2024.06.07 ON AIR

初夏になると聴きたくなるニューオリンズ・ミュージック

ON AIR LIST
1.IKO IKO /Dr.John
2.IKO IKO/The Dixie Cups
3.Jock-O-Mo/Sugar Boy Crawford
4.Going To The River/Fats Domino
5.Tipitina/Professor Longhair

今日はまずこの曲を聴いてください。

1.IKO IKO /Dr.John

ドクター・ジョンの名盤”GUMBO”の一曲目に収録されている「アイコ・アイコ」
”GUMBO”は1972年にドクター・ジョンが地元ニューオリンズの音楽をカバーしたアルバムです。僕はこのアルバムで初めてニューオリンズ音楽に触れました。この曲自体はボビュラーに広まってCMにも使われたことがあるので知ってる方も多いと思います。
実際にヒットしたのは1965年のニューオリンズの女性3人のコーラス・グループ「ディキシー・カップス」でチャートの20位まで上がりました。
そのディキシー・カップスのバージョンを聴いて見ましょう。

2.IKO IKO/The Dixie Cups

素朴な「アイコ・アイコ」でいいですね。ディキシー・カップスはとてもキュートなコーラスを聞かせてくれるグループでこの番組でも特集したことがありますが、1964年にチャート1位になった”Chapel Of Love”(涙のチャペル)や”People Say”などヒット曲がありニューオリンズ音楽には欠かせないグループです。
それで今の「アイコ・アイコ」には実はもっと前に原曲がありましてそれがシュガー・ボーイ・クロフォードという同じニューオリンズのシンガーが歌った”Jock-O-Mo”です。
このJacko Moという曲は歌詞の内容がよくわかりませんが、ニューオリンズのマルディグラ・インディアンと呼ばれる先住民たちのチャントと呼ばれる民族的な反復される掛け声を元にしているものです。チャントは日本の民謡でもあるみんなが繰り返し反復して歌うものと同じです。世界の民族音楽にチャントはあります。
ではシュガー・ボーイ・クロフォード

3.Jock-O-Mo/Sugar Boy Crawford

Jock-O-MoからIKO IKOになったわけですが、ロックバンドのグレイトフル・デッドや同じニューオリンズのマルディグラ・インディアンのグループ「ワイルド・マグノリアス」などがカバーしています。それで少し前にニューオリンズの大きなイベントである「ジャズ・ヘリテイジ・コンサート」が開かれていたのでニューオリンズのお馴染みの曲を聴いてみたいと思います。
まずいつもこの曲を聴くと初めてニューオリンズに行った時に一緒に旅行した川田さんという友達のことを思い出します。彼は友達でもありましたがとても信頼できる人でぼくの後見人みたいな人でした。二人でニューオリンズのホテルに荷物を置いて真っ先に行ったのがミシシッピー・リバーが見える場所でした。とにかくブルーズの歌詞にもよく出てくる川と言えばミシシッピ川で、その大きな川の流れを見て二人で感慨に耽ったものです。ファッツ・ドミノの次の曲もおそらくミシシッピ・リバーを想定して作られたものだと思います。彼女が街から出て行ってしまい、フラれてもう川に飛び込んで死んでしまいたという絶望した悲しい歌です。最後のI’m Tired Of Living In Misery(虚しい気持ちで生きることに疲れた)という一節が辛いです。
楽しい歌が多いファッツ・ドミノにしては珍しい悲しい歌です。

4.Going To The River/Fats Domino

「ブルーベリーヒル」「ファットマン」「Ain’t That A Shame」いファッツ・ドミノはヒット曲も多く、ニューオリンズという枠を超えてアメリカではポピュラーな存在で国宝級のミュージシャンなのですが、日本ではそれほど評価されていない気が今もします。70年代に来日してくれた時も本当にお客さんが少なくて僕はファッツに申し訳ない気持ちでステージを見ました。

同じニューオリンズのピアニスト、シンガーであるプロフェッサー・ロングヘアはアメリカ国内でさえ正当な評価を受けられませんでした。アレン・トゥーサン、ドクター・ジョンはじめニューオリンズのミュージシャンたちには尊敬されてましたが。一時は音楽をやめてギャンブラーになってしまったほどでした。ブギやブルーズにニューオリンズのセカンドライン、そしてルンバやカリプソなど南米の音楽をミックスしたプロフェッサーが作った音楽の素晴らしさがなかなか広く伝わりませんでした。でも晩年は多くのミュージシャンやファンの支えもあってジャズ・フェスティバルで復帰しヨーロッパへのツアーしました。今もプロフェッサー・ロングヘアを讃えるピアニストたちのライヴが毎年ニューオリンズで行われています。

5.Tipitina/Professor Longhair

この曲名からつけられたティピティーナスというクラブがニューオリンズにあってさっき言ったプロフェッサー・ロングヘアを讃えるピアニストたちのライヴはそこで開かれています。
こういうゆったりした曲を聴くとニューオリンズへ行きたくなりますね。

2024.05.31 ON AIR

偉大なギタリスト、ディッキー・ベッツの死を悼む-2

ON AIR LIST
1.Blue Sky/The Allman Brothers Band
2.Ramblin’ Man/The Allman Brothers Band
3.Southbound/The Allman Brothers Band
4.Jessica/The Allman Brothers Band

先週から引き続き4/18に80才で亡くなったディッキー・ベッツの追悼でオールマン・ブラザーズを聴きます。
先週もちょっと話しましたが71年の10月にリーダーであったデュアン・オールマンがオートバイ事故で亡くなってからバンドのリーダーとなったのがディッキー・ベッツでした。
今日最初に聴くのはデュアンがまだ生きてる頃に録音された曲でディッキー・ベッツが曲を作り初めてリード・ヴォーカルを取った曲です。ここでもデュアンとの美しいギターの絡みが聞けます。

1.Blue Sky/The Allman Brothers Band

こういうカントリー・テイストがディッキーにはあり、それがまたオールマンズの魅力になっていました。アメリカ音楽の中のカントリー・ミュージックの存在の大きさみたいなのもこういう曲でぼくは知りました。
今の曲を含むアルバム”Eat A Peach”を作り上げデュアンのいない体制でオールマンは再出発しました。

しかし、デュアンがこの世を去った翌年72年に今度はベースのベリー・オークリーが同じようにオートバイ事故でなくなるという悲しみに見舞われたバンドでしたが、新しいベーシスト、ラマー・ウィリアムズを入れて活動を続けました。そしてこの頃にキーボードのチャック・リーヴェルが加入しオールマンは以前の2ギターから2キーボードに変わりました。再出発した最初のアルバムが”Brothers & Sisters”でした。
1973年にリリースされた”Brothers & Sisters”からチャート2位までのぼりつめたこれもディッキーのカントリー・フレーバーたっぶりのオリジナル

2.Ramblin’ Man/The Allman Brothers Band

この曲が収録されたアルバム”Brothers & Sisters”はバンドとして初めてチャート一位を獲得しました。
ソング・ライターとしてのディッキー・ベッツの才能が華開きヒット曲も生まれ、アルバムのジャケット写真にはドラムのブッチ・トラックスのまだ小さい息子の写真と裏には亡くなったベリー・オークリーの娘の写真が使われオールマン・ブラザーズのファミリー的な結束を強く感じさせました。
ディッキーはカントリー・テイストの作曲が多いのですが、次の曲のようなロックするブルーズも作っています。

3.Southbound/The Allman Brothers Band

仲が良かったはずのバンドでしたがディッキーとグレッグ・オールマンの関係が悪くなり76年にバンドは解散します。
メンバーがそれぞれ個人的にバンド作り活動を始めます。私の中ではこの時点でオールマン・ブラザーズは終わってます。その後、元のメンバーが全員集まらないまま78年再結成されそれもまた解散・・とメンバーが次々変わり解散と再結成が繰り返されました。
ディッキーは「グレイト・サザン」というバンドを結成して活動を続けました。
では、最後に”Brothers & Sisters”に収録されたディッキーの書いた美しい曲です。

4.Jessica/The Allman Brothers Band

オールマン・ブラザーズはブルーズロックの中では自分の一番好きなバンドであり、いもま聴き続けてます。やはりディッキー・ベッツとデュアン・オールマンという傑出したふたりのギタリストを中心に気持ちが通じあったメンバーがつくあげた時代のサウンドは唯一無二のものです。素晴らしいです。
先週と今週は4/18に80才で亡くなったディッキー・ベッツの追悼でオールマン・ブラザーズを聴きました。

2024.05.24 ON AIR

偉大なギタリスト、ディッキー・ベッツの死を悼む-1

ON AIR LIST
1.Don’t Want You No More/The Allman Brothers Band
2.It’s Not My Cross To Bear/The Allman Brothers Band
3.Hoochie Coochie Man/The Allman Brothers Band
4.In Memory Of Elizabeth Reed/The Allman Brothers Band

オールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストであり、ディッキー・ベッツ&ザ・グレート・サザンのバンマスでもあったディッキー・ベッツが4/18に80才で亡くなりました。オールマン・ブラザーズ・バンドは60年代後半から70年代はじめに活躍したブルーズ・ロックあるいはサザン・ロックの代表的なバンドで日本にも多くのファンがいました。ディッキーの死によってオールマン・ブラザーズのオリジナル・メンバーで生きているのはドラムのジェイモだけになってしまい、時代が行き過ぎるのを感じているところです。
ディッキー・ベッツは69年に一緒にバンドをやっていたベースのベリー・オークリーとともにデュアン・オールマンの誘いでオールマン・ブラザーズ・バンドに参加。71年にデュアンがオートバイ事故で亡くなった後はバンマスとしてバンドを牽引しました。ギターの名手というだけでなく、「In Memory Of Elizabeth Reed」「ランブリンマン」や「ジェシカ」といった後世に残る名曲を残した優れたソングライターでもあります。もちろん若いころからブルーズやカントリーなどルーツ・ミュージックへの強い愛着もありました。つまりデュアンとディッキーの二人の豊かな才能を持ったふたりのギタリストによってバンドの基本が作られていたと考えていいと思います。
実は私はオールマン・ブラザーズがなければ現在のように黒人ブルーズ、黒人音楽に入りこまなかったと思います。オールマン・ブラザーズは私にとって黒人音楽へ足を踏み込むきっかけを作ってくれたバンドでした。1971年のデビュー・アルバムからずっと今日まで聴き続けてきました。ギターの名手デュアン・オールマンとディッキー・ベッツのふたりのツイン・リード・ギターの素晴らしい絡みが聴ける曲を聴いてみましよう。
”Don’t Want You No More”から二曲目のスローブルーズ”It’s Not My Cross To Bear”へ連奏される展開を聞いてください。

1.Don’t Want You No More/The Allman Brothers Band

2.It’s Not My Cross To Bear/The Allman Brothers Band

これが収録されているのがオールマン・ブラザーズ・バンドのファースト・アルバム”The Allman Brothers Band”で1969年のリリースでした。私がこのアルバムを聞いたのは1971年の終わり頃でした。今聞いたオープニングの二曲のブルーズをルーツにしながらも何かすごく新しいものを聞いた感動がなかなか冷めませんでした。2枚目のアルバム”Idlewild South”にはマディ・ウォーターズの有名ブルーズ”Hoochie Coochie Man”が収録されているのですが、そのアレンジに驚きました。僕はプログレッシヴ・ブルーズバンドと呼んでいますが、こういうアレンジの発想は当時誰も持ってなかったです。だから僕はクラプトンがやっていたクリームのブルーズよりもオールマンの方が断然好きでした。。
まさにこのアレンジは同じメンバーでリハーサルを重ねてアイデアを出し合ったバンドでしか生まれないもので、クリームがどこかセッションバンド的だったのに比べるとオールマンは完全にバンドです。だからバンドだからこそ作れたクオリティの高さを感じます。

3.Hoochie Coochie Man/The Allman Brothers Band

この頃、オールマンのこういうブルースロック的なアブローチも好きでしたが、オリジナルのマディのリアルなブルーズにも惹かれていました。
次は亡くなったディッキー・ベッツが作った曲で二つのツインリードが実に美しく絡み合うインストルメンタルの名作です。やはりこれはデュアンとディッキーというふたりの優れたギタリストがいなければできなかった曲です。次々に展開していく曲の中でバンドがグルーヴし、それぞれのソロが何一つ無駄なく続くオールマンを代表する曲です。
タイトルのIn Memory Of Elizabeth Reed(エリザベス・リードの追憶)は彼女とデートしていた時にディッキーが近くにあった墓地の墓碑銘から取ったそうです。こういうブルーズやラテンそしてジャズのテイストをロックでクロスオーバーさせたバンドとしてオールマンと当時先を行ってました。

4.In Memory Of Elizabeth Reed/The Allman Brothers Band

こういうロックの新しい発想を持ち、それを音として作り上げていったオールマンの音楽的な実力に当時はすごく惹かれました。
僕が最初に塩次伸二とウエストロード・ブルーズバンドを作った時に最初に目標としたのはこのオールマン・ブラザーズ・バンドでした。そしてここから黒人ブルーズに突入しました。今日だけでは収まらないのでディッキー・ベッツの追悼を兼ねて来週もオールマン・ブラザーズ・バンドです。

2024.05.17 ON AIR

60年代ニューヨークのディープ・ソウル・シンガー、フレディ・スコット

The Very Best Of Freddie Scott(BSMF-7714)

ON AIR LIST
1.Hey Girl/Freddie Scott
2.Are You Lonely For Me/Freddie Scott
3.(You) Got What I Need /Freddie Scott
4.Cry To Me/Freddie Scott

アメリカの東北でニューヨークの北、ボストンに近いロードアイランド州のプロヴィデンスという街でフレディ・スコットは1933年に生まれています。子供の頃はおばあちゃんのゴスペル・グループに入って歌っていました。ロード・アイランド大学に入って薬学の勉強をしていたのですが、卒業後にシンガーとして56年にデビュー。でも、鳴かず飛ばずでしたがソングライターとしても活動をしていたようです。それがデビューから6年後1962年にジェリー・ゴフィン、キャロル・キング作「Hey Girl」という曲がヒット。ポップチャート、R&Bチャート共に10位まで上がりました。この時フレディ・スコット29歳です。まずその”Hey Girl”を聞いてみましょう。別れ間際の彼女に君に行ってしまわれたら俺はどうして生きていけいいいんだと言っている歌ですが、ともすると単調になりがちな曲調ですがフレディ・スコットの歌の後半に向かっていくソウルフルな歌唱力が素晴らしいです。

1.Hey Girl/Freddie Scott

今日のON AIRのタイトルが「60年代ニューヨークのディープ・ソウル・シンガー、フレディ・スコット」なんですが、ディープ・ソウルという言い方は南部のソウルを指すこととが多いのですが、60年代に今日のフレディ・スコットやガーネット・ミムズ、ハワード・テイト、リンダ・ジョーンズなどニューヨークあたりで活躍していたゴスペルに根ざしたシンガーのことをニューヨークのディープ・ソウル・シンガーと呼びます。
フレディ・スコットは今のHey Girlのヒットが出てから次のヒットがなかなか出ませんでした。いわゆる一発屋で終わるのかと思われましたが、4年後66年にAre You Lonely For Meが大ヒット、R&Bチャートの1位になります。「寂しくないかオレに会えなくて。オレはおまえに会えなくて寂しいよ。最後の金を使って故郷のジャクソンヴィルへ帰るよ。待っててくれよ。お前のいる故郷へ帰るよ」この曲でも彼の歌唱力の素晴らしさがよくわかります。

2.Are You Lonely For Me/Freddie Scott

この曲はR&Bチャートで一位、ポップ・チャートでも39位まで上がりましたが、広く白人層まで名前が知れ渡ったシンガーにはなりませんでしたが、ブラック・ミューシックのエンターテイメントの世界では歌の上手い歌手として認識されました。

フレディ・スコットはソングライターでもあり、アレサ・フランクリンのお姉さんであるアーマ・フランクリンのプロデューサーをやったり、デモ・テープ・シンガーもやってました。最初に聞いてもらった”Hey Girl”もチャック・ジャクソンのために書かれた曲をデモ・テープでフレディが歌ったところ「フレディの歌、ええやん」ということになりフレディが正式に録音されました。
次は少しアップテンポの曲で硬派なディープ・ソウルを聞かせてくれます。

3.(You) Got What I Need /Freddie Scott

では、最後に僕の大好きな曲で1962年に同じディープ・ソウル・シンガー、ソロモン・バークによってヒットとなった”Cry To Me” 「君の恋人が君を一人にして誰からも電話もない時泣きたい気持ちにならないか。ぼくはここにいるよ、おいでぼくの胸で泣きなよ。一人っきりでグラスのワインを飲むことほど悲しいことはない。一人きりで歩くことはない。ぼくの手を掴んでぼくと一緒に歩かないか・・泣きたい時はぼくの前で泣いていいんだよ。」

4.Cry To Me/Freddie Scott

最後のヒットが1970年にリリースされたボブ・ディランの名曲”I Shall Be Released”のカバーでした。そこからあまり名前を聞かなくなってしまったのですが彼は地道に活動していました。
2000年に入ってからもライヴ活動を続けてオールディーズのミュージシャンが集うコンサートなどにも出演したりアルバムもリリースしていましたが、ヒットには至りませんでした。
そして、フレディ・スコットは2007年にニューヨークで74歳でその生涯を閉じました。
今日聞いてもらったフレディ・スコットのアルバム”The Very Best Of Freddie Scott”は1/26に日本のBSMFレコードからリリースされています。日本ではあまり知名度はありませんでしたが、ゴスペル・ベースの実力のあるシンガーでどんな歌にもソウルを吹き込んだ歌手、フレディ・スコットでした。

2024.05.10 ON AIR

The Birth Of Boogie Boogie/ブギ・ウギの誕生(P-Vine PCD-25379)

ON AIR LIST
1.Pine Top’s Boogie Woogie(Take1)/Pine Top Smith
2.Yancey Limited/Jimmy Yancey
3.The Dirty Dozen/Speckled Red
4.I Don’t Know /Cripple Clarence Lofton
5.Boogie Woogie Prayer/The Boogie Woogie Trio

ある日、P-Vine レコードから今日ON AIRする「ブギ・ウギの誕生」のアルバムが送られて来た。それでP-Vine レコードのディレクターのAさんにお礼のメールをしたところ、去年NHKの朝ドラの「ブギ・ウギ」が評判になっている頃にAさんに「ブギ・ウギ・ピアノ」のコンピレーション・アルバムを出したらどうですか?と提案したのはこの私だったことがわかった。そう言えば飲んでる席でAさんにそんなことを言ったのをすっかり忘れていた。ブギウギが話題になっていたので日本盤で解説や歌詞が付いたアルバムをリリースしたらブギ・ウギをより知ってもらえると思ったからだ。そしてこのアルバムの選曲と解説をしているのが今年1月28日に亡くなったミュージシャンであり音楽ライターでもあった小出斉君だ。このアルバムが彼のライターとしての最後の仕事となった。
では、小出君の解説に沿ってこのアルバムを今日は聞きます。去年から今年にかけてこの番組でもブギ・ウギ・ピアノの特集を数回に分けてやって来たので今日は以前と曲が被らないように選曲したいのですが、ブギウギが広く知られるきっかけとなったこの曲はもう1度聞いてください。

1.Pine Top’s Boogie Woogie(Take1)/Pine Top Smith

1928年に録音されたパイントップ・スミスのこの曲がブギウギと名前がつけられた最初の曲で、これがヒットしたことで最初のブギウギ・ブームが始まりました。小出君の解説にも書かれていますが、歌詞に「ぼくの言う通りに踊って欲しいんだ。ストップと言ったら止まって踊るときにはブギウギと声をかけるから」と言う歌詞でもわかるようにブギウギは新しいダンス・ミュージックだったんです。
ブギウギの流行によってピアニストたちの演奏の技にも磨きがかかり、いろんなタイプのブギウギの曲が生まれていくのですが、次はピアノ演奏のスピード感が素晴らしく崩れないリズムのグルーヴ、特に左手で見事にキープされたリズムには息を呑みます。
1939年録音のジミー・ヤンシーのピアノ・インスト曲

2.Yancey Limited/Jimmy Yancey

次のスペックルド・レッドは「バレルハウス・ピアニスト」と呼ばれ、20年代から30年代にいろんな街を放浪しながらバレルハウスと呼ばれる酒場で夜な夜なピアノを弾いて生活した人です。大きな街であれば酒場にピアノがあり放浪のブルース・ピアニストとして金を稼ぐことができたという当時の酒場でのピアノの普及率に驚きます。改めて言いますがエレキ・ギターが普及する前、ブルーズはピアノの時代だったのです。日本だといまだにライヴハウスにピアノがないところが多いです。
曲名のダーティ・ダズンというのは子供が相手の子供のお母さんを茶化して言う遊びで、ぼくが子供の頃に「オマエの母さんデベソ」とか言い合ってたのと同じです。

3.The Dirty Dozen/Speckled Red

今のは1929年の録音でしたが、次のクリップル・クラレンス・ロフトンの曲はその約10年後の1939年頃の録音です。
ブギ・ウギ・ピアノのブームは意外と長く続きブルーズのスタンダードな音楽形式の一つとなり、そこからジャンプ・ブルーズやギターによるブギ、そしてロックンロールへと繋がっていきました。
ではクリップル・クラレンス・ロフトンのヒット曲。

4.I Don’t Know /Cripple Clarence Lofton

ちなみにクリップル・クラレンス・ロフトンのクリップルというのは手足が不自由なことでクラレンス・ロフトンも生まれながらにして片足が不自由だったそうです。

ブギ・ウギ・ピアノの魅力を広く白人たちにも知らしめたのが1938年にNYのカーネギーホールで催された「フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スイング」というコンサートで、この番組でも以前そのライヴアルバムをONAIRしました。そこに登場した名ピアニストの3人が、ピート・ジョンソン、アルバート・アモンズ、ミード・ルクス・ルイス。その3人がピアノ3台で繰り広げたブギウギの素晴らしさがブギウギをよりボビュラーなものにしました。では「ブギウギ・トリオ」と名付けられた3人による演奏です。

5.Boogie Woogie Prayer/The Boogie Woogie Trio

今日聞いた「ブギ・ウギの誕生」は4/10にP-Vineレコードからリリースされています。選曲も解説も充実しているので是非ゲットしてください。
解説の最後に2023年12月29日という日付があり小出君は亡くなるちょうど1ヶ月前にこの原稿を書き上げている。かってブルーヘヴンというバンドで共に活動した小出君の最後の仕事にこのアルバムのリリースを提案した私が少し関われてよかったと思う。小出君のご冥福を祈ります。永井ホトケ隆でした。