明けの一曲でこれ以降57年にかけて彼は”Long Tall Sally,” “Rip It Up,” “The Girl Can’t Help It,”さっきの “Lucille,” そして”Jenny Jenny.とヒットを連発し、それらの曲はR&Rの遺産としていまも歌い継がれています。
2.Tutti Frutti/Little Richard

僕の深読みですが、なぜこの67年にこういうライヴ・アルバムを出したのかと思うに、R&Rのブームはとっくに去っていたのでたぶんレコード会社は彼をどうプロデュースしていいのかわからなかったのだと思います。それでとりあえず昔のヒット曲を歌っているライヴ盤をリリースしょうということになったのだと思います。67年というとビートルズが名盤と言われる「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」をリリースし、ジミ・ヘンドリックスがデビューして「Are You Experienced?」と続けて「Axis: Bold As Love」を発表、クリームも二枚目の「カラフル・クリーム」をリリース。サイケデリック・ロックそしてニューロックと呼ばれる時代に入っていました。黒人音楽はアーサー・コンレイの”Sweet Soul Music”という曲がヒットしたようにソウル・ミュージックが全盛になり、アレサの”I Never Loved a Man the Way I love You/あなただけを愛して”それからジェイムズ・ブラウンの”Cold Sweat”がリリースされてファンク・ミュージックの進撃も始まる頃。
そういう音楽的な状況を考えると「ロックンロールの王様」という大看板を持ってしまっているリトル・リチャードをどう売っていこうかというのは難しいところです。少しソウルっぽい曲を歌ったこともあるのですが、本人がそういうのを好きではなかったようです。
歌唱力は抜群にあり次の曲なんかも個性的ないい歌を聞かせてくれているのですが、67年ではこのスタイルはオールディズの扱いになります。でも、そんなこと関係なく素晴らしいです。
3.Send Me Some Lovin’i/Little Richard
いまのがこのライヴアルバムで唯一のスローの曲です。あとは全部アップのダンスナンバーです
次の歌なんかライヴで聞いたらもう踊るしかないでしょう。これもビートルズがカバーしていたR&Rの名曲です。
4.Long Tall Sally/Little Richard
もうすごい声です。グレート・ビッグ・ヴォイスです。
ずっと聞くとわかるのですが、サックスとかギターのソロがほとんどありません。全部自分のピアノか歌で始まって歌で終わるという徹底の仕方もすごいです。
次の曲はCCRのジョン・フォガティがカバーしていて、それもまた素晴らしいのですが、リトル・リチャードの歌が始まった途端のサァーッと世界が開けるようなインパクトはすごいです。
普通の歌手じゃないです。
5.Good Golly Miss Molly/Little Richard

5月9日に87才で亡くなってしまったリトル・リチャードですが、こうやって聞いてみると見事にワン・アンド・オンリーな存在です。聞く者の心を奮い立たせる彼の歌は熱狂と興奮の喜びを与えてくれて、彼がポール・マッカートニーやジョン・フォガティ、オーティス・レディングなど後進のミュージシャンに与えた影響は計り知れません。R&Rという呼ばれ方でひとくくりにされていますが、彼のようなR&Rを作った人は彼以外にいません。
次の曲は白人のR&Rシンガー、ジェリー・リー・ルイスで有名になりましたが、もともとはブルーズの女性シンガー、ビッグ・メイベルが歌ったものです。リトル・リチャードはまるで自分のオリジナルのように歌っています。
ライヴは佳境でめちゃ盛り上がってます。
6.Whole Lotta Shakin’ Goin’ On/Little Richard

リトル・リチャードは同性愛者だったのですが、その事をたぶんいちばん最初にカミングアウトしたミュージシャンだったと思います。いつも自分の音楽に誇りをもった立派なミュージシャンでした。
僕は20代の中頃、これをカセットでもらってすごく大切に聞いてたのですが、ツアー最中にどこかでなくしまして、そのあとアルバムを手に入れたのですがそれも知合いのブルーズ・バーに貸したらなくなってしまいまして・・だから自分にとってはもうすごく嬉しい今回のリリースです。

“Cast A Long Shadow”と言うタイトルで日本のBSMFレコードからリリースされています。興味のある方はあとでこの番組のHPを見て参考にしてください。いまなら手に入ると思います。

2020.09.04 ON AIR

モダン・ゴスペル・カルテットの素晴らしさvol.2

They Sing Praises (Legacy/Columbia CK 67007)

They Sing Praises (Legacy/Columbia CK 67007)

The Gospel Train Is Coming (MCA VICTOR MVCE-24003)

The Gospel Train Is Coming (MCA VICTOR MVCE-24003)

The Gospel Sound Of Sprit Feel/ 入門ゴスペル・サウンド (P-Vine UPCD-57)

The Gospel Sound Of Sprit Feel/ 入門ゴスペル・サウンド (P-Vine UPCD-57)

ON AIR LIST
1.Prayer Wheel/The Dixie Hummingbirds
2.In the Morning/The Dixie Hummingbirds
3.One Day/The Angelic Gospel Singers And The Dixie Hummingbirds
4.Sinner Man/Julius Cheeks and The Sensational Nightingales

先週のソウル・スターラズはじめゴスペル・カルテットの歴史上には素晴らしいグループがたくさんあるのですが、今日最初のグループは「The Dixie Hummingbirds」1928年にサウスキャロライナで高校生のジェイムズ・デイヴィスがクラスメイトを誘って結成されました。この高校生でゴスペルカルテットを結成というのが多いのですが、放課後の部活みたいな感覚でしょうか。まあ、ブルーズなんか歌うよりゴスペルの方が親の許可も出るだろうし、近所の人たちも「神様の歌を歌っているえらい子たちだね」と褒めてくれそうだ。
最初は「ステェアリング・ハイスクール・カルテット」という名前だったのが、自由にどこにでも飛び回れる鳥のようにという想いを込めて「ディキシー・ハミングバーズ」と改名しました。
ハミングバードはハチドリのことですね。鳥の中でいちばん小さい鳥と言われていて、蜂のようにブーンブーンって羽根の音を立てるのでハチドリと呼ばれてます。英語のハミングはみなさん知ってように口を閉じて「ムー」って歌うことですが、欧米では蜂の羽音ではなくハミングに聴こえるんでしょうね。ディキシーはアメリカンの南部の州のことをディキシー、ディキシーランドと呼びます。「ディキシーランド・ジャズ」と呼ばれるジャズを知っている方もいると思います。このディキシーという言葉が最近の人種差別反対運動の「ブラック・ライヴズ・マター」の中で使えなくなりました。元々ディキシーランドというのはテキサスやルイジアナなど南部の州のことを指す言葉で、僕なんかはすごくいい愛称だと思っていたのですが、南部の州が黒人奴隷制存続を主張しアメリカ連合国を作ってそれが南北戦争につながったことから、人種差別を想い出させるとして最近使えなくなりました。カントリー・ミュージックのディキシー・チックスというグループも「チックス」と名前を変えてしまいました。そうなるとこのディキシー・ハミングバーズの名前はどうなるんでしょう。ただのハミングバーズになるんでしょうか。
「The Dixie Humingbirds」にはアイラ・タッカーというゴスペルカルテット界の屈指のリード・シンガーがいたのですが、そのアイラの歌がゴスペルなのに僕にはソウルみたいに聴こえた一曲です。
1.Prayer Wheel/The Dixie Hummingbirds
曲の最後の方はソウルのオーティス・レディングやウイルソン・ピケットを聞いているのと同じような高揚感を感じます。彼らのライヴはテンションが高くて聴衆が熱狂して失神するということがよくあったそうですが納得の歌唱です。
いまの曲はブルーズっぽいテイストがあり、ブルーズシンガーのボビー・ブランドもアイラ・タッカーの影響を受けたというのがなんとなくわかります。
もう一曲。
「朝、暗い雲が消え去ってあなたに会えるだろう。そしてこんにちはと言い、川に降りていき、私たちは新しく復活する。朝早くに」
2.In the Morning/The Dixie Hummingbirds
この曲のようにバックにギター、ベース、ドラムが付いてしまうともうR&Bですね。歌詞のYouが神様を表していますが、これをShe(彼女)にしたら本当にR&Bです。アイラ・タッカーの歌は強力です。2分32秒で終わりましたが5分くらいは聞きたいです。きっとライヴではガンガンに盛り上がるんだと思います。
アイラ・タッカーは12才から歌い始めているのですが、家が貧しくてお母さんが靴のセールスをして生計を立てていました。その母から与えられた見本の靴(見本の靴は片足しかない)を左右違う靴を履いて学校に行ってたそうです。でも、アイラは「恥ずかしいなんて思わなかった」と言ってます。そして、子供の頃からいろんな家を一軒一軒まわって”Amazing Grace”などを歌ってお金をもらっていました。彼の近所には年取った盲目のブラインド・シミーというブルーズシンガーがいてその人の世話もしていたそうです。アイラはそのシミーのことを「最高のブルーズシンガー」と言ってます。この話でゴスペルとブルーズが貧しい黒人の生活の中で同じように歌われていたことがわかります。アイラ・タッカー、12,3才のころの話です。
次はディキシー・ハミングバーズが女性のゴスペルグルーブの「アンジェリック・ゴスペルシンガーズ」と一緒に歌っている録音です。これも強力な曲ですが、アンジェリック・ゴスペルシンガーズはフィラデルフィアで結成されて”Touch Me, Lord Jesus” という曲が1949年にミリオンセラーになった有名なグループ。メンバーの交代がありながらも2005年くらいまで続いてたようです。リーダーのマーガレット・アリソンが2008年に亡くなってグループは完全に終わったようです。
1950年代はじめ頃にハミングバーズとアンジェリックは一緒にツアーもしていたようですが、ふたつのグループが強力な掛け合いのゴスペル・シンギングを毎晩繰り広げていたのでしょう。
3.One Day/The Angelic Gospel Singers And The Dixie Hummingbirds

リードのアイラ・タッカーはずっと歌っていましたが2008年に天に召されました。ハミングバーズはあまり活動していないようですが、グループとしてはまだ存続してます。どうするんでしょう、グループの名前。ハミングバーズになるんでしょうか。気になります。

アイラ・タッカーを更に熱唱型にしたのがアイラと同じサウス・キャロライナ出身のジュリアス・チークス。アイラより4才年下でアイラを尊敬していたそうです。ソウルのウィルソン・ピケットやジェイムズ・ブラウンはジュリアス・チークスの歌い方をマネしたと言われています。いわゆるハード・ゴスペル・シャウター。
南部のブルーズマンが子供の頃、貧しくて綿花畑で綿花を摘む仕事を子供の頃からやらされていたという話をいままでたくさんしてきましたが、ゴスペル・シンガーになった人たちも小さい頃の境遇はまったく同じです。「ゴスペル・サウンド」という有名な本に書いてあるのですが、チークスの家は貧しくて12人の兄弟がいたけれどお母さんは全員立派に育てたということです。チークスは成功したある日お母さんに50ドル渡すと「これを全部くれるつもりじゃないよね」とお母さんが言いました。50ドルは大きなお金だったのです。すると横にいたチークスの親友のサム・クックがお母さんのポケットに30ドルを入れたそうです。するとお母さんはその心遣いに泣き出してしまったらしいです。お金にずっと苦労してきたので感極まったのでしょう。
では、ジュリアス・チークスが在籍したカルテット、センセーショナル・ナイチィンゲーイルズです。ゴスペル・カルテットにはリードがふたりいる場合もよくあるのですが、次の曲はアーネスト・ジェイムズがリードで歌い始め、途中からチークスがリードを代わりテンションを上げていくのですが、「明日のことを考えないシャウト」と僕は呼んでるのですが強烈なチークスのシャウトが聞けます。
4.Sinner Man/Julius Cheeks and The Sensational Nightingales
鋼鉄のような強い歌声です。ジェイムズ・ブラウンが歌うようなファンクのルーツも感じます。
ナイティンゲールとは夜にも鳴くので「夜鳴きウグイス」と言われる鳥のことで美しい声で鳴くらしいのですがチークスの声はシャウトする夜鳴きウグイスです。
そういえば、僕の好きなソウルシンガーのオーティス・クレイもセンセーショナル・ナイチィンゲーイルズのメンバーだったことがあります。
ブルーズやソウルとも密接な関係を持ちながら生き続けてきたゴスペルをこの番組でまた聴きたいと思っています

2020.08.28 ON AIR

モダン・ゴスペル・カルテットの素晴らしさ/
The Soul StirrersとThe Pilgrim Travelers

Shine On Me/The Soul Stirrers Featuring R.H.Harris (Specialty SPCD-7013-2)

Shine On Me/The Soul Stirrers Featuring R.H.Harris (Specialty SPCD-7013-2)

Walking Rhythm/The Pilgrim Travelers (Specialty CDCHD 463)

Walking Rhythm/The Pilgrim Travelers (Specialty CDCHD 463)

ON AIR LIST
1.By And By/The Soul Stirrers
2.I Have A Right To The Tree Of Life/The Soul Stirrers
3.Shine On Me/The Soul Stirrers
4.Stretch Out/The Pilgrim Travelers
5.Everybody’s Gonna Have A Wonderful Time Up There (Gospel Boogie)/The Pilgrim Travelers

先日、Twitterを通してリスナーの方からゴスペル・カルテットを特集して欲しいというメールをいただきました。リクエストをいただくのは嬉しいです。
今日はまずこの前特集したサム・クックも在籍していたゴスペル・カルテットのパイオニアのグループであるソウル・スターラーズを聞いてみましょう。
サム・クックがスターラーズに加入したのは1951年ですが、その前に在籍していたR.H.ハリスというゴスペル史上に残る偉大なシンガーをリードにしていたスターラーズはサムが加入する前からすでにとても人気のあるグループでした。サムもR.H.ハリスを尊敬し彼の歌い方を研究し、ハリスに直接教えを受けたこともあったようです。ハリスはゴスペルの歌唱においてアドリブを始めるなど画期的なことを成し遂げた人で、ゴスペルを志すシンガーたちに多大な影響を与えました。
ソウル・スターラズのスターラーというのは飲み物を混ぜるマドラーの意味もあるのですが、騒ぎを起こすとか、騒ぎを煽る煽動者という意味もあります。だから「魂を煽動する人たち」という意味で「魂を揺さぶる人たち」という言い方がいいかも知れません。
ゴスペル・カルテットのカルテットというのは歌がベース、バリトン、テナーに分かれてテナーとパリトンはふたりいる場合もあり、ギターが入っているグルーブもあり、リードシンガーがふたりいる場合もあります。大体4人から6人くらいの編成です。1930年代から50年代にかけてたくさんのカルテットが生まれました。
ではアルバム”Shine On”の一曲目に収録されている曲です
「つらい試練がすべての人の中にある。でも、神様が私達を約束の土地へ導いてくださる方法が私達にはわからない。でも神様は導いてくれる。神様にずっと従っていればやがてもっとよくわかるようになるだろう」神様への信仰が揺るぎなければ、やがて約束の地へ私達は行けるだろうという信仰の心を強く持つようにということでしょうね。
1.By And By/The Soul Stirrers

ゴスペル・カルテットは伴奏なしで歌うことが多く、全員のリズム、グルーヴ感が一致することがとても大切です。次の曲など聞いていると違うリズム・パターンが三つ合わさって見事なポリリズムになっています。その中をリードヴォーカルのハリスの歌が自由に空を飛んでいるように聴こえます。こういうアップテンポの曲でのアンサンブルの素晴らしさもスターラズの魅力です。
2.I Have A Right To The Tree Of Life/The Soul Stirrers
スターラズはテキサス出身のグループで結成は1926年でバリトンを歌っているロイ・クレインが自分が行ってた教会の10代の仲間で作ったものです。ゴスペル・カルテットはメンバーがよく変るのですが、この録音の時のスターラーズのメンバーはロイ・クレイン、ポール・フォスター、トーマス・ブラスター、R.Bロビンソン、ジェッシー・ファ-リィそしてR.H.ハリス。彼らはすごく人気があったのでブルーズマンやR&Bのミュージシャンと同じようにツアーをしました。ゴスペルは黒人社会では大きなビジネスになる音楽で、テキサスの片田舎のグルーブだったスターラーズは成功した典型的な例です。
しかしツアーが多過ぎて家庭にいられなかったことを後悔したリードのハリスはスターラーズを辞めてしまい、その後釜に選ばれたのがサム・クックでした。

次の歌はスターラーズのハーモニーの厚さとそれをバックに高音部に舞い上がるハリスの素晴らしいリードの両方聞くことができる名演だと思います。タイトルの”Shine On Me”と言う言葉は、この番組でも何度かON AIRしているブラインド・ウィリー・ジョンソンが歌っているLet Your Light Shine On Me(あなたの光で私を照らしてください)のようにゴスペルにはよく出てくる言葉です。
この歌もドロシー・ノーウッドはじめたくさんのゴスペルシンガーに歌われていますが、僕はこのスターラーズのバージョンがいちばん好きです。
3.Shine On Me/The Soul Stirrers

今日はスターラーズやハリスの影響を受けたカルテットとして同じテキサスで結成されたビルグリム・トラヴェラーズも聞いてみましょう。ビルグリム・トラヴェラーズはテキサス、ヒューストンの教会で結成されたカルテット。ロスに移って1947年にスペシャルティ・レコードと契約してそこから次第に有名になるのですが、そのビルグリム・トラヴェラーズを売り出した時のキャッチコピーが”Walking Rhythm Spirituals,”というもので、この”Walking Rhythm Spirituals,”というのは何かと言うと彼らの足音、つまりストンピング・リズムがレコードに入ってます。ブルーズのジョン・リー・フッカーなんかも足音のリズムを入れてますけどね。
4.Stretch Out/The Pilgrim Travelers ビルグリム・トラヴェラーズ
足音聴こえましたか? このグループはカイロ・ターナーとキース・バーバーというふたりの強力なダブル・リードで人気がありました。
さっきのスターラーズよりちょっとポップなテイストがあるんですが、次の曲などはブルーズというかR&Bのテイストを持っています。歌詞さえ違えばアカペラのコーラスグループです。しかも「ゴスペル・ブギ」なんていうサブ・タイトルが付いています。
5.Everybody’s Gonna Have A Wonderful Time Up There (Gospel Boogie)/The Pilgrim Travelers
ゴスペルもブルーズと同じように奥深い音楽ですが、いまの曲のようなちょっとポップ感のあるところから入ると入りやすいかも知れません。
来週もゴスペル・カルテットをお送りします。

2020.08.21 ON AIR

Ruby Wilson-ビール・ストリートの女王

Ruby Wilson/Ruby Wilson (MARACO/Solid CDSOL-5416)

ON AIR LIST
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
4.Seeing You Again/Ruby Wilson

ブラック・ミュージックの世界にはたくさんの才能のあるシンガーやプレイヤーがいて、アメリカを旅していてフラッと入ったクラブで有名ではないが素晴らしい歌手に出会うことは珍しいことではない。このアルバムを買って初めて聴いた時もそんな気持ちになった。
「ビールストリートの女王」と呼ばれたルビー・ウィルソン。
彼女を代表するアルバムは今日聴いてもらうこの「ルビー・ウィルソン」というデビュー・アルバム。もう一枚ジャズを歌ったソロ・アルバムがあり、いろんなバンドにゲストで入ったアルバムもあるのですが、ルビー・ウィルソンを代表するアルバムはほぼこれ一枚と言ってよいと思う。
このアルバムも僕が買ったのは彼女を知っていたからではなくて、このレコード会社が南部の黒人音楽で有名な「マラコ・レコード」だったからだ。そのマラコ・レコードのアルバムがシリーズで何枚かリリースされた時があり、その中の一枚がこれだった。
アルバムの解説に「ビールストリートの女王」と書いてありどういうことかと思ったら、彼女は70年代からメンフィスのいくつものクラブが軒を並べる有名なビールストリートのいろんな店でで20年以上歌っている歌手だった。70年代にはメンフィスでは誰もが知っている有名な歌手だった。
歌を聴いてもらえばわかりますが、かなり実力のある歌手でなぜ彼女がもっとメジャーなところまで行かなかったのか不思議です。

まずは一曲聴いてみましょう。これはO.V.ライトも歌っている曲で元々はジャッキー・ヴァーデルというゴスペル女性シンガーが作って歌ったものです。
1.Why Not Give Me a Chance/Ruby Wilson
“Are You Lonesome”という歌い出しからしてすごくいいですよね。この一曲を聴いただけでもルビー・ウィルソンが相当実力のある歌手だとわかると思います。

ルビー・ウィルソンは1948年テキサスのフォートワース生まれ。南部の多くの子供たちと同じように彼女も小さい頃から綿花畑の綿花を摘む仕事を手伝って育ちました。
お母さんが信仰心の強い人で教会のクワイヤーのリーダーもしていて、ルビーも7才から教会で歌っていたそうです。お母さんはゴスペル以外の音楽は悪魔の音楽と呼んで嫌っていたのですがお父さんはブルーズが好きで、ルビーはお父さんと一緒にブルーズを聴いたりもしていたそうです。
「おかあさんには内緒やで」と言う感じやったんでしょうね。
それで15才の時、彼女の歌声を聴いた有名なゴスペル・シンガーのシャーリー・シーザーが彼女のバックコーラスに誘い、しばらくシャーリーのバックを務めたあとシカゴの教会のクワイアーのディレクターになります。そのあと一旦テキサスに戻って、このあたりからジャズを歌い始めてます。
そして、72年24才の時にメンフィスに移り住んでなぜか幼稚園の先生になります。結婚でもしたんでしょうか(彼女は生涯に4回結婚しています)でも、幼稚園の先生しながらメンフィスのビールストリートというクラブが立ち並ぶ繁華街のクラブで歌い始めます。やっぱり歌はやめられなかったんですね。
この頃からビール・ストリートで有名になっていったんでしょうね。
これくらい実力があるルビー・ウィルソンが20代半ばになる頃までにメジャー・デビューがなかったのが不思議に思います。

実はこのアルバムの一曲目から三曲目までがディスコ・テイストの曲ですが、当時のブラック・ミュージックの流れでこういう感じになったと思います。
一曲聴いてみましょう。
2.I Thought I Would Never Find Love/Ruby Wilson

まあ、悪くはないんですが、なんかもうひとつ特徴がないんですよね。70年代中頃から80年代にこういうリズムで、こういうサウンドで作られた曲がたくさんあって、この曲もなんかもうひとつひっかかりがないと言うか・・・。
ルビーは76年にマラコレコードと契約するのですが、この「ルビー・ウィルソン」というアルバムがリリースされたのは81年。5年くらい経っているのはなぜかよくわかりませんが、たぶんシングルはポツポツと出していたんでしょう。
次の曲も一曲目と同じバラードの曲ですが、これはマイケル・ジョンソンという白人のシンガーが1978年にヒットさせた曲。マイケル・ジョンソンは60年代にカントリー・フォーク・シンガーで登場してその頃はジョン・デンバーと一緒に活動していました。70年代の終わり頃にはボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのようなAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)シンガー風になった人ですが、僕はその頃に聴いたような覚えがあります。曲もいいし、ルビー・ウィルソンの歌もいいです。
「あなたが去ってしまった後、たくさん読書ができるようになり、あなたが去ったあとたくさん眠れるようになった。あなたがいなくなった時物事が簡単に進むようになった。人生はそよ風のようだと想い僕は喜んだんだ。けれど、ブルーな気持ちはもっとブルーになり、悲しみはもっと悲しくなっていく。この空になった部屋のたったひとつの光があなただった・・」恋人と別れて自由な気分を最初は味わっていたけれど、次第に恋人を失くした悲しみを深く感じるという歌です。
いい歌詞です。
3.Bluer Than Blue/Ruby Wilson
ちょっとグラディス・ナイトを想い出させるんですよね、
本当にすごくいい歌手なのになんでもっとアルバムが出なかったんでしょう。
音楽の世界は実力があっても必ずしも売れるわけではないんですが・・・
彼女は2009年に脳卒中を煩いしばらく喋れなくなったけど、その後リハビリに励んで歌を歌えるところまで回復したんですが、2009年に今度は心臓麻痺になり68才で亡くなっています。メンフィスのビールストリートのクラブにふらっと入って、こんな素晴らしい歌手が歌っていたら嬉しいですよね。
彼女はどんな想いの人生だったんでしょう。
最初の曲名が.Why Not Give Me a Chanceでしたが、あまりチャンスをもらえなかったのか。それともそんなに欲がなくてメンフィスで歌っているだけで充分だったのか。
彼女は子供が四人いて、孫が12人いてひ孫が5人いるんです。それだけで幸せだったのかも知れないですよね。
シンガーやミュージシャンはみんな有名になりたいという気持ちがないわけではないし、お金を稼ぎたいという気持ちもないわけではないけど、生活できれば無理しないでこんな感じで好きな歌が歌いつづけられればいいというシンガー、ミュージシャンもたくさんいると思います。
先週、先々週ON AIRしたビル・ウィザースのようにすごく売れたけど、いろいろ指図されるショービジネスの世界がイヤになってミュージック・シーンから去ってしまう人もいるんですね。
ひょっとするとルビー・ウィルソンは家庭があって子供がいて住んでいるメンフィスで歌っているだけで幸せだったのかもしれません。
もう一曲
4.Seeing You Again/Ruby Wilson

2020.08.14 ON AIR

追悼ビル・ウィザース-2

LEAN ON ME:The Best Of Bill Withers(CK 52924)

LEAN ON ME:The Best Of Bill Withers(CK 52924)

 

Bill Withers Greatest Hits (CBS/Sony 32DP 883)

Bill Withers Greatest Hits (CBS/Sony 32DP 883)

ON AIR LIST
1.Kissing My Love/Bill Withers
2.Who Is He (And What Is He To You?)
3.Lovely Days/Bill Withers
4.Just The Two Of Us/Bill Withers

偉大なソウルのシンガー・ソングライター、ビル・ウィザースの訃報が3/30に流れ世界中の多くの人たちがSNSなどにお悔やみのメッセージを出しました。ビルはすでに音楽業界からリタイアして30年以上経っています。それでも彼の歌を愛する人たちが本当にたくさんいることを改めて知りました。

1985年『ウォッチング・ユー・ウォッチング・ミー』というアルバムが最後でした。でも、正式な引退宣言みたいなことがなかったので彼はまた曲を作って歌ってくれるのではないかという希望を多くのファンが持っていました。でも、それは結局叶いませんでした。これだけ才能も人気もある人がなぜ黙って引退してしまったのか・・・今日はちょっとそれに触れてみようと思います。

70年代最初にデビューしてから75年までの五年間ですでに彼の名前はしっかりソウル・ミュージック残るほどの功績を作っていました。

先週聴いた”Use Me” “Lean On Me” “Ain’t No Sunshine”などはソウルの名曲であり、彼の真摯な歌とステージに黒人白人問わず共感する人はふえていました。

1972 年にサセックスレコードからリリースされ翌73年にR&Bチャート12位まで上がったこの曲も素晴らしい。

いま聴いても古く感じない人間のぬくもりのあるファンク・ソウルです。

1.Kissing My Love/Bill Withers

次の曲もファンクの匂いがするんですが、James BrownともSly&The Family Stoneとも違うファンクになってます。何が違うのかと言えば、スライはロックテイストがありファンクロック的で、ジェイムズ・ブラウンは土着的、アーシーでグルーヴ命ですがビルの歌にはシャウトなどはなく内側から熱くなっていく感じなんですね。彼にとっては歌詞を聴かせることもすごく大切な要素だったと思います。

当時、ダニー・ハサウェイやロバータ・フラックといった内省的な歌や社会、政治的な歌を歌うニューソウルと呼ばれたソウルシンガーたちもいましたが、彼らともカラーが違うどこにも属さないような存在がビルでした。

2.Who Is He (And What Is He To You?)

プロデュースのクレジットにはビル・ウィザースとともにキーボードのレイ・ジャクソン、ドラムのジェイムズ・ギャドソンなどの名前が記されています。

つまり先週聴いてもらったビルのカーネギーホールでのライヴのメンバーです。そのメンバーがそのままプロデュースのクレジットに名前があるということは、バック・ミュージシャンというより同じバンドのメンバーという気持ちだったのではと思います。レコーディングもライヴも一緒にやっていてテレビの音楽番組に出ていました。ビルを中心として何か強い結束があったように感じます。

ところが1975年にサセックスレコードが倒産して、ビルは大手レコード会社のCBSコロンビアに移籍します。そこから毎年一枚ずつ78年まで順調に4枚のアルバムをリリースします。しかし、そこにはドラムのジェイムズ・ギャドソンの名前はもうありませんでした。録音はレコード会社が用意したスタジオ・ミュージシャンになっていました。

そして、78年以降レコード会社の担当になった者がまったくダメな男でビルに「君の作っている曲は好きではないし、黒人の音楽も好きじゃない」と言う奴でした。

この男になってからビルは他のシンガーのカバーを歌えと言われたり、もっとダンサブルな曲を録音しろと言われたりしてレコード会社側とギクシャクし始めます。

次第に録音が減っていき84年の”Watching You Watching Me”を最後にレコーディングしなくなりました。

次のような素晴らしい曲を作れて歌える人が音楽から遠ざかってしまうほど、彼は嫌になってしまったんですね。

「君を見るだけでいい日になるんだ、君を少し見るだけで素敵な日になるんだ」

3.Lovely Days/Bill Withers

いまの歌もそうですが、ビルは平凡な静かな生活の中にある光景を歌にするのがうまいです。

ビルの歌には素朴さがあり歌のテクニックがどうのこうのということではないんです。歌っていることも自分の身の回りのことで、そういうところがブルーズと似ているところがあるのかも知れません。初めて聴いた時に僕がすっと彼の歌に入り込めたのもそこかも知れません。

次は1980年のリリースですが、この曲も当時ディスコやソウル・バーでよく流れていました。R&Bチャートで3位、ポップチャートで2位ですから大ヒットです。サックス・プレイヤーのグローバー・ワシントン.Jr.のアルバム「ワインライト」のゲストで歌った曲です。

この1980年はブルーズ・ブラザーズの映画が公開されて、ロバート・クレイがデビューした頃でブルーズも少し活気が戻った頃でしたが、ブラックミュージックの大きな流れはプリンス、マイケル・ジャクソンが中心でダンサブルな音楽が流行っていく中で「おお、ビル・ウィザースがんばってる」と僕は思ってました。大好きな曲です。「君とふたりだけで一緒にいたい。幸せになりたい」

4.Just The Two Of Us/Bill Withers

いまの曲の邦題が「クリスタルの恋人たち」でしたが、ちょうどこの80年に作家田中康夫さんの「なんとなくクリスタル」がすごく売れていてそこからレコード会社がつけたのでしょうが、なんだかな・・な邦題です。

14年間のメジャー・シーンの活動でアルバムはライヴ盤を含めて9枚。まだまだ音楽活動が出来たのに彼は音楽シーンが嫌になってしまったのです。ツアーに出るのもあまり好きではなかったということです。彼は自分の身の丈の音楽をやりたかっただけで、スーパースターになりたいとかすごい金持ちになりたいと思っていたわけではなかったと思います。85年に隠居状態に入る頃にはそこそこお金の蓄えもあって、うつつましく生活していけば大丈夫だったんでしょう。ファンにとってはとても残念ですが、彼は自分の意見がわかってもらえない人たちと音楽を作って行く気にはなれなかったのでしょう。彼はその後の生活に満足していたし、もう一度音楽のショービジネスに戻りたいとも思わなかったのでしょう。

そのあたりは彼が引退してから出た”Still Bill”というドキュメントDVDを見るとわかります。