2022. 03.18 ON AIR

我が愛するエスター・フィリップスと女性R&Bシンガーたち vol.4

A Way To Say Goodbye / Esther Phillips

ON AIR LIST
1.St. Louis Blues/Etta James
2.Rainy Days / Ruth Brown
3.Something He Can Feel / Aretha Franklin
4.A Way To Say Good Bye / Esther Phillips

今日はエスター・フィリップスの特集の最後です。50年代14歳でデビューしてすぐにヒット曲がいくつも出て「14歳のセンセーション」と呼ばれ、大人のミュージシャンに混じってツアー・バスに乗り毎晩いろんな街のクラブやコンサートで歌う生活をエスターはずっと続けました。ヒット曲が出なければレコーディングの機会はなくなり、どんな小さなレコード会社でもチャンスがあればエスターはレコーディングしました。彼女が生きる術は歌い続けるしかなく60年代は二曲のヒットを支えに歌い続け、生き続けました。70年代に契約したKUDUレコードからリリースしたアルバムから”What A Difference A Day Makes”の大きなヒットも出て、アルバムの内容も充実したものがありました。録音ミュージシャンもその頃の一流ミュージシャンたちが参加し、70年代前半の音楽の流れの中に彼女はいました。76年に移籍したマーキュリー・レコードからも4枚のアルバムをリリースしましたが、大きなヒットは出ませんでした。そして80年代に入るとエスターのレコーディングはとだえてしまいます。

その70年代中頃エスターの朋友、ソウル・シスターであるエタ・ジェイムズもドラッグの依存と戦いながら、倒産寸前のチェスレコードに”Come A Little Closer”と言ういいアルバムを残しました。エスターと同じように麻薬の依存症と戦っていたエタ・ジェイムズはこのアルバムの録音を麻薬治療の病院から許可をもらって少しずつやりとげました。14歳くらいから歌ってきた彼女も歌い続けることしかできない女性でした。このアルバムに残された歌がジャンキーとは思えない力強さと歌に向かう意思を感じさせます。ぼくは名盤だと思ってます。
そのアルバムの中から74年グラミー賞のR&B女性ベスト・ヴォーカルにノミネートされた曲です。こんな古いブルーズをまったく古くなく歌えるシンガーはそうはいません。

1.St. Louis Blues/Etta James

R&Bのもう一人私の好きなシンガー、ルース・ブラウン。ルース・ブラウンは50年代にアトランティック・レコードから数々のヒット曲を出してR&B女王とかミス・リズムと呼ばれ一世風靡したのですが、アトランティックとの契約が終わった60年代からはレコード会社を次々移りアルバム・リリースに苦労していました。しかし、エタ・ジェイムズやエスター・フィリップスと同じように70年代、1972年に”The Real Ruth Brown”と言う素晴らしいアルバムを残しました。
以前来日した時に僕は彼女にインタビューさせてもらったのですが、その時もR&Rの殿堂入りやグラミーにもノミネートされていたのに「レコードの契約が今どこのレコード会社ともない」と嘆いてました。ルース・ブラウンほどの歌手でもレコーディング契約がないのかと驚きましたが、やはりコンスタントにヒットがないと契約がなくなる厳しいショービジネスの世界です。ではその素晴らしい”The Real Ruth Brown”から

2.Rainy Days / Ruth Brown

このアルバムに参加したメンバーはRichard Tee(p,org), David Spinozza(g), Ron Carter(b), Bernard Purdie(ds)と錚々たるミュージシャンたち。しかし、この質の高いアルバムからもヒットは出なくて、ルース・ブラウンもこのアルバム以降4年間録音はなく、その後もレコード会社を移籍しながら録音をつづけていました。

そしてエスター・フィリップスを尊敬し親しくしていたソウルの女王、アレサ・フランクリンはこの70年代中頃どうだったのか・・。アレサはさすがに録音は途切れず毎年のようにアルバムをリリースします。70年代に入っても71年の”Spirit In The Dark”から71年フィルモアのライヴ・アルバム、72年にこれも名盤”Young Gifted And Black” そして同じ年に教会でゴスペルを歌った“Amazing Grace”と非常にクオリティの高いアルバムを次々とリリースしました。しかし、74年くらいからヒット曲はあってもチャートの上位に行かなくなります。

3.Something He Can Feel / Aretha Franklin

76年のカーティス・メイフィールドにプロデュースされたアルバム”Sparkle”で少し息をふきかえすのですが、やはりヒットは減って行きました。そして70年代終わりには長く在籍したアトランティック・レコードから離れました。80年代も録音は続きアレサは頑張りましたがヒットは少しずつ出なくなりす。

当たり前のことなんですが時代の移り変わりの中で音楽も流行があり変わっていきます。亡くなる最後までソウルの女王として君臨したアレサでさえヒット曲が生まれなくなっていくことに苦心します。そしてどんなにいい歌手でもヒットに恵まれなければレコーディングはなくなり、もし録音できたとしても小さなレコード会社だとプロモーションがあまりできません。子供の頃から歌うことで生きてきたエタ・ジェイムズやエスター・フィリップスはそこにしか生きていく基盤がありません。しかも男性ミュージシャンが多い中で気を張って生きて行かなければならない。そして若い頃に覚えてしまったドラッグの依存やアルコールの依存を抱えてしまいます。
80年代音沙汰がなくなったエスターの訃報が伝えられたのは84年8月7日。まだ49才だった。晩年は結婚していたらしいが結婚生活はあまりうまく行かなかったようです。その亡くなる直前にインディーズの「ミューズ」と言うレーベルに遺作を残していました。それはドラムとベースがシンセの打ち込みで作られた安っぽいサウンドで、ジャケットもひどい代物でした。私はそのアルバムを持っているが悲しくなってしまうのでほとんど聞かない。しかし、その安っぽいサウンドの中でエスターが最後の力を振り絞っただろう曲を最後の曲にします。
「夏が終わる時に木の葉が金色に変わる、そう死にゆくものの中に美しさがあることを知る
変わりゆくものによって音楽が作られることも私は知っている
だから私は今日あなたに私たちのゲームを終わりにしてそして別れましょう」

4.A Way To Say Good Bye / Esther Phillips

安っぽいサウンドの中にも私の愛するエスターの歌声は素晴らしいです。
ひとりのミュージシャン、シンガーの歌を大好きになるということはその人の歌の全てを聞き、その人の人生に寄り添うということだと思います。
僕はエスターの人生に寄り添って彼女の歌を聴いてきました。

2022. 03.11 ON AIR

我が愛するエスター・フィリップスと女性R&Bシンガーたち vol.3

From A Whisper To A Scream / Esther Phillips (KUDU CBS ZK 40935)
What A Diff’rence A Day Makes/Esther Phillips/(KUDU KU-23-SI )
Black Eyed Blues / /Esther Phillips (KUDU King Record KICJ 8110)

ON AIR LIST
1.Home Is Where The Hatred Is/Esther Phillips
2.What A Diff’rence A Day Makes/Esther Phillips
3.Too Many Roads/Esther Phillips
4.Do Right Woman, Do Right Man / Aretha Franklin
5.Do Right Woman, Do Right Man / Esther Phillips

60年代後半に”Burnin’”という素晴らしいライヴアルバムをリリースもののドラッグと手を切れないエスターは再び麻薬療養所を出たり入ったりを繰り返します。しかし、70年に入りまた復活のチャンスが訪れます。それは1971年新しいレーベルKUDUから錚々たる敏腕ミュージシャンを集め新しいサウンドでエスターをしっかりプロデュースするコンセプトでアルバム”From A Whisper To A Scream” がリリースされました。
これは翌年のグラミーの最優秀女性R&Bボーカルにノミネートされる名盤となりました。
その一曲目はドラッグの依存からなかなか抜け出せないエスターにとっては辛い曲でした。と言うのも内容が「ジャンキーが夕暮れの中を歩いている」と始まる麻薬から抜け出せない人間の辛さを歌った曲です。作曲したのはギル・スコット・ヘロン。タイトルは「家庭は憎しみのあるところ」
エスターしどんな気持ちで歌ったのだろう・・・と思います。僕はこの曲を聴いているといつも夕暮れのあまり人のいない通りに一人取り残されたような気持ちになります。

1.Home Is Where The Hatred Is / Esther Phillips ヘイトラッド 

エスターはこのアルバムでとても高い評価を得ましたがグラミーを獲得することはできませんでした。獲得したのはアレサ・フランクリン。しかしアレサは「グラミーにふさわしいのはエスター・フィリップスだ」とグラミーのトロフィーをエスターにプレゼントしてしまいます。その前から親しくしていたとは言え、びっくりしたのはエスターでした。ぼくはそんなことがあるのかと思っていたらアレサがトロフィーをエスターに渡している写真がネットにありました。エスターも「自分が受賞したグラミーのトロフィーを他人にあげてしまう人なんている?!」と言ってます。アレサにとってエスターはずっと尊敬する歌手だったのです。また子供の頃からショービジネスの世界で苦労してきたエスターにゴスペルの世界で子供のころから父親に連れられ同じように教会を回るツアーをしていた自分の姿と重なるものがあったのではないでしょうか。アレサはエスターのことを歌った「Sister from Texas」と言う歌も作って録音している。本当にエスターのことが好きだったんですね。ソウルの女王アレサが心を許しその歌を讃え尊敬したのはブルーズを歌うエスターだったのでした。

1975年、私が初めてアメリカへ行った目的の一つはエスター・フィリップスのライヴを観ることだった。ちょうど彼女の”What A Difference A Day Makes”がヒットしていてロスのラジオからはヘビーローテーションで流れていた。ところがコンサートやクラブでのライヴはことごとくキャンセルだった。まだ携帯もSNSもない時代で、コンサート会場まで車を飛ばして行ってキャンセルを知ることもあった。ロスの音楽関係者に聞くと「彼女はジャンキーだからまた刑務所か病院に入ってるじゃない」と言われた。結局一度もエスターのライヴは見れないまま日本に帰ってきた。エスターが10代の終わりから麻薬依存症だと知ったのはその頃で、エスターの朋友エタ・ジェイムズも同じ70年代中頃に麻薬依存で病院やリハビリセンターに出入りを繰り返していた。エタ・ジェイムズは「60年代から70年代にミュージシャンである自分がドラッグからまったく身を遠ざけることは無理だった」とインタビューで語っている。
もうエスターのライヴを観ることは無理かなと思っていたところ、2年後の1977年2月にエスターは日本にやってきた。それはやはり”What A Difference A Day Makes”のセールスが日本でも良かったからだ。尊敬するダイナ・ワシントンの美しいバラードをディスコ・アレンジで歌うことにエスターは難色を示したが、この歌がいちばんエスター・フィリップスの名前を知られるヒットとなった。1975年。
「あなたと出会えてから憂鬱な日々は去って行き、なんて違う素敵な日になったのでしようか」

2.What A Diff’rence A Day Makes/Esther Phillips

70年代中頃、時代はブルーズもソウルもジャズもブラジルの音楽もミックスした「クロスオーバー」と呼ばれる時代でそこからいわゆるフュージョンへ向かいます。そういうクロスオーバーの感覚が成功した一つが今のWhat A Diff’rence A Day Makesでした。
今の曲はKUDOレーベルの5枚目のアルバムになるのですが、KUDOでは全部で7枚アルバムをリリースしましたから充実した時期でもありました。特に最初の三枚は素晴らしいものです。
その3枚目”Black Eyed Blues”に収録されているエスターの歌唱力がわかるバラードを聴いてみましょう。1973年。

3.Too Many Roads/Esther Phillips

東京で三日間コンサートがあったのですが、三日とも観に行きました。正直に言うとあまりよくなかった。バックバンドのクォリティや会場のPA音響がよくなかったことを差し引いてもエスターの歌はよくなかった。声もしっかり出てなかったし歌う強い姿勢が感じられなかった。そして、初日が終わったあとコンサートの関係者の方から「明日楽屋に来てエスターに会いませんか」と誘っていただいた。2日目の渋谷公会堂でした。僕は何かエスターにプレゼントしたくてなぜか渋谷のデパートでガラスのケースに入った日本人形を買ってプレゼントした。なぜそんなものを自分が買ったのかわからない。多分持って帰るの大変だっただろうなと後から思いました。

このKUDUレコードの時代にたくさんいい曲を歌っています。ビル・ウィザースの“Use Me”、最初のアルバムタイトルにもなったアレン・トゥーサンの”From A Whisper To A Scream”、アレサ・フランクリンも歌った”Do Right Woman,Do Right Man”、ジョー・コッカーが作った”Black Eyed Blues”そしてポップな”Alone Again”や”Mr.Bojangles”にもエスターの個性が光っています。僕は個人的にアレサに匹敵する歌唱力のあるシンガーだと思っているのですが、アレサが有名な牧師の天才少女としてゴスペル時代から周りのスタッフやしっかりしたプロデュースに恵まれていたのに比べると、エスターはツアーに明け暮れ毎晩毎晩クラブで歌い続ける厳しい生活を余儀なくされて来ました。アレサと同じアトランティック・レコードでさえアレサのような決定的なプロデュースはエスターにできませんでした。完璧とは言いえないのですがヒットが出てコンスタントにアルバムリリースができたこのKUDOレコードの時代はエスターにとって幸せな時代だったと思います。
エスターのために曲まで作った同時代を生きたソウルの女王アレサ・フランクリンとエスターの違いはなんだったのだろう。それはヒット曲の数の違いです。歌唱力については決してエスターはアレサに引け取っていた訳ではないと思います。ここで二人が歌っている同じ曲を聴いて見ましよう。最初にアレサから。

4.Do Right Woman, Do Right Man / Aretha Franklin
5.Do Right Woman, Do Right Man / Esther Phillips

”What A Difference A Day Makes”のディスコ・バージョンがヒットしたことでレコード会社は「柳の下にドジョウは二匹」とばかりにオージェイズの曲をよりディスコ風にした”Once Night Affair”,そしてジャズ・スタンダードの”Unforgettable”,”For All We Know”と続けてディスコ・アレンジで出しましたがヒットには至らなかったのです。
エスターはいろんな曲を歌って残しました。ブルーズから始まりジャズ、R&B、ボサノバ、ロック、ポップ・・とそれ故に彼女をどのカテゴリーに入れればいいのかわからないので注目されにくかったと思います。例えばアレサ・フランクリンならソウルの女王という看板があるようにソウルというカテゴリーです。ニーナ・シモンやビリー・ホリディはジャズ、エスターとほぼ同時代のルース・ブラウンはミス・リズムと呼ばれR&B女王とも呼ばれ、エタ・ジェイムズもやはりR&Bシンガーと呼ぶのがふさわしいです。
エスターの根底にあったのはやはりブルーズだったと思います。ブルーズではないジャズやスタンダード、ポップを歌ってもそこにエスターのブルーズの翳りが必ずあります。情感の深い歌手でじっくり聴くとその繊細な歌の表現の中に女性としての強さと脆さが同居しています。彼女は女性の為にブルーズを歌った人でした。

2022. 03.04 ON AIR

我が愛するエスター・フィリップスと女性R&Bシンガーたち-vol.2

Burnin! Live At Freddie Jett’s Pied Piper,L.A./ Esther Phillips (LP)

ON AIR LIST
1.And I Love Him / Esther Phillips
2.I’m Getting’ Long Alright / Esther Phillips
3.Please Send Me Someone To Love / Esther Phillips

前回からの続きでエスター・フィリップスと同時代の女性シンガーの話
私が連載エッセイを書いている音楽雑誌「ブルース&ソウル・レコーズ」誌で今回は女性シンガーのエスター・フィリップスのことを書きました。
エスター・フィリップスは私の最も好きな女性シンガーのひとりで、どうしても彼女のことを書き残したかったのです。49才という若さで亡くなって38年経ちました。今も「ソウルの女王」と呼ばれるアレサ・フランクリンのように圧倒的な名声を得たわけではないのですが、そのアレサも尊敬していたシンガーで黒人音楽の歴史の中では忘れてはならないひとりです。しかし、日本ではもうあまり語られることも少なくなってきたのでこのへんで自分がエスターのことをしっかり残しておきたいと思っています。
前回は1962年にカントリー曲のカバー”Release Me”の大ヒットでエスターが50年代後半の苦境から抜け出したところまで話ました。
しかし、その後再び大きなヒットは出ずにレコード会社のレノックスも経済的に揺らいで結局倒産してしまいます。その時エスターを救ったのがマネージャーになったジャック・フックという男で、彼は当時R&Bで登り調子だったアトランティック・レコードとエスターの契約を取り付けます。しかし、歌は個性的で上手いがどうしたらエスターが売れるかアトランティックにも妙案はないままジャズ、スタンダード、カントリー、ボッブス、ボサノバ・・といろんな曲を歌わせました。でも、ヒットが出ません。
そしてある日プロデューサーのアーメット・アーディガンが提案したのがビートルズの”And I Love Her”のカバーでHerをHimにして歌うというものでした。しかし、エスターはこの曲が好きになれず録音の最後にこれをイヤイヤ歌ったということです。ところがそれがR&Bチャートトップ20に入るヒットになりました。
今日はエスターのライヴ・アルバム”Burnin! Live At Freddie Jett’s Pied Piper,L.A.”から”And I Love Him”

1.And I Love Him/Esther Phillips

僕は今もビートルズ・ファンなのですが、ビートルズの曲をカバーしたものでいいなぁって思ったものはほとんどないです。ビートルズの曲はオリジナルのビートルズがいいというのが持論なのですが、エスターの”And I Love Him”はすごく心に残りました。エスターのブルーズのエッセンスが振り掛けられていてビートルズとは違うニュアンスになっています。このエスター・ヴァージョンをビートルズのジョンとボールがすごく気に入ってエスターはビートルズに招待されてイギリスまで行くことになりました。その時イギリスのテレビ番組でジョン・レノンがエスターを紹介して”And I Love Him”を歌う映像がYouTubeで見れます。
私が初めて聞いたエスター・フィリップスは今日のこのライヴ・アルバム「バーニング ライヴ・アット・フレディジェッツ パイドパイパー,L.A.」でした。リリースされたのは1970年。僕が聴いたのは72年頃。その頃はブルーズやソウルのガイドブックがなくて、自分なりのアルバムを買う決め手がありました。それは収録されている曲目、レコード会社、プロデューサー、参加ミュージシャン、リリースの年月日、あとはジャケットの印象。このアルバムはレコード会社がアトランティック、プロデューサーがアレサ・フランクリンの録音にも関わってるサックスのキング・カーティス、後のメンバーはコーネル・デュプリー(G)、リチャード・ティー(Org)、チャック・レイニー(B)、ドナルド・ベイリー(Dr)、ジャック・ウィルソン(P)などソウルやジャズでは敏腕のミュージシャンたち。これで買わない手はない。

次のI’m Getting’ Long Alrightという曲は50年代に人気のあったビッグ・メイベルという女性ブルーズ・シンガーが歌った曲ですが、その歌に入る前にエスターはT.ボーン・ウォーカーの”Cold Cold Feeling”を一番だけ歌っています。「誰かと別れる時は心の周りに氷が張り付いたような気持ちになる」ぼくはこの一番だけ歌われたに”Cold Cold Feeling”にすごくエスターのブルーズを感じました。そして次の「愛する男と別れても(”I’m Getting’ Long Alright”)なんとかやっているよ」と本題の歌を歌います。辛い本心を隠した女性の胸の内を感じます。実はエスターと同じように50年代から活躍したルース・ブラウンにインタビューした時、彼女は「ブルーズは男の人が歌うものなのよ。普段女は泣くことを許されるけど男は涙を見せられないでしょ。でもブルーズを歌うことで男は涙が流せるのよ」と言いました。しかし、エスターは「多くの女性が抱えているブルーズを私は代弁して歌っているの」と言っています。両方ともなるほどと思う言葉です。

2.I’m Getting’ Long Alright/Esther Phillips

エスターは語るように歌うというか、語りと歌を混ぜ合わせて歌っている感じです。とても即興性のある歌でまたバック・ミュージシャンたちがそれに呼応できているいいアルバムです。
もう1曲ライヴ・アルバム”Burnin”からブルーズの詩人と呼ばれたパーシー・メイフィールドの名曲です。
この曲は先ほど話に出たルース・ブラウンも歌っているのですがどちらも甲乙つけがたい出来です。

3.Please Send Me Someone To Love / Esther Phillips

「神様、誰か愛する人を私に連れてきて」という内容はこの時のエスターの気持ちだったかも知れません。
60年代10年間でエスターのヒット曲は”Release Me”と”And I Love Him”の二曲しかなかったのですが、ライヴをやり続け何とか乗り切ったエスターは再びドラッグへの依存がひどくなり60年代終わりに入院とリハビリとなります。
70年以降復活の話はまた来週。

2022.02.25 ON AIR

我が愛するエスター・フィリップスと女性R&Bシンガーたち vol.1

The Johnny Otis Story(ACE CDCHD 1312)
The Best Of Esther Phillips(1962-1970)

ON AIR LIST
1.Double Crossing Blues/Johnny Otis Quintet The Robins Little Esther Phillips
2.Mistrustin’ Blues/Esther Phillips And Mel Walker
3.Hound Dog/Big Mama Thornton
4.Release Me / Esther Phillips

音楽雑誌「ブルース&ソウル・レコーズ」に私が”Fool’s Paradise”というエッセイを連載しているのを読んでくださってる方もいると思いますが、そのいちばん新しい号で「エスター・フィリップスのことをどうしても書いておきたい」と書きました。
そのこともあり最近エスター・フィリップスを中心に50年代から70年代あたりまでの女性ブルーズ、R&Bシンガーをよく聞いていたのでその辺りの話を今回から4回に分けてON AIRしてみたいと思います。

まずエスター・フィリッブス
本名はエスター・メイ・ジョーンズ1935年12月23日テキサスの生まれ。生きていれば87才。子供の頃故郷テキサスの教会で歌い始めている。両親が離婚してお父さんとテキサスで暮らし、夏休みになるとロスに移った母親のところへ行くという生活をしてました。そのロスで13才の時に当時流行っていたジュースを飲みたくて(タピオカみたいなものでしょうか)、姉さんたちに「あんた歌うまいからコンテストに出なよ。勝ったら賞金もらえるから」と言われコンテストに賞金目当てで出場したところなんと優勝。賞金は10ドル。1ドルだけもらってあとは姉さんたちに取られてしまった。その時歌ったのが大好きだったダイナ・ワシントンの曲”Baby Get Lost”。そしてそのコンテストを主催していたウエストコーストのR&Bのボス、ジョニー・オーティスがエスターの才能に目をつけ、母親の了解をとりデビューさせることになった。エスター、13才、リトル・エスターという芸名でのデビューだった。
まずそのデビュー曲を聞いてください。バックはジョニー・オーティスのバンド、そしてロビンズという男性コーラス・グループと組んだとても14才とは思えない堂々たる歌いっぷりです。

1.Double Crossing Blues/Johnny Otis Quintet The Robins Little Esther Phillips

この曲はチャートの1位に22週間留まる大ヒットとなりました。そしてその後男性シンガー、メル・ウォーカーとデュエットで組んだ曲が次々とヒットし1950年はR&Bチャートの上位に6,7曲がチャートインしました。この頃エスターには「史上最年少でナンバーワン・ヒットになった歌手」という看板がつき、「14才のセンセーション」とも呼ばれてます。そして金儲けの上手いジョニー・オーティスは自分のバンドの専属歌手としてエスターを入れてツアーに出る。もちろん未成年なので母親も同行してのツアーでした。しかしまだ14、15才の少女、日本で言えば中学2,3年。それが大人たちと同じツアー・バスに乗り毎晩いろんな街で演奏し、ステージが終わるとバスで寝て何マイルも移動。それを毎日繰り返す。エスターはバスの中で勉強しょうと思って教科書を持っていったけど、大人のミュージシャンたちが酒を飲んでギャンブルをして騒ぐ中で勉強などできるはずもなかった。
では、14才のエスターの歌をもう一曲聞いてください。メル・ウォーカーとのデュエットです。

2.Mistrustin’ Blues/Esther Phillips And Mel Walker

「いったい何才やねん、このシンガー」いう感じですよね。現在のテレビに出てくる日本の10代の少女たちの子供っぽい歌いっぷりとは雲泥の差ですが・・。
ジョニー・オーティス・オーケストラの看板歌手として順調にやってきたのですが、ここにもう一人女性シンガーをバンドに入れようとしてエスターとジョニー・オーティスの間に軋轢が生まれることになります。
それがビッグ・ママ・ソーントン。そのビッグ・ママが歌って大ヒットしたのが有名な次の曲。これもジョニー・オーティスのプロデュースです。

3.Hound Dog/Big Mama Thornton

いつ聞いても破壊力抜群の歌です。この1953年の大ヒット「ハウンド・ドッグ」をビッグ・ママに歌わせたのもジョニー・オーティスだった。彼はのちにエタ・ジェイムズもデビューさせてますが、とにかく才能を見つけるのが上手い。
でも、エスターにしてみればもう一人バンドに女性シンガーが入ってくるというのは面白くなかったんでしょうね、まだエスター10代後半ですがビッグ・ママは26才くらいですから年上だけど自分の方が先に売れているし。。。それでジョニー・オーティスとお金のトラブルもありエスターは彼の元を離れます。
その後50年代半ばからフェデラル、デッカ、サヴォイとレコード会社を移ってレコーディングを続けましたがヒットは出ませんでした。この頃はとにかく小さなクラブで毎晩歌い続けながらなんとか日々をしのいでいました。そして以前から常用していたドラッグに更に溺れるようになり、結局故郷テキサスの病院に入院するまでになってしまいます。もう歌うのはテキサスの小さなクラブだけになり彼女はなんとか普通の生活を取り戻そうとしていました。
そんな時ヒューストンのクラブで歌っていたエスターの歌に感動したのが、有名なカントリー・シンガーのケニー・ロジャースでした。彼はクラブやレストランも持っていて事業家の一面もありそのクラブも彼の店でした。そのケニーが弟のリーランに彼女をなんとかしょうと相談し、リーランはレノックス・レコードを立ち上げその第一弾としてエスター・フィリップスをリリースしました。1962年レノックスレコードからのこの曲でエスターは息を吹き返すことになりました。カントリーの曲なのにエスターの魔法のブルーズがかけられたブルース風味の面白い曲になっている。

4.Release Me / Esther Phillips

エスターは聞いてもらってわかるようにとても癖のある歌い方ですが、エモーショナルで、どんな歌を歌ってもブルーズのテイストがあります。
この曲はR&Bチャートのトップになり、ポップ・チャートでもトップ10入りし、更にカントリー・チャートにも入りました。少し前の1958年にレイ・チャールズが”I Can’t Stop Lovin’ You”(愛さずにはいられない)などカントリーの曲を何曲かヒットさせていたこともあり、この曲を歌うことになったのだと思います。そしてこのヒットでエスターも全てカントリーのカバー・アルバムを出すことになりました。
エスターは27才になりリトル・エスターからリトルを取ってエスター・フィリップスと名前を変え彼女は再びオーヴァー・グラウンドに戻りました。
この後の話はまた次回。

2022.02.18 ON AIR

現在のブラック・ミュージックの最前線「シルク・ソニック」とブルーノ・マーズ

Silk Sonic / An Evening With Silk Sonic (WARNER MUSIC WPCR-18451)
Bruno Mars / 24K Magic (WARNER MUSIC WPCR-17559)

ON AIR LIST
1.Leave the Door Open / Silk Sonic
2.Smokin Out The Window / Silk Sonic
3.Fly As Me / Silk Sonic
4.Too Good To Say Goodby / Bruno Mars

この番組はブラック・ミュージックのルーツであるブルーズを中心としてON AIRしている番組ですが、今日はブルーズから少し離れて昨年から話題の最先端のブラック・ミュージックを聞いてみようと思います。普段はこういう音楽を聞かない方も今夜はちょっと耳を傾けてください。
ブルーズから50年代にR&BやR&Rが生まれて、そこから60年代にソウルとファンクの時代になり、70年代ソウルとファンクには黒人たちが自分たちのメッセージなどを強く込めた時代でした。それからディスコの時代を経ておしゃれなソウルが生まれたり、その後ラップ、ヒッブホッブとブラック・ミュージックはめまぐるしく変わってきました。僕自身はなるべく広範囲に音楽、特にブラックミュージックを聞くように心がけてますが、現在なかなか心から寄り添えるものは少なくなってきています。音楽はその時代時代のものですからそれに僕がついていけないだけのことかも知れません。

今日はブルーズから離れて話題沸騰の現在のブラック・ミュージックのトップランナー、ブルーノ・マーズとこれまた才能のあるアンダーソン・パークと組んだユニット「シルク・ソニック」が去年11月にアルバム”An Evening With Silk Sonic”をリリースしました。今日はまず久しぶりに共感できたそのアルバムを聞いてみようと思います。
現在グラミー賞4部門にノミネートされているこのアルバムは去年3月にこのアルバムにも収録されている「Leave the Door Open」がシングルでリリースされるなり若いブラック・ミュージック・ファンだけでなく、オールドタイマーのソウル・ファンなども巻き込んで話題となりました。
このヒット曲をまずは聞いてみましょう。

1.Leave the Door Open / Silk Sonic

僕のようなオールド・タイマーのブラック・ミュージック・ファンにとってはどこか懐かしいテイストがします。それは70年代のソウル・バーやディスコで流れていた曲のテイストなんですね。70年代の中頃くらいがぼくがいちばんディスコに通った時代です。
フィラデルフィア発のフィリー・ソウルと呼ばれるハロルド・メルビンとブルーノーツ、スタイリスティックス、あとシカゴのチャイライツ、それからエスコーツなどもいました。それらはスウィート・ソウルと呼ばれるもので、きれいなメロディ・ラインとそこに加わる甘いコーラス、そして高揚感に溢れたものでした。それがこのユニットにはあるんです。しかし、シルク・ソウルはただ過去のスウィート・ソウルをリメイクした感じではなく、ラップやメロディの新しいテイストをそこに入れています。
アルバムではブルーノ・マーズはキーボードを弾き、アンダーソンはドラムを叩いています。
Radio music Awardのライヴの様子がYouTubeにアップされているので是非見てもらいたいです。音楽もステージ・パフォーマンスもブラック・ミュージッの伝統を感じさせるライヴの様子が見れます。そして、ここ十数年いやもっとか・・・ブラック・ミュージックの最先端でまともに聞く気持ちになれなかったのは、こういうはっきりしたメロディとハーモニーそしてパワーのある歌がなかったからです。この前にON AIRしたジョン・バティーストとはテイストは違いますが、歌そのものが僕自分の胸に入ってきた若い人たちの音楽は久しぶりです。

もう一曲シルク・ソニックのアルバム”An Evening With Silk Sonic”から。

2.Smokin Out The Window / Silk Sonic

このアルバムにはシルク・ソニックの二人の70年代ファンクへのオマージュがあり、次のファンクも懐かしい感じがするのですが古い感じはしない。結局、彼らは黒人音楽としてのソウル・ミュージックがいちばん豊かに実っていた時代のテイストを取り入れながら、新しいサウンドですごくグルーヴするファンクのビートで新しい音楽を提示したアルバムです。

3.Fly As Me / Silk Sonic

2017年にマーズがツアーのオープニングにアンダーソン・パークを使ったことで二人は音楽的に接近してこのプロジェクトになったらしいですが、二人ともそれ以前から70年代から80年代のソウル・ファンクの匂いがどこかでしていたので今回のシルク・ソニックでそれを全開でやってみようということになったのでしょう。
ブルーノ・マーズは6,7年前にレコード店に流れていたPVを見ていたら最後まで見てしまったんですよ、なんか見た目はね今度日本ハムの監督になったビッグボス新庄監督みたいな感じなんですよ。見た目がね。でも音楽に何か惹かれるものがあり何だろうと思っていたのですが、それは僕が好きだった70年代のソウル・ファンクの匂いでした。若いシンガーなのにおじさん、おばさんを惹きつけるテイストを前から持っていた人です。
ブルーノ・マーズの2016年の作品「24K・マジック」からバラードの曲を最後に、

4.Too Good To Say Goodby / Bruno Mars

いにしえのブルーズから脈々と続くブラック・ミュージックの最先端の音楽に去年からすごく興味が湧いているところです。
今日はシルク・ソニックとブルーノ・マーズを聞きました。やっぱり歌がいい音楽はいいですね。